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2010年06月09日

CO2東京上映展を前に
三宅唱(CO2助成監督)

 大阪での上映を終えた3月中旬頃、CO2企画ディレクターの西尾さん経由で「CO2大阪上映展について書いてほしい」という依頼を受けた。僕が指名されたのはおそらく以下の経緯があったからだと思う。
 大阪上映最終日の3月3日、審査員・大友良英さんらによる今回の助成作品に対する言葉を受けた(大友さんのブログに掲載された文章)。翌日東京に戻ってからすぐ、無礼かと迷いながらも「お礼」のためにメールを書いて大友さんに送信した。なにより現地で直接お話することができなかったのが残念で、つい「話を聞いてほしい」と甘えるようにして、拙い長文のメールを書いてしまった。大友さんからすぐに返信があり、嬉しくてまた返信した。すると、知らない番号から電話がかかってきた。「もしもし大友ですが……」。どれくらいの時間だったのかは覚えていない。はじめましてと挨拶をし、自分たちの助成映画について、審査の言葉や自分の返信内容について、大友さんの言葉に対する周囲の反響に対してなど、ぽつぽつとお話したと思う。電話を頂いたこと自体にかなり動揺しながらも、案外冷静に自分の考えを話すことができ、またそれをお聞きしてくれたことで、電話を終えたあとも不思議な高揚感があった。なかでも驚いたのは、大友さんの口から「大阪では直接話せなかった。だから、東京で5人と公開討論の形で話さないか? 場所など僕が探してもいい。どうかな? あいているのは5月末頃で……」と具体的に提案をしてもらったことだ。僕はすぐにCO2西尾さんに連絡を入れた。CO2東京上映にむけてなにか動けないか、と。その後、CO2事務局の尽力と池袋シネマ・ロサさんのご協力があり、6月12日からの東京上映が決定した。大友さんにも正式にトークゲストとして依頼し、快諾してくださった。
 大阪上映展の経験とその後のアクションを原稿に書きたい、と思った。できるならば、要望通りのリアクションに留まることなく、事態や現状を自分なりに整理して知識を総動員し、あるべき映画祭の形、映画の形などについて、今のタイミングで風呂敷を広げてみたいと思った。その自分の意見がたとえ「決定版」にならなくとも、2010年現在の記録になればいいと思った。
 時間がかかった末にようやく、そのきっかけとして「ほかの助成監督たちに話を聞いてみる」ということにした。この理由について詳しくは後述するが、少なくとも自分にとっては「今すべきこと」としての必然性を感じながら、友人たちと話をすることにした。
 彼らとのやりとりからここでは2点、「今までどのような制作体制で映画をつくってきたのか。何故、CO2で映画をつくろうとしたのか。そこでは具体的にどんな変化があったのか」ということ、「大阪上映展では何を感じたか。その上で、東京上映に何を望むか」に絞ってまとめてみた。
 以下彼らとのやりとりである。

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三宅唱監督『やくたたず』

【石原貴洋監督】
(石原)僕は、特殊なやり方で映画をつくりはじめました。地域密着型の「小学校映画」というものを、毎年1本のペースで数年間つくっていました。僕の地元である大東市に様々な撮影の許可をとり、市の広報誌に「小学生募集」の告知を載せてもらい、市民会館で説明会をします。見ず知らずのどんな親子がくるかわからないのでほんとうに「博打」です。なので、説明会では誠心誠意どんな映画であるか、いつからいつまでどこで撮影をするのかといったことを説明し、親との間にわだかまりが絶対に残らないように、必ず対話をしました。もちろん出演料はとらないし、こちらがキャスト費を払うこともありません。制作費は平均して10万円〜20万円ですが、その大半は子供たちのために使っています。古くさいオッサンのようですが、衣裳として洋服を買ってそのままあげたり、大量におやつを買い与えたりして、僕はとても楽しかったです。撮影は、子どもたちの夏休み期間をメインに、僕が仕事を休める土日を使ってロケしていました。スタッフは、大阪ビジュアルアーツで一緒だった仲間や、自然発生的に手伝ってくれるようになった仲間たちです。毎回顔ぶれのちがうスタッフが3、4人、ときには僕1人で撮ったこともあります。

(三宅)『VIOLENCE PM』は違うスタッフ編成です。とはいえ、従来と同じ週末のみの撮影体制で製作したと以前に聞きました。それはなぜですか? 実際にどういう変化があったか教えて下さい。また、作品を完成させてあと、どんなことを考えましたか?

(石原)残念なことに、映画に関わるのを諦めてしまった仲間、何に対しても無気力になってしまった仲間が増えてしまいました。喧嘩をしたり、撮影のことで揉めたのではなく、ある日連絡が取れなくなってしまうようなことが続き、自然消滅的に離れていってしまった。撮影の相棒と呼べる仲間も同じように無気力になってしまい、淋しい気持ちになりました。それで、CO2に応募して違うスタッフと映画を撮ろうと思ったのです。
 『VIOLENCE PM』の物語にも、僕のそういう気分、寂しかったり悲しかったりする気分はかなり反映されていると自分では感じています。
 今回のスタッフは、まず前野くんとカメラマンの谷くんの二人が傍らにいて、彼らが大阪芸大の仲間たちを大勢呼んできてくれました。こんなオッサンの為にどうしてこんなに働いてくれるんだろう、と不思議に思い、同時に、現場はとても照れくさいものでした。
 いつもと同じ撮影日程で押し通して本当に良かった。まとめて撮っていたら、激しいシーンが多いので、絶対に息切れしていたと思います。ロケ地もあちこちにあったし、現場は破綻したはずです。生活と映画を切り替えて集中することで、自分の考えをまとめることができます。
 今考えていること……今も考えている途中なのでほんとうに難しい。簡単にいえば、ものすごくすっきりした。全力投球できた、という気持ちがほんとうにあります。そういう意味では反省点といったものは全く思いつきません。
 2年前だったと思いますが、とある自主映画の上映後のトークで「なんでこういう作品を撮ったんですか」「ほんとうは違うことをやりたかったけど、気づいたらこういう形になってしまいました」という会話を聞きました。正直に言って、つくりたいものをつくらんかコラ、と心から怒りを覚えた。僕はちょうどその時映画を撮れない状況にあったので、撮れないやつもいるんだぞ、と本当に思いました。『VIOLENCE PM』では、絶対に自分がそうなってはいけない、と強く思っていました。
 また、若手監督の作品でいつも感じる不満として、精神的にも肉体的にも弱すぎるキャラが多い。僕は、もし失敗していても、間違っていても、そんなものはどうでもよく、とにかく突っ走るような「強い」キャラクターをつくりたかった。今回、「小学生映画」ではやってこなかった、「大人になっていく過程の映画」をはじめてつくりました。そのおかげで、カッコよく言えば「道が開けた!」と思いました。これで次にいけるぞ、と。もっと深い人生観を研究できるぞ、という実感があります。

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石原貴洋監督『VIOLENCE PM』

【田中羊一監督】
(田中)最初の作品は、大学の卒業制作の『そっけないCJ』です。日芸などとは違って、武蔵美の場合は全員が何か自分の分野のディレクターであり、その中で劇映画をやっている連中たちと持ち回りでスタッフをしあっていました。その後の『CJ2』も、先輩・後輩含めた学生時代の友人たちがスタッフです。商業映画の体制のようにはできませんし、商業映画の縮小版のような体制でもありません。
 ハナから実家近辺以外で撮ることは考えられなかったし、その場所以外の風景で発想しようとも思いませんでした。尺も予算も、かなりゆるく設定していた。『CJ2』については、競馬で一攫千金があったお金で撮ったので、お金を管理するというような気もほとんどなかったんじゃないかと思います。現場ではちょっとした撮影予定表ぐらいしか用意していなかったので、1週間程度の撮影期間でもいきあたりばったりの撮影が多かったです。すべてのことがああなっていたのは、自然とそうなった、としか言いようがありません。製作体制も、自分の気持ちとしても、「牧歌的」なものだったと思います。

(三宅)今回の『CJシンプソンはきっとうまくやる』では、物語自体がどこか完全には「牧歌的」ではないという印象です。個人的には、製作体制の裏側の「非牧歌的な様子」までが作品から透けてみえてくるようで、他人事ではないような思いをしながら、複雑な気分で映画を見てしまいました。この作品はどのようにして撮られたのでしょうか?

(田中)かつての「牧歌的」なものついては、今ははっきりと「甘え」だと思っています。もう絶対に嫌だ、という気持ちがありました。ただ愛着も凄くあるので「甘え」と言ってしまうとネガティブに聞こえてしまうかもしれず、嫌でもあるのですが……。でも、今までのようにして映画をずるずるとつくっていくのは難しい、発展性がないと感じていました。こう簡単に言ってしまうのは気がひけますが、今までとは違う映画づくりをするためもあって、CO2に応募しました。
 若手の自主映画はよくみていたから、もしかしたら意識していたかもしれないけど、よくわかりません。ただ、商業映画の縮小再生産のような作品が多く、それは嫌いだったので、それらの作品群とは線引きしたいとはずっと思っていました。おこがましい話ですが。
 助成作品について考えると今はまだ、そのつもりがなくてもついネガティブな言い方が出てきてしまうのですが……。今も考えている途中なので、難しいです。
 体制についてですが、スタッフやキャストを拘束する期間が長くなりました。尺も予算もどうでもよかったので、はじめてしっかりと枠が決まること自体はじめてです。今までは、ぼんやりとしたアイデアがあり、それを現場で撮影したあとにどうなるのか見る、というつくり方でした。いつも編集で当初のアイデアとかなり変わっていくのですが、今までは「それでいいんじゃない」と肯定的に捉えることができていました。また、スタッフたちが「これが変」だとか「なんでこうなのか」というふうにカット単位に言ってくれていて、自分でも言っていました。
 ただ今回はスタッフも多くなり、カメラマンも後輩だけれど既にプロで、自分が何も言わないとスタッフたちは首をかしげつつもそのままやってくれてしまう。スケジュールの過密さも一つの要因とはいえ、甘えた話だとは思いますが「そうか、俺がやるのか」と自分で裁量すべきところの大きさに驚き、プレッシャーを感じました。現場では今までは迷う瞬間がありませんでしたが、今回は迷った。自分の考えや事情とは切り離すべきところで、迷いました。「それでいいんじゃない」と思えていたところが、「ああこうなってしまうのか」と思ってしまったことは正直なところです。CO2の枠でやる、ということをつい過剰に意識してしまったのかもしれないと思います。
 作品については、型を知らないのに型破りを目指したことの悲劇はあるな、と振り返ってみて思います。そして、今まで自分が見てきた映画の中で惹かれたものというのは、案外型破りの映画ではないことにも気づいてしまいました。なので、このままではいかん、と。
 ただ、最初はいいのか悪いのか全然わからなかった自分の映画ですが、最近だんだん好きになってきています。これは、どの作品でもいつもそうでした。最初はよくわからなくて「これではいかん」と思いますが、あとになってだんだん愛着が湧いてくる。
 また現状、自主映画に限ってしまうつもりはありませんが、しばしばその映画や監督の態度のようなものが同一に扱われ、またそれが「アツさ」によって計られ、アツければアツい程歓迎されているという傾向がある気がしています。それには興味がないのもあって、そうはつくりたくない、というのもあります。単純に否定したいとも思っていませんが、ただ肯定するのもちょっと難しいです。

(三宅)映画について語られるときには、しばしばその「個人」が出てきます。自分の「欲望」や「傷」、「トラウマ」といったタームを使って語られる映画がある。またそれに対するアンチとして、「世界にむきあって」とか「社会に向けて」といった語られ方も強くあります。映画と個人の関係といったものについて、どう考えていますか? 羊一くんの前2作については映画批評家の樋口泰人さんが「ちょうどいい」映画だと評しています。
 
(田中)大前提にしているのは、自分の人生はたいした人生じゃないので、あまり「自分語り」に陥ってしまいたくありません。だから人の語りを聞いていても、ナイーブ過ぎると感じてしまいます。自分の体験の「すごさ」について語れば語るほど「凡庸」なものになっていることに気づいていない、それは違うだろ、と思ってしまう。世界における自分が占める割合がおかしすぎる、と。そこには、さきほど言った「自分とは全く関係のない素っ頓狂な出来事」がありません。
 しかし厄介なのは、デ・パルマやスピルバーグが、どんなに娯楽大作をつくっても、そこにも彼らのオブセッションのようなものが透けてみえるような瞬間があり、自分はほんとうにそれが好きだと思ってしまうのです。これは、自分にとってですが、非常に厄介な問題です。個人・自分のことについては映画と切り離したいとも思う、「が」、というかんじです。
 自分の理想について、具体的な例として挙げてしまうこと自体に抵抗がありますが、『ボーイフレンド』(ケン・ラッセル)や『フェノミナ』(ダリオ・アルジェント)といった作品が好きです。映画としてはとりたてて凄みがない作品です。適度に退屈で、適度に刺激的で、適度にかっこよくて、適度にダサい、そんな作品で、一番好きです。しかし僕は、ケン・ラッセルの他の作品は好きじゃない。たぶん、かつてのとある時代には、一人の作家のフィルモグラフィの中でも、そんな微妙なニュアンスをもった、適度なニュアンスが許されている作品がちょっとだけあるんじゃないか、と考えています。
 現状では、そういう作品はなかなかありません。筒井康隆の『美藝公』という小説があるのですが、映画が「世の中でいちばん上」のものとしてそれがずっと続いたままの世界、というものが描かれています。そのことよって、今現実では、既に映画が力を失っているということをすごく感じさせられます。そして、もう二度とそんな時代はやってこない、と。
 自分でもちょっとどうかと思いますが、それぐらい、自分の中にはかつての時代に対する憧憬があります。その時代の映画が好きだからこそですが、それが今の時代では二度と起こらないとすれば、じゃあ自分はどうすればいいのか。そんな映画はつくれないのだろうか。そうした映画は自主映画だからこそ可能な作品なんじゃないかとも思いますが、どうも現状許されていない気がします。その理由もよくわかるのですが、でも「割り切って考えられないよ僕には」という感じです。ちょっとジレンマを抱えてしまいます。
 いま自分がそうした「適度な」作品を撮るには、これから本数をバンバン撮る中で出てくるかもしれないな、と思うようなこともありますが、そう呑気にも考えられず……。自分には単純に、「技術」が必要だと思ってやるしかないのでは、ととりあえず考えています。

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田中羊一監督『CJシンプソンはきっとうまくやる』

【小栗はるひ監督】
(小栗)高校卒業後、服飾の専門学校にいったあと日活芸術学院に入りました。日活では課題や実習などを経験したあと、16mmフィルムで『パンツの華』という、「性」を描いた20分くらいの卒業制作作品を撮りました。日活での卒業制作では、細かく撮れなかった、つまり消化不良で中途半端な気持ちが残ってしまいました。講師や多くのスタッフが現場にいていろいろやんややんやと言われてしまう撮影だったのもあり、もっと自分で自由に、中編や長編も撮ってみたいと思いました。「自分のさまざまな気持ちが強すぎて、映画の人物の心情に踏み込めなかった」という反省もあり、自分の中で「もっと人間を中心に映画を撮ってみたい、もっとほりさげたい」と。
 ただ、誰かがまわりにいてケツを叩いてもらわないと自分はなかなか映画を撮れそうにないと思ったので、私が好きな熊切和嘉監督が講師をしていたENBUゼミナールに行きました。そこでは熊切監督に師事して勉強しながら、『少年少女』という映画を監督しました。
 映画をつくり続けたいと思いましたが、学校を卒業してしまうとどんな形であれ一本の映画をつくるのは難しいそうだと感じました。ちょうどその頃、日活やENBUで一緒だった友達が「新しいことをしたい」「小栗を人間にさせたい(笑)」と自然にあつまってくれたのもあって、「トラウマサーカス」という映像集団をつくりました。5、6人の少数集団ですが、監督は私、撮影が誰、制作が誰などと分かれていて、現場にはみんなが後輩たちをスタッフとして集めてきてくれます。この集団ではちゃんと映画でお金を稼ぐことも目的として、会社のようなものとして成立させたいと思っています。
 自分一人では映画をつくれません。生活にも問題があるくらいですが、そういったお金の部分すらも含めて、いままわりの人たちに助けてもらっていると心から思います。だから、映画で裏切りたくないな、と。作品自体、けっして自分ひとりだけで映画はできていません。シナリオの段階でも、スタッフとはお互い納得するまで話し合い、他の人の意見もすごくとりいれていますので、「小栗はるひの映画」とだけ言うのには、実はちょっと抵抗感もあります。

(三宅)CO2で映画を撮ることを選択した理由について、教えてください。ただ、これまでと変わらず、一貫したテーマにこだわっているようにも思えました。

(小栗)昨年、『少年少女』という作品で第5回CO2のオープン・コンペ部門に参加したのですが、助成作品をみて、正直、自分の好き嫌いの問題ですがどれも「違う」と思い、悔しさがありました。今回助成を受けるにあたって、西尾さんから「何も気にせずにやってくれたらいい、表現として新しいもの、自分なりのものをやってくれればいい」という言葉や、企画審査員のみなさんの言葉を受けて、何も心配せずに、いつもどおり自分のやりたいことをやろうと思いました。
 ただ、規模を大きくし、助成金をもらって映画をつくることによって、今までよりなにか「深い」ものを撮ることができるかもしれない、とは考えました。また、今までは自分より年下の子ばかり使って撮っていましたが、今回は自分より年上の事務所所属の俳優さんを使うことなど、「いままでやったことがなかった部分、自分が苦手な部分」を今回の現場で「克服」したい、ということもありました。ただ、私は案外ひょうひょうとしているのか、俳優さんが年下から年上に変わっても、いままでどおり楽しくやることができました。自分は大変なことほど楽しくできるのかもしれないな、と
 基本的には、どんなものでも「極端」なものが好きです。芝居も極端なものが欲しい。「自然な、リアルな」芝居があることもわかりますし、自分が器用に芝居を撮っているとも思いません。ただ、私は極端にすることによってしか描けない人間、というのがあると考えています。そういう意味ではまだまだ中途半端だとも言えるので、次やるときはもっと「極端」にしていくつもりです。
 批判を受け易いものを撮っているという自覚はありますし、好き嫌いがはっきり分かれるのはよくわかります。同じテーマにこだわっているのは単純に、今自分はまだまだ若いので、自分が経験してきたことからはじめないと何も撮れない、と思うからです。そうしないと、大人になれる気がしない。自分の中にあるダメな部分、フラストレーション、コンプレックスがあるので、まずそうした「自分のこと」からやらなければ、と。

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小栗はるひ監督『どんずまり便器』

 *もう1人の草刈勲監督(『ゴリラの嘘』)とは、残念ながらお互いのスケジュールの都合がつかず、今回はお話することができなかった。草刈さんには、ぜひ上映後のトークで語って欲しいと思う。

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草刈勲監督『ゴリラの嘘』

 まず、製作体制についての質問をした理由について。なぜ映画を撮るのか、というような質問も常套のようだが、それよりも僕は具体的な体制のあり方に興味がある。私見だが、映画製作にむけて多くの「厄介な問題」を処理していくときには、必然的に「個人」を超えた問題がでてくる。つまり、自分の欲望や自分の能力といったこと以上に、予算やスタッフ・機材・撮影期間・ロケ場所といったいわば物理的な諸条件、また世間の様子や時代の雰囲気といったものに対しても批判的に向き合っていくと、「いったい自分にはどんな映画が可能なのか?」「いま、なにをすべきなのか?」という問いが切実な問題として浮上すると思う(そこで改めて「個人」に立ち返って考える、と捉え直すこともできる)。
 「自主映画」には全てが可能な訳ではない。もちろん大小の映画問わず物理的な制約条件は必ずあるが、誰に頼まれるのでもなくわざわざ自らつくる「自主映画」の場合は特に、その条件下で「何ができて、何ができないのか」と考えることは重要だと私は感じている(この問い自体が制約条件下にある以上段階的に解消可能な虚偽問題である、ということはないだろう)。また、いつの時代もそうだと言われるが、もちろん今も社会全体の経済状況(及びそこに付随する個人の生活や業界全体の雰囲気)といった要因も大きい。その参考のつもりで、大阪上映展の壇上でトークをした機会に、映画芸術サイトの深田晃司監督による記事を紹介させて頂いた(その場では反応がなかったのがすごく残念だった)。
 ひとえに「自主映画」といっても、だからこそその製作条件は制作者個人によって全く異なる。映画学校出身の友人同士で監督・撮影・照明・録音といったユニットを組めるのか、そうではないのか。学生なのか、働いているのか、働く必要があるのかないのか。どこに住んでいるのか、実家暮らしかそうでないか。意識する意識しないに関わらず(瑣末な問題だという意見もあるかもしれない)、そういった条件の上で、誰と/いつ/どこで/どうやって/いくらで映画製作をするのかという一つ一つの選択があると思う。作品内容自体を思い切り規定するどころか、「撮れない」ことと紙一重である。
 監督志望の連中がスタッフをしあいながら順々に映画をつくる、というのはよくある光景だろう。そんなスタッフとキャスト全員の都合を長期にわたって一定期間拘束することはなかなか難しい。予算にいくらギャランティーを設定するかという問題もある。一概に無償の労働は否定できないものの、大抵のケースではお互いが疲労を重ね、どんどん撮りづらくなるというのが案外オチだ。僕もこれまでこのケースに嵌っていたが、CO2で『やくたたず』を製作するにあたっては敢えて、少人数(5人)でやること、自分で撮影を兼務してなるべく一人でやること、東京で撮らないことを選択した。予想以上のリスキーさに頭を抱えたし、単純な失敗もあった。
 助成監督全員がCO2に企画を提出したのには、そういった背景がそれぞれにあった上での選択の一つだろうと考え、今回こうした質問をした。
 
 続いて、大阪上映展での経験、また東京上映にむけて考えていることについて(上映後のトークゲストについても触れてもらった)、3人に訊いてみた。

【石原貴洋監督】
(石原)正直に言うと、照れくさいけど、三宅くんの『やくたたず』の存在が大きいです。前野くんと一緒に撮影をしていたときも感じたけれど、嫉妬を覚えました。もし自分がもうちょっと若くてまったく同じ世代だったら、もし同じ映画の学校にいたら、もし同じ現場にいたらどうなるんだろう? と考えました。新しい世代が来たな、と思いました。三宅くんの映画については、いま感想文を書いているところだから、東京で会ったときに渡しますね。
 若松監督と話したことは印象深いです。細かいことは忘れてしまいましたが、「それでいいんだよ」というような言葉をもらいました。若松監督の若い頃の勢いのようなものと、自分の作品の勢いが似ているように感じられるから、「それでいいんだよ」ということなんだろうな、と思います。洞口さんには、不安に思っていたとあるシーンについて「あれがいいんだよ、あなた!」と強く言って頂き、嬉しかったです。自分にとっては絶対に必要なシーンだったのですが、どう思われるかまったく分からなかったので、やってよかったと思いました。
 大友さんとは一度も直接お話できませんでしたが、授賞式での言葉については、挑戦状を受け取ったような気持ちになりました。『VIOLENCE PM』でも、音と映像の関係についてはかなり冒険したつもりですが、「わかりましたよ、もっともっと次は冒険していろいろやってみせますよ」という気持ちが正直なところです。ただ、スタッフの感想は人それぞれで全く違ったので、興味深く思いました。ゆうばり映画祭でのジョニー・トー監督の審査の言葉というのを教えてもらいましたが、それがCO2とはまた全然ちがったものだったので印象に残っています。「いいところを見て、そこを基準に作品を推して、お互いに語り合おう」という言葉だったそうです。たしかにそういう考え方もあるなあとは思いました。
 自分の作品は完全に大阪の映画、メイド・イン・大阪の映画です。東京のお客さんはまた全然違う感覚で見てくれると思うので、どんな感想が出るのか、それが一番楽しみです。ぜひ、直接いろんな感想が聞きたいです。 
 石井裕也監督とのトークでは、強引な喩えですが、僕はアマチュアの将棋打ちで公園で打ってるオッサン、石井さんは将棋連盟の会員で、プロになった。そんな全然ちがう将棋指し二人が話したら面白そうだなあと思います。板倉さんはまだお会いしたことがないので、ただそれだけで楽しみです。

【田中羊一監督】
(田中)学生時代に冨永監督の『亀虫』をみましたが、あの映画が学生たちに与えた勇気はすごいものがあると思いました。事件だったと思います。冨永さんの映画では、突拍子もないことが起こったり、シュールというには語弊があるけど、よくわからないおかしなシーンがあります。そんなものを含んでいてもなお、「映画」になっている。映画として正しく存在しているというか。そして、そのあたりを意識的にやっているのではないか、と思います。
 また自分にとっては、いろんな映画のありかたがある、ということを提示してくれました。自分も冨永さんとは違う形で、オルタナティブといっていいのかわかりませんが、多様性が許されるような、肯定するような映画をつくりたいと思っています。
 トークではまず、自分の作品の率直な感想を聞きたいです。そして、冨永監督の映画にある、おかしなシーンを意識的にやっていく上での「秘密」についても聞いてみたい。また、さっき言ったようなことですが、「こういう現状のなかで、じゃあどうすればいいのか」というあたりについても、時間があればお話ししてみたいです。

(三宅)大阪上映時には、大友さんの檄文の中で、これは前例がないほどと言ってもいいと思いますが、かなり厳しいことを田中くんには言われたと思います。大友さんの言葉をどう受け取ったか、できれば率直に教えてください。またその上で、東京上映に向けて思うことがあれば教えて下さい。

(田中)まず元美大生として、アートについて言われたようなことは実感としてよくわかりました。僕自身、当時ハイアートなものを志して美大に入ったものの、学生がつくったビデオアート的なものを見ればみるほど、ほんとうにクソだと感じ、一方で、映画をいろいろ見ていくうちに自然と映画にむかいました。自分はあんなクソなものは絶対に撮りたくないと思いました。しかし、大阪上映の場でのことですが、大友さんの言葉を聞いたときには、自分がそこにあてはまってしまったのか、と絶望的な思いになりました。ほんとうにショックを受けていたと思います。
 その後、大友さんの文章がネットに載り、大々的に多くの人の胸を打った、というようなことがわかりました。率直にいって僕は、大友さんの文章を読まれた方には、だからこそまず自分の作品を見て欲しい、という気持ちが強くあります。とりあえず映画を見てくれ、と。見てくれた上で、大友さんに同意してくれたとしても、もちろんそれは全然かまいません。シンプルなことです。でも、もし大友さんの文章を読まれて「ああそういうことか」と納得されてしまって見てもらえないままだとしたら、それはあまりにも寂しいです。
 僕は、この世界では馬鹿馬鹿しいことやとんでもなく素っ頓狂なことが起こる、ということを信じています。この考えは「諸刃の剣」だから、そんな作品をつくると「不真面目だ」「スカしている」というふうに批判されてしまうことがあります。これはかなり辛いんですが、でも僕は重要なことだと信じています。これは譲ることができません。
 
【小栗はるひ監督】
(小栗)正直、自分も整音、音楽、編集について、自信満々で出すことができたとは思えません。あくまでも現時点でできることはこれです、というつもりがあったのは確かなところなので、ある意味で、審査員の方々の言葉はよくわかり、その上での発見もあったので、ありがたく再編集に生かしました。とくに音楽は、おもいきり変えることができました。そういう意味で、自分の作品のためになった部分はあります。
 ただ一方で、全体的に、理不尽に感じてしまうようなかんじ、つまり「一方的すぎる」という印象を持ってしまいました。「独立愚連会議」という助成監督と審査員が壇上で話す場では、トークフリップを短時間で用意するには、ちょっとは考える時間を用意してもらうことができたのではないかと思いますし、もうすこし自分たちの話を聞いてほしかった。何かわからないからこそ撮っているのもあるので単純に答えられなかったという理由もありますが、だからこそ、一緒に考えたい、とも思っていました。ただ残念ながら、あの場でそれをするにはすごく難しかったと思います。
 審査結果について不満があるわけでも全くありません。批判されたことで、実際に「ああそうだなあ」と納得もできるし、それを再編集に生かすこともできました。ただ、言われた内容について、もうすこし具体的に、どこのシーンのどんな場面が、という話があると、もっと自分が考えることができたし、意見も言えた気がします。全体的な話をされてしまうと、それだけではリアクションしづらいというのが正直なところです。それは助成監督同士でも、おたがいよくわからないというもあってか、あまりつっこんで話すことはできませんでした。
 東京上映ではだからこそ、多くの幅広い人たちと一緒に、臆することなく映画についてしゃべりたいです。批判も大歓迎、いけますよ、と。上映とか映画祭はそのためにあると思います。ゲストの杉作J太郎さんとは、他の映画祭、夕張国際学生映画祭という場での出会いがありました。そのとき審査員として『少年少女』にグランプリを頂いたのですが、今回もまた、「次はこんなものを撮りました、どうですか?」とお話してみたいです。言われっぱなしとか言いっぱなし、観られっぱなしというのは、嫌だなあ、と。映画について話すのはほんと面白いので、東京上映ではいろんな人としゃべりたいです。

 今回の原稿の目的のひとつに、大友さんの文章に対して助成監督がどう考えたか、というのがある。そこで触れられた「税金による助成」の問題については、助成監督として他の誰よりも引き受けざるを得ない問いであるが、その分この立場でなにか言葉を外へ表明するのはほんとうに難しいと告白させてほしい(別の機会でいずれ真剣に言葉にしたい)。「映像と音」の関係については、今回のやりとりの中でも実はあったが、具体的に作品の細部で検討すべき問いである以上、省略した。これは上映後に引き続き、形はどうあれ再び焦点をあてたいと思う。
 一方で、少なくとも僕は、助成監督の立場という全く別の視点から、自分たちの作品についての各々の反省と同時に、今年のCO2大阪上映展そのものについてもある種批判的に捉え直す必要性を感じていた。今回のやりとり自体がその実践として、そのアクションの記録としてあると僕は考えているが、彼らに話をきいてみた結果、3人ともある程度似た反省や不安、不満を抱え、ほとんど同じ結論を持つ部分もあったように感じた(記事中にまとめきれない範囲で、互いに同意しあう意見のやりとりもあった)。僕が3人と「話す」ことにした動機のほとんども、そのまま彼らのインタビューの中で触れられているが、以下、自分なりにそれらを整理した上でまとめてみた。
 大阪上映展では残念ながら、「公共性」みたいなものがやや欠けていた、という意見を持たざるを得なかった。「公共性」と書くと堅苦しいが、出会いの場として機能しうるか、その出会いがその後より発展・維持しうるか、ということだろうか。映画祭の醍醐味・意義とは一般的にいって、そこで上映される作品だけでなく、来る人たちの交流の場になることが挙げられる(僕はCO2の前回と今回しか知らないが、そんな気がする)。「残念ながら議論以前の作品だ、それをわざわざ議論したいというのは勘違いだ」、と思う向きもあるかもしれないが、どうでもいい。むしろ、「公共性」の勝負所は、よくわからないもの、わけのわからない相手とどう向き合うかにあるのではとも思う。
 もちろん話せば何かが解決するとか、話せば内容はなんでもいいというつもりではない。それは先日UST会議(CO2や関西ゼロ世代映画祭などに参加する監督10数名が集まって話すという宣伝番組)というものに参加したときにも改めて痛感した。合議的なやり方の限界に慣れることができない以上、僕にはマンツーマンで話す以外にできることはないと感じた。
 そして確かに、今回の3人全員も言っていたように話すこと自体が難しい。たとえそれが話したい内容だったとしても。今回のやりとりは、僕が電話するか直接会って話をききながら、その場でパソコンに彼らの言葉を同時タイプしていき、あとで整理をして再構成したものだ(これが全てのやりとりだとは思わないで欲しい)。その分、完璧なダイアローグとは言えない。多少の加筆修正によってモノローグ的な語り方に引っ張られているかもしれない。しかし、「ちょっと話を訊かせて下さい」と繰り返し、どんどん具体的な質問を合いの手のように入れていくうちに、素直に楽しいと思った。こんなことは言うまでもないことなのだろうか? ただ、しばしば訊く「連帯」といった言葉やここで持ち出した「公共性」というのは、原型としてここにあるのではないか、と個人的には確認することができた。なんにせよ僕は、いろんな友人たちに話を訊くことを続けたいと思っている。それは映画を撮ること、映画をみることにもどこか似ている作業だ。
 念のため、より丁寧に私見を述べておきたい。むしろ「話す」こととは、その射程のどこかの段階で、いかに自分が一人であることを確認するか、という作業がやってくると思っている。映画をつくっているときもそうでない日常のときにも、なんて厄介なんだろうと思いながらそう確認せざるを得ない。やり過ごすことも出来そうだが、そうした残酷さ自体は明らかに存在している。スクリーンでわざわざ映画をみることについて、友人が言った「孤独を確認するために集まる」というのは言葉を以前から反芻している。僕は、極端に言えばその言葉に向けて映画を撮るべきだという一心で、『やくたたず』をつくった。今回の東京上映に際しては、僕なりの「公共性」に向けたアイデアとして、上映時にパンフレットのようなものを配布する予定だ。そこでは、既に『やくたたず』をみてくれている年上・年下問わず友人の何人かにコメントをもらい、そこでは今後誰かと誰かが話す上での参考になればいいという思いで、具体的な質問も上げてもらうことにする。どの程度の量をお願いできるかわからないが、準備してみようと思う。
 最後に、3人の言葉をまとめる形で終わります。「まずは観てくれ」。「観られないままなのは寂しい」。そして「観られっぱなし」も、ここで自分たちが「言いっぱなしになるのは嫌だなあ」ということ。そして「どんな感想が出るのかが一番楽しみ」。以上です。


《CO2inTOKYO `10》
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6月12日(土)〜18日(金) 
池袋シネマ・ロサにて 連日夜9時からレイトショー
公式サイト:http://www.co2ex.org

※大友良英さんとCO2助成監督によるトークは6月12日(土)
posted by 映芸編集部 at 20:32 | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする