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2008年02月24日

『どこに行くの?』
粂田剛(助監督)インタビュー

「映画とは監督一人の力によって作られているものではありません。監督のイメージを具現化する優秀なスタッフがいなければ、優れた映画が生まれることもないでしょう」
この考えのもと、本サイトでは監督や俳優のインタビューのほか、スタッフ、映画人のインタビューが積極的に行われ、定期的にアップされている。いいことだと思う。派手な企画ではないけれど、3年後、5年後にジワジワと意味が出てくる気がする。気がするので、今のうちちゃっかり参加しておこう、普通は表に出ない助監督さんにも話を聞いてみようじゃないですか、と思い立った。
松井良彦が『追悼のざわめき』以来、実に22年の長い沈黙を破って監督した『どこに行くの?』が3月1日からユーロスペースで公開される。同作でチーフ助監督をつとめた粂田剛さんに、間近で見た“伝説の監督の復活”を中心に話を聞いた。

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「もとはふつうの野球少年です。薬師丸ひろ子が見たくて映画館に行ったら、延々モグラ叩きをやる場面に呆然となった。相米慎二のデビュー作だなんてことは後で知るわけだけど、あのショックが、映画ってなんだ? と考え出した始まり」

粂田剛さんは名古屋出身の38歳。都立大学卒業後、アダルトビデオ、展示映像などの撮影現場を経て、現在、映像ディレクターとして数多くのテレビ番組、ビデオ作品を手がけている。その多忙な合間を縫って助監督をつとめ、インディペンデント系作品の編集や予告編製作などにも協力する、ちょっとユニークな形で映画の世界に関わっている人だ。
これまでに助監督としてクレジットされた主な劇映画は、原将人『20世紀ノスタルジア』。矢崎仁司『ストロベリーショートケイクス』。そして松井良彦の『どこに行くの?』。


「現場を成立させるのが助監督の仕事」
――インディーズの伝説的な存在だった三人の映画作家が、商業映画の監督として勝負するときに助監督として関わっている。独特のキャリアですね。

関わっているというか、巻き込まれたというか。三人とも、人の紹介で知り合って、ひょんなことから助監督になったので。ご縁としか言いようがないですね。
僕はけっこう助監督としては特殊だと思います。映画の現場のみやってきたわけでもなく、他の分野の仕事もしつつなので。

――まずフォースとして入り、やがてサードになり、という伝統的なパターンでは無い。

そうです、そうです。助監督の仕事はやってはいるけど、全くの自己流。例えば日活撮影所なんかでやってきた叩き上げの人に、やり方が違う、とか言われたらそりゃあそうかもしれない。

――現場の仕事はどこで覚えたんです?

大学の映研の先輩がアダルトビデオの監督をしていて、在学中からメーカーの下請けプロダクションの手伝いに呼ばれてたんです。で、卒業してからも就職しないで、しばらくそこで使われてた。
スタッフに、にっかつの流れの人が多かったんです。ちゃんとドラマを作るタイプのアダルトビデオね。だから、そこで助監督の仕事を覚えたのかな。いろんなことやらなきゃいけなかったから。割と企画物が多い会社でした。スカトロだけは……と内心恐れていたんですが、何とかやらずに済んだ(笑)。というか、やることになる前に半年で逃げたんです。ああ、これはアカン、女の股ぐらでメシを食うのはイヤだ……なんて悩んで。
でも、やっぱりそこで基本を教わったんですよ。助監督さんが優秀な人でね、その人に「助監督は現場を成立させるのが仕事だ」と散々言われた。作品の責任を持つのが監督で、現場の責任は助監督が持つんだって。
で、アダルトビデオを逃げ出した後は、一年ぐらいプラプラしてた。

――プラプラって具体的には?

ほんとにプラプラ。朝から図書館に行って、レーザーディスク見て。たまにバイトをして、年収六十万程度。アホみたいに貧乏でしたね。

――業界へのコネは全く無かった。

ところが学生時代、学研の映像部門で展示映像のバイトもしてたんです。そこのディレクターさんがすごくいい人で、僕が無職なのを聞きつけて、手伝わないかと声をかけてくれた。
仕事はもっぱら自然風景のロケーション。南アルプスにひと夏行ったりもしましたよ。それが1993、4年ごろ。当時は16ミリで撮影してましたね。
現場では当然、僕が一番ペーペー。そういう撮影は人が少ないから自ずと助監督の仕事はもちろん、制作的なことも全部僕がやるわけです。食事のことを考え、宿の手配をし……。

――知らない分野で苦労したのでは?

アダルトビデオで大体のことは教わったし、映研でも作ってたから、まあなんとか。どんなジャンルでも、現場の苦労や覚えとかなきゃいけないことの基本は一緒なんですよ。
で、そこの仕事を通じて知り合った人が、原将人さんの仲間だったんです。「原さんの映画好きですよ」なんて言ったら、当時の新作だった『百代の過客』のビデオを渡されましたね。知る人ぞ知る、十時間ぐらいあるやつ。ええ、最後まで見ましたよ(笑)。で、原さんを紹介されて、酒を呑んだりしているうちに、映画が撮れそうだと。それで助監督をやることになったのが『20世紀ノスタルジア』なんです。

――当時、多くの映画ファンを驚かせた原将人の復活作ですが、一般的にはやはり広末涼子のデビュー作。

『20世紀ノスタルジア』は、撮影が二回に分かれてるんです。1995年の夏に撮影して、資金の問題で一年以上中断した。中断前の撮影はスタッフが少人数で、こっちもまだ経験が浅いから、さすがに泣きそうになりましたね。やることが山のようにあって、原さんの要求に応えるのに必死だった。
その時、広末はまだ中学生。カンが良くって可愛くてね。見物してるおばさんに「誰が出てるの」と聞かれて、「広末って子です。よろしくお願いします」なんて言ったりして。
 そしたら中断している間に「広末涼子、ポケベル始める」のコマーシャルが始まって。あれよあれよと売れていくのを、うわあ……とポカンと口を開けて見てた(笑)。

『どこに行くの?』 助監督になる経緯
――映画と関わり出した経緯まで聞いたところで、いよいよ松井監督の話を。どういうきっかけで知り合ったんですか。

『20世紀ノスタルジア』が終わった後、次も呼んでもらって。二ヶ月ぐらい準備してるうちにポシャッちゃったんですけど、その時プロデューサーとして関わっていたのが『追悼のざわめき』を製作した安岡卓治さん(※最新プロデュース作は『パレスチナ1948・NAKBA』)。でも安岡さんが忙しい人だから、現場の仕込み、ライン・プロデューサーとして安岡さんが山本希平さんを呼んだ。この希平さんという人も『追悼』のスタッフで、松井さんの古い仲間。そのお付き合いの流れで、ですね。
矢崎仁司さんとも、希平さんを通じて知り合ったんですよ。原さんの映画が流れた後、矢崎さんが地方の展示映像の仕事をする時に呼ばれたのが、スタッフとして付き合うことになった最初。

――『追悼』以来ずっと沈黙を続けていた松井監督。どういう形でお付き合いをしていたんですか。

ちょくちょく会って、お酒呑むだけのお付き合い。
あの人はね、凄いことに、毎日シナリオを書いているんですよ。世間的には沈黙していた時期も、一日も欠かさず何らかのシナリオを書いてた。常に次作のために、あんなの書いた、こんなの書いてるなんて話を、ははあ……と呑みながら聞いてました。書いては知り合いのプロデューサーに持って行き、結局成立せず、が続いてたようですね。夏目漱石をもとにしたシナリオなんて、すごくいい話だったんですけどね。
『どこに行くの?』はもともと、『追悼』のデジタル・リマスター版DVDを出す話から始まったことらしいです。エースデュースエンタテインメントの小林洋一さんが松井さんを昔からよく知っていて、DVDの話を詰めていくうち、じゃあ新作も作ってしまおう! という流れになったらしい。

――たまに会って呑んでいる時から、新作が決まったら助監督やってよ、と言われていたんですか?

いや全く。撮れると聞いたときは「わあ、良かったですね。がんばってください。期待してま〜す」なんて言ってた。完全に他人事(笑)。狂映舎時代からの仲間の、現場経験豊富な大ベテランの方が助監督をやると聞いてたから。ところが、その方が他の現場に入って動けなくなってしまったんですよ。
で、ある日突然、松井さんから「やってよ」と電話が来た。おお……と思いましたね。それが去年の一月ぐらい。で、ホンを渡されて、ウ〜ン……となって。

――その時点では、あまりホンにノレなかった?

というより、最初、松井さんのやりたいイメージを僕のほうがうまく掴めなかった。基本的には好きな方向のストーリーですから。それで、松井さんの狙いを知るためにもよく話し合いました。

――具体的にはどんな話し合いを?

ラストがね、シナリオと完成した映画では違うんですよ。シナリオでは、二人はまた工場のある街に戻って、そこからまた逃げる。松井さんとは、もっと前に終わらせましょうよ、という話をした。
あと、アキラ(柏原収史)が刑事(佐野和宏)を相手に売春をして貰ったお金の扱いね。最初はお金を溜めてどうしたいのか、明確じゃなかった。俺は売春するそのたびごと、お金を燃やしたらどうか。彼の虚無感が出るんじゃないですかって言ったんだけど、それは採用されなかった。

――シナリオの決定稿作りから参加していた、ということですね。

そうなります。監督ってね、脚本家もそうかもしれないけど、誰か相談役がいないと不安なんですよ。で、松井さんの周りにその時いたのが、僕だった。
こちらの仕事が終わった夜遅くに都内の松井さんの事務所へ行って、あのシーンをどうしよう、こうしよう、というやりとりをほぼ毎日。それが一ヶ月以上あって決定稿が上がって、その頃からスタッフが集まり出した。本格的な準備はゴールデンウィークがあけてからかな。

――昼間はディレクターとして、それこそアシスタントの若い人を使う立場。それが夜には、松井さんの補佐役になる。やりずらくはなかったですか。

それはないですよ。確かに、ディレクターになってずいぶん経つと助監督や制作だけやってる時と比べて事務処理能力は明らかに落ちている。でもその分、監督の心情がよく分かるわけ。監督って不安だよねェ……ってことが。

――しつこく聞きますが、ディレクターさんなのに映画のほうでは助監督、縁の下の力持ちに戻る。つまらないと思ったりは。

それもない。映画ってやっぱり面白いもん。クライアントの理不尽な注文を聞きながらVP(企業ビデオ)の演出やってるのと比べたら、映画に一スタッフとして関わってるほうが楽しいですよ。映画の現場は、ビデオの世界より純粋ですからね。みんな、作品を良くするためにここにいる。正しいし、気持ちいいです。
さらに言うと、こちらからああしましょう、こうしましょうと責任無く言いながら参加できる立場って気楽で楽しいんですよ。うまくいかなくても、その意見を採用した監督の責任だからさ(笑)。

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メイキング『どこに行くの?』
――試写で拝見したので、作品の感想を少し。見終わったらびっくりするぐらいの叙情派映画でしたね。本当にてらいなく詩的な、純愛ストーリーにしたいんだなあと。いくらなんでもベタではないかと思うシーンもあるけど、照れずにものすごく正攻法で押していくから、だんだん清清しさを覚えたぐらいです。一方では、主人公のアキラに執着する佐野和宏さんの刑事を筆頭に脇の大人たちがみんなじっとりと生々しい。若い二人だけは、彼らも死体を燃やして棄てたりするのに、不思議と清潔というか、純情な印象のまま。そこがユニークでした。
松井さんの中に、そういうリリカルな表現に対して確固たるものがあるんでしょうか。

ありますね。特に、二人が部屋から持ち出して外へ埋めるヒナ菊。あれに関しては、譲らなかったですよ。ヒナ菊が見つからなくてね。美術の人とどうしようって……。そんな話しても仕様が無いんだけど。

――現場での松井監督は?

さっぱりしてる。体育会系。決断が早いし、明確なんですよ。自分のやりたいイメージが。
絵コンテ描いて持ってくるんです。で、そこに描いてあるカット以外はいらないの。普通、ここにはこう描いてるけど、こっちからも撮っとこうか、となるじゃないですか。それが松井さんは一切無い。コンテに描いてあるものだけでいい。そういう意味では、現場はすごくやりやすい。

――それは昔から?

らしいですよ。『豚鶏心中』も『追悼』も、全部絵コンテ描いてきたそうです。それだけ周到なんですよ。自分はこういうものをやりたいと思うものに対して。
逆に原さんとか矢崎さんは、現場で突然言うタイプなの。屋内のシーン撮ってて突然、ここでゴキブリが欲しいねって。しかも生きてるやつがいいとか。いないっつーの(笑)。
どっちがいいかはね、出来上がり次第だから何とも言えない。でも現場の苦労だけで言えば、松井さんはすごくラクです。なにせ明確だから。
初めて商業用の映画を撮るにあたって、覚悟もあったようです。どんなカットも3テイク以上は回さないぞ、みたいな。

――難しいな、と思ったことは。

ないですよ、さっぱりした、基本的に男っぽい人だから。
ただ、久し振りの現場ですから、仕切りの面で、ふだん街場で生きてる僕のほうがうまく進められるかな、と思ってしまう場合も出てくるわけ。一回、仕切り過ぎて「だったらオマエが撮れ」と怒られちゃった。

――このシーンの撮影が大変だった、というのは。

ラストシーンですね。
全部のシーンの中で、どこに力を入れるかがチーフの考えどころなんですよ。ここは申し訳ないけど一時間で終わらせてください、その代わり監督、このシーンは思う存分撮ってくれ、という判断。
それで僕が一番スケジュールを割いたのがラストシーンです。半日かな。

――場所は?

筑波のほうにある旧国道です。交通量が少ないという利点があって。
こういう場所は制作部が撮影に都合のいい場所をいろいろ探して、候補として出してくれるわけです。それが、自主映画出身の監督さんの場合、今までの生理があるから、最初ちょっと分からない。「俺がここがいいと言ってるのに、どうして撮らせてくれないんだ」と(笑)。
で、「それはね」って説明するわけです。無理やり撮影することは出来るけど、問題が起きたときに映画自体が中止になってしまうかもしれないんですよ。撮影許可をちゃんと取って、できるところでやりましょうよって。説明すれば分かってくれる。

――今伺ったどのシーンに時間を割くかの判断ですが。そこに至るまでには、監督とはもう以心伝心になっている必要があるわけですね。

そうでなければいけないけど、基本はこちらなりに監督の狙いを考えた上での判断です。だから、ズレる時もありますよ。あ、監督はこのシーンを大事だと思ってたのかと。それはそれで発見になる。
それに、現場の段取りという事情もあるじゃないですか。道路での撮影はただでさえ車止めがあったりなんだりと時間を食うから、そこも含めてラストシーンに半日、と考えたわけです。

――絵コンテがあってイメージが明確という点ですが、現場でそれに縛られるリスクは?

松井さんは一方で臨機応変なところもあるんです。バイクで逃げたアキラと香里(あんず)が塔みたいなところから霧が広がっているのを見るシーン、覚えてます? あれはシナリオでは、ファミレスの店内だったんですよ。で、どの店も気に入らなくて、どこかいい場所ないかとロケハンして見つけた場所。
朝ロケに行ったら一面に霧で、綺麗だったんですよ。そしたら、セリフがたくさんあるシーンだったんだけど、いらない、ほとんどカットしようと。そういうカンの良さは併せ持っている人ですね。

――ヒロインのあんずは、抜擢なんですね。事務所に入っているわけでもなく?

そう。お芝居は全くの素人。新宿のニューハーフのお店で、今も働いてるんじゃないかな。バラエティ番組の「ニューハーフ美女を探せ」みたいなコーナーに出てたのを松井さんが見て気に入って、それでプロデューサーが話をしに行った。

――男娼とニューハーフの純愛というストーリーです。

松井さんの中で、ずっと続いている必然があるんですよね。なんつうか、愛は形じゃないみたいなさ。
『追悼』は人形と男でしょ。その前の『錆びた缶空』は男同士。愛さえあればどんな形だろうと……そういうのが多分、あるみたい。だから『どこに行くの?』に今までで一番近いのは、『錆びた缶空』じゃないかな。今こういう可憐なものを狙った、リリカルな映画が果たして必要とされているのかは難しいところだけど。
その点、前から松井さんの映画が好きで完成披露試写にも来てくれた中原昌也さんが、すごく誉めてくれてね。「刑務所から出て来たばかりの男が、いきなり撮ったような映画」だって。なるほどなあと。

――22年振りの新作で、初の商業映画。松井さんにかかるプレッシャーは大きかったのでは。

多少はあったかもしれないけど、そういうところは動き出してからは我々に見せないようにしてましたね。しっかり絵コンテ描いて、しっかり準備して臨む人だから、現場ではそれを撮るためにどうしましょうか、とみんな余計なこと考えずそこへ向かえた。
それに僕はほら、いかに松井さんを不安にさせないかが仕事だから。松井さんのためにオレはここにいるんだ、という意識は、やってる間は強く思ってましたよ。
助監督の僕はそれまで呑み仲間でしかない関係だし、カメラマンも初めてだし、一緒にやるスタッフは松井さんにとって初めての相手ばかりだった。撮影の田辺司さんはすごくいい人でね。条件の悪いなか、よくやってくれたんです。「もう少し時間があれば……」とずいぶん言われてしまいましたけどねえ。

――監督にとってカメラマンは大事なパートナー。面接というか、面通しみたいなことは?

もちろん。俺なんか現場が始まると、ものすごい数の人と会わなきゃいけない、話さなきゃいけないで、“人あたり”を起こしちゃう。矢崎さんもそうで「今日は誰にも会いたくない」と言い出す時があるんだ(笑)。代わりにオーディションやっといてとか。
 松井さんは全く平気。そういうのが苦にならないんです。頭領の気質があるんですね、もともと。

――松井監督とふだんから映画の話をしたりしてましたか。どうしても『イージー・ライダー』を想わせるラストなもので。

してましたよ。あの人は世代的にアメリカン・ニューシネマど真ん中ですからね。松井さんがイメージとして言ってたのは『イージー・ライダー』じゃなくて『スケアクロウ』だった。冒頭の、あの道ね。
松井さんにとっては今回気の毒したかな、と思うのは、映画の話をしたり演出の相談ができるのは僕一人しかいないんですよ。演出部で。セカンドもサードも、現場はほとんど初めての若い子だったから。

――でも、あんまりみんなでああしましょう、こうしましょうと言ってきても困るわけでしょう。

そこは松井さん、ウェルカムな人なんですよ。こうじゃなきゃいけない、俺の言う通りにやれって人とは逆で、みんなで意見出してくれよと。オープンマインド。特に演出部に対しては「こいつらは俺の仲間だ」というこだわりがあるみたい。でも若い子はいっぱいいっぱいだから、言えないんだね。アイデアあったらどんどん言わなきゃダメだよ、現場に参加してることにならないぞ、とこっちも叱ったんだけど。難しかった。

――撮影後の、編集などのポスト・プロダクションは?

実はノータッチ。完成試写は見せてもらいましたけど。だから、編集の仕上がりについて自分なりに思うことはあるけど、それは監督の決定したことだから。
僕は、基本的に最後まで付きたいタイプなんですよ。しかし、映画界自体が変わったんでしょうけど、来てもらってもお金が払えない、という話になる。ノーギャラでもいいんだと言っても、立ち会えばノーギャラだろうとメシを食わせなきゃいけないから。
もともと低予算だから、僕が編集する、という話もあったんですよ。でもこちらから止しましょうよ、と。現場を知ってる人間が絵をつないでもあまり良くない気がして。
現状の傾向としては止むを得ない面があるんだけど、編集は、まさに撮った素材を映画にしていく作業だから、立ち会えないのは残念ではありますね。

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“インディーズ系助監督”の存在意義
――大きなバジェットの現場で経験を積んできた助監督さんが、こういう映画に付くとどうなんでしょう。苦労するのでは。

そんなことないんですよ。基本的に、大きなものをやってきた人は規模の小さな現場でも大丈夫で、逆が難しいんです。撮影所で本式にやってきた人たちは、僕より仕事できますよ。優秀で、バシバシ仕切れると思います。ただ、それが松井さんや矢崎さんのような自主映画出身の監督にとっていいのか。オレみたいに多少モタモタしつつ監督と話し合いながらのほうがいいんじゃないか、と自分では思っていますけどね。……でもやっぱり分からないな。人間的に合う合わない、でずいぶん違ってくることだし。

――粂田さんが、全く初対面の監督さんのチーフになるのは?

できないですね、今までの僕のやり方なら、多分。僕の場合、準備期間が大事なんですよ。シナリオの段階からああだこうだと言いながら付き合って、この監督はこういう人なんだなと分かってくる。そしたら仕事の進め方も見えてくる。矢崎さんならあんまり人に会わせないようにしよう、とかさ。それを考えるのが自分の役割だと思っているから。

――では、どんなプロセスから入ろうと助監督はこれさえできたら、というものは何でしょう。

自分で考えること、ですよ。今、必要なものは何か。あれやったら次はこれやって……とね。一本の映画なら普通100シーンあって、撮るべき場所が何ヶ所もあり、小道具から衣装まで、準備するものは膨大にあるわけですから。

――撮影所で育ってきた助監督さんと自分の仕事の仕方、比べてみたことは。

今回、スタッフルームの隣に別の組がいたんで、覗かせてもらいましたけどね。はあ、そういう風にやってるのかと。でもね、伝統ってのは恐ろしいもんで、やってると自然と昔ながらのシステムになっていくんですよ。サードは小道具を管理して、セカンドは衣装を管理する、チーフはスケジュールを管理する。結局、それが一番効率がいいみたいですね。

――じゃあ、チーフになると現場に立ち会わない時も出てくる。

そう。誰かが、明日以降の準備をしなくちゃいけないわけだから。撮影が始まったら、当然それは大事なんだけど、チーフとライン・プロデューサーなどの制作部は、次のこと、明日のこと、あさってのこと、また先のことを相談しあい、詰めていくのがまた大事になる。
『どこに行くの?』の場合、セカンドも現場経験があまり無いので、僕も8割ぐらいは現場にいましたね。その分、夜中に帰ってから明日のスケジュールを組む毎日でした。
だから、制作部とうまくいくことが大事ですね。
助監督と制作部は夫婦みたいなもので。現場で働くのが助監督、後ろで後方支援してくれるのが制作部。ここがチームになって密接にコミュニケーションとりながら、一緒に監督を支えるのが一番いい形です。それが、『ストロベリーショートケイクス』の時は制作部とうまくいかなくて……。僕は矢崎さんに引っ張られて来ていたから。監督寄りになっちゃった。監督を守るのが仕事なんですけど、あの時は守り過ぎちゃった。その点は今でも悔いが残っています。

――実際の演出の過程で監督から意見を求めてきたり、あるいは言ったりすることは。

ありますよ。ありますが、なんというか。難しいな……。そこが監督と助監督の関係の難しいところですね。ここんところどうしようか、と演出にも参加するのが助監督の本筋ではあるんですが。
でもね、ほんとスケジュールに追われるの。特にチーフだと。とにかく時計見て、この時間までに終わってくれないと次のシーンの撮影に間に合わない、といつも考えているから。そこがアンビヴァレンツって言うんですか。ここはこうしたら絶対いい、分かってるんだけど時間のこと考えたらできない。だから他の手を考えてください……と言わなくちゃいけない。それで大体、ケンカになったりするんですよ。監督と。

――それは辛い立場ですね。

でも、成立させたほうがいいわけ。できなかったらゼロになっちゃうから。
松井さんにも矢崎さんにも、インの前に言ったんですよ。「これからは監督にキツいことも言いますけど、監督のために言うんですからね」って。それまでは酒呑んでワイワイ言ってたのが、現場では突然、あれもダメ、これもダメって言わなきゃいけなくなるから。

――監督のファンだと、ますます難しい。

僕も映画ファンとして、二人の人柄も作品も好きだったから。そこは苦しんだんですよ、実に。

二人の天才監督
――せっかくなので『20世紀ノスタルジア』と『ストロベリーショートケイクス』の話も聞かせてください。

『20世紀』の時は僕もペーペーの立場だからだいぶ忘れちゃったし、なんとも言えないけど……。
印象的なのは、ああ、原さんって人はあくまで画を作りたい人だと。撮りたいのは、芝居よりも画。カメラ持たせたらやっぱり上手いですからね。

――矢崎監督は?

映画に対する執着心が強いというか、要は現場で狂うタイプなんですよ。これじゃダメだ、撮れないと現場で言い出してタイヘンなことになる。特に三十代、血気盛んな頃はそうだったみたい。(親交のある)七里圭さんも現場ではそのタイプらしいですね。ふだんはいい人なんだけどね! うん、矢崎さんと七里さんは似てるな。
『ストロベリー』の時は、普通一日で終わる衣装合わせが四日かかりました。とことんこだわるから。四人の女優さん、それぞれ二日ずつ。一日で終わらないから、そのたびスケジュール調整して。その時点でもう、ゾクゾクしましたね(笑)。
助監督にとってはスケジュール、時間割がとても大事なんだけど、インディーズ畑の監督は基本的にスケジュールという概念が薄いから(笑)。これは今日中に撮らないともう後がないよ、というのに慣れていない。矢崎さんなんて、『ストロベリー』以前は一日一シーン以上撮ったことのない人だったんだから! そういう人に一日5、6シーン撮ってもらうというのは、もうね、ドキドキなわけですよ。

――「これは今日中に撮らないとダメ」ということは粂田さんから監督に言う?

はい。だから、矢崎さんも現場では僕に対して……あったと思いますよ。ただ、それまでの付き合いがあるじゃないですか。
矢崎さんとはその前に一本やってるんですよ。奈良テレビの、ちょっとドラマが入った番組。その時も、そんなご無体なって要求ばかりでしたからね。監督はワガママ言うのが仕事っちゃあ仕事なんだけど、それにしても限界を越えているだろうと。

――そんな思いをしても、『ストロベリー』の助監督を引き受けた。

矢崎さんのことはね、オレははっきり、天才だと思ってるんですよ。
作品も人間も大好き。だから、この天才が商業映画のリングに上がって戦いを挑むのに、少しでも力になれるなら、という気持ちでしたね。
実は現場でもっと狂うんじゃないかと覚悟はしてたし、スケジュールの問題でこちらから無理なお願いもしたんだけど、分かってくれた。今回はスケジュール通りに撮るんだ、と密かに期するものがあったんじゃないかな。
現場で、あれだけ自分の撮りたい空気にガーンと持っていける人は、そうそういないと思います。
リハーサルをね、延々とやるんです。ほんとに延々と。芝居をつけるというより、俳優の気持ちを動かす。その間、ロケセットではピーンと音がするぐらい緊張が高まりますね。矢崎さんのそういう演出がしんどい、と敬遠する人もいるんだけど。『ストロベリー』は出た女優さんたちみんなに愛されましたから。そこがあの映画の幸福なところ。
オレが言うのもなんだけど、あれ、いい映画じゃないですか。どうして矢崎さんにすぐ次が無いか、不思議で仕様がないんだけど。

ふたたび、『どこに行くの?』
――熱烈な『追悼』ファンが見て、期待と違うと思うかもしれませんが。

うん。『追悼』のね、あのスタッフのエネルギーがほとばしっている感じは本当に凄いと思います。『どこに行くの?』は、違うタイプの映画として見てほしいですね。第二期・松井良彦のスタート作として。
今まで散々カルト、ヤバい監督と呼ばれて商業ベースからは敬遠されてきたけど、リリカルな面もこの人にはあるんだってところを。

――粂田さんが編集して劇場で今かかっている予告編は、前半にハードな描写をワッと見せて、後半は叙情的になります。

松井良彦というフィルムメーカーには二面があって、今回は叙情のほうがメインですよと。そういう狙いはありました。松井さん自身は今、配給するバイオタイドの人に聞いたら、公開を間近に控えてソワソワしてるみたいね(笑)。

――監督にとって作品の公開は我が子の晴れの披露の場だと思いますが、助監督の公開前の心境はどうなんでしょう。もう過去のことなのか。

スタッフは基本的にそうでしょう。やはり、次のもの、今関わっているものが大切。でも、完成披露試写や初日に来れる人は来ますね。
僕は、ちょっと特殊に監督と付き合いがあるから、特殊な思い入れというか、感慨はあります。もちろん、初日には行きますよ。

――最後に。三人の監督から影響は受けましたか?

受けましたね。三者三様。矢崎さんが一番強いかな。付き合いも長いしね。
矢崎さんが現場でそうだし、僕も近いと一番思うのは、モニターを見ないことかな。矢崎さんの場合、カメラの石井勲さん(この人も天才だと思ってます)への信頼がまずあるんだけど、リハーサルを何度もやりながら、芝居をじっくり見る。そこが女優さんに愛された理由みたい。僕の場合、モニター見る習慣がもともと無かったし、生で芝居見ないで何が分かるんじゃと思っているから。
原さんの場合は、最初からモニター派(笑)。対極ですね。高校生の頃からずっとカメラ越しに世界と接してきた、極北の人だから。原さんからは、概念としての映画は本来すごく自由なんだってことを学びましたね。映画はなんでもありだという考え方ね。
松井さんは一番付き合いが短いんだけど、やっぱり、自分のやりたいことに対する明確さかな。

――三人から、また付いてよと言われたら?

う〜ん。年も年なんで、卒業してもう自分のを考えないと。でも、本当に頼まれたらもちろん考えますよ。
もうね、僕はそこそこのホンは書けるし、そこそこのものは撮れるんですよ。限られた条件で作らなきゃいけない話こそ、逆に自信があるぐらい。自分がそういうところでやってきましたから。
でも、この新人監督濫立の時代に出て行くには、そこそこ以上のものを作らなきゃいけないからね。そこが難しいなあ……と思いつつ、いろいろ水面下で動いております!


(聞き手・構成:若木康輔/放送ライター)


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『どこに行くの?』
監督・脚本:松井良彦
エグゼクティブプロデューサー:小林洋一
プロデューサー:大野敦子
ラインプロデューサー:田中深雪
撮影:田辺司
照明:工藤和雄
録音:浦田和治
美術:畠山和久
編集:宇賀神雅裕
音楽:上田現
出演:柏原収史、あんず、佐野和宏、朱源美、村松恭子、三浦誠己、長澤奈央
製作:「どこに行くの?」製作委員会(エースデュースエンタテインント/ワコー/バイオタイド/ツイン)
制作プロダクション:ユーロスペース
配給:バイオタイド

2008年3月1日(土)ユーロスペースにてレイトショー
公式サイト:http://dokoniikuno.com
posted by 映芸編集部 at 23:15 | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする