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2008年09月19日

『幸福 Shiawase』
小林政広監督インタビュー

 昨年、『愛の予感』でロカルノ映画祭グランプリを受賞した小林政広監督の『幸福 Shiawase』(06)が明日、9月20日からシネマート六本木にて公開されます。本作は、北国のロケーションやミニマムな人物配置というこれまでの作風を踏襲しながら、白夜の町という架空の舞台を設定することで、孤独な男女の出会いと共同生活を独特のユーモアを交えて描いた作品です。
 今ではカンヌ映画祭などの常連として知られる小林監督は、十代の頃にフォークソングを歌い始め、テレビドラマやピンク映画の脚本家として活躍した後、42歳で監督デビューしたという異色の経歴の持ち主でもあります。そんな監督に、本作での狙いや映画にかける思いについて聞いてみました。
(取材・構成:平澤竹識 構成協力:五十嵐 愛)

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映画の演出というのは
自分が「やだな」と思うことをやらないこと


――学生時代に、小林さんが脚本家としてサトウトシキ監督と組んだピンク映画の諸作から強烈なインパクトを受けました。もともとテレビのシナリオを書いていた小林さんがピンク映画の仕事を始めたときは、テレビじゃできないことをやろうという思いだったんですか。

そうですね。テレビでできないことをやるのが映画だと僕は思ってました。今はテレビでできることしか、映画でやらなくなったけど。あとはやっぱり映画をやりたかったというのが根本にあったと思います。テレビは制限多いですからね、言っちゃいけない台詞とか。そういうのも面白くて好きなんですけど、やっぱりたまってくるものがあるので、そういうものはピンクで書いてぶつけていたところはありました。

――その後、自ら監督をされるようになったのは何かきっかけがあってのことですか。たとえば脚本家としていつも演出に対する不満があったとか。

もともと映画を監督するためにシナリオライターになったところがあって、シナリオが最終じゃなかったんです。僕はライターのときは、監督が喜びそうなホンを書いてやろう、という思いで仕事してましたね。巨匠と言われるライターみたいに、演出にも口を出すというのはあんまり好きじゃなくて、スタッフの一員として書いているのが楽しかった。だから、演出が気に入らなくて自分で監督しようと思ったわけじゃないですよ。

――サトウ・小林作品に特徴的な暴力描写が、ご自身の監督作ではあまり見られないのはなぜなんでしょう。

ピンク映画のようにセックスシーンとか暴力的なシーンをホンに書いても撮れないんですよ。「あれがあるからOKしたんだよ」とスポンサーから言われることもあるんですけど、決定稿にする前に全部外しちゃう。どう撮っていいかわかんないんです。技術的にじゃなくて生理的に。たとえば殺しの場面を撮るときは、現場で血糊を塗ったりして露骨な嘘をつくわけじゃないですか。そういうのがあんまり好きじゃないんでしょうね。だから『殺し』(00)という作品でも肝心の殺しの場面を見せないようにしてたりして。きっと映画の演出というのは、自分が「やだな」と思うことをやらないことなんですよ。それが作り手の個性になっていくんじゃないですか。

――小林監督は、お仕着せの企画ではなく、あくまでも作りたい映画を作り続けているという印象があります。しかし、これだけコンスタントに作品を公開していくには戦略が必要なのではないですか。

戦略みたいなことは意識してないです。いつも「これ1本で食えなくなって、映画やめるかもしれないな」という危機感の中でやってますね。それに全てが自主制作じゃなくて、お金を出してもらって作ったものもありますし、だからこれまでやってこれたんじゃないですか。

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――他の人のお金で撮った作品にも小林監督の独自性が色濃く滲んでいると思いますが、それは他の作家がやりたくてもできないことなんじゃないでしょうか。

そうですかね。でも簡単なんですよ、独自性をなくすのは。我慢すればいいだけから。人のホンで、カメラも編集もおまかせにして、そうすれば独自性はなくなります。役者に芝居をつけると言っても「ここからこういう風に歩いてください」という芝居は誰だってつけられますからね。ただ、メジャー作品のようにある程度のお金がないと、そういう風にはなりませんよ。『幸福』みたいな作品だと予算は昔のVシネマと変わらない。だから、スポンサーも強くは出られないし、こっちも「じゃ、おまかせで」というわけにもいかないんですね。予算の中でなんとかやりくりするためには自分の頭で考えないといけないですから。

――小林監督は海外での評価も高いですし、外国の映画人と交流する機会も多いと思いますが、そういうときに邦画界のゆがみを感じることはありますか。

日本がおかしいと感じることはないですね。むしろ外国へ行くと「どこも一緒だな」と思います。結局、映画の製作本数が多い国は商業的な作品も多いんですよ。ヨーロッパと比べて日本やアメリカは作ってる映画の本数が5〜10倍も違う。だから、商業的な作品が多いのは当然なんです。ヨーロッパの映画祭をやっている人たちは、商業映画だろうがなんだろうがいいものはいい、という基準ですから。商業映画ばっかりだからよくない、という人はいないですよ。当たる映画もだいたい一緒ですね、日本やアメリカで当たる映画はヨーロッパでも当たる。『踊る大捜査線』のようにドメスティックな作品はまた別ですけど。

――日本も世界も映画を取り巻く状況は変わらないということでしょうか。

それは昔から同じだと思います。たとえばコッポラの『地獄の黙示録』(79)。あれは莫大なお金をかけて半ば自主制作のような形で撮られた映画で、アメリカ国内では「失敗するだろう」と言われていた。それがカンヌで賞を獲って、世界的にヒットしたじゃないですか。世界的に成功する映画は、自国で大ヒットするわけじゃない。『影武者』(80)もそうです。逆にドメスティックな映画の限界というのは、どこでもあるんじゃないですか。最近はアメリカ映画でもアメリカ人しか観なくなってきてる傾向がありますよね。

――ドメスティックな映画と世界的に認められる映画の違いはなんだと思いますか。

それは哲学じゃないですか。映画哲学も人間哲学も含めて。たとえば今公開してる『ダークナイト』(08)のクリストファー・ノーランにはすごく個性がありますよね。『スパイダーマン』シリーズのサム・ライミもそうだけど、彼らがそれまでやってきたことをそのままやってるだけでしょう。サム・ライミなんて『ダークマン』(90)の頃から変わらないですよね、CG使ったりはしてるけど。結局そういう人たちしか生き残れないんじゃないかな。『ダイ・ハード』(88)の監督なんて一時は勢いがあったけど、今何してるの?って感じじゃないですか。だから「この人にしか撮れない」というモノを持つことが大事なんじゃないかな、と僕は思いますよ。それを曲げてメジャー映画を作ってダメになっちゃったりするのは、まだ若いというか、もうちょっと挫折したほうがいいんじゃないかなと思います(笑)。

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僕は事件自体には興味がないんです
何か背負ってしまった人間のことを描きたい


――では『幸福』の話に移らせてもらいます。この映画の出演者は主演の石橋凌さんを始めとして、香川照之さん、村上淳さん、柄本明さんという錚々たる顔ぶれですよね。小林監督はいつも“映画俳優”と呼ばれるような人たちを起用している印象があるんですが、監督が俳優に求めるものとは何なのでしょうか。

テレビの役者さんは歩きながら喋ったり、何かしながら喋ることに慣れていて、そうすると台詞が流れてしまうんです。まずそこですよね。やっぱり言葉が伝わらないと、何を言っているのかわからない。僕が観客の場合は、そういう映画は観ていて引いちゃうんですよ。だから台詞のあるシーンなら、役者さんは台詞を伝えられることが一番大切ですね。

――俳優は技術がまずは大事だと。

芝居はドキュメンタリーじゃないから、カメラがあって、そこに向かってみんな演技しているわけです。あんまり技術を持っていない人は、カメラの前で他の役者とダブろうが、おかまいなしなんですよね。ダブってたりするほうが映画的じゃないかとか、何を言ってるかわからないほうがリアルじゃないかとか言われますけど、それは違うんじゃないかなと僕は思うんです。じゃあカメラに向かって喋っていればいいかというと、そうでもない。そこら辺のひねり方というのは、メジャーなものをやっている人と、マイナーなものしかやっていない人の違いですね。カメラを意識はしてるんだけど外してきたりね、そういう1カットごとの芝居の作り方がうまい。それが経験からくるものなのか、なんなのかわからないけど、傍から見てるとその差は歴然とありますね。

――『幸福』は『バッシング』(05)と『愛の予感』(07)の間に作られたそうですが、どちらの作品とも映画に対するアプローチがまったく違います。いつもテーマやストーリーが決まってから、映画のスタイルをどうしようかと考えるんですか。

『幸福』の場合は最初、画のことも話のこともあんまり考えませんでした。次のシーンが何かわからない状態でホンを書きだしたんです。『バッシング』も『フリック』(04)も苫小牧で撮ったから、もう1本苫小牧の勇払で作ろうと。スタートはそれだけですね。

――『バッシング』や『愛の予感』は作品内に実在の事件が取り込まれていて、映画と現実が地続きにあったと思うんですが、『幸福』は話自体も寓話的ですし、撮影や演技も虚構性が高いですよね。どうして今回はこういうスタイルを採ったんでしょうか。

『バッシング』は「社会派」みたいに言われますけど、自分の心境を主人公の女の子に託して言わせてるだけで、もっと個人的な作品なんです。そういう1人称の映画っていうのは、自分と主人公の距離感にものすごく神経を使うんですよ。『バッシング』の場合は女の子だからずいぶん違いましたけど。あれが男だったら大変なことになるんです。現場でも自問自答になっちゃってね。ここでこういう台詞言っていいのかとか、そういうことの繰り返しになるんです。1人称の映画にはもちろん客観的な目線も必要ですが、ある部分では一番入り込んでやらないといけなくて、突き放したら終わりなんですよ。だから、引いてみたり近づいてみたり堂々巡りになってしまう。逆に『幸福』のような3人称の映画は、最初からある程度突き放せるんですね。もちろん登場人物にいろいろ託しているんですが、ひとりの主人公が1本の映画を進めていく作りじゃないんで、全然違う神経の使い方をする。人物よりも映画全体のテンポや芝居のテンポを見ていけるんです。

――わりと方法やスタイルに目が届きやすいんですね。

それが1人称の場合だと、主人公に絡んでこないと芝居が作れないじゃないですか。そうすると、お客さんが主人公の気持ちにどれだけ入っていけるかが問題になる。3人称の場合は観客の意識を散らせるから、作っているほうもそんなに集中しないでいいんです。楽というわけじゃないんですが、ある種の遊びができるんですよね。そういう意味じゃ、作ってるときも楽しいですよ。

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――『幸福』を拝見している間、映画の世界にすごく引き込まれたんですけど、自分が何に引き込まれているのかよくわからなかったんです。監督が今回撮ろうとしていたモノは何だったんでしょうか。

出てくる人たちはみんな悲惨なんですけど、何か滑稽さみたいなものを出したいなと思ってたんですよね。そういえば、最初は『カラオケ』というタイトルで、人物のセリフを字幕にしようかなんて考えたりもしたな(笑)。

――小林流のコメディ映画という見方もできそうですね。悲喜劇と言いますか。

そういう意味じゃ、『バッシング』を撮ってるときはずっと我慢してたんですよね。やっぱり題材が深刻だから滑稽な要素は入れちゃまずいかと思って。ただ、「笑わせたい」っていう思いはいつもあるんです。だから『愛の予感』のときもやっちゃうんですよ。人にはシリアスにやってくれって言ってたのに、自分で演じたらなぜかやっちゃったんですよね(笑)。我慢できなくなっちゃった。『幸福』はシリアスだけの映画じゃないし、前からやりたかったタッチですよね。これともう1本、公開されてない『気仙沼伝説』という映画があって、やっぱりそれもちょっとコメディの要素があるものをやりたかった。なかなか作れないですけどね、そういうものは。

――物語の設定としては『バッシング』や『愛の予感』と同じように、『幸福』でもある事件のその後が描かれていますね。

僕はその事件自体には興味がないんです。何か背負ってしまった人間のことを描きたい。だから何でもいいんだけど、実際にあった事件なら、お客さんとの共通点もできるかなと思ったぐらいで。僕はもともと夏目漱石の「それから」みたいに、“駆け落ちした2人が暮らしている”という感じの設定が好きなんですよ。現在進行形で道ゆきを描いた「近松物語」みたいなものよりも、「それから」のように普通は描かないところを描いているほうが好きなんですね。それにお金も掛からない(笑)。

――この映画のタイトルは『幸福』ですが、男(石橋凌)と女(桜井明美)が出会ったときが幸福なのか、それとも出会う前や別れた後が幸福なのかと、いろいろ考えさせられました。ただ、ラスト近くに笑顔の2人が料理か何かを作っている短いシーンがありますよね。あそこが現実なのか夢なのか判断がつかなかったんですが。

あれは現実のシーンとして撮ってますね。

――では、この映画はやっぱりハッピーエンドということになるんでしょうか。

ハッピーエンドじゃないですね。誰かの犠牲のうえに成りたつ幸福なんかないですよ。さっき話した漱石の「それから」みたいなものですよね。何かを犠牲にしても、2人は幸せにはなれない。だから幸福は一瞬だけなんだなと思って、ああいうカットにしたんですね。前のカミさんや亭主と会ったりしても、そこからべつの展開はないだろうし、家庭に帰っていく話にはしたくなかった。ヴェンダースの『パリ、テキサス』(84)も男が家庭に帰ろうとして帰らない話じゃないですか。やっぱり、ああいうことなのかなぁと。

――今日、最後の質問はこれで締めようと思って来たんですが…監督ご自身は今幸福ですか?!

それはご想像におまかせします(笑)。

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(9月12日 モンキータウンプロダクションにて)

『幸福 Shiawase』
監督・脚本:小林 政広
出演:石橋 凌、桜井明美、村上 淳、橘 実里、柄本 明、香川照之
音楽:デビッド・マシューズ 主題歌:上田正樹
2006年/106分/35mm/ビスタ1,85/カラー/モノラル
C)「幸福」製作委員会
2006年 東京フィルメックス コンペティション 正式出品作

9月20日(土)より シネマート六本木にてロードショー

公式サイト http://www.shiawase-movie.jp/

試写室だより『幸福 Shiawase』 http://eigageijutsu.com/article/106789388.html

posted by 映芸編集部 at 14:00 | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする