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2011年11月21日

映画館だより『一命』 
アトラクション的3Dを越えて――『一命』の立体感 
神田映良(映画批評)

 かつてチャップリンはトーキーに反対し、映画は純粋に視覚的な芸術だと主張したという。このところ相次いで公開されている3D映画に対しては今のところ、映画は純粋な平面の芸術だとして反対する声は聞かれないが、それは映画の3D化が受け入れられたからではなく、芸術性を真面目に云々する対象と見られていないからだろう。時代劇初の3D映画『一命』は、9月29日から10月2日までアメリカ・サンフランシスコで開催されていたパロアルト国際映画祭に於いて、3D映画を対象とした「PAIFF Dolby 3D賞」を受賞した。原作は滝口康彦による短篇小説「異聞浪人記」。1962年には『切腹』として映画化されている。別に、血や内臓が画面から飛び出すような映画ではない。殊更3Dの為に撮られたのでもなさそうな作品だが、3Dならではの、個々の被写体の質感と、遠近感による空間性、この両面に於いて、表現手段としての3Dの可能性を占うのに格好の材料を提供してくれている。

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 物語の舞台は、戦国の世が終焉した時代。政治的な思惑による御家取り潰しが相次ぐ中、巷では、生活に窮した浪人たちの「狂言切腹」が流行っている。惨めに生き恥を晒すより、武士らしく腹を斬って果てたいのだが、ご当家の玄関先を貸してはいただけないか。そう頼み、迷惑を避けたい相手から幾ばくかの金銭を得ようという行為である。津雲半四郎と名乗る浪人が井伊家の屋敷を訪ね、くだんの口上を述べたとき、迎えた老職・斎藤勘解由は、以前に同様の用件で井伊邸を訪れた千々岩求女という浪人の、凄惨な最期を語りだす。
 この求女は、半四郎の婿であり、同じ主君に仕えた千々岩甚内から託された子でもある。半四郎は、幕府の謀略によって主君が取り潰しに遭った為、傘作りの内職をして糊口をしのぐ身となり、求女も寺子屋で教えることで僅かな稼ぎを得ていた。求女が寺子屋で教える姿は『切腹』で既に描かれていたが、『一命』の求女は、「武」の価値観とは無縁な性格を、より強めている。そんな求女にとって書物は半身のような物の筈だが、家に積まれた書物は、貧しさ故に質草となり消えていく。求女が、自己の存在を切り売りするような行為を繰り返すのも、妻であり半四郎の娘でもある美穂の薬代の為であり、武士の誇りとしての刀もいつしか売られて、竹光しか持たぬ身となる。このことが、武士の面目に執着して刀を売らずにいた半四郎の悔恨を、より痛烈にする。『切腹』と比べても明らかなのだが、『一命』は、こうしたひとつひとつの「物」に様々な心情を託しており、3Dによって際立つ物の実在感がその演出を補強する。半四郎が、出迎えた勘解由の前で畳の上に置く刀。内職で作る傘。半四郎の、着古した着物の毛羽立ちは、井伊邸の中庭のシーンで陽に照らされ、更に立体的になる。殺陣のシーンで半四郎を狙う刀も、竹光とは違うその刀身の冷たい輝きを浮き立たせる。また、勘解由が食べるサザエに始まり、求女が井伊邸で供され、妻子の為に懐にしまった菓子、求女が買った卵が子供らに衝突されて割れるシーンなど、食べ物もたびたび登場する。
 『一命』で、3Dが最も鮮やかに表われるのは紅葉のカットだが、井伊邸が赤を基調とした造りであることや、井伊家の武勇の象徴である赤備えの鎧兜など、「赤」は、その美に於いてこそ死を孕む武士道の暗喩でもある。自宅に返された求女の亡骸から現れる菓子は緑の葉を模っており、求女の血の「赤」と併せ、紅葉の美に凄惨さを添える。紅葉のカットに遥かに先立ち、少年期の求女が半四郎と釣りをするシーンでは、彼らの傍の樹が緑の葉を見せていた。求女は、体の弱い美穂の為にと鯉を釣りあげる。この光景が、血に染められるのだ。求女の亡骸の傍で美穂は、死んだ金吾に菓子を分けて食べさせようとする。これは、半四郎や求女が菓子を食べようとするシーンで、遠慮する美穂に「二人で食べた方が美味い」と勧める台詞や、孫の金吾の「御食初め」で半四郎が、相好を崩しながら金吾の口許に食べ物を寄せていたシーンを反復している。

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 「異聞浪人記」では、金吾は半四郎の「かつては打物とった無骨な手に、金吾を抱き、魁偉な顔に、さまざまなおどけた表情をつくっ」たり、「屈指の驍勇を謳われた頃の面影を、どこに置き忘れたのかと思われた」など、泰平の世に無用となった武人としてのギャップが、平凡な幸せを得るという明るい面として表現される際に、間接的に描写されている印象が強いが、『一命』は『切腹』以上に金吾のカットを増やしている。『切腹』では金吾の顔は、病に伏せってから画面に捉えられるが、『一命』は「御食初め」のシーンを利用してクローズアップを挿むなどし、その、ぷくぷくとした滑らかで柔らかな肌も、3Dによってより触覚的に感じられる。この元気な姿との対照性があるが故に、病に罹った熱っぽい顔を捉えたカットも哀れを誘う。映画は、「幸福」といった抽象的な概念も画として視覚的に見せる必要があり、その要素として新たに「立体感」が加わったことの恩恵が確認できる。
 3Dの「空間性」に関しては、例えば、半四郎と美穂が、金吾に身を寄せてその死を嘆くシーンや、中庭で半四郎が井伊家の家臣たちに取り囲まれるシーンに於いて、人物が壁となることで構築される濃密な空間が、出来事の空間化とも呼ぶべき劇的な効果をあげている。日本家屋の、障子、襖、柱、灯籠による空間の立体性も、それ自体の視覚的な美にとどまらない。井伊邸内では幾つもの襖によって人物間が隔てられ、屋敷内に多層的な空間が構成されることで、建て前や嘘で織り成される場に相応しい空間が演出される。求女らの貧しい住まいが、そうした隔たりのない開かれた空間であるのと対照的だ。これらは平面の映像でも確認できはするが、「構図」として見てとれるのと、「遠近感」として感じられるのとでは、体験として別の次元にあると言うべきだろう。
 3Dの視覚的な効果が特に際立つ画としては、透明ないし半透明の物体を通したショットを挙げることができる。『一命』では蚊帳越しの画がそれにあたる。蚊帳の中で眠る金吾のカットでは、赤子を守るように包み込む空間性が醸し出される。窮状に置かれた美穂を求女が励ますシーンや、金吾の死を半四郎と美穂が嘆き哀しむシーンでは、彼らを囲む蚊帳が私的で濃密な空間を生む。蚊帳の所々に空いた小さな穴さえも、手前の蚊帳と奥の空間の遠近感を垣間見せて美しい。3D映画の『トロン:レガシー』は、擬似現実空間で上下左右に透明な仕切りを重ねた多層的空間を構築していたが、そうした仰々しい画作りよりも、窓ガラスのようにありふれた対象に於いてこそ、あらためて3Dで観ることで際立つ美しさがある。最近で言えば、ジョニー・トーの『単身男女』は、隣同士のビルで働く男女が、大きな窓ガラス越しにパフォーマンスを繰り広げて心を通わす行為の反復で構成されていたが、そうした空間性が目指された作品こそ3Dで撮られるべきだった。

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 『一命』は、偽の刀である竹光が本物として強引に使用されるという点に全てのドラマが集約されているとも言えるだろう。求女を演じる瑛太は脚本(『月刊シナリオ』2011年11月号掲載)の「すらりとした優しい面立ちの青年」という描写そのままの容姿であり、執拗なまでの切腹シーンにもより悲痛さを加える。「異聞浪人記」の求女はまだ武士の価値観の枠内におり、その中で敢えて「血迷った」のであり、『切腹』もそうしたイメージを引き継いでいる。だが『一命』では武士の規範は、もとより求女の性格とは合わぬ、外在的な障碍なのだ。彼が竹光を帯びていることも、武士の誇りを売り払わざるを得なかった屈辱よりは、もとより「武」の価値観と無縁の求女が、社会的な圧力としてのそれに押し潰される悲劇をこそ際立たせる。「竹光」という呼称は、刀匠の名が「兼光」「国光」「吉光」などであったことに由来し、紛い物の刀にそうした名を付けるのはひとつのアイロニーに違いない。この、紛い物を半ば本物のように扱うことでその偽装をあからさまにする構造は、井伊家が求女の狂言切腹を本物として扱い、追いつめる行為に似ている。求女は、狂言切腹の証しとしての竹光によって、却って真剣を用いるよりも苦痛に充ちた死を強いられる。モノクロ映画である『切腹』では竹光は、井伊家の家臣が手で曲げることでその素材が表わされていたが、『一命』では、色彩に加えて3Dによっても、その材質感が見てとれる。求女が竹光による切腹を強いられるシーンでは、震える手で己の腹に突き立てる竹光の、今にも折れそうな刀身や、遂に折れて尖った刀身が少しは刀としての用をなす惨い有様が、立体感をもって生々しく映し出される。
 井伊家の家臣たちの中でも、松崎隼人正は求女に対して同情的な表情を見せていた。彼も結局は、求女に対して最も冷酷に振る舞った沢潟彦九郎らと共に、半四郎によって髷を切られてしまうのだが、切られた三人のうち、沢潟は皆の見る前で腹を掻っ捌き、川辺右馬助は一人、部屋の中での切腹。だが松崎は、井伊家の家臣たちの訪問を受けて振り返るカットが最後となっている。これは、「異聞浪人記」と『切腹』いずれと比べても、「武士の面目」に於ける各人の間の濃淡が明確化されている。脚本では自身も切腹している松崎にそれをさせず、強いられた死を暗示することで切腹は、「武士の面目」から、それを装った「処刑」に変じる。三人それぞれの、半四郎との斬りあいによってその「武勇」の濃淡を描いた『切腹』に対し、『一命』では斬りあいの方では三人まとめて敗北する。『切腹』では、最も梃子摺らされた沢潟の腕前について半四郎は、所詮は実戦の伴わぬ、畳の上の水練と評する。「実戦」的な「武」の実力を振るい、泰平の世にあって形骸化した「武」を討つ半四郎は、井伊邸を「実戦」の血で染め、最後は切腹して果てる。対して『一命』は半四郎に、求女の想いを引き受けるように竹光で戦わせ、より「武」の価値観から離脱する。井伊邸内の大きな家紋は、『切腹』では壁面に描かれているのだが、『一命』では彫り物として立体的に造形され、3D画面にその存在感を誇示する。『切腹』と同じく、井伊邸での立ち回りに於いて、壁面にある大きな井伊の家紋を背後にした半四郎が敵方と対峙するシーンがある。中庭で半四郎と向かい合っていた勘解由は、ずっとこの家紋を背にして座っていたのだが、井伊家の誇る「武勇」を劇中で最も示すのは、井伊家の家臣たちではなく半四郎なのだ。
 決定的なのは、勘解由が脚に障碍を負い、引きずりながら歩いていることだ。老職として井伊家の武勇の誉れを保とうとする彼自身が、半四郎のように武勇を示すことが絶対に叶わぬ身なのだ。勘解由は「異聞浪人記」では一貫して陰険な性格であり、『切腹』ではそれに沿った人物像でありつつも、徐々にその顔に暗い懐疑の影が差していく。『一命』では、苦痛に苛まれる求女の介錯をなかなか行なわない沢潟に痺れを切らし、勘解由自ら求女に刃を振るい、その妻子にも、求女が乞うていた金子三両を贈る。そもそも勘解由の対応は、武士の規範に照らせば特にこれといった落ち度はなく、むしろ半四郎の私情は、その規範の外で生きることが叶わない自らの身の枷にもがいている。『一命』は勘解由を、規範の権化ではなく、立場上、規範を保たねばならない人物として位置づけることで、より武士道を相対化している。『一命』が描くのは、赤備えを始めとして、小判、切られた髷、家紋、刀等の「物」の方が、価値を担う存在として人間よりも尊ばれる倒錯である。繰り返すが、そうした個々の物の存在をより浮きあがらせるのも3Dなのだ。

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 求女がその妻、つまり半四郎の娘でもある美穂と暮らす家や、求女が教える寺子屋には、白い猫がうろついている。井伊邸にも、白い猫がいる。前者の猫は、最後には美穂の所へ帰ってきて死ぬ。そのシーンでは美穂自身も吐血する。だが後者の猫は、井伊邸で人間どもが必死で大立ち回りを演じているさなかにも、勘解由より大きな顔をして堂々と座っている。このカットでもやはり、3Dであることで、猫と奥の空間との対比により、猫の存在感が浮きあがって見える。半四郎は中庭で、こんな台詞を言う。「侍の人生、思うに、栄達をはかるも憂き目に遭うも、ふとした巡り合わせ次第。ともすれば求女がそれへ座り、貴公が求女のような身の上になっていたかもしれぬ」。白猫による画面の横断は、この台詞がそのまま横断しているようなところがある。
 切腹シーンの、剥き出しにされた肉体が、突きたてられた刀身に抵抗する物質感と痛みを思えば、井伊家の赤備えの、本来は肉体を包み守る筈の武具それ自体が、中身が空のままに崇拝の対象とされる光景は皮肉である。赤備えは、亡霊のように不気味な存在感を誇示する一方で、半四郎が井伊邸で演じた大立ち回りの際には、彼によって引き倒されてしまう。この、『切腹』に倣ったシーンの、バラバラになって床に転がる赤備えのカットでも、「物」としての空虚さが3Dによって立体化した感がある。だが赤備えは、血肉を有した存在ではないからこそ、容易に甦りもする。ラストシーンでは、井伊邸に戻った当主・直孝が、赤備えについて「手入れをしてくれたのか」と言う。半四郎の憎悪と哀しみが暴風のように吹き荒れた井伊邸だが、彼が痛烈に批判した「武士の面目」は、単に「手入れ」がされただけという外見を、完璧に保つのだ。加えて、この当主の若さは、求女の若さとも対応して見え、「栄達をはかるも憂き目に遭うも、ふとした巡り合わせ次第」という半四郎の言葉を想起させる。
 現在の3Dが派手な表現に偏りがちなのは、『一命』に見られるような目立たぬ細部に於いて3Dが果たす美学的機能が、未だ意識されていない為であり、それがまた観客に、3D映画への固定観念を強化させてしまう悪循環を招いているのではないか。3Dがアトラクション的表現に特化されたまま、その単調さ故に飽きられ衰退すれば、今の我々が「トーキー」を奪われるのに匹敵する損失を将来に残すかもしれない。制作者の姿勢のみならず、我々観客が、漫然と画面を「眺める」のではなく確かに「観て」いるのかも、問われているのだ。



『一命』
監督:三池崇史
脚本:山岸きくみ 原作:滝口康彦『異聞浪人記』より
エクゼクティブプロデューサー:中沢敏明 Jeremy Thomas 
プロデューサー:坂美佐子 前田茂司
撮影:北信康 照明:渡部嘉 美術:林田裕至 録音:中村淳 
編集:山下健治 音楽:坂本龍一 衣裳デザイン:黒澤和子
出演:市川海老蔵 瑛太 満島ひかり 役所広司 竹中直人 
青木崇高 新井浩文 波岡一喜 中村梅雀 笹野高史
制作:セディックインターナショナル 配給:松竹
2011年/126分 (C)2011映画「一命」製作委員会

公式サイト http://www.ichimei.jp/

絶賛上映中(2D・3D同時公開)
タグ:神田映良
posted by 映芸編集部 at 14:46 | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする