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2009年02月16日

試写室だより『獣の交わり 天使とやる』
たかがピンクじゃないか、バラライキ?  
若木康輔(ライター) 

 伊作=イサクが主人公の名前になるのは、『野いちご』の老先生以来ではないか。
 キリスト教の贖罪と救済をモチーフに、信仰の苦しみをしっかりドラマに定着させようとしている意欲作である。こういう映画のレビューは、大変だ。油断するとつい肩に力が入ってしまう。自分でも知らない難しい用語を散りばめて、妙にこねくりまわした文章を書いてしまう。
 こんな時は落ち着いて、心の中で繰り返そう。It's only blue films. たかがピンクじゃねえか。

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 「月刊シナリオ」と国映の共催で行っているピンク映画シナリオコンクールの、第四回入選作「イサク」の映画化である。シナリオは、「月刊シナリオ」2008年11月号で読むことができる。作者は港岳彦だが、この号ではヨブ呼彦名義になっている。
 喧嘩か何かで(映画ではぼかしている)相手を植物状態にしてしまった若者・伊作が、数年振りに故郷の町に帰って来た。突然聞こえるようになった「会いなさい。会って癒しなさい」と命じる声に導かれての帰郷である。伊作は困惑しながらも、寝たきりの弟の世話をしながら教会に通うキリスト者の娘を訪ねる。
 娘は、弟を植物状態にした伊作を簡単に許すことが出来ない。しかし、聖職者は信仰との出会いを一様に、向こうから呼ばれた、招かれた感覚だったと語っている。声が聞こえると言う伊作は神の存在を確信できている、本物かもしれない。娘はそう認めざるを得なくなってくる……。
 この展開に僕は、アッとなった。目からウロコが落ちるようだった。

 中学二年の秋、『炎のランナー』を一人で見に行ったら、劇場ロビーで、新約聖書を持った若くてほっそりした女の人に会った。信仰深い五輪ランナーの映画だから、本作の娘のように、市内の教会に通う人が布教目的で来ていたらしい。女の人は「あげます。読んでみてね」と聖書をそっと僕に手渡した。緊張しながら「ハイ」と僕は答えた。一瞬でその人が好きになった。
 お姉さんとまた会える時の為に、その新約聖書、毎日のように読んだ。なのに、どうしても入って来なかった。後で手に入れた旧約聖書も同様。親戚が新興ビジネス系(韓国で合同結婚式するやつ)に入れ込み、一族がバラバラになるほど揉めていたので、心のどこかでアレルギーというか、シャッターが閉まっていた。
 だから、本作の展開を見たおかげでずいぶんスッキリしたのである。そうか、オレが呼ばれた感覚を全く持てないのは単純に御縁が無かったのだ、理解できないのは勉強不足だからと無理に気に病む必要は無いんだ。むしろ、自分には分からないけど求める人には確かに存在するもの、と捉え直せば、キリスト教とやっと素直に向き合えそう。

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 しかし、向こうのほうから呼ばれる者を、熱心な信者はどう思うのか。キリスト教の信仰とは聖書に書かれた奇蹟を疑い、その疑う心と絶えず闘うこと。そう遠藤周作が書いていると、アイヌ文学を研究する友人から教わったことがある(明治時代の北海道では、アイヌ民族のキリスト教入信者がとても多かった)。葛藤と求道の途中にある人からすれば、声が聞こえ、やすやすと疑心の苦悩を乗り越えてしまっている伊作は、羨望を覚える、そうとう厄介な男だろう。
 娘にとって伊作は、弟思いの健気な娘を演じる自分の欺瞞を映す鏡だ。追い詰められた娘は聖書を海に投げ捨て、自分を罰するように、あるいは自分を丸裸にするため、職業売春婦になる。男と女がこうした対立項の関係になるのは、ピンク映画では異色ではないか。
 そここそ本作の意欲的なドラマ作りでありつつ、実はスッと入り込めないところでもある。堕ちた彼女を伊作が「俺が君を赦す」と受け止め、二人は結ばれる。無償の愛の成就としてのセックス・シーンは、なかなか劇的で美しいのだが、二人の位置関係が逆転すると同時に、なんだか、かよわい女子を守るのを喜びとするマチズモが滲んでくるような異和感を覚えた。

 レイプあり痴漢ありのピンク映画をつかまえてマッチョ的な感じが気になるなんておかしい、というご意見もあるだろう。ファンには自明のことと思うが、日本の成人映画には女性の性の解放に男性がどう対応し、あるいは協力すべきか、あの手この手で考えながら、変則的でありつつ近松や西鶴としたたかに繋がる文芸ジャンルとして成熟してきた、フェミニンな側面がある。かつてのロマンポルノの定番だった、貞淑な人妻や令嬢、女教師が劣情で犯されることで生身の女としての実感を獲得するパターンは、それゆえ、ムチャクチャな筋立てのようで確かな説得力があるのだ。

 ところが本作のように、信仰を捨てて精神的に彷徨う娘を、素朴で善良な男が大きな愛で……となると、どうもホントにいい話なので、かえってらしくないし、あえてピンクで見たい男女関係ではないよなあ、と感じるわけである。要するに、甘酸っぱい飛躍をしてくれない。たかがピンクじゃねえかとうそぶいたものの、されど=バラライキ(But I like it)な何かを垣間見ることは、やはり喜びなので。
 僕なら伊作に娘よりも大きな罪を与え、汚辱の泥のなかに突き落とす。そうすれば僕の中では、あいつは初めて彼女に会いに行ける。
 一方で、ひょっとしたら本作の舞台は現代ではなく、伊作のモデルは、千石イエスこと千石剛賢の青年時代ではなかろうか、と僕は想像を逞しくしている。1970年代の終わり、千石と女性信者たちとの共同生活が人さらいのハーレムなどと誤解されたことから<イエスの方舟>は大きな騒動となった。理解できない集団はなんでもカルトと危険視する世情の、典型みたいな事件である。神に近づき娘を赦した伊作が、もし騒動が落ち着いた後の千石のようにナイトクラブの店主になり、ホステスと聖書の勉強会を開くところで本作が終われば。フィクションによって実際の事件の本質に接近する、ホントにいい話らしさの貫徹として、僕はきっとかなり激しく感動した。

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 シナリオのほうが先に発表されているのだから、もう少し、出来た映画との違いについて触れるのが筋だろう。これがまた、やりずらい。港岳彦はまだ膳場岳人名義で活動していた時に本誌424号の〈インディペンデント映画誌座談会〉に参加し、以下の発言をしている。
 批評家の文を読んでいても、「こいつ監督と知り合いだから柔らかく書いてるな」とかあるわけですよね。ないとは絶対言わせないぞと 
 これを去年の夏に読んだ僕は、キツいことをハッキリ言う人だなあ、とゾッとした。もちろん知り合いになんかなりたくなかったが、港が佐藤洋笑と共同発行する「映画時代」に寄稿することになり、それでも顔を合わせずに済んでいたら、新年会があるという。ついつい面白そうで顔を出したら監督のいまおかしんじも出席しており、「どうも、試写を拝見させていただきまして……」と二人にヘコヘコご挨拶することになって、ある意味、サイアクなのである。
 でもまあ、よく考えれば、なんということは無かった。知り合いの映画だから柔らかく書くテクニックは、あくまで勝ち馬に乗ってナンボの職業映画評論家に必要なもので、ふつうのライターやっていれば、せっかくお知り合いになったからこそ意見をちゃんと言いたくなるものなのだ。

 僕は試写を見てから初めて「月刊シナリオ」誌掲載の稿を読んだのだが、どう見ても、出来上がった映画のほうが良い。それは活字の説明でしょ、という点がカットされたり、複数の場面を一つにまとめたり、前後を移動したりすることでずいぶん整理されている。言葉を映像=アクションに置き換える作業を丁寧に行ったことが、すごくよく分かる。
 キャストのなかで映画を厚くするのに大きく貢献しているのが、吉岡睦雄。伊作と娘との三角関係にならないから今一つ弱い田舎やくざを実体のある役に変えて、主演の若い二人を支えている。メジャーの舞台で注目される俳優さんになるのは、きっともう時間の問題。

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 いまおかしんじの演出がシナリオをよく揉み、風通しを良くしたのは間違いない。しかし、軽やかにし過ぎて、ゴツゴツしたシナリオの肝心の思いの部分まではぐらかしてしまった節もある。
 キモの一つである、伊作だけが見える「浅黒い肌の素足」を、ちょっと笑える感じに見せた判断。いまおか映画のファンならおなじみの異界キャラクター(と思う。僕は『愛欲みだれ妻』の人造人間おじさんが好き)として出て来て、シリアスになりがちな奇蹟を、一種おかしなハプニングとして表現する効果は確かに面白い。ただ、その為にさっき僕が不満を唱えた、けれどもすこぶる真剣な伊作と娘の愛の成就を、余計に間が抜けたように見せてしまうマイナス面があるのだ。それに「素足」をああいうキャラクターで押すなら、後半に再登場させなきゃ意味が無くなるのでは。

 いずれにせよ、活字で表現される奇蹟と、映像で表現される奇蹟は自ずと違ってくる。そこらへんについて、監督とシナリオライターはずいぶんよく話し合って決定稿を作ったんだろうな。
 終盤、伊作に救われた娘は、自分が海に投げ捨てた聖書が、浜辺に打ち上げられているのを見つける。拾い上げるとその聖書はしかし、全く海水に濡れず汚れてもいなかった。すごくダイレクトな信仰の復活の表現に、鳥肌が立った。この場面は「月刊シナリオ」誌稿には無いのだ。
 もちろん、実際には助監督さんが同じ判の聖書を二冊用意していたか、撮影の順序が逆だったかのどちらかで、別に奇蹟でも何でもない。しかし、カメラが回り、カットがつながり、見る者がその上映に没入することで、ああいう鮮烈なショックになる。
 初代引田天功は、マジックとは何かと問われたら「裏打ちのある奇蹟です」とやたらクールな答えを用意していたそうだが、映画作りもそうなんだよなあ……と、すごく初々しい感想を持った。CG多用映画の作り手に豊かさを感じないのはなぜかと聞かれれば、映画の奇蹟を信じる心が足りないからです、と答えることは可能なのである。

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現場で演出するいまおか監督

 「ピンク映画が好きだ。成人映画館が好きだ」
 「月刊シナリオ」誌に載った受賞の言葉がシンブルに始まるのは、港岳彦の、れっきとした信仰告白だからだろう。たかがピンクじゃねえか、バラライキ、と骨身に沁みている男の言葉だ。
 俗のなかに示された愛を見つけようと望む者には、ピンク映画は確かに存在する。これはもう、ひとつの信仰であり、本作のテーマもまた、そこに尽きる。

 結局、どこか肩の力が抜けない評を書いてしまったけど、どうだろうか港さん。シナリオライターとしての今後の活躍を期待しつつ、やっぱり「映画時代」のほうも、ゴツゴツと続けてほしい。放っておけば、表面をなぞったような情報と、見ないと損か得かの手っ取り早い鑑定ばかりはびこる時代だからね。「映画時代」とオレたち映芸ダイアリーズ、お互いどれだけ映画への愚直さを読む人に伝えられるか、競い合おうぜ。


『獣の交わり 天使とやる』
監督:いまおかしんじ
脚本:港 岳彦 撮影:鈴木一博 編集:酒井正次
出演:吉沢美優、尾関伸嗣、小島遊恋、古沢裕介、吉岡睦雄 ほか
製作:国映、新東宝、Vパラダイス

2月27日(金)より、全国のピンク館にて公開


posted by 映芸編集部 at 12:36 | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする