無題.png

2011年07月15日

『緑子/MIDORI-KO』 
黒坂圭太(アニメーション作家)インタビュー 後編 
『みみず物語』から長編『緑子/MIDORI-KO』まで

 手描きアニメーション、実写、写真アニメーション、クレイアニメなど、様々な技術を駆使する孤高のアニメーション作家、黒坂圭太。彼の実験的なアニメーションはアヌシー、オタワなどの国際アニメーション映画祭や各種コンペティションで受賞、様々な映像祭やアートイベントに招待され、日本のファンをはじめ、海外からも熱い視線を浴びている。90年代に発売されたビデオソフト「黒坂圭太作品集VOL1〜3」(ミストラルジャパン)はDVD化が待ち望まれ、2011年の秋から、ついに初の長編アニメーション映画『緑子/MIDORI-KO』(10)が劇場ロードショー公開される。今後、ますます活躍が期待される気鋭のアニメーション作家へ、初期作から『緑子/MIDORI-KO』にいたるまでロングインタビューを試みた。
(取材・構成/岩崎孝正 取材/金子遊 取材協力・写真/nashino)

photo1.JPG


『みみず物語』(89)

――『みみず物語』は児童文学者の江口寛原作の大正時代の「なめくじが蛇を食べた話」を原作としたそうですね。

黒坂 なめくじは蛙に、蛙は蛇に、蛇はなめくじに食べられてしまい、三匹が一同に会したときはお互いに立ちすくんでしまうという、「三すくみ」のたとえ話からはじまる童話です。なめくじは、本当に蛇を食べられるのか、その物語が描かれるんです。夏に土蔵近くの玉石の上で、青大将がとぐろを巻いて昼寝している。なめくじの粘液は青大将にとって天敵で、触れると体が腐ってしまう。なめくじは青大将の逃げ道を塞ぐため、まわりを這っていく。青大将はとぐろをきつく巻いていき、やがて骨が折れ、呼吸も出来なくなり心臓麻痺で死んでしまう。なめくじはすぐ青大将をすぐ食べずに、定期的に腐りはじめていく死骸を眺めに来る。実は本当の目的は、なんと青大将が腐り果てた上に生えるキノコから出るねばねばとした露だったんです。そいつを、なめくじはいつまでも美味そうに吸っていたという結末です。

――今回はみみずで、『海の唄』と同じように、生き物のテーマが前面に出ています。この発想はどこから来ているのでしょう。

黒坂 幼稚園のころ、友達とふざけて太い青虫へ石ころをぶつけていました。脅かしているつもりが青虫に命中して内臓が吹きだしてしまった。命が袋状のものに包まれているという印象を持ちました。
 青虫の内臓を見て以来、殺生は全く出来なくなってしまいました。手に蚊が止まっていても逃がしてしまいます。私の作品は、見る人にとってはグロテスクと映るかも知れませんが、実はまったく逆で、生き物や命に対しての尊厳が原体験になっているんです。

――『海の唄』とは違い、物語の構造がありますね。

黒坂 みみずがニュルニュルッと頭を持ち上げる動きがすごくいいと、今年の5月に亡くなられたアニメーション作家の相原信洋監督に褒められたんです。「黒坂君はね、本当はアニメーターとして凄く力もってるの。なのに、なんで写真を切り貼りした構造映画みたいのばっかり撮ってんのよ? もっとね自分を大切にしないとダメよ」と。当時は、あまり本気にとらえていなかったんですけどね。

みみず物語.jpg
『みみず物語』

――みみずが火を吐くシーンが印象的です。フィルムに直接ペイントしていったんですか。

黒坂 火を吐くシーンはドローイングした素材をつかっています。『海の唄』と同じように、コピー機の中間層を飛ばすと、写真は限りなく絵画的になっていき、絵画は限りなく写真に近づいていきます。出力紙を素材として直接ドローイングしていき、さらにもう一度、二度コピーすると完全に融合してしまう。素材どうしが馴染んでしまい、写真か絵かわからなくなる。さらに白黒なので黒ベタで塗りつぶせば画面では闇として認識される。たんに絵筆で塗っているだけにも関わらず奥行があらわれます。ポスターカラーで白く人の顔をドローイングすると、顔が浮かび上がるように見えるわけです。『変形作品第5番〈レンブラントの主題による変形解体と再構成〉』(85)までは写真素材を断裁してコラージュしていただけでした。以前「絵筆を折った」とは言いましたが、自分で自覚をしていなかっただけで、『海の唄』からドローイングや手描きアニメーションはすでにはじまっていたんですね。

――試写を観たお客さんから『緑子/MIDORI-KO』は『みみず物語』の拡大バージョンではないかと指摘されたそうですね。

黒坂 『海の唄』は表現手段としては、まだ構造映画から脱しきれていません。その意味で『みみず物語』こそは自分の言葉で喋った最初の作品と言えるかもしれませんね。

『個人都市』(90)

――『個人都市』は、期限切れのポテトサラダを食べた男がお腹を壊し、迷宮空間へ迷いこんでしまう物語です。

黒坂 80年代は「個人」の居場所を見つけにくくなっていた時代です。ここでの主人公は強制的に閉じこめられているのではなく、居心地がいいので出られなくなってしまったのです。そして自分を青虫に変身させ、女性に踏まれて恍惚の中で絶命してしまう。いわゆる脱出劇になります。

――まず、冒頭のトイレのなかで、便座に腰かけた男三人が懊悩し、頭を左右に振っていきます。しだいに残像のようにぼやけて白くなっていきます。どのように制作しているのでしょうか。

黒坂 まず左右に頭を振る男を撮影し、台紙に貼りこんでいきます。『変形作品第3番〈ミックスジュース〉』(85)のように断裁した写真を貼りこんでいくので、継ぎ目が見えてしまう可能性がある。なるたけ表面を平面化しながら、その上から絵具でペイントしていく。ひとつ前の街を駆けるシーンではマットペインティングという手法を使っています。スチル写真の中に、一部だけ作画した絵を入れています。映像を止めるとそれが絵だとわかりますが、つなげて見ていくとわからない視覚のトリックです。
 実は『個人都市』(90)から本格的にシナリオや絵コンテをつくりはじめました。実写の16ミリで撮ろうとしたんですが、ワンカットでフィルムが3本近く回ってしまいました。生フィルムだけで1本4000円、ネガ現像してラッシュ(補正していないポジフィルム)まで上げると更に10000円かかるんです。それでたったの2分30秒くらいしか撮れないんですよ。気の弱い私は値段を思い浮かべただけでめまいがしました。しかも8ミリと違って16ミリはシャッター音がバカでかくて心臓にも悪いんですよ(笑)。

kojin_toshi.jpg
『個人都市』

――それでコマ撮りをしていったわけですね。女性が階段を下っていくカットが印象的でした。

黒坂 あそこは「コマのばし」という手法を使っています。オプチカルプリンターという光学合成機で1コマを10コマくらいに増やして再撮影することで、所謂なめらかなスローモーションとは違い「止まった時間を再び動かしている」印象になるのが、このシーンの目指す世界観にピッタリだと思ったのです。

――実写、クレイアニメ、スチル写真の再撮影など、かなりのテクニックを駆使していますね。

黒坂 事情を知らない人から「黒坂さん、ひどいです。なんで生きてる虫を殺すところなんか撮るの? 私、泣いちゃった」と言われてしまいました(笑)。芋虫はクレイアニメで踏む瞬間は夏みかんの房を踏んでもらいました。ほとばしる果汁が虫の体液に見えるでしょう。

――排泄欲、性欲、食欲など、これまでの作品のいろんなテーマが融解していますね。

黒坂 虫を踏みつけるのは否定的な行為ですね。しかし、ある文脈のなかで踏みつけが行われると、何か新しいものを生み出していく物語が生まれます。親を知らずに産み落とされた芋虫たちは、母の姿を求めます。母の迎えを予感させる蛾の羽が画面をよぎります。しかし現れたのは人間の若い母親で、子供を大事そうに抱きながら執拗に虫たちを殺していく。それを主人公は虫たちの視点からリアルに体感するのです。

――踏みつけ(クラッシュ)は、体内回帰的な願望を表現したとも読めます。主人公はなぜ、この心地よく閉じた世界から外へ抜け出せたのでしょうか。

黒坂 そのあたりの論理的理由は今もうまく説明できません。芋虫という命の源が潰され、何かが吹きだしていく。主人公にとって、それが解放なのか、それとも自己否定なのか・・・いずれにせよ主人公が再び外の世界へ戻る手段は、自らを青虫化して踏み潰される以外にありませんでした。

絵コンテ1.JPG
『個人都市』絵コンテ

『春子の冒険』(91)

――『春子の冒険』はコマ単位で陰影が変わっていきます。『海の唄』と同じように、スチル写真をコピーに起こしているんですね。

黒坂 空気の揺らめきを描きたいという狙いがありました。壊れかかったコピー機を使い、濃度の薄さと濃さを反復させながら五枚、十枚と同ポジを読みとっていきます。ガサガサにかすれて歪んだ別々の絵が出力されていきます。これをコマ撮りすると、じわじわとした明滅効果が生まれ、空間が呼吸しているような絵になるんですね。『緑子MIDORI-KO』では鉛筆で描き起こしていますが、スチル写真を複写するだけで時間と空気のゆらめきを表現できる。当時の技術の限界から生まれた視覚効果です。

――家庭と家族を描いていますね。

黒坂 制作をはじめた当時は、土地開発が進んでいたバブル期にあたります。友人が住んでいた下宿屋が取り壊されると知り、工事現場を見に行きました。柵を越えて中に入り、しばらくノスタルジーに浸っていると、途端にインスピレーションが湧いてきたのです。

haruko.jpg
『春子の冒険』

――物語の設定は、最初から決まっていたのでしょうか。

黒坂 ストーリーは後からつくっていきました。超能力を持ち無機物と交信できる少女が主人公です。目ざめると、解体寸前の古い家から自分を呼ぶ声が聞こえてきて、巣食っている霊や物の怪と交信します。彼らと戯れているうち、大きな地上げのブルドーザーがやって来て、みな追い出されてしまう。春子は霊や物の怪の力を借りて巨大化し、支配階層の連中に復讐する物語です。上映すると、地上げ反対の映画で、商店街や町を守ろうというメッセージをこめたキャンペーン映画であるとレッテルを貼られました。

――シリアスな進行の途中に、三人のサングラスかけた物の怪たちがおちゃらける。『緑子/MIDORI-KO』の「マンテーニャの星」とリズムのとり方が似ていますね。

黒坂 これはもう完全に、クラシック音楽から来ているリズムのとり方です。楽章の中で、静かな曲から行進曲風なところへ入り、また静かなところに入っていくと、はじめより静けさが増す。アグレッシブな楽章にひとつの静寂な部分があったり、コミカルな部分があったりすることで前後が引き立つ。僕の場合ストーリーというよりも、リズムの構成上の理由からこの手法を好んで使います。ただ『海の唄』みたいに「映像詩」的な展開だと許されていたことが、なまじ中途半端に物語の構造が入ってきてしまったために、「これは何だ?」と言われることも多かったですね。

――作曲家に似た発想なのでしょうか。映像のリズムのとり方が斬新です。

黒坂 好きなクラシックは楽譜を買ってきて聞く習慣があります。学生時代は絵に飽きると作曲の真似事をしていました。たとえば『変形作品第5番〈レンブラントの主題による変形解体と再構成〉』では静かな闇からはじまり、山あり谷ありでラストは光の中にエネルギーが全開放していきます。ブルックナーなど後期ロマン派の影響が大きいかもしれませんね。

『箱の時代』(92)

――『箱の時代』は、アパートが舞台となりますね。冒頭でばらばらの人々のポートレートが出てきます。

黒坂 ポートレートは、しだいに塗りつぶされていきます。他者を塗りつぶしていくわけです。自分の都合のいいようにしか女性をとらえられない極めて自己本位な主人公が、最終的に結婚相談所に入ってお見合いし、紆余曲折を経て理想のパートナーを得る。そして共に奈落に落ちるまでの物語です。当時は結婚難で、高身長、高収入、高学歴という「三高神話」が流行っていた時代でした。

――この物語の構造を、登場人物の視点から覗く少女が登場しますね。前編では神のような存在であると聞いていますが、モデルはあるのでしょうか。

黒坂 レンブラント・ファン・レインの絵画「夜警」にインスピレーションを得ています。それぞれの思惑を持ったむさい自警団たちの中で、なぜか少女が一人ぽつんとこちらを見ている。それぞれ違う方向を向いた登場人物の中で、第三の視点を持つ少女を描くことで、見方を分散させる役割を果たします。作者が主人公に深く自己投影して作品のテーマを突き詰めていく構造は、息がつまって好きではないんです。
 同じように「屠殺された雄牛」に影響を受けました。肉の塊の絵なんですが、よく見るとこちらを覗いている少女がいる。心霊写真みたいですね(笑)。『個人都市』で、鏡に映っているはずのない少女がこちらを覗いているシーンがありますが、その元ネタです。学生時代に影響を受けた画家にたくさんのインスピレーションを得ていますよ。

箱の時代1.jpg
『箱の時代』

『緑子/MIDORI-KO』(10)

――さて、この秋劇場公開される『緑子/MIDORI-KO』の話にうつりたいと思いますが、その前に、制作期間が13年間と非常に長い。この間のお話を聞かせてください。まず、『箱の時代』を制作後に、『蓄音機13号』(93)という映画をつくります。これはお蔵入りにしてしまったそうですね。理由を教えていただけますか。

黒坂 『蓄音機13号』は、実写とクレイアニメの併用を試みた映画でした。前編はモノクロの実写で、後編がクレイアニメです。実写では主人公の科学者の主観でとらえています。ゴミ箱の中から食い残しのサザエの殻を発見するところからはじまり、育てると発育して建物が出来る。建物は水をやると成長していく。この部分がクレイアニメです。ラストでは、科学者は理想の女性をつくろうとするんだけど、結局、つくれず仕舞いで終わる。『箱の時代』の焼き直しに近いので、お蔵入りにしました。どういうわけか伊藤高志さんは興味を持ってくれたみたいで、彼の主催で僕の特集上映会をやってくれたとき、この作品を強くリクエストされました。僕としても、いま再制作したら、別の切口から面白い展開にできそうな予感はしています。

――MTVジャパンやプロモーションの制作過程にかかわり、いろんなアニメーションの知識を得たそうですね。

黒坂 MTVジャパンで『パパが飛んだ朝』(96)というステーションIDを制作しました。この作品は国際的に評価され、全世界的に有名になりました。作者名が出ないので、僕自身はあいかわらず無名のままでしたけど(笑)。
 それまでアニメーションを自主的に制作していたものの、商業アニメーションをつくる技術やプロダクションワークは未知の世界でした。この仕事で作画技法やカメラワークなど現場のハウツーを覚え、いろんな意味で現在の創作活動の基礎になっています。

MIDORI-KO_1_1.jpg
『緑子』

――では『緑子/MIDORI-KO』の企画段階のお話から聞かせてください。

黒坂 1997年から99年まである制作会社の企画で「風の探偵」というオリジナルアニメを制作していました。少女が不思議な生き物と一緒に旅に出る大冒険ファンタジーです。これが『緑子/MIDORI-KO』の原型となります。「制作期間13年」というのは、ここから数えた年数です。

――当初はアシスタントの方をつかっていたんですね。

黒坂 初期段階では15分ぐらいの短編作品の予定でした。複数のアニメーターによるプロダクションワークとしてはじまったんです。しかし企画が流れてしまい、99年から僕1人で全作画を手がける「個人アニメーション」のスタイルで制作が再開されました。アクリル絵の具でセル画を描き、DVで撮影していく方法です。最初は16ミリフィルムで撮っていたのですが、効率上の問題からビデオ撮影に変更され、最終的にコンピュータによるデジタル撮影となりました。結果的に、2002年までに作られた映像は殆ど全てNG、数千枚の作画素材も没となり、新しい形で『緑子/MIDORI-KO』制作が再開したのは2003年の春でした。

――川本喜八郎監督の監修である連句アニメーション『冬の日』(03)の制作経験が、大きな転換になったそうですね。

黒坂 『冬の日』は、はじめてパソコンを使ってデジタル撮影をしたアニメーション作品です。作画は『緑子/MIDORI-KO』と同じように鉛筆によるドローイングアニメの方法をつかっています。『冬の日』の制作時にイマジカの方から「35ミリにキネコするのに問題ない画質になっています」と聞き、テクニカルな不安が解消されたことで、それ以後は『緑子/MIDORI-KO』の制作が迷いなくどんどん進んでいきました。

MIDORI-KO_5_1.jpg
『緑子』

――「風の探偵」から短編の「緑子」制作、間を置いて現在の『緑子/MIDORI-KO』にいたるわけですね。

黒坂 たとえるなら『緑子/MIDORI-KO』という映画は、最初のうち小さな平屋だったのが幾度となく増改築を重ねていくうち、いつのまにか階段がどこにあるのか分からない奇妙なお化け屋敷になっていたという感じです。
 『緑子/MIDORI-KO』には結婚前にない発想がちりばめられていると感じます。パソコンを壊し、研究成果を台無しにしてしまう緑子の頬を、ミドリちゃんがつねるシーンがあります。私自身もつねりはしないものの、子どもに制作の過程で原画を台無しにされた経験がありました。家族が出来ることによって、自分だけの世界に閉じこもることのない世界観が開けていったのかもしれません。

――音響の方面ではミュージシャンの坂本弘道さんとコラボレーションしましたね。生音で録音したそうですね。

黒坂 坂本さんは暫くの間、コンサート活動やライブのスケジュールを入れずに『緑子/MIDORI-KO』に専念してくれました。
 彼は様々な要素が猥雑に混血しているカオス状の『緑子/MIDORI-KO』に興味を示してくれたのでしょう。坂本さん経由で『緑子/MIDORI-KO』の存在を知ったという人もいます。

――舞台設定をするとき、モデルにした町はあったんですか。

黒坂 僕の生まれ育った町です。今はもう記憶の中にしか存在しない風景が殆どです。作画を始めた10数年前の時点では、まだかろうじて痕跡をとどめていた僅かの景色をスケッチや写真に収め、それを拠り所に妄想で膨らませて描いたのです。

――ミドリちゃんが住む風呂屋を増改築した共同住宅の地下に、堆肥工場があります。循環型の生成システムを描いているのですね。

MIDORI-KO_4_1.jpg
『緑子』

黒坂 トイレの真下が、堆肥工場につながっています。排泄物は長い水路を流れて攪拌機にかかり、ミドリが2階にある自室のベランダに作った家庭菜園に自動的に噴霧されます。家自体が生き物のように循環しているのです。

――『緑子/MIDORI-KO』は「生命讃歌」というテーマがあるんじゃないでしょうか。

黒坂 『緑子/MIDORI-KO』に限ったことではなく、僕の作品すべてが「生命讃歌」につながっていると、最近ある友人に言われて気がつきました。たとえば『変形作品第5番』に見られる「変形→解体→再構成」という基本構造は、ある意味「命のドラマ」とも読み取れますね。

――最後の質問です。個人制作の手描きアニメーションでなけれ出来ないことがあると思います。『緑子/MIDORI-KO』をつくり終え、個人制作についてどう考えていますか。

黒坂 本当いうと僕はリーダーシップを必要とする仕事は大の苦手なんですよ。立場上いちおう「監督」なんて呼ばれてますけど(笑)。元来とても気が小さいので周りに気を遣って疲れちゃうんです。『緑子/MIDORI-KO』も最初の頃は、僕がパソコンを使えなかったので、分業みたいにしていた事もあったのですが、スタッフに表現意図をうまく伝えられず余計に時間がかかっていました。もし僕がもうちょっと要領の良い人間だったら、これ程の時間はかからなかったことでしょう。そして遙かに見栄え良くスマートな作品に仕上がったかもしれません。でも、それだと「ノイズ」が消えてしまいます。ノイズとは他者から見たら無意味とも思える「極私的こだわり」のことで、効率化とは真逆の考え方です。ところが、どういうわけか、僕に深い感動を与えてくれる作品たち(ジャンルを問わず)には例外なくその要素が満載なのです。そういう「偉大な愚かさ」に出会うと、いつも激しく心を揺さぶられます。自分もそんな作品を創りたいと願っています。

*前編を読む


 
『緑子/MIDORI-KO』
監督・脚本・撮影・編集:黒坂圭太
プロデューサー:水由 章 ビジュアルエフェクツ・デジタルスーパーバイザー:昼間行雄
音楽:坂本弘道
声の出演:涼木さやか ゆうき梨菜 チカパン 三島美和子 あまね飛鳥 
木村ふみひで 河合博行 山本満太
HD/4:3/55分/2010年

今夏、渋谷アップリンクにてロードショー

公式ホームページ http://www.midori-ko.com/
ツイッター https://twitter.com/#!/midoriko_eiga

『緑子/MIDORI-KO』公開記念 黒坂NIGHT VOL.3
『ソナタ第1番』ライブ上映


日本のアートアニメーションの奇才・黒坂圭太監督が10年以上を費やした渾身のアニメーション映画『緑子/MIDORI-KO』の公開を記念して、シリーズで開催している「黒坂NIGHT」のVOL.3では、1985年に完成以来、ほとんど上映される機会もなく、ファンの間で上映が待ち望まれていた、黒坂圭太・抽象アニメーション映画の最高傑作『ソナタ第1番』を、三木黄太・佐藤研二によるライブ演奏とともに上映します。黒坂の抽象アニメーション映像と、三木・佐藤による旋律がどうせめぎあうか、今回の1回限りのライブ上映。

■上映作品
『変形作品第3番<ミックスジュース>』15分/1985年
『ソナタ第一番』40分/1985年(ライブ上映+演奏)
出演:三木黄太(チェロ)、佐藤研二(ベース・チェロ)

料金:2,300円(1ドリンク付)
日時:2011年8月10日 (水) 19:30スタート  
場所:アップリンク・ファクトリー 
〒150-0042 渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F

予約・問い合わせ:tel.03-6825-5502  factory@uplink.co.jp
posted by 映芸編集部 at 11:58 | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする