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2009年06月01日

CO2 in TOKYO '09
『ある光』高橋明大監督インタビュー
『こんなに暗い夜』小出豊監督インタビュー

 6月6日(土)〜12日(金)に池袋シネマ・ロサで開催されるCO2東京上映展を前に、昨年のオープン・コンペ部門でグランプリを争い、今回ともに企画制作部門の助成監督となった新鋭二人に話を聞いた。
 一人は、現代の暗部に直面した人物たちが辿りつく微かな希望を誠実なタッチで描き出した群像劇『ある光』の高橋明大監督、そしてもう一人は、鋭利なカッティングでフィルム・ノワール的人物たちの欲望を描出する野心作『こんなに暗い夜』の小出豊監督。今後の活躍が期待される二人だが、作劇や演出に対する考え方はまるで異なっているように見える。次代を担おうとする若手監督がどのように育ち、今後どのように成熟しようとしているのか。二人の素顔に迫ってみた。
(取材・構成:福田彩乃)

『ある光』
高橋明大(監督)インタビュー


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――映画を志したきっかけはなんだったんですか?

中学、高校時代から映画は好きで観ていたんですが、主にハリウッドの大作をなんとなく観ている程度でした。高校二年生ぐらいのとき、橋口亮輔さんや塚本晋也さんや利重剛さんなど、「ぴあ」のニューウェーブと呼ばれた方々が次々と作品を発表していて、それらの映画になにかそれまで自分が観ていた映画にはない面白さを感じ、日本映画をちょっとずつ観るようになりました。高校を出て一度は農業の勉強をしようと農学系の大学に進学したんですが、映画を本格的にやりたいという気持ちに抗えずに日本大学芸術学部(以下、日芸)に入り直しました。でも、在学中に自主映画は撮っていませんでした。入ってはみたものの、撮れる気が全然しなくて。三年生のときの実習と卒業制作で初めて映画を撮ったぐらいです。卒業してから「自主映画、やってないからやってみるか」みたいな遅いスタートで(笑)。 

――珍しいですね。CO2上映展のゲストになっている冨永昌敬監督は大学の先輩にあたるわけですが、在学中から接点はありましたか? 

ほとんどなくて、お話ししたのもつい最近です。卒業後、自主映画を撮り始めてから知り合った他の自主映画監督や役者さんの中に、宮沢章夫さんの舞台に参加している人たちが沢山いて、そのこともあって宮沢さんの舞台をよく観に行ってたんですが、宮沢さんが舞台公演の一環として発表なさったオムニバス映画『be found dead』の一編を冨永さんが撮ってらっしゃったり、またそれとは別に、冨永さんの劇場公開作品をその都度観に行ったりと、一方的に作品は拝見していたんですけど。

――今回入選している水藤友基さんは日芸の後輩だそうですが、日芸内では互いにライバル心みたいなものはなかったんですか?

そういった部分は、日芸自体が大阪芸大とかと比べると割と淡白かもしれません。みんな結構マイペースで、全体としてそこまで喧々諤々映画論!みたいなことにはあまりならないですね。卒業してから映画に関わり続ける人が意外と少なかったりもするので、結局残った人たちだけが後になってあらためて出会い直すというか。水藤君には僕の卒業制作に出てもらったりしてたんですよ。彼は卒業後、監督ではなく脚本を中心にやっていて、自分では撮らないのかなあなんて感じで見てたんですが、今回は「お前がまさかこんな形で俺の前に立ちふさがるとは!」という感じの会話をしました(笑)。

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――CO2のオープンコンペ部門でグランプリを受賞した『最後の怪獣』の後に企画制作部門の助成作品として『ある光』を撮ったわけですが、『ある光』を作る際に何か変化はありましたか?

『最後の怪獣』のときには台詞を最小限にして、ただ滔々と時間が流れるような感覚の映画を撮りたいと思ったんですが、『ある光』ではまたちょっと違うアプローチをしたいと思いました。『最後の怪獣』の方法論をずっと追求してゆくとプリミティブな強度は得られるかもしれないけど、変に老生しちゃうんじゃないかと思ったし、もっと色々試したかったんです。オープンコンペの授賞式の時に万田邦敏さんがおっしゃっていた「ゴダールとヒッチコックの間で引き裂かれる」という言葉にはあくまで僕の勝手な解釈ではありますがすごく納得する部分があって、映画って、色んな方法論や見方があるじゃないですか? 沢山の欲望のヒダみたいなものが僕の中にもあって、例えばハリウッド的な大作をずっと観ていた時期もあるし、もっとちっちゃい頃にはジョン・カーペンターのようなB級SFなんかも好きで観ていて、物心ついてから観た北野武作品だったり、神代辰巳作品だったり、色んな系統の映画が自分の中にインプットされていって、その間で引き裂かれるというか、「映画の正しさ」というのが自分の中にいくつもあるような感覚なんです。その中からひとつの「正しさ」を選ぶのではなく、色んな「正しさ」の周りをウロウロしながら企画を立ち上げた気がします。そういうこともあって、『ある光』は登場人物それぞれの主観を俯瞰で見るような、それらが混在するような構造にしたかったんです。『最後の怪獣』はひとりの主人公がどうやって自分に折り合いをつけるかということに焦点を絞って作ったので、結構違いはあると思います。

――二作品とも共通して理不尽な社会やトラウマを受け入れた上で希望を持つということを描いていると思いました。

唐突に出くわす理不尽なことだったり、漠然と感じる違和感だったりにどういう形であれ折り合いをつけてやっていくということが生きていくということなんだと僕は思っていて、その感じ方が個人的なものであればあるほど一般的なハウ・トゥーでは太刀打ちできない、だからこそ、端から見れば回りくどかったり滑稽に見えるかもしれないけど、自分なりのオリジナルなやり方を見つけるしかないという感覚がすごく強いんです。自分のやりたいお話ってなんだろうと考えると、なんだかんだそこに立ち返っちゃうんです。

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――作家として社会的問題を題材に「いま」を捕まえて映画を撮る上での心構えはなんですか?

今回、脚本を書くにあたって秋葉原の事件の犯人が携帯サイトに残した書き込みを時系列に沿って読み返したりもしたんですけど、なにがしかが問題なんだと後ろ向きに告発するような作品にはしたくなかったんです。美意識というと大げさなんだけど、スキャンダラスに事件性だけをつまみ食いするのではなく、せめてある種の慎ましさは自分の中に持とうと。

――なぜそういった事件に注目しているのですか?

秋葉原の事件は純粋にショックでした。これまで見ないようにしてやり過ごしてきたものが、そうはさせないと向こう側から襲ってきたという感覚があったんです。また一方で、普段日本映画を観ていて、現実をあまりにも反映していないなと思う瞬間があって。海外の映画って、いわゆる社会派の映画というわけではなくても、自然と現在というものが映っている気がするんです。近年のアメリカ映画だったら、「正義」というものへの疑念がテーマになっていたり、格段にセキュリティが厳しくなっているというのが描写として普通に出てきたりしますよね。それに比べると多くの邦画はまるでパラレルワールドの日本を舞台にしているような、そう思えてしまう瞬間があったので、見ないでやり過ごすのではなく、思い切って取り込んだ映画があってもいいだろう、と。

――今後、どのような作品を作っていきたいですか?

繰り返しになりますが、自分の中に複数ある欲望のヒダみたいなものと相談しながらですね。やっぱり映画を撮りたいと思っている理由は何かを告発したいとか、そういうことではないんです。純粋に、観ていてぞくっとするようなものを作りたい。その都度、違った方法論やコンセプトや単純に撮りたい瞬間なんかを考えて、自分なりの映画作りをしたいですね。芸術と娯楽、あらゆるジャンル、いろいろな「正しさ」のあいだをフラフラした結果、最終的に何か価値あるものができればいいなと。まあジタバタしたところで、結局は自分のこの生真面目さみたいなものからは逃れられないのかも知れませんが(笑)。



『こんなに暗い夜』
小出豊(監督)インタビュー


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――映画美学校に入られたのはいつ頃ですか?

99年で、僕は三期生です。当時、美学校ができたことは僕の周囲にいた映画好きの間でもすごく話題になりました。それ以前はイメージフォーラムにいましたが、大学まではバスケット部で、そこまで熱心に映画を観ていたわけではないんですよ。

――映画を志した当時、一番好きだった監督は誰でしたか?

アンゲロプロスが好きでした。映画の道にはいったのはアンゲロプロスの影響が大きいです。『旅芸人の記録』が好きですね。でも、アンゲロプロスって連呼してるのって、あんまり……(笑)。

――万田邦敏監督の現場に付いたりもしているそうですが、そうなったきっかけは何だったんですか?

三期生として美学校に入ったとき、万田さんは担当講師ではなかったんです。万田さんが一度だけ生徒の作品の講評に来たときに、生徒みんなの作品を一見しただけで、すべてのカットと動きを覚えているんですよ。それでワンカット目から全部非難してゆくんです。驚きました。美学校は三期の一年目で辞めて六期にまた入り直したので、約三年のブランクがあります。六期生のときの担当講師が万田さんで、それがご縁です。

――スクリプターで参加された万田さんの最新作『接吻』の撮影後に『こんなに暗い夜』を撮られたそうですが、『接吻』から何か影響は受けましたか?

あるんでしょうけど、よくわからないですね。人間的には万田さんのようになりたいと日々鍛錬しています。

――具体的にはどういったところで?

何があっても怒らないし、誰に対しても親切なところです。本人に、なぜ怒らないのかと聞いたら「ほとんど諦めてる」とおっしゃってました。

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――『接吻』の現場で学んだこと、印象に残っていることは何ですか?

現場から編集までずっと付き合わせて頂きました。あるとき、万田さんが、「なめるか、なめないか」ということにすごく悩んでいたことがあったんです。編集の段階でも、豊川悦司さんをなめて小池栄子さんを撮ったものを使うか、なめないで小池さんを撮ったものを使うか悩んでいました。実際に画をつなげてみたら確かに大きく印象が違って、「なめるか、なめないか」でこんなに変わるんだと驚いて、これから自分も気にしようと思いました。

――その違いは、具体的にどういったところでしたか?

ざっくり言うと、フレームの中の小池さんを観て、孤独に感じるか感じないかという違いです。フレームで四方を全部切られて、誰もいない空間だとすごく孤独な印象になるんです。万田さん自身がどういった想いで悩まれていたのかはわかりませんが。

――CO2の万田さんとのトークショーで「フィルム・ノワールをやろうとした」という発言がありましたが、具体的に思い描いていた作品はありましたか?

マービン・ルロイの『悪い種子』は観直しました。すごく悪い女の子が出てくるんです。自分の欲しいもののためには同級生も近所のおばあちゃんも殺してしまう。暗い欲望をもった人を描きたいという思いがあって、それが私にとってフィルム・ノワールなんです。

――小出さん自身は暗い欲望をお持ちなんですか?

持ってないですよ(笑)。そういう方々は好きですけど。「途方もない型なし」という感じでしょうか。

――フィルム・ノワールとして自作映画に取り組んだときに演出面で意識したことはありますか?

正面から取り組んだと言うわりに、あまりないかも(笑)。

――この映画は画面が非常に個性的だと思います。吉田広明さんの「B級ノワール論」では、お金がないからまわりを暗くしたり、背景をそぎ落とした画面のなかで多くを語るのがB級のノワールだといったことが書かれていましたが、そういったことを意識されていたような印象を受けました。

そう言われてみるとそうですが、あまり考えていませんでした。お金がなかったから自然とそうなっていったんです。

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――台詞まわしが印象的でした。ある種リアルではない。登場人物すべてがああいったトーンで隅々まで演出されていたという印象でした。

台詞は、たとえ日本語としてうまく聞けなくても、音として面白く聞けるようにということを意識していました。『シチリア!』はイタリア語がわかる方いわく全然シチリア訛りじゃなくて、デタラメなイントネーションで話しているそうなんです。ただ、音として面白い。日本語もうまくできたらいいなと思ってやったのですが、なかなか難しかったし、後で観るとうっとおしくもあった。普通でいいじゃんって(笑)。

――意味や感情にとらわれずに、音を大事にするということですね。

もちろん脚本段階ではそれだけじゃないけど、撮影の段階ではそうでしたね。

――画作りがすごく印象的だったのですが、絵コンテは書きましたか?

書いてないです。字コンテは書きましたが。コンテを書いている人って、私の知ってる人の中にはあまりいないです。うまく書かないとわからない。

――テーマ・話法として、前作『お城が見える』でもドメスティック・バイオレンスを登場させましたが、こだわりがあるのですか?

テーマにこだわりはないですね。『お城が見える』の上映のときに、宮沢章夫さんとお話しさせて頂く機会がありまして、社会性やテーマが話題になったのですが、何もなくて非常に申し訳なかったです(笑)。話法については考えることはあります。DVというよりも暴力の描写をどのようにするかということです。出演していただく方に本当に相手を殴ってもらうわけにはいかないので、暴力のいわゆる決定的な瞬間は撮りづらい。そこで考えたのですが、振り上げられた拳が、相手に接触する瞬間が決定的ではないのではないかということです。瞬間はどれも等価なんですから、どこを決定的な瞬間にするかはそれぞれで決めてもいいんだぞと。ただ、それを判断し、かつ決定的な瞬間はここですよと提示する方途には頭を悩ませました。

――テレビの後ろの三色コードを武器にするという発想に驚きました。

家庭の中で何が武器になるかと考えました。結局フライパンとコードくらいしかない。『お城が見える』のときと同じなので、アイデアが足りないなあとちょっと反省しました。

――今後どういった作品を撮ろうと考えているのですか?

ドストエフスキーの「鰐」を撮りたいという想いが前からあります。ロシアの文学や映画には極端な人が多い。自分が真実求めているものに到達できないと人は間逆に翻る、そこが面白い。


≪CO2 in TOKYO'09≫
6/6(土)〜12(金)@池袋シネマ・ロサ 
夜9時から連日上映+トークショー

6日(土)水藤友基『そうなんだ』 
ゲスト:七里圭(映画監督『眠り姫』)×CO2東京オール監督スターズ
7日(日)小出豊『こんなに暗い夜』
ゲスト:万田珠実(脚本家『接吻』)×宮本りえ(モデル・主演)
8日(月)佐藤良祐『チャチャチャ』『一千光年』/三宅唱『4』『マイムレッスン』『スパイの舌』
ゲスト:木村文洋(映画監督『へばの』)×佐藤央(映画監督『シャーリーの好色人生』)×濱口竜介(映画監督『PASSION』)
9日(火)入江毅『へどろ』『MINOMAN』/田中智章『花になる』
10日(水)甲斐博和『それはそれ、』
ゲスト:いまおかしんじ(ピンク映画監督『たまもの』)×坂口真美(主演)
11日(木)前野朋哉『脚の生えたおたまじゃくし』
ゲスト:持田茜(元AV女優)
12日(金)高橋明大『ある光』
ゲスト:冨永昌敬(『パビリオン山椒魚』監督)

公式サイト http://www.co2ex.org/tokyo/index.html
タグ:CO2 自主映画
posted by 映芸編集部 at 16:32 | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする