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2011年02月18日

「第一回こまばアゴラ映画祭」とは 
深田晃司(映画監督)・中村真生(俳優)インタビュー

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 京王井の頭線駒場東大前駅周辺の店を眺めていると一枚の写真が目に付く。街中に不意にあらわれた行列、そこには商店街の人たちも写り込んでいるだろう。2月22(火)〜28日(月)まで開催される「第一回こまばアゴラ映画祭」のポスターである。「こまばアゴラ劇場」は劇団「青年団」の主宰である平田オリザがオーナーを務めている小劇場であり、そもそも映画の上映自体が珍しいのだが、そこで映画祭が行われるという。上映作品も『おそいひと』(04 柴田剛)、『国道20号線』(07 富田克也)、『PASSION』(08 濱口竜介)、『イエローキッド』(09 真利子哲也)、近年話題を呼ぶCO2映画祭出身の横浜聡子、板倉善之、前野朋哉など本誌の読者なら耳にしたことのあるだろう名前が並んでいる。
 企画者の一人である深田晃司氏は映芸ダイアリーズのメンバーでもあり、自身青年団に所属し、劇団員を出演させた映画『東京人間喜劇』(09)『歓待』(10 両作品ともこまばアゴラ映画祭にて上映)の監督でもある。「こまばアゴラ映画祭」とは果たしてどのような映画祭であり、何を目指そうとしているのか。前記の作品・監督に比べて、いま話題の劇作家の名前に私たちがどれほど興味・関心を抱いているか、そこから映画と演劇のあいだの溝が見えるのではないか。企画の深田晃司氏・青年団の俳優である中村真生氏よりお話をうかがった。 
(取材・構成:中山洋孝 写真:高橋哲也)

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(左より:深田晃司 中村真生 ※敬称略)

【「映画」と「演劇」をシャッフルさせる意義】

――まずお二人のご紹介もかねて、こまばアゴラ映画祭を開催することになった経緯をお聞かせいただければと思います。

深田 私は青年団に現在唯一所属している映画監督として、前々からこまばアゴラ劇場で映画を上映したいという気持ちがありました。それは最初はもっと軽く既存の映画上映システムとは違う何か第三の道のようなものを模索できないかという気持ちでしたが、そこへ中村さんのモチベーションもあって一緒に映画祭をやろうという経緯だと思います。はじまりは一年以上前で、『歓待』(10)もまだ企画が始まって資金集めの段階でしたね。

中村 私は普段舞台ばかり出させてもらってて、舞台では俳優と演出家が時間をかけて演技をつくってから本番にあげるんですけど、映画に出演させていただくと本当に時間が無くて、なにか物足りない、納得いく演技をやれたことがない、そういう不満がずっと映画に対してあったんです。いま演劇は多くの映画の人たちが思っているような大仰な、見栄きって大きな声で喋るものばかりじゃなくなってきています。ぼそぼそ喋る、日常会話みたいなものも多いのに、あんまり映画の人たちがそういった事実を知らないで、もう大分前の演劇を想像して行きたがらない。
 それがたまたま立て続けにたくさんの優れた映画監督に会うことができて、今はこんなに映画が面白いんだってことに触れたんです。いままで知らなかった自分も含めて、わたしの周りで舞台をやっている人たちの多くは、そんなフレッシュな才能のある方々のことを知らない。演劇も映画もいまこんなに面白いところにいるのに、お互い知らないのは勿体無いと感じたのが、そもそものモチベーションだったと思います。

深田 「こまばアゴラ映画祭」でまずやりたいと思ったのは、年に1,2本しか映画を見ないかもしれない演劇ファンの人に、たくさんの映画を見てもらうことですね。アゴラ劇場でやるからこそ見てくれるお客さんはいると思っていて。そこの接点を探りたい。

中村 アゴラ劇場は、使う人がお金を払って借りる「貸し小屋制度」を途中でやめたんですね。アゴラ劇場主催で、劇場側が演劇を選び、プロデュースして見せるラインナップに変えたんです。「劇場支援会員制度」は、会費を払っていただいた支援会員のかたにチケット引換券を何枚か進呈することで、会員へ向けて劇場側が年間プログラムを提案するかたちをとっています。欧米だと劇場のポリシー、ラインナップのセンス、ディレクションによって観客が劇場につくらしいんですが、そういう制度をアゴラ劇場は日本では珍しくやっているんですね。劇場の顧客が一定層いるということで、なかには同じ演劇を何度も足しげく通うお客さんがいるんです。普段映画を見ない人たちなんだけど、そこへ与える刺激に映画祭をしたいのが深田さんのモチベーションですね。
 私はそれと同時にどちらかというと演劇の人間なので、映画なら見に行くという人たちが、アゴラ劇場という普段演劇をやっている場所に初めて来る。演劇ではチラシを折り込んで渡すんですけど、それを見ていただくことで次に繋がるかもしれない。情報がジャンルごとにまとまっていて、映画館に行けば映画のチラシは手に入るけど演劇のチラシは無い。劇場で映画のチラシは手に入らない。最新の面白い情報は、同じ場所ばかり行っているとなかなか得られない。ジャンルが場所で分かれちゃってる。深田さんとは立場が演劇と映画で違うんですけど、観客をシャッフルさせたい、同じ場所で肩を並ばせたいというのが共通のモチベーションだったんですね。

深田 演劇人口のことを僕は詳しく知らないんですけど、映画の動員は頭打ちになっている。最近邦画の調子がいいという話も聞きますが、結局50年前に比べれば大幅に減っているわけで。このまま映画ファンっていう蛸壺のなかで、ある程度横ばいになっているままじゃ、どうしても限界があるわけです。そのなかで演劇でもダンスでも絵画でも現代アートでも何でもいいんですけど、そういった人たちに映画を見てもらうにはどうしたら良いんだろうと意識させられます。欧米であるような、ひとつの劇場にいろんな文化があって、そこで人と人が交じり合っていく、クロスカルチャーに近い状況を、強引にアゴラ劇場で実践できないか。

――こまばアゴラ劇場の演目の一つとして映画祭をやると考えてよろしいのでしょうか。

中村 そうですね。今回は低予算の枠ですが若手の団員が企画書を書いて面白ければ通る、「若手自主企画」の一つとして、私と深田さんの映画祭企画が選ばれて立ち上がりました。演劇側がつくった映画祭っていうことになりますね。
 実は「サミット」という、地方でもどこでも評判の劇団をサミットのディレクターが見に行って、面白かったのを呼んで上演する、という形を取っている演劇祭に参加している企画でもあるんですね。サミットは、地方の劇団も東京で観てもらえる、また地方の人も東京でやってる演劇に触れられるという演劇祭として10年くらい前からやっているんですが、その最後になぜかこの映画祭がやれることになって。だから演劇祭のなかの映画祭って感じなんですよね。本当にいろいろ説明しなきゃわからないところなんですけど。

深田 これはアゴラ劇場特有の催しですけど、これに限らず演劇に詳しい人ならもう一手間かからずに済むところを、映画の人と演劇の人に共通言語が無い。
 本当に低いレベルの話をしてしまうと、ある映画評論家のかたが「この映画は演劇的だ」と書いていて。映画の人が「演劇的」と言うときには大抵最上級の批判の言葉でもあるのですが、この大仰な身振りは演劇の芝居なんだろうと、凄く簡単に「演劇的」という言葉を使っちゃうんだけど、いや、そこは「演劇的」って言葉を突き詰めて使ってもらいたい。突き詰めて、というか懐疑的になって欲しい。逆を言えばある演劇の人と話してて「この演劇、映画的だよね」と言われちゃうと「それは本当に映画的なのか、映画的ってなんなのか」と突っ込み入れたくなることが多々あって。 それに単純にお互いの固有名詞を知らない。例えば昨年度の岸田國士賞をとった柴幸男って、演劇に関心のある人だったら、まず大抵知ってるような名前を、凄いアンテナ張って情報を拾っている映画のプロデューサーであっても全く知らないって話になっちゃって。逆に瀬田なつきさんのような映画に興味のある人だったら、どこかで名前聞いたことあるって人でも、演劇の人はまず知らない。これは風通しが良くないし、何とかシャッフルできないか。「映画は映画、演劇は演劇」って蛸壺化していくのはジャンルとして表現が深まる一方で画一化に繋がる危険もある。

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『歓待』(10年 監督:深田晃司)
2月22日19:00〜 ※劇場支援会員限定特別試写


【上映作品について】

――今回の作品を選ばれた大きな基準はありましたか?

深田 二人でああでもない、こうでもないって喧嘩しながらセレクションしたんですけど、ここ10年間くらいのスパンを考えていて、演劇の人で塚本晋也なら知ってても、瀬田なつきや濱口竜介だと途端にわからなくなる。たぶん10年くらいの誤差、時差がある。まずはそこを埋めたいというのがあって。

中村 ここ10年というスパンで見たら、本当の最新作でなくても紹介していいねというのがあって。次の映画界を背負ってたつ、ちょうど商業映画を撮り始めた、切り替わる時期に注目されている人たちばかりが、偶然ですけどあがりました。

深田 「こまばアゴラ映画祭」の原型を最初にぼんやり考えたとき、例えば当然でてくるのが青年団の俳優が出ている、演劇で活躍している俳優が出ている映画を中心にラインナップして、いわゆる演劇との接点の濃い作品をやっていくという案。でもこれだとどうもしっくりこない。なんか窮屈に思えてくるんですね。

中村 私もなんか違うと思ったんですよ。どんな映画にも演劇にも出て良いというのが俳優であって、出ている人の特色で集めるのは違うだろと思う。特色はあったほうがいいと思うんですよ、「これはどういう映画祭なんですか」って聞かれたときにすぐ答えられるような特色はまだ無いじゃないですか。
 でもアゴラ劇場のセレクションしている演劇も全体の中でいったら偏っている「アゴラ色」が、ちょっと尖ってるといいますか、この映画祭も「アゴラ色」に近くなったかもしれません。

――ここ10年の作品を集められていますが「活弁」は明らかに浮いてますね。

深田 これは映画だけどナマだっていう、演劇との接点ですね。僕が見ている中でマキノ省三の『雷電』(28)は無茶苦茶面白い。

中村 面白いことに劇場支援会員の予約状況も「活弁」は多いんです。ナマ、ライブに劇場の観客も動きやすい。

――演劇の人は映画に活弁以外でライブを感じられたりしますか? いまは『彼方からの手紙』(08 瀬田なつき)や『国道20号線』(07 富田克也)も上映された爆音映画祭や松江哲明監督の『DV』(10)など、それこそ音のライブ感をもって、映画に客を呼び込もうとしている人が多いと思います。映画はDVDなどでも見ることができるなか、劇場で見る意義はどういうところに感じられますか。

中村 演劇の場合は席によっては唾が飛んできたり、つまらなくても眼の前で起こっていることに眼を向けなければならない、避けようのない臨場感、自分と引き離せない時間を楽しむ感覚があると思うんです。
 でも映画館へわざわざ行くというアクションが入るのは大きいと思います。家で寝転がりながら見て、いつでもリモコンで停止できたりしながら見る感覚と、映画館で全く動けない真っ暗ななかで没頭できる時間を持つことは特別なものだと思っていて。それに大きい画面だと同じ作品でも、見逃していたささいな演技の違いがわかります。隣に誰か人がいる可能性、自分と違う反応をする人たちと一緒に見るのも絶対感覚に影響すると思います。暗闇も大きいです。家でそんなに暗くしてみることは出来ないから、暗闇の中からでてきて、入る前よりも映画スターの気持ちになっちゃうというか、映画スターになった感じで出てくる。

――演劇と映画を行き来するような作品がありますね。深田さんの作品や、劇団ハイバイの岩井秀人さんが監督した『金子の半生』(10)、『美しい術』(09)の大江崇充監督も演劇出身です。その演劇と映画を行き来して映画を撮る意義をどういったところに感じられますか。深田さんの創作活動そのものになるかもしれませんが、お聞かせ下さい。

中村 「劇団」がまず特殊だと思うんですね。撮影所はいつも同じ面子で組める、劇団もそうなんですね。本当に見飽きて、嫌になるくらいみんなずっと顔を突き合わせて、劇団でこれをやろうってのをやってみて、やってるけどちょっとずつしか前に進まない。

深田 最初は俳優への興味というより、平田オリザの演劇や戯曲の書き方に興味をもって青年団に入りました。僕自身がシネフィル的……といったら何ですけど、古典映画ばかり見てきて、こうカメラを動かしたら、人を動かしたら「映画的」だってことばかりから脚本も物語も考えちゃうんですよ。そうなったときに、対人間の演出がさっぱりわからない。平田オリザの演劇を面白いと思ってから一本自主映画で上辺だけ真似してみたんですよ。俳優さんにはがんばってもらったんだけど、青年団を僕もよくわかってないで無理やり真似したのが失敗して、これは内部に入ってみないとわからないなと。そうやって小劇場の状況に触れてみると、撮影所時代の、俳優もスタッフもいわばみんな専属契約の社員で現場での共通言語があって、方法論・技術が継承されていく、それに近い状況がそこにあったんです。これは面白い符合でした。そういえば山中貞雄も前進座の俳優をつかって、クオリティの高い演技空間をつくっている。そういう意識もあって青年団で映画をつくってやるぞという思いも沸々とわきあがってきて。

――唯一ドキュメンタリー映画で想田和弘監督の『選挙』(07)が入っている理由をお聞かせ下さい。

深田 映画の多様性に演劇ファンに触れてもらうという意味でドキュメンタリーは外せないだろうと。ラインナップ上一本しか入れられそうになくて、想田監督が青年団を一年間追ってドキュメンタリーを撮っていたのでそれを上映しようとしました。ただまだ編集中で、いろんなドタバタのなかで『選挙』になりました。

――深田さん・中村さんのなかで、この作品は演劇の人……、普段映画を年に1,2本くらいしか見ない人に薦めている作品はありますか。

中村 みんなに聞かれるんですけど、「こんなにあるけどどれが面白いの?」と聞かれて、私は聞いた人それぞれにあわせて違うのを言うんです。

深田 体験としては面白いところもつまらないところも、例えば「この演技古くない?」というのも含めてぶつかって、足で稼いでほしいってのはあって。普段あまり映画を見たことが無い人だったらなおさら、映画にぶつかってほしいんですよ。たとえば石田(尚志)さんの作品は人が一切出てこないけど、それでも映画です。なるべく直感的に解説を読んで気になったのを見ていただきたいと思います。

――中村さんは俳優として、この演出には興味をもったというかたはいますか?

中村 桝井(孝則)さんの『罠を跳び越える女』(06)『夜光』(09)は全然変だと思ったんですね。『国道20号線』もどういう演出でこういう演技を出してるのかわからない、独特の生々しさがあって。柴田(剛)さんの映画は演技が上手いかどうかではなく突き抜けた、柴田さんの世界の説得力があって。
 前野(朋哉)君や今泉(力哉)さんは、いま面白いと思う演劇の演技の仕方に凄く近くて、今っぽい、新しい感覚だとは思うんですね。漫画で言ったら魚喃キリコみたいな感じで、今泉さんは同時代の空気を掴めてると思うんです。ちょっと前までの映画にはそういうのはあまり無くて、格好良く綺麗に女優も撮る印象があるんですけど、こういう演技はおかしい、もっと人は噛んだり、言い直したりするっていうのに着目していて。今の演劇は、噛んだり、わざと間違ったりする生理をも見つめて、俳優に再現させる。まばたきだとか、引っ掻いたりだとか、こういうところが今泉さんの作品は似通っている感じがしたんです。 深田さんは全然今っぽくはない。古き良き映画の空気、みたいなものがどこかある。古くない演技をしている俳優を使ってたとしても、大きく差はあって。そういう部分も全然違って面白いなと。

――全体として自主映画でも商業映画でもない、やや映画側からの言い方をしてしまえば「小劇場的」な規模の作品を集められたのだと感じました。

深田 いまの映画界でインディーズと呼ばれる規模とメジャーの間に物凄い格差状況があって、国際映画祭で評価されたりする作品はインディーズの方からたくさん出てきてるんですけど、インディーズは製作規模・製作環境・公開規模が小劇場的になってきていると実感しています。いまの映画の状況は小劇場のここ20年間から学ぶべきものがたくさんある。アゴラ劇場で上映することで映画作家の人たちに小劇場の人がどうやってお金を集めて、お客さんを集めているかに興味を持ってほしい。いまのインディーズ映画業界の人たちのトークセッションを見ると、演劇の人たちの20年前の議論が繰り返されてる印象があって、結構歯がゆいところもあったりします。特に政治、あるいは行政にコミットすることに対して本当に映画界が20年遅れている実感はありますし。
 青年団に入って最もショックを受けたのが、平田オリザの芸術と公共性の考え方なんです。社会の中での自分たちの表現の意義を、確実に理論化して説明していくことを重視している。

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『金子の半生』(10年 監督:岩井秀人)
2月23日 11:00〜 / 2月27日 13:30〜上映


【「ワークショップ」について】

――「ワークショップ」という言葉は映画ではあまり耳にしません。深田さんは映画美学校を受講されていましたが、映画学校での講義とワークショップでやることは違うものなのでしょうか。


深田 やっぱり違いますね。学校の場合は上から下への技術の伝播ですが、ワークショップは他者の価値観に触れて、それらの価値観を共有し、変容していく。ワークショップごとにいろいろ違うとは思うんですけど。

中村 必ず見つけられるわけじゃないんですけど……自分の中に何か新しい感覚を発見する、みんなで一緒に遊ぶような感覚で「やってみる」。それのプロになりたいとかでは全然無くて、だから小学校の授業でも「ワークショップ」って入ってきてるんですけど。普段の自分の見方をちょこっとだけ広げられる。だからこれを受けると評論のプロになる、演技が上手くなるのを目指すわけじゃないんですね。自分が知らなかった自分を知る場でもあって。例えば、うちの劇団の美術家である杉山至さんの舞台美術ワークショップでは、白紙を渡されて「この紙の中心はどこでしょうか」と質問されて、みんな限られた時間のなかで無い頭をしぼって考えるんですよ。その人なりのいろんな答えが出てくる。くしゃくしゃにまとめて「これが中心です」、鉛筆をたてて「これが中心です」とか、本当にバラバラなんですけど、そういう自分の感覚を一回リフレッシュする遊びですね。答えや到達点を用意しているわけじゃないから、講師も探りながら、それぞれの感覚に触れて楽しみながら次に繋げていくんですね。

――「演技ワークショップ」は当然演劇で普段から行われているようなものなのだろうと考えますが、これを映画祭のなかで行う意義は何でしょうか?

中村 最初に映画監督から演出されてる気がしないという傲慢な話をしましたが、じゃあ普段俳優がどういうふうに演技を組み立てていってるのかについて、まず映画監督や作り手が知るのが大事だと思ったのがあって。しかも「知りたい」って人が凄く増えている。本広克行監督がわざわざ青年団に来て演劇をつくったのは、演技の付け方をもっと知りたくて飛び込んできたらしいんですね。
 映画監督や見たい方などワークショップは見学自由です。そこで何か盗んでほしいという意図はあります。

深田 講師の古舘(寛治)さんはアメリカでスタニラフスキーメソッドを勉強して戻ってきた方なんですけど、日本にメソッドという考え方はちゃんと輸入されてきていなくて。そこら辺で俳優も演出も共通言語が無いままやってきている。撮影所が無くなりバラバラになって時間もなくお金もない状況で、かなりおざなりになってしまっている。僕自身も俳優さんが何を考えて演技をしているのか、どうしたら俳優さんが演技しやすい心理になれるのか、気になります。

中村 生理を整理するというか……。気持ち悪いと思う箇所を外から見て気づいて調整してあげる作業も演出では必要だと思うんですけど。そういうときに俳優の立場になってもっと言ってくれる人がいたら、演出家と俳優のコミュニケーションがうまくいくと思います。演出家がどういう言葉をかけたら自分の見たい状態になるのかは、俳優との付き合いの長さもありますし、演出家自身の経験もあると思うんですけど、その積み重ねは稽古場で時間をかけなければできないもので。それを映画の、俳優同士も監督も「はじめまして」という現場では無い。そこをもっと豊かにできたらと。
 青年団で映画を撮るときは、日ごろ散々顔を突き合わせてるわけで。事前に稽古を積んでから撮影の期間に入ることも可能なわけですよね。それは実現できる可能性があったりすると思います。今泉さんの『TUESDAYGIRL』(11)は俳優ワークショップを先にやって、ある程度演技の演出をつけて、それぞれの人の特性とかやりとりをやった後に撮影を組んで。この製作に入っている1gramix.さんが企画していて、いま若手の映画監督に先に俳優ワークショップをやらせた後に撮らせています。

――「評論ワークショップ」についてお聞かせ下さい。

深田 「wonderland」さんというWEBサイトの劇評セミナーを参考にしました。僕のスタンスとしては作り手にとって批評は必要です。20世紀以降の最大の発見は無意識だと思うんですが、自分のことは自分が一番知っているという傲慢は捨てなくちゃいけない。自分の作品の最大の理解者は自分だという意識を捨てなくちゃいけないのが現代だと思うんですね。
 あと批評家・評論家がネット社会で爆発的に広がったのもあって、誰でも作品について語れる・発信できる時代になったときに、すべての批評が血肉になるというわけじゃない。ヤフーで★1個つけられて一言「つまんねえ」と書かれて、作り手はそれを受け止めなくはならないのだけど、しかしそこから何を汲み取るというのか。逆にそういったなかで、じゃあどうやって映画を見たら良いんだろう。評論ワークショップを通して映画を見て「書く」ということと、どう表現していくかということをできたらと思います。

中村 映画を見た後に誰でも初期衝動じゃないですけど、感想が何かしらあると思います。それを人に言葉として伝えるときにどう整理したら伝わる言葉になるのか、この部分だけを取り上げているワークショップです。

深田 講師陣は僕も書かさせていただいてるダイアリーズの金子遊さん、若木康輔さん、それにキネマ旬報やインターネットなど多くの媒体で書かれている皆川ちかさんです。彼らと一つ共通認識としてあるのが、ある作品を見てそれがただ面白いか、つまらないかだけの批評を書くのはやめようと。人から「面白かった?」と聞かれるけど、そこに生理的に答えてるだけじゃ作品とのコミュニケーションは生まれないだろう。受け手である私にとってその作品はなんだったのか、それをちゃんと言葉にする意識をもってほしいという欲求が、作り手側のジェラシーとしてもあるんですね。

中村 当日は短編を一本見るんですけど、誰か他の人と一緒に同じ映画を見たときの反応がこんなに違うし、人の意見を聞くことで整理されたりとかすると思うんですね。

――評論の書き方を学ぶというよりも、映画を見て感じたことを表現するワークショップと思うべきなのでしょうか。
 演じるワークショップと、見るワークショップはありますが、撮るワークショップはありませんね。


深田 本当はやりたかったんですが、スケジュールの問題もあって今回は泣く泣く外しました。ビデオカメラをつかって遊ぶような、それぞれ60秒ワンカットずつ撮ってくるっていうワークショップがあるんですよ。映像に触れるところから、演技・評論まで全部フォローしようという壮大な計画があったんですが、いずれやりたいと思います。

石田尚志 部屋形態.jpg (C):石田尚志
『部屋/形態』(99 石田尚志)
2月23日 15:00〜 上映


【映画とお金を考える】

――座談会「演技と演出を考える」について、先ほどからたびたび俳優の演出をめぐる話が出ていますね。

深田 面白い映画にとっての演技は何なんだろうとか。俳優さんと映画談義をしていて、俳優さんは演技を見てるんですよ。一方でうなずきながらも、もう一方で「でもこの映画面白かった」と言いたいのも結構あって。「良い映画」と「良い演技」は≒だけど=じゃない。その先の議論に行きたいんですよ。僕の中の映画の大原則は「カメラと俳優の関係」であって、カメラがいかに被写体をモチーフとして捉えるか。そのときの被写体、モチーフとなったときに俳優の演技というのはその世界の有象無象のひとつでしかない。

中村 何が良い演技で、悪い演技かを言えないというのが大前提としてあって、だからこそ監督がどういうのを良いと思っているのか、具体的に聞きたいですね。

――つづく座談会「映画とお金を考える」は深田さんの連載「映画と労働を考える」を連想させるタイトルですし、今日お話をお聞きしていても、深田さんにとって非常に重要な話題なのだと思います。

深田 この辺について語りだすと止まらなくなるんですが、お金がないから撮影日数が無い、俳優も拘束できない、リハーサルもできないというように、「演技と演出を考える」座談会も実はお金の問題が物凄く絡んできている。結局すべて突き詰めていくと、日本映画の多くの問題が、何で私たちのお金はこんなにうまく回ってないんだろう、疲弊しているんだろうという問題にたどり着くと思います。まずここを変えないことにはどうしようもない。
 例えば「助成金」ひとつとっても、映画人にも「国からお金をもらって作れるか!」という反発はあって。気持ちはわかるのですが、そこには二つの誤りがあると思っていて、一つは税金は国のお金ではない、税金はみんなのお金なんだという民主主義の大原則ですけど、そこを見誤ると税金の考え方自体を見誤る。自分たちは意義のあることをやっているんだから、それを貰って何が悪いって考えなければ文化の公共性は成り立たない。それに、助成金といっても全てが文化予算というわけではない。その前に映画業界でできる努力があるのではないか。もう一つ、そういう人たちが俳優・スタッフにちゃんとお金を払えてるのか? そういう努力ができてるのか? 勿論どこだって払えてないんだけど、自分たちが時給800円という最低賃金すら自分たちとともに働いてる人間に守れてないんだと言うことに対する、じゃあそれを変えていきたいという意思は持ってほしいなと思います。

――以前知人から映画の人と演劇の人は金銭感覚が違う、具体的にまず打ち上げにかかる金額が違うという話を聞きました。

深田 映画人の打ち上げになったら、それこそ和民とか(笑)になるんですけど、演劇のほうでの打ち上げっていったら間違いなく稽古場とか劇場で、自分たちでビールを買ってやるんですよ。衝撃的なのが毎日打ち上げするとか(笑)なんですけど。
 小劇場で活躍している人たちは、20年前からどうやったって黒字にはなれない、儲からない分野だから、じゃあどうやって自分たちはお金を使っていくか、引っ張ってくるか、そういったことを考えながら活動してきたでしょう。どっか映画の人たちはその意識が弱い。劇団は組織として活動を継続させる最低限のサイクルが必要になるんです。中小企業みたいな感じなんですよね。映画の人たちは集まって解散していくし、そのときとりあえず映画が撮れればいいやっていう、自分の長期的な活動として映画作りを継続させていく意識が、もしかしたらちょっと弱いのかも知れない。それが瑣末なところでの金銭感覚にも繋がっているのかもしれません。

中村 そのパッと解散ってのはわかります。個々の劇団だとひとつの公演を終えて、ギャラを払えるくらいにするというのもありますけど、青年団の場合はちょっと特殊で。いろんな演劇を同時に平行して作ったりしているんですけど、それら全部の活動として、助成金などのお金で運営しているんですね。だから一個の演劇で黒字を出さなきゃって意識はそこに強くはないのかもしれないんですけど。

深田 そのようなシステムも持続させることを考えたうえで作り上げたんだと思います。

――予約すると大分料金が安くなりますね。

中村 一般当日券の場合、希望する方はさいころを振って出た目の国の一般的な映画料金で見れるという各国映画料金体験サービスをやってます。もしシンガポールの目が出たら400円で見れます(笑)。

深田 一方で日本の目が出ると1800円になるというギャンブルなんですけど(笑) 予約して買っていただけるのが一番それなりの金額で見れます。
 あと高校生は500円で見れます。僕にとって中学・高校のとき浴びるように見てきた映画が一番血肉になっている印象があります。中学のときに小金井市福祉会館で毎月、無料映画上映会をやっていて、その「年末特集ファミリー上映会」のラインナップがジャン・ルノワールの『河』に、タルコフスキーの『ぼくの村は戦場だった』、ミハイル・ロンムの『一年と九日』って、これ絶対おかしいだろ(笑)、と。最近行ったら澤井信一郎の『福沢諭吉』(91)で、まだ尖がってるなあと。無料だから中学生でも通えたわけで、実際のところ短い人生である映画を体験できる可能性はそんなに無いと思うんですよ。そのときこの場でかかっていたからこそ体験できる映画ってのも多くあると思っています。

中村 深田さんはアゴラ映画祭もそういうふうにしたいということですね(笑)。

【今後の展望】

――映画と演劇の観客をシャッフルさせたいということですが、もし演劇を映画に紹介するとしたら誰をお勧めしたいでしょうか?

中村 私の最終的な欲求としては、映画祭で紹介する作家たちに演劇を紹介したいんです。たとえば今回もやるハイバイ、前田司郎さんの五反田団とかですね。松井周さんは青年団出身で独立していった演出家なんですが、いまの空気を映し取る同時代性は演劇のなかでずば抜けていると思います。あとはチェルフィッチュの岡田利規さん、尖っている点では松井さん岡田さんは平田オリザを正当に継承してかつ発展させているんじゃないかなあと。変なことでも儲からないことでも、とにかくやってみる時間が作家に与えられて、必ずしも作品が完成していて面白いものじゃなくても、試みという状態で発表したりもするような、自分の位置を守ろうとしないでやっている劇団はたくさんありますし、いろいろ紹介していきたいですね。

深田 いまあがった名前の人はみんな面白いんですけど、何より演劇に対する固定概念をなくしてほしい。どの人たちを見ても刺激的なんですけど、個人的に見てほしいのは東京デスロックの多田淳之介さんですね。元々青年団の演出部で現代口語演劇からスタートしながらかなり実験的な……。

中村 映画で言ったら桝井監督の『罠を跳び越える女』のラストで風景がずっと映っているみたいな感じがしました。ああいう観客を試すというか……。

深田 僕も多田さんに桝井さんの映画を見てほしいと思っているんですけど、多田淳之介さんは演劇とは何か、方法論で突き詰めているんです。演劇は俳優の疲弊している姿を生で見れるものだということで、ひたすら躍らせて疲れていくのをライブで見せるというか、古典もたくさんやっているんですけど『マクベス』を椅子取りゲームで表現するとか、『ロミオとジュリエット』を「だるまさんが転んだ」で表現して、手法的な実験に留まらないエンターテイメントにできる、不思議な、絶妙なバランス感覚をもっている人です。全く誰も知らないような女優さんが40分間何も喋らず立っているだけ、でもうっすら笑ったり、ちょっと泣いたりしている。それはジョン・ケージの「4:33」に近い現代美術寄りの発想で、そこらへんで演劇のジャンルを越えた感覚をもった人だと思います。

――映画と演劇の溝がたびたび話題にあがりましたが、映画人が演劇に偏見をもっている理由の一つに、日本では劇作家の撮った商業映画の評判があまりよろしくないことがあげられるかもしれません。名前を出してしまえば三谷幸喜と宮藤官九郎でしょうか……。

深田 演劇出身の映画監督もうちょっと頑張れよ! って言いたくなるのはわかります(笑)。絶対間違えてほしくないのは、映画と演劇は違うものなんですよ。方法論が違うし、容易にコラボレーションができるものじゃないんです。三谷幸喜さんの演劇は結構好きなんですけど、映画だと対象を被写体として見れていない。映像が物語を語るための歯車でしかない印象が強くて、でも歯車である前に被写体は全部モチーフなんだという意識があるかないか、この差は大きいんじゃないかと思っています。

中村 この映画祭をやる前の段階で「映画ワークショップ」をやったんです。前田司郎さん、ハイバイの岩井秀人さん、毛皮族の江本純子さんといった方々に、15分間くらいの短編映画を四日間で仕上げるという企画をぶつけたんですね。講師は今泉監督、板倉(善之)監督にお願いしてみました。でも出来上がったものを見てみると、「演劇映画」になっているんですよ。面白いけど映画的時間が流れてないと言われるような、何かが映画じゃない。それがなぜなのか、わたしのなかでまだ全然答えが出てないんですけど。

――最後にこまばアゴラ映画祭の今後の展望がありましたらお聞かせ下さい。

中村 「こまば」って地域の名前が入っているんですけど、もうちょっと地域を組み入れて、お年寄りと猫ばかりの駒場って町に密接した映画祭にしたいですね。
 あと子どもが上映中に奇声を発したりして迷惑になるといけないから、未就学児童の入場を制限しているところもあると思うんです。だからお母さんは子どものことを気にしてなかなか集中して見れなかったりすると思うんですけど、そこに「喋っていい映画上映の回」を盛り込むとか。やりたいこととその実際に距離がない、なかなか大きな映画祭では出来ないことをやれたらと思っています。

深田 第一回と銘打っていますが、別にこれを一年に一回やっていこうとか決めているわけじゃないんです。でも映画と演劇、他のジャンルの人間をシャッフルする活動は一回じゃ終わらないだろうし、継続して行っていかなくちゃならない。また別のかたちでもアゴラ劇場で映画を上映するのはつづけていきたいです。今回は準備が後手に回って硬くなってしまったところがある。本当はもっと自由にやれる映画祭だと思いますので、それは今後いかしていきたいです。


【プロフィール】

深田晃司 (映画監督)
1980年生まれ。東京都出身。大学在学中に映画美学校に入学。プロ・アマ交えて多数の現場に参加。美学校修了後、2005年より青年団演出部に所属。2006年『ざくろ屋敷』を東映アニメーションより発表。映芸ダイアリーズの一員として映画評を著している。『東京人間喜劇』(09)、『歓待』(10)を監督。『歓待』は東京国際映画祭日本映画ある視点部門作品賞を受賞。2011年4月23日よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか、順次全国にて公開。
『東京人間喜劇』公式サイト http://www.seinendan.org/jpn/info/info080917.html
『歓待』公式サイト http://kantai-hospitalite.com/" http://kantai-hospitalite.com/
連載「映画と労働を考える」第一回: http://eigageijutsu.com/article/141898866.html
第二回:http://eigageijutsu.com/article/149097085.html

中村真生 (俳優)
1980年、岩手県生まれ。高校時代より演劇を始め、俳優の他、脚本・演出・舞台美術など幅広く活動。モカロンというユニットで作品を発表し、盛岡を中心に活動。2007年4月上京。俳優として青年団所属。2010年に「映画制作ワークショップ」を企画。舞台「五反田団+演劇計画2007『生きてるものはいないのか』」、サンプル『伝記』(09)、青年団『革命日記』(10)、岡崎藝術座『リズム三兄妹』(10)などに出演。


【第一回こまばアゴラ映画祭】
2月22日(火)〜28日(月)開催

WEB: 
http://www.agora-summit.com/2010w/lineup/film.html
Twitter:  
http://twitter.com/komabaagora_ff

【チケット料金】
予約:一般 \1,000
   学生・シニア \800 高校生以下 \300
当日:一般 \1,400 or各国映画料金体験サービス
   学生・シニア \1,200 高校生以下 \500
各国映画料金体験サービス(選択制):一般当日券のお客様にサイコロを振っていただき、出た目に応じて、各国の映画館の平均入場料でご鑑賞いただくサービスです。(例:シンガポール \400 パリ \800 ニューヨーク \1,100 ロンドン \1,200 日本 \1,800)
通しチケットについて:今回、『第一回こまばアゴラ映画祭』では「1日券」「全日フリーパス」のような通しチケットはご用意しておりませんが、こまばアゴラ劇場の支援会員制度にご入会いただくと映画祭の全演目をご覧いただくことが可能です(WS除く)。
※[こまばアゴラ劇場支援会員制度:通常会員1万円=チケット引換券7枚]→プログラムA特別試写『歓待』は劇場支援会員ご招待、残り6日間は引換券1枚で1日のプログラムを全てご覧いただけます。
●チケット取り扱い先
青年団
03-3469-9107
https://www.komaba-agora.com/ticketsell/(オンライン予約あり)
●お問い合わせ
青年団
03-3469-9107
komabaagora.ff@gmail.com
http://www.seinendan.org
◎企画制作:青年団/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
◎主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
◎協力:(有)レトル


【イベント情報】

ワークショップ

※ 見学自由

●2月24日(木) 9:30〜14:30

「俳優向け演技WS」講師:古舘寛治(俳優/青年団・サンプル所属)
内容:俳優・古舘寛治氏の演技造りを体験するワークショップを行います。俳優として表現活動に携わる人を対象とした"演じるとは何か?"ということを探るワークショップです。
[定員]20名(対象18歳以上)

※「俳優向け演技WS」は参加者が定員に達しましたので、申し込みを締め切りました。キャンセルが出た場合は、当サイト上でお知らせします。

●2月25日(金) 9:30〜12:30

「評論WS」講師:金子遊(映像作家)、若木康輔(ライター)、皆川ちか(映画ライター)
 WSコーディネーター:田野邦彦(青年団演出部/RoMT主宰)
内容:誰もが気軽に映画評を発信できるネット時代に向けて、3名の講師を迎えて青年団演出部の田野邦彦がコーディネートする映画の評論WS。映画祭上映作品の中から1作品を題材に「映画を見る、書く、語り合う」という過程を実践します。映画評論を書いたことのない人から経験者まで、幅広く対象としています。
[定員]20名

各ワークショップ参加費(要予約)
一般 ¥2,000 学生・シニア ¥1,600 高校生以下 ¥1,000

ワークショップ申し込み先
青年団 03-3469-9107 komabaagora.ff@gmail.com
※参加希望のワークショップ、お名前、ご連絡先(電話番号・メールアドレス)を明記の上、電話かメールでお申し込みください。

座談会
ゲストと観客とが入り混じり、今気になって仕方がない論点をめぐって喋り倒します。

●2月25日(金) 20:15〜22:00 座談会vol.1『演技と演出を考える』

内容:「いい演技」とは?それはどうしたら引き出されるのか?演劇でも映画でも求められる対人間の演出力。俳優・演出家・映画監督それぞれの視点から、あなたにとっての演技・演出とは何かを気がねなく語ってもらう場です。
参加ゲスト:今泉力哉(映画監督)/植岡喜晴(映画監督)/大江崇允(映画監督)/柴田剛(映画監督)/富田克也(映画監督)/古舘寛治(俳優)/前野朋哉(映画監督)/桝井孝則(映画監督)/松井周(サンプル主宰/劇作家・演出家・俳優)/山下敦弘(映画監督) 他


●2月28日(月) 18:30〜21:00 座談会vol.2『映画とお金を考える』

内容:映画を作るのにはお金が掛かる。お金がないから僕たちは工夫する。だけど、ひとりひとりの努力だけではもうどうしようもないぐらい、日本映画は疲弊しているのではないか。瀬戸際に立つ今にこそみんなで考える、映画とお金と未来についての座談会。
参加ゲスト:入江悠(映画監督)/七里圭(映画監督)/田中誠一(配給・宣伝)/平澤竹識(「映画芸術」編集部)/藤井光(美術家・映像ディレクター)/本広克行(映画監督) 他

※どなたでも無料でご参加いただけます。
※座談会のゲストは今後も増えます。随時WEB・ブログ・twitter等にて発表いたします。
※ゲストは、やむを得ず変更になる場合がございます。ご了承ください。
posted by 映芸編集部 at 23:50 | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする