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2012年01月08日

映画館だより『孤独な惑星』 
女性の好きなスポーツ? 
馬越望(映画批評)

 こともあろうに2011年3月11日に先行お披露目上映が予定されていたため、上映の延期を余儀なくされた筒井武文監督作『孤独な惑星』だが、その日の非常事態に直面しても尚、主演の綾野剛の舞台挨拶を一目見んとする若い女子群は列を乱そうとしなかったし、5月の振替上映のときには同じ理由によりあの女子率の少ないアテネフランセ文化センターの、前から五列目までを女性たちが埋めたという逸話は、映画の強靭さと、「彼」がそこ――「わたし」がいる空間と地続きの場所――に確かに存在するのを「見たい」という、映画俳優の身体性をめぐる映画の最も新しく美しいゴシップとして、映画史の片隅に刻まれることになるだろう。そして3月11日に陽の目を見ることを断念させられた映画は5月の一度きりの邂逅から半年ばかりの時間を経て12月のユーロスペースに復活した。
 綾野剛を見たいという欲望は、映画のなかでも反復される。否、現実が映画を模倣したのだろう――竹原綾演じるOL真理が綾野剛の演じる金田哲男を見つめることからこの映画は始まるのだから。

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 出会いのシーン、二人の目と目があった瞬間、真理が無下に捨て去った、友人の結婚報告のハガキに火がついて、それは闇の中に燃え上がる。見つめる真理の顔から切り返された画面では、炎に照らされてオレンジ色に輝く哲男が長細い手足を持てあますように両膝を抱えてうずくまっている。この一連のショットは真理の哲男へのそれと同じくらい監督のフィルムへの恋の表明にも感じられる(この映画は16ミリで撮られている)。フィルムという物質は恋のように儚く燃え上がるのだ。そういう意味でこれは映画に対する映画監督の恋愛映画でもあるわけだが、あらゆる優れた恋愛映画がそうであるようにこれは単なる恋愛のための恋愛映画ではない。
 真理と同じアパートの隣の部屋で、哲男は亜理紗(三村恭代)と同棲している。ある夜、真理は隣の二人が激しい痴話喧嘩をしている音で目を覚まし、壁に耳を当てて様子を窺う。哲男が部屋を追いだされると真理はすかさず玄関の覗き窓から哲男を見る。哲男は真理の部屋のドアをノックする。そのときから哲男は真理のベランダに居候することになる。
 哲男を演じる綾野剛は、骨が浮かび上がるくらいぴちぴちのシャツを身に纏い、まるで吸血鬼ノスフェラトゥのように見えつつ、しかも魔人ドラキュラのように女性を魅了する。そういう空気を醸し出す人間はそうはいないだろう。まさに彼でなくてはならないという映画俳優の身体性を備えているというわけだ。それは綾野剛や、脇を固めるミッキー・カーチスや水橋研二等を選んだ実に的確なキャスティングの妙もさることながら、筒井武文が『孤独な惑星』の次に撮った『バッハの肖像 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2009より』(2010)で監督と本作に引き続いてタッグを組んだ撮影監督の芦沢明子との共同作業に依るところが大きい。
 『バッハの肖像』は2009年に東京国際フォーラムで催された企画「バッハとヨーロッパ」を記録した映画である。筒井監督本人が「『孤独な惑星』と『バッハの肖像』は姉妹編であり、『バッハの肖像』を撮りながら『孤独な惑星』をドキュメンタリーとして撮り直しているような気持ちだった」と語る(※)ように、ドキュメンタリーとかフィクションとかいう枠を超えた、被写体の身体性へのまなざしをこそ、彼らは重視している。バッハを演奏するタチアナ・ヴァシリエヴァのチェロに共鳴しながら踊る勅使川原三郎の驚異的な動きは『孤独な惑星』の俳優たちの演技とそう遠いところにあるわけではない。『孤独な惑星』の役者たちは、まさに勅使河原の舞踏を監督が演出していないのと同様に、監督の演出を離れて、ほとんど踊っているようにさえ見えるし、あるいは自らの身体を演奏しているようでもある。それは、筒井と芦沢が組んだ最初の映画『オーバードライヴ』(2004)の津軽三味線の演奏シーンにも共通するイメージである。『オーバードライヴ』が、音楽映画であるとともに、三味線による演奏合戦のシーンはある種のスポーツ映画としての側面をもっていたように『孤独な惑星』もまたスポーツ映画のように見ることができる。先述したように俳優たちの身振りは、森永泰弘の卓抜なサウンドデザインの効果もあってか踊りのように見えなくもないし、人と人との距離感は、まるで間合いをとりあうボクサーのようでもある。特に竹原綾はパンチの代わりに挨拶を繰り出す名ボクサーである。 

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 すべては距離感の問題なのだ。そこに女性がいたら抱きつかずにはおれない男たち(彼らは彼らで「男性の好きなスポーツ」に興じているのだろうが)に対して、真理は、時に壁や窓やドアで相手の動きを封じ込めつつ、挨拶で相手との距離を確かめているようである。その証拠に彼女は挨拶を交わしながら決して相手から視線を逸らさない。お辞儀をしても逸らさない。相手との距離を見誤らないためだ。この映画が、「はじめまして」で始まり、幾度かの「おやすみなさい」や「おはよう」を経て、「ありがとうございました」と「どういたしまして」で終わるのは偶然ではないのだ。
 挨拶だけではない。真っ白な世界地図に、自分や周りの人間を表していると思われるピンを刺したり抜いたりして真理は別のパンチを繰り出している。彼女によって祈りと説明されるその行為は、断絶した世界の中で自分の立ち位置を必死に見つけようとする「孤独な惑星」としての真理の再生の儀式だ。寝言で「わたしもシカゴに連れて行って」と洩らす真理はなにか絶対的な距離感、乗り越えられない別離を過去に経験している人間なのだ。
 男性の好きなスポーツが、ハワード・ホークス御大の意見を窺うまでもなく「女」だとすると、女性の好きなスポーツは何だろうか。それは言うまでもなくボクシング……ではなく有り体に言えばそれは「恋」だろう。しかし物事の順序やタイミングを重視する彼女は、恋をするために、まず時間的、空間的な距離を相手との間に差し挟まなければならない。だから彼女はベランダと部屋という隣接した空間やお隣同士という近さを、遠さに偽装する役割を窓や壁やドアに果たさせる。それらの装置は言うまでもなく彼や彼女を分断する障壁として、また領土を分かつ境界線として機能する。
 境界線を成しているのは窓と壁だけではない。真理の部屋を最もよく特徴づけるのはリビングとダイニングキッチンの間のど真ん中に立つ柱である。キッチンから撮られたショットでは二人はしばしばこの柱の左右に分断される。それは明らかな境界線を成している。真理が夜窓を開けたままソファで眠り込むシーンでも、ベランダにいる哲男が真理に物干し竿を使って部屋に入らずに毛布をかけようとするとき、二人の間にあるこの柱が画面中央にまっ黒な線を引き、まるで画面分割しているようになる。そのため、二人の間には本当の距離以上の距離が横たわっているように見える。その線をカメラがゆっくりと左に移動することにより哲男が乗り越えるとき、二人の距離感はゼロになり、哲男は真の越境を果たすことになる。ソファで寝込んだ真理の目の前で哲男がとる行為(とらない行為)は感動的だ(それはイェジー・スコリモフスキの『アンナと過ごした4日間』[2008]で同じ状況に置かれた主人公の成した決断を想起させる)。彼は彼女の興じるスポーツの規則に従うことを選ぶのだ。

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 哲男は選ぶことができる。いつ戻るか、あるいは戻らないか。彼は放蕩息子なのだ。放蕩息子の帰還するとき、ルカ伝の逸話のように真の抱擁が交わされるであろう。ただその抱擁は、別れの抱擁でなければならない。この映画の二人の女は、接触を拒否して他者を遮断してきた。寂しかろうが、失恋しようが、身体を共有することを拒否するのだ。ところで男たちは執拗に女に飛びつこうとする。劇中で、男が女に抱きつくこと、実に五回のうち、最後の一回の抱擁を女は受け入れる。女は相手に身を任せ、涙を流す。両者が興じて来たスポーツはそこで頂点に達するだろう。ただ女はその抱擁が長く続かないことを知っている。二人は離れる。離れることによって二人の女と一人の男のあいだに恩寵のように和解が訪れる。それは真理が、断絶された世界のなかに自己の立ち位置を見出した瞬間でもある。
 作中でオマージュの捧げられるロベール・ブレッソンの『白夜』(1971)を思わせもするラストシーンで誰と誰が最後に抱擁を交わすのか、ぜひ映画館で確かめてもらいたい。

※2011年12月16日にオーディトリウム渋谷で『バッハの肖像』が上映された際の、芦沢明子と筒井武文のトークショーでの発言



『孤独な惑星』
監督・編集:筒井武文
脚本:宮崎大祐 プロデューサー:横山昌吾
撮影監督:芦澤明子 美術監督:三ツ松けいこ
音楽:ピエール・バスティアン 遠藤慎吾 音楽監修:岸野雄一
録音:良井真一 整音:黄永昌 照明:御木茂則
出演:竹厚綾 綾野剛 三村恭代 水橋研二
ヒカルド 市山貴章 ミッキー・カーチス
2011年/94分/35mm/スタンダード

渋谷ユーロスペースにて連日21:10よりレイトショー上映中
WEB:http://kodokuna-wakusei.com/top.html
Twitter: @kodoku_wakusei

*上映後にゲストトークを予定しています。
1月8日(日) 松田広子さん(プロデューサー) 筒井武文監督
1月9日(月) 大和田俊之さん(「文科系のためのヒップホップ入門」著者)
宮崎大祐さん(『孤独な惑星』脚本) 筒井武文監督
1月10日(火) 黒沢清さん(映画監督) 筒井武文監督
1月11日(水) 塩田明彦さん(映画監督) 宮崎大祐さん
1月12日(木) 榎戸耕史さん(映画監督、桜美林大学総合文化学群映画コース教授)
筒井武文監督
1月13日(金) 筒井武文監督
posted by 映芸編集部 at 15:59 | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする