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2007年12月04日

映画と落語の微妙な関係2
『やじきた道中 てれすこ』

落語家の青年を温かく軽妙に描いた『しゃべれども しゃべれども』が本年公開されたばかりの平山秀幸監督最新作は、またしても落語を題材にした作品でした。ということで、前回同様、落語家・夢月亭清麿師匠と演芸作家・稲田和浩さんをお招きして、映画と落語の関係について語っていただきます。

稲田 つまらなくはないんですけど、全体に何をやりたかったのかな。これが新橋演舞場で(中村)勘三郎と柄本明が共演して、キョンキョン(小泉今日子)役を藤山直美がやればそこそこの感動もあったりして、それだけで持つと思うんだけど。

清麿 平山秀幸といえば、日本映画のなかではリアリズムの撮れる監督で、『しゃべれどもしゃべれども』もリアリズムで落語を描いた。そういう人が完全な時代劇で、落語というか芸を味わう世界を描いたのはどういうことなのかな。平山秀幸という監督の作家性を追う人にとっては意味を探りたくなる部分だよね。きちんとした時代劇をスタッフ含めて作ることの意義性に目覚めちゃったのかなあ。

稲田 十返舎一九の「弥次喜多」で撮ってる映画でないですよね。

清麿 映画史的にいちばんの傑作は片岡千恵蔵と杉狂児で戦前に作った『弥次喜多道中記』(38)だよね。千恵蔵が遠山金四郎で、杉狂児がねずみ小僧。その二人が弥次喜多やっちゃうんだもん。

稲田 「弥次喜多」物というのは二人で旅するというコンセプトがあればなんでもありだったんですよね。

清麿 錦ちゃん(中村錦之助)と中村賀津雄でやった『殿さま弥次喜多』(60)は殿様同士がこんな生活いやだと庶民の中に入ってしまう。美空ひばりと江利チエミのお姫さまが旅に出ちゃうとか、たんなる「弥次喜多」だともたないからいろいろアレンジしてきたんだろうけど。

稲田 本来はホモの話ですよね。喜多八が役者で、弥次郎兵衛が喜多八を贔屓にしている。それが女の子で揉めて江戸にいられなくなって逃げていく……。

清麿 設定としては『真夜中の弥次さん喜多さん』(05)が近い。落語のネタを映画の中で使うのは『幕末太陽傳』(57)とか『運が良けりゃ』(66)とかいろいろあるけど、今回は可もなく不可もなくというところじゃないのかなあ。「狸賽」とか「てれすこ」とかいろいろ使っているけど、画にするとこうなるのかなというレベルだよね。やられたとかすげえなとは思えなかった。

稲田 くすりと笑える場面はいくつかありましたよね。

清麿 落語を精通している人には見つける面白さはあったと思う。映画の題名を『てれすこ』にしたのは何でだろうね。てれすこって、テレスコープ(望遠鏡)が語源なんですよ。落語は音で捉えるから、「あんにゃもんにゃ」もアンモナイト、アンモニアあたりからきている。

稲田 柄本さんは怪優ですね。顔の演技に幅広さがあって、シリアスもうまいけど顔だけで喜劇を運べる。すごいな。勘三郎は普通にうまい。

清麿 酷な言い方をすると、この脚本でやるならもう少し若い俳優のほうがいいよね。昔の女郎さんで多少売れっ子だとしてもギリギリで25歳なんだよね。大体20歳前後が多くて、25過ぎて女郎やるひとは滅多にいない。

稲田 昔の年齢は今の年齢の7掛けだといいますからね。

清麿 本当の設定からすると女郎は30歳前後にせざるえない。そうすると恋愛対象となる男もせいぜい30代前半までじゃない。

稲田 『しゃべれども しゃべれども』に主演した国分太一がやれば随分違ったでしょうね。

清麿 柄本明、中村勘三郎という名前だと、よく言えば重厚だけど、悪く言えば重くなる。名優の名演技を見ているような感じになる。

稲田 だから新橋演舞場なんですよね。でも、首くくりの場面はおかしかったですね。

清麿 セットやロケも頑張っているし、そこはさすがに平山秀幸はしっかり撮ってると思った。ただ落語というと「粋」「通」「訳知り」のほうへ行っちゃうけど、弥次喜多はちょっと軽佻浮薄のほうが見やすいよね。いい演技を見せてもらってるなというのが先に来て、弾んでこないところが映画として弱い。

稲田 脇役も若い人がひとりもいない。新しい歌舞伎ファンは、30代とか40代だし、キョンキョンは我々世代のアイドルだし、狙いはわからなくはないけど、当たるかどうかはわからない。

――落語というのは画にして本当に面白いんでしょうか。映画のエピソードとして向いているのか。

稲田 本物の狸が出てきたけど、ちょっと落語とはイメージが違いますよね。だから、狸を針でつっつくところを映像で見せたり、どうやれば映画的に面白くなるのか工夫しているとは思いましたね。茶殻を目にやるのはビジュアル的にはあまり面白くなかったけど。

清麿 “お前、お茶をついてるよ”という台詞で落とせなかったのは、これは無理だと思ったんだろうね。画にしたらわざとらしいもんね。

稲田 「野ざらし」のシーンは意味わかんなかった。ストーリーとしては「反魂香」ですけどね。

清麿 「野ざらし」は元武士の隠居で、「反魂香」だと元武士の僧侶になるんだよね。そこらへんは、いろいろなものが入ってると思う。『幕末太陽傳』は落語のネタの出典が明らかじゃない。この作品は悪い言い方するとつまみ食いというか、印象的な落語世界の言動をはめこんでやっている感じがする。(三遊亭)圓生師匠は、十返舎一九や式亭三馬を落語の戯作者として読まないとダメだといってた。封建主義的な社会だとがんじがらめで生きるじゃない。そこで遊び心を持って生きることが落語を支えるんだと。この映画を戯作と呼ぶには真面目っぽいところがある。封建主義の批判にもならないし、戯作ならもう少し徹してほしかった。強い現実批判がないと戯作としては弱い。落語のことに馴染んではいるけど、『幕末太陽傳』に対抗してやろうという野心は脚本家にはない。

稲田 平山ファミリーの(柳家)三三師匠はよかったですね。

清麿 よかったよ。テンションもあったし。主役二人と小泉今日子がいて、ほかに舞台仲間が特別出演している。豪華だったね。

稲田 波乃久里子が女郎屋の女将さん。

清麿 いくら勘三郎のお姉さんだからといって、普通なら新派のスターをあんな役では使えないよね。映画を遊んで作ってくれたという感覚で見るのがいいのかもしれないね。

稲田 すごい大物じゃない人の顔見世興行というか。笹野高史さんのようなうまい人を集めた。

清麿 そういう意味ではそんなにだれずに見ることができたよね。神経逆撫でされる映画ではなかった。ただ、テンションの高さが後半になるとばらついてきてスケールダウンしていく。『やじきた〜』とタイトルにつけた瞬間、喜劇なんだ、明朗なんだ、ノーテンキなんだというパワーが欲しいじゃない。それが感じられなかったのが残念でしたね。

(構成:武田俊彦)

【作品情報】
『やじきた道中 てれすこ』
監督:平山秀幸 
脚本:阿倍輝雄
出演:中村勘三郎 柄本明 小泉今日子 藤山直美 笹野高史
配給:松竹
公式サイト http://www.telesco-movie.com/

【プロフィール】
夢月亭清麿(むげつてい・きよまろ)
1950年東京生まれ。73年先代柳家つばめに入門。74年つばめ死去により、柳家小さん門下へ。89年真打昇進。「放送禁止落語会」などをプロデュースし、三遊亭円丈らとともに新作落語ムーブメントの牽引者として活躍。東京の街と歴史をテーマにした作品には定評がある。主な作品「バスドライバー」「1970新宿」など。現在、「東京かわら版」に「夢月亭の炊きたてゴハン」を連載中。

稲田和浩(いなだ・かずひろ)
大衆芸能脚本家。1960年東京都生まれ。演芸台本、邦楽の作詞、演劇の脚本、演出などを中心に手がける。ほかに芸能評論、現代風俗、江戸風俗に関する、執筆、講演など。近著に「食べる落語――いろは うまいものづくし」(教育評論社)がある。現在、「東京かわら版」に「ザッツ・ネタ・エンタテインメント」連載中。
http://www1.cts.ne.jp/~inacolle/


posted by 映芸編集部 at 00:00 | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする