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2007年06月29日

『プライド in ブルー』
中村和彦監督インタビュー

知的障害者のサッカーワールドカップ 2006年大会に出場した選手たちと、大会の様子を追ったドキュメンタリー『プライド in ブルー』。デビュー作『棒』(02)でAV男優の青年と彼を取り巻く人々を描いた中村和彦監督が、劇場第2作となる本作で目指したものは何だったのか。

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中村和彦監督

――新作『プライドinブルー』についてうかがう前に、監督のプロフィールを教えてください。

福岡県の三池炭鉱がある大牟田市で育ったんですよ。高校時代は野球部で、野球漬けの生活でしたね。バリバリの体育会系ではなく屈折した野球少年という感じで、練習後、映画を見に行ったりしてましたけど、将来映画をやろうとは思ってもいませんでしたね。

――早稲田大文学部に入学されたとのことですが……。

韓国に興味があって、朝鮮近代史を勉強していました。韓流ブームなんて想像もつかない時期だったので、時流に乗れてないんですけど(笑)。

――映画をやろうと思ったきっかけはあったんですか。

高校時代に事故でじん臓破裂して死にそうになったんですよ。だから今はじん 臓1個しかないんですけど、その体験が映画へ向かうきっかけになっているのかもしれません。大学に入って本格的に映画を見始めたんですけど、見ているうちにやりたくなってシナリオ講座へ行きました。
あと、それとは違うルートでピンク映画の助監督をやってました。ただ、本格的な助監督というよりは学生生活の合間に経験しているノリでしたね。そんなことをしている時に、たまたま映画館で池田敏春監督を見かけたんですよ。『人魚伝説』(84)とか好きだったから、思い切って話しかけて連絡先を渡したんです。そしたら、何ヵ月後かに制作進行のいちばん下が足りないからと電話がかかってきたんです。それが『魔性の香り』(85)で、それから現場の仕事をするようになり、ずるずると大学も中退してしまいました。

――デビューするまで、池田敏春、森安建雄、細野辰興、石井隆、望月六郎など数多くの監督のもとで15年くらい助監督をやっているんですよね。途中でやめようという気はなかったんですか。

テレビやVシネマでは監督もやったんですけど、映画デビュー作まではそれくらいかかってますね。あまり出来のいい助監督じゃなくて、落ちこぼれだったんですけど。まあでも、ある程度やってくると、ここでやめたら何もないと思い始めるんですよね。1本も撮らないで終わるのかという。

───助監督オンリーというわけでもなかったけど、劇場用映画の監督という思いは強かったんですね。

映画を撮りたいと思ってこの世界に入ったので、それは強かったですね。企画はあったんですけど、原作がないとダメとかなかなかうまくいかなかったんです。じゃあ漫画の原作を書いちゃえと思って、書いてみたりした事もあったんですけど。自分なりには動いてたつもりだったんですけど、全然足りなかったですね。

――『少女』(01)と『るにん』(05)で奥田瑛二監督の監督補もやられてますよね。奥田さんはスター性があって、監督としても堂々としている印象があるじゃないですか。そばにいて、監督の資質について考えることはありましたか。

奥田さんの場合は、他の誰にも真似できませんからね。自分でやってみせるとあまりにもうますぎて役者が真似できないという事があったり。それはあるひとつの形の究極なので、自分には出来ないなと再認識しましたね。

――そして『棒〈Bastoni〉』(02)が劇場用映画のデビュー作なんですが、望月監督のプロデュースで、脚本は望月監督と中村監督の共同になっていますが、どのような経緯だったんですか。

「AV男優」という本が出た頃で、AV男優を主人公に映画を作ってみたらと、雑談でそういう話になったんです。基本的には女を撮りたいんですよ。男がいて女がいる、じゃなくて、女がいて男がいる、みたいな。強い男ではなく、流される男をやりたかったので、いけそうな気がしたんですよ。それでいろいろ調べてプロット、シナリオ書いたんですけど、煮詰まっているところもあったし、第三者に入ってもらったほうがいいと思って望月さんにお願いしました。

――AVのバックステージ物であるし、青春物や女性の自立という要素もありますよね。最初はどのような物語をイメージしていたんですか。

バックステージものにはしたくなかったんです。AV男優という特殊な職業だけど、それを抜きにして普通の男という部分もきちんと描いて、基本は男女の三角関係にしようと。AVのことは調べましたけど監督として撮ったことはないので、そこで勝負するつもりはなかったんですね。

――ただ、商品性でいうと押さえるところとして、AVの撮影現場はきちんと描いてますよね。その辺のバランスはプロの現場をたくさん経験してきたからかなと思ったのですが。セックスというテーマはどうだったんですか。

アクションよりは、男と女を描きたいというのが基本的にありましたからセックスを描くことに抵抗はなかったですね。

――たしかに『棒』で変化していくのは女性のほうですよね。男は、結局何も変わらず、いまいる場所から出て行かない。そういう意味では悲しい役ですよね、

現実はそういうことが多いじゃないですか。だから映画ではヒーローが好まれるのかもしれませんけど。

――助監督ではなく、監督としての撮影現場はいかがでしたか。

助監督やってなかったら成立しなかっただろうなと思いましたね。いろんなトラブルがあったので、小規模の作品でそれを乗り越えるには経験がなかったらできなかったでしょうね。

――監督なりにいちばんこだわっていたことは何でしょうか。

優柔不断な男と強い女の関係ですね。愛情とセックス、それがどこまで切り離せるのか切り離せないのかということ。究極的には生殖のこともあるでしょうし。現場でずっと言っていたのは、スペインのような陽光のなかでカウリスマキが撮るような映画にしたいと。実際、そうなっていたかは別ですけど(笑)。

――何となくイメージできますよね。

アルモドバルまではいかないんです。ビガス・ルナ監督の『ルルの時代』(90)や『ハモンハモン』(92)とかは頭の中にありました。

――『棒』を撮って、よし2本目撮るぞ、というノリだったんですか。

そうですね。シナリオも書いたんですけど、現実には劇映画は撮れなかったですね。自分が撮りたい映画はあんまり男性受けする映画じゃないのかなと思ったことはありますね。漠然としたことですけど。

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(C)バイオタイド+パンドラ

――それで、劇場用映画という意味では2作目となる『プライド in ブルー』は、知的障害者のサッカーワールドカップに出場した選手と大会を追ったドキュメンタリーです。『棒』でもサブモチーフとしてサッカーが描かれていましたよね。

もともと野球部に入るかサッカー部に入るか迷っていたくらいで、サッカーは好きだったんです。野球は高校時代にたっぷりやったので、Jリーグが始まったころからサッカーに対する熱が蘇ってきて、プライベートで見るようになったんですよ。それで『棒』にも取り入れようと。そしたら、『棒』のあとに、榎戸耕史監督の紹介で日本A代表のオフィシャルDVDの仕事を始めるようになったんです。

――仕事としてはどうなんですか。

好きなことと合体してますからやり甲斐はありますけど、大変なんですよ。選手や監督にインタビューするためには勉強しなきゃいけないし。そうこうしているうちに、こういう仕事だけを続けていいのかという気持ちも出てきて、サッカーを題材にした劇映画は作れないかなと思い始めて……それが、今回の『プライド in ブルー』になっていったんです。

――サッカーが好きで、日本で開催された知的障害者によるワールドカップを見に行ったことがこの映画を作るきっかけだった、と監督はプレスに書かれていますが、本当にそれだけの理由だったんですか。

2002年に日本でワールドカップが開催されて外国同士の試合はチケットがとれたんですけど、日本代表は手に入らないからテレビで見てたんです。じゃあ、もう一つの日本代表を見るかと思って、知的障害者の試合を見に行ったんです。そんなに深い意味はなかったですね。

――そしたら思いのほか面白かったと。

日本チームはあまりうまくなかったけど、外国には強いチームもあったんです。あと、フル代表と似てるんですよ、どこの国も。

――国民性が戦術に反映するんですね。

そのとき、彼らのドキュメンタリーを作ったら面白いなと思ったけど、客として見に行ってる時点でもう撮れないわけじゃないですか。じゃあ、撮るとしても次のドイツか、海外ロケが必要だし、それは無理だろうなと諦めていたんだけど、サッカーの仕事をするようになって、試合を撮るノウハウとかわかってきて、どうすれば映画として成立できるのかが明快になってきたんです。

――企画はスムーズに通ったんですか。

違いますね。成立するかもしれないということで動き始めました。具体的なスケジュールは決まっていたし、ゴールデンウィークに行われた静岡合宿からは撮りに行かないといけないから、撮ったものが無駄になっても仕方ないなという状況で始めて、途中で企画がなんとか成立したという感じですね。

――企画が成立しようがしまいが、中村監督の気持ちは最初から決まっていたんですね。

でも、さすがにドイツに行く金はなかったので、それまでに製作出資が決まらなかったら無理でしたね。日本でやる大会なら無理矢理作れたかもしれないですけど。それとサッカーを1人で撮るのはダメだと思っていましたから。

――セルフドキュメンタリーみたいに1人で手持ちカメラを持って対象を追いかけるスタイルの作品とは違うと。

サッカーはきちんと撮らないとダメだと思っていました。障害のことだけに関心がある人、サッカーだけに関心がある人、あるいはどちらにも関心がない人が見ても面白い作品にしたかったんです。中途半端になっちゃいけないけど、バランスというか、絶対に偏ってはいけないと。

――日本ハンディキャップサッカー連盟に話を持ち込んだのは中村監督ですか。

そうです。いまはお金が出るかどうかわかりませんが、こういうことをやりたいので撮影してもいいですかとお願いしました。

――連盟は協力的だったんですか。

そんなに注目されている世界でもないので、どうぞという話になったんですけど、向こうとしてもこういう映画になるとは想像してなかったみたいですね。

――テレビという発想はなかったんですね。

なかったですね。テレビでやれるという話があれば考えたかもしれないけど、長尺は必要だと思っていました。テレビでやるとサッカー部分はなくなっちゃうんじゃないか、それじゃあ面白くないかなと。

――企画が成立するかどうかわからないなかで撮影を続けていくのは、肉体的にも生活的にもハードだったんじゃないですか。

ここ1年間、これ以外何もできなかったので生活は破綻しました(笑)。少人数でやっているので、助監督兼製作担当兼編集助手兼……みたいになって、監督の仕事以外の雑用もずっとやりました。

――じゃあ、サッカー関連の仕事もやってないんですか。

本当にこれだけ。だから、今、いろんな人に見ていただかないととんでもないことになる(笑)。

――大丈夫ですか(笑)。

言い出した以上完成させないといけないので、退くに退けなくなってしまった。やり始めた以上はちゃんとしたものをと思うと、素材も膨れ上がって。

――障害者の団体が主体となって、社会に向けたアピールとして作られたわけじゃないんですね。

全然そんなことないですよ。ある意味、企画が通りにくかったんですよ。代表のメンバーは障害が比較的軽度なので、見た目に彼らの障害は伝わりにくいんですよ。映像的に健常者とどこが違うのということを何度も聞かれました。まあわかりにくいからこそ社会の中で生きていくことが大変なんですけど。障害の重い人が頑張っていると知らない人にも大変さが伝わりやすんですけど、彼らはなかなかわかってもらえない。

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(C)バイオタイド+パンドラ

――障害者の人達と個と個として付き合っていくのは、いままでの仕事ではなかったことですよね。

そこがドキュメンタリーの面白さでもあるけど、生身で付き合わないといけないから大変ですよね。普通のコミュニケーションはできるけど、難しい言葉は使えない。自分は今までへ理屈で生きてきたんだなと思いました。本当になにが伝わる言葉なのかを見つけていく作業だった。
シンプルな言葉しか伝わらないんです。最初の頃は取材するチームの監督とかは答えてくれるけど、選手はなかなか答えてくれなくて、俺1人が延々しゃべってるわけですよ。空回りしてました。対話できてないのは俺のほうだろ、と思いましたね。

――この作品を撮って、中村監督は何をいちばん感じましたか。

知ったつもりになっていて片付けていたけど、掘り起こすと違うんだなと。彼らの存在を説明しようとしても、一人ひとり全然違う。彼らのほうがむき出しで表現が豊かだったりするんですよ。タイトル案として「ライン」とつけようとしたこともありました。サッカー用語でありつつ、人間と人間の間に線を引けるのかと問いかけたかった。必ずしも線を引くことが悪いわけではないし、彼らにとって引いてもらったほうがいいときもあるんだけど、違うんじゃないかという気持ちもあるんですよね。

――知的障害者といっても、彼らはちゃんと戦術について話し合っていましたね。

サッカーの難しい部分がそこで、サッカーは1人だけで動いていればいいわけじゃない。話し合いが必要なんです。彼らの中には話し合えている奴もいればできてない奴もいるし、話してるけど現実にはうまくいってない場合もあります。ただ、段々話し合えるようになってきたんですよ。

――素材としてはたくさん撮ってるそうですが、84分とタイトに作られていて、カットも短いですよね。

もう少しあったほうがいいと思ったんだけど外圧もあって……(笑)。サッカーの試合が90分だから、ロスタイム含めて93分くらいがいいんじゃないかと思ったんだけど、切ってくれと言われて。

――試合に負けて泣いている場面も、編集であまり長く残してないので、思い切りがいいなと。

思い切りは悪かったんです。最初からよかったわけじゃない。編集の人に任せて切ってもらって、そしたら切りすぎてやっぱり戻してとか、そういうキャッチボールはありましたね。内容的に余白を長いこと見せる作品でもないと思ったし、幅広い年齢層に見てもらいというのもあったんで。

――1人に絞ってメッセージ性もありますけど、強調はしていません。

知的障害者にもいろんな人がいると見せたかった。構成的にはキーパーの彼が中心に見えるかもしれないけど、そうじゃない人もいるんだと。1人を強調すればインパクトは出たのかもしれないけど、そうしたくなかった。それは『棒』も同じで、そこは自分のなかでは一貫していますね。こんな面もあるけど別の面もあるでしょうとか、たいていの人はそうしてもそうしない人もいるというか。

──それは健常者の人も1人ひとり違うということですよね。たまたま分けられときに、線引きされてしまう。

今回たまたまサッカーだったけど、彼らのような障害をもっていても1つのことを追求していけば世界に通じるということは感じました。映画もそうかもしれないけど、世界は何かを追求していく先にあるものだと思いましたね。遠いところにあって飛行機にのっていくようなところではないんだなと。

――普遍にたどり着けるということですか。

彼らもインタビューで答えていたけど、サッカーをやっていたからドイツに行けたし、ドイツに行けたことが自信になっている。サッカーは世界でいちばん盛んなスポーツだから世界あるいは普遍にたどりつきやすいということはあるかもしれませんね。

――何気ないシーンで泣ける映画ですよね。

編集しながら泣いてしまったときもあったし、撮りながら泣きそうになるときもあったんですけど、予算がないので自分でもカメラを回してるじゃないですか。点が入った瞬間も、ガッツボーズして叫びたい、喜びを分かち合いたいんだけど、冷静に撮影しなきゃいけなかったのがつらかったですね(笑)。のめりこめない。

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(C)バイオタイド+パンドラ

――サッカーシーンの編集はお上手ですね。

カメラポジションも試合によって変えてるんですよ。事前に戦術を研究してこう攻めてくるだろうから、と。それは経験があったからできたんですよね。

――プレイをきちんと見せないといけないから、美学的には撮れないわけですよね。ますます中村監督にしか撮れない映画だという気がしてきました。試合は全部撮影したんですか。

3台のカメラで1試合あたり90分×3=270分撮影しました。それを編集できたのは、サッカーのDVDの仕事をやってたノウハウがあったからでしょうね。

――この規模の作品で3カメというのは贅沢ですよね。

無理やり持っていった感じですよね。最初は猛反対されましたけど押し切って。本当は4カメなんです。ハーフタイムになると小さいカメラを持って、ロッカールームに選手を撮りにいって、そのあとまた試合を撮影して。150分くらい撮りっぱなしで。

――選手は休んでも中村監督は休めないと(笑)。じん臓なくても大丈夫なんですか。

野球やってたことが生きたかなと(笑)。

――軽度の知的障害というのはデリケートですよね。特殊学級や養護学校に入るときの彼らの心情とか、それだけで重いテーマだと感じました。

障害が軽いが故の悩み、というものは想像しても思い至らないものでしたね。知的障害だから大変だといっても、その大変さには各々違いがあるんですよね。どちらがより深刻ということではないんですけど。今回、知的障害という側面からそう感じたんだけど、まったく別の事でも同じようにそれぞれ違いがあるんじゃないか。それがある種のテーマだなと思いました。

――エンドロールで様々な障害をもった方が、やり方は違うけど、それぞれのやり方でサッカーを楽しんでいる場面が次々と紹介されていきますね。

映画に出てきた代表の彼らは障害の程度が軽いから恵まれている、という言い方をする人もいるんですよ。だったら、障害と名のつくところは全部行ったほうがいいんじゃないかと。少なくとも1日は行って、『ニュー・シネマ・パラダイス』(89)のラストのキスシーンみたいに、ゴールシーンを並べようと、ついでに日本A代表のゴールシーンも並べようと。そこでエンディングは見えたかなと思いましたね。

――それぞれ映画で使われるのはほんの一瞬ですけど、ひとつずつ交渉していくわけですよね。

たとえ、1日の撮影お願いでも丁寧な手紙を書きます。

――それは大変ですね。でも、あのエンドロールはどういう障害の人でもやろうと思えば、その人たちなりのサッカーができるんだというのが伝わってきて、すごくよかったです。

そこに優劣はないと思うんですよ。それと各々の競技の紹介にもなるかなと。それぞれ丸1日行って、話も聞いたんです。それぞれ興味深かったですけどね。ラストカットは中度の知的障害の子で終わっているんですけど。個人的にはその一連の流れがいちばんグッときますね。

――あと、チームの監督やトレーナーを追いかけるだけでも1本作れますよね。彼らはもともと障害者のサッカーチームを指導するためにキャリアを積んできたわけではないんですよね。そういう人たちが集まって、外国で何日か一緒に過ごすというのは映画っぽいですよね。

もちろん彼らのこともたくさん撮ってるんです。でも、サッカーでよく言われるんですけど、シンプルなプレイがいちばん素晴らしいと。映画もそういうところがあるのかもしれない。途中からは「シンプル・イズ・ベスト」と自分に言い聞かせて編集しました。最初、山のようにいろんなことを知ったので、どうしても観客に伝えたくなっちゃうんです。でも、ドキュメンタリーを見ていて、情報量が多くてわけがわからなくなっちゃう作品もあったので、そうしたくないなと。

――ナレーションについてはどうお考えですか。

基本的にはなるべく入れない前提で考えていたんですよ。サッカーのシーンは実況として入れて、あとはできるだけ入れないと。そこから少しずつ範囲を広げていきました。迷ったのは、テロップを知的障害の子が読めるのかという問題で、そうなると全部ナレーションにしたほうがいいんじゃないかとも。

――普通の劇映画だとそういう悩み方はしないですよね。知的障害の彼らと付き合ってきて、何が伝わるのか、どうやれば伝わるのか、常に考え続けていたことが映画にも反映しているんでしょうね。

心情説明のナレーションはやめたいなあというのはあって、自分なりに一所懸命考えた線引きはあるんですけど。あまり映画を見ない人が見る可能性が高い映画じゃないですか。だからといってナレーションで何でも語ってしまっては映画じゃなくなるし。

――監督料はもらえるんですか。

通常の監督料がないかわりにその分の制作費を出したという考えで、利益の一定の割合をいただくという形にしてもらいました。

――じゃあ、ヒットしてもらわないと困りますね(笑)。公開はテアトルでモーニングショーですけど、ドキュメンタリーの場合、地方で自主上映会があって、監督が呼ばれたりすることもありますから、なかなかこの映画から離れられないですね。

それは撮ってる最中に思いましたよ。劇映画なら、あとは見た人の想像にお任せしますとか言えるかもしれないけど、ドキュメンタリーはエンドレスだなって。無理矢理彼らの人生に踏み込んでいるんだから、その時点で覚悟を決めましたね。

――今日、お話をうかがって、中村監督という個人が映画の完成まで導いたということはもっと伝わったほうがいいと思いました。映画は最終的にはそういう感じがするんです。絶対に作るんだという執念がある1人がいるかいないかだと。

日本映画監督協会が作った「映画監督って何だ!」という本に、“映画監督というのは作り続けようとする意思を持ち続ける人なんだ”と書かれた方がいるんですけど、その通りだなと思いましたね。

――そういう意味では映画を完成させることができたのは中村監督にとって大きかったんじゃないですか。

むき出しで面とむかって人と付き合うことが今まであっただろうかと思うんです。それも彼らは複数だし、彼らの親や先生たちとも付き合ってきました。だから完成できた。編集で何度もめげましけど、そのときのことを思い出してめげられないと。それと人生のなかでこんなに手紙を書いたことがあっただろうか。気持ちを込めた手紙を何十通も書いたんですよ。制作部が撮影依頼をしてくれるわけじゃないから、全部自分で書きました。そういうことが大きかったですね。

――映画監督そのものですね。生活のことも考えず、ほどほどでやめようとはしない。

別の言葉で言うとバカということですね。途中で思いましたよ、ホントに俺はバカだなって(笑)。

2007年5月21日、新宿にて。
聞き手:「映画芸術」編集部(武田俊彦)

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『プライド in ブルー』
監督:中村和彦 
製作:バイオタイド+パンドラ 配給:パンドラ
7月14日(土)よりテアトル新宿にてモーニングショー、
以後、大阪シネ・ヌーヴォ、名古屋シネマテーク他、
全国順次公開予定
公式ウェブサイト http://www.pib-line.jp/

*なお若木康輔さんによる『プライド in ブルー』のレビューが
本ウェブサイト「レポート/試写室たより」欄に
掲載されています。併せてご一読ください。

posted by 映芸編集部 at 14:20 | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする