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2007年12月25日

■映画館だより『サラエボの花』
「戦後」の始まり

 父方の祖父は特攻兵だった。出撃の二日前に終戦を迎えたので命は助かったのだが、その話は祖父の葬式で初めて知った。生前の祖父から戦争の話を聞かされた記憶はない。いつも野球の話ばかりしていた。『俺は、君のためにこそ死ににいく』では、戦争で生き残った特攻兵の徳重聡が周囲の冷たい視線を浴びながら戦後を生きていた。祖父も同じような経験をしたのだろうか。



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 母方の祖母は戦後、毎日のようにアメリカ兵と銀座のPXで踊っていたという。同世代の男の多くが戦死したため、貰い手がいなくなるのを怖れた両親に、無理矢理冴えない日本人と結婚させられたという。本音ではないと思うが、あんな不細工で真面目な男と結婚なんてしたくなかった、と今でも言っている。僕の祖父にあたるその結婚相手は、知人に騙されて作った借金と二人の子供を残して癌で死んだ。祖母は女手一つで子供を育てあげた。この祖父と祖母にとって、戦後とはどんなものだったのか。

 僕は戦後40年目に生まれた。戦争を知らない子供たちの子供だ。真珠湾攻撃も山本五十六もガダルカナル島の戦いもすべて教科書から学んだ。妹の誕生日が8月6日なので、その日に家族で広島に行ったことが一度ある。平和記念資料館や原爆ドームをまわったところで、戦争を理解することはできなかった。戦争は歴史のなかに組み込まれ、そこには過ぎ去った60年以上の時間だけが残っている。

『サラエボの花』は、ボスニア紛争から12年経った「戦後」を描いている。紛争で心に傷を負い、集団セラピーに通う母親を中心に物語が展開していくなかで、その娘・サラに興味を惹かれたのは、戦争の悲惨さを読み取ることができない自分と重ねてしまったからかもしれない。紛争で死んだ人間はシャヒード(殉教者)と呼ばれ、その子供たちは、修学旅行費が減額されるなどの待遇が受けられていた。紛争で死んだ顔も知らない父親を、まるで英雄であるかのように、クラスメートに自慢気に話すサラ。その姿は、未だに戦争の傷が癒えない大人たちがいるなかで特異な存在として映る。もちろん、本気で父の死を自慢などしているわけではない。学校では友達も少なく、家に帰れば母親からの理不尽な怒りをぶつけられる日々のなかで、父親の死を誇りにすることが、サラにとって唯一の心の支えになっていた。しかし、紛争の記憶がないサラは、母親や周りの大人のように、紛争によって今も苦しんでいるわけではない。父親が死んだ紛争を憎んでいるわけでもない。彼女の不安定で、脆く崩れやすい強さがスクリーンから溢れ出ていた。

 修学旅行を目前に控え、サラは父親がシャヒードであったことを証明する書類を母親に求めるのだが、死体が見つからないことを理由に証明書を取得するのを難しいと言われてしまう。それ以上多くを語ろうとしない母親を問い詰めると12年間隠されていた真実が明らかになっていく…。戦争を、漠然と過去の出来事と捉えていたサラは、逃れられない真実を突きつけられてしまう。サラと僕は全く違っていた。サラの「戦後」はこれから始まるのだ。

text by 川崎龍太(「映画芸術」スタッフ)

『サラエボの花』
Grbavica
2006年ボスニア・ヘルツェゴビナ
脚本/監督:ヤスミラ・ジュバニッチ
撮影:クリスティーン・A・マイヤー
出演:ミリャナ・カラノヴィッチ ルナ・ミヨヴィッチ レオン・ルチェフ ケナン・チャティチ
配給:アルバトロス・フィルム ツイン
http://www.saraebono-hana.com/

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posted by 映芸編集部 at 00:00 | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする