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2009年07月17日

金子遊のこの人に聞きたいVol.6
DVD「金井勝の世界」
金井勝監督インタビュー PART2

『GOOD-BYE』
――それでは『GOOD-BYE』(71年・16ミリ・52分)製作の経緯からお話下さい。
 
 『無人列島』が完成して国内でもかなり評価されましたが、兎も角外国人には受けた作品で、彼らが居ると上映会場に笑いの渦が巻き起こりました。そんな時にスイスから映画祭への出品依頼がありましたので出したところニヨン国際映画祭でグランプリを受賞しました。当時は国際映画祭が少なかった時代なのでヨーロッパの映画研究者がかなり見にきていたようです。
 そのひとりがフランスのマックス・テシエで、『無人列島』に惚れ込んだ彼はヨーロッパの各地でこれを上映し、また自分たちの映画雑誌「ECRAN」などで絶賛してくれました。そのこともあってイギリスのトニー・レインズや、ドイツのアンゲラ・ハートなどが注目してくれました。
 それでも山崎佑次が「金井さん、これではまだまだ映画だ!もっと映画を毀しましょう!」と言ったので、次の映画の構想をベッドと机とを行ったりきたりしながら考えました。次は韓国ロケをしようと決めていましたが、それは日本人の祖先の多くは朝鮮半島からやってきており、ぼくの故里・神奈川県高座郡田名村(相模原市田名)の高座郡は、高句麗系渡来人によってつくられた高倉(コウクラ)郡がその最初なのです。またぼくの姓が金井だと言うことで、撮影所にいたとき増村保造監督から「金井君は北かね、南かね」と聞かれたこともありました。(笑)
 さて、一行も書けないまま一週間が過ぎようとしたとき、頭部に強い静電気が発生〜〜 部屋中が一瞬青く輝いたような気がしました。戒厳令下の韓国での撮影を考えたとき、その緊張感からひとつのドラマでは収まりきれず、もうひとつのドラマがそこに被さってくるという〈二階建てのドラマ!〉〜〜 が閃いたのです!
 世界ひろしといえどもこれは他に類例がないように思えて、勇気百倍〜〜 気がつくと40枚ほどのシノプシスがそこに出来ていたのです!

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『GOOD-BYE』

――主演はむささび童子で行くと決めていたのですか?

 1969年に『無人列島』の名古屋上映を手伝ってくれたのが大学教授の息子だったむささび童子〜〜丁度その時に状況劇場の唐十郎も名古屋公演の打合わせのためにきていました。唐もそこで『無人列島』を見てくれて高く評価してくれましたが、そんなことがあったのでむささび童子は最初、状況劇場を訪ねたんですよね〜〜 が、余りの厳しさに恐れをなして退散。(笑)そこで彼はぼくの家へきて暫らく居候させてくれと言うのです。まぁ、名古屋上映で世話になっているので断るわけにはいきません。
 そこで書き上がったばかりのシノプシスを渡すと「よく分らない」と言う。お前に分かる筈はないだろうと鼻で嗤ってやったら「でも、この少年はぼくですね」ときたので吃驚! イメージの中ではもっと幼い少年を考えていましたが、戒厳令下の撮影を考えると彼は打って付けなので、咄嗟に「そうだ、お前だよ!」と言いました。(笑)
 準主役のスパイの役には山崎佑次を最初から考えて書いていました。戒厳令下では山崎のような度胸の据わった男が必要なので、むささび童子と一緒に彼を口説きに行ったところ、シノプシスに眼を通した後、彼は「面白い!」と言ってくれました。
 その帰りに、池袋の西武デパートをぶらついているとメルカトールの地図が目に入りました。よく見ると、朝鮮半島が大陸に繋がっておらず、朝鮮が島になっていのでこれは良い“小道具”になるなと直感しました。
 さらに奇跡的なことはこの映画の鍵となる音楽〜〜 むささび童子と相談していたとき彼は「蜜柑の咲く頃」はどうかと言いました。それを一蹴した次の瞬間、閃いたのが蜜柑から橘へ、国民学校当時に習った「田道守(タジマモリ)」に繋がり、この唱歌が日本海峡を巧く渡らせてくれる筈だと思いました!

 〜〜 とは言ったものの、当時は韓国に関する資料は殆どありませんでした。そこで何度か韓国へ行ったことがある大島監督に話を聞こうと創造社へ挨拶に行きました。すると監督は大変に協力的で、韓国へ持って行けるフィルムの量とか様々な情報を教えてくれました。特に有難かったのは日本での撮影用にアリフレックス・カメラを無料で提供してくれたことです〜〜感謝!

――むささび童子が麗人とすれ違うときに、「田道守」の歌が聞こえてきますね。その後、砂丘における2人の会話があって、麗人に叔母さん、先生、お母さんと聞いていくが、どれも違うという。すると逆レイプのような形で少年が襲われて、砂の上を転がっていきます。その行為を通じて、難破船のある朝鮮島の水際へ空間移動するのでしょうか。

 麗人にもその先祖があるわけで、むささび童子が彼女の子宮に呑み込まれ、その羊水の海を渡って彼のDNAの記憶の旅が始まると言うことです。その渡しの舟唄として選んだのが「田道守」の歌です。記紀神話において、田道守という人物は朝鮮からの帰化人ですが、垂仁天皇のために不老不死の妙薬となる橘を探しに大陸に行き、橘を持って帰ってきます。そういう意味で「田道守」の歌が羊水の海と日本海双方の最高の渡し舟となると考えたのです。
 ぼくは、『GOOD-BYE』の冒頭部分が気に入っています。学生時代は練馬区に住んでいたのですが、ぼくの中に確かなる実存主義が構築されるまでは、この映画の少年のように活字は好きでしたが、口にする言葉となると自信がなく、いわば〈失語症〉状態になっていました。例えば駅で切符を買うときなども駅員に目的の駅名が通じなくて苦労した経験もありました。
 そういう個人的な体験があり、主人公の少年が失語症というか、一種の言語障害になっています。ラーメン屋へ行っても、佐藤重臣扮する親父に注文ができない、そう言うアイデアの殆どはぼくの体験から生まれたものです。
 またこれも自分の体験ですが、戦争中まで相模川の対岸には陸軍の小さな飛行場があったのでよく河原に戦闘機が墜落していました。終戦になると飛行機の残骸は放置されたままだったので、子供たちはその防弾ガラスを拾い、それを自分の宝物としていました。この防弾ガラスの破片を机に擦り付けるととても良い匂いがしましたが、この防弾ガラスやハイヤーの排気ガスの匂いなど、この臭覚を使って少年が麗人に問いかけてゆくシーンは今でも気に入ってます。

――戒厳令下の韓国での撮影において、ドキュメンタリーを劇映画にとりこんだような手法が採用されています。バスのなかで撮影者「金井」が登場し、後でむささび童子が「主人公は金井さんに変わった」といって、カメラをまわすカットがあります。金井が朴大神の社で「お父さん!」と叫ぶところでは、撮影している金井の主観ショットに加えて、それを横から撮影している視点が使われていますね。

 みんな見逃すんだけど、タイトルに〈飴屋〉というのが書体を変えて出ています。途中からぼくが画面に出てくるのだけれど、そうなるとそれは誰が撮っているのかという疑問が出てきます。そういう矛盾があると当時はすぐに揚げ足取られましたので、この映画の真の作者は飴屋かも知れないと言うことにしてあるのです。街角で「飴屋唄」を唄いながら飴を売っていた彼が、カメラを手にして少年の後を追い、この映画のスタッフを陰になり日向になりして付けているのだという設定です。ともあれ、見ている人に隙を与えちゃいけないのです!

――『GOOD-BYE』には土俗的な側面もあり、韓国の秋夕(チュソク)という盆の墓参りの風景や、ブータンという韓国の巫女のシャーマニズムも入っています。金井山梵魚寺というお寺を偶然見つけたところなどは奇跡的ですね。金井さんにとっての幻想的なルーツへの旅となっているわけですね。ラストシーンも色々な解釈が可能だと思います。

 ラストシーンの竜頭公園で、むささび童子、金井、山崎が立っている場面ね。そこに「海を見た。その彼方にイルボン(日本)を見た」という文字が入りますが、当時はそれが衝撃的だったとみえ、新聞などでも「世界最前線の映画」と書いてくれました。今と違って韓国へ渡航する日本人は極めて少なかったので、韓国側からこちらを見るという視点の提出が斬新だったのだと思います。
ちなみに戦後日本人が韓国で撮った作品には、大島渚の写真構成による『ユンボギの日記』(1965)がありますが、ムービ−・カメラを回して撮って劇映画はこの『GOOD−BYE』が最初です。尚、宮島義勇が監督した『チョンリマ』(1964)という作品がありますが、それは北朝鮮との合作です。ともあれ、『GOOD−BYE』の上映はATG新宿文化の蠍座で『無人列島』との2本立てで4週間上映されましたが、『無人列島』がグランプリを獲ったこともあって頗る盛況でした!

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『王国』
――次は『王国』(73年・16ミリ・80分)についてです。「日本海はフンボルト海流を想う。時が流れるぞ、時が流れるぞ、轟々と音をたてて」という冒頭の城之内元晴が朗読する詩が見事で、ここから一挙にクロノス(時間の神)の主題へ入っていきます。主人公の名前は五九勝丸。勝丸は金井勝の分身でしょうか。五九は映画のなかで60という数字の一歩手前の存在だと説明されています。今度は「極」寺が登場します。フラフープは「時代に媚びた詩人」の暗喩ですね。

 時計の針は、当然のことながら時計回りでまわります。それが一周する寸前の〈59〉のところから〈60〉にならずに、ガラスを突き破って見ている者の方の側へその針が延びてきたらどうなるか。そういう映画を作ろうと思ったんです。
 『GOOD-BYE』の後、次の映画は時間の話にしようと思っていました。それで色々と哲学書を読み漁った末にたどり着いたのが、ベルグソンの時間論で、意識や記憶の観点から時間を考えていく方法が、一番ぼくの考え方に近いと思いました。また学生のときにある秀才が「アートは永遠の時間である」と言っていたが、それもベルグソンの言葉からの引用だったと記憶していたんですが、あるとき孝寿聡というドキュメンタリストから「『無人列島』も『GOOD-BYE』もすごい映画だと思うが、時は轟々と流れており、直ぐに風化されてしまうぞ!」と言われました。それならいっそそのクロノスと闘う話はどうかと考えました。(笑)
 その頃、仕事ではTVドキュメンタリー番組のカメラマンをやっていましたが、以前に横須賀博物館で、生物学者の先生に渡り鳥についての取材をしたことがあります。その先生はとても真摯な方でしたが、話が鳥の渡りに及ぶと段々と眼が輝き、やがて涎を垂らさんばかりにして渡り鳥の持つ神秘的な時間論を滔々と語りました。それはぼくの頭の《引き出し》に入っていて何時か使おうと思いました。(笑)
 さて、人がその神秘的な時間を持つ渡り鳥の体内へ入っていけるとしたら、どのような方法が可能だろうかと考えたとき、思いついたのが〈神話〉〜〜〈現代の神話〉を作ろうと思いました。

――『王国』でも「2階建て」の映画という構造を考えていたのですか?

 いいえ、時間に縛られた日常の世界と、時間から解放された天国〜〜 その中間の〈中二階〉のような場所がこの作品には必要だと思いました。その〈中二階〉には不思議な魅力の風景が必要なので南米のガラパゴス諸島へのロケを考えました。しかし当時の航空料金はものすごく高かったのでガラパゴスまで行くような日本人は動物写真家か生物学者くらいしかいなかったんです。
 そんな無茶な計画でしたが、神奈川ニュースのプロデューサーから、「金井、お前本当にガラパゴス諸島に行きたいのか?」と訊かれました。その頃、日本航空がメキシコ航路を開設することになっていて、メキシコの観光地を撮影し、それをTV番組で上映しながらトークしてくれれば2人分の往復チケットを提供するということで、メキシコまでのぼくとむささび童子のチケットは確保〜〜 夢のような話でした!

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『王国』

――野鳥の体内にある体内時計によって、時間からの解放を目指すというアイデアが秀逸ですね。

 詩人の五九がどうしたら時間を掌る〈クロノス〉と出会うことが出来るのかというのが大きな問題です。
 そこで鳥博士から得た知識とスリ集団から習得した巧みな技術で〈クロノス〉に近づくわけですが、そこで必要なのが渡り鳥の自然科学的な知識〜〜 幾冊もの書籍を買い込んで研究し、《引き出し》に仕舞っておいた〈鳥博士〉のイメージを基にダイアローグを書きました。
 例えばどうして鴨のような水鳥が水に浮いていて沈まないかというと、背中の下方に〈羽脂腺〉というのがあってそこから出る脂を羽に塗っているから浮力を得て沈まないのですが、五九勝丸の背中の下方にも何時の間にか〈羽脂腺〉が発達していて、そこから出る脂を〈クロノス〉と闘うときの武器にしたのです。そういう裏付けがないと、ただの映画の中の絵空事なってしまいますからね、兎も角その〈鳥博士〉を大和屋竺が熱演してくれたのでとても感謝しています。

――パートカラーが効果的に使われていますね。スリ集団の地蔵堂のアジトにおいて、カラフルなマヌカンを見せるところもそうですし、後半のガラパゴスの映像もカラーですね。

 当時は先ず、カラーフィルムが高かったと言うのがあります。ピンク映画のような濡れ場だけの「パッとカラー」では困るから、プリントはすべてカラーにしました。映画のなかで白黒の部分は、白黒に見えるようにカラーで焼いたものです。ぼくはこの方法が成功したと思っています。

――電車のなかの痴漢シーンや、鳥博士が出てくる博物館は無許可撮影ですよね。

 博物館は許可が下りませんでした。コネクションが有るか無いかで許可が決まるのでは同じ納税者として理不尽だと思いましたので決行しました。それに映画とういうものは時間を盗むことだと思っておりますので、高感度フィルムで照明は大きな懐中電灯を使ってあっという間に撮り終えました。しかし、これもあの時代だから出来たのだと思っていますが・・・。

――五九勝丸が仕掛けた罠で鴨を捕まえて、彼はその鳥の肛門の中から溶岩の狭い回廊の間を抜け、ガラパゴスへ到着します。松本俊夫はそれを「原始的本能への回帰」とか「ニルヴァーナへの回帰」の比喩と言っています。彼が時間の神と闘った後、不思議なラストが来ます。五九の顔、金井の顔、日出国の顔、その三ツ星が宇宙を飛び、果たしなく笑いが続きます。

 主人公が鳥のアヌスから溶岩の回廊を経て擬似天国(=ガラパゴス)に辿り着く、その設定を生かす為に八王子の彼の家を狭い路地の奥にしました。サラリーマンの出勤風景から編集者(城之内)が五九家を訪問するまでのその長いシークエンスは、高い評価を得ています。
 またこの作品のラストは、同時に《微笑う銀河系・三部作》のラストでもあります。天の巻・『王国』の主人公が〈五九星〉になると、そこには地の巻・『GOOD-BYE』の〈金井星〉があり、人の巻・『無人列島』の〈日出国星〉が瞬いています。更に画角を広げるとまだ不完全な6つの星たち浮かんでいます。映画界はメジャー・エンターテイメント時代を迎えており、一先ずはこの《三部作》で休みますが、「我々は必ず銀幕に戻ってくぞ!」と言うあれは宣言なのですよ!(笑)

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『時が乱吹く(ふぶく)』
――「微笑う銀河系3部作」の後は、映画作品については暫く時間が空きますね。

 70年代も半ばにさしかかると、再びハリウッドの大作映画が台頭してきて、ぼくらのような実験的な自主映画は大学の学園祭でも上映される機会がなくなってきました。世の中がメジャーなエンターテインメントの時代へどっぷりと入ったのです。
 ぼくの仕事は、TVドキュメンタリーのカメラマン〜〜 演出家だと自分のシナリオを書ける時間がなくなるので嫌だったのです。当時の神奈川ニュースの部長はやる気満々な豪傑で、岩波映画に追いつけ追い越せが口癖になっていて、既に記録映画の重鎮・野田真吉や長野千秋などを招聘していました。
 また『無人列島』を評価してくれていた城之内元晴と新宿の飲屋で会うようになり、彼が神奈川ニュースでやりたいと言うのでプロデューサーと掛け合い『GOOD−BYE』の頃には彼も神奈川ニュースで働いていました。
 しかし時は流れて、ぼくは演出にシフトされ、図らずも城之内と同じ番組の演出家同士となった為に、親友であると同時に良きライバルとなりました。
 そんな2人もはや50歳〜〜 「そろそろ自分の映画を作らないと駄目だよな」と言うことで、まずぼくが城之内を主演に据えて撮ったのが『夢走る』という16ミリの短編映画です。ところが、その撮影の5ヵ月後に、城之内は交通事故で帰らぬ人となりました。

――それで『時が乱吹く(ふぶく)』(91年、62分)は、城之内元晴への追悼映画になっているのですね。これは16ミリで綴る映像・エッセイ3部作といえるのでしょうか。短歌篇『夢走る』(87年・16ミリ・ボレックス)は、メルボルン映画祭で最優秀短編劇映画賞を受賞しています。おでんからフィルムが出てきたり、シュールな描写が素晴らしいですね。

 これは当初から《映像の詩歌集》として短歌篇・俳句篇・詩篇の3部作にしようと思っていたのですが、《城之内元晴への追悼作品》にするため、短歌篇『夢走る』の後に『幕間1』が挿入されます。これは城之内が事故に遭った品川駅の近くの、八ッ山橋というところで、ちょうど3年後の同じ日、同じ時刻に撮影しました。ぼく自身が登場して、大切な人という意味の〈メイン・マン〉について語ります。
その次が俳句篇の『一本勝負の螽斯』です。16ミリフィルムで400フィートマガジンを使った11分間のワンショット映画です。我が家の6つの部屋をカメラがクルリクルリと移動するのに合わせて、各部屋に先回りしたぼくが扮装を変えて人生の折々の自分を演じるという、離れ業です。その後に挿入されるのが『幕間2』で、城之内とのお別れを《日大映研》のメンバーを中心に二ノ宮海岸に集りましたが、その《別れの儀》の丁度3年後の同じ日、同じ時間に撮影〜〜 ぼく自身が登場し、此岸から彼岸へ向けて胸中を吐露します。

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『時が乱吹く』

――そして3部作の最後が『ジョーの詩が聴こえる』という詩篇ですね。

 城之内が以前に撮った『新宿ステーション』という映画がありますが、この中の彼の音声を使いました。樺美智子が死んだ60年安保のとき、城之内は熱心に活動しており、その闘争を後に彼は「新宿ステーション」という詩にしています。彼はパフォーマーとして優れていてぼくが見た最初のバージョンは『新宿ステーション』という一種のパフォーマンスだったんです。
 サファリ・コートの肩に懐中電灯を捩じ込んでから映写機のスイッチ入れると、スクリーンには安保闘争の映像〜〜 彼は「ステーション、ステーション」と叫びながらスクリーンの前に出てゆきその映像を全身に浴びながらフォルティッシモで朗々とその詩・「新宿ステーション」を歌い上げるのでした!

――庭を往還するカメラが、向きを変えるたびに昼、夕方、雪景色へと時間を移転していきます。それに乗った「新宿ステーション」の詩を読む声が哀切に響きます。

 この頃になると城之内だけではなく何人もの友人が亡くなっており、その殆どが40〜50代の若さで逝ったので時々彼らが襖の向こうにいるような気がするときがありました。ぼくの家は小さな幾つかの部屋からなっているので、自分の脳細胞の延長上にその小さな部屋々々が続いているというヴィジョンが出てきました。城之内は『王国』で編集者として登場して詩を朗読した部屋もそこにあり、また『夢走る』の隠居の役で寝転んでいた部屋はその次のつぎの部屋でした。そしてそれらの部屋々々が彼のことを良く覚えているという設定にしたのです!
 一輪車の少女が封筒を届けるシーンでは、ぼくがそれを開封すると、魂のようなものが畳の上に転がり出て、庭を走り、そこに「新宿ステーション」を朗読する城之内の声が駆け巡るようにしました。その今までにないラストシーンが成功したようで、16ミリの追悼映画にもかかわらず、商業映画雑誌・「シティ・ロード」のベストテンでは第2位に、「映画芸術」でも11位に入りました。

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『聖なる劇場』
――次は『聖なる劇場』(98年/ビデオ/29分)についてです。金井さんの家の庭には小川と池とがあり、まずそこに住んでいたり集まったりする生き物がでてきます。庭を一つの小宇宙にする映像的な試みだといえるでしょうか。

 昔なにかの本で、「人は2度死ぬ、最初の死は物理的な死だが、もう1つの死は誰からも忘れられたときにやってきて、それが本当の死」だというのです。『王国』に出演してくれた大和屋竺、城之内元晴、映画評論家の佐藤重臣、サハリン上空に散った呑み屋の主・大阪徳〜〜 生き残ったぼくは恩義ある彼らを忘れさせてはならないという強い気持があり、いろいろと考えてました。
 そんなある日、庭を眺めていると一匹の殿様蛙が小さな蝶を目掛けて1メートル近くもジャンプしたのです! 『王国』でガラパゴス諸島まで行ってもこれ程の光景を見ることはなかったので、じっくりと庭の生き物たちを観察することにしました。すると自然科学映画などには出てこないパフォーマンスとも言える光景が様々な形でそこに展開していることを知らされ、6年間かけてその瞬間を撮りました。
 その彼らの生態を超えたパフォーマンスを前座にして、黄泉の国から彼らを呼び寄せたのがこの『聖なる劇場』です。これはぼくがひとりで撮ったこともあって一番地味な作品かも知れませんが、これを最高の作品だという人がドイツにもいたし、日本にもいます。

――俳句でいう風狂のような境地とユーモアが程よく混ざり合っていますね。

 そう、当時日本に一台しかなかった編集機が想像以上に彼らの魂を創りだしてくれたのでとても満足しました。それで最後にぼくが彼らに負けないパフォーマンスをと考え、雪の日の池に頭からダイビング〜〜 その撮影も自分自身ですから命がけです。
 さてぼくのその演技ですが、かつて『王国』の初公開の時に観客のひとりが、ラストシーンの星たちによるカメラ目線の笑いを非難して、「観客に対して無礼じゃないか」と怒ったことを思い出しました。そこで今度はお客さんを飲み込んでやろうと口を大きく開けてカメラを飲み込むことにしました!(笑)

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『聖なる劇場』

『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』
――次は『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』(2003年/ビデオ/33分)です。ともかく抱腹絶倒の傑作です。

 実は別な企画で新作を作ろうと思っていたのですが、いろいろなことが重なってムシャクシャしていた時に、生垣にある鳥の餌箱の上に山鳩の番が巣作りを始めたのです。人目に付かない所なら兎も角、そこは寝室から3メートル足らずの距離なので、その大胆な鳩の神経にまず吃驚させられました!
 ぼくは野鳥のTVドキュメンタリー番組をかなり撮っていたから分かるのですが、鳩などの〈留鳥〉は自分の身に危険が迫ると雛を見捨てて別のところへ行ってそこで新たに巣作りをする習性があるのです。山鳩にとってはその雛たちそのものよりも、確かな形で子孫を残せればそれで良いのです。また同じ〈留鳥〉でも雀のような鳥でしたら、雛に米粒や蜘蛛などを与えて育てることが出来ますが、鳩には食道の奥に〈そのう〉と呼ばれる器官あり、そこに〈鳩のミルク〉を出して雛を育てているので、もし親鳥に逃げられたらぼくには雛を育てるのは無理〜〜 困ったなと思いました。隣家には猫もいるし、危険がいっぱいの環境なのです。
 しかし彼らの巣作りを見ているうちに「我等の営みを撮れば・・・」と山鳩が囁いているように思えたのです。何せそこは、撮影するにはこの上ない条件だったのです!
 そこで例の《引き出し》のなかにある〈老人〉のテーマを取り出し、それとこの山鳩の営巣とを組み合わせてみてはどうだろうかと考えながら、駅前の喫茶店へ行きました。そして一杯の珈琲を飲んでいる間に、ほぼ完璧な構成が出来ましたので、自分自身驚きました!

――前衛仙術とは何なのでしょうか?

 ぼくは年をとっても若いときの蓄積で生きる、〈付録〉みたいな老後を送りたくはないと思っていました。しかし現実問題として体力も気力も衰えてきます。そこで若さと対等、否それ以上のエネルギーを出すにはどうした良いかと考えていたのですが、それには新しい仙術、前衛的な仙術を開発するしかないと思っていたのです。
 ただの老人の妄想に見られてしまっては駄目ですから、この〈前衛仙術〉では誰もが納得する〈奇跡〉が必要なのです。この山鳩の営巣はその〈奇跡〉に打って付けであり、また家の裏に建設中のマンションも利用できる筈だと思いました。しかし3つなければ収まりが悪いのでちょっと考えましたが、ぼくのような所に30歳も年の違う嫁が来たのも不思議といえば不思議〜〜 否、これこそ〈奇跡〉ですので、これで3本揃えることができました。
 映画は観客との知恵比べなので揚げ足を捉えないように細かい所まで気を配らなくてはなりません。その大事なシーンは〈パソコン室〉であり、五月蝿い観客に対する不落の砦にしなければいけないと思いました。

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『前衛仙術』

――鳩の2羽の雛の成長をドキュメントしていて、16日目あたりで雛が飛ぶ練習をするところが前半にあり、後半には前衛仙術による空中浮遊があるのですね。二者の対照が非常に効いていると思いました。

 ぼくの映画には電車がよく出てきます。電車好きなのだろうと言われていますが、今回はモノレールです。家の近くにモノレールが通っていますが、電車と違ってモノレールの電源は車輪の脇からとっているのでパンタグラフもなければ線路脇に建つ電柱も必要ありません。そこでこれも天からの贈り物と考え、ラストシーンを空中浮遊にしました。(線路脇に電柱があると、空中浮遊の撮影は無理)
 昔撮った作品はブラックユーモアの映画だったので、これはストレートなユーモアで行こうと考えていました。しかしこれは只の絵空事ではなく、老人の明日に向う夢なので、海外の映画祭でも同年輩の老人には笑いの〈その奥〉が伝わっていて、とても嬉しく思いました!

――音楽も面白いですね。

 この作品では普通の楽器が使えないと思ったので「ストン、ストン、スットントントン」という〈口三味線〉ならぬ〈口太鼓〉を思いつきました。それにエコーをかけるために夜中に道路の下のトンネルへ行って録音しました。またファンキーリズムのナレーションがその〈口太鼓〉とマッチして成功したと思っています。
 この作品で第50回〈オーバーハウゼン国際短編映画祭〉の〈国際批評家連盟賞〉を受賞〜〜 その賞のおかげで第53回では〈金井勝回顧展〉が開催されました。

――これからの作り手へ向けて、最後に一言お願いします。

 昔と違って今では誰でもが映像作品を作れるようになりました。それだけに見た者に忘れられないように全ての面で戦略を立てるべきだと思います。これはぼくの単なる推測ですが、外国の映画祭で賞を獲るには3つの法則があるような気がします。1つは全く新しい内容の映画であること、2つ目には広い意味でのアイデンティティがあること、そして3つ目は世界に通じる普遍性があることです。しかしこれは作品作りの基本といえば基本ですよね。ともあれ、映像アートの発展のためにはやはり若い力が必要です。期待しています! 

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※文中の敬称略

金井勝公式サイト http://www.hinocatv.ne.jp/~katsu/
※こちらでDVDも購入可能です。


タグ:金子遊
posted by 映芸編集部 at 14:03 | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする