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2009年04月20日

金子遊のこの人に聞きたいVol.3
DVD+BOOK『キセキ――gozoCiné』
吉増剛造(監督)インタビュー

 詩人の吉増剛造が2006年7月からパナソニックのビデオカメラを手に持ち、個人的な映画の試みを開始しました。いつしかそれはgozoCinéと呼ばれるようになり、今までにブラジル、熊野、アメリカ、奄美群島、東北などを経巡った撮影の旅が19本の短編映画として記録されています。そして、2009年2月22日、吉増剛造の古稀の誕生日を奥付として、それらをまとめた『gozoCiné キセキDVD+BOOK』が発売されました。
 「映画芸術」ではDVD+BOOKを上梓したばかりの吉増剛造に、詳しくその話を聞き、そのインタビューの模様は「映画芸術」本誌427号(2009年4月30日発売)に収録されます。異例ではありますが、ここでは雑誌の紙面の都合上、割愛せざるを得なかったインタビューの一部のWEB掲載に踏み切ることにします。本誌のインタビューを先取りして、その熱っぽい語りの雰囲気をお伝えしたいと考えての愚挙と、ご容赦頂ければ幸いです。
(聞き手・構成/金子遊 写真撮影/忠地裕子)

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詩人と映画
――吉増さんが育った福生には映画館が2館あったのですよね。

 疎開で福生というところへ行きました。大都市か中都市じゃないと映画館がなかった時代には、まだ桟敷席が残るような青梅キネマへ出かけた記憶があります。その前に芝居小屋の桟敷で見ていたことも幼少体験で覚えている。昭和20年代後半に福生の街に映画館が建つような時がきて、福生セントラルとテアトル福生が建った。戦後になって小さな街にも映画館できるようになった。
 映画のはじまりって、暗くなる前はまだ明るいわけじゃない? 昔の子供たちは「ジングラパー」って言ったのよね。ジーッて開演のベルの音がして、照明が落ちて暗くなり、パーッと映画はじまる。何か別世界がはじまるあの感じ。銀幕の裏のすごく粗悪なスピーカーから音がして、鞍馬天狗か何かを見ていました。いつしか映画館からジングラパーがなくなっちゃった。セントラルが洋画で、テアトルが邦画だったかねえ。そんなわけ方するなんて、今考えてみたらどうなのかと思うけれど。

――吉増さんは映画評論とも縁が深いですね。年譜によれば、63年に映画評論誌「シネ」を詩人の天沢退二郎、渡辺武信、岡田隆彦さんらと創刊しています。「シネ」はきしくも今回のgozoCinéのシネと同じですね。また「映画芸術」にも小川徹編集長時代に原稿を寄せて下さったりしています。「シネ」という雑誌にはどのような文章を書いていたのですか?

 当時はね、ベルイマンの『沈黙』という映画のこととか、恩地日出夫さんの『素晴らしい悪女』の映画評ね。僕たちは日本映画も見ていたので、後年会うことになった鈴木清順さんの『関東無宿』や、加藤泰監督の『緋牡丹博徒』のシリーズだとか。それに大映の監督たちの映画かしら。「日本読書新聞」の周囲にいた人も映画に熱狂的な視線を送っていた。山根貞男さんと『ガロ』の編集者をやった高野慎三さん(共に「日本読書新聞」の元編集者)と一緒に、映画本『遊侠一匹・加藤泰の世界』(幻燈社)に参加したりしてね。そうだな、学生運動とも関係あるんだな。高倉健と藤純子がスクリーンに出てきて、こちら側ではゲバ棒を振りまわしているような空気がありましたね。

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gozoCinéの前史
――「映画芸術」との関連では1997年夏号(383号)で、吉増さんと田村正毅さんに対談をして頂いています。そこから繋がったのか、吉増さんの著書『燃え上がる映画小屋』では田村さんとアテネ・フランセ文化センターで行なった対話が収録されていますね。

 『燃え上がる映画小屋』を編集したのは青土社の津田新吾というブリリアントな編集者。彼がアテネ・フランセで映画を観ていくというシリーズを作り上げた。毎回それに向かって詩を書き、対話をしていきました。それによって、僕のなかで映画の焼けぼっくりにガソリンが撒かれたように火が点いたのね。そこで出会ったのがアレクサンドル・ソクーロフでした。野本昭夫さん(ソクーロフの映画『ドルチェ―優しく』のコーディネーター)が会場に来ていて、その後すぐにソクーロフを宮古島に呼んで僕と対話するなんていう、政治運動に近いような動きがこの本からは出ましたね。

――『燃えあがる映画小屋』で印象的なのは、映画館の暗闇でノートをとっていて時々字が外れたりして、映画から詩へとはみ出していったという喩で吉増さんが詩の発生を語っていることです。この書物は映画への賛歌のような面があり、亀井文夫、ソクーロフ、パラジャーノフ、ベケットらの映画を見ながら講演、対話、そして映画へ寄せる詩を書くというプロセスで成り立っています。700行の詩「石狩シーツ」(詩集『花火の家の入口で』所収)も「映画を作るようにして書いている」と仰っています。映画を観ることと詩を書く行為が、どこか深いところで繋がっているようですね。

 割合説明しやすいような言葉で短絡して「映画館の暗闇のなかでノートに見えない字を書いていて、帳面からすべり落ちるような感覚があって、それが詩になった」というような言い方をしましたが、それを説明していくと、もっと深いエクリチュールの暗闇に入り込んでいきます。映画監督にもなりたかったから、映画館では映画を観ながら画面のことをメモやスケッチに取ったりして、何かボールペンで書いているわけです。ペンライトなんてない時代だから、暗闇での書く行為になるわけ。あとでそれを見ると字が重なったりしてオシロスコープみたいな筆記なんだけど、それを盲目の筆記体験としてしていたことが後年物を書く手先の運動に大きな力を及ぼしている。
 それが詩になったという言い方をしたけど、実はそこは相当深くて、僕は50年を経てそれをnakedwritingと名づけました。心に刺青をするように、ただ筆記することの根源へ向かう経験を映画館でしていた。緑の非常口というランプが点いた映画館の暗闇で、一心にそれまでなかった経験をしている。単純に詩にいったとか映画にいったという話じゃなくて、深い暗闇への道を歩きたくてしていたことかもしれません。

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メカス、ソクーロフとの出会い
――吉増さんの映画作りは、gozoCinéをご自分で撮影する前からはじまっていたのではないかと思います。まず、’85年にジョナス・メカスと初めて出会い、メカス日本日記の会の活動の中心になって’91年の来日を実現させています。’90年には『ザ・テーブル』というメカスがビデオ日記を撮り始めた頃の作品に登場して、吉増さんはメカスの家でギンズバーグら詩人たちと共に出演なさっています。
 また、ソクーロフのときは映画『ドルチェ―優しく』の製作に関わり、同名の書物も出版されています。『燃えあがる映画小屋』によれば、1997年10月にソクーロフと撮影監督のアリョーシャさんと、宮古島などの島々を撮影に付き合いながら歩いていますね。

 思い出が鮮やかに起ってくるけれども、映画のなかでプロデューサーとか分業的に興行的に分担してやる役割じゃなく、一緒に連れ立っていくというのかな。共同作業でもなくて、一緒にマイクロバスに乗せてもらい、一緒にその場にいる。そういうものの豊かさに、表現する奴ってどこか憧れるじゃない? 最終的にはもちろん一人で暗闇で文字を書くわけだけど。だから、メカスさん、ソクーロフさん、ビクトル・エリセといった人たちに惹かれていった歴史というのはあります。それは、たった一人でペンを持つようにカメラを持つという、そんな世界にとっても近いものなのね。
 アテネ・フランセでソクーロフの『ロベール 幸せな人生』を観る回のときに、ソクーロフの訳者である児島宏子さんたちが会場に来ていた。その家の居候だった野本昭夫さんもいて、その頃野本さんは南島に移住しようとしていた。宮古島は僕にとって創作の一つのポイントであり、東松照明さんの写真の島でもあるわけで、ソクーロフを宮古島に連れて行こうという案が出た。それで、宮古島でソクーロフの映画を見る会をやった。そのときに普段はサンクト・ペテルブルクにいるソクーロフが飛んできて、宮古空港に撮影のアリョーシャさんと現われた。あのとき、実現はしなかったんだけれど、ソクーロフは大島渚さんを主題にした映画を構想中だったらしいのね。
 ソクーロフらに宮古島を案内しているとき、気に入ったところがあるとマイクロバスをちょっと止めて、屋根の上のブーゲンビリアなんかの撮影をはじめるのね。暑くてしょうがなくて、物陰に隠れてそれを見ていた。その時間の素晴らしさというのは、まるで映画の一場景を見ているみたいで。「誰かライターを持ってないか? そこで煙を立てて、レンズの前に持ってきてくれ」とか言うの。その場でそういうことを言える普通の映画では考えられないような深さ、柔らかさ、咄嗟性とぶつかった。それで奄美の島尾ミホさんの映画を何とか撮ってもらおうという話が持ち上がり、命がけで野本昭夫がプロデュースして、僕はその傍にいてミホさんに連絡をとるという、そういう運動体でしたね。とても親密で組織なんていう意識の欠片もないような、一緒にいて恋愛関係が生じるような、そんな道行きね。
 メカスとも、そうね。出会った瞬間に「ああ、これはすごい詩人だな」と思ってさ。本人はシャイで、英語も独特のアクセントで不思議な感じがした。そのとき、’73年に見た『リトアニアへの旅の追憶』のなかのカメラの揺れが身体的に起ち上がってきた。そのときに夢を見たんですね。それは用意された箱に入っている夢じゃなくて、瞬間に燃え立つような恋愛感情のような、そういう夢でしたね。

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gozoCinéについて
――gozoCinéの3本目『花火の家の入口で』は、吉増さんがサンパウロ大学で92年から2年間客員教授をしていたのですが、いわばそのブラジルへの再訪の旅を描いています。サンパウロ大学の周辺に街娼が立っていたのですが、映画の最後のカットにもそれらしい女性が映っています。同名の「花火の家の入口で」という詩では、多摩川流域の「秋川」(あきる野市)の地名が出てきます。これは『キセキ―gozoCiné』のBookにおける鵜飼哲さんと八角聡仁さんとの鼎談では、この詩の成立が秋川で起きた宮崎勤事件との関連で語られています。詩では「見せ消ち」されてきたものが、映画では少しずつ表面に浮き出てきているようにも思えます。

 詩はなるべく隠すように書くものですが、それは情報言語にしないように、普通の新聞記事みたいに捉えられないようにするためです。詩を書くときの意識もそうですが、そこから如何に遠ざかるか、その遠ざかり方の穴を掘って、出てくるものが詩の言葉になっていくわけね。それをもちろん解説してはいけないのだけど、言うべき時期が来るものです。20年くらい経って言ってもよさそうだなという時が来て、鵜飼さんが相手だったから言えたのかもしれない。あと、ブラジルでレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』も随分読んでいます。それがどうやって出てくるか。みなさんそれぞれ読書体験のなかで積み上げていると思う。それを隠しているというか、言えないということが、次の違う領域で違う表現になって出てくる。gozoCinéには、そういうところがあるね。

――『鏡花フィルム』のシリーズは、このDVDにおける一つの佳境といえるでしょうか。要素としては鏡花の「根源的な水を見つめていた」まなざしがあり、マルグリット・デュラスの映画『インディア・ソング』のラオスからガンジス河へやってきた乞食女の異様な声の引用があり、ジョン・ケージの音楽、それにOHPに印刷された鏡花の写真があります。文学を読み込むということは、ここまで行かなくてはいけないものなのかと驚愕しました。特に『鏡花フィルムV――逗子篇』で「まんだら堂跡」の文章を読むときの、鏡花が幻想のカーテンを開いた場所の話がすごいですね。それを吉増さんが読んでいると、映画のなかで鳥の声がして、ふいに頭上の木々を振り仰ぐシーンがあります。あそこで私は柳田國男の『故郷七十年』のことを思い出しました。

 柳田国男読みも4,50年経過していますけど、新潮カセットが出はじめたのが’85年頃でした。最初に出たのが小林秀雄さんの講演を録音したもので、第二巻が柳田國男について語った「信ずることと考えること」です。あれも最初は「高級落語だ」などと随分と悪口を言われましたが、とんでもない話でして、あのような肉声が聞けるというのは書いたものを読むよりも遥かにいい。柳田さんが15歳のときに布川(現在の茨城県利根市)に住んでいて、気が狂いそうになっちゃうという話ね。おばあちゃんを祀るために家のど真ん中に祠を作ったのね。お墓っていうのは家の真ん中に作んなきゃ駄目なのよ。そのおばあちゃんというのは先々代だから、江戸の初期くらいの人です。小川家の祠があって、そこで悪戯坊やの柳田國男が蝋石を引っ張り出したら、とんでもない美しい珠が出てきて、気を失いそうになって昼間なのに数千の星を見たという。最晩年の小林秀雄さんはそういう物に感心したヴィジョネールの性質が出現してきちゃっている。大岡昇平さんなんかはそれに対して悪口を言っていました。僕はそんな詩人的な感性を持っている小林秀雄さんは好きなんだけど。
 それを読みこんでいき、NHKの番組を作るときにそこへ行った。撮影では普通ダミーを置いておくものなんだけど、スタッフが本物を借りてきた。それに僕は地形が一発でわかる方だけど、布川というところは紛れもなく利根川が作った湾曲した崖地なの。崖があって、その下に庭がある家。そうすると、柳田さんはいろんなことを書いているけど、狐を殺したら恨めしそうに見ていて、隣人の気が狂ってしまったとかね。崖を見るとわかりますが、縄文時代から人が住み、狐が穴を作るような場所なんです。そういう生存の結界がある。そのすぐ手前に祠がある。カメラを向けた瞬間に雪が降ってきて、舞踏の現場みたいになった。それで例の珠を引っ張り出してみたら、まあ、気が狂うはずですよ! クリスタルの馬鹿でっかい玉が出てきやがって! ピカピカしてて、何が出てきたかってもんですよ。
 柳田さんは詩人臭く書いているけど、僕の解釈ではそれは当たり前なの。ヒヨドリがピーッと鳴いて、それで気が狂わないで済んだと書いているけど、それは事実だと思います。小林秀雄はそれに感心しちゃって「ほれ見ろ、狂気に至るような感性がなければ民俗学なんてできない、馬鹿ども」って言ってるけれどね。惜しいけど、小林さんもやっぱり紙の上の人だなあ。僕はそこへ行き、追体験して、多摩川の崖を見てきた感受性があるからわかるのね。それにも40年、50年かかってますよ。優秀なスタッフと一緒に映像的な現場へ連れ立っていき、何かを発見する勉強は積み重ねてきている。それもgozoCinéの前史としてありますね。それは制度化されて、産業化されたいわゆる映画ではない形ですけど。

――北の大地の石狩や登別を舞台にした映画がまだない、というところが気になります。

 いや、実は2008年9月の恐山で撮影したシネの前に、石狩で撮影していて、それはまだ誰にも見せていません。4/25(土)の朝日カルチャーセンター新宿教室でgozoCiné 新作『恐山 カルナック アイルランド』のときに上映する予定です。良かったら、そのときに見に来て下さいね。

(2009年3月4日 中央区佃にて)


※続きや詳細は、「映画芸術」本誌427号(2009年4月30日発売)のインタビューをお読み下さい。

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吉増剛造 DVD+BOOK『キセキ――gozoCiné』
定価 8,190円(税込) 
ISBN:978-4-9901239-6-3
デザイン 服部一成 発行・発売 オシリス
http://www.osiris.co.jp/gc.html

gozoCiné 新作『恐山 カルナック アイルランド』上映情報
日時:4月25日(土)18時30分〜20時
場所:朝日カルチャーセンター・新宿
受講料:会員 2,940円/一般 3,570円
※朝日カルチャーセンター・新宿のサイトから申し込みできます。



タグ:金子遊
posted by 映芸編集部 at 11:49 | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする