460HPトビラ.jpg

2011年09月14日

「Image.Fukushima」Vol.2 
三浦哲哉(映画批評/大学講師)実行委員会会長インタビュー

 3月11日の東日本大震災から約半年を迎えました。
 現地で多種多様な問題が噴出しているなか、アーティストたちの各種の復興支援のイベントや、ボランティアが行われ、また、表現者が多様な試みをしているのは周知の通りです。
 いま、福島と東京をまたにかけ、「Image.Fukushima」という上映イベントを催しています。被災した現地でクローズアップされている問題を、映画によって考えてみようという目論みです。8月に福島市の上映館「フォーラム福島」でVol.1を終え、シビアな被災の現実を見ている観客の方からも、好評をいただいているそう。
 9月17日〜23日まで、東京・渋谷ユーロスペースで「Image.Fukushima」vol.2が開催されます。実行委員会会長である三浦哲哉さんに話を聞いてきました。
(取材・構成:岩崎孝正 写真協力:寺岡ユウジ)

miura.jpg

――Vol.1から約一か月という短いスパンでVol.2の開催へ漕ぎつけました。今回は福島市ではなく、東京・渋谷で開催する理由についてお話ください。

三浦 ゲストスピーカーと観客の方から「是非このイベントを東京でもやるべきではないか。福島の地元の人の声を東京に届けて欲しい」という声があがりました。Vol.1は福島の人がたくさん来場し、彼らも外で発信したいという声を聞いています。それを受け、東京で出来るだけ早くVol.2をやりたいと考えていました。幸い、渋谷のユーロスペースで早い段階の開催が決まりました。

――三浦さんは「ニュースや新聞だけでは、福島にいる自分たちの声が全国に伝わっていない」と、現地で感じているんですか。

三浦 十分に伝わっているとはとても言えないと思います。そもそも声を上げづらいし、非常に伝えづらい状況があります。単純に「放射性物質が出ているから、全国の原発を停めてください」などというメッセージに集約されるものではない。まず福島県民が一枚岩ではなく、立場や考え方が市区町村によって違います。被災の度合いによってもまちまちですね。はっきり主張している人もいますが、その方は、自分のメッセージが言葉になりやすい立場の人です。
 例えば、飯舘村の農家の方が、東京電力の門の前に牛を連れて行くなどしていますが、それもきちんと報道されていない。現地にも、マス・メディアでは報道されない現実が数限りなくあります。しかし、多くの人は複雑すぎて、自分の立場をうまく表明できません。たとえば放射能汚染の酷さをアナウンスすると、風評被害を拡大させ「一次産業や観光業を潰すつもりなのか」と言われてしまう。逆に「安全です。福島に留まりましょう」とアナウンスすると、子どもを心配する保護者から「子どもの未来をちゃんと考えているの?」と言われる。何を言っても角が立ってしまう。状況の複雑さに沈黙を強いられてしまう現実があり、その現実について伝える十分な言葉があるのかというと、まだまだ十分ではない。東京にそれがしっかり伝わっているとは思えないし、現地へ行って、現地の声を聞いてみて初めて、その緊張感を含めた空気がわかるということがある。

土本典昭監督『原発切抜帖』.jpg
土本典昭監督『原発切抜帖』

――ホームページに、「「Image.Fukushima」は、福島を中心に開催する映画上映&トーク・プロジェクトです。放射能汚染の“見えない”脅威、情報の不確かさ、未来の不透明さ。そこから一歩を踏み出すために、知見とイメージを互いに交換し合うことを目的としています」とあります。ドキュメンタリー映画の上映と、アフタートーク後の交流会を含め、シンポジウムのような場所にすることが目的なのでしょうか。

三浦 ドキュメンタリー映画を観ることは、映像によって、いったん問題を対象化するということでもあります。作り手たちの眼差しを介して、また違った「見方」があることを具体的に感じることができる。「Image.Fukushima」Vol.1のプログラムだと、土本典昭監督の眼差しがあり、あるいは鎌仲ひとみ監督の眼差しがある。一人ひとりの問題の見方はそれぞれ違う。福島に通じる問題に、監督やカメラマンたちが持つビジョンを、映画館に集まって皆で観ることに、まず意味がある。その上で、それぞれ受け止めた観客たち、それからゲストスピーカーが言葉を交わすことに意義があると思いました。
 震災のあと、映画、演劇、音楽を問わず色んなジャンルの人が催し物をしました。一般に、アートには人を集める効用があって、それは震災後とても力を発揮しました。そして映画には、音楽、文学、演劇とは違う、映画ならではのひとの集め方があると思います。映画の場合、集まりながらも、観客はやはり一人で、だからこそ他者とそれぞれのビジョンを交換し合うことができる。
 3・11の後、東北では様々な自主上映がなされましたが、その多くは、心を少しでも癒してもらうための上映だったと思います。それは素晴らしい試みです。「Image.Fukushima」はそれとは趣旨が違っていて、比較的ゆとりのある観客が対象でしたし、まずシビアな現実を直視したうえで、それぞれの知見の交換をすることが目的でした。
 福島県の中通りは地震で家屋が倒壊した方もいましたが、生活の破たんにいたる方は津波のあった地域に比べればまだ少なかった。ある程度生活が成り立ち、物理的な被害というよりも、放射能汚染による精神的な被害が大きい地域でした。何か考えるきっかけを探している人がたくさんいたように思いました。気持ちが安らぐようなエンターテイメントだけではない、一歩踏み込んだ上映イベントができるのではないかと考えている中で、様々な協力を得てVol.1の開催にこぎつけたわけです。逆に、福島の沿岸部で、津波の被害を受けて死者が多数出てしまった場所で、あの時期にシビアなドキュメンタリー映画のプログラムは組めなかったでしょうね。

鎌仲ひとみ監督『ヒバクシャ ― 世界の終わりに』.jpg
鎌仲ひとみ監督『ヒバクシャ ― 世界の終わりに』

――映画は、メディアの中でどのような役割を果たしていると考えていますか。

三浦 映画は“遅効性”のメディアであると考えています。20年前から40年前に、放射能汚染や公害に関する優れた映画が撮られていたことが大事なわけです。たとえば土本監督が『水俣−患者さんとその世界』(71)や、『原発切抜帖』(82)を撮影してくれていた。それらフィルムが残っていることにより、福島でゼロから始めなくて済む。
 いま、トークイベントを記録し、ホームページでのアーカイブ化も同時に行う作業を継続しています。過去を振り返ると同時に、現在を記録することが重要ですね。今度は20年後、40年後のために。

――Vol.2のプログラムでは、エネルギー問題、漂流する被災者、被ばくを問題視していますね。問題を発展的にとらえているのでしょうか。

三浦 もともと、「脱原発」に収れんするようなプログラムにするつもりはありませんでした。「福島」には無限の切り口があります。3・11以後、戦後民主主義の矛盾、ひいては科学文明の矛盾、あるいはエネルギー政策の問題、「国家」の問題、「地方」の問題などが一気に噴出している。もちろんそれらの問題はずっと存在していたけれど、「福島」を起点にするならば、今ものすごくアクチュアルに考えざるをえない。VOl.2のプログラムは、一見、無節操なようにも見えるかも知れませんが、実際そんなことはなく、福島を起点にして、これだけ論点を広げられますよということを見せたかった。沖縄であれ、パレスチナであれ、地震の起きた台湾であれ、「福島」と重ねることで、違う響き方をするはずです。Vol.2となり、規模が拡大したことで、イメージからイメージに飛び移って論点を広げていくことが出来ているという感触がありますね。

ジョン・フォード監督『わが谷は緑なりき』.jpg
ジョン・フォード監督『わが谷は緑なりき』

――スクリーンに映し出されている景色や風景が、見る人によって変わってきそうですね。

三浦 ジョン・フォード監督『我が谷は緑なりき』(41)は炭鉱町の話で、谷全体をひとつの巨大企業が支配している。時代が変わり産業が没落するなかで、谷の住人たちは故郷を失います。炭鉱と原子力産業は同じじゃありませんが、繰り返されている部分がある。
 佐藤真監督『エドワード・サイード OUT OF PLACE』(05)は、海外で漂流する方たちの映画です。VOl.1のゲストトークでは、福島県民の現状を指して「棄民」という言葉が使われましたが、パレスチナの人たちが抱える問題が、福島に表れているように見える。サイードの言葉を、自分たちのこととして福島の人たちが読みはじめるということはあり得ると思う。というより、すでにそういうことは起きていると思います。
 呉乙峰監督『生命―希望の贈り物』(99)とアッバス・キアロスタミ監督の『そして人生はつづく』(91)はともに大地震後を記録した映画ですが、これも連続で見ることで、浮かびあがってくる何かがあると思います。

佐藤真監督『エドワード・サイード OUT OF PLACE』.jpg
佐藤真監督『エドワード・サイード OUT OF PLACE』

――福島だけでなく、東北の人たちが孤立しているような状況下で、映画を通してメッセージを受け取って欲しいという考えはありますか。

三浦 啓蒙したいとか、情報を提供したいということではないですよね。複数の映画があって、見てくれた方が、それぞれイメージを紡いでくれるだろうと期待しているということです。

――「想像しましょう。」というコンセプトになっていますね。

三浦 団体としてのメッセージはいらないと思っています。原発事故は収拾していないし、全貌もわかっていない。もちろん、現地には生きるためになんらかの決断をしなければならない方はいるけれど、でも基本的には、想像力をできるかぎり開いておくべきだと思う。いま映画が役立つことがあるとするなら、色んなレッテル貼りや、安直な推論に陥らないための、イメージとイメージの出会いの場を設けることにおいてではないでしょうか。
 その点で、「Image.Fukushima」が行なっていることは、映画的な試みだと言えるかもしれない。「映画的思考」という言葉だと少し堅くなってしまいますが、硬直化してしまった言葉やイデオロギーを、映画によって押し開いて、現実をもっと精細に見ていきたいということです。
 映画は、まだ十分に同じような代替メディアがないくらい情報のこめられるメディアです。圧倒的に高精細なイメージを見ると、レッテル張りがバカバカしくなってくる。例えば、アッバス・キアロスタミ監督の『そして人生はつづく』もまさにそういう映画ですよね。自然がスクリーンいっぱいに映り、地震後すでに生活をはじめている人たちが映し出されます。で、そのことには、はっきりいえばなにか意味があるわけではない。あるいは、意味に収まるものではない。ただ人生がつづくという。でも、だからこそ絶対的に励まされる。

アッバス・キアロスタミ監督『そして人生はつづく』.jpg
アッバス・キアロスタミ監督『そして人生はつづく』

――実行委員はどのように選出されたのでしょうか。

三浦 実行委員は、福島在住と東京在住のメンバーがだいたい半々の割合でいます。福島在住のメンバーには、僕の昔からの知り合いもいますが、基本的には「フォーラム福島」の阿部支配人の紹介です。「フォーラム福島」はもともと、市民が出資してつくった映画館です。自主上映運動が震災前からあり、劇場も受け入れていました。ただ、自主上映運動をやっていた人は、放射能汚染に関する知識があり、その危険性についてもよくわかっていたから、多くが県外へ避難していた。当然のことだけど、本来なら上映をしてくれていたはずの人がいなかった。だから「Image Fukushima」には、その空白を埋める意味もあったのだと思っています。

――スピーカーの方には、三浦さんご自身からアプローチしたんでしょうか。

三浦 そうだった方もいますし、ほかの実行委員からアプローチした方もいます。スピーカーの方々はみな寛大に依頼を引き受けてくれました。3・11直後はみんな気持ちが高揚していましたね。周りを見渡せば、現地のためになんでもやってやろうという人がたくさんいました。僕ともう一人、最初から中心になって動いた人物に、ドキュメンタリー映画の配給会社である東風の渡辺祐一がいます。彼の周りにもいろいろな人がいて、ドキュメンタリー映画の製作や配給、宣伝をやっている人たち、ライター、デザイナー、劇場関係者が自然と集まってきたんです。

呉乙峰監督『生命 ―希望の贈り物』.jpg
呉乙峰監督『生命 ―希望の贈り物』

――全国では、原発にかんして自主上映が盛んに行われています。「Image.Fukushima」は、コミュニティシネマのような試みに似ている気がします。

三浦 コミュニティシネマの全国大会が最近広島であって、「フォーラム福島」の阿部支配人が福島の現状、そして「Image.Fukushima」の活動について話してくださったらしいんですが、それを聞いた方々から「是非、全国で、地方に呼んでやりたい」という声があったらしい。その理由を、「映画を通してコミュニティをつくっていく、あるいは、コミュニティで映画を観る原点が現在の福島にあるから」と表現してくださった方がいると聞いています。
 たしかに、映画を通してひとが集まることの切実さが、福島にはある気がしています。マス・メディアや行政の信用が揺らいでいるなか、「もう市民でやらなきゃしょうがない」とみんなが福島に集まってきた。そのような場だからこそ、福島で今後もいろいろ試していきたいですね。

――世界の各地で、「反原発」のデモが行われていますね。直接行動的に「反原発」ということではなく、なぜ上映会なのですか。

三浦 デモへ行った後に映画を観てもいいし、それは取捨選択ということではなくて、両方あればいいと思います。たとえば震災後、皆で肩を組んで、同じリズムで応援歌を歌うことが必要だった一方で、「一つになるのは気持ち悪い」と考える人もいる。そういう人が距離を置いて、意見交換する場所を設けることが出来る。それも他のメディアとの違いですね。
 映画は、基本的に一人で観るメディアだと思う。劇場ではみんなで観るわけだけど、それでもみんな一人だし、その微妙な距離感がいい。それぞれ同じものを見ても、違うことを考えて、違うことを感じることが許されるし、だから映画は、一種の同調圧力に抵抗する役割を果たすことができるのだと思います。そもそも映画ファンは、皆、肩を組んで大同団結をすることが嫌いな人ばかりですよね。暗い人ばかり集まるところかもしれない(笑)。
 テレビには一つになることを求める大衆メディアとしての役割があります。それに対し、同じ映像メディアでもそれぞれバラバラに、別のことを考えていいというのが映画ですね。別のことを考えている者同士が集まって、意見の交換やイメージの交換をする。そんな場所を設けることを、「Image.Fukushima」は目指しています。

森崎東監督『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』.jpg
森崎東監督『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』

――トークの後に、監督やゲストスピーカーとの交流会がありますね。

三浦 色んな映画祭に行って、あるといいなと思っていたのが、山形の香味庵のような交流の場所ですね。映画を観るだけで完結するのではなく、作り手と観客、県内と県外の垣根を越えて観客が集い、場合によってはお酒を飲みながら交流する。

――上映や交流の場所を設けるだけではなく、ドキュメンタリーの制作支援もしているそうですね。

三浦 制作支援ということではなくて、いま、福島でドキュメンタリーがたくさんつくられているのですが、そのつくられた映画を是非「Image.Fukushima」で上映したいと思っているということです。県外から入ってきたドキュメンタリストたちの眼差しを、福島の人たちがどう受け止めるのか、興味があります。福島の人たちはシビアなことを言うんじゃないか。「外から来て、たかだか数か月いて、何が撮れるのか?」と言われるリスクがある。逆にそういう場所をつくることにより、監督も絶対発奮するはずです。撮影する人と、撮影される人の間に回路をつくりたいんですね。

――「Image.Fukushima」は、完全に自主的な試みですよね。実行委員も皆ボランティアで参加しています。

三浦 来る人も自腹で観に来るし、私たちも自己責任で上映しています。

アンドレイ・タルコフスキー監督『ストーカー』.jpg
アンドレイ・タルコフスキー監督『ストーカー』

――鎌仲ひとみ監督『ヒバクシャ―世界の終わりに』(03)で描かれている低線量被ばくの問題を、福島県の人たちが観たらビックリするんじゃないですか。

三浦 いや、すでに放射能汚染にかんする情報は現地に溢れています。福島県民の多くは新聞の隅から隅まで目を凝らしていますし、テレビも朝から晩まで、地震、津波、放射能汚染の問題をクローズアップしています。ほかの情報交換の場もあります。自分の生活そのものにかかわる切実な問題だから、県民は放射能に関してものすごい知識を持っていると思う。県民のメディア・リテラシーは上がっていて、その辺りは心配していません。Vol.1の玄侑さんの言葉で「福島県民はいまソフィスティケートされている」とありました。愚民政策のように、この作品を上映したら悪いのではないかと決めつけること自体がおかしい。すごく洗練された人たちに見せるという気持ちがありますね。あるはっきりしたメッセージのある鎌仲ひとみ監督の隣に、それとはある意味で対極の話をする玄侑さんがいる。素敵ですよね。二人が並ぶことがおもしろい。

――Vol.1の反省点はありますか。

三浦 学生ぐらいの年代の動員が思ったほどありませんでした。映画を通してものを考えるという習慣が、もしかしたら僕らがあてにするほど無かったのかもしれません。これからはいずれにせよ若い人を集める工夫をしたい。「ドキュメンタリー映画とは何か?」という入門のところから入る必要があったのかもしれません。

――お客さんからアンケートをとっていましたよね。感想、要望や意見で、気になった点はありますか。

三浦 とてもシリアスな言葉が大半でした。そして同時に、新しいものが生まれてくることに対する期待、思いもよらぬ場が生まれてくる予感を抱いてくれた方もいらっしゃったことが伝わってきました。「本当に良くやってくれた、またやって欲しい」というような好評もありましたし、全体的には、非常にいい感触があります。

大宮浩一監督『無常素描』.jpg
大宮浩一監督『無常素描』

――今後の活動について教えてください。

三浦 VOl.2の後も継続して活動していくつもりですが、そのなかで、映画がつくられ、また、映画が観られる環境そのものについても何らかの働きかけができればいいですね。3・11以後、自主上映運動と連動した自生的な映画がつくられる気運はますます強まっていく気がする。富田克也監督の『サウダーヂ』(11)はぜひ福島で上映したいですね。そんな風にして、現状に何か一石を投じられればいいと願っています。




【Image.Fukushima vol.02 IN 東京 ユーロスペース】
福島の現在・過去・未来をイメージするための映画16本+ゲストトーク

開催期間:2011年9月17日(土)〜23日(金・祝)
会場:ユーロスペース

Image Fukushimaホームページ http://image-fukushima.com/

【上映スケジュール】
9月17日(土)
 10:30〜『そして人生はつづく』
 12:30〜『生命 ―希望の贈り物』
 15:15〜『ストーカー』
 18:15〜『世界は恐怖する 死の灰の正体』
 +19:45〜★シンポジウム「福島の現在(1)」石田葉月×吉野裕之×開沼博ほか
9月18日(日)
 11:00〜『世界は恐怖する 死の灰の正体』
 13:00〜『無常素描』
 +14:25〜★トーク:大宮浩一×瀬々敬久
 16:00〜『昭和群盗伝2 月の砂漠(破廉恥舌戯テクニック)』
 18:30〜『わが谷は緑なりき』
9月19日(月・祝)
 10:30〜『ヒバクシャ ― 世界の終わりに』
 +12:40〜★シンポジウム「福島の現在(2)」渡部義弘×村上雅信ほか
 14:00〜『そして人生はつづく』
 16:00〜『生命 ―希望の贈り物』
 19:00〜『昭和群盗伝2 月の砂漠(破廉恥舌戯テクニック)』
9月20日(火)
 10:30〜『無常素描』
 12:15〜『東京原発』
 14:30〜『ストーカー』
 17:45〜『一年の九日』
 +19:45〜★トーク:平井玄×磯部涼
9月21日(水)
 10:00〜『ミツバチの羽音と地球の回転』
 +12:15〜★トーク:鎌仲ひとみ
 13:30〜『東京原発』
 16:00〜『そして人生はつづく』
9月22日(木)
 10:30〜『六ヶ所村ラプソディー』
 13:00〜『東京原発』
 15:15〜『エドワード・サイード OUT OF PLACE』
 18:00〜『そして人生はつづく』
 +19:45〜★トーク:國分功一郎
9月23日(金・祝)
 11:00〜『生きていてよかった』+『鳩ははばたく』
 13:00〜『昭和群盗伝2 月の砂漠(破廉恥舌戯テクニック)』
 14:30〜『東京原発』
 17:00〜『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』
 +18:55〜★トーク:開沼博×雨宮処凛


タグ:岩崎孝正
posted by 映芸編集部 at 19:05 | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする