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2008年01月13日

■映画館だより『レンブラントの夜警』
幻視される物語

 私はレンブラントの「夜警」を見たことがない。2002年から2003年にかけて京都、東京で立て続けに開催された展示会「大レンブラント展」「レンブラントとレンブラント派」でも見ることは出来なかった。18世紀以降、通称「夜警」と呼ばれる「フランス・バニング・コック隊長とヴィレム・ファン・ラウテンブル副隊長の市民隊」はオランダの至宝としてアムステルダム国立美術館に鎮座ましましているのだからそれも当然であろう。そう簡単に国外の美術館に貸し出されることなどないし、ましてや、映画の公開に合わせて日本に持って来れるようなそんな安っぽい代物ではないのだ。

 

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(C)Nightwatching B.V.2007

 だがしかし、レンブラントの代表作として現在「夜警」に与えられている名画としての評価とは反対に、そこに描かれている人々は世俗の名誉や欲にまみれた安っぽい俗物たちである。社会的地位の高い人が残す集団肖像画であるにもかかわらず(であるからこそ、と云うべきか)、そこに描かれている人物たちの何とスキャンダラスで破廉恥なことか。ピーター・グリーナウェイの新作『レンブラントの夜警』はそんな「夜警」に描かれた人々の姿を幻視する物語である。

 映画は「夜警」が描かれた17世紀中ごろのアムステルダム市警団の内実、そこで起こった事件の隠蔽とそれに関わった人々を、画家として名声のただ中にあったレンブラントが告発していくさまを描いていく。そう、これは事件の真相を絵画の中に封じ込めて描き上げる正義と真実の人、レンブラントの物語…? いや、そうではないのだ。市警団員を告発するレンブラント自身もまた、グリーナウェイが読み解いていく俗物たちの世界から自由ではいられない。彼だけが清廉潔白、人格高潔で他の人々を裁き断罪する特権的な立場にいる訳ではないのだ。であるが故に、レンブラントが行った告発故に、彼自身の名声にも徐々に影が差していく…。
 レンブラントのことを歴史に名を残す著名な画家と云う印象しか持ち合わせていない観客は、高名な画家の秘密を覗き見たような気になって面喰らうかもしれない。だが、少年少女向けに書かれた偉人伝のような読み物は別にして、時を越えて人々に感銘を与え続ける優れた作品を残した人物が皆、高尚な苦悩の末に作品を生み出すような人格者と云う訳では決してなく、それどころかどちらかと云えば人格破綻者的な部分があり、生活者としては欠陥を抱えていて必ずしも満たされた日々の中で作品を作り上げたわけではない、と云う人物造形は歴史上の人物を描くひとつの定石である。まさにこの作品のレンブラントはそんな人物として描かれている。
 そう云う意味ではこの『レンブラントの夜警』は極めてオーソドックスな偉人伝(?)の作りになっているのだが、バロック絵画の巨匠であるレンブラントを主人公に据えた物語であるのに「画家」レンブラントとしての説得力を感じさせてくれないのは何故なのか。それは劇中でレンブラント自身が口にし、映画の宣伝文句にも使われている「絵筆は画家の武器だ。何でもできる」と云う言葉とは裏腹に、彼が絵筆を持つことがほとんどないことが原因なのだろう。ピカソ本人が出演して次々と絵を描いていく『ミステリアス・ピカソ 天才の秘密』のような作品は例外としても、例えそれが手元だけ別人によるものであったとしても、個人的にはスクリーンの中に置かれた何も描かれていない真っ白な画布に形が現れ、それらが色彩を持っていく様を見ているのはとても心地良く、それこそが「画家」を描く「具体」だと思うのだが、自身画家でもあるグリーナウェイは全くそんなことに興味を示さないのだ。映画の中のレンブラントはほとんど絵筆を持つことなく、事件の真相を求めて語り合い、ひたすら喋り続けるのみだ。
 そして、映画は終盤、レンブラントが市警団員の起こした事件の真相を突き止めると共に、イギリス人映画監督ピーター・グリーナウェイもまたある結論に行き着く。それはオランダ絵画の至宝である「夜警」を自国イギリスの演劇に引き寄せて読み解いていくものだ。多くの肖像画に描かれた人物は見られることを意識した姿で絵の中に収まっている。けれど、「夜警」の人々はそんな肖像画の常識を覆し、まるで舞台に立つ役者のように自分達を見つめる視線の存在など微塵も感じさせない姿でそこにある、と。「夜警」に描かれている世界、それはグリーナウェイにとって「秘密と陰謀の伝統、復讐、悪意、皮肉に満ち満ちたイギリス演劇」の世界そのものに見えたのだ。

 グリーナウェイは自分が読み解いた物語で「夜警」について語られてきた不可解な謎の全てに説明がつくと断言する。他国の文化に属する絵画を己の身近な世界に引き寄せながら開陳された絵画と演劇を巡る考察は確かに興味深い。けれども、謎の全てを解き明かしたと断言するわりにグリーナウェイが示す映画の語り口は、一度観ただけで「なるほど、そうなのか」と云う思いに観客を導くほど親切でも分かりやすくもなく、自分の説を押し付けてくる厚かましさもない。それだけに、「夜警」に潜む謎について、さらなる多様な幻視の可能性を感じさせてくれるのだ。
私もいつの日か、実物の「夜警」を前にしてグリーナウェイとは別の物語を幻視することだろう。いや、それは私に限らない。「夜警」が見られ語られ続けていく限り、見る人の想像力に訴え、今後も様々な幻視がなされていくに違いない。

text by 榎本敏郎(映画監督)

レンブラントの夜警
監督:ピーター・グリーナウェイ
出演:マーティン・フリーマン エヴァ・バーシッスル ジョディ・メイ エミリー・ホームズ ナタリー・プレス
2007/カナダ・フランス・ポーランド・オランダ・イギリス/35ミリ/シネスコ/ドルビー・デジタル/134分
配給:東京テアトル ムービー・アイ
http://eiga.com/official/nightwatching/

新宿テアトル タイムズスクエアにて公開中
タグ:榎本敏郎
posted by 映芸編集部 at 00:00 | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする