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2009年01月04日

映芸マンスリーVOL17『最初の七日間』
斎藤久志監督トーク

 昨年10月14日の映芸マンスリー(現・映芸シネマテーク)VOL17で上映した作品は、斎藤久志監督がENBUゼミナール映像俳優科の生徒達を起用して撮り上げた『最初の七日間』でした。超客観的な視点で高校生たちの鬱屈した青春群像を描いたこの作品は、前作『ホワイトルーム』で新境地を拓いた斎藤監督のさらなる野心作と言えるのではないでしょうか。当日のトークショーでは、若いスタッフとともに作られたこの映画での試行錯誤についていろいろとお話を伺いました。
(司会・構成:平澤 竹識)

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――まず、この作品がどういう形で作られたのかを教えてもらえますか。

 ENBUゼミナールに映像俳優科というコースがあるんですが、その授業の一環として作った作品です。今年の3月にENBUの主催で渋谷のQ-AXシネマで上映したのですが、その後、編集もダビングも全部やり直しました。だから、この形で観ていただいたのは今日が初めてということになります。

――この作品は群像劇風の作りになっていますが、こういう脚本になったのは俳優コースの生徒たちを使って撮るという企画の要請が大きかったんでしょうか。

 僕が担当した映像俳優科の生徒はこれが3本目の作品で、1本目は舟橋淳さん、2本目は高橋泉さんの監督作に出演しています。『最初の七日間』では特別にお願いしてプロの奥田恵梨華さんにも出演してもらいましたが、それ以外の生徒達は全員、この3本に出るというのがENBUのカリキュラムなんです。要するに、ある作品で脇役になったとしても、他にも出演する機会はあるので、ENBUからの要請自体は全員を均等に出演させなければいけないというものではありませんでした。

――シナリオ的には佐世保のスポーツクラブで起きた乱射事件が大きなモチーフになっていますが、それはどの段階で決まったことなんですか。

 それは直接モチーフにした訳ではなくて。ホンを書いてくれた成冨佳代さんは僕が映画美学校で講師をしていた時の生徒なんです。彼女は昨年のPFFに『つめたいあたたかい』で入選している人なんですが、彼女に脚本を依頼することがまず前提としてありました。
 ENBUの授業は、僕が1ヶ月弱の期間、週に2回ほど3〜4時間のレッスンを行うという形で、その最終段階として映画を作るという流れなんです。通常のレッスンはテキストを使って行われるらしいんですが、今回は彼らの個性を生かすために映画の脚本も当て書きで作れないかと思っていました。それで、レッスンの過程から成冨さんに来てもらって、レッスンをやりながらホンを作っていこうと思ったんです。
 その時に、お互いが共有できる題材がないだろうかと成冨さんと話していて、まぁ、事件ネタでどうだろうかと。それでいくつかの事件を探している中で、佐世保の事件があったよねって話になって。すごく雑な言い方をしてしまうと、最後にドンと撃てば、バラバラに進行するドラマがあっても映画は終われるだろうと思ったんです。事件を掘り下げるとか、理由を探すのではなく、登場人物たちの空間みたいな意味でスポーツクラブはありかなって。井上荒野さんの小説の「しかたのない水」というのもありましたし……。

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――この映画は、鬱屈した青春群像の中で狂気が醸成されて悲劇に至るという作りになっていると思います。個人的にはガス・ヴァン・サントの『エレファント』(03)を想起したんですが、監督自身はこの作品を作るに当たって何か参考にした映画はあったんですか。

 ホンを作る過程でいろいろな錯綜はあったんですが、最初にイメージしたのはロバート・アルトマンの『ナッシュビル』(75)なんです。その後、拳銃をどう扱うかという問題で、パキ(藤田敏八)さんの『リボルボー』(88)を思ったりもしました。その一方で、キャラクターや人物の関係性は、バラバラでしたけど、レッスンの過程で、それぞれの役者をあてこんで、成冨さんがある流れは作ってくれてたんです。それを映画としてどう集約するのかという問題は曖昧なままだったんですが、ホンがある程度の形になって人に読んでもらった時に「これと同じ映画があります」と言われたんです。それがミヒャエル・ハネケの『71フラグメンツ』(94)でした。それで、どんな映画だろうと思って観てみたら、非常に面白かったんですね。ほとんど説明もなく淡々と断片を重ねていくだけで、ここまで観られるんだと。登場人物の顔の認識も分からなくても総体としての世界観が見れた。それが撮影直前のことだったので、「あ、こういうことなのか」という感じにはなりました。

――そこで斎藤さんが「こういうことか」と思った部分、惹きつけられた魅力というのは何だったんですか?

 「こんなに説明がなくてもわかるんだ」みたいなことですかね。最初は撃たれる側のショットも撮るという前提で考えていたんです。弾着もやろうかと。でも水着ですから、大変だな、金かかるなと悩んでいたときにハネケだったんで、これなら撃つ側だけで押せるんじゃないか、発砲だけですむなと。
 一方で、俳優映像科の生徒達を使うという制約があり、彼らをどう「リアル」に落とし込むかということを考えた時に、普通の映画のように撮っても妻夫木や蒼井優に勝てっこない。しかしプロにはないリアルが彼らの中にあると信じてはいたんです。そのことをうまく成立させるやりかたとして、『71フラグメンツ』の方法論で撮ることが好都合でもありました。だから、ワンシーンをフィックスのワンカットで撮るという方法はハネケの影響が大きくあったからだと思います。
 それから、今回はかなりの低予算だったこともあって、どうせなら思い切って自主映画的な方向に振り切ってやろうということは意識的に思ってましたね。

――要するに、今回の製作条件では役者さんを映しすぎないほうがある種の真実味が出るのではないかと判断されたわけですね。

 僕自身、本当は役者さんに寄り添って走りたい人なんです。ただ、今回は群像劇だったので、役者の誰かによりかかった作りはやめようと。その時の方法論として、ハネケのようにやるとどうなるか、ということは考えたかもしれないですね。

――セオリーとして、人物の感情を表情のクローズアップで伝えるという方法があると思うんですが、この作品ではそういう常套手段が取られていません。それは今おっしゃられたことの延長線上としてあったんですか。それとも、人物の心情をクローズアップで表現すること自体に拒否感があったんでしょうか。

 そういう拒否感はないですね。ただ、今回はある特定の心情を映すというよりも、あるシチュエーションなり空気感なりで映画を成立させられないかなと思っていたんです。映画総体であるひとつの感情が見えるみたいなことが出来ないかと思ったんです。
 タイトルは成冨さんがつけたんですが、聖書の神がこの世界を作った七日間という意味です。一週間の成り立ちですよね。日曜日に神がこの世から去られるという。その日曜日に発砲が起きる。

――今回のような演出を採用したのは、他の方が脚本を書かれていることとも関係がありますか。

 最終的には僕のほうで脚本を直していますから、そういう意味ではこれまでの映画とそう変わらないんです。前作の『ホワイトルーム』(06)は完全に演出家としての仕事だったので、その時とは状況が違いますね。

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――内容の話に戻りますが、この作品で描かれている中学、高校時代の錯綜した人間関係や、そこで起こるいじめなどの主題は、もともと描きたいテーマとして持たれていたものなんですか。

 それ自体を描きたいという思いを持っていたわけではないんです。ただ、AにはBが強いけどBにはCが強い、でもCにはAが強いみたいな関係性が一方にあり、他方では各人物の善悪では割り切れない二面性があるという中で、冒頭のラブホテルのシーンに象徴されるような、人間が持っている漠然とした悪意が連鎖していくという映画全体のイメージは持ってましたね。

――原因があって結果があるという展開ではなく、ゆるやかに狂気のようなものが蔓延していく過程を描きたかったと。

 まぁ、そうですね。

――そういうことは初めから脚本の成冨さんに伝えていたんでしょうか。

 ホンの部分が上がってきたり、初稿が上がってきたりする中で、僕のほうから、こうしようか、ああしようか、という提案をしていったんじゃないですかね。最初から、そういう形で脚本を作ろうという感じではなかったと思います。

――先ほど監督自身が話されていたように、役者さん個人の持っている存在感のようなものが、この映画にリアリティを与えているように感じました。現場での演出はあくまで役者さんのキャラクターを活かす方向で行われていたということなんでしょうか。

 ホンがそういう形で作られていましたからね。脚本を作っていく過程でのキャスティングを含めた成冨さんとのやり取りの中で生まれていってる部分が大きいとは思いますね。成冨さんのそれぞれの役者の印象だったり、それに対する僕のイメージだったり。現場に実際に立たせて変わっていったこともありますが。

――役者さんのキャラクターから役柄のイメージを膨らませたり、展開を考えたりした部分もあったわけですか。

 そうですね。あくまでもイメージで、本人そのままではないですが。部分的には本人そのもののエピソードを借りている部分もあったと思います。

――今回、プロの俳優を演出するのとは違った苦労はありましたか。

 僕はもともと自主映画を作っていた人間なので、それは元に戻ったというだけですね。もちろん苦労もありましたけど、それはどんな映画でもあることなんで。

――スタッフも若い方が中心だったと伺いました。

 そうですね。映画美学校と日本映画学校の元生徒の混成チームです。
 カメラマンの浜口文幸さんは、自主映画やってて、犬童一心さんや今関あきよしさんと知り合った頃、マインド・ウェーブ・シネマ(80年前半、旧文芸坐の出資で自主映画の制作、上映を行っていた)で顔見知りだったんです。それが約20年ぶりぐらいに日本映画学校で講師として再会したんです。このスタッフ編成で映画が成立できたのは浜口さんの力が大きいと思いますけど。 


――要するに、プロは監督とカメラマンだけという現場だったんですか。

 どこからがプロなのかという線引きが分からないんですが……、録音も美学校の僕の生徒ではありますけど、今はプロの現場に出ている高田伸也さんに来てもらっています。仕上げは高田さんの家でやりましたけど(笑)。奥田さんの部分に関しては、いつも僕の映画をやってもらってる宮本茉莉さんにスタイリストをお願いしていますし、メイクもつけました。
 プロのやりかただったら、どうしてもお金がかからざるをえないところをうまくクリアできたり、プロの技術がないと成立できないことがあったり色々です。そういう意味ではすでに『いたいふたり』(02)がプロアマ混成のチームでしたし……。

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――若いスタッフと自主制作に近い形で映画を撮ったことで何か見えてきたことはありますか。

 もともとプロの現場の仕事を始めた時に思ったのは、自主映画もプロの現場もやることは大差ないと。だから今回、特に変わったことはなかったとは思います。幸か不幸か、プロの仕事でも内容的に何かから規制を受けた経験は僕にはほとんどないんです。今は逆に縛りがない方がきつい。今回の縛りは役者でしたけど、その意味ではプロの仕事です。

――撮影的なことで言うと、カメラはフィックスで長回しなんですが、カメラをどこに置き、その前で人をどう動かすのかということが考えぬかれているように感じました。

 それは監督にとって最低限の仕事ですから。プロの役者さんを使う場合には、もう少し自由に動いてもらって感情が見えるまで待ったりするんですけど、それに比べると今回は動きの段取りや形をわりとこちらで指示していたと思います。もはや演出というより調教に近いかたちでしたね(笑)。だからこっちが望む芝居ができない場合は、わざと表情を隠したり、棒読みにさせたりしていました。フレームのサイズに関しても、そういう事情が反映されているかもしれないですね。

――通常の現場では、監督が指定した動きが前提にあって、それを役者さんが崩していくようなやり取りがあるわけですか。

 いつもは役者さんのほうからアイデアが出る場合もあるし、役者さんの芝居を見てこっちがインスパイアされる場合もあります。今回はこちらが先生という立場でもあったので、普段とは違ったやり取りにならざるをえない。もちろん、プロのほうが偉くて、素人はダメだと思っているわけではなくて、素人のほうが良い場合もあると思います。ただ、久しぶりにこういうスタイルに戻ってみて、奥田さんに出てもらってる時は楽だなぁと思いましたね(笑)。

――ワンカットの長さについても伺いたいんですが、いくつかのシーンで明らかに「意味」を伝える以上の長さを取っていたと思います。その時、監督の中ではどういう判断が働いているんでしょうか。

 「意味」だけで繋いでいけば、あと30分ぐらいは切れる映画だと思います。でも映画って意味だけでは出来てないじゃないですか。一見無駄に思えるワンシーン、ワンカットがどこかで効いている場合があります。長さの問題で言えば、結局は僕の「生理」ということなんでしょうね。意味とかがなくなって、ただ時間が流れるっていうのが、気持ちがいいんです。でもその暴力的な時間が、トータルでは「何か」になっていると信じてます。その意味ではそれを押し切れたのは自主映画的な部分かもしれません。商品としての作品だったらやってないと思います。

――斎藤さんの作品群には以前から毒やトゲのようなものが含まれていたように感じますが、表層的にはポップな印象がありました。しかし、『ホワイトルーム』以降はその毒やトゲがより前面に出てきているように思います。ご自身の中で意識の変化があったんでしょうか。

 変化ですか?それは自分では分からないですね。一本一本撮ることに集中していますし、自分の作品を系統立てて考えたことはあまりないですしね……。もしあるとしたら、映画が撮れなくなったことかもしれません。『いたいふたり』までは続いていたんですが、仕事がなくなって(笑)。それと同時に学校の先生を始めたりしたので、そのせいかもしれません。関連性は分かりませんが……。
 実はまだ完成していない映画が『いたいふたり』と『ホワイトルーム』の間に二本あるんです。美学校がらみなのですが、『雨の慕情』という唯野未歩子と鈴木卓爾主演の映画と『川を渡る』という阿久根裕子と森岡龍主演の、両方とも1時間弱の中編です。諸処の事情でまだ完成に至ってないのですが、それが出来ればその間の何かが見えるのかもしれません。

――個人的には斎藤さんがこれからどのような作品を撮るのか非常に楽しみにしているのですが、現在、進行中の企画や温めている企画などがあれば教えてください。

 脚本の仕事は多少抱えているんですが、監督の仕事は来ないですね(笑)。

(2008年10月14日 乃木坂「COREDO」にて)


『最初の七日間』
監督:斎藤久志
脚本:成冨佳代、斎藤久志 撮影:浜口文幸 録音:高田伸也 助監督:伊藤裕満
出演:平野敬子、松本圭史、藤田健吾、村上剛基、奥田恵梨華 ほか
製作:デジタルハリウッド 制作:ENBUゼミナール
(2008年/DV/約85分)
posted by 映芸編集部 at 21:17 | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする