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2011年01月26日

『毎日かあさん』
小林聖太郎(監督)インタビュー

 アルコール依存症の夫と子供たちに振り回されながら、プロの漫画家として、また普通の母親として力強く生きる日々を描いた西原理恵子さんの傑作漫画「毎日かあさん」。その映画化に挑んだのは、前作『かぞくのひけつ』で2006年度映画監督協会新人賞を受賞した小林聖太郎さんです。
 この映画は原作の持ち味である、人間に対する大らかで繊細な視線を受け継ぎながら、アルコール依存症の夫カモシダの内面を掘り下げることで、単なる“癒し系”の家族映画にとどまらない魅力を湛えています。これがまだ二作目とは思えない堂々たる演出ぶりを見せた小林監督に、本作の舞台裏を伺ってきました。
(取材・構成:平澤竹識)

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――今回の映画は『かぞくのひけつ』(06)に続く監督二作目になるわけですが、キャスティングも含めて一気に規模が大きくなったような印象を受けました。まず、この仕事を引き受けられた経緯から教えていただけますか。

 たしか『かぞくのひけつ』の東京上映が終わった2008年春頃にツインズジャパンの原(公男)プロデューサーから話をいただいたんですよ。そのとき僕は原作を読んでなかったので、まず原作を読みました。それで、当時は西原作品が『ぼくんち』(02/阪本順治)しか映画化されていなかったので、ついチャレンジしようと思ってしまったんですね(笑)。難しいことは承知のうえで、だからこそやってみようと。

――プロデューサーの方は『かぞくのひけつ』を見て、同じ家族の話だからということで、オファーされたと。

 そうだと思います。それ以前には忘年会なんかで、一〜二度、顔を合わせてたぐらいなんですけど。

――今回のメインスタッフは、撮影が斉藤幸一さんだったり、音楽が周防義和さんだったり、小林さんより年長のベテランの方が多いですよね。『かぞく〜』の撮影は近藤龍人さんでしたし、同世代のスタッフと組まれてる印象があったんですが。

 その理由はすごくシンプルで、僕以外はだいたい普段からツインズで仕事をされてる方たちなんですね。それに『かぞく〜』のときは、意図的というよりも状況がベテランと組むことを許されなかったので、ベテランと組むのが嫌だったわけではありません。今回は基本的にツインズのチームに僕が入っていったという感じでした。ただ、編集の宮島竜治さん、録音の白取貢さん、周防さんに関しては、準備中にプロデューサーと話して決めました。

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――元夫婦でもある小泉今日子さんと永瀬正敏さんの共演が話題になっていますが、このキャスティングもツインズの主導で決まったんですか。

 そこは僕ですね。お二人が元夫婦であるということで、芸能ネタにされてしまうリスクはあるなと思ったんですが、お二人とも助監督として一緒に仕事をしたことがあって、「毎日かあさん」という題材じゃなくても、以前から仕事をしたいと思っていたんです。それと、お二人ならこのホンのキャラクターにすごくハマるんじゃないかなと。プラス、お二人が夫婦だったということが現場でいい結果につながるかもしれないと。そこは賭けでもあったんですけど、無難なキャスティングはしたくなかったんで、チャレンジしようと思いました。

――その要望はすんなり通ったんですか?

 製作委員会の方々を説得するのがなかなか難しかったですね。

――何がネックになったんでしょうか。言える範囲でかまわないんですが(笑)。

 言える範囲は狭いですけど(笑)、僕としては、マーケティングを基準に決めるんじゃなくて、ホンに合う方をキャスティングしたいと思ってたんです。そうは言っても、「さすがに夫婦役はやってくれないですよ」と言われると、「それはそうかもしれないな」と弱気になったり。そんな感じでやり取りを重ねるうちに、プロデューサーも「訊くだけ訊いてみます」と言ってくれたんですね。

――じゃあ、オファーしてからはわりとスムーズに?

 お二人ともチャレンジ心を持ってる方なので、逆にかきたてられるものがあったのかもしれませんね。そう思ってもらえたんだと信じてます(笑)。ただ、結婚されていた間も、ちゃんと共演する機会がなかったらしくて、やってみたいとは思ってたみたいですね。「私立探偵 濱マイク」でも『さくらん』(07/蜷川実花)でも少し絡むぐらいですし。その後、お二人の関係性が変わるなかで、そういう機会が訪れないのは寂しいなと思ってた時期に、うまくはまったのかもしれません。よりによって、いろんなゴタゴタのある夫婦役をお願いするのはすごくドキドキしましたけど(笑)。

――結果的には、お二人にお願いしてよかったんじゃないですか。

 そうですね。映画を見てる間もそういう背景を嫌な形で引きずるようにはしたくないなと思ってたんですけど、なんとかうまくいったんじゃないでしょうか。

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――今回はベテランスタッフに囲まれながら、小泉さんや永瀬さんのような大物の俳優さんと対峙されたわけですよね。いろいろ大変だったんじゃないかと思うんですが。

 全体的に僕自身の力不足は感じました。『かぞくのひけつ』はほんとに小さな規模の作品で、僕がセカンド助監督のときにチーフをやっていた武(正晴)さんが監督補のような形で現場にいてくれたり、そういうなかでやるのとはやっぱり違いますよね。もう少しプロフェッショナルというか、こちらの言い分をしっかり相手に伝えなきゃいけない場面が何度もありました。助監督として他の現場を見てきただけに、いい監督ならこの現場をもっと上手く進めていけるんだろうなと思いましたね、そこは反省材料がいっぱいあります。

――逆に、見えてきたこともあったんじゃないですか。

 そうですね、小泉さんと永瀬さんを始め、俳優部にはすごく助けられました。お二人とも相当の手だれですから、アイデアもいっぱい出してくれましたし。それに対して「クソーッ」と思いながら(笑)、でも確かにそっちのほうがいいし、それなら採用するほうが映画にとっていいことだろうと思って使わせてもらうことはけっこうありました。「ありがとうございます」と言いながら、内心はすごく悔しいという(笑)。
 俳優さんは、作品のなかで自分の役がどう見えるのかとか、いろんなことを深く考えてますし、脚本の“言葉”をどう“肉体”に落とし込むかというときに、彼らの感覚を信じたほうがいいんじゃないかなとは思ってたんです。そういう気持ちが時々あふれすぎて、役の主観になってるなと感じるときは、抑えてもらうこともありましたけど、基本的には「なるほどな」と思うことが多かったですね。

――今回の永瀬さんは、カモシダが病気になってから相当減量されてますよね。あの佇まいの真に迫る感じが、この映画の重しになってるなという気がしたんですが、永瀬さんにはどの程度まで要求されていたんですか。

 まず永瀬さんのほうから、徹底的にやりたいという話がありました。衣裳合わせの前ぐらいまでは、眉毛の全剃りまでやりたいけど、次の仕事もあるから難しいかもしれないと言ってたんですね。でも、その問題をクリアしてくださって、「行けます、やります」と。僕のほうがむしろ、「病気で眉毛の全剃りは不自然だから少し残してください」と言って、「いや、剃ります!」と言われるぐらい(笑)、率先してやってくれました。
 今回は規模が大きいと言っても、撮影期間はひと月しか取れないなかで、減量にも限界があるだろうなと思ってたんですよ。スケジュールも9日ぐらいしか空けられなかった。でも、一日1キロぐらいのペースで減量して、最後は水も飲まずに絶食してましたからね。ただ、トレーナーを付けてるんで、健康的に痩せていくんじゃないかという恐れを永瀬さんが持っていて、「もっと病的にしたいんだ」とトレーナーに言うんだけど、「でも、それは体に良くないから」「いや、健康に痩せても意味がないんだ」というやり取りをしてるとは言ってました(笑)。僕としては本当にありがたい話なんですけど。

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――先ほど、元夫婦のお二人に夫婦役を演じてもらうことは賭けでもあったと言われましたけれども、実際お二人に現場に立ってもらったときにどう感じられました?

 お二人のシーンに関しては、いい意味で手の付けようがないというか、それを演出で細かくどうこうする感じでもなかったですね。僕にもっと引き出しがあれば、さらに違う何かを引き出せたのかもしれないですけど、何もしなくてもグッときてしまうところがあったりして……。
 最初に撮影したお二人のシーンが、永瀬さんが病院から脱走してきて「俺の部屋が物置になってるじゃねえかよ」と言いながら片付けるところだったんですけど、狭い部屋のなかでフレームに収まってる二人を見たときに、どう言ったらいいんでしょうね、他人の家に土足で上がりこんでるような気持ちになってうろたえたんです。原作の西原さんと鴨志田(穣)さんのお家もあわせて二軒分を荒らしてて、改めてちょっとこれは大変なことだなと。
 だから、もっと何かできるんじゃないか? ということは考え続けてましたけど、その場でアイデアが思い浮かばなかったり。最終的には、そのままの状態で自分がいいと思うんだから、これでいいんじゃないか、とは思うんですけど。

――子供のブンジ(矢部光佑)とフミ(小西舞優)も活き活きしていて、この映画のシリアスな部分ときれいなコントラストを生んでるなと思いました。子役の演出に関して、気をつけていたことはあったんですか。

 現場での演出というよりは、オーディションで決まったんじゃないですかね。オーディションにはひと月ぐらい時間をかけて、何度も違う子を呼んでやったりしたんですよ。そのうえで、現場に入るまでリハーサルを続けて、台本まるごと一冊が頭に入ってるぐらいにはしていました。
 ブンジ役の候補に挙がっていた子供のなかには、「お芝居」がもっと達者な子もいたんですよ。あの子は逆に、メインの役をやった経験がそんなになくて、そういう意味での不安はあったんですけど、何度かオーディションをしてる間に、「とにかくこいつを見てたいな」というものがあって。芝居が不安定だったり滑舌が悪かったり、芝居に飽きてどっか行ったりするんですけど(笑)、何より人の興味を惹きつける子のほうがいいんじゃないかなと思ったんです。
 現場でもいろいろやってみようと思ってたんですよね。海辺でカモシダから「おまえと一緒に釣りした川につながってるんだぞ」と言われるところは、一回ブンジに任せてみようと思って、「『海の水ってどっから来てんの?』っていうセリフはお父さんに訊きたくなったら訊いたらいいから」と言ったんですよ。そしたら三分経っても四分経ってもまだ一人で遊んでる。永瀬さんも「ん? これ、まだやるの?」って感じになってきて、「うわー、止めたほうがいいのか?!」と思いつつ、「せっかくここまで待ったんだし、喋れ! 喋れ!」ってキャメラ側から念を送り続けたんですね(笑)。そしたら偶然フミが「きれいな水だあ」と言ったんで、ブンジも「あれ? 僕は水に関することを訊かなきゃいけなかったんじゃないかな?」と思い出したみたいで、ようやくセリフを言ってくれましたけど、ブンジに任すのはそれだけで諦めました(笑)。

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――全体的に登場人物が画面のなかを活き活きと動き回ってる印象があったんですが、撮影的にもフレームを広めに取って長く廻してるカットが多かったですよね。芝居と撮影の兼ね合いについては、どう考えていたんでしょうか。

 『かぞく〜』のときに、寄りのカットをカバーしておくことが足りなかったという反省があって、今回は必要ないかなと思っても撮るだけ撮っておこうと。だから、切り返しや寄りのカットもけっこう撮ってはいるんです。でも、やっぱり使わなかったという感じですね。
 例えば、ひな祭りのときに、ひな壇の前で写真を撮ったりするところは、あんなふうにするつもりじゃなかったんですよ。音楽ベースで短いカットを積み重ねていくつもりだったんですけど、撮ってみたら妙に生々しい空気感があって、あの辺りから家族四人のナマな関係性を出していけたらいいなと思って、寄りのカットでつなぐのはやめたんです。もともとカモシダとリエコが離婚する中盤以降は、長いカットが多くなるだろうなとは思ってたんですけどね。

――シナリオの話題に移りたいんですが、今回は『サイドカーに犬』(07/根岸吉太郎)や『歓喜の歌』(08/松岡錠司)などを書かれている真辺克彦さんが入ってますけれども、これは小林さんの指名だったんですか。

 僕が入る前から、ホンは真辺さんが作ってたんです。その時点で、一年ぐらいはやってたみたいなんですね。企画自体は鴨志田さんが亡くなる前からあったんですけど、亡くなった後に西原さんが原作の連載を描けなくなって休載してたんですよ。それで、映画の企画も止まりかけてたんですけど、西原さんが単行本の四巻を書き下ろして、鴨志田さんが亡くなるまでの過程を消化し、昇華されたんで、そこまで含めてホンも考え直そうと。そのタイミングで僕に声がかかったんですよね。

――クレジットでは真辺さんの単独名義になってますが、ホン作りはどんな形で進められたんでしょうか。

 僕も一緒に一年半ぐらい脚本を作ってましたね。

――その時点で出来ていた脚本から、どういうところを直していったんですか。

 漫画の原作があるんで、どうしてもそのエピソードを使うことになるんですけど、漫画だから成立してるエピソードが多いかなと思ったんで、そういうところは生身の俳優が演じても成立するエピソードに差し替えていきました。
 もう一つは、わりとドラマとして起承転結がハッキリした正統派のホンだったんですけど、それを壊したかったんですね。 “団子の串刺し”と言われるだろうなと思いながらも、毎日変わりばえのしない日常を繰り返していくということを、エピソードの連なりとして見せられないかなと。起承転結、山あり谷ありというよりは、波が打ち寄せてるうちにいつの間にか満ち潮になってる、という感じにならないかなと考えてました。 
 あとは、ナレーションを今回は思い切ってやってみようと。批判もあるだろうけど、今回は“語りの映画”です、と腹を決めました。

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――どうして今回に限って、語りの映画にしようと思われたんでしょうか。

 それがいいことか悪いことか分からないんですけど、原作を読んだときと同じような印象を、映画を見た後にも感じてほしかったんですね。企画が原作物であるというときに、映画は映画として独立させたいけれども、かといって全く別物にしてしまうのも違うような気がして、全体の印象は原作の読後感に近いものにしたかったんです。
 西原さんの漫画に出てくる“台詞”とは別の“語り”は欠かせない要素だし、それを画だけで見せたとしたら、相当伝わらないことがあるんじゃないかなという気がしたんですね。それはお客さんに感じてもらうための余白です、という映画ではないんじゃないかなと。ドラマの骨格としては、お父さんが家に戻ってくる話なんですよね。でも、その骨格を包みこむような形で、自分の亡くなった夫についてノロケを語るオバチャンの話というふうにしてみようと思ってました。

――確かに原作では、そこで描かれてる出来事に対する作者のツッコミが大きな効果を生んでますよね。

 いろいろあるんですよ。語り部の言葉として地の文だったり、いま言われたようなツッコミですよね。口には出さない、心のなかでのツッコミ。あとは、描かれてる出来事に対してリアルタイムではない主観の言葉、その三種類ぐらいの“語り”があるんです。だから、脚本には多めにナレーションを書き込んでおいて、そうは言ってもこれは分かるよね、というところを編集の段階で削っていったんです。最後の「そのとき笑わせてくれたのは……」というナレーションも要らないかなと思いつつ、散々迷って付けました。

――ナレーションをベースにしてることと、スケッチ風にエピソードがつながれていることについては、原理的に批判する人がいるかもしれないなと思ってたんで、それを敢えてやられたというのは驚きました。

 まあ、「“映画”じゃなくてもいいじゃないか!」と開き直ってましたね。

――敢えて物語の起伏を作らなかったというのも、原作から感じた印象がそうだったから、ということになるんですか。

 1話のたった15コマとか20コマぐらいのなかで、笑える話だなと思ってたら急にグッとくる言葉が書いてあったり、雑然とした絵のなかに突然きれいな絵が入ってたり、そのパラノイア的に飛躍していく感じというか、時空をポンポン飛び越えていく感じ、そのベースを作ってるのがオバチャンの“語り”だと思ったんですよね。大げさに言うと、「枕草子」から始まる女性作家の語り口というか、その人のなかではつながってるけれども全然違う話がポンポン続いていく。この感じをなんとか表現できないかなと思ったんです。成功してるかどうかは分からないですけど、そういう気持ちで作りました。

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――今回はアニメーションを使われていたり、漫画をそのまま実写にしたような演出も入れてますよね。その意図もいま言われたようなことなんですか。

 そうですね、アニメと実写の切り貼り感とか、あえてチープなことをやる感じとか。原作の持ち味を映像にしたら、こういう感じかなと思いながらやってました。

――そういう漫画的な演出を挟みながら、楽天的な視点で日常風景が語られる一方で、戦場カメラマンだった鴨志田さんの鬱屈とか、アルコール依存症の陰惨な一面も描かれてるわけですよね。個人的には、その明暗の対比が効いていたように感じたんですが、作っていく過程ではバランスに気を使ったんじゃないですか。

 それは悩みましたね。これ、本当に一本の映画になってるんだろうかと。まあでも、いけるんじゃないかなと妄信しながらやってましたね。

――今日は原作を読んできたんですが、それは鴨志田さんが亡くなった後の話だったんですね。同じ題材を鴨志田さんの視点から描いた『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』(10/東陽一)では鴨志田さんの葛藤は薄くしか描かれてませんでしたけれども、『毎日かあさん』の原作では、彼の葛藤が戦場の記憶とつながってるという形でストレートに描かれてるんでしょうか。

 直接描かれてるエピソードはないんですけど、それを感じさせるものはありますね。カモシダがアル中で錯乱してるときに、国連の難民食のお粥を啜りながら銃を構えてるコンゴの少年兵とか、ユーゴスラビアで子供に殺されそうになったときの絵が続いて、「そんな子供たちもちゃんとゴハン食べられてるかなあ」という一言でまとめられてるエピソードがあったり。「犬が死んだ」と悲しんでる近所のオバチャンに、カモシダが「犬ぐらいなんだ、戦場では子供たちが死んでるんだ」みたいなことを言って絡み始めるエピソードがあったり。そういう断片はいろいろあるんですよ。映画ではカモシダがオモチャの銃で遊んでる子供に絡むシーンを入れたり、戦場にいるブンジとフミの幻影を見るシーンを入れたりしてますけど、原作にある断片の印象を捏ね合わせて、ああいうエピソードを作ったんです。だから原作では、映画みたいにはっきりとはカモシダの背景は語られてないですね。

――小林さんはもともとドキュメンタリー監督の原一男さんが主宰している「CINEMA塾」に行かれてたんですよね。小林さんのそういう社会問題に対する関心や視線が、カモシダの描き方にも投影されていたんでしょうか。

 その部分が全くない原作で、ただの「ほのぼの子育て漫画」だったら、この仕事は引き受けてないですね。だから、永瀬さんがテレビに向かって逆ギレしてる場面も、カメラ目線で「おまえら日本人は!」と言わせようかなと思ってたんですよ。ホンには書いてあったんですけど、カメラ目線はやりすぎかなと思ってやめたんですね。そこでカモシダの怒りと、映画としての怒りが二重に出せたらいいなと思ってたんですけど。

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――カモシダの葛藤に自身の思いを重ねてたところもあったんですね。

 いまの世の中で生きづらさを感じてる人に対する愛着はあると思います。そういうところがあるから、西原さんも鴨志田さんがアル中だからといって縁を切れなかったと思うんです。原作にはアジアの状況に対する視線がたくさん入ってますし、西原さん自身、鴨志田さんと出会ってから、そういう視点が生まれてきたんじゃないですかね。だからといってフィリピンのスモーキーマウンテンまで撮影しに行けるわけじゃないですけど、そういう要素を何か映画にも取り込めないかなとは思ってました。

――これは家族の話であり夫婦の話でもあるわけですが、小林さんはご結婚はされてないですよね。そういう意味での不安はなかったですか。

 どんな映画を撮っても他人は他人ですし、性別や結婚してるしてないの違いがあっても同じ人間同士、想像すれば分かるんじゃないかと思ってましたね。
 でも、真辺さんとホンを書いてる途中に、西原さんのところへ挨拶に行ったら、こういうことがあったんですよ。年末の忙しい時期だったんで、仕事場だけ見せてもらって帰ろうと思って、焼き鳥を買って行ったんですね。そしたら、「焼き鳥でお茶っていうのもねえ」ってお酒が出てきて、ワーッと飲んでるうちに日も暮れてきて。「じゃあ、蟹でも食べますか」って蟹が出てきて、真辺さんは隣で寝てしまって、ハッと気づいたらもう終電で。「じゃあ、泊まっていきなさい」「え、そんな……」という夜を過ごしたんですよ(笑)。そのときが初対面だったんで「どうも初めまして」という感じで話をしてたら、「監督は、また変わるんでしょ?」とジャブをかまされまして(笑)。僕に訊かれても「がんばります」としか言えないじゃないですか。まあ、ギャグとしてそんなことを言われながら飲んでるうちに、「でも、若い男の人がこんな子育ての話なんかできないよねえ?」と言われまして、そこで火がついたところはありましたね。

――小林さんの映画にはどこかで人間とか世界を肯定しようとする意志を感じるんですね。それは何か信念があるからなんでしょうか。

 まあ、お金をもらってる以上、(ミヒャエル・)ハネケみたいなことは僕にはできないですよね(笑)。あと、僕自身はすごく悲観的な人間なんで、そのままやると暗い嫌な映画になると思うんですよ。だから、自分にも「世界を肯定しろ」と言い聞かせてるのかもしれない。
 映画を見るのはいろんな意味があると思いますけど、生きにくい世の中で明日も生きようという力になるというのは一つの役割のような気もするんで、そういう意識はあるんじゃないですかね。

――そういう意味では、カモシダの葛藤とかアルコール依存症の陰惨な面を見せないという選択肢もあったと思うんです。特に規模の大きな映画では、観客が見たがらないようなものは見せないという風潮もありますよね。

 「怖がるんじゃないか」とか「分からないんじゃないか」と言われたりもしましたけど、その部分をナシでというのは考えられなかったですね。一般試写会に二回ぐらい行ったんですけど、ブンジたちがバカなことをしてる場面で小さい子供が大笑いしてくれてたし、退場する子供もいなかったんで、いけるんじゃないかなと思ってますけど。

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――永瀬さんが映画のなかで撮られてる写真を、最後のクレジットのところで使われてますよね。実在の人物の名前で語られる物語なので、あそこで実際に鴨志田さんが撮られた写真を使う手もあったのかなと思ったんですが。

 鴨志田さんがアジアで撮った写真を最後に数枚並べて使ってますけどね。
 あそこで永瀬さんの写真を使ったのは、映画を見た後には映画の家族を感じてほしいなと思ったからです。でも、西原さんと鴨志田さんの写真も捨て切れなくて、それはちょっと欲張ったというか、両方あることが意味のあることかなと思って使いました。
 あと、西原さんとお会いしたときに、「原作はどういじってもらってもいいから、自由にやってください」と気を使ってくださって、「あ、でも、映画には出してください」と。西原さんは自分が原作を描いた映画には全部出てるんですよ、山村紅葉さんを目指してるらしくて(笑)。で、今回は写真で出てもらったからいいかなと(笑)、そこで一応クリアしたなと思ってるんです。
 準備稿の段階では、冒頭で絵を描いてる人を西原さんにやってもらおうと思ってたんですよ。まず絵があって、仕事場のシーンになるとその絵を西原さんが描いてる。そこに助監督が現れて「すいません、それ描けたらどいてください」と言うと、サイバラリエコ役の小泉さんが現れるという導入部を考えてたんです。でも、「全国公開の映画ではふざけすぎだ」と言われまして(笑)、「そうですね、すいません」と。

――最後に流れる「ケサラ〜CHE SARA〜」は、元憂歌団の木村充揮さんが歌われていて、渋い選曲だなと思ったんですが、主題歌にはこだわりがあったんでしょうか。

 ホンを書いてるときにたまたまCD屋で試聴して、これはピッタリだなと思って二年ぐらい聴き続けてたんです。でも、制作的な事情がいろいろあって、紆余曲折あった末に、ピンボールが返ってきたような感じで(笑)、「よしッ」と。日本映画の最後で急にタイアップで、それまで見てきた作品の内容に合わないような音楽がかかったりすることが多いじゃないですか。それだけは避けたいなとは思ってました。
 これは後から知ったことなんですけど、鴨志田さんも憂歌団が好きだったみたいなんですね。あと、木村さんが試写を見てくれた後に話を聞いたら、この曲は友達が亡くなったときに作ったらしいんです。普段は「世の中の争いごとがなくなるように」とか、そういう詞は書かないんだけど、そのときはそういう気分だから書いたんだ、とおっしゃっていて、そういう意味でも最終的にこの曲が使えてよかったなと思ってます。


『毎日かあさん』
監督:小林聖太郎 原作:西原理恵子 脚本:真辺克彦 音楽:周防義和
企画・プロデュース:青木竹彦 原 公男 プロデューサー:瀧川治水 渡辺大介
撮影:斉藤幸一 照明:豊見山秋長 美術:丸尾知行 録音:白鳥貢 編集:宮島竜治
出演:小泉今日子 永瀬正敏 矢部光祐 小西舞優 正司照枝
古田新太 大森南朋 田畑智子 光石 研 鈴木砂羽
制作プロダクション:ツインズジャパン 配給:松竹
2011年/カラー/ヴィスタ/ドルビーSR/1時間54分
(C)2011映画「毎日かあさん」製作委員会

公式サイト http://www.kaasan-movie.jp/

*2月5日より全国公開





タグ:平澤竹識
posted by 映芸編集部 at 17:18 | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする