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2010年03月26日

R18 LOVE CINEMA SHOWCASE VOL.7
『スリップ』(公開タイトル:熟女 淫らに乱れて)評 
那須千里(ライター)

 映像で語られたものについて活字で何かを言うことにはどうしようもなく無理を感じる。映像には映像で返すのが一番合っているし、その分伝える力は強いから、書いていてもどかしかったり虚しく感じることがほとんどだ。それでも書くのは活字にしなければ伝わらないことがあると思うからである。
 活字で書かれたシナリオを映像にする映画でも逆に同じことが言えると思う。もちろん映画は描写だけではないが、登場人物がどういう人でなぜシナリオに書かれているようなセリフを言い行動するのかを観る人に伝えるためには、設定通りの場所で俳優が芝居をするだけでなく、それをどう見せるかの描写がなければならない。『スリップ』にはある。しかも見せ方がとても面白かったので何だか嬉しくて興奮してしまったのである。

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 伊藤猛が演じる乾がどんな男であるのかはまずその肉体を見ればわかる。ひょろりと背が高く痩せて骨張った身体に黒いスーツを着た伊藤の風貌はもう若くはなく、枯れ木のようで生きた人間のエネルギーが感じられない。するとやはり彼は無職でアルコール依存症であることが明かされる。序盤に男女三人が出会う夜の自販機のシーンがあり、降りたシャッターを背景に飲料の自販機二台と伊藤が並んでいて、彼は自販機とほぼ同じ高さがあるのだが、明るいライトを放つ自販機の横でほとんど暗がりに沈んでいる。この、いるようでいない感じが乾という人間であると言ってもいい。
 だから彼と妻であるユウコ(速水今日子)の最初のカラミは異様である。ことを始める前に二人は並んで寝ているが、映っているのはユウコだけで、乾の顔は画面の外にある。と、横になったユウコの背中の陰からゆっくりと大きな手が起き上がってきて、その肩を抱く。これを見たときぞっとした。伊藤の左手が、死者のそれに見えたのである。二人はこれからの人生の計画について話しているけれど、赤いペディキュアを塗ったユウコと死者の手をした乾では完全に生きる力が釣り合っていなくて、悲しいぐらいに上手くいかない予感がする。結局、その直後に乾は酒をやめられなかったせいで8年間連れ添ったユウコから離婚届を突き出される。映画のシーンとしても物語の男女関係としても二人のカラミがこの一回きりなのはもちろん偶然ではない。

 ユウコに去られた乾は土手を転がり落ちる。その直前のカットで段ボールをかかえてふわふわと草の中を歩いているスーツ姿の彼がふいに倒れると、いきなりカットが切り替わって土手をごろごろと転がり落ちていく。またカットが変わるとそこは病院で、もう次のシーンに移っている。待合室にいる乾のかつての恋人ナオコ(ほたる)と老人(沖島勲)の会話から、どうやら彼は栄養失調で倒れたらしいということがわかる。しかし誰が土手を軽やかに転げ落ちる伊藤を観て、ああこの人はいま危険な目にあっているのだなと思っただろうか。それぐらい、長身痩躯の伊藤の倒れ様は軽快で、奇妙にも重力を感じさせない。下り坂とはいえただ転がっていくのを撮っただけでは、よほど急で滑らかな坂でない限り、そこまでのスピード感は出ない。それを三カットに割って小刻みにつなぐことで体が急変した勢いも生じる。
 これを観て一瞬で栄養失調のイメージが変わってしまった。もっと言うと乾はここで一度死にかけたのである。シナリオのこのシーンに「栄養失調で倒れる」とだけ書いてあったとして、本当に伊藤がその場に倒れて動かなくなるだけだったら、彼を襲った死の感覚はわからなかっただろうし、生と死の間を味わった男が離婚という問題に対してどのように考えて答えを出していくのかも伝わってこなかっただろう。

 別れに向かっていく乾とユウコに対して、ナオコとその恋人(守屋文雄)の関係は現在進行形である。夕食に招いた乾が出て行った後、彼らが家の階段を連れ立って昇っていくところがある。先を行くナオコにじゃれかかるようにしてそのお尻をつかむ守屋の所作には愛情のこもった遊び心があって、見ているだけで楽しいし、二人の仲が上手くいっていることも感じられる。
 その彼がナオコと乾が以前に恋人同士であったことを察して「つき合ってたのか?」と彼女に問い正すセリフがあるが、その声の調子が予想していたものとは全然違った。責めているわけではないが心穏やかともいえない、あんな言い方をするとは思ってもみなかったが、それを認めるナオコのよく通る声と逆光に映えるしっかりした後姿には、彼の気持ちも自分の過去もすべて受けとめていく覚悟が見える。とにかくこの映画は女が強い。

 それは乾夫婦も同じで、再会したユウコが自分を「わりに何やってても楽しいタイプ」と分析するのに対し、乾は「いつもいやいや起きて飯を食って寝る。ほとんど何もする気がなくて実際何もしない」などとはっきり口にしている。このときの彼は工場で働いてはいるもののホームレスである。そんなにつらくて悲しい生き方を長くは続けられないのではとユウコに聞かれると、「途中でやめるとよくわからない」と言う。つまり彼は何もかも最後までやり遂げたことのない男だったのだ。生きていて面白くないなら死を選ぶこともできたはずなのに、それすらも途中でやめてしまったから、生き続けるかどうかも自分では決められない。そんな彼が時間はかかりながらも離婚届にサインをし、自分の手でひとつの関係を終わらせたのはなぜか。
 夜にナオコたちの家をバイクで出た乾がトンネルを抜ける頃には空も明るくなり、橋の上で持ってきたおにぎりを食べる。ペットボトルの水で喉に流し込みながら口に入れている顔は苦しそうだ。だが離婚届を書くのはその直後で、彼はまさに食べることで決断する気力を得たのである。おそらく出発した時点ではまだ彼の決意は固まっていなかったのではないか。ひたすら走った後に腹が満たされて心にも余裕ができたのだろう。ユウコや自分のために離婚しようというより、離婚してもいいかなぐらいの気持ちだったようにも思う。

 終盤、ユウコが介護士として訪ねる老女のミヤコ(内田高子)の家に女三人が集まるシーンがある。庭の木に水をやっていたナオコ、布団を取り込んでいたユウコ、花を生けていたミヤコがそれぞれの仕事を終えてひとつの部屋で座卓を囲み、蝉の声が響く中を徳利と猪口で優雅に昼間からお酒を飲んでいる。年齢も立場も異なる女たちが男のいない時間を楽しんでいる姿は美しくたくましい。ユウコはバツイチでミヤコは未亡人、今のところ異性の恋人がいる一番年下のナオコもこれからどうなるかはわからない。しかしどの世代の女も表情は晴れやかである。この顔合わせは一人の女がたどる一生をあらわしているようでもあり、そこに乾の居場所はない。映画は彼女たちだけを同じフレーム内に収めることのみによってそれを示している。

 だからその頃の乾はまた黒いスーツを着て緑の中を一人ぶらぶらと歩いている。相変わらず痩せてはいるが、口に何かを食わえており(はんぺんらしい)、離婚届に判を押す前のおにぎりの食べっぷりと違って苦しみは感じられない。他には誰もおらず、座っている彼の背中越しに海が広がっていて、彼方を白い船がのんびりと横切っていく。それを見ていると何となく、彼はきっとこれからも生きていくのだろうなと思う。離婚を決めたからといって劇的に変わったり、仕事で何かを成し遂げたりすることもないだろうが、べつにいいじゃないか。目の前にいる伊藤の何も背負っていない背中が妙にすがすがしく見える。生きる目的とか楽しみとかに縛られず流されるままに人生を送っている彼こそが、この映画の中で実は誰よりも自由で幸せであるのかもしれないとすら思えてきて、どうしようもなくわくわくしたのである。


『スリップ(熟女 淫らに乱れて)』(09)
監督:鎮西尚一
脚本:尾上宏高 撮影:鈴木一博 音楽:宇波拓
出演:速水今日子 ほたる 伊藤猛 守屋文雄 沖島勳 立木ゆりあ 内田高子
製作:国映・新東宝映画・Vパラダイス
提供:国映・新東宝映画


●「R18 LOVE CINEMA SHOWCASE VOL.7 2009年のピンク映画たち+鎮西尚一の世界」

3/27(土)『スリップ』(鎮西尚一)+『東京のバスガール』(堀禎一)
3/28(日)『スリップ』+『東京のバスガール』
3/29(月)『パンツの穴 キラキラ星見つけた!』(鎮西尚一)
3/30(火)『パンツの穴 キラキラ星見つけた!』
3/31(水)『イサク』(いまおかしんじ)+『青空 ハルカ・カナタ』(佐藤吏)
4/1(木)『イサク』+『青空 ハルカ・カナタ』
4/2(金)『イサク』+『青空 ハルカ・カナタ』
4/3(土)『たぶん』(竹洞哲也)+『うたたかの日々』(加藤義一)
4/4(日)『たぶん』+『うたたかの日々』
4/5(月)『たぶん』+『うたたかの日々』
4/6(火)『パンツの穴 キラキラ星見つけた!』
4/7(水)『スリップ』+ “HOSE with 岸野雄一” Special Live
4/8(木)『ザ・ストーカー』+『スリップ』
4/9(金)『ザ・ストーカー』+『スリップ』

『イサク』評(text by 若木康輔) http://eigageijutsu.com/article/113884761.html

3.27(土)〜4.9(金)連日21:00〜 ポレポレ東中野にて
料金:一般¥1500/前売り券¥1300/女性割引:¥1300/リピーター割引¥1000
公式サイト http://www.spopro.net/r18

※期間中トークイベントも予定



posted by 映芸編集部 at 12:39 | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする