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2009年08月10日

荒井晴彦の映画×歴史講義・第五回
『人間魚雷回天』(55)×特攻

 脚本家・荒井晴彦が映画とそこに描かれた歴史的事件について語る好評連載「荒井晴彦の映画×歴史講義」。本連載は日本映画学校脚本ゼミの卒業生を対象にした勉強会を採録したもので、映画『無能の人』などで知られる脚本家の丸内敏治さんがともに講師役を務めています。
 5回目に取り上げる映画は、津村敏行の手記を基に脚色した『人間魚雷回天』。「天を回らし、戦局を逆転させる」兵器として開発された人間魚雷回天は、大量の爆薬を搭載した魚雷に人間が自ら乗り込み、操縦し、敵艦に体当たりする必死の特攻兵器です。回天特別攻撃隊に配属された若者たちを描き、戦争映画の傑作と称されるこの作品を、特攻の歴史を紐解きながら検証します。
(司会・構成:川崎龍太)

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『人間魚雷回天』(1955年/106分)
監督:松林宗恵
原作:津村敏行、斎藤寛 脚本:須崎勝弥
撮影:西垣六郎 音楽:伊福部昭
出演:岡田英次、木村功、宇津井健、津島恵子、加藤嘉、殿山泰司

〈解説〉
徳山湾に浮かぶ大津島。そこには日本海軍の回天特別攻撃隊基地があった。学業も半ばに招集された若過ぎる予備士官たち。しかし戦況悪化に伴い、彼らの仲間はひとり、またひとりと若い命を散らしていく。予備士官・玉井(木村功)は、朝倉(岡田英次)、村瀬(宇津井健)らとお互いを励まし合いながら訓練にあたっていたが、仲間たちの死の意味を疑わずにはいられなかった。だが、彼らにも遂に出撃命令が下る。1944年11月8日――回天と共に玉井たちを乗せた潜水艦が大津島の基地を離れていった。

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――まずは、みなさんの感想からお願いします。

女性A 出撃前日のそれぞれの時間の過ごし方が、丁寧に描かれていて悲しくなりました。「お国の為に」という一つの想いだけで出撃したわけではないことがよく伝わりました。

男性A 今、当たり前に生きていることが有難いなと実感しました。それと「お国の為」とか「天皇陛下の為」とか、そういう考えを排除しているのは、この時代の映画としてどういうことなのか気になりました。

男性B 最近は特攻隊を美談として描いているなかで、それとはまた違った、派手な音楽もないし、淡々とした描写が続いていたのが印象的でした。戦争中の時間の流れはこうだったのかなと、ちょっとしたリアリティを感じました。つい最近、「大島渚著作集第一巻 わが怒り わが悲しみ」(編・解説 四方田犬彦、現代思潮新社)を読んだんですけど、そこに「観客の被害者意識、ことに女性観客の家と戦争への被害意識に訴えて来た」と、松竹映画について書かれた文章を目にしました。この映画も被害者感情に訴える部分があるのかなと。それが当時の主流だったのか気になりました。

女性B 出撃しても、敵艦が見つからずに引き返すことになって助かったと思ったら、いきなり現れて突撃することになり、結局絶望的な最期を迎える。シナリオの緩急の付け方が勉強になりました。それと、戦争の残酷さを感じましたね。ただ、木村功を見送る早智子(津島恵子)が、そのまま海に入って入水自殺するのは釈然としなくて。もし木村功が生きて戻ってきたら残酷ですよね。

女性C あの時代に作り手の人たちは、どんな意図でこの映画を作ったのか考えながら観ていました。朝倉少尉の「みんながバカなことをやっているのを知らせるために、俺たちはバカなことをやるんだ」というセリフが印象に残りました。

女性D 男の人はつくづく凄いなと思いました。神風特攻隊は馴染みがあったんですけど、魚雷だと閉鎖された海の中で死んでいくじゃないですか。残酷ですよね。あと、早智子がバレエを踊るシーンがありますけど、戦争映画でそういうシーンがあるのは面白いなと思いました。

丸内 隊員の掴まえ方とか津島恵子の描き方とか、ハッとするようなことが何もなくて乗れなかった。回天の機能や性能については詳しく描かれているんだけど、どうして回天を作ったのか、戦況も描いていないし、なんで彼らが行かされるのか、行かされることに彼らはどう思っているのか、そこも描かれていない。インテリのくせにそういう話はしないのかな。「本音で語り合おう」と仲間内で言っているのに、その本音が「死にたくない」だけ。ご都合で人物が語られている気がして。新藤(兼人)さんの『陸に上った軍艦』(07)だと、休日を貰うためにハエを集める場面とかあるんだけど、そんな描写も全然ないし、潜水艦の中には御真影も何もない。そこを避けているよね。避けているなら避けている意図が見えると、それなりに納得がいくんだけど。
僕は毎年、日本映画学校の学生を靖国神社の遊就館に連れて行くんだけど、本物の回天があるんですよ。搭乗するはずだった銀座のボンボンの学生が録音した、出撃前の声がレコードで聞けるんだけど、聞いていると何か感じるものはある。だから、そんなに大仰にやらなくても、死んでいく者の気持ちが出せるような気がする。
面白かったのは、岡田英次と加藤嘉のところ。大学教授の加藤嘉が後輩にあたる学生の岡田英次から逆にコキ使われているじゃない。少尉と一等水兵の階級差があって。その立場からの加藤嘉にしか言えないセリフがあると思うんだけどね。それを聞いて岡田英次がどう思うのか。そんな芝居場、やらないんだよね。

荒井 設定はいいよね。寿司屋だった殿山泰司と大学教授だった加藤嘉。

丸内 あのシーンの二人、どうなるのか身を乗り出して見たんだけど。

荒井 小林勝の映画評(映画評論1955年6月号「須崎勝弥と『人間魚雷回天』」)によると、原作の津村敏行、脚本の須崎勝弥、監督の松林宗恵、製作の広川聰が、戦時中は海軍予備士官だったらしいじゃない。だから特権的に作っているよね。「わだつみ」の思想だよ(※脚注1)。学生寄りに作っている。出撃前日の晩に岡田英次が宿舎で読んでいる本が「純粋理性批判」らしいけど、カントなんか分からないよ、字幕入れてくれないと。

丸内 殿山泰司と加藤嘉の描き方は、インテリゲンチャの学生が見下ろしている感じの捉え方ですね。

荒井 作った連中が体験者だから、どうしてもそうなるんじゃないの。

――訓練中に遭難した岡田英次が助かったときに言った「祖国のために死ぬのが美しいと思ったけど、祖国は美しい」というセリフや、木村功が出撃前日の晩に女中に対して言う「僕たちみたいのを相手にする君たちのほうが美しいかもしれない」というセリフがあるように、隊員たちがどこかで「美しさ」を求めて、それに葛藤している節がありますよね。どうせ死ぬなら美しく死にたい、でもそれは本当に美しいことなのかと。

丸内 それも学生さんのセリフで、好きじゃない。新藤さんとか笠原(和夫)さんの低い目線のほうが、好みだから。

荒井 でも童貞なんだよ? 童貞のセリフなら許されるよ。

丸内 あの時代にあのセリフを言うこと自体は不自然じゃないけど、同じ視点で作り手が書いているのがね。

荒井 あの女中が可哀想じゃない。ただ泣いているだけで。俺だったらもう少しフォローするな(笑)。

丸内 木村功が自分で言うのではなくて、早智子に気づかされるシーンを作りたい。

荒井 早智子が部屋に入ったら女だけがいる。あれがダメなんだよ。木村功がヤッてないとさ。

丸内 ヤッた後の寝床だといいんですけど。

荒井 それだとドラマになる。泣いているだけじゃなくて、あの女中も木村功に反撃すればいいんだよ。

丸内 笠原さんが書くとそうなりますよね。

荒井 それで木村功が「悪かった」と抱くわけ。そしたら早智子が来る。それが〈劇〉だよ。

丸内 そういうワンポイントがあるとね。出撃前夜が印象に残ると思う。

――そうなると、早智子の自殺の印象もだいぶ変わりますよね。

荒井 セックスシーンがあれば違ったね。

丸内 なくても二人の情感みたいなのがあれば。

荒井 あの二人がどんな関係なのか分からないからな。

丸内 なんで会いに来たのか分からなかった。

荒井 どういうお付き合いをしていたのか。

丸内 シンプルに夫婦でも良かったかもしれない。

荒井 例えば、出征するときの別れのシーンがあるとか。

――木村功にとってあの女の存在が何だったのか、ですよね。

荒井 それ以前のお付き合いが見えないからな。結婚しようと約束していてこんな事になったのか。そういう経緯があればもう少し盛り上がるのに。

丸内 あの女の存在があるから芸者は抱けない、ということであれば分かるんだけど。

――手紙のやり取りだけですからね。

荒井 手紙なら手紙でもう一発ちゃんと効かせるとかね。

丸内 ただ拗ねているだけにしか映らない。惜しいですよ。

――あの夜に二人は初めてセックスしたんですよね?

荒井 したから死ぬんだよ。大切なものをあげちゃったから死ぬわけ。

――セックス描写はないですが、そういったシーンを作っていたのは新鮮でした。

丸内 でも、それは特攻隊の定番じゃない?

荒井 最近の映画は描かない。『俺は、君のためにこそ死ににいく』(07)もそう。九州の中津の旅館だったか、出撃前の特攻隊員が切りつけたという疵が鴨居に残ってる。酒飲んで暴れるだろうし、女抱くだろうし。

女性B 早智子が自殺するなんておかしいですよ。戦時中の女の人って清純だと思っていたのに。

荒井 ……こいつに発言させないほうがいいな。腹が立ってくる。

女性B 子種が育つかもしれないのに死にますかね。今の女性だったら一人でもそれなりに生きていけるから、たぶん死なないとは思いますけど、あの時代の女性だったら……。

荒井 “あの時代の女性”と言うけど、昭和20年だと空襲もあるわけ。戦争しているのは兵隊だけじゃない。自分だって死ぬかもしれない。子種がどうこうの問題じゃないよ。どうして女だけが生き残ると思うの? 日本全体が一億玉砕と言われていたんだから、死ぬのは早いか遅いかの問題でしょ。男が回天に搭乗して、自分も遅かれ早かれ死ぬと思ったら、海にも入るんじゃないの? 後追い心中でしょ、気持ちは。別に兵隊だけが死んでいるわけじゃないんだから。時代を考えないと。

女性B そうですけど、敗戦後に進駐軍が来て、女子中学生が乱暴とかされても逞しく生きていた話を聞くので、どうして死ぬのか分からなかったです。

荒井 それは後知恵だよ。あの段階で、占領軍が来ることなんて考えられないでしょ。戦後なんて見えるわけがない。鬼畜米英に男は一寸刻みにされて殺されるとか、女は輪姦されて殺されるとか、男は奴隷にされてカリフォルニアかハワイかに連れて行かれてこき使われる、女はアメリカ兵の妻にされるとか言われていて。それと「生きて虜囚の辱めを受けず」と教育されていたわけだから。集団自決の問題もそれだよ。急に戦後と言われてもね。

女性B 戦時中と現在は違うなと思って、幸せでした。

荒井 バカじゃないの。

――出撃前夜に女性を買うのは、当たり前だったんですか?

荒井 みんな行くのが当然だから、岡田英次と木村功は行かないと言うわけじゃない。特攻に行く連中は議論していたらしいよ。ブラックにするかホワイトにするか。プロのことを隠語でブラックと呼ぶんだよ。玄人(黒)という意味で。「俺たちは死ぬんだから素人に手を出したらマズイだろう」「いや、そうじゃない。死んじゃうから愛する人とヤラないとダメなんだ」と、一晩中議論していたみたい。ブラック派とホワイト派に分かれるんだって。

――回天を扱った代表的な映画が三本ありまして、『人間魚雷回天』が一番最初、ほかに、東映の鶴田浩二が出演した『人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊』(68)や『出口のない海』(06)があります。

荒井 『人間魚雷回天』が一番真っ当らしいよ。「特攻――最後の証言――」(2006/「特攻最後の証言」制作委員会)で、平成18年に死んだ、元海軍大尉の小灘利春が三つの映画について言っている。この人は『人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊』のときに演技指導という名目で呼ばれて、『出口のない海』ではシナリオチェックで海軍の用語を直したみたい。『人間魚雷回天』に関しては、「非常に深刻なムードの作品でした。予備士官ばかりの搭乗員で兵学校出に殴られながら、悲壮な最期を遂げる」話だと。小灘利春は兵学校出なんだよ。だから「私の知る限り鉄拳制裁があっても、1桁、せいぜい2桁いくかいかないかです」「私などは殴ったことも殴ろうと思ったこともありません」と弁明している。「彼らが何のために回天に乗っているのか、肝腎な説明が一切無い映画でした。言えないと思ったのか、ただ悲壮感だけを強調したかったのか意図は分かりません」「昭和30年のご時世では、あれ以上のことは言えなかったでしょうから、そういう意味で納得していました」と。
『人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊』は、「イケイケで勇ましいばかりでした。監督(小沢茂弘)があまり深く考えない人」だと。
『出口のない海』もやっぱり「回天が何のために作られ、搭乗員たちは何のために自分の命を投げ出したのか、というテーマというべきものがはっきりしません」だって。主人公の「俺は人間魚雷という兵器があったことを、人間が兵器の一部となった悲しい事実を後世に伝えるために死ぬんだ」というセリフを直してくれと申し入れたらしいけどね。特攻に意義があったとこの人は思っているわけだよ。更に言っているのは、「昔の日本の良さがどんどん消えてしまったように思います」「警察官にしても消防官にしても、人のために尽くす仕事が軽蔑される世の中になってしまった。極端な例は自衛隊。税金泥棒なんていわれて。自身のためでなく、多くの人に尽くす職業がなぜ評価されないのか。戦後は教育が誤っている気がします。それが占領軍の方針だったのでしょうが、彼らにしてみれば予想以上の効果があったのではないですか。私は日本人は優秀な民族だと思ってましたが、あまり自分でものを考えなくなってしまったというか、お百姓的な発想になってしまいましたね。自分で考えて自分で行動するのではなく、人がやってることに自分が合わせりゃいいという考えに」「回天は非人道的どころか、人道的な兵器だと思っているんですね。一人の身を捨て、その代わりたくさんの人を助ける本当の意味での人道的な兵器だと思うのです」「戦後の新聞はやれ、愚かな戦争とか愚かな特攻隊員などと書きたがりますが、回天に限らず特攻隊員は皆、とにかく日本人をこの地上に残したい、そのためには自分の命は投げ出してもよいと納得した上での捨て身だった。そういう多くの人に尽くす人を評価し、敬わなかったら、誰が人に尽くすようになりますか」と書いてある。全く間違ってるよね。人がやっていることに自分を合わせた、あるいは合わさざるを得なかったのが戦争だったんじゃないのか、と俺たちは思うけど、この人は戦争中はそうじゃない、戦後そうなったんだと。致命的に反省がないよね。ということで言えばさ、戦中も戦後も同じだってことだよね。

丸内 たぶん、日本人はそんなに変わってないでしょうね。

荒井 全く優秀な民族じゃないよ。戦争で天皇陛下万歳と言えば、みんな天皇陛下万歳で、戦後になって平和と民主主義だとなればコロッと変わる。どうしようもない国民だよ。この人が三本の映画に対して不満なのは、どうしてもっと良いことをしたと描かないのかということでしょ。それは逆な意味で俺たちも思うよね。もう少し何か出来なかったのかな。誰が悪かったのか、あるいは日本人みんなが間違ってたのか、その追及ができないのならメロドラマにすればいいのにさ。

――戦後10年しか経っていない時代背景も関係しているんですか?

荒井 逆だと思うよ。民主主義、左翼的な考え方が強かった時代だから、その反撥を怖れたんだろうな。新東宝は右翼的な会社だから、それに対する遠慮だと思う。
例えば、笠原さんの『大日本帝国』(82)があるけど、タイトルだけで批判されるわけ。大日本帝国を批判している映画なのに。結局、右からは「左の映画じゃないか」、左からは「右の映画じゃないか」と言われちゃう。お国の為に、愛する人の為に、と描くだけで「右翼的だ」と左翼から批判されちゃう時代だったんだよ。

丸内 「回天」はでも、批判的に描こうと思ったら描けるわけでしょ。

荒井 『明治天皇と日露大戦争』(57)を作った会社で、社長が大蔵貢だよ? 社内圧力は絶対にあったと思う。

丸内 むしろそっちですね。

荒井 『雲ながるる果てに』(53)を観直した。左翼の監督(家城巳代治)なんだよ。あんまり天皇批判をやってないけど、泣かせる反戦映画にしてる。死にたくないのに死なざるを得なかったと。

丸内 最初の発言を少し訂正しますが、そういう意味で『人間魚雷回天』はセンチメンタルに描いていない点では良いですね。

荒井 意外と渇いているよ。大蔵貢のせいなのか、松林宗恵という坊さん監督のせいなのか分からないけど、いわゆる50年代の独立プロの左翼映画だったら、もっと泣かせようとするよ。中国や朝鮮のことは捨象して、被害者意識だけで作る映画。

丸内 最後、故障して海底に沈んだ魚雷の中で、岡田英次が「我未だ生存せり」と潜望鏡にナイフで刻むシーンは良かった。任務を果たせなかったことに対して申し訳ないと思っていない。

荒井 普通なら、戦後何十年も経って魚雷が引き揚げられて、というところから始めるけどね。

――冒頭に刻み文字のアップはありましたけどね。

荒井 でも魚雷は海中にあるでしょ。引き揚げられてはいない。錆びた回天から始めないと。サイパンでダイビングしたことがあるんだけど、船がやたら沈んでいて、魚のスポットになっている。

――シナリオでは回天が発進して戦果を上げた後、潜水艦が敵の飛行機に発見され、爆撃を受けた挙句に自爆するんですよ。それが映画では、潜水艦が意気揚々と引き上げていきます。映画のほうが、木村功たちの孤独感が伝わりますよね。

丸内 潜水艦が自爆しても意味ない。

荒井 岡田英次の魚雷だけが海の底に残っているほうが虚しい。

丸内 演出の問題なのか、シナリオにディテールが書いてないのか、回天の特攻と潜水艦の話なのに、具体的なことが見えてこなかった。回天の訓練にしても何の訓練なのか分からないからもどかしかった。作っている人たちが分かっているから書いていないのか、予算の問題なのか。

荒井 そういうことで言えば、潜水艦の中だけで作る手もあるけどね。

丸内 そっちを丁寧にやって出撃の前の晩から始めるとか。大枠の作り方はそっちのほうが。どう描くかは違うけど。

――潜水艦に入ってからはそれほどドラマがありませんからね。捕虜になったときのために、軍医長が青酸カリを渡そうとするけど渡せないくだりとかはありますけど。

丸内 あとは、木村功たちがいよいよ搭乗するときに、タオルを持ってくる一等水兵の手が震えてるけど、自分としてはああいう人を丁寧に描いてほしい。

――発進直前に水兵が岡田英次に鼠を渡しますけど、シナリオだと油虫なんです。「冬の撮影で油虫が入手できなかったであろうということはわかるが、作家としては心残りのことであったろうと思う」と小林勝さんも書いていますが。

荒井 油虫と一緒に搭乗するほうがいいよね。

丸内 そっちのほうがいい。

――映画とは離れますが、回天という兵器は凄いですね。それだけ戦局が悪かったんでしょうけど、魚雷に人間を乗せるという発想はなかなか思いつかないなと。脱出装置も通信装置もなくて母艦を離れれば生きては還れないので、海軍はずっと開発を反対していたそうですね。

荒井 閉所恐怖症だから考えるだけでも嫌。子供の頃、考えなかった? 特攻兵器に乗るとしたらどれがいいだろうかと。

丸内 考えましたね。大和とかゼロ戦とかプラモデル作ってましたから。やっぱゼロ戦でした。

荒井 特攻兵器は飛行機が最初だけどさ、作ろうと言い出したのは回天のほうが早い。1943年頃、まだ日本がそこまで追い詰められていない時期に考案している。魚雷がたくさん余ってたんだよ。駆逐艦や巡洋艦が使っていたんだけど、ミッドウェー海戦(※脚注2)で船がだいぶ無くなって、もう艦隊決戦ができなくなった。それで魚雷が千本から二千本余っていたから、魚雷に操縦席をくっつけようと考えた。スピードと破壊力が日本の作った兵器のなかで魚雷は優れものだったらしいから、勿体ないと。

――特殊潜航艇の搭乗員だった黒木博司中尉(当時)と仁科関夫少尉(当時)という二十歳過ぎの青年が、九三式魚雷に着目して、回天を構想したそうですね。

荒井 黒木は回天の訓練中に殉職したんだよ。海底に沈んで、酸素がなくなるまでの12時間ぐらい事故原因についてレポートを書いていた。

丸内 潜望鏡があんなに短いとは知らなかったから、映画を観て驚いた。

――暗くて何も見えないから海の中では使えないんですよ。それと、回天自体の耐圧が水深80メートルまでなんですが、敵の攻撃を回避するには100メートル潜らないといけない。でも100メートル潜っちゃうと水圧で回天に不具合が生じる。結局、敵に見つかったら終わりなんです。

丸内 そういうところまで考えていたら作らないよね。可能なことだけを隘路のように縫って考えていたということでしょ。

荒井 特殊潜航艇(※脚注3)も帰還するようには作っていない。真珠湾攻撃で十人の乗組員が五艇の特殊潜航艇に分かれて投入されて、戦死したのが九人だから九軍神と言われているけど、十人乗ったはずなのに九軍神はおかしいじゃない。昔の国民はそんなことも考えなかったのかね。その一人は捕虜になってたんだよ。結局、捕虜を隠していただけ。笠原さんは九軍神に感動して海軍に入ったらしいよ。

――仁科少尉も九軍神に憧れを抱いていたみたいです。

荒井 出撃して死んだのが86人、訓練中の殉職が15人、自殺が2人。戦果が駆逐艦一隻に油を運ぶ船が二隻らしいけど。これも戦果は上げられなかったんだけど、飛行機のほかにあるのが、ロケットを人間が操縦する「桜花」。ベニヤで作ったモーターボートに爆弾を積む、海軍水上特攻艇「震洋」。作家の島尾敏雄はその隊長(第十八震洋特攻隊隊長)だった。当時、後に結婚する島尾ミホさんと恋愛していたんだけど、島尾敏雄に出撃命令が出て、ミホさんは、島尾敏雄が出撃したら自分も死のうと覚悟していたところで終戦になったんだよ。そのことを島尾敏雄は小説(「島の果て」)にしている。駐屯していたのが加計呂麻島で、この前、島のことが新聞に出ていたけど、震洋の基地があったことは一行もなくて、寅さんのロケがあったことが書いてある。見たことないから分からないけど、リリー(浅丘ルリ子が演じたマドンナ役)の故郷なんだってさ。なんでリリーのことを書いて、島尾敏雄のことを書かないのかね。

丸内 神風特別攻撃隊にしても、パイロットの士気が落ちるから反対されてるんですよね。大岡昇平の「レイテ戦記」にありました。

荒井 海軍中将の大西瀧治郎も最初は「特攻は統帥の外道である」と反対していたけど、マリアナ沖海戦(※脚注4)で日本が一方的に敗れて、指揮する第一航空艦隊の稼動機数も40機程度しか残っていなかったから、やむを得ず特攻作戦に踏み切った。大西の考え方はあまり伝えられていないけど、体当たり攻撃を続けて天皇に伝われば、天皇はきっと戦争を止めさせるのに違いないと考えていたのに、天皇は「よくやった」と褒めたんだよ。それでやめられなくなった。

丸内 最初の攻撃のときは、天候も悪かったらしいんですけど、敵機が見つからなくて、三、四回ぐらい行っては帰りを繰り返したらしい。パイロットも躊躇ったんでしょうけど。

荒井 最初の特攻隊員は、敷島隊隊長の関行男という人なんだけど、指名されたときは一晩考えたらしい。結婚したばかりで、年老いた母親もいたから。結局応諾して、マバラカット基地で海軍報道班員のインタビューに「僕には体当たりしなくても、敵空母に50番(500kg爆弾)を命中させる自信がある。日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんてね。僕は天皇陛下のためとか日本帝国のためとかで行くんじゃないよ。KA(海軍の隠語で妻のこと)を護るために行くんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ、すばらしいだろう」と答えている。アメ公に嫁が犯されるのを阻止したい。愛する人のために死ぬんだと。腕のいい、優秀なパイロットだったんだよ。敵甲板に爆弾を落として帰ってこられるのに、体当たりとはなんだって話だよね。だから二人ぐらい特攻に反対する人間がいて、大西も言い返せなかったらしい。

丸内 軍人でも、合理的な考え方をする人と精神主義的な人に分かれますよね。硫黄島の栗林は合理的に考えて、海軍の猛反対を押し切って大砲を山の中に引き上げて抵抗した。レイテ島の戦いは逆で、水際で闘ったから失敗している。本当に全滅する危機までいったら止めるべきだ、という考え方を持っていた軍人がいても、言えない状況だったんでしょうね。

荒井 だけどね、日露戦争の時は、いつ止めるかということを考えながら戦争をしていた。日露戦争もここまでが限界だということで止めるわけじゃない。止めた挙句にこれだけしか賠償金が取れなかったのかと国民が焼き打ちしたりするわけでしょ(1905年、日比谷焼打事件)。でも、明治の頃の指導者は優秀で、これ以上やってもどうにもならないと判断したんだけど、太平洋戦争はそれが出来なかった。山本五十六が、半年か一年なら持つということで真珠湾を攻撃したんだけど、見事に半年後にミッドウェー海戦で連合艦隊は致命的な敗北をする。勝つまで止めないという考え方で戦争やられてもねえ。特攻も海上特攻と言われた戦艦大和もそうだったけど片道の燃料。帰ってくることを考えないわけだよね。

――帰ってきたら生き恥だ、と。

荒井 何度も出撃させられるわけ。だって飛んだ途端に神様になっているわけだから。特攻と言っても、「必死」というのが微妙なんだな。回天を作るときも、脱出装置を付けるかどうかで議論があったけど、ネックになるのが脱出したって敵の軍艦近くで脱出することになるから捕虜になる。それは無しだろうと。武器も飯もないけど、降参してはいけない。日本軍の戦死者の六〜七割は戦闘で死んでないんだよ。飢死に、病気。降参しないで、ジャングルのなかで戦友殺して喰っているのがOKという発想が凄い。そっちのほうが悪いだろう。

――その思想はどこから来ているんですかね。武士道と繋がっている雰囲気はありますが、必ずしもそうではないですよね。

荒井 武士道って明治でしょ、国民道徳として強調されたのは。主君に対する絶対的忠節といっても明治の主君は天皇しかいないんだし、天皇制を補完する道具だよ。戦国時代の武士なんて下克上でしょ。裏切りということが、そんなに卑劣なことではないという考え方は戦国時代にはあったんじゃないの? 戦国時代は主君を替えても非難されなかった。藤堂高虎は6回替えてて、懸命に働いてもその働きに気づかぬ主君なら、その家を去れという遺訓を残している。日露戦争ぐらいまでは国際的な規範があったから捕虜も大事にしたんだよね。それがどこかでおかしくなっちゃった。東條英機の「戦陣訓」(※脚注5)のせいにされているけれども。

丸内 俺も幕末を少し調べたりして、西郷隆盛も国際法のことは知っています。戦う者同士、一旦戦争の決着が着いたら扱いはちゃんとしないといけないとか。

荒井 だけど、戊辰戦争までは、会津にしたことを考えればとんでもないわけじゃない。女を犯して殺すわけだから。薩長がね。ところどころ出てくるけど、内臓を喰うんだよね。薩摩なんかの風習なんだけど、「肝試し」ってそれが語源だってなんかで読んだ。そういうことをつい140年前までやっていた国なんだよ、日本は。

丸内 そういう側面は戦国時代からありますよね。首を斬らないときは耳を削いだり。朝鮮からは重くて首を持ち帰れないから耳を持って帰る。京都に耳塚があるんだけど。

荒井 手柄の証拠だからな。だけど、自分たちで「捕虜は恥ずかしい」と決めて、じゃないと天皇の軍隊の戦意が保たれない。捕虜になる発想がないから、捕虜にする発想もない。だから、南京大虐殺が起こるんだよね。日本は自分たちの飯も現地調達なんだよ。自分たちの飯もないのに捕虜の飯なんかどうするんだ、ということで処分した。

丸内 フィリピンのバターン死の行進(※脚注6)もそうですよね。食い物を与えずに歩かした。糧秣の補給が足りないから、捕虜は二の次。それでバタバタ死んで。アメリカは大輸送船団が食糧や弾薬、キャンプ用の資材とかを運んでくるのに。

荒井 それから飛行機が堕ちてもちゃんと救助する。アウトレンジだから大丈夫だろうと思っても平気で追いかけてくるんだよ。燃料がなくなって堕ちても駆逐艦が拾いにくる。日本は拾わないからね。

丸内 ただ、映画を観ていると、こんな魚雷で攻撃が出来るわけがないよなと改めて思った。でも当時の軍人は、そういうことを思わないんだろうね。何とかならないかと必死だから。

荒井 普通の魚雷じゃダメだから、人間に操縦させたら当たるんじゃないか、という発想なんだよね。

丸内 一式陸攻から発進する有人誘導ミサイルともいうべき特攻ロケット機「桜花」にしても、零戦の特攻用の250kg爆弾にしてもそうだけど、作戦上の論理も実は破綻している。重い桜花を積む一式陸攻は動きが鈍くて恰好の標的だし、ゼロ戦は250kg以上の爆弾を積むと、操縦がままならない。半年ぐらいの訓練で搭乗する場合もあるから、パイロットの質もどんどん落ちていたらしいし。

荒井 発艦はできるんだけど、着艦できないんだよ。

丸内 出撃しただけで帰ってきたりね。フィリピン戦なんか特に差がついて。

荒井 人的損害だけだよ。アーマーという戦闘機の防御を、アメリカは人間を大事にするから厚くするんだけど、日本は機体を軽くするために防御が薄い。だから撃たれたらすぐ穴が空く。それでどんどんパイロットが落ちるわけ。

丸内 将官とか参謀が飛ぶときは、アーマー装着の飛行機に乗るんだよね。山本五十六は、防御の薄い一式陸攻に乗っていたから簡単に撃ち落された。

荒井 桜花も回天もそうだけど、敵に近づくまでが大変なわけじゃない。母艦に近づきすぎると狙われるし。戦死が86人だけど、潜水艦が撃沈されて死んだのが843人。8隻潜水艦がやられている。駆逐艦を一隻撃沈したのが一大戦果で、相手が110数人死んでいる。それでも効率悪いよね。特攻隊にしたって、敵の艦船に辿り着く前に撃ち落されているわけじゃん。沖縄戦の桜花を積んだ一式陸攻は全滅。

丸内 「レイテ戦記」を最近読んでビックリしたのは、台湾沖航空線(※脚注7)は日本の大勝利に終わったとして国民大会も開かれたんだけど、その勝利は誤報が原因だったということ。もともと大本営は戦果を水増しして発表しているんだけど、台湾沖航空線は誤認だった。未熟なパイロットが水平線スレスレで逃げるときに、背後で日本軍の飛行機が燃えているとアメリカの空母が燃えているように見えるんだって。でも海軍は誤報だと気づいても陸軍には報告せずに隠した。面子もあるし、今更言えないと。そういったケースがいくつもあったらしい。

荒井 マリアナの海戦だってさ、アメリカの空母五隻、戦艦一隻、飛行機を百機以上落として、日本軍は空母一隻に飛行機五十機の被害。でもそれは逆なんだよ。だけどそういう情報もそうなんだけど、昭和20年になって、もう全部嘘だと天皇も分かっているわけですよ。それでいつ降伏するかという話なんだけど、負けたら天皇家はどうなっちゃうのか、三種の神器はどこへいっちゃうのか、それだけを心配する。とんでもないよ。『太陽』(07)で「国民がみんな死んで自分だけになるんじゃないか」という鋭いセリフを言っていたけどね。発想はそうなんだよ。だから広島の原爆投下があってもまだグズグズしていた。ポツダム宣言の無条件降伏に対して、天皇家が保証されるかどうかの条件交渉をしているわけ。天皇家を残してくれるかどうか。その一点だけのためにグズグズして原爆が落とされた。ソ連が参戦した。どうも天皇家は残すらしいということで玉音放送をする。ポツダム宣言が出されてから8月15日までの間に38万人死んでる。とんでもないよ。

男性A 日米開戦のときの天皇はどのような考えを持っていたんですか?

荒井 二・二六事件の影響だね。ここで開戦に同意をしなかったら殺されるか、代わりに秩父宮が擁立される。それでビビッた。二・二六事件がジワジワ効いてくるんだな。

丸内 秩父宮と仲が悪かったんですよね。

荒井 お父さんが違う、というのが笠原さんの説だよ。大正天皇は頭の病気だと云われているじゃない。だから子供ができなくて、みんな顔が違う。裕仁、秩父宮、高松宮、三笠宮、全部父親が違うと。お母さん(貞明皇后)は秩父宮を産んだ男が一番好きだったわけ。だから秩父宮を一番可愛がっていた。二・二六事件のとき、安藤輝三は秩父宮と仲が良かったんだよね。彼らの決起の報を聞いて、秩父宮は弘前連隊にいて上京してくるわけだよ。それで天皇が怒ったわけ。どうして来るんだ、転覆する気か、と。それで大宮辺りに止めてた。そしてもう一回危機がある。それが終戦のとき。戦争責任問題で、自分が退位させられて秩父宮が擁立されるんじゃないかと思ったわけ。高松宮も戦争を早く止めろと言ってたんだけど、それも気に入らなかったみたい。

丸内 さっき「今、生きていることがありがたい」と言ってたことにビックリしたんだけど。

男性A 今は生きにくい生きにくいと言われているけど、当時は死ぬことしか選択肢がないじゃないですか。今の自分たちは生きるか死ぬか選択肢がありますけど。

丸内 靖国神社付属の遊就館の出口に感想を書くノートがあるんだけど、同じように「今の時代に生まれて幸せだ」というようなことを多くの若い人が書いてます。

男性A それはいけない考えですか?

丸内 俺は全然そういう風に思わないから不思議な感じがするんです。戦争は起こした人がいるわけでしょ。なんでそのことを考えないのかなと。生きる選択肢がない、という前提では俺は考えないから。

荒井 運命とか天災じゃないんだから。人災なんだから。

丸内 なんでこうなったんだろうと考えるのなら、まだ違うけど。

荒井 だから、この映画で不満なのは、なんで自分たちはこんな状況になったんだろうという説明がないんだよ。日本の戦争の捉え方って地震みたいなさ。だから加害の意識もないし、空から原爆が落ちてきた、と。でも空から原爆を落としている人たちがいるわけだし、落とさせる原因を作った人もいるわけ。そういうのを全部取っ払って「過ちは二度と繰り返さない」って、誰の過ちなんだよ。自分たちじゃない。9・11だってそうだよ。急にテロがあるわけじゃないじゃん。アメリカだからやられているわけ。アメリカ人は選挙権があってあの大統領を選んでいるわけでしょ。イラクの人は自分たちでフセインを選んでないよ。アフガニスタンもタリバーンを選んでないよ。

女性C それにしてもあの映画では「なんで俺が死なないといけないんだ」とバンバン言うから乗れなかった。「誰かのために死にます」と言うほうが乗れたんですけどね。

荒井 それは、喜んで死んだのか、嫌々死んだのか、どっちがいいかという現代の人の問題だよ。喜んで死んだことにしたい勢力と、嫌々死んだことにしたい勢力の話でしょ。死ぬしかなかったら、その理屈を自分で作らないと死ねないわけ。嫌々死ぬより喜んで死んだほうがスマートじゃないかとか、関大尉のように「天皇や国のためじゃない。女房のためだ」とか、あるいは親のためだ、兄弟のためだ、という理屈の付け方だよ。理屈が正しいかどうかは別問題。

丸内 自分のための理屈だと思うよ。死ななくちゃいけない、というのをどう受け入れるかだから。

荒井 「天皇陛下、万歳」と言って死ぬのが定番だけど、「お母さんサヨナラ」と言って死ぬのか。どっちをチョイスするかだよ。お母さんサヨナラが本当だとか、本音だとか言うのもね。本気で天皇万歳と言った兵隊もいたと思うから。

女性B まず、なんであのメンバーが集められたんですか。

丸内 それは木村功たちの描き方を見れば志願したんじゃなくて選抜されたのは分かるよね。

荒井 建前では、特攻隊員は志願ということになっているけど、嫌と言えないんだ。

男性A 教育もされていたんですよね。

荒井 それは日本全体がそうでしょ。特攻隊ではヒロポンという覚醒剤も配ってた。それでハイになって出撃する。そんなクスリでごまかさずに、みんな喜んで行ったんだと田母神のように考えるか、いやいや行ったんだろうなと俺たちみたいに考えるかの違いだけだよ。沖縄戦で特攻した慶應の学生が出撃前夜に「権力主義の国家は一時的に隆盛であろうとも必ずや最後には敗れることは明白な事実です……明日は自由主義者が一人この世から去っていきます。彼の後ろ姿は寂しいですが、心中満足でいっぱいです」と書き遺している。

女性B 全然関係ない話ですけど、学生が兵隊に行ったのと、寿司屋のおじさんが兵隊に行ったのではどっちが(兵隊としては)偉いんですか?

丸内 階級があって、一水というのは一等水兵。大学を出て入ると尉官から始まるんですよ。少尉、中尉とか。鮨屋のおじさんは逆立ちしてもなれない将校。

荒井 殿山泰司とか加藤嘉は、赤紙で招集されたんだよ。

丸内 兵隊は若いやつしかとらないんだけど、戦局の悪化で30過ぎでも招集されるようになった。

荒井 学生から入ると、半年ぐらいの訓練で将校待遇になる。下っ端から始めなくていいわけ。それが予備学生。

丸内 学歴の差は大きい。本当の将校は士官学校を出て将校としての訓練をする。

荒井 技術がないから、特攻隊員は学生上がりが多い。プロのパイロットは本土決戦用に温存したの。関大尉は職業軍人だけど、最初は職業軍人じゃないと誰も後に続かないから兵学校出の関大尉が選ばれた。ほとんどは予備士官。消耗品なんだよ。アメリカやイギリスは、兵隊になっても前の職業、得意分野を生かす。頭が良いなら暗号解読班に配属するとか、映画監督ならジョン・フォードやデビット・リーンなんかに戦意昂揚映画を撮らせるわけ。日本がダメなのは誰でも全員兵隊にしちゃう。山中貞雄や小津安二郎を兵隊にしても仕方ないじゃん。結局、小津安二郎は帰ってきたけど、山中貞雄は戦病死するわけ。そういうバカなことをする国なんだ。
「論座」2007年1月号に、「丸山眞男をひっぱたきたい31歳フリーター。希望は、戦争」というフリーターの論文が掲載されて話題になったんだよ。東大の先生の丸山眞男が二等兵として徴兵されて軍隊で制裁を受けたことを肯定的に捉えて、それこそが平等じゃないかと。戦争になれば、金持ちも貧乏人も同じになると。だけど、軍隊に入っても平等じゃないんだ。軍隊にも給料があって、サラリーマンと同じなの。大将が一番高くて、二等兵が一番安い。でも先に死ぬのは二等兵で、一番給料を貰っている大将は最前線には出ないから戦死しない。天皇が助かっているのと同じ。天皇は自分の子供を那須に疎開させていたんだから全然平等じゃない。あの論文を書いたやつはバカなんだ。大西巨人の「神聖喜劇」は、軍隊は平等じゃありませんよ、シャバの階級がそのまま持ちこまれるんだよ、差別があるよ、と書いている。

(2009年3月28日 buraにて)


【脚注】

脚注1 きけわだつみのこえ…第二次世界対戦末期に戦没した日本の学徒兵の遺稿集。学徒兵の多くが己の学業が心ならずも頓挫し、自分が異常な状況に置かれていることを深く見つめた内容を記述しており、当時の軍国主義的潮流下にあった戦陣訓世代などと呼ばれていた人々の評価を覆すものとして衝撃を与えた。しかし、当時はごく少数であった高等教育を受けたインテリの文章を集めたものであり、人間本来の死ではなく、インテリの死だけを美化したのではないかとの意見や、インテリと教育を受けていない一般民衆との間には価値観の違いがあり、一般民衆の戦争観の視点に編集側が欠けているのではないかとの批判もある。

脚注2 ミッドウェー海戦……1942年6月5日から7日、ミッドウェー諸島沖で起きた海戦。山本五十六は大本営と対立しながらもミッドウェー攻略を立案。しかし、アメリカのニミッツ大将は暗号解読により日本の作戦はわかっていた。アメリカ海軍も航空母艦1隻を失ったが、日本海軍は航空母艦4隻を失う大敗北を喫した。また熟練搭乗員を大量に失ったことによって、この海戦で失った戦力を二度と復活させることはなかった。開戦から6ヶ月目に当たるこの戦いの敗北以降、日本の戦局は徐々に悪化し、開戦後2年が経った1943年の年末には日本軍の敗色が濃くなったため、後年、太平洋戦争の転換点とも評されるようになった。

脚注3 特殊潜航艇……敵泊地への潜入攻撃に使用された。機密保持のため、「甲標的」と呼称され、「A標的」や「H金物」とも呼ばれた。先端部に魚雷2本を装備し、真珠湾攻撃などに実戦投入されたが、雷撃直後に反動で艦首が持ち上がる欠点があり、襲撃に失敗し未帰還となるものが多かった。こうした欠陥などは搭乗員たちも認識しており、それが回天の開発にもつながっていく。

脚注4 マリアナ沖海戦……1944年6月19日から20日にかけて、マリアナ諸島沖とパラオ諸島沖での海戦。日本は艦載機の航続距離が敵よりも長いことを活かし、敵の艦載機の圏外から先制攻撃を仕掛けるアウトレンジ戦法で臨んだ。だが当時、すでにアメリカ海軍は高度なレーダー装置を配備した迎撃システムを持っており、砲弾の中にレーダー発信機がセットされたVT信管を仕込んだ新型砲弾で迎撃した。

脚注5 戦陣訓……1941年1月8日に東條英機陸首相が全陸軍に通達した戦陣訓は、中国戦線の泥沼化にともない中国占領の将兵の士気の低下と軍規の乱れを憂慮し、皇軍道義の高揚をはかったものである。しかし「生きて虜囚の辱めを受けず」一条が絶対化されて捕虜となることが厳しく否定されるとともに戦争末期に日本軍の各地での玉砕をもたらすことになった。

脚注6 バターン死の行進……バターン・デス・マーチとも呼ばれる。1941年12月のフィリピン攻略の際、ルソン島のバターン半島に陣を構えたアメリカ比軍と日本陸軍の間で戦闘が行われていたが、1942年4月9日、アメリカ比軍が降伏。日本軍は捕虜の移送用装備(トラックなど)をほとんどといっていいほど持っておらず、病気や栄養失調の捕虜を自力で歩かせることになり、半島先端のマリヴェレスから北方のオドネル収容所まで、約100キロを徒歩、サンフェルナンドからカパスまで列車、さらに徒歩12キロで行進させた。そのため、食糧不足、熱帯病ですでに限界状況で捕虜となった兵士たちに多数の死者が出た。東京裁判での連合軍調査によると米兵11000名、フィリピン兵62000名が7日から11日で行進させられ、同年8月1日までに米兵1522名、フィリピン兵2900名の死亡者を出した。

脚注7 台湾沖航空戦……1944年10月12日から16日まで、日本海・陸軍基地航空部隊が行ったアメリカ海軍機動部隊との戦闘。マリアナ諸島の占領後、アメリカ軍がフィリピン奪還に向け、沖縄・台湾・フィリピン北部の基地を空爆したのに対し、日本軍は防衛作戦のために用意していた航空隊をアメリカ軍艦隊追撃に投入した。参加兵力はアメリカ軍がエセックスなどからなる空母17隻(航空機約1000機)を主力とする総数95隻。日本軍は海軍爆撃機銀河や艦上攻撃機天山、陸軍四式重爆撃機飛龍など4日間に延べ約650機が出撃。損害は日本軍が航空機312機、アメリカ軍が重巡洋艦・ヒューストンとキャンベラの大破のみだったが、大本営発表は「空母19隻、戦艦4隻、巡洋艦7隻、艦種不明15隻撃沈・撃破」。日本海軍首脳陣はこの大戦果の報を信じ、そのため後に特攻という手段をとらざるをえなくなった。

★荒井晴彦が勧める特攻関連書籍
「特攻とは何か」森史朗 文春新書
「不時着 特攻――「死」からの生還者たち」日高恒太朗 文春文庫
「特攻 最後の証言」アスペクト
「図説 特攻」河出書房新社
「学徒兵の精神誌 「与えられた死」と「生」の探求」大貫恵美子 岩波書店
「指揮官たちの特攻」城山三郎 新潮社
「特攻」読売新聞大阪社会部 角川文庫
「「特攻」と日本人」保阪正康 講談社現代新書
「特攻体験と戦後 〈対談〉島尾敏雄・吉田満」中公文庫
「昭和天皇の終戦史」吉田裕 岩波新書
「マンガ 日本人と天皇」雁屋哲 いそっぷ社
「「戦争体験」の戦後史 世代・教養・イデオロギー」福間良明 中公新書
「特攻隊振武寮――証言・帰還兵は地獄を見た――」大貫健一郎、渡辺考 講談社
「往きて還らず」団鬼六 新潮社
posted by 映芸編集部 at 10:44 | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする