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2014年11月23日

『禁忌』『欲動』レビュー

文・大沢 愛

『禁忌』(監督:和島香太郎)

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2014『禁忌』製作委員会

 『禁忌』は理性と欲望の狭間を行き来する人間を生々しく、かつ繊細なタッチで描いた力作だ。
 女子校教師の浅井咲良(杉野希妃)は生徒と恋愛関係にありながら、異性の恋人と交際をしている。ある日、幼少期に離別した父親(佐野史郎)が暴行事件に巻き込まれ、咲良は彼の身の回りの世話を任されることになる。そして、咲良は父親の家を訪れた際に監禁されている少年・望人(太賀)と出会い、彼と父が性的関係にあることを知ってしまう。その後、売春の容疑をかけられた父の頼みで仕方なしに少年を匿うことにした咲良であったが、彼女もまた父と同じように少年に強い欲望を感じるようになってゆく。
 精神分析学の第一人者であるフロイトは、「性欲論三篇」(1905)の第一章「性的な錯行」の中で性対象の倒錯を三つのパターンに分類している。その中の一つ「両性にわたる倒錯」は同性も異性もともにその性対象となる場合を示しており、咲良と彼女の父はこれに該当するといえるだろう。咲良の場合は、異性の恋人と女生徒との関係、彼女の父は亡くなった咲良の母と少年・望人との関係がそれぞれ当てはまる。しかし、咲良の生活環境を見ると父の場合とは一線を画している感がある。
 咲良の職場は女子校であり、男性の姿はほとんど見られない。教育実習生であろう男性教師が登場するが、彼は教師として生徒をまとめることができず、男性的な雄々しさが欠如している存在として描かれている。つまり、咲良の周りには彼女を支配する成人男性の影が薄く(父親とも幼少期に一度離別している)、例え異性の恋人と抱き合っていても情熱的にはなれていないことが窺える。ここで再びフロイトの学説を軸に考えると、彼が提唱した「去勢コンプレックス」が咲良の行動に表れていると言えないだろうか。

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 フロイトは「去勢コンプレックス」について、女児の場合は自分が去勢されている事実を認めると劣等感と本格的な去勢不安を感じるようになり、男根を羨望するようになると定義している。
 さらに、この「去勢コンプレックス」から抜け出すために女性は次のような方法を取るという。一つ目は「男根の象徴としての子供を求める」、二つ目は「男らしさに固執する(これが極端な場合は同性愛へ発展する)」、三つ目は「性行為自体を避ける」方法である。
 異性として絶対的な存在である父との離別、男性の存在感が薄い職場での勤務、さらに女性として男根を有していないという強い劣等感を無意識のうちに咲良が抱いていたのだと仮定すれば、去勢コンプレックスから逃れるために、男らしさに固執して女生徒と関係を持ち、かつ男根への強い羨望を棄て切ることが出来ずに異性の恋人とも関係したと考えることができるのではないだろうか。
 では何故、咲良は少年・望人に強く惹かれていったのか。父親からの遺伝子を受け継いでいるからだからと言ってしまえばそれで済むことかもしれないが、咲良について今一度整理すると、彼女は異性との関係よりも女生徒との関係に満足していることは明らかであったが、男根への羨望を諦め切れずに異性との関係を断ち切れずにいたと考えられる。つまり、出会った当初、思春期の前に位置し、女性的なか弱さと男性的な外見を兼ね備えていた望人は彼女にとってこの上なく尊く、待ちわびていた存在だったといえるのではないだろうか。

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 しかし、望人が思春期を迎えたことによって咲良の希望は潰えてしまう。心も身体も成人男性へ着実に近づく望人は、ある意味で咲良に支配されていた以前の立場から、支配する側の立場へと移行する。ここでは太賀と杉野希妃の息もつかせぬ熱演によって「支配する男」と「支配される女」の構図が見事に展開され、ここで物語に緊張感と人間の生々しさが感じられる。
 罪を犯した女性教師と彼女を愛する青年。男女の恋愛はどのような形であっても、一種の欲望や支配から逃れることはできない。だからこそ、この作品から溢れる切迫した生々しさは私たちを圧倒させるのではないだろうか。
 
 

『欲動』(監督:杉野希妃)

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2014『欲動』製作委員会

 バリの異国情緒豊かな風景にある男女の物語が溶け込む。河瀬直美監督の『2つ目の窓』(2014)で舞台になった奄美大島と同様、自然の息吹を感じられる土地ほど生と死の距離が近いことに改めて気づかされる作品だ。また、『禁忌』で主演を務めた杉野希妃が監督・出演しており、才色兼備の彼女の実力にも圧倒される。
 勢津ユリ(三津谷葉子)は心臓に重病を抱える夫・千紘(斎藤工)を連れて、出産を間近に控えた千紘の妹・九美(杉野希妃)とその夫・ルークが住むバリへ訪れた。食卓を囲み食事をしたり、カフェに立ち寄ったりと穏やかな時間を四人で過ごしていたが、千紘と九美が口論を始め、彼らの間には深い溝が生まれてしまう。途方に暮れたユリがバリの土地を歩き続けていると、先ほどのカフェに居た日本人男性・木村がユリをナイトクラブへ誘う。そこでジゴロのワヤンと出会い、ユリはそれから度々ワヤンと密会するようになる。

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 ファーストシーンの原住民たちによる情熱的な踊りは、終盤まで度々登場する。舞台には火が灯され、生き生きとした音楽が流れているが、時には死と向き合う千紘の姿がそれと対比的に映されるのが印象的だ。一方、ビートの効いた音楽が流れるナイトクラブでは木村が恋人と接吻をしながら踊る姿も原住民たちのそれと重なり、トランス状態に陥った人間の動物的な生々しさを目撃する。
 そして、ここで私たちは一目瞭然でこの作品の主題の一つに「生と死」を見出すことができるだろう。妹の出産と死期迫る兄という関係からもそれを感じられるが、「自然という広大な生」と「人間の死」を対比されると人間の存在がどれだけ小さいのかを同時に痛感させられてしまう。
 これらのダンスシーンに加えてこの作品に躍動感を与えたのは、やはり千紘とユリが互いを求め合う場面だろう。千紘が心臓に重病を抱えているため二人には時間がない上、夫婦問題解決の端緒も見つからない焦りを必死に掻き消そうとしている夫婦の心情がこのシーンに集約されているように思えた。

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 また、この作品は円満な妹夫婦と問題を抱えた夫婦の関係性を対比させて物語が進むが、『禁忌』と同様、女性である千紘の妻・ユリが罪を犯してしまう。これに対する罰は明確に下されることはないが、ラストシーンで海へ身体を預けている千紘が浜辺に座るユリに向かってひたすら声をかける姿は、彼岸と此岸を暗喩しているようでもあり、妻としての貞操を遵守できなかったユリへの罰は二人の永訣であることが予想される。ひたすら妻の名前を叫ぶ夫と、それを眺める妻の後ろ姿。バリ島でのロケーション撮影の美しさに終始圧倒されてしまうが、ラストシーンの物悲しさと夕暮れの美しさにはさらに深い感動を覚えさせられる。
 これは偶然だと思うが、この作品は『禁忌』と同様に海辺でのシーンが深い印象を刻んでいる。海が生命の源であると言われるように、違った視点からではあるがこれらの作品が描いた生命には飾り気がなく、そして力強い脈動が感じられる。男女が佇む海岸に寄せては帰る波、これは欲望のうごめきなのだろうか。それとも、愛のささやきなのだろうか。
 

おおさわ めぐみ◎1994年生まれ。日本大学芸術学部映画学科在学中。映画理論・批評を専攻。


『禁忌』
監督・脚本:和島香太郎 プロデューサー:杉野希妃、山口幸彦
コプロデューサー:小野光輔 撮影:古屋幸一 音楽:富森星元
出演:杉野希妃、太賀、佐野史郎、山本剛史、藤村聖子、森岡 龍、月船さらら
制作:和エンタテインメント 配給・宣伝:太秦
2014年/日本/ビスタ/カラー/ステレオ/73分 

*12月6日(土)新宿武蔵野館にてレイトショー

『欲動』
監督・コプロデューサー:杉野希妃 脚本:和島香太郎
プロデューサー:小野光輔、山口幸彦 撮影:シディ・サレー 音楽:富森星元
出演:三津谷葉子、斎藤 工、コーネリオ・サニー 、杉野希妃、トム・メス、高嶋宏行、松ア 颯
制作:和エンタテインメント 配給・宣伝:太秦
2014年/日本/シネマスコープ/カラー/ステレオ/97分
 
* 11月22日(土)より新宿武蔵野館にてレイトショー

http://www.u-picc.com/taksu_sala/

posted by 映芸編集部 at 23:53 | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする