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2010年03月04日

書評「ジャ・ジャンクー『映画』『時代』『中国』を語る」
月光仮面は誰でしょう
若木康輔(ライター)

 このサイトでは珍しい書評を書く。ジャ・ジャンクー自身の筆による本。
 ジャンクーといえば。去年、招待されていたメルボルン国際映画祭で世界ウイグル会議のラビア・カーディル議長に取材したドキュメンタリーが上映されることに抗議、出席を拒否したニュースが報じられた人である。あくまで本人の意思による欠席だと間もなく分かり、途端に話題になることがめっきり減ってしまった人である。
 当局からの圧力に屈せずインディペンデント製作を進めて来た〈中国映画第6世代の麒麟児〉が、体制側に立ったと捉えかねない発言をしたのだ。そりゃあ当面は話題にしにくい。映画ファンほど反体制のヒーローが好きだから、がっかりもする。こういう時こそ、ジャ・ジャンクーさんがどんなことを考え、書いているのか読んでみましょう。

ジャ・ジャンクー本 写真(小).jpg

 本著は1996年から2008年の間にジャンクーが書いたエッセイや演出ノート、地元の紙媒体や「カイエ・ドゥ・シネマ」への寄稿などからなっている。つまり、アジア圏内ではほぼ無敵状態だった人気と評価に水を差した去年の発言までは、収録されていない。〈これがメルボルン辞退の真相だ!〉的な内容を期待する人には、あらかじめお断りしておく。でも読めば、ジャンクーがなにを考えながら映画監督のキャリアを積んできた人か、よく分かる。そこがよく分かれば、この人は芯のところでブレがあまり無い人だと理解できる。
 本題に入る前に、核心の部分をまずハッキリ言ってしまおう。ジャ・ジャンクーは本質的に、反体制の人ではなかった。むしろ、もとから中国文化の主流を目指しまた自認する、王道もいいところな人だった。

 それにつけても、ジャ・ジャンクーの文章はいい。ここまでいいと、ほとんど文芸書。
 内省の細やかな筆致は、フィルモグラフィに一貫する、現代中国の現実に直面する個人を描く姿勢を裏打ちする。この人が著す人生観と映画での演出スタイルは、ほぼ同根だ。
 北京電影学院(チェン・カイコーもチャン・イーモウも出た中国最大の映像教育機関)に23歳で進むまでは、山西省の地元で広告デザインの仕事をしながら小説を書いていたという。文学青年だった、と本人が述懐しているのだから納得。
 実は、この本を読んだことを誰にも言わず、自分の文章の貯金にしてしまおうかと誘惑にかられる箇所がいくつもあった。

「わたしはその時自身の内面的経験の価値に気づきました。これは映画創作が軽視している部分であり、優越感に満ちた映画システムが理解しようとしない世界です。……人間はみな時間に向かい合い、同じような生命への感慨を受け入れなければなりません。これはわたしにさらに自らの経験を尊重させるのです。」
「芸術の機能とは、我々に告げること、既成事実の方が間違っているのだ、と告げることです。我々がどうしてまた、フィルムを通して我々にとって不愉快な既成事実に立ち向かい続けているのか、それは我々が変わるため、我々がさらに幸福に自由になるためではないですか」

 などなど。批判の場合も冴えている。「(第5世代の作る)大作映画は、つまらないと分かっていても出席せざるを得ない会議のようなもの」と言ってのける文才の、まあ切っ先鋭いこと。
 いいこと言う、とつくづく思い、(使えるぜ、おい……)とも悪魔が一瞬囁いてきたのだが、

「わたしはいつも文化と本の知識は全く同じものであるとは思っていません。多くの本を読み、学があるような人物に見えても、そうしたいわゆる学問とはかれが周囲の人を見下げるための資本を増やす以外に、何らかれの人としての基本的な態度に影響を与えることはないのです。そうした人の眼には、知識とは金銭と同じで、実用的な流通の道具に過ぎないのです」

 と警告している文があるのにも気づいて、アタタタ……でした。
 で、文章がいいというのは、きっと翻訳もいいからだと思われる。奥付の紹介によると訳者の丸川哲史、佐藤賢はそれぞれ東アジア文化論、中国文学が専攻。他分野の方が映画本を訳すと作品の日本語題名がいい加減だったりすることがままあるが、この本はとてもキメが細かい。丸川氏は解説で、「ジャンクーの文章には魯迅を彷彿とさせるところがある」と書いている。それは訳文を読んでも理解できる。彼の長編1作目『一瞬の夢』(98)は、ケ小平の南巡講話で市場経済が浸透した世間に置いてけぼりをくらうスリの物語だった。今更ながらに、ああ、あれは現代を舞台にした「阿Q正伝」でもあったんだ! と思い当たる。
 書籍編集のほうは門外漢なため少しつっかえた言い方になるが、なんというか本著は、手に取った時の感じが快い。丁寧に人の手や目が入って作られたものだ、と思う。紙質や装幀、レイアウト云々についてよく知らなくても、清潔で几帳面なものが伝わる本と伝わらない本の違いは、生理で分かる。もしミスを見つけたとしても、大雑把なデータの流し込みでろくに校正してねえな、と察しがつく本と、これだけちゃんと作っても抜け落ちはあるのか……と残念に思わせる本には差があるということ。もちろん、本著は後者だ。

 そんな良著に、遠慮なく鉛筆で印をつけたり書き込みしたりしながら読み進めて、やっとジャ・ジャンクーがなぜメルボルン映画祭出席を辞退したか、僕なりに呑み込めてきた。
 転向とか日和ったとか、そういうことではない。答えは実はカンタンで、ひとえにジャンクーが漢民族だからだ。叩き上げの努力でエリート階層に上がって来た男だからだ。ああ、そうか、ジャンクーがこだわり、見つめる市井の人々とはあくまで人口の大多数を占める漢民族のことで、少数民族は視界に入っていなかったんだ。ウイグルで起きた暴動を、市井の暮らしを不安に陥れる暴力行為と捉える側の社会で生きている人なんだ……。

 中国の現在の人権意識、少数民族への(同化強制に限りなく近い)政策に対しては、それぞれの意見がありましょう。僕はここでちょっと、2年前に中国へ仕事で行った話をする。
 番組取材のメインの土地は、最も少数民族が多い雲南省だった。当局に新しい住居を用意され、観光用に整理された伝統芸能で収入を得る人たちから個人の言葉を聞き出す難しさを、現地で初めて肌で知った。「中国は中国人の国じゃなくて、漢民族の国だったんだね……」と、ディレクターと高地のホテルで十数回は溜息をつきあったが、少数民族出身のガイドさんの侠気に救われることも何度もあり、この人に中国を教わったようなものだった。ガイドさんと別れて東に戻り、最後に寄った上海は人から何からまるで別世界で、同じ国とはとても思えなかった。
 以上の経験を思い出したうえで僕は、今や中国、いや漢民族の文化的リーダーであるジャ・ジャンクーのメルボルン辞退は彼の立場と、当時の彼を取り巻く社会常識においては正しい選択だった、リベラルの視点からのみで批判するのは一面的になる、と了解する。僕だってニュースを読んだ時はジャンクー大兄への信頼の念がガラガラ崩れるような気分だった。でも、まずは理解するところから始めねばならないと思う。北京に住む人のほうが遠くて見えにくい、ということもあるのだ。もし東京で活動する映画監督にアイヌ民族について聞いたとして、正しい認識と見解を即座に述べられる人が何人いるだろうか。イジワルで言ってるのではない。1人もいなければそれはかなりさびしいけど、全員に求めるのもまた、現実的ではない。
 大体において僕たちは、勝手にジャンクーをヒーローに仕立て、勝手に幻滅しただけなのではないか? もっと言えば〈インディペンデント映画の雄〉という清廉なイメージが定着する過程においても、ヨーロッパでの評価を鵜呑みにしてきた嫌いはないか?

 さきほど本著はジャンクーの内省の細やかな筆致が際立つ、と書いたが、よくよく読めば端々には、高慢スレスレの(まさに漢民族らしいと言えば言えてしまう)自尊心の強さが垣間見える。だが、それもジャンクー個人の性格的なものとばかりは言えない。なにしろ本著は、科挙から始まる官僚主義の歴史がとんでもなく長い国でのサクセスストーリーとも読める。山西省の田舎出身、格別誇れるような家柄でもない青年が花の大都会・北京へやってきて。良家の子弟に囲まれたなかで我れ何事か名を成さん、と決意した以上、ツッパるべき時にはツッパり通さなければ生きていけないのだ。
 ただしそんなアクも、例えば「矢沢永吉激論集 成りあがり」や「アントニオ猪木自伝」なんかの濃さと比べれば、はなはだ淡白なもの。むしろ我の強さをハッキリと自覚してコントロールにつとめ、文革後の貧しかった少年時代を忘れないよう心を砕いている様には好感が持て、フィルモグラフィの魅力の源泉が見えるようだ。エリートがブルジョワ意識に陥らず、大きく変化する社会のなかでのふつうの暮らしの価値観に、いかに謙虚に目を注ぐか。そこを作家的良心とするジャ・ジャンクーは松竹大船イズムの正統な後継者である。そんな仮説も、十分に可能なのだ。

 ではなぜ、作家としてめざすところは極めて王道なジャ・ジャンクーが、当局の審査を通さずに作品を製作・発表する非合法なキャリアからスタートしたのか。中国国内で出世しようと思えばマイナスの選択だったはずではないか、という疑問が出てくる。
 ここが本著の、日本のインディーズ・シーンを考えるうえでも参考になるポイントなところ。
 本人によれば、90年代半ばの中国映画界は完全な商業化か完全なイデオロギー化かのどちらかに硬直していて、市場導入で急激に変わる世情と若い世代の心情を描く柔軟性、つまりユースカルチャーの存在を著しく欠いていたという。

「わたしは、そうした状況はこの仕事に携わっている者にとって本当に恥辱であると感じました−少なくとも良心から言えば、わたしもいまここにある雰囲気をしっかりと映し出す映画を作り出す方法を考え出さなければならないと思いました」

 こうした決意に示唆とヒントを与えたのが、〈第6世代〉のパイオニアにあたるチャン・ユアンら学院の先輩たちの活動だ。ユアンの『北京バスターズ』(94)を僕もシネマアルゴ新宿で見ている。リアルタイムのアンダーグラウンド映像に接している、というドキドキ感は海の向こうのこちらにも鮮烈だったのだ。同じ北京にいる学生なら桁違いのショックだったろう。
 それに、奇しくも当時はビデオカメラが大陸に普及しつつあり、映画が映画人にしか作れない特権である時代は間もなく変わるという予兆があった。
 つまり当時のジャンクーは、時代の中で生きる人たちの現実生活を描く(文学で魯迅や老舎が成してきたような)誠実な作品づくりを行うためには既存の映画体制から距離を置くしかない逆説的な状況にあり、また、それが可能な歴史的タイミングに居合わせた、ということだ。在学中に作った処女中編『小山の帰郷』(96)が香港で賞を取り、出資者が名乗り出る幸運に恵まれて、早くから海外マーケットの協力を味方にする方法論を得たのも大きいだろう。
 重要なのは、ジャンクーにとってインディペンデントは本拠ではなく遊撃の場であり、いずれは中央がオレを放っておかなくなる、という自信と確信からスタートしている点だ。

「わたしが論じたアマチュア映画とはアマチュア精神のことであり、この精神と対峙するのは陳腐な映画の創作方法であり、特に映画制度である。しかし作品には非常に高いものが求められるべきなのだ。DV(デジタルビデオカメラ)は映像の革命的な進歩を獲得したが、他方で、撮影する権力が容易く獲得されることから、作者が、非常に軽率になってしまい、それを大切にしなくなった」

 ジャンクーは実質的に、プロよりインディーズのほうが厳しい世界だと言っている。本当にやりたいものがあり、職業訓練しなくても質の高い作品が作れるほどの才能の持ち主以外はやがて死屍累々になる茨の道だと。引用した箇所の、日本の感覚からすれば排他的ですらあるシビアな物言いには、中国でインディーズ活動の只中にいた人間のリアリティをヒシヒシと感じる。
 その点、日本ではインディーズは自由、誰でも映画づくりに携われる解放区だ……と単純に胸を張ることができるかどうか。本サイトでは、深田晃司による連載「シリーズ『映画と労働を考える』」が始まった。「低予算の製作現場はスタッフの“情熱とやりがいの搾取”で成り立っている」と問い掛ける、かなり痛烈なものだ。ウヤムヤにされがちな、インディーズの一番の問題点。僕も改めてよく考えてみたい。

 現在の国内でのジャンクーは公的な映画製作停止処分が解かれ、作品の一般公開が認められている。とはいえ本著に書かれている通り、もともとの停止宣告の理由も脆弱なものだった。建前が大きいぶん矛盾も大きな国でアウトサイドからトップを狙う野心的な戦略は、成功を収めたわけだ。世界から〈アジアの若き巨匠〉と呼ばれる才能は、中華の宝。撮らせないわけがないのだ。
 しかし、今はまた、これまでとは違うかたちでジャンクーの「アマチュア精神」はカウンターの側にならざるを得なくなっている。
 中国映画界自体が03年からの規制緩和で、香港、台湾などの出資を得て中華圏全体にマーケットを拡げる大作路線を進めてきた。その飽和的な典型が、ジョン・ウーという名のスーパー・ビジネスマンがつくりあげた『レッドクリフ』二部作。高配収こそ正義という状況のなかで『四川のうた』(08)のように可憐な、歴史から個人の物語を編みといていく映画を作り、急激な経済成長がもたらした拝金主義への異議申し立てとして世に問うのは、相当に気骨のいることだったと思う。
 僕は『四川のうた』がとても好きだ。ただ、次の作品の方向性次第では意味合いが違って見えてしまうかもしれない危うさも抱えているのは確か。
 もはや、ジャ・ジャンクーはインディペンデントのヒーローではない。名実ともに映画界の中心に立ち、今後は権威としての新作発表しか許されない。これからのほうががんばりどころなのだ。

 最後に蒸し返すが、メルボルンの一件でジャンクーに幻滅した、もう新作も見ない、なんてのは気が早いですよ、とやっぱり言っておきたい。本著を読んで、ジャンクーが常に経験の蓄積と価値を大事にして映画を作ってきた作家だとよく分かったからだ。あの騒動はきっと、ジャンクーが自分の問題として少数民族と出会った最初だったのだと僕は夢想する。世界的なニュースになったことに対する困惑なり深慮なりは、本人のなかでだんだんと醸成されつつあるはず。いつの日か、それが形になるのを期待して待とうじゃないですか。

『ジャ・ジャンクー「映画」「時代」「中国」を語る』
賈想1996−2008 賈樟柯電影手記 (2009年)
著者:ジャ・ジャンクー
訳者:丸川哲史・佐藤賢
装幀:高麗隆彦
以文社
タグ:若木康輔
posted by 映芸編集部 at 16:56 | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする