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2008年08月06日

映芸マンスリーVOL14
「『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』メイキング」
若松孝二(本編監督)トーク

 6月9日に行われた「映芸マンスリーVOL14」のトークショーには、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』の若松孝二監督が登場。革命を目指した若者たちが「あさま山荘事件」を起こしてしまうまでの道のりをドキュメントタッチで描き出した本作は、東京国際映画祭の〈日本映画・ある視点〉部門で作品賞を受賞し、ベルリン映画祭では最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)および国際芸術映画評論連盟賞(CICAE賞)をW受賞しました。
 古希を過ぎてなお衰えぬ映画への情熱と、インディペンデント精神を貫き続ける強さはいったいどこから生まれているのでしょうか。焼酎のグラスを片手に現れた若松監督は「映画は学校を出れば撮れるってもんじゃない。志の問題だよ」と熱っぽく語ったり、かと思えば「とにかく客が入ってくれないと困るんだよ」と笑って会場を和ませたり。ますますわからなくなってしまいました。
(司会・構成:平澤竹識、写真:矢吹健巳)

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ちょっと早く着いたもんだから、飲み過ぎちゃって(笑)。なに話したらいいのかなぁ。

――メイキングを上映した後なので現場や演出のことについて伺いたいんですけれども、最初に内容的な部分に関してもいくつか聞かせてください。あさま山荘事件が起きた当時、監督は事件についてどう思われたんですか。

最初にテレビを見た時、鉄球がドーン!と山荘にぶつけられていて、なんでだろうという気持ちでずっと見てたんだ。そのうち山荘の中に連合赤軍の連中がいるということがわかってね。ただ、彼らは中から銃を撃っているだけ。テレビではそういう姿しか見せてくれなかった。当時の視聴率は89.7%で、マスコミのいろんなところから電話があったけど、僕は居留守を使ってテレビばっかり見てました。僕としては彼らを支持してる部分があったんですね。国家に銃口を向けた瞬間は手を叩きましたよ。「おーやれやれ」とテレビを見ながら思ったけど、メンバーが捕まってから粛清の事実が明らかになって、遠山(美枝子)があそこで殺されたと知った時はものすごく腹が立った。なぜかと言うと、遠山は元々、俺と足立正生が撮った『赤軍PFLP−世界戦争宣言―』(71)という映画の上映運動を手伝ってくれていて、その途中から連合赤軍に加わったらしいんだ。それで本当に腹が立って、森(恒夫)と永田(洋子)は許せないと思ったんだけれども、いろいろ調べてみると、森も本当は優しい男だということがわかって、永田もべつに悪い女じゃなかった。だから、集団というのはどうしても人間を変えていくんだなっていう思いが強かったね。

――あさま山荘事件というのは、世間の枠組みから外れてしまった若者や反権力の志向という点で、監督がずっと描いてきたモチーフを内包している事件だと思います。なぜこの題材を映画化するまでに30年以上もの時間がかかってしまったんでしょうか。

この事件を描くのに俺が適任という意識はなくて、別の誰かが撮ってくれるものだと思ってました。まぁ長谷川和彦が撮るって聞いてたから、ゴジだったらまともなものが撮れるだろうと。でも、『突入せよ! あさま山荘事件』(02)を観た時に、権力側から映画を作ってることに憤りを感じてね。おかげで連合赤軍を撮ろうと本気で思えるようになったんです。だから、今となってはあの映画にはとても感謝してるんだ。

――そんな思いもあって、『実録・連合赤軍』が3時間10分という長さになったと。

そりゃあ、この映画が長いって言う人もいますよ。団塊の人たちは、時代の説明は要らないって言う人が多い。だけど、若い人はそこから見せないとわかんないんだよ。

――そうですね、僕の友人でも事件を知らない人はいますから。

そういう人のためにもあの説明は必要なんだ。最低でも30万人の人がこの映画を観てくれないと俺は元を取れないんだよ(笑)。だから、みんながわかるような映画にしたいと思ってました。でも、知ったかぶりする連中は映画の文句だけ言って、自分は何もやらない。「ヒマがあるなら何かやれ、この野郎」って言いたくなるよ。「今でも闘えよ、ヨボヨボになっても闘え」って思う。やっぱりみんな闘わないじゃん。知らん顔してさ。ゴールデン街で酒飲んでわめいてるんだったら何かやれって言いたい。俺は、今の若い人がこの映画を観て、わかってくれたらいいなと思う。こういう事件が起こらないような世の中を作らなきゃいけない、この時代の人は頑張ってたな、俺たちもなんかやらなきゃいけないな、と思ってくれたら、それでいいと思ってるんです。だから、人がなんて言おうが構わないけれども、とにかく客が入ってくれないと困るんだよ(笑)。

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――先ほど名前の出ていた遠山美枝子さんの存在が、この映画を撮ろうとする大きな動機の一つとしてあったんでしょうか。

映画を観た人から遠山への思い入れが強いんじゃないかと言われることがあるけど、自分としては、そのつもりはないんだよ。ただ、あのメンバーの中で本当に知ってるのは遠山だけだからね。

――「時効なし。」という本を読むと、監督は連合赤軍メンバーの坂東國男さんとも交流があったようですね。

あさま山荘の中の出来事や会話というのは、坂東君から聞いた話がベースになってるからね。僕は毎年正月にパレスチナへ行ってるんですよ。餅とあんこと明太子を持ってね。正月だから、あんこ餅を食わせようと思ってさ。その間に坂東君にも会ったりして。彼にも山荘の中のことは喋っちゃいけないという意識があったみたいだけれども、だんだん僕に気を許してくれるようになって、中で何が起きていたのか聞いてみたら、ある時ベーカー高原で話してくれたんだ。映画の中ではある程度デフォルメしてるけど、それは僕自身の理解でああいう形になったということでね。おそらく、あさま山荘の中は誰にも撮れないでしょう。でも俺は、坂東君の話なんかを聞いてたから撮れたんだと思う。

――そうやって頻繁にパレスチナへ行って、前線で戦っている人たちと交流があったからこそ、70歳近くになっても闘う姿勢を維持できるというところがあるんでしょうか。

今やめちゃうとカッコ悪いんですよ。足立もパレスチナから帰ってきて、68になってガキ作ってるしさ(笑)、俺もやめてスッといきたいなんて気持ちもあるんだけど、そうしちゃったらなんかカッコ悪いじゃん。ここまでやってきたから、死ぬまで何かをやってないとしょうがないと思ってるんだよね。

――歳を重ねるに従って年齢に合った題材を選ぶようになる監督も多いですよね。それでも若松監督が若者にこだわっているのはなぜなんでしょう。

今、現役で撮ってる監督で、僕は上から5番目なんですよ。上から新藤兼人(1912年生)、山田洋次(1931年生)、佐藤純彌(1932年生)、降旗康男(1934年生)で、その次が若松孝二(1936年生)になっちゃってるんだよ。でも、年寄りの映画撮ったって面白くないでしょう。誰も観に来ないじゃん。だから、最近はずっと17歳の映画を撮りたいと思ってるんです。自分では「17歳三部作」って呼んでるんだけど、『17歳の風景 少年は何を見たのか』(05)と、加藤元久を中心にした今回の『連合赤軍』、それから次は17歳で浅沼稲次郎を暗殺した山口二矢を撮りたいと思ってる。『連合赤軍』も最初は元久の話だけで撮ろうと思ったんだよ。だから、最後の方は元久の視線でずっといってるでしょう。映画を撮ってる人ならわかると思うけど、シーンの最後が必ず元久の顔で終わってるのはそのせいなんだ。

――彼の「勇気がなかっただけ」という印象的なセリフがありますが、あれは途中から付け足したものなんですか。

最初はなかったセリフなんだけど、元久が「みんなが勇気を持って森さんと永田さんにもうやめようって言ってくれたら、お兄ちゃんも死ななくてすんだのに」って坂東君にぽつりと言ったらしいんですよ。その時に坂東君はものすごくへこんで、こんなに辛いことはなかったって話してくれてね。それをフッと思い出してあのセリフを付け足しました。やっぱり元久にとっては、あの時みんなに勇気があれば、お兄ちゃんも生きてたんじゃないかという気持ちがあったんだね。

――ちなみに、あさま山荘事件を映画にしようという時に、「実録」スタイルでいこうと決めたのはなぜだったんですか。

まぁ、実録と言っても映画ですからね、あの時代を撮ると言っても風景も変わってるし、いろんなことが変わってるから、完全に実録で撮れるわけがない。ただ、内容だけはなるべく実録に近い形で撮ろうということでタイトルに「実録」と付けたんです。なんで彼らがあさま山荘まで行ったのか、その過程を描くという意味でね。でも、再現フィルムじゃないから、2割ぐらいは自分の言いたいことを言わせてるし、そこは自分の表現と割り切ってやってます。

――あさま山荘のシーンは若松監督の別荘を使って撮影されているわけですよね。普通に考えると、そんなことが実際に可能なのかと思ってしまうんですが、それでもいけると判断したのはどうしてなんでしょうか。

あさま山荘の中は誰も知らないからね(笑)。表は撮らないわけだから、中をどう撮ろうが問題じゃない。それに、彼らが山荘の中で何をしたのか、どういう会話を交わしたのかということを俺は撮りたかったわけだから、どこで撮影しようが関係ないんだよ。あの別荘だってピンク映画作ってコツコツ稼いで建てたものだから、映画でぶち壊すぶんにはまぁいいだろうと。

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――メイキングの最初にオーディション風景が映っていましたが、連合赤軍のメンバーはほとんどオーディションで選んだんですか。

全部オーディションですよ。でも、マネージャーを現場に連れてきたらダメ、一人でいらっしゃいというのが僕の条件だったんです。だから、ARATAとか坂井(真紀)さんのことは知らなかったんですよ。オーディションの時に助監督が有名な俳優が来てるって言うから「どれや?」って聞いたんだけど、ARATAなんか髪は長いし茶色に染めてるし連合赤軍になれるわけないって感じでさ。坂井さんは歳がちょっといきすぎてるかなと思ったんだけど(笑)、なんでオーディションに来たのか聞いたら、エキストラでもいいから出たいって言うんだ。で、2人とも1次は通したの。そしたらARATAは2次の時に、坊主にしてきたんですよ。やる気のある人だけをキャスティングしようと思ってたから、これはいけると思ってね。今回はギャラも全員同じで、小道具係もメイクも衣装もいない。自分たちで全部用意しろ、その代わりリュックサックに入れるものはこっちで準備するからと、基本的には全部自分たちでやらせたんです。宿は最初、ベースキャンプの小屋に俺も一緒に泊まろうと思ったんだけど、寒くてとてもダメでね(笑)。近所にロッジがあったから、役者は全員4人部屋に泊まらせたんです。

――準備段階でのそうした振る舞いには演出的な意図もあったんですか。メイキングを見ると、役者さんたちに強い連帯感が生まれていたようですが。

つまり、みんな俺のマジックに引っかかったんだろうな(笑)。みんなイケメンで今どきの顔してるじゃん。そうすると赤軍の顔にするにはしんどい思いをさせないとムリじゃないかと思って、ボロクソに怒ったりもしてね。メイキングでも俺なぜか不条理に怒ってるよな。

――映ってる限りでは、実際的な指示を出してるなぁという印象でしたけど。

ほんとはもっといろんなところで怒ってるんだけど、それをカットしろって切らせてるんだよ(笑)。スタッフも含めた全員が緊張感を持って撮影に臨むためにはそういうことも必要なんです。だいたい僕は夜遅くまで仕事するのが嫌いだし、夜はみんなでお酒を飲もうというタイプだから、ダラダラ撮影したくないんだよ。

――メイキングの中で役者さんが、リンチで殺されたり逃走したりする順番に人がいなくなっていくという話をしてましたけど、そういう撮影の順番にも演出的な意図があったんでしょうか。

時系列で撮ってるわけじゃないんだけど、そうやって精神的に追い詰めていくことも演出家の仕事ですからね。カットを割るだけじゃなく、俳優さんにどういう芝居をさせるか、それをどう撮るかが俺たちプロの仕事だから。ただ実を言うと、今回の現場に劇映画のプロは2人しかいなかったんですよ。僕と録音部の久保田(幸雄)さんだけ。カメラマンの辻(智彦)さんも劇映画は撮ったことがないんです。今回はこの映画をどうしてもやりたいってやつと一緒にやろうと思って、助監督も見習いの女の子4人と男1人だけだった。今回は僕の両腕とも言える制作担当と助監督の2人が逃げたんですよ。逃げたと言うか、奥田瑛二の現場へ行っちゃった。そりゃあ奥田瑛二の仕事の方がギャラは高いよな(笑)。

――そういうスタッフ編成で撮影に入るのは勇気がいることじゃないんですか。

プロはなんか言うとすぐ「できません」って言うんだよ。でも、金がありゃできるんだ。例えば、最後の放水の場面をどうしようかって言うと、プロだったら東京から呼ぼうって言う。放水の専門家がいるからね。でも、東京から呼ぶと何百万もかかるんだ。それなら近所の消防車が来てくれたらいいわけですよ。それを交渉に行ってこいと言ったら、プロは行かない。今回、制作を担当した女の子は知り合いの編集会社に勤めてた子なんだけど、彼女は市役所まで平気で交渉に行くんですよ。それでちゃんと借りてくる。あの消防車は1日借りて5千円だからね。2台で1万、2日借りても2万でしょう。東京から呼んだら何百万ですよ。そういうことを素人はちゃんとやってくる。あれがプロの制作部だったら、最初からムリだって考えて、東京から呼ぶでしょうね。

――ただ、やる気があっても経験不足ゆえに現場がうまく回らないという場面も出てきたりするんじゃないですか。

映画はそんなことないんだよ。俺だって監督になれるんだから。俺なんか農業高校を1年しか出てないよ。でも、映画は学校を出れば撮れるってもんじゃない。志の問題だよ。自分が本当にこういうものをやりたいってずーっと思っていれば映画はできるんだ。映画監督協会には570人も会員がいるけど、みんな才能があるのに撮れないって言ってる。けど、偉そうに椅子にふんぞり返ってたって撮れるわけないんだ。山田洋次なら別だよ。松竹が金を出してくれるんだから。普通の監督は自分で企画を立てて、どうすればお客さんが来てくれるのかを考えて、自分の足でお金を集めなきゃ映画なんか撮れないよ。

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――今回の映画は個々の役者さんを演出するというよりも、集団を演出する場面が多かったと思います。そういう集団の演出に関して、監督なりのテクニックみたいなものはあるんですか。

最初に俳優さんが集まった時に、「オペラ観に行ったことあるやついるか」って聞いたんだ。そしたら1人もいなかった。オペラっていうのは、見られていようがいまいが、後ろにちっちゃくしか見えない役者でも芝居してるでしょう。この映画も同じで、カメラに映っていようがいまいが、誰かのアップを撮ってる時にも芝居をしてなくちゃダメだと、そういう演出の仕方をしたわけ。どこにキャメラを置いて、どう撮ってもいいように。だから、ワンカットワンカットとにかく全員が芝居をしています。

――続けて一連の芝居をしてるところを、いろんなポジションから何度も撮影するというやり方だったんですか。

僕のやり方は、とにかく全員をその場所にブチ込んで、一回芝居を見せてくれってやるんだよ。で、細かい動きは付けない。そうすると、幹部役は幹部役で自分たちの席を決めちゃうんだよな。自然と決まっていくんだよ。俺はそれを黙って見てるだけ。そのうち「おぅ、芝居を見せてくれないか」ってライティングも何もしないでやらせるんだ。最初は小手先のチャラチャラした芝居をするんだけど、「そんな芝居よく恥ずかしげもなくやるなぁ」と段々いじめに入っていくわけだよな(笑)、役者を悔しがらせるために。それで、もういいかなって時に「さぁ、いこうか」と、ライティングしてカメラのポジションを決めていく。役者には「どこにパンするかわかんないから、芝居だけちゃんとしてろよ」と言ってね。

――撮影中にどこを撮ってるのか把握してるのは監督とカメラマンだけなんですか。

そりゃそうだよ。

――カメラは2台回してたんですか。

そうだね。1台の時もあったけど。

――「時効なし。」の中で、原田芳雄さんが若松監督は編集がうまいと話されてるんですが、監督は撮影してる時から編集後のイメージまで出来上がっているものなんですか。

ホン作ってる時から決めてるね。頭に全部入ってるから。ただ、コンピューターで編集してるんだけど、俺はコンピューターを使えないんだよ。それで助監督に作業してもらうんだけど、なかなか欲しい映像が出てこない。フィルムならパーッと器械を回せば絵が出てくるじゃない。コンピューターはそうじゃないんだ。だから、後ろに俺が座ってて「なんで出てこないんだ!」って椅子蹴っ飛ばしたりするんだよ(笑)。まぁ、時々一緒に焼き鳥食いに行ったりしてフォローはしてるけど。

――メイキングの中でも役者さんを別荘に呼んで一緒にお酒を飲んでいるシーンがありましたね。

それはもう全部フォローしてますよ。そうすると、みんなすぐ泣くんだよな。

――でも、坂東役の大西(信満)さんはかなり怒られてましたね。

役者にも助監督にも怒られ役というのを1人作るんだよ。だから大西のことは不条理に怒ったけど、あいつ、なんか怒られやすい顔してんだよな(笑)。

――それで萎縮しちゃうタイプの人もいるんじゃないですか。

それはちゃんとわかってるから、萎縮するタイプの子は怒らない。大西は根性のあるやつだからね。いくら怒ってもそうはならない。だから、飯食いにも連れて行かなかったけど、みんなで集まってる時はやっぱり幹部面してるからね(笑)。いや、大西は最初の芝居がマズかったんだよ。最初に『赤目四十八瀧心中未遂』(03)の芝居しやがったから、あれとこの映画は違うぞって怒ってさ。喋り方から何から全部変えていったんだから。

――怒られ役の人がいると、現場にどんな効果が生まれるんですか。

スタッフから俳優さんから全員が緊張するってことだよ。監督はみんなそうだと思うけど、助監督に怒られ役を作って、間接的に他のスタッフを怒ったりするわけ。いいスタッフはその時に自分が怒られてるなってわかるんだよ。役者もそう。例えば、あさま山荘のシーンの撮影中にフッとモニターを見たら黒いジャンパーを着た大西がお面みたいに暗い顔しててね。「大西、バカ野郎!!おめぇはカッコつけて革ジャンなんか着やがって!」って怒ったの。だけど、本当は照明部を怒りたかったんだ。もっと大西にライト当てろって。でも照明部は2人だけで必死にやってるから、あんまり怒るわけにもいかない。でも、そう言ったら照明部がすぐに気が付いて、ジャンパーに明かりを当てろってやってたけどね。そういう怒り方っていうのもあるんだよ。

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――映画のパンフレットでも、メイキングの中でも、監督はものすごい早撮りだという話が出ていましたが。

そりゃあ、テストでもカメラ回したりするからさ。本番て言うと俳優が緊張するから、「テストいこう!」って言いながら、カメラ回しておくように言って、終わったら「はいOK」。俳優さんによっては、本番て言うとカッコつけちゃう人もいるからね。

――パンフレットの中の撮影日誌に、迦葉ベースの撮影が3日の予定だったのに監督が突然1日で終わらせると言い出したというエピソードが書かれていましたが、そういう時はどんな勘が働いてるんですか。

だいたいの尺数を考えて、これ以上しつこく撮ったら長くなり過ぎると思ったんで、全部やめることにしたんですよ。普通の監督さんなら撮っておくだろうけど、俺は昔からフィルムをあまり使いたくないっていう貧乏性なところがあって、無駄なカットは撮りたくない。それでも撮ったシーンを全部繋げたら5時間になったんだから。

――そこから完成尺の3時間10分という長さに編集する時はどういう判断で切っていくんですか。

自分の撮ったものってなかなか切れないんですよ。だから、そういう時は現場に付いてない人、映画と関係のない人に観てもらうんだよね。そうすると、「これはしつこい」とか「これは見るに耐えない」とか言われる。だから、切った部分のほとんどは粛清のシーンだね。おそらく3分の1ぐらいしか使ってない。やっぱり俺は最後の山荘のところを観てもらいたかったから、粛清のところはある程度残して思い切り切ったんだよ。スタッフとか映画の業界にいる人間だと「5時間でも見せましょう」なんて言うんだけど、やっぱりお金を出して観に来てくれる普通のお客さんのことを考えるとね。

――そろそろ時間なんですが、監督に何か質問したいという方がいらっしゃいましたら、手を挙げてもらえますか。

〈観客による質疑応答〉

――今日は若松監督が映画のパンフレットを持って来てくださっています。サインもしてくださるそうなので、買いたいという方はここに残ってください。

10冊しかないんじゃないかな。もう、これ持って来るの重かったんだよ(笑)。

――じゃあ、この辺で終わりにしましょうか。

今日はどうもありがとうございました。まぁ、一緒に飲みましょう。……焼酎ちょうだいよ。

(6月9日 乃木坂「COREDO」にて)


『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』公式サイト:http://wakamatsukoji.org/top.html

次回、8月11日の映芸マンスリーは『茨の同盟』(吉田和史監督)を上映します。

ゆふいん文化・記録映画祭 第一回松川賞入賞作『茨の同盟』(2006年/DV/65分)
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監督・編集・音楽:吉田和史
撮影・録音:石河雅史、土田潤也
出演:松野行秀(ゴージャス松野)、田代純子 ほか
制作:早稲田大学川口芸術学校

ゲスト:吉田和史×野村正昭(映画評論家)

〈解説〉
女優・沢田亜矢子との離婚騒動により、マスコミからのバッシングを受けた松野行秀。その後も歌手デビュー、ホスト転身、整形手術などで話題を振りまいてきた彼が、地元福島でのプロレス興行『ゴージャスナイト』に挑む。どん底から這い上がろうとする男の苦闘と、それを支える女の意地を見つめることで、マスコミ報道のあり方を静かに問いかける(意外と)硬派なドキュメンタリー。

会場などの詳細は下記のURLをご覧ください。
http://eigageijutsu.com/article/102456613.html
posted by 映芸編集部 at 19:11 | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする