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2008年04月24日

演劇を観よう5
詩森ろば(劇作家・演出家/風琴工房主宰)インタビュー

5月9日から風琴工房による水俣病事件をテーマにした『hg』が上演される。『hg』とは、水俣病を引き起こした水銀の化学記号だ。舞台となる水俣を訪問した詩森ろばさん(作・演出)は、母親の胎内で水銀の影響を受けて生れた胎児性水俣病患者の作業所「ほっとはうす」で、これまでに抱いて水俣のイメージとは全く違う、「水俣」と出会った。その輝きと力強さは、脚本の構成を大きく変えさせるほど、詩森さんの心を捉えたという。
(取材・構成:奥田みのり)


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──詩森さんの現在にいたるまでの道のりをおうかがいできますか。

出身は岩手の盛岡で、中学、高校と演劇部でした。その後、演劇がやりたくて上京しました。最初は役者志望でしたが、当時、劇団とは別にユニットを組んで公演をするのが流行っていたので、20歳くらいのときに、1回だけのつもりで作・演出をやってみたのです。そしたら、役者より書くほうがいいと周りから言われまして、自分でもそう思ったこともあって、そのまま現在に至ります。
それでも、役者がやりたかったので、出演もしながら作・演出を続けていたのですが、あるとき作・演出に専念したいと思い、以来、きっぱり役者はやめました。

──役者をやめるきっかけになった作品は何だったのでしょうか。

『涙ぐむ魚』という作品で、チェルノブイリ原発事故をテーマにしたファンタジーです。

──どうして原発問題をテーマにしたのでしょうか。

当時は核戦争後の世界を描いた演劇が流行っていましたし、広瀬隆さんの「危険な話」を読んで影響されて書いたのだと思います。もともと、昔から社会問題に興味を持っていましたし。

──本の話が出てきましたが、今回上演される『hg』は、詩森さんが高校生のときに読んだ石牟礼道子さんの「苦界浄土」の影響があったそうですが、高校生で「苦界浄土」を読むというのはすごいですね。

社会科の副読本に「苦界浄土」の一部が掲載されていたので、同級生はみんな読んでいたと思います。これを読んで、「全部読まなければ」と思い、本屋へ行ったんです。読んでびっくりしました。「水俣病」の深刻さだけでなく、石牟礼さんの文章の美しさに圧倒されてしまいました。

──石牟礼さんが水俣病患者さんのお宅で見聞きしたことをベースに書かれた小説ですが、私も、文章の織りなす世界に衝撃をうけました。そうすると、高校時代に石牟礼さんの本を読まれ、『hg』を書くまでは、誰かと水俣病について問題意識を共有されてきたとか。

いいえ、そういう仲間はいませんでした。私自身もディープに関わっていたというよりは、必要があれば本を読んだり、土本典昭監督のドキュメンタリーを見たりしてきた程度です。とはいえ、水俣病についての偏見や差別を通じて、世界の見方を学んできた、という思いがあります。

──結果的にはずっと見聞きしてきたことが『hg』として結実したのですね。他に、社会的なことをテーマにした作品があれば教えてください。

中学生のときにドキュメンタリーで知った樺太の残留朝鮮人について書いたことがあります。終戦時、日本人は帰国できましたが、連行された朝鮮人は、ソ連と北朝鮮の絡みがあって帰国できなかった。それこそ1988年のソウルオリンピックの頃まで帰ることができず、帰国できたとしても、どちらにも家庭があるからどうにもならない。気になって関連する本を読んできましが、演劇にしようとは思っていませんでした。しばらくして、戦争のことを書こうと思い、私らしい切り口は何だろうと考えたときに、樺太の残留朝鮮人のことを思い出したのです。水俣病も同じで、関心はありましたが、だからといって、演劇にするつもりはありませんでした。

──『hg』では、脚本を書くにあたって、水俣に取材に行かれていますよね。どこかの事件や場所をテーマにして芝居を作られるときに、現地を訪問することは、これまでにもあったのでしょうか。

ありました。毎年春にスズナリで新作公演があるのですが、ここで上演する劇は、いろいろな場所を取材するシリーズにしています。『hg』で4作目になります。

──『hg』にいたるまでの3作品を教えていただけますか。

去年が『紅の舞う丘』という作品で、無添加化粧品メーカーの女性起業家の話でした。女性起業家の方に会いに行くと、すごくパワフルなので、次の方を紹介してくれるのです。それでいろんな世代の女性起業家にお会いしました。
一昨年が、『砂漠の音階』という北海道大学で雪の研究をしていた中谷宇吉郎先生の話だったので、北海道まで行きました。その前年の『機械と音楽』はロシアアヴァンギャルドの建築家の話なので、建築家やロシアアヴァンギャルド研究家の方にお話をうかがいました。スズナリの新作公演は、このように、外部とつながりながら戯曲を書くシリーズなのです。取材をすることで、構想が大きく変ってしまうこともあります。

──取材したほうが作品になるまで時間がかかりますか。

取材時間がかかるので1年に1本しか書かないことにしています。

──初めての水俣訪問はいつだったのでしょうか。

去年の10月です。『hg』は二部構成ですが、もともとは第1話で描いているチッソ(※1)の水俣附属病院を題材にするつもりだったので、水俣を実際に見て回り、その空気や風景を身に刻みたいという以上のことは考えていませんでした。ただ、水俣病資料館では修学旅行生に来た生徒たちなど団体申し込みの方と一緒に、語り部さんの話を聞くことができるので、滞在中は、ここに張り付いていようと思いました。

 ※1 新日本窒素肥料株式会社のこと。水俣病の原因となった水銀を工場から排出していた。1965年にチッソ株式会社と会社名を変更している。

──詩森さんはそこで、語り部の胎児性水俣患者さんに出会い、それが予定していなかった第二部の構想へとつながったのですよね。

そうです。ある日の語り部は、永本賢治さんという胎児性の患者さんでした。お話していたら、「僕たちの作業所には喫茶店があるからいつでも遊びに来てください」と言われたのです。ノンフィクション作家のように、ガンガン取材をするつもりはなかったけれど、喫茶店なのだから行ってもいい場所なのだろうと、作業所である「ほっとはうす」に行ってみました。すると加藤たけ子さんという理事長とお話する機会があったのです。そこで、加藤さんに、実は取材に来ていてもう少しお話を伺いたいと話したら、次の日に来てくださいと言っていただきました。そのときは「ほっとはうす」のことを題材にするとは考えていませんでした。

──その後、ほっとはうすを題材にした脚本を詩森さんは書かれましたが、何があったのでしょうか。

東京へ帰ってきたのですけど、「ほっとはうす」という場所を通じて、現在の水俣が面白い場所なんだな思ったのです。過去のことは資料があるけど、今の水俣がどんなふうに再生しようとして、どんなに素敵な場所なのか知らない人がほとんどじゃないかと。相変わらずモノクロの世界で「苦しい」というイメージしかなくて、それだけだと昔話になってしまうと思い、今の水俣を書くべきだろうと思ったのです。

──そこに至る心境の変化を、もう少し詳しく教えてください。

劇的な事件があったのではなく、水俣に触れ、水俣を歩く中で、自然に今の水俣を書きたいと思ったのです。いろんなやり方があると思いますが、1959年と2008年との二つ話にしようと思いました。演劇で二部構成というのは珍しい形式だと思うのですが、三部にすると、それぞれが物足りなくなって、焦点がぼけると思い、それなら、水俣病で激震していた1959年と現在だけでいいかなと。それしか書けないとも思いました。

一話でチッソの社員を演じた俳優が二話では胎児性の患者さんを演じます。それを三部作にすると、俳優がいろんな役をやっているとお客さんは感じると思いました。でも、二部作であれば、同じ事象のなかに被害者と加害者がいることを伝えられるではないかと。チッソの人は加害者で極悪人という決まりきったイメージではなくて、チッソの中ですりつぶされていった人を描き、そこに現在を生きる患者さんの物語を並べることで、どちら側にも立ちうる私達、を感じてもらえたらいいなと。一部も二部も、それぞれ単独でも成り立つ内容になっていますが、同じステージに並べることで演劇的になると思いました。

──一部でチッソの社員の役をしていた俳優が、二部で胎児性患者を演じる。観客は、さっきまで加害者側だった人が、続くステージでは、被害者を演じているということを否応なく意識させられますね。

そこは感じてほしいところですね。

──二部構成だということは知っていましたが、こうした仕掛けがあるとは知りませんでした。今のお話をお聞きしただけでも、観る人に、考えさせる強いインパクトがあると思いました。その分、2つの役を演じ分ける俳優さんは大変じゃないですか。

それは俳優に聞いてみないとわからないけれど、ものすごくたいへんなことだと思います。ひとつひとつの役だけでも大変な負担のかかる役ですから。でも大丈夫だと信じてはいるんです。風琴工房は若い劇団ですが、年輩の素晴らしい俳優さんである、篠塚祥司さんと佐藤誓さん、金替康博さんが出演してくださっています。今回ならこんな困難なことも可能なのではないか、そのように期待しています。

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『hg』宣伝写真

――これまで関心を寄せていた水俣が、ここで初めて演劇の題材になったと。でも、なぜ水俣だったのでしょうか。 
 
私は最近ずっと高度成長期のことに関心があり調べてきました。なぜ、高度成長期に関心があるかというと、この時期に何かが大きく転換したと思うからなのです。水俣病もこの期間に発生しています。
私は、この時期に起こった出来事が、「なぜ」起きたのかを書きたかったのです。戦争だったら、戦争のある瞬間を丁寧に書くことで、戦争が起こるシステムや戦争にいたる人間の動きを書きたい。高度成長期もその時代を生きた日本人の心情を知るといろんなことがわかるし、私達が生きるべき道が見えてくると思うのです。

──詩森さんが書きたいと思っていた高度成長期と、ずっと関心を寄せていた水俣。そして、三人の俳優さんが客演してくれることが重なりあって、水俣を書く時期が訪れたということでしょうか。

そうです。三人の俳優さんが客演してくれるなら書けると思いました。チッソ付属病院の職員の話は、チッソが秘密主義だったので、細川院長の猫実験の話(※2)以外は、あまり知られていない。特に、チッソの職員が、有機水銀を含む廃液を流したことは大変なことだったという認識にいたってからは、すりつぶされるような気持ちで生きていかなければいけなかったんですね。もともとは会社のためにやったことなのに、ずれてしまったわけですよね。そうした葛藤を知ったとき、チッソの内部研究の話を書きたいと思ったのです。

 ※2:1959年に行われた猫に工場排水を与える実験で、開始から77日後、猫は水俣病を発病した。

──仕事に忠実だっただけで、悪いことをしようと思っていたわけではないと。

1950年代、60年代は廃水を海に流していけないとは誰も思っていなかったように思います。私の故郷でも、松尾銅山から茶色い水が流れてきてもそんなものだと思っていました。今だったら大騒ぎしますけど、当時は経済の発展が正義だと思っていたし、罪悪感もなかったのです。それが裁判で争われるように社会情勢が変っていくと、大変なことをしたという思いが一気に押し寄せてくる。その部分は、演劇ですくいとれる人間の心の動きじゃないかなと感じたのです。

──水俣病は公式確認されて52年になりますけど、今でこそ振り返るべきですよね。私達が過去にしてきたことから、学ぶべきことが沢山あります。私が水俣に関心を寄せる理由は、そこにあるのです。

自分の主張を言葉にして啓蒙しないと伝わらないのは嫌なのです。ポンと置くだけで伝わるような切り口が大事かな、と考えています。水俣はいろいろなことを見渡すことができるビューポイントとして、すごく残念な出来事を抱えつつ、同時に貴重な財産を持っている場所だと思っています。

──私は水俣の人間ではないじゃないですか。そういう人間が水俣で本当に苦しみを味わってきた人に接したときに、どこまで立ち入っていいのか、どこまで話を聞いていいのか戸惑いがあるのです。そういう思いはありませんでしたか?

もちろんそれはありますが、普段と変わらないと思っています。ここまで聞いてもいいと思える関係性があるひとには聞くし、聞けるような関係が育っていないなあと感じたら聞かない。私はノンフィクションを書くために取材しているわけではないから、できる範囲で話してくれればいいし、気持ちが通いあってその話ができるなと思える瞬間があれば聞けばいいと思っています。

──水俣だからという地域の特異性よりは相手との関係次第だと。

不自然なことはしたくないんです。頑張ってどんどん切り込んでいくようなことはジャーナリズムに任せておけばいいと思っていますし。

──私は物書きという立場ですが、水俣で吸収したものを書いているかというと、そうでもないのです。

水俣について随分書かれているんですか。

──水俣に関係する東京の動きについては書いています。水俣に産廃をつくる計画があり、地元で反対運動が起きていて、メディアが取り上げたり、選挙の争点になったりしています。しかし、東京で開かれる集会や、環境庁や産廃業者への申し入れについては、メディアへの露出は少ないのです。ですので、東京にいる私が少しでもカバーできればと思っています。その一方で、私が水俣でお会いした患者さんから聞いた話というのは、取材というより、人間と人間の触れ合いのなかで交わされたものなのです。「書く」という対象で見ることが難しいのです。だから、現地を題材にしたものは書けないでいます。

でも、いつかお書きになったらいいのでは。そうやって親しく信頼しているひとが書いてくれるのは嬉しいのではないかと思います。私の場合、今回はとても短い関わりだったので、書けることだけにしようと心がけました。わからないことのほうが多いですし、知ったかぶりをしてはいけないと思ったんです。でもそんなに深く関係してらっしゃるなら、わたしが言うのもおこがましいですが、書いていいかなと思えるときが来たら、書いたらいいのでは、と思います。

──ありがとうございます。なんだか嬉しいです。

外の人が書かないと駄目だと思うのです。もちろん内側の人が書くのは素晴らしいし、どんどん書いていただきたいけど、忘れないようにしていくためにも、未来へと向かっていくためにも、当事者だけではなく、外の人間が微弱でもいたらなくても手を延ばそうとしないと駄目なんじゃないかと、自分を励ます意味でもそう思っています。

──いまの話で、詩森さんの水俣訪問記(ブログ)「水俣ノート」を思い出しました。例えば、ほっとはうすの加藤さんが、眼が回るほど忙しいなかで、時間を作って、水俣病のことや胎児性患者さんのことを、いろいろ教えてくれたと書いてありましたよね。その加藤さんが、次の予定があるからと、さーっとその場を去っていく描写を読んで、「あ、そうそう、加藤さんはこんな感じのエネルギッシュな人だった」と、その場の空気をリアルに感じたのです。こうした感覚は、外からの人間だからこそ、感じることができるのかとも思いました。そうすると、当事者でない人が表現することの意味が分かるような気がします。
ところで、私も加藤さんにお会いしたことがあるので分かるのですが、加藤さんはとても忙しくされていますが、誰かと時間を共有されているときは、その人のために一生懸命になってくれる方ですよね。

本当に、そのとおりで、全ての訪問者に、あのように対応されている加藤さんは、すごい方だと思いました。

──その加藤さんが運営されている「ほっとはうす」を舞台にしたのが、第二話ですが、どんな内容なのでしょうか。

これは風琴工房始まって以来のバックステージ物なのです。今回は私が「ほっとはうす」に行って、芝居にするかどうか悩んだり、加藤さんや患者さんと過ごした短い時間について描いた裏話を作品にしています。第二話が出来るまでのメイキングですね。舞台裏ではこのようなことがあった、というのを、表に出しているのです。

──では第二話には詩森さんの役が出てくるのですか。

劇作家が出て来ます。もう少し若い子の役に書き直してますが、私が体験したことがベースになっています。そして、劇中では、「ほっとはうす」を演劇のテーマとして書いていいかどうかは解決しないまま、とりあえず書いてみる、というところで終わるのです。もちろん、実際にほっとはうすについて書く許可をいただいていますが、そのことは本番をじっさいに見ていただくまでは、解決していない、とも言えるのです。

──詩森さんは、ほっとはうすを題材にした第二話をやろうと決めた後、2回目の水俣訪問をされていますが、新しい発見はありましたか。

胎児性患者さんから、「一緒に飲みに行こうよ」と誘われまして、実際に飲みに行ったのです。そういうやりとりが普通に行われていて、むしろ東京より福祉先進国だと感じました。

──私が水俣に行って驚いたのは、車椅子の人がスムーズにタクシーを利用していることでした。運転手さんも慣れていて、手際よく、車いすを折りたたんで、対応されているのですよね。

患者さんたちには、それぞれ懇意にしている運転手さんがいるのですよね。
「ほっとはうす」に限らず、車椅子の方が多いですしね。そういうことも含め、水俣に学んでいくべきなのかなと思います。ただ、彼らが患者として生きて行く分には支援があるのですが、「普通の市民」として生きていこうとすると、「患者さんなのに、そんなことまで…」とよく思わない人もいると聞きました。
東京でもそうだと思うのです。作業所で頑張っている分には理解を示すけど、例えば、普通に恋をすることに関しては、「障がい者なのに」と言われる。人間なら恋をすることは普通のこと、という意識になればいいんのですが、なかなか変わらない現状がありますね。

──第二話には、こうした葛藤も反映されているのですね。

そうですね。なるべくさりげなく描きたいと思っているのですが。

──ところで、水俣病について知らない人が『hg』を見ても、楽しめますか。

わかりやすく書いていますし、楽しめると思います。第二話は特に楽しい感じですよ。

──詩森さん以外にも、水俣を訪問されている俳優さんがいますよね。

はい。実は、水俣をやるなら、現地に行くのは当然と考えている俳優が多かったのです。お金を出せないのだから、彼らに水俣を訪問するよう強制できない、と言ったのですが、もうすでに現地に行ったことのある俳優も含めて、4月末に、みんなで水俣で合宿をすることになりました。
昨年、『砂漠の音階』を、北海道でやったとき、芝居のモデルとなった場所を訪問したり関係する方々にお会いする機会があり、現地の空気に触れるのが一番いいと実感したことも影響していると思います。

──それは素晴らしいですね。
今回の公演では、「つたえてプロジェクト」(*5月9日から始まる最初の3日間、風琴工房を「はじめてみる観客」とふたりで入場すると1名分が招待となる)を展開されていますよね。これは『hg』が初めてですか。

そうですね。今後続けていきたいとは思っているのですけど。

──いいですね。私も知り合いを連れて見に行きたいと思っています。それから、加藤さんとのトークもあるとお聞きしましたが。

5月10日の公演後に予定しています。患者さんの方も来てくださる予定です。お呼びするだけではなくて、水俣でも来年あたりに上演できればいいなと思っていますね。

──水俣病を追っている写真家は、全国で写真展を行っていても、水俣で写真展をやったときは、とても緊張したとおっしゃっていたのですが。

怖いと思いますよ。でも私の場合は、まだ作っているところなので、そのときになってみないと、どんな気持ちになるか分からないですね。

──でも、詩森さんのさきほどの「水俣でも上演したい」という言葉からは、全く不安を感じさせませんでした。それは過去の水俣だけでなく、現在の水俣がどこに向かっているのかをテーマにした第二話があるからだと思いました。
当日の上演、楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました

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【公演情報】
『hg』
作・演出:詩森ろば
2008年5月9日(金)〜18日(日)
下北沢ザ・スズナリにて上演

風琴工房公式サイト
http://windyharp.org/

【奥田みのり/ライター・環境プランナー】
神奈川県横浜出身。東京でOLを経験後、自立した将来を手に入れるため、米国・シリコンバレーのコミュニティ・カレッジへ留学。その後、サンフランシスコ州立大学へ編入し、現地のNPOへ就職。日系アメリカ人らと、コミュニティ・オーガナイザーとして、草の根のイベント企画・運営に携わる。帰国後、東大大学院修了(環境学)、専門紙の記者を経てフリーライターに。現在は環境・公害・CSR(企業の社会的責任)・雇用問題などを「オルタナ」「ビッグイシュー」などに執筆。オルタナ編集委員。
http://alterna.justblog.jp/
タグ:演劇
posted by 映芸編集部 at 00:00 | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする