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2011年11月11日

「ヤマガタ映画批評ワークショップ」連携企画 
山形国際ドキュメンタリー映画祭2011を振り返る

 10月13日に閉幕した山形国際ドキュメンタリー映画祭2011では、初めての試みとして「ヤマガタ映画批評ワークショップ」が行われた。ドキュメンタリー批評に意欲のある書き手を募り、クリス・フジワラ、北小路隆志の両氏が講師を務めたこの企画。日本語と英語の書き手がそれぞれ2〜3名ずつ選出され、上映作品について書かれた批評は映画祭期間中に随時ネット上で公開された(英語はmubi.com、日本語は映画祭ホームページ)。映画芸術DIARYでは今回「ヤマガタ映画批評ワークショップ」と連携し、その総仕上げとも言える日本語参加者3名(吉田孝行、吉田未和、笠松勇介)によるレポートを以下に掲載する。

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授賞式

映画を観ることの根源を問い直す
吉田孝行


 10月6日から13日にかけて開催された山形国際ドキュメンタリー映画祭、インターナショナル・コンペティション部門には、101の国と地域から1,078本の応募があり、その中から厳選された15本の作品が上映された。最高賞は、イスラエルのルーシー・シャツとアディ・バラシュが共同監督で手がけた『密告者とその家族』が受賞したが、全般的に力作揃いであると好評だった。
 とりわけ、主題の提示や物語の構築よりも、時間の感覚や風景の質感を重視した作品、多様な解釈の余地を与え、観客の主体性や想像力を駆動させる作品、作り手の意図や映像の意味を観客に伝えようとするよりも、映画の解釈を観客に委ねようとする作品が印象に残った。

 リスボンを舞台としたジョン・ジョストの『失われた町のかたち』は、人々が行き交う街角の何の変哲もない日常の風景を映し撮った14分間にも及ぶ長回しのショットで始まる。街並みの静けさ、風の肌触り、降り注ぐ陽光、人々の切ない姿、といった詩情豊かな映像が続く美しい作品だ。現代社会では、美しい光景の前に立ち止まり何時間でも思いに耽るといった余裕と自由が奪われ、日常の風景は不可視となりつつある。しかし、見つめようとすることで初めて見えてくる風景があり、失った娘を思慕する作者の心情とともに、失われた町の過去の時間、人々が抱く喪失感や郷愁を、その日常の風景の背後に感じ取ることができるであろう。始まりのショットに象徴される時間が持続する世界は、見つめようとすることを観客に促すために機能しているのだ。

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『失われた町のかたち』

 優秀賞を受賞したホー・ユェンの『アプダ』も、見つめようとすることで初めて見えてくる世界、耳を澄まそうとすることで初めて聞こえてくる音の世界を表現した作品だ。中国雲南省に暮らす少数民族の農民の親子。薄暗い部屋で年老いた父親と彼を介護する息子の姿を固定カメラで延々と捉える。画面の外からは通りを行き来する村の人々の声、風で樹木が揺れる音、鳥や虫の鳴き声が聞こえてくる。そして、薄暗い室内の光景と、息子が働く農村の風景が映し出されていくが、それらは、農村の中でゆるやかに流れる時間の密度や父親の死を前にした時間の緊張度によって結びつけられている。今にも映画が終わるかのような印象を与える長回しの風景ショットが後半に繰り返され、微かに動く上空の雲や森の木々、果てしなく広がる山の遠景、といった農村の風景から、死にゆく父親を看取る息子の喪失感が醸し出される。

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『アプダ』

 被写体の語りに耳を傾けようとすることで、初めて浸ることができる語りの世界を提示しようとした作品もある。特別賞を受賞したトラヴィス・ウィルカーソンの『殊勲十字章』は、ベトナム帰還兵を尋ね歩いてインタビューを行い、その戦争体験を記録した作品ではない。ベトナム戦争に従軍した初老の元米軍兵士が、自身の戦争体験を彼の二人の息子達に初めて語る光景を映し撮った作品である。
 ある日の自宅での夕食後であろうか、テーブルを囲んで、中央奥に兵員輸送ヘリのパイロットであった父親、画面右側に監督自身、左側に監督の弟が座っている。父親は、微笑ましく雄弁に、しかし時に内省的に、入隊から戦地へ、そして除隊後までの戦争体験を、ユーモラスに淡々と語る。私たちがこれまでよく目にしてきた、枯葉剤やPTSDなどの被害を被ったベトナム帰還兵の深刻で重々しい語り口とは対照的だ。カメラは、真正面の引いた位置からテーブル越しに3人の姿を捉え、厳密な構図による同一の固定ショットが映画の最後まで続く。
 父親の語りの途中で度々ベトナム戦争の記録映像が挿入されるが、無名の兵士が撮影した未公開のその映像には、父親の戦争体験を追体験するかのような戦地の光景が映し出されている。ヘリに乗り込み戦地へと赴く兵士たち、上空のヘリから撮影された果てしなく続く戦場の風景、戦闘の合間に酒場でくつろぐ兵士たちの姿。父親の語りと戦地での記録映像が見事なモンタージュとなって観客の前に提示される。そのシンプルな構成は、父親の語りそれ自体に耳を傾けようとすることを観客に促すとともに、ステレオタイプ化された戦争体験の表象を相対化する試みなのだ。その語りの世界に浸ることで、 味方の誤射により多くの仲間の命を失った父親の悲しみや虚無感、その口封じのために与えられた勲章に対する複雑な想いを感じ取ることができるであろう。

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『殊勲十字章』

 昨今のドキュメンタリー映画は、ともすれば、「味わう」ことより「分析」することが重視され、そこに登場する被写体の語りにしても、それ自体に「耳を傾ける」ことより「検証」の材料になってしまいがちではないか。しかし、見つめようとすることで初めて見えてくる世界があり、耳を傾けようとすることで初めて聞こえてくる世界がある。今回の映画祭では、スクリーンに映し出された光景をただただ見つめること、無限に広がる音の世界に耳を澄ますこと、被写体の語りに耳を傾けること、といった映画を観ることにとっての根源的な行為へと導いてくれる、そのような作品を垣間見ることができた。

吉田孝行◎1972年、北海道生まれ。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。民間企業に勤務する傍ら、映画美学校でドキュメンタリー映画の制作を学ぶ。『まなざしの旅―土本典昭と大津幸四郎』(代島治彦監督)などの制作に携わる。


問いの対極にあるもの――『何をなすべきか?』
吉田未和


 家の浸水に手を焼いている老人がいる。パイプが壊れているのか、何度汲み出しても水はなくなってくれない。足元は常に湿っていて安心して歩けない。隣人たちがのぞきに来て助言をする。親身になって心配しているように見えるが、彼らが口々に示すのは言うは易しのアドバイスばかりで、ああでもないこうでもないと文句のような冷やかしのようなお喋りがいつまでも続く。
 あるいは全編にわたりたびたび登場し、重要な役回りを担うハサンという青年。カメラは彼の背中を追うことでさまざまな人に出会い、マフルーザという小さくも複雑な町の素顔を少しずつ、そして断片的に見つけ出していく。夜遊びに連れ立って出かけたハサンたち若者は目的もなく街を彷徨う。結婚式の行列に加わって歌い、ダンスがひとたび始まると我を忘れたかのように踊り続け、朝を迎えてもなお帰ろうとしない。
 都市化が進むにつれ、その一方で必ず発展から取り残されていく地域がある。マフルーザは世界中のどこにでもあるような貧民街だが、監督のエマニュエル・ドゥモーリスが「スラムについての映画でもなければ、貧困についての映画でもない」(「山形国際ドキュメンタリー映画祭 デイリーニュース6」)と語るように、町がスラムとなった原因や歴史、あるいは過程に映画はほとんど触れようとしない。代わりに映し出されるのはもともと始まりも終わりもない日常の些細な出来事で、5つの部分から構成されたエピソードのひとつひとつに、いささか長過ぎるくらいの時間が費やされる。程よいタイミングでクライマックスを迎え画面が切り替わることを期待していると、この異様に間延びしたテンポにはじめは違和感すらおぼえるほどだ。だがこれは、本来の彼らの生活に流れている時間と同じものであるはずで、こうやって何も起こらないことを映し続けることの効果は、映像そのものが日常の退屈さの隠喩になるというところにあるだろう。そこに気怠さのようなものを感じるとすれば、日常とはこんなにも何も起こらない退屈なものだという事実に気づかされることの物憂さなのだ。

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『何をなすべきか?』

 ある雑貨店の老店主が、居合わせたハサンたちを前に「貧困は無為を生む」と語る。自分には仕事がないから予定もない、だからこうやって怠惰に暮らしているのだと。彼の言葉は生活意識に根ざした尤もらしい理屈のように聞こえる。だがよく考えてみれば、この感じ方はわたしたちの持っているものとはどこか違うものだ。貧困とは文明が生み出した病で、無為はむしろ人間の本来の姿ではなかったか? 無為とは苦役や日常の煩雑さから解放されている状態。たとえばそんな風に考えることはあっても、少なくともわたしたちは無為を貧困と結びつけたりはしない。だが、仕事がなく困窮している彼らにとって、無為はまったく別の意味を帯びている。働くことができず、お金が入らない結果として無為が生じるのだ。
 わたしたちは映画で今見たばかりの情景を思い出し、無為の本当の意味を探そうとする。水浸しの家の中を直せないのは、彼らが貧しいからなのだろうか。ハサンが熱心に歌を歌い、いつ果てるとも知れない踊りに夢中になっているのは、貧困ゆえなのだろうか。いつしか画面の牧歌的な光景と、その奥にある、彼らの生活を本当に支配しているものが二重写しになる。

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『何をなすべきか?』

 監督はこの映画のタイトルがレーニンの著作から来ていることを明かした上で、マフルーザの人々を「小さな革命家」として描きたかったと述べる(前出インタビュー)。映画は彼らに革命家としての希望を託し、新しい未来があることをほのめかす。しかし、レーニンはその著作の中で、革命は先進的な理論によって導かれるものと考え、人々の無意識のレベル(自然発生性)から起こることをはっきりと否定していたのではなかっただろうか。
 レーニンの時代から一世紀が過ぎ、社会が抱える課題も、その中で生きる個人のありかたも大きく変容してしまった。ハサンは歌を歌い続け、雑貨屋の老店主は町の片隅で独自の哲学を編み出し、貧しい夫婦は子どもをもうひとり作ることを決心する。革命とは、もはやこんなささやかなものでしかないのかもしれない。端から見れば成果は乏しく、他者には達成感や充実感を読み取ることも難しいだろう。
 マフルーザの人たちが過ごす無為の時間は、何をなすべきかという大仰な問いからはほとんど対極にあるように見える。だが、社会が生み出した貧困が、その層に生きる人たちに窮乏と同時に無為を与えたのだとすれば、この無為は今もっとも革命に近いところにあるはずだ。マフルーザの人たちが実践する日常の些細な行為の先にあるもの、すなわち彼らが夢見る未来は、もはや革命など起こりえない世界における小さな希望である。ハサンは革命を起こしたくて歌を歌うのではない。それでも、歩いているときも、友人と遊んでいるときも、彼の口からは歌が自然と生まれてくる。わたしたちの世界はレーニンからは遠く離れたところに到達したが、変革への一番の近道は、こんな風にいつでも日常のすぐ隣にあるに違いない。

吉田未和◎1973年、山形県生まれ。お茶の水女子大学卒業、東京大学大学院修士課程修了(専門は日本近代文学)。現在、オンライン古書店「桜桃社」を運営。山形市在住。


「公開講座:わたしのテレビジョン 青春編」萩元晴彦・村木良彦の3作品を見て
笠松勇介


 以下で論じる3作品は、萩元晴彦や村木良彦がTBS在籍時にディレクターを務めたドキュメント番組である。1966年に制作された「あなたは・・・」は、道行く人々に意表をつく質問をしていくことで日本人の国家観や人生観を浮かび上がらせる手法が話題となった伝説的番組で、翌67年の「われらの時代」では20代の男女5人が青春、性、政治といった話題をやはりインタビューの手法により赤裸々に語る。他方、結果として村木がTBSで最後に制作した紀行番組となった「わたしの火山」(1968)では、先の2作とまったく異なる手法が採用され、桜島を舞台にひとりの若い女性が火山を追い求め彷徨する姿が描かれる。

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「あなたは・・・」(C)TBS

 題名に2人称や1人称複数を含み、ともに実験的なインタビュー手法が用いられる「あなた〜」と「われら〜」は、出演者のみならず番組の視聴者をも射程に入れた対話と問いかけのドキュメントだ。画面の多くが登場人物のアップで構成されており、顔を除いた身体や外部の風景を排除することで、視聴者の関心を人物の発する言葉へと集中させる。「あなた〜」では、「今、一番欲しいものは何ですか」、「月にどの位お金があったら足りますか」等という日常的、具体的な要素と「あなたにとって幸福とは何ですか」、「あなたはいったい誰ですか」等といった観念的、形而上学的な要素の質問が並行して回答者(出演者)に投げかけられ、それらは最終的に視聴者に対する問いとして機能する。特に「われら〜」では、インタビュアーの肉声や姿も基本的に排除され、その結果5人の人物それぞれがダイレクトに視聴者へ語りかけてくるようだ。

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「われらの時代」(C)TBS

 村木は自身の手法について「伝達されるべき内容(いわゆるテーマや現実)→フィルムによる表現という制作プロセスを常に逆転し、或いは同時にする<アクション・フィルミング>の方法と、モンタージュを徹底的に拒否する<コラージュ>の方法、この方法の中に67年から68年にかけての状況感覚がある」(「お前はただの現在にすぎない」)と述べているが、「あなた〜」、「われら〜」と「わたし〜」の間には何か大きな断絶があるのではないか。「わたし〜」は題名のみならず内容をも含めた意味での「わたし(1人称単数)」の火山であって、あくまでも主人公の内的な世界を描き、自己発見をテーマとする。「なぜ火山を見たい?」、「わからない」といった自問自答、主人公が唯一他者である男と交わす会話におけるアラン・レネの『ヒロシマモナムール』(1959)の多大な影響を感じさせる観念的なダイアローグなど、ここには他者との対話や視聴者へのダイレクトな問いかけはほとんど存在しない。本作では、「あなた〜」や「われら〜」に見られた同時録音を駆使したドキュメントとしての即物的な生々しさも希薄であり、代わって2作にはほとんど見られなかった映像と音声の分離、非同期性が際立つ。冒頭からのめまぐるしいカット割りに加え、ビートルズの「イエロー・サブマリン」やザ・フォーク・クルセダースの「帰ってきたヨッパライ」といった流行歌が流れるものの、主人公の独白めいた科白で度々打ち消され断片化されることで、ここでは同時代性よりも切断こそが強調される。桜島から煙が立ち上る様子を眺める主人公のショットに「私は火山を求めて歩く」とオフで独白が重なり、作品は終わる。無論、紀行番組という枠のなかで様々な制約があったことは想像できるが、しかし「あなた〜」と「われら〜」では現在の様々なテーマが語られているのに対して、本作で主として語られるのが「過去」なのは果たして偶然なのだろうか。本作が制作された68年は、日本の運命を大きく変えた戊辰戦争開戦からちょうど100年であり、主人公が西南戦争の戦没者たちの墓地を歩くショットでは歴史的な経緯がモノローグで語られ、戦いの様子を再現するような音声が入り込む。ここでは現在を生きる主人公の現実感の希薄さに対し、奇妙にも死者や墓(といった過去)が実体として存在感を持つようなのだ。

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「わたしの火山」(C)TBS

 これはひとつの推測に過ぎないが、村木らは意識的か無意識的かに関わらず、今では68年革命と称される世界的な激動の時代のなかで、すでに政治の季節の終焉とその荒廃の予兆を感じ取っていたのではないだろうか。高度経済成長とともに複雑化する社会を背景に、大きなイデオロギーを共有し、「われら」として共闘・闘争を継続していくことの困難さが増し、それに伴う閉塞感も次第に切迫したものとなる。そうした時代状況も鑑みれば、ここでの3作品に、2人称や1人称複数から1人称単数へ、あるいは現在から過去へと向かう視点の変遷を巡るドキュメントを目撃しうるのではないか。「わたし〜」からは、そのような現実に対する断念と他者との共闘への絶望を読み取ることも可能である。そして何よりそこにはテレビドキュメンタリーの現在と未来を真摯に思考していた村木らの迷いが垣間見えるだろう。「わたし〜」の放送から2ヵ月後の68年3月、番組内容や取材方法を巡ってTBS闘争が始まる。闘争に敗れた村木らは70年にTBSを退社して制作者集団「テレビマン・ユニオン」を立ち上げ、新たな闘争を模索していくことになる。

 村木らにとってテレビとはなんだったのか。最後に村木の言葉を引用しよう。「(前略)私とあなたあるいは私以外のものとの<関係>を変えるような方法こそがテレビジョンではないか。従って、ある思想や観念をテレビで表現するのではなく、どういうテレビジョンをつくるかということがひとつの思想であるような<方法>である」(前掲書)。

笠松勇介◎1987年生まれ。京都造形芸術大学映画学科、プロデュースコース卒業。卒論では神代辰巳について論じた。現在、大学院進学に向けて準備中。

山形国際ドキュメンタリー映画祭サイト http://www.yidff.jp/home.html
posted by 映芸編集部 at 12:26 | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする