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2010年10月22日

金子遊のこの人に聞きたいVol.16 
鈴木志郎康(詩人、映像作家)インタビュー 後編 
「極私的映画と個人ドキュメンタリー」

 言うまでもなく、鈴木志郎康は代表的な現代詩の詩人の一人であるが、同時に個人映画の作家としても知られている。NHKのプロフェッショナルなカメラマンであった60年代の前半から八ミリフィルムで個人映画を撮りはじめて、1975年に初めての16ミリフィルム作品となる『日没の印象』を完成させた。古い映画カメラへの偏愛と、身のまわりの愛する家族の姿をおさめたこの作品は、日本の個人映画を代表する作品となり、いわゆる実験映画とも一線を画す独特の作風を確立した。
 その後は、極私的に自己を掘り下げていき、日常に潜む恐ろしいまでの空無を映像に定着した『草の影を刈る』(77)や『15日間』(80)、現代詩人たちの特異な肖像を記録した個人ドキュメンタリー『比呂美―毛を抜く話』(81)、『荒れ切れ』(84)など16ミリフィルムの作品をコンスタントに発表し続けている。また、継続的に映画評論の活動を続けており、『映画の弁証』『映画素志 自主ドキュメンタリー映画私見』の著書がある。2000年代に入ってからはビデオカメラを使用するようになり、身のまわりにいる芸術家や友人を撮ったドキュメンタリー作品や、自己をさらに極私的に掘り下げる映像作品を制作している。
(取材・構成:金子遊 写真:岩崎孝生)

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個人映画について
――ここで「個人映画」という言葉についてお聞きしたいんです。まず個人映画の歴史ですが、遡ろうとすれば映画誕生のリュミエール兄弟だって個人映画であり、戦前の小型映画や戦後のホームムービーのブームも個人映画です。しかし、私たちが映画表現として「個人映画」という言葉を使うときには、まず60年代後半のアンダーグラウンド映画や実験映画があり、それが70年代へ入って、徐々に百人百様の映画表現へなっていて「アングラ」として一括りにできなくなり、個人映画という言葉が定着していったのだと認識していますが。

 映像が個人的な領域を撮るようになってきたというのは、たとえば、かわなかのぶひろさんのような映画作家はアメリカの実験映画の影響のもとで、視覚に訴える映画を多く撮っていますが、その一方で、周囲にいた芸術家やダンサーなどのパフォーマンスを撮影していますよね。その辺りから、テレビや映画の記録ドキュメンタリーとは価値観が違う、個人的な領域におけるドキュメント作品が出てきたのではないでしょうか。ぼくの『日没の印象』というのは、個人映画という形式で作られた作品としては、日本では早い方じゃないでしょうか。
 それ以前にも8ミリで映画を撮っていましたが、全然発表していないし、個人的な表現といえるところまではいっていなかった。だから、『日没の印象』がぼくの個人映画の出発点と言っていい。8ミリフィルムで撮った映画というと、小型映画やホームムービーというアマチュア映画の世界がちゃんとあって、専門の雑誌なんかも出ていました。しかし、その作品を見ていると、何かの真似なんですよね。ドラマ作品を作る場合でも劇映画やテレビドラマの模倣で、ドキュメンタリーでもNHKの番組を模倣して作っている。それは、ぼくは仕事でやっているわけだから、NHKの真似をする必要はなかったわけです。
 映画会社は35ミリフィルム、テレビは16ミリフィルムを使っていて、アマチュアは8ミリフィルムを使っている。そこには「8ミリなんか映画じゃない」という差別意識がありましたね。それははっきりしていて、撮影監督協会の会員になるためには、35ミリの作品を何本か撮っているという条件が必要でした。最初に8ミリを映画として認める文章を書いたのは、かわなかのぶひろさんや評論家の佐藤忠男さんでしたね。だからわたしも自分で8ミリ作品を作りながらも、これは映画じゃないという意識を刷り込まれていたんだと思います。だからこそ、ジョナス・メカスの作品を見たときの衝撃がものすごく大きかったんですね。

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日没の印象

――個人映画は「個人が絵画や彫刻を制作し、詩や俳句や短歌を書くように、映像によって表現された作品」であると、鈴木さんは「多摩美術大学研究紀要」(第20号2005年)に寄せた「個人映画の表現」という文章で書いていますね。商業映画や文化・記録映画との最大の違いは、個人映画は映像そのものを対象としており、映像のイメージがその人なりのものとして「有機的に統一している」ということが条件である、ということです。

 そうです。ぼくの場合、映画を撮る動機が重要だと自覚するようになりました。仕事ではなく自分で個人映画を撮る場合には、自分が好きな友人や生活空間、あるいは自分自身に対する自己愛とか、そのようなものを撮っていこうと決意しました。映画産業やマスメディアで撮られる映像作品は、そのような個的な愛情を動機にしていないという批評意識があったんです。もちろん、お金儲けを至上命題とする映画産業のなかでも、作家の表現というのは可能なわけです。映画産業のなかで撮られた作品のなかに、いかに自己表現を発見していくか、それを裏目読みしていくという方法で、ぼくは映画の批評や文章を書いてきました。増村保造でも鈴木清順でもそうですが、会社との葛藤があって、そこでいかに自分の表現を勝ちとっていくか、というところで誰もが表現を成立させているわけですから。

『草の影を刈る』『15日間』
――『草の影を刈る』(77)は 200分に及ぶ日記映画ですね。手元にカメラを置き、日常的に撮影するところから、映像で日記を綴るという考えに発展した。毎朝、出勤前の日の出、二歳半だった息子さんの成長の過程、母親の葬儀、出勤する途中の風景などを撮っています。『草の影を刈る』の完成後に、とうとう勤めていたNHKを退職する決意をしたんですね。その決意に到る日常を日記的に撮影して、自分の心境の変化を語った作品ですね。

 『日没の印象』の後に『景色を過ぎて』(76)という作品を撮りました。『日没の印象』では当時住んでいた団地の部屋から見た窓の風景を随分と撮ったので、『風景を過ぎて』では自分が出かけた場所を撮っていき、風景映像の体積としての映画にしようと考えました。仕事の方のカメラマンとして、ロケで日本全国、北海道から沖縄まで色々な場所へ行っていました。そのときに50フィートの16ミリフィルムをカセット装填できる小型のカメラを持っていき、撮りためたんです。仕事の撮影が終わると、自分のカメラを取り出してバーッと撮影する。家族で旅行したときの映像も使っています。個人的に撮る風景は「眺め」なんですね。それでそもそも「眺め」とはどういう意味を持つものなのか、ナレーションで風景についての考察を語るエッセイ的な作品になっています。「眺め」ということに関しては、後年撮った宗教学者の中沢新一さんがチベットでの宗教体験を語る『眺め斜め』(83)で、眺めるということは自己再生の働きを持つことだと理解するまでに至ります。

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眺め斜め

 『草の影を刈る』を撮るときには、再び自分の愛する家族や住居などを扱っています。手元にあるカメラで日常的に撮影するということは、映像で「日記」を綴るという考えに発展していきました。しかし、日常生活というものは同じことの繰り返しなんです。日記的な撮影は自分の固定した感受性やものの考え方を、まざまざと見せつけてくるものとなりました。自分の意識というものが、自分の見る視覚を決定していることが分かりました。たとえば、ぼくの家から代々木上原の駅へ行くような狭い範囲でも、人によってその風景のなかで見えるものが違ってくる。自宅からNHKへ出勤するときに撮影すると、無意識のうちに、いつも同じ場所で立ち止まって撮影してしまうんですね。そういう風に、自分の視覚が生活意識のなかで決定されていることを作品のなかで証明しようとしました。
 その頃は物書きとしての原稿が忙しくて、日の出前に起きて出勤するまでの間に原稿を書いていました。すると『日没の印象』の日没とは反対に、毎日、日の出を見るんですが、太陽が出てくる位置が少しずつ変わるんですね。それがおもしろいと思った。撮影のなかで今まで自分の意識の持ち方では見えなかったものが見えてきて、それについて語り出せるようになっていった。結果的に『草の影を刈る』を完成したときに、18年間勤めたNHKを退職することになりました。原稿だけで食べていけるようになったことが一つ。あと映画にも出てきますが、親が亡くなって遺産を相続し、代々木上原に一軒家を建てたという要因があります。日記映画を撮って自分の日常を見つめた結果、ぼくはもっと違った生き方を求めることになったんですね。

――93分の『15日間』(80)という映画は、79年11月19日からまさに15日間、毎日撮影した日記映画ですね。極私的ともいえる作品で、鈴木さんが私的な出来事をカメラに向かって語り、自身で自分の姿を撮影しています。これは非常におもしろい試みだと思いました。

 『15日間』は毎日時間が空いたときに自分へカメラを向けて、その日にあった出来事を語るという日記映画です。15日間、毎日撮ると決めて撮りました。しかし、ラッシュがあがってきても自分の姿を突きつけられているようで、怖くてとても見られなかった。だから編集するまでは、写っているかどうかだけ早回しでチェックしていました。シナリオに沿って表現するスタイルではなく、日常生活に即して撮るとなると、どうしても自分の意識の持ち方などが問われてくる。それが映像としてどのように出てくるか、ということと向き合うのが個人映画だと思うんです。
普通のドキュメンタリーであれば、社会的な広がりのなかで問題点を掴んでいけばいい。それは通常、自分の外側にあるもので、フレームとして切り取り、イメージを固めることができるものです。一方で、自分が自分を撮るという個人映画には外側からのフレーミングが存在しない。すべてが撮れてしまうので、映像として対象化するポイントが見えてこない。プロのカメラマンはどのような撮り方をすれば見る人にとって効果的かということを考えて、フレーミングやシャッターなどの要素を自覚し、それらを組み合わせていく。個人映画ではそういうことは考えず、自分のなかに植え込まれているものが、すべて出ちゃうんです。映画やテレビで見てきた映像の蓄積があって、それが自分の映像に出てしまう。つまり、その映像がその人のイメージの持ち方なんですね。だから怖ろしいといえば怖ろしいんですね。
 自己にカメラを向けると、普段の意識では見えてないものが写っていたりします。それが個人映画のおもしろさといえば、おもしろさですね。そのように自己のなかから流出してきたものと対話をしながら展開していく。それが素直に出ているか出ていないかというところで、個人映画の作品のおもしろさが決まってくる。アマチュアの人が旅先で撮影したり、子供の成長を記録したりしますが、それは他人が見る映像としては堪えられないものです。そこで、メカスは短いカットをハートビートとして断片的に積み重ねていく方法を発見し、見られるものにした。そこまでいけば、ホームムービーも表現になることができるんですね。

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――毎日、鈴木さんがカメラの前で昨日あった出来事を語っていく、それを15日間続けるというコンセプト自体がおもしろいと思いました。或る意味、他人にとって重要ではない私的な事柄が、映画のなかで滔々と話されるということが、私たちが普段持っている「映画」のイメージからかけ離れたものであり、映画のあり方に対する固定観念を揺るがすからです。

 そんなに深い意図はないんですよ。カメラに向かって昨日何があったかを喋っているだけです。そうは言っても、これは凄いプレッシャーを感じる撮影でもあり、最初の内はカメラを直視できなくて、カメラに背中を向けて後ろ向きで撮っています。毎日撮ることに決めたけど、カメラが壊れてしまい、もう撮影できないんじゃないかと無理やり思い込もうとしたりもしました。本当に撮影が嫌で仕方なかった。ラッシュを見ると、自分がとても嫌味な人間に見えて「ええ、これが俺なのか?」と絶望的に思えましたね。確かに画面だけ見ていれば、自己陶酔や「密室の映画」にしか見えない。しかし、一歩引いたところで、カメラの非情性の前に自分を晒して、頭の中や感情の動きを見せるようにしようと考えている自分がもう一人いるんですね。自分自身をカメラの前で実験材科にしようという極私的なアイデアは、ある意味で開かれているものだと思います。
 自宅は一階が自分の書斎になっており、そこでカメラに向かって語る部分の大半を撮影しました。段々と慣れてきて、二階の居間で撮影したり、動き回ったりできるようになった。『15日間』の中盤で話していますが、ある時、ふと気づいたことがあります。ぼくがカメラで自分自身を撮影しているとき、当たり前ですが、そのカメラの向こうには誰もいないんだ、と。その反対に、この映画を上映するときには、代わりに観客がスクリーンの前に座り、ぼくはその場に不在になります。そのような関係性に気がついたわけです。撮影と上映において「在」と「不在」という関係があり、その真ん中に映像イメージがあることに気がついたんですね。映画というものが「撮影時の時間の流れ」と「上映時の時間の流れ」の間で、決定的なズレの上に成立していることを体感的に捉えることができた。それでプレッシャーを感じながら撮っていたのが、急に心が解放されたようになりました。 
 ただし、この映画に他人へ見せる価値があるかどうかでは悩みました。そこで、イメージフォーラムへ持っていき、かわなかのぶひろさんと中島崇さんに見てもらったんです。「おもしろいんじゃない」と言われて、初めて公開しようという気持ちになりましたね。四谷三丁目にあったイメージフォーラムのシネマテークで三、四日上映したんですが、ほとんど観客が来なかった。あるときなどは、女性がひとりで見ていて「子供が熱出ちゃったので帰ります」といって途中で帰ってしまったこともありましたね(笑)。

個人ドキュメンタリー 
――鈴木さんの日記映画には、自宅の窓から見た天空の変化を、およそ二分おきに365日間昼夜撮影し続けて、一年間を7時間半に記録した『風の積分』(89)もありますね。

 『風の積分』は、三階に寝室があるんですけど、その一番上の窓から見える空を撮りました。これは8ミリフィルムで、自動的にシャッターが落ちるような仕掛けをして一年間撮影しました。風というのは目に見えないけれど、実際には動いていて人間や事物に干渉してくるものです。そういうものを映像として撮っておきたい、というのはありました。
 ところで、劇映画や社会的なドキュメンタリーに比べたら、個人映画において自分を撮るということは基本的には空疎なんですよね。個人映画はみんなが共有できないものです。他人から見たら、何にもない空っぽの映画に見えることでしょう。個人映画に映された空疎さというのは、実は、人が生きて死ぬまで何もない、その空っぽさに少し通じている。だからこそ、みんな何かを残したいと思って詩を書いたり、表現行為をしたり、事業を起こしたりするんだけど、死んでしまえば残したものはその人から離れていき、何にもなくなってしまう。そんな考えが、ぼくの個人映画の一番の基になっているもののような気がします。「なぜ個人映画を撮るのか」という動機として、身のまわりにある愛情を感じるものを撮るということは確かにある。でも、それは自分がそこに居なくなれば、なくなってしまうものです。そういうものがフィルムというメディアに記されて残されるころがおもしろいのかな。もし、そのような個人映画が上映されれば、そこで映画と観客の間に何らかの関係が生まれて、撮影した人の生きていた時間と空間をいくらか感じることはできる。そういう関係が生まれることの良さがあるのだと思います。

――そのような意味では、鈴木さんが撮っている詩人のドキュメント・シリーズというのは、必然的に出てきたものでしょうね。ある程度、見る人が共有できる詩人という存在を撮影し、同時にその詩人にしかない個的な世界をもバランス良く表現しています。『肉声のこと―詩人正津勉』(80)では、正津勉さんに生い立ちを語って貰い、早口で自作の詩を朗読する姿を撮影している。『荒れ切れ』(84)では、ねじめ正一を主人公とした「作り話」を撮っていますね。

 その時に親しかった人を撮っているんです。どんな人でも段々と疎遠になってしまうけど、詩人や芸術家というのは表現者だから、それなりに格好つけたりしていて撮影対象としておもしろい。『比呂美 毛を抜く話』(84)では詩人の伊藤比呂美さんを撮りましたが、最初会ったときに「この娘は絶対に大物になる」と直感しました。あの映画には「84年」という年号が何度も出てきます。あれは「84年の時の伊藤比呂美ですよ」という意味合いで入れています。大学を出たばかりで、まだ有名になる前に撮っているよ、ということです。彼女はインタビューの最後の方で、切腹の本を読んで、この間の戦争に負けて女性が切腹したときに、一人ひとりがどのように切腹に失敗したかを延々と語り、そこにエロティシズムを見い出している。変な娘だと思いましたね。

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比呂美 毛を抜く話

 ねじめ正一さんを撮ったときは、ぼくなりに彼の格好つけ方を演出しようと思いました。ねじめ正一はぼくの教え子で、彼が世間に出て行くためには「すべてを曝す」という気構えがないと駄目だと思いました。だから『荒れ切れ』では単刀直入に彼の裸を撮ることにした。公衆の場で裸になるくらいでければ駄目だし、自分の名前を世間に出したいという野心を持ったら、それぐらいのことをしないと世の中に出られないものです。ねじめ正一が有名になりたいというので、ぼくも彼のためにやり方を考えて、そのように彼を演出しています。朗読シーンも激しく、うんこ、うんこを連発しながら、朗読していますが、あのときも裸です。無論、この映画以外の詩や文章表現のところでは、彼は完全に自分の力だけで有名になったわけですけど。
 シナリオは書かずにいて、ぼくが思いついたことを一つ一つやらせていきました。朗読詩人を目指すねじめ正一が、修行のために汽車に乗って、先輩の詩人である阿部岩夫さんを訪ねていく。そして、朗読の極意の教えを請う。阿部さんは、何よりも抜き身の覚悟が必要であると言い、日本刀の真剣を出して語る。そうして、ねじめ正一は「裸だ」と得心する。さっそく「ねじめ民芸店」の売り台に全裸で立って自作の詩を朗読する、というストーリーです。音楽には河内音頭や奥三河の花祭りで録音した素材を使っています。列車のなかで、ねじめ正一が全裸で列車に乗っているシーンがあります。あれは東北本線の最終列車で、事前に調べておいて、一番前の車両には絶対にお客が来ないという確信を持って撮りました。ドアのところに見張りを置きました。『荒れ切れ』では、撮影の後にねじめ正一が鏡のなかに自分の顔を映しているシーンがありますが、あそこが一番いいですね。

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荒れ切れ

――もう一つの作品の系統として、身のまわりの人のドキュメンタリー作品がありますね。『極私的EBIZUKA』(01)は、現代芸術家の海老塚耕一さんに取材したものです。この作品と『山北作業所』(02)ではビデオ撮影を試しており、内容的にも対になっている作品だと言えます。

 海老塚さんは多摩美術大学の教授で、ぼくの同僚だったんですね。ぼくは夜間部で教えていて、一度、彫刻家の海老塚さんに授業でゲスト来てもらった。それ以来、二人の間に友情が芽生えたんですね。それでは、海老塚さんの人柄と作品をもとにして、現代芸術に触れながら、映像でこの人の世界を作ってみようと思いました。映画でも紹介していますが、海老塚さんが藤野国際アートシンポジュームのために作った「揺らぎ・水と風の積分」(00)という作品は、神奈川県藤野町の山道にある古い橋の上に放置して「展示」してあります。作品が自然の中に錆びるに任せて放置してあるというのが、とても気に入ったんです。自然の作用を相手する「物」として表現を実現するスタイル方が、気持ちいいように思えました。『極私的EBIZUKA』は、海老塚さんをぼくの視点から、外側から撮っていくというスタイルです。『山北作業所』は海老塚さんのアトリエで撮影し、インタビューと作品の制作を内側から見ていくというスタイルにしました。

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空/海 YURAGI(極私的EBIZUKAより)

 『極私的EBIZUKA』では瀬戸内海の生口島へいき、海老塚さんの「空/海 YURAGI」(99)というオブジェを最初は16ミリで撮影をはじめたんです。ビデオカメラも持っていき、ビデオで撮っていると作品を撮影しながら歩けるということに気づいた。16ミリカメラだとカットで切っていって、それを積み重ねて作品全体を見せるような撮り方になるでしょう。フィルム撮影だと視界をフレームで切り取っていく、という感じがある。ビデオカメラだとこちらが歩くというアクションで、対象にどうやって接触していくか、ということが見せられる。そこがフィルムとビデオの違いだなと思いました。対象と関係を作っていく導線のようなものがビデオカメラだと作れると思い、それ以降はビデオ撮影になっていったんですね。あと資金の問題もありますね。ビデオになってからは気楽に対象へ接近できるようになりました。この映画は仕上げまでをビデオでやり、最後に16ミリフィルムで上映用のプリントを作りました。

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山北作業所 

――鈴木さんには『映画素志』という自主ドキュメンタリーについての著書があります。それによれば、私たちは普段さまざまな映像やイメージに囲まれており、他人によって作られた、与えられたイメージのなかで生きている。反対に、自主ドキュメンタリーや個人ドキュメンタリーでは、自分を生かす価値観を作るために「自分のイメージを撮る」ということになるのですね。

 たとえば、佐藤真のフィルム作品『阿賀に生きる』とビデオ作品『阿賀の記憶』を比べてみても、後者の方が自分でカメラを持って川沿いに点在している家を移動していく感じが、ビデオの方がよく出ている。個人的に人を訪ねていくことを映画の軸にしたので、はっきりとビデオの特性が出ていますよね。土本典昭さんの水俣映画には大義があるけれど、佐藤真の『阿賀の記憶』における個人ドキュメンタリーでは視点が違っている。土本さんが大義によって見落としているものを、あるいは見えなかったものをビデオカメラで丁寧に拾っている。フィルムとビデオの違いを強調するのではなく、そこが重要なんだと思います。
 ぼくは、これまでに50作品あまりを撮ってきましたが、日常の中に流れる時間と自分自身、人々、情景、自然などがその時間の流れを担って存在しているという観点から、時間の流れに重点を置くか、それぞれのモチーフに重点を置くかで、それぞれ違った作品を成立させてきたと言えます。作品の傾向を大まかに分類すると、@エッセイを書くように個人的な考えを映像で展開する作品、A日記を書くように撮る作品、B親しい友人、関心のある人を撮る作品、ということになるでしょう。どの映画も非常に私的な事象や関係性を扱っていますが、実は「私」というものの中に世界が全部流れ込んで来ているのだろうし、細かいけれどそこを徹底的に見ていけば世界の構造が見えてくるんじゃないか、と思います。もう一つ、プライバシーを守るとか言うけれど、そういうところで互いに身を守って、何も見えないようにするのではなく、みんなが自分を開いて見せてしまえば、もっと色々なことが明らかになっていくではないかと考えています。


鈴木志郎康サイト http://www.haizara.net/~shirouyasu/webkoukai.html

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posted by 映芸編集部 at 14:24 | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする