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2007年06月29日

「ざくろ屋敷 バルザック『人間喜劇』より」
深田晃司監督インタビュー

フランスの文豪バルザックの短編小説『ざくろ屋敷』が、70枚近い静止画に、俳優の台詞と音楽、そしてカメラワークにより、1篇の映画として見事に完成した。弱冠26歳、深田晃司監督の秘密に迫る。

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深田晃司監督

一一まず、映画好きになったきっかけを教えていただけますか。

最初に衝撃を受けた映画が2本ありました。ビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』と、マルセル・カルネ監督の『天井桟敷の人々』を中3くらいのときに続けて見て、ものすごく興奮したのを今でも覚えています。それから毎日のように映画を見るようになりました。 父親が映画好きで家にビデオがたくさんあったり、ケーブルテレビに加入していたので、映画本でチェックしては見ていました。 今回、『ざくろ屋敷』を最初に褒めてくれたのが山田宏一先生だったのがとても嬉しかったんですが、自分の金で最初に買った映画の本が、中学の頃に古本屋でたまたま見かけた『映画千夜一夜』という、山田宏一さんと淀川長治さんと蓮實重彦さんの対談を収めた本でした。最初のうちはそこに出てくる監督や作品の名前を夢中で追いかけていたという感じでしたね。

一一大学時代は何をされていたんですか。

大学は歴史学部でした。高校の時は自分が映画を作る立場にまわれるとは想像すらしてなくて普通に学生をしていましたが、大学2年の時に映画美学校の存在を知って、「ちょっと夏期講習にでも行ってみようか」と。そこで「自主映画というものがある」ということを初めて知ったんですね。

一一監督の作品は上品なので、こういう映画を撮る方は育ちがいいのかなと思いましたが(笑)。

特別誇れるほど悪くもないとは思いますが、いわゆる中流の家庭で育ってきて、特にグレることもなく(笑)、映画オタク的に育ってきた人間です。『Home Sweet Home』(05)という作品で、最後に家が壊れるシーンが出てきますが、あれは実家なんです。いろいろな事情で売り出すことになりまして。

一一美学校に入って、映画を作りたいという気持ちになっていったのですか。

そもそも最初に美学校の夏期講座に応募したときに作りたい映画のイメージが頭にあって、企画書のような簡単なあらすじを提出しました。応募用紙がそういう形式になっていたのですね。映画はたくさん見てきたという自信があって、いい映画というのが何かわかっているつもりだったんですけど、いざ映画学校に入ってみるとその自信はうち砕かれました。映画を見てなくてもすごいものを作る奴は作るし(笑)。その中で自主映画を作り続けるようになったのは、自信はないなりに撮影は楽しかったのと、自分には映画しかないという思いがあって続けている感じです。未だに自信はありません(笑)。

一一大学を卒業されて、就職しようとはそういう考えは?

全く(笑)。大学4年でまわりが就職活動していた時期に、最初の『椅子』(02)という自主映画作りに追われていたので、それどころじゃなかった(笑)。その後も、バイトして小銭を貯めて、自主映画を作っていました。幸い最初に撮った『椅子』が、アップリンクファクトリーの担当の方の目に止まり公開させていただけました。それが今回の『ざくろ屋敷』に結びついたのかなと思います。

一一自主映画ですが、深田監督の作品はとても丁寧に作られていると思いましたが。

それでもスタッフはいつも2人や3人という大変な現場でした。自分でカメラまわして照明やってマイクを設置して、車いすにカメラを結びつけて自分で押しながら「よーい! はい!」って(笑)。『Home Sweet Home』の時は撮影期間が本当に長かったんです。3〜4ヶ月に渡ってしまったので、人も集められずに役者以外に僕しかいないという日もよくありましたね。

一一『Home Sweet Home』『ざくろ屋敷』で家族を題材に選んだのはどうしてですか。

家族を特に意識しているわけではないんですが、自分にとって作りやすい題材だったのだと思います。自分は家族というものが、普通のこととは思えないんです。親子も夫婦も結局は他人であるにもかかわらず、家族という制度の下で共同体をつくらなければいけないというのが、とても不条理に思えます。だからこそそこにドラマが作りやすいというのはあります。

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一一2005年に青年団に入られてますが、入団の動機は何だったんですか。

僕はずっと映画ファンで、海外とか日本の古典映画ばっかり見ていたのですが、つい映像で考えてしまうんですよ。こういう構図があって、人や車がこういう風に動いて、と。そうすると役者の演出がすごく苦手だということに気づいたんです。『Home Sweet Home』は役者さんにはがんばってもらったんですけど、演出の段階で失敗したという気持ちがありました。で、そういう中で、もともと演劇はあまり得意じゃなかったんですけど、初めて平田オリザさんの舞台を見た時、普通に直視していられる演劇があることに衝撃を受けました。いわゆる演劇的な発声とか大仰な芝居がなくて、普通に自分の家や職場で話しているような会話で、コミュニケーションが交わされている。それでちょっと修行してみようかなと(笑)。駄目もとで演出部を受けてみたら、通ってしまったんです。

一一青年団は自由にやれるシステムなんですか。

演出部は何人かいるのですが、要は劇団にとってプラスになるかどうか、面白いことをしてくれるかどうかで放し飼いになっている感じです。今度は青年団内で映画を作ることになったので、劇団の活動としては今はそれを準備しているところです。若手自主企画という枠内で作るもので、制作規模としては今回もまた自主映画なのですが、青年団初の映画という形になると思います。

一一『ソウル市民』(作・演出=平田オリザ)の演出助手をやられたそうですね。

僕は演劇は全く素人で、スタッフワークもわからないまま使ってもらっていました。とにかく毎日稽古場に行って、朝から晩まで稽古につき合っていました。基本的にやっていた仕事は、例えばプロンプと呼ばれる稽古中の台詞の直しです。すごく勉強になりましたね。

――今後に活かせるなと思ったことはありますか。

いろいろありますが、ひとつは会話の組み立て方ですね。最近感じるのが、日本語を組み立てて会話を構成する作業に関して、演劇の人間はものすごくレベルが高いということ。それを直に感じることができたのがよかったです。平田オリザさんがよく言ってることなんですけど、例えば家族が会話をしている場面ではおたがい知ってることはあえて口にしない。年齢や職業とか。でも今の日本映画は、そういう基本的な原則を平気で侵してしまっていたりする。「お父さん○○の仕事うまくいってんの?」とか。普通の親子なら当然知っていることを、説明のためだけに口にさせてしまうんです。平田オリザさんは、そういう状況でいかに家族の職業などの情報を提示していくか、すごく論理的にやられている。

一一『ざくろ屋敷』の製作はいつ始まったんでしょうか。

青年団に入った直後の2005年です。東映アニメーションに企画が通って作ることになりました。ちょうどその時劇団にいたんで、役者さんは全部青年団の人を使おうと。

一一そもそも『ざくろ屋敷』が生まれたきっかけは何だったんですか。

静止画だけで何かできないかという企画を東映アニメーションが探していて、そこに企画を出すチャンスが巡ってきたので、そこで、画家の深澤研君に声を掛けました。彼とは中学からの知り合いで、信頼できるセンスを持った人だと思っていたので。『ざくろ屋敷』という題材は、最初から原作ものにしようと思っていて、静止画でできそうな自分の好きな作品をピックアップしました。ひとつはアメリカの作家のアンブローズ・ビアスの『空中の騎手』、もうひとつは宮沢賢治の『若い木霊』という短編、最後が『ざくろ屋敷』でした。全部、深澤君にも読んでもらい、彼と相談してそのときの自分たちにあった題材として『ざくろ屋敷』に決めました。

――今まで撮ってきた自主映画とは作り方が全然違うんじゃないですか。

作り方は違いますが、自分の中で目指すところは同じだったので違和感はありませんでした。始めに考えたのはクリス・マルケル監督の『ラ・ジュテ』(58)。あれは既に静止画でできることの到達点というくらい完成度が高いので、最初はそれを参考にしようと思ったんですけど、どうも『ざくろ屋敷』にあのやり方はそぐわないと思うようになって。最終的にはただ自分が映画的だと思っていることをやればいいんだと。よく「これはアニメーションなの?」と聞かれるんですけど、僕は別段アニメーションという意識はなく、ただ「映画」だと思っています。

――「映画」というのはどういうところですか。

まず、時間と空間をきちんと持続させることをやろうと。あと、語弊のある言い方になりますが、古今東西優れた映画作家は、画家の目線を持っていると思うんです。ドガが踊り子一人いれば絵画世界を成立させることができたように、すぐれた映画監督は人が一人歩いているだけで、その瞬間に映画を成立させることができるのではないでしょうか。例えばエリック・ロメールの映画でも、浜辺で男女がただ歩いておしゃべりをしているだけで、瑞々しく映画が成立してるんですね。

――映画監督には「画家の目」が必要ということですか。

結局モチーフに対してどう接するかということだと思うんです。僕にとってあまり面白くないなと思う映画は、物語を淀みなく交通整理していくことばかりに演出の注意がいってしまっている映画です。そういった作品は、そこにどんなに面白い物語や高尚な哲学があっても、退屈な映画になってしまう。逆にどんなに通俗的な物語でも、一瞬一瞬生成していくモチーフに対して、映画的に描写しようという態度で接している監督の映画は常に面白いです。『ざくろ屋敷』でも自分なりにそれを目指しました。実際それができたかどうかは見ている人の判断にまかせるしかありませんが。

――「持続」ということについてはどうお考えですか。

今回、基本的に静止画ということで、最初の時点でもう時間はないんです。如何に静止画に時間を作り出すか、いろいろと考えました。役者の声や音楽が入ってくる中で、1枚の動かない絵をただじっと見ているだけでもそこに固有の時間を作り出すことができれば、映画は動き出すと思っています。参考にしたのがマルグリット・デュラス監督の映画ですね。彼女の『インディアン・ソング』(74)は、ある場所をただじっと映してそこに役者がたたずんでいるだけなのに、映画が生々しく持続していく。なんであんな動きのない絵が瑞々しく映画として成立しているのか。そういうところを『ざくろ屋敷』になんとか導入できないかと思って。

――シナリオはどういう形で書かれたのですか。

まず原作のテキストを参考にしながら書き進めました。その後、シナリオ段階でカットを割っていって、僕のほうでまずはだいたいの絵やフレームを指定しました。ただ絵コンテを描いて画家を束縛したくなかったので、字コンテにとどめました。それを絵に起こしてもらって、それを見ながら深澤君と相談し二人三脚で作っていきました。短期間であそこまで描いてもらい、深澤君には感謝しています。

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――実際の絵をどうやってカメラで撮っていったのですか。

移動の場面がありますが、実際にカメラで移動撮影した訳じゃないんです。仕上がった絵をデジカメで撮影して、それをパソコンに取り込み、フレームを決めて動かしていく。これまでも自分の映画は自分で編集していたので、映像編集ソフトは使い慣れていたんですけど、今回のように静止画を動かすのは初めてだったのでまた一から勉強でした。

――俳優の声はどういう作業で入れていったんですか。

今回は口に合わせる作業がなかったので、絵を見ながらということは全くありませんでした。何回か稽古を重ねてから、レコーディングスタジオで行いました。

――役者さんにはどんなことを指示したんですか。

メインの男の声をお願いした志賀廣太郎さんには「ナレーションではなく、その人が意識の中でつぶやいているようなモノローグにしてほしい」と伝えました。さすが巧い役者さんなので、見事に応えてくれました。

――他の方はどうだったんでしょうか。

今回すごいと思ったのが、ひらたよーこさんです。この方も青年団のベテラン女優さんですけど、ひらたさんは普段は非常にコロコロした、かわいい感じの声をしているので、ブランドン夫人のイメージとはまず声質が遠かった。でもオーディションのときに演じてもらった夫人が死んでいく場面の芝居が圧倒的によかったんですね。死ぬ間際の本当に苦しい、息がキリキリした様子の芝居を見せてくれて。その印象があまりによくて、僕の強い推薦で決まりました。実際のレコーディングの時には、絵の中の夫人のように横になって演技してもらったんですけど、一発オーケーでしたね。
夫人と子供たちについて外の目線で語る役の堀夏子さんと山口ゆかりさんについても、とてもいい芝居をしてくれました。ふたりの声質のバランスに気を使ったのですが、微妙な匙加減によく応えてくれたと思います。

――音楽に関してもすごくこだわりがありますよね。

とにかく19世紀当時に演奏されていてもおかしくない楽曲のみで構成しようと最初の段階で決めていました。今回は、上尾直毅さんという古楽器奏者の方に参加していただきました。上尾さんは、古楽器奏者の中でかなり実績のある方ですのでアドバイスを受けながら使用する楽曲に関してもアイディアを出してもらいました。最後に流れるピントの『グランドソナタ』という楽曲は、上尾さんの推薦で決まったものです。
 弾き方に関して素人である僕からはどうこうありませんでしたけど、曲のイメージやテンポなどは上尾さんと相談しましたね。上尾さんはその意図をくみ取って期待以上の演奏をしてくれたので、大満足です。特に『グランドソナタ』の場面は、あまりにも演奏がよかったので、本当は台詞が入る予定だったんですけど、全部カットしてピアノの演奏のみで聞かせきるシーンになったんです。

――作ってみてこの物語を捉えなおしたことはありますか。

ある原作を映画化するとき演出家に一番求められるのは、原作を愛することではなくて、原作に対して如何に批評的な態度をとれるかだと思うんです。別に愛しててもいいんだけど(笑)、愛してるかどうかはそんなに重要なことではない。『ざくろ屋敷』の小説を読んで一番核になると思った要素は、夫人が死んでいく場面です。「夫人の死に引きずられるように部屋そのものが死に始めていった」という一文があって、ものすごくインパクトがありました。バルザックの作品では「恋の痛手で女性が死んでいく」というのは何度も繰り返されるモチーフで、『谷間の百合』や『二人の若妻の手記』など、いろいろな作品で描かれています。バルザックの世界観には、女性は恋に破れただけで死んでしまうんだという苛烈さがあるんですね。『ざくろ屋敷』は、それが純粋な形で集約されてる印象があります。それでこの作品を選んだのですが、作りながら予想以上にこの題材は静止画という方法論に合致していたと思いました。物語自体はシンプルで単純な話なんです。母親が子供を残して不治の病で死んでしまうという、ただそれだけ。それなのに何もわからないんですよ。夫人は何で死んでしまうのか、夫人はどういう境遇で、子供2人はどこに行ってしまうのか。不思議な作品です。そうなると、いかに見ている側の想像力を刺激するよう余白の部分を作っていくか、演出の核に据えることが出来ました。

――今回は東映アニメーションがDVDを出すために企画したものですか。

ええ、DVD販売を前提に企画されたものです。しかし僕としては、最初から劇場公開を目標に据えていました。

――ということは、今回の上映は深田監督自らが動いて実現したのですか。

そうですね。劇場公開に向けて活動をして、なんとかこぎ着けたという感じで。発売から1年かかってしまいましたが・・・。だから、今回は配給がついていないんです。配給がついていない映画の公開がこんなに大変とは思いませんでした(笑)。試写会も、試写状の制作から発送まで全部僕と深澤君でやりました。今回試写状を400枚くらい出版社や見てもらいたい批評家の方などに配り、自分でも頑張ったなぁと思ったんですけど、配給会社に勤めている友人から「配給会社はだいたい3000枚くらい配るよ」と言われたときには、テンション下がってしまいましたね(笑)。

一一いままでの自主制作とは意気込みが違いましたか。

作っている最中は、そんなに意識の差はありませんでした。ただ完成した作品に関して言えば、自分の作品の中で、一番納得度が高い作品ではあります。ある程度自分にとって「映画的」だと思える世界ができたと思います。

――とても完成度が高い作品だと思ったのですが、次作の実写作品でこの完成度を維持するのは難しくないですか。

難しいところです。今回『ざくろ屋敷』が成功した一因として、深澤研という(実写でいうところの)非常に優れた撮影監督がついていたということがあります。いままでの僕の自主映画は、大概は自分でカメラをまわしていました。でも、今回はネストール・アルメンドロスのような(笑)優れた撮影監督が『ざくろ屋敷』についた状態で、自分のやりたいイメージがどんどん具現化していく気持ちよさがありました。これが実写映画になると、偶然の要素がカメラの前に飛び込んでくる中で作っていくことになります。そうなるとまたストレスもたまってくるのかなと(笑)。そこを如何に映画的なものに昇華していくかが、映画監督の作業なんですが。

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――次の作品は準備されていますか。

シナリオはもうだいたい仕上がってます。役者さんは青年団の中で8割くらい固まっているんで、後はもう映画作りに向けて僕の意識を高めつつ、制作面などの具体的な下準備を始めていくところです。

――青年団での経験と『ざくろ屋敷』で高まったビジュアルの世界を経ての次回作は楽しみですね。

自分でも予測がつかないところがあり楽しみですね。そんなに人間変われるものでもないから、いきなり革命的に成長することはないでしょうけど、自分にとって正念場だなと思っています。次回は劇団内で映画を作るので、役者さんがスタッフも兼ねる状態になると思います。実際、劇団内で若手の演出家が演劇を作る時には、役者さんが小道具や制作を担当しているんです。あとはいままで僕の映画作りを手伝ってくれたスタッフにも参加してもらいます。演劇と映像って意外と垣根があって、交流が少ないんです。そういう意味では今回シャッフルできるのは面白いなと思います。

――個人的な印象では、日本ではいま映画より演劇のほうが面白いイメージがありますが、深田監督はどうお考えですか。

僕は映画至上主義的な偏狭なところが昔からあって、そこはいまでもあまり変わっていない気がしますが、ただ日本映画の先端と演劇界の先端を比べると、演劇のほうがレベルが高いことをやっているなと感じることはあります。もちろん方法論が違うから単純に比較はできませんが、一線で活躍している監督の映画でも、同じく第一線の演劇と比べ何でこんな台詞を書いちゃうんだろうと思うことはあります。何様だと言われそうですが(笑)。自分で脚本を書いていても、やっぱり演劇畑で言葉を書き続けてきた人にはかなわないなと正直思うことは多いです。

――映画は予算の問題もあって、いろんな要素が入りすぎて結果作り手の意図が見えなくなりやすいですよね。

動く予算が大きいから、どうしてもそうなってしまう構造的な制約はあると思います。もう一つはいまはもう撮影所がなくなってしまって、若い映画作家は自分をプロデュースできる能力がないとやっていけないということもあります。自分が何を撮りたいのか、あるいは自分の適性を見定めて作らなければならない。でも演劇の人たちは昔からそれをやり続けているんですね。小劇団は、主宰者がトップに立ち零細企業のように一つの組織を抱えています。だから定期的に公演を行わなければならないし、モラトリアムなんてやってる余裕がない中で作り続けている。小屋を押さえて、それに向けて台本書いて稽古をして、宣伝も売り込みもする。それを繰り返しながらやっている人は、やっぱり強いよなと思います。

――映画を志向しながら青年団に入られたというのは、非常に先見の明がありまよね。

いえいえ。ただ僕も入って本当によかったと思っています。僕の知人でも、映画学校を卒業して何年も経つんだけど、いまだに「自主映画作りたいな」と言い続けながら作れないでいる人がいます。自主映画を作ろうとしている人たちは、小劇団の人たちの勤勉さを多少は見習うべきだと思いますね(笑)。劇団を作って運営している人たちの覚悟は、どこかレベルが違うんですよ。そういう意味ですぐにモラトリアムの場になってしまう映画学校は危険な場所だなと(笑)。

――その問題は多くの映画作家の課題ですよね。

そこを模索できないかなと僕も思っています。せっかく小劇団の世界に片足を踏み入れたんで、彼らのやり方を一つのモデルケースとして映画に持ち込めないかなと。すべての作品が何万人の方に見てもらう必要はなくて、数百人に見てもらうための映画があってもいいと思います。最初から小さい公開規模を前提としてお金を集めて映画を作って興行をうって、というサイクルができないかなと考えています。いろいろ難しいとは思いますが。

――ぜひ作り続けてほしいです。『ざくろ屋敷』は素晴らしい作品だと思います。素直に感動しました。

幸い今のところ好評で。僕自身は泣ける映画とは思わないで作ったんですけど、結構泣いてくださる人が多いみたいです。そこら辺は作り手の予想以上の反応でしたね。自分の思う映画的なものができたという満足度があります。

――難しい作品ではないですから、映画ファン以外の一般の人にも喜んでもらえるんじゃないでしょうか。

変わった手法でやっている割には、間口は僕が思っている以上に広いみたいで、普段映画を見ていない人でも楽しんでもらえている気がしています。この方法論でもあと何本かは作りたいですね。

2007年6月18日 新宿にて
取材・構成:武田俊彦 五十嵐愛

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「ざくろ屋敷 バルザック『人間喜劇』より」
脚本/監督:深田晃司
原作:オノレ・ド・バルザック 文芸監修:鹿島茂
絵画/美術:深澤研 音楽/演奏:上尾直毅
キャスト:志賀廣太郎 ひらたよーこ 堀夏子 山口ゆかり
制作:アトムエックス、ウィズ 製作:東映アニメーション

【上映情報】
2007年7月7日(土)〜 20日(金)
連日:21:00

料金:前売800円(当日1000円)
劇場:アップリンクX
公式ウェブサイト http://www.lagrenadiere.jp/

『ざくろ屋敷』上映イベント(上映終了後に約30分間行います)
7月 7日(土):スタッフトーク 
深田晃司(監督)+深澤研(画家)
7月 8日(日):ミニライブ 
ひらたよーこ(ブランドン夫人役、あなんじゅぱす主宰)
7月11日(水):キャストトーク 
志賀廣太郎(ガストン役)+ひらたよーこ+堀夏子(ルイズ役
)※ルネ役の山口ゆかりさんは舞台公演のため出席できません
7月13日(金):ゲストトーク 
筒井武文氏(映画監督)+宇田川幸洋氏(映画評論家)トーク
7月16日(月):ゲストトーク 
佐野栄一氏(バルザック研究者)
7月20日(金):スタッフトーク 
深田晃司+深澤研

深澤研「ざくろ屋敷」の美術展 7月1日〜7月31日
画家深澤研が描くバルザックの世界。
映画「ざくろ屋敷」公開を記念して弥生美術館内夢二カフェ港やにて開催。
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/index.html




posted by 映芸編集部 at 16:03 | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする