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2009年05月25日

『ジャイブ 海風に吹かれて』
サトウトシキ監督インタビュー

 瀬々敬久、佐野和宏、佐藤寿保らとともに「ピンク四天王」と呼ばれたサトウトシキ監督の名前は、ある年代の邦画ファンにとっては特別な響きを持っているのではないでしょうか。そんなサトウ監督の新作『ジャイブ 海風に吹かれて』がいよいよ6月6日(土)から渋谷のシアター・イメージフォーラムで公開されます。すでにピンク映画の世界から遠ざかり、また長年コンビを組んでいた脚本の小林政広さんとも離れた後、一般映画の世界に活躍の場を移したサトウ監督は今なにを考え、新たなるフィールドでどのような闘いを挑んでいるのでしょうか。かつてサトウ組の助監督を務めた経験もある本誌スタッフも交えてお話を伺ってきました。
(取材:平澤竹識、福本明日香 構成:平澤竹識 写真:福本明日香)

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――サトウさんは、日活芸術学院からピンクの現場に行かれて、そこからキャリアをスタートしているわけですが、映画の世界に行こうと思われたのはどうしてなんですか。

 「もう映画しかない!」と言うよりは、なんかを探してた結果なんだと思うな。なにをやっていいんだかよく分かんないし、ある意味、拾ってくれればどこでもいいという気持ちがあったのかもしれない。なにかへの不安というか、やっぱりおもしろくなかったんじゃないかな、僕らが子供の頃っていうのは。そんなときに、映画に限らずおもしろい映像表現がいくつかあったりして、そういう作品との出会いが大きかったのかもしれない。

――当時、好きだった映画はどんなものだったんですか。

 中学生の頃に見てたのは三本立ての映画、要は低予算のプログラムピクチャーですよね。流行歌みたいな感じでどんどん作られていった映画ってあるじゃない。そういうものの新しさというか、「今しかない」という感じの映画をわりと見てた。おもしろくてね。テレビでも「傷だらけの天使」とか、(松田)優作さんのドラマとか、長谷川(和彦)さんが脚本を書いた「悪魔のようなあいつ」なんかに興味を持ったりして。言ってみればちょっとゆるい世界だよね。朝の連続テレビ小説のような作り方じゃない。それ以前は、スポ根ものなんかが主流で、野球と言えば「巨人の星」みたいに「親父に殴られながらやるもの」みたいな感覚が普通だったから。そういうのとはまた違う、社会の裏側でうまく動いている人たちを描いた映像表現に興味を持ったところがまずあったのかな。

――映像を通して、時代が変わってきたことを感じていたわけですね。

 そういう感覚はありましたね。

――で、ピンク映画の世界に入られたのは、日活芸術学院時代に現場なんかを見たことが影響してるんですか。

 僕の家は、父親が会社員で母親が主婦で兄弟が何人もいて……という普通の家庭だったんですよ。でも、映画のなかに出てくる大人とか、映画を作ってる人たちとかは、違う大人に見えるわけですよね。嘘がないというか、建前じゃないところで生きてる感じがした。そこが入口になったんじゃないですか。

――そこで、テレビドラマや本編ではなく、ピンク映画を選ばれたのは。

 人間がワサワサしている感じが一番見えたのがピンクだったのかもしれない。「今しかない」みたいな撮り方をしてたりするわけじゃないですか。うまくいった、いかないというレベルじゃなくて、「今、撮れるものを撮っちゃえ」みたいな勢いというか、なにかをやってるワサワサ感というのはあったんですよ。こう言うと失礼だけど、自分に近しい感じがしたのかな。

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(C)2008ドリームワンフィルム/パワーズ

――ピンク映画時代はデビュー作からずっと脚本の小林政広(宏一)さんとコンビを組まれてましたよね。これだけ一貫して同じ脚本家の方と仕事をされる例も少ないと思うんですが、そもそもの出会いはどんな感じだったんですか。

 小林さんと出会ったのはピンクの助監督を始めて2年ぐらい経った頃だと思います。その2年間、僕は北見一郎さんという監督にずっと付いてたんだけど、その人のところを出たんですよ。その後に、いろんなところへ行こうと思ってて、その頃にある俳優さんの紹介で会ったのが最初かな。小林さんは当時、もうアニメのシナリオなんかを書いてたと思う。で、おれも2年ぐらい助監督をやってたから、自分で撮りたいことをホンに書いたりもしてたんだよ。それを小林さんに見せたら、良いところもあるんじゃないの? みたいな感想を言ってくれたのかな。だから、出会いのときに特別なにかがあったわけじゃないんですよ。

――デビュー作『獣―けだもの―』(89)は小林さんのシナリオですよね。

 そう、小林さんが『踊る女』というシナリオを書いてくれたの。元は自分で書いたんだけど、そこはほとんど残ってない。ある事件が題材になっていて、それだけはオリジナルのままだったのかな。で、小林さんが書いてくれたホンがすごくおもしろかったんだよ、ちょっとシャレてて。それを配給会社へ持っていったら、おもしろいね、やろうよ、という話になったんだけど、ワケあって流れちゃったんだよね。それから1〜2年後に監督する機会があったから、それで小林さんにお願いしたという流れだった。

――何本か組んだら、次は違う人と仕事したいなとか思ったりしないんですか。

 それはあんまりないですよ。なんだろうな。小林さんに書いてもらってたのは、平均したら年2〜3本ですよ。それでも毎回、全然違うものを上げてくれるから、違う人に頼もうとは思わなかった。

――小林さんが書いてサトウさんが撮られた作品は大抵、殺伐とした風景のなかで乾いた性や暴力が描かれていたような気がします。それは元々どちらの世界観だったんでしょうか。

 それは分からないね。ただ、脚本の打ち合わせなんてほとんどないようなもので、今度こういうのをやりましょう、と簡単に話すだけですから。

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――サトウさんは現場で役者さんがシナリオの台詞を言い換えたりすることを許さないと伺いました。シナリオに対する考え方みたいなものを聞かせてもらえますか。

 演出ってシナリオのなにを読んでますか? ってことじゃないですか。だから、なぜこのシナリオが書かれたのか、なぜおれがこれを撮るのか、そういうことは当然考えますよね。シナリオライターが書いたのは文字になってることが全てですよ。ただ、その文字、文章を読めばいいってことではない。そこから探れる人生とか物語はもっともっと大きいわけじゃないですか。その大きいものを探るために、せめてこれだけは守ろうというのがシナリオのような気がします。それができないまま撮影に入ったら、シナリオ通りに撮ろうが違うものになっちゃうんじゃないか、このシナリオを撮ってることにはならないんじゃないかと思うんです。やっぱり誰かが書いたものをおれは監督として引き受けてるわけですよね。

――シナリオの行間を読み込むことが演出の第一歩ということですかね。

 読み込むというか、膨らませていく。もっと目に見える、肌で感じる、耳で聞こえるものにするということですよ。それができないといけないですよね、たぶん。

――小林さんと組まれた作品では『LUNATIC』(96)や『迷い猫』(98)、『青空』(01)などの作品が強烈な印象として残ってるんですが、サトウさんは今岡信治さんの脚本で『団地妻 隣りのあえぎ』(01)や『ロスト・ヴァージン やみつき援助交際』(02)といった全然テイストの違う作品も撮られていて、それはそれでとてもおもしろいんですよね。だから、どっちが本当のサトウさんなんだろうと思っていたんです。ただ、今のお話を聞いていたら、映画でなにを語るかと言うよりも、シナリオを引き受けてどう膨らませていくかということのほうに、演出家としての基本的な姿勢があるのかなと思いました。

 結局、〈なに〉を撮ってるんですか? という問題になると思うんですよ。今岡信治のホンにしても、なにもない〈なに〉かもしれないけれど、それはなんかさ……1回1回解決することなんじゃないかと思うんですよ。

――ある思想が一貫してあるというより、一本ごとの作品が持っている〈なに〉を引き受けて、その度ごとに決着を付けていくということですか?

 ただ、そうも言い切れないんだよ。なぜかと言うと、やってることがあんまり違ってないから。例えば、小林さんのシナリオには強いオハナシがきちっとあるんですよ。それと比較すれば、今岡のシナリオにはそれほど明確な物語はない。ただ、ああいうものを撮ることが、それまでしてきたことと全然違うのかと言うと、それはあんまり違ってる気はしないんだよね。どっか同じ方法論でしか撮れないんだ。

――でも、観客としては違うものとして受け止めてしまいますよね。

 おれのなかでも作品ごとに映画に対する距離は変わっていて、それは自分でも分かりますよ。これまで30本ぐらい撮ってるけど、どの辺でどうなったのかという違いは分かる。やっぱり自分で修正しながらやってるんですね。例えば、今岡のホンで撮ったときも、2本目をやるときには修正してるとかさ、その都度してますよね。

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(C)2008ドリームワンフィルム/パワーズ

――テイストが違っていても〈なに〉を撮っているのかはいつも同じだとサトウさんがおっしゃっている、その〈なに〉というのは結局なんなんでしょう。

 〈なに〉を撮っているのか? と言うか、まずは映画のなかに人間が存在しているかどうかだと思うんですね。それはもっとも大事にしてることなんです。1時間の映画だったら、その時間は人間として存在していて、映画が終わったその先も人間でなければいけない。人は瞬間瞬間なにかを判断して生きていて、そういう存在が、おれが言うところの〈人間〉なんだけれども、それが映画の後も続いていくんだろうと感じられるかどうか、それが映画のなかに人間が存在するかしないかだと思うんです。
 ただ、それでおもしろいと感じるかどうかの判断は人それぞれですよ。最近も演出の話をしようと思って、ある映画を若い人に見せたりすると、「なぜ寄りの画がないのか」みたいなことを言ったりする。たしかに映画って最終的に1カットごとで考えていったりするじゃないですか。でも、そこで成功と失敗を判断する基準は曖昧で、ひとつのカットがうまくいってないことが映画全体にとって必ずしもマイナスではないと思うんだ。映画はそのシーンだけで成立してるわけじゃないからね。もちろん、ある基準には達してなくちゃいけないんだけど、それだけでもないだろうという気はしますけど……ってなにを言ってるのか分かんなくなってきたな(笑)。

――映画全体を通して見たときにどうなのか? 映画が終わった先にも人物たちが生きていると感じられるのか? ということを一番大事にされているということですよね。

 そうですね。演出する側としては脚本に描かれてる部分について、なぜこのシーンを描いたのだ? という風に考えるわけじゃない。ある作為というか、構成のなかで存在しているわけだから。それをどう捉えるかというのはもう演出家の自由。このシーンをどう撮るか、そこになにを描き込むか、というのは演出家の仕事なんですよ。そういうところで、脚本には書かれていない奥行きを作ったり、立体的なものにするのが演出家なんじゃないですかね。それによって映画の見え方が違ってくるというのはあると思います。

――映画のなかに人間が存在しているかどうかを大事にされているというお話がありましたが、サトウさんの映画には誰かひとり強烈なキャラクターの持主とか、なにか強い情動を持った人物がいて、その人物が映画を引っ張っているように感じるんです。今回の『ジャイブ』で言えば、清水美砂さん演じる由紀がそうだと思いました。正直、『ジャイブ』は石黒賢さんと清水美砂さんが主演で、ヨットが出てくるらしいという時点で引いてしまったんですが(笑)、由紀のキャラクターで映画のなかに入っていくことができました。監督の立場からすると、この作品ではこの人物に乗っかれば〈映画〉にできるとか、この感情を核にして積み上げていこうとか、そういうことは意識されてるんでしょうか。

 まぁ、映画作りってそれほど単純でもないんですよね。もちろん、準備の段階からいくつもそういうポイントはあるんですよ。ただ、数日後も同じように思っているとは限らない。それはおれだけの問題じゃなくて、全体の状況もどんどん動いていくからね。そこでいつも周囲と擦れ合ってるみたいなものですよ。プロデューサーなり脚本家なりと擦れ合いながら映画を作り上げていくわけだから。例えば、あるポイントを入口にして、おれが自分の世界観に引き込んでしまうことだってありうる。そういうなかでギギギギぃとお互いに擦れ合っているわけです。

――そういう摩擦は今回の映画に限らず、どんな作品でも起こっていると。

 ただ、そういう摩擦が見えやすい、見えにくいという違いはあるよね。わりと芸術やってるように見える映画でもそういうことはあると思う。うまくごまかしてはいるけどね。

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――これはただのファン心理なんですが、かつてサトウさんが小林さんの脚本で撮られていたような映画がまた見たいと思ってしまうわけですよね、石黒さんがヨットに乗るような映画じゃなくて(笑)。そこでお聞きしたいのは、やはりピンク映画から一般映画へフィールドを移していく過程で周囲との摩擦というのは強くなるものなんですか。

 それは周囲との摩擦云々という問題でもないんじゃないかな。ピンク映画とかロマンポルノでもそうなんだけど、〈裸のドラマ〉じゃないですか。それは大きく違うと思います。裸の男と女を描く以上はテーマもそっちに引っ張られていくし、普通のドラマに比べたら、感情の強さや振れ幅みたいなものも描きやすくなる。ただ、今回のように裸にならない普通のドラマでも、むきだしの感情を描く方法はあるのかもしれないね。そこのところは分からない。
 ただ、今回も感情のことは意識してたような気がするな。特に清水さんが演じる由紀の肉体性みたいなこと。それは彼女の年齢的な問題も含めて、哲郎に対しての思いというか、胸のなかだけのきれいなものではない、もっと激しいむき出しの感情なり欲望なんじゃないかなぁと、どっかで思ってたんですけどね。

――清水さんは裸にはなっていないわけですが、たしかに女性的な生々しさがあったと思います。セリフでもわりあいストレートな言葉がありましたよね。「不倫してる時間だけがキラキラしてる」とか「不倫相手とセックスしてる時間だけが楽しみのおばさんになっちゃった」とか、そういうセリフが演出する際の手がかりになったりもするんですか。こういうセリフがあるんだから、演技のテンションもここまで上げられるとか。

 それはありますね。ただ、それを見せられる場合とそうでない場合があって、それがものすごい駆け引きなんだけれども、おれが一方的にそれをやろうとしてもね、やっぱりそこに危険性を感じたりもするわけ。映画全体のあり方として、それが正しいかどうか、その部分だけが映画のなかで突出しちゃうんじゃないか、と考えたりもするんだよ。でも、今回演出のポイントになったのは、やっぱり由紀という女性の肉体性をどうすれば撮れるのか、ということだったと思う。

――哲郎が由紀にキスするシーンは素晴らしいですよね。一旦、ふたりがキスした後、哲郎がぐいぐい前進して停まっている車に由紀を押し付けて「今日は由紀の車で一緒に寝たい」と言い、由紀が決定的なセリフを返すという。

 まぁ、その場では拒否しながら、哲郎のことを求めてるわけだよね、実は。

――その激しい感情がちゃんと出ていたと思います。ああいうシーンの演出はどうされてるんですか。

 これぐらいの気持ちまで達してください、ぐらいのことは言ってると思うけどね。

――「キスしたまま車のところまで行ってください」という指示も出してるんですか。

 それはしてるよ。そのうえで、セリフ上は拒否してるけれども、どう拒否するのかというところを詰めていきますよね。

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(C)2008ドリームワンフィルム/パワーズ

――現場をご一緒させていただいた立場からすると、俳優さんが役になるために、こうだと思ったらそれができるまでテストを繰り返すということを、清水さんや石黒さんに対しても同じようにやっていたのかなと思ったんですが。

 キミと仕事をしたときは女優さんが決まってすぐクランクインみたいなスケジュールだったから、どうやってその気にさせるかという問題があるわけじゃない。女優さんもまだ慣れてなくて、自分をどうコントロールしたらいいのか分からないわけだよね。
 でも、清水さんの場合は、演出家がなにを求めてるのかを自分で突き詰めようとするわけですよ。なぜこの由紀という人はこうなんだろうとか、このセリフは由紀のキャラクターと合っていないんじゃないかとか、決して後ろ向きにではなく、そういうところから人物像を煮詰めていく。そういう技術はすごく持ってる人ですよ。だから、これをやらないでくださいと言うよりも、もっとやってくださいと言うことが多かった。もっと自分のなかにあるものをさらけ出す、みたいなことが必要だったんだと思います。だから、演出の仕方というのは役者さんによって違うよね。

――このキャスティング自体は監督が決められたんですか。

 それについてはあんまり言わないほうがいいだろうな(笑)。

――トシキさんは本当にキャスティングを大事にされますよね。

 おれが自分でキャスティングをしてるのは、裸ものばっかりでしょう。だから、キャスティングなんて最後の最後に苦しまぎれで決めてることが多い。それがたまたまうまくいったというか、粘った甲斐があったというのはよくあるけれども。

――石黒さんと清水さんが主演というのは正直、うーん……という感じだったんですけど(笑)、そのふたりがそれぞれの役柄にハマッてましたね。

 おれが意識してることがひとつあって、要は「かわいく見えるかどうか」「かっこよく見えるかどうか」ということなんだよ。それは「嫌なやつに見えないかどうか」ということだと思うけど、そういう距離の取り方はしないとなと思ってた。おれも結構えげつない映画を撮ってきたけど、それは一貫して相当意識してましたよ。

――この映画では北海道というロケーションも重要な位置を占めています。ただ、正直に言ってしまうと、本筋とはあまり関係のないところで風景の描写が多いような気がしたんですが……。

 本題に入ってきたね、長い前フリだったなぁ(笑)。

――海に出ている石黒さんを空撮しているところでカメラがグーッと山に入っていく辺りとか、祭りのシーンでは情景描写のほうが突出しているように感じてしまったんです。だから、資本の要請なんかもあったのかなと邪推しちゃったんですが。

 べつに情景は嫌いじゃないんでね、あの辺は割合ノッてやってるんだよ。悪ノリだと言われるかもしれないけど(笑)。でも、気になるところがその辺なら、他のところは割合ゴマけてるってことか……。

――え、それはどの辺なんですか(笑)。

 由紀と麻衣子(上原多香子)がガイドブック持って観光地を回ったりするという、ああいうあり方ですかね。あちらのほうが尺も長いし。

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(C)2008ドリームワンフィルム/パワーズ

――なるほど。ただ、あの辺は女性ふたりのやり取りで見てしまうところもあって、そんなに気にならなかったんですね。麻衣子と哲郎はどういう関係なのかというサスペンスもありますし。

 まぁ、動きもあるしね。でもさ、さっきの山の見え方ということで言えば、なんか山を見せなきゃいけないんじゃないかなという思いはずっとあったんだよ。山というのは〈自然〉という意味合いじゃなくて……。この映画は戦後の経済発展とか、ぼくらが振り回されてきたものってなんだったんだろう、という話でもあるわけですよ。だから、単純に比較できるものでもないんだけど、〈動くもの〉と〈動かないもの〉という意識はずっとあった。動くことが偉くて、動かないことがダメというわけじゃないというか。人が生きてりゃ、体も心も頭も動いていく。それに対して信用できるなにか、故郷であるとか土地であるとかさえも実は常に動いてるわけですよ。ここが自分の故郷だと思っていても、三代先はどうなってるか分かんないわけだしさ。そういう意識があったから、〈動かないもの〉として山をあれだけ見せたのかもしれない。

――それから、哲郎は北海道をヨットで一周する間に祖父の位牌を国後島へ持っていこうとするわけですが、あのエピソードは必要だったんでしょうか。国後島は領土問題の渦中にある島なので、映画とは関係のない政治臭が付いてしまうような気がしたんですが。

 ひとつは、哲郎が高校時代とは違う動機で、北海道の無寄航一周に挑戦する、そのきっかけが必要だったんだよね。行ってみれば分かりますけど、実際、泳いで行けちゃいそうな距離で、高校生ぐらいならそう思っても不思議じゃない感じなんだよ。

――つまり、北方領土であることが重要だったのではなくて、国境を越えようとするアクションに、哲郎の子供みたいなムチャぶりを出したかったと。

 そうですね、今の哲郎が置かれてる状況は20年前の高校時代とはやっぱり違うと思うんですよ。高校時代に、あそこまで泳いで行ってみようという、そういう気持ちじゃないような気がする。今はなにかムチャをするきっかけが必要だったんじゃないかな。それで、祖父の位牌を国後島まで持っていくというきっかけが必要になったんだと思う。
 政治的な問題の絡んだ土地だということは、撮影前にも国後沖で漁船が拿捕されるという事件があったばかりだからどうなんだろうと、考えどころではあったんですよ。でも、おれが撮るとなったら、それは哲郎に国後島がどう見えていたのか、なにを思って見ていたのか、そういう視点で考えるのが撮るってことだからさ。しょうがないよね。映画はそうやって感情の流れを追い込んでいくわけだから。


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『ジャイブ 海風に吹かれて』
監督:サトウトシキ
プロデューサー:佐藤ヒデアキ 脚本:渡辺千明、松山賢二郎 原作:秀丸
撮影監督:加藤雄大 録音:郡弘道 照明:山川英明 編集:川島章正
出演:石黒賢、清水美砂、上原多香子、大滝秀治、加賀まりこ、津川雅彦 ほか

6月6日(土)よりシアター・イメージフォーラムほかにて全国順次ロードショー
公式サイト http://www.imageforum.co.jp/jibe/
posted by 映芸編集部 at 14:32 | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする