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2008年05月20日

『PASSION』
濱口竜介(監督)インタビュー

 みなさんは学生が撮った映画をご覧になったことがありますか。技術的にも内容的にも拙いものばかりだろうと決めつけてはいないでしょうか。たしかにそうした作品が大半かもしれません。しかし、一般映画以上におもしろい学生映画というものがたしかに存在しています。
 5月24日から渋谷ユーロスペースで始まる「東京藝術大学大学院映像研究科 第二期生修了制作展 GEIDAI#2」。その中で発表される『PASSION』はまさにそうした作品の1本と言えるのではないでしょうか。日常的な男女の恋愛風景と、その中で揺れ動く感情の機微を描いたこの作品は、俳優(演技)、シナリオ(セリフ)、映像(カッティング)のどれを取っても一般映画に勝るとも劣らない魅力を発散しています。監督の濱口竜介さんは東京大学文学部を卒業した後に映画やテレビの現場で助監督などを務めた経歴を持つ29歳。これからの活躍が期待される新鋭に、大学院での思い出や『PASSION』に込めた思いを聞いてみました。

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カサヴェテスから黒沢清へ

――まず芸大に入るまでの経緯を伺いたいんですが、自分で映画を作りたいと思うようになったのはいつ頃からなんですか。

小学生の頃は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』なんかを観て面白いなぁと思っていた程度で、十代はハリウッド映画を中心に観るような普通の映画体験でした。その後、大学で映画研究会に入ったら、先輩が蓮實(重彦)さんの本を読んでいたりして、そういう系統の映画も観るようになったんですが、そこで認識が180度変わったんですね。映画っていうのは本当に面白いものだなと。

――普通に好きな程度では映研に入らないと思うんですが。

当時から物語を語るということが、やりたいこととしてあったんだと思います。その方法として、小説とか演劇とか色々ありますけど、自分にそういうものは無理だろうと。映画に関しては、ボタンを押せば映るものという甘い認識を持っていたので(笑)、それで物語が語れるならそれでいいのではないかという、非常に消極的な理由なんですけど。

――大学時代は何を勉強されていたんですか。

文学部だったんですが、途中から映画にしか興味がなくなったので、美学芸術学専攻に進んで映画論を勉強していました。ただ、美学芸術学専攻に映画の専門家がそれほどいたわけではないんです。だから、いま成城大学の講師をされている木村建哉さんの自主ゼミに参加していたというぐらいで、基本的には独学で好きな本を読んでいたという程度なんですけど。

――映画に対する認識が180度変わったという話がありましたが、先輩の影響以外にもきっかけとなるような作品があったんですか。

僕が大学2〜3年の頃、ジョン・カサヴェテスのレストロペクティブがあって、『ハズバンズ』と『ミニーとモスコウィッツ』を観たんですよ。『ハズバンズ』が特に感動的で、映画のなかには人生より濃密な時間というのがあるんだなぁと。それは本当に衝撃的でした。映画の世界で生きていきたいと本気で思ったのはそれからだと思います。

――いま29歳ということなので、大学卒業後すぐに芸大へ入ったわけではありませんよね。

大学を卒業してから、映画の助監督に就かせていただいたんですけど、本当に何もできなくて。その後に同じ監督の2時間ドラマの助監督にも就かせていただいて、それも全然うまくいかなかったんです。それで監督から「ちょっと修行してこい」とテレビの製作会社を紹介してもらって、1年ぐらいそこでADをしていました。その会社は経済番組を作っているところで、仕事も結構楽しかったんですけど、2006年に芸大の映像研究科が出来たときに辞めさせてもらったんです。それでまず1期生のときに芸大を受験して落ちまして、その後1年間は塾講師で生活しながら、2期生のときにやっと合格したという。

――一浪してでも芸大に入った甲斐があったと思いますか。

そうですね。自主映画を撮っていた頃は専門じゃない人にカメラやマイクを頼んだりしてましたけど、芸大にはあらゆる領域のエキスパートになろうという人たちが集まっていますから。他にも機材やスタジオがあり、予算まで用意されているという環境は学生映画で他にないんじゃないですかね。

――講師陣はどうでしたか。

ゼミはほとんど黒沢(清)さんにやっていただいて、基本的には喫茶店とかで雑談するだけなんですけど、それだけでも濃密な時間だったと思います。僕が在学した2年間はちょうど黒沢さんの映画を観る機会の多い時期だったんですね。入学した2006年は4月〜5月頃にシネマヴェーラでレストロペクティブをやっていて、秋頃には『LOFT』、翌年は『叫』が公開されていましたから、「あれはどう撮ったんですか」というような話を延々としていました。

――今回全ての修了作品を拝見して、ほとんどの作品から黒沢さんの影響を強く感じたんですが、『PASSION』にはあまりそれを感じませんでした。

僕らの代は、みんな黒沢さんが好きだったので、すごく影響を受けていると思います。僕の場合は、黒沢さんの映画は好きでしたけど、自分の撮るものとは違うなという意識があったんです。でも、この2年間で思いのほか影響を受けたなぁという感じはしています。

――自分の撮るものと黒沢さんの映画が違うというのは、物語を語るか語らないかという違いですか。

まぁ、そうですね。因果関係の明瞭さの違いだと思いますが。

――黒沢さんから受けた影響というのは具体的にどういうことなんでしょうか。

ワンショットでなにかを語ってしまったり、なにかが起きてしまったりすることが映画なんだという根本的な認識を与えてもらったというか…。これは「映画の授業」という本のなかで黒沢さんが語っていることですが、要するに映画というのは、いまカメラの前で起きていることを過去の出来事として記録したり、映してしまったりする本性を持っているものなんですね。そこで起きていることを、人によっては物語と言ったり、時間と言ったり、演出と言ったりするんでしょうけど、それが過去に確実に起こった事実であるということに変わりはない。映画にはそういう本性があるということを教えてもらったと思います。

――黒沢さんの映画も濱口さんの映画も、最小単位は同じだということですか。

そうですね。映画がそういう性質を持っているということを、それまではあまり意識していなかったんです。どちらかと言えば、いくつかのショットを撮って、それらの支え合いとして物語を語るというやり方でずっと映画を撮っていました。でもいまはワンショットの持つ力というものに気持ちがいくようになっていて、やっぱりそれは黒沢さんの影響なんだろうと思います。

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息づまる心理劇を支える俳優、カメラ、台詞

――『PASSION』は115分の尺がありますが、これは芸大1期〜2期の修了作品では最長ですよね。修了作品の製作では、予算や撮影日数の枠が同じように決められているわけではないんでしょうか。

撮影日数はだいたい10日で、予算も全て同じです。ただ、役者さんの都合もあるので、僕の場合は2日足してもらって12日で撮影しました。

――シナリオの時点で115分ぐらいになることは予想できるわけですよね。2週間弱でこれだけの長さを撮りきれるかという不安はなかったんですか。

自主映画を撮っていた頃から、どうすれば少ない時間で映画を作れるかという考えでやってきたので、撮りきれるかという不安はあまりなかったですね。

――その短い時間で満足のいくところまで俳優の演技を追い込めるかという不安もなかったんですか。

役者さんの演出に関して言うと、撮影前に1週間ぐらいリハーサルの時間をもらっていたので、撮影のときは現場に合わせて動きを作っていくだけでした。動きを作ったら、それをロングテイクで数箇所のカメラポジションから撮影していく。あと、これも黒沢さんの影響なのかわからないですけど、最初から1〜2テイクでいこうと決めていたんです。だいたい撮影に時間がかかるのは撮りたい画があるからなんですよ。ただ単に起こったことを映すんだという気持ちで現場に臨めば、一日は24時間あるわけですから、そんなに問題はないような気がします。

――映画を観た印象では、監督が映像に対して強いこだわりを持っているように感じたんですが、カメラの動きやフレームにはそれほどこだわっていなかったんですね。

カメラポジションはその都度、自分なりに適切なところを選んでいたつもりです。こことここから撮っておけば必ずなんとかなるなという。まぁ、撮影の方が僕の思っていた以上にうまかったということなのかもしれないですね。

――人が多い場面のカット割りはかなり細かいですが、そうなると位置関係を理解させるために計算が必要になりますよね。そういう設計はどの段階でやっていたんですか。

ある程度は前もって決めますけど、結局、俳優の動きは現場で決まるので、基本的には現場で考えます。例えば、人が3人いるときはカメラをここに置くと絶対に位置関係がわかるという自分なりの公式みたいなものがあって、それに当てはめながら撮っていくという感じでした。

――この映画では、それこそカサヴェテスの映画のように人物のアップを細かく重ねたり、あるいはカメラも動かさずに延々と長廻しで撮ったり、シーンによって撮影の仕方が全然違います。これだけ撮影のバリエーションが豊富だと、映画全体のフォルムが崩れてしまうんじゃないかと考えたりしなかったんでしょうか。

前に撮った『SOLARIS』という作品では、自分なりのルールを作って、フォルムとしてはそのルールを決してはみ出さないようにやっていたんです。でも今回は脚本を書く時点で、一つのやり方では撮れないようなものを書こうと思っていました。一つの物語を語りきるために、自分が身に付けてきた知識や技法を全て使うような脚本を書こうと。だから逆に言うと、一つのやり方で撮っていたら絶対に面白くならないだろうなという脚本を書いたわけです。

――全然違う方法で撮っているのに、一貫して人物たちの感情の機微が伝わってくる。それがとても不思議だったんですが、監督が撮り方を変える基準というのはなんだったんですか。

今回の映画では役者さんの演技というのが一番大事な要素だと思っていたので、撮影はそれに対応するものとして考えていました。だから、役者さんが動き回るんだったら、それを捉えるためにカットを細かく割ったりしなくちゃいけないですけど、役者さんがそれほど動かなくて、演技が素晴らしいものであれば、カットを割る必要はないだろうと。感情の機微というのはやっぱり人の顔を見せることによって伝わるものだと思うので、人の顔を捉えるのに一番適切なポジションというのを選んでいくと、必然的にすごく細かくカットを割るシーンが出てきたり、べつに割らなくてもいいシーンが出てきたりするということなんじゃないでしょうか。

――この作品は大きな出来事で物語が展開していくのではなく、日常的な出来事のなかに人物の感情の揺れを見出していくというスタイルだと思いますが、だからこそ役者の演技がよくなければ映画が面白くならないという判断だったということですか。

演技の種類を大きく2つに分けると、フィクショナルな演技とリアリズムの演技に分けられると思うんですが、『SOLARIS』では役者さんにフィクショナルな演技を要求していたんです。個人的にはすごく好きな作品ですけれども、役者さん自身があれで楽しかったのかなという思いが残りました。やはり役者さんとしては、カサヴェテス的な演技というか、自分がその場で生きているように感じながら演技するほうが楽しいんだろうなと。それで今回は具体的な指示はほとんど出さずに、役者さんが脚本から自分なりに構築してきた演技をやってもらえればいいと思っていました。

――セリフが各人物の「肉声」として響いていたように感じましたが、セリフの語尾や言い回しは俳優に委ねていたんでしょうか。

役者さんから「そんなこと言わないよ」と言われたセリフは消したりしたんですけど、セリフの内容は基本的に変えていません。ただ、言い回しは役者さんに任せていました。普段やっているように、セリフを喋ってくれればいいと。

――1週間のリハーサル期間では俳優にどんなことを伝えていたんですか。

最初の顔合わせで言ったのは「僕もやりたいことをゴチャゴチャ言うかもしれませんけど、みなさんのやろうとしていることが一番正しいんだと思ってやってください」ということです。実際、現場で役者さんにこうしてほしいと言って、そんなことはしないよと返されることもあったんですけど、最初にそういうことを言った手前、だいたい僕が折れていましたね。

――監督が映画全体を強くコントロールしているように見えたんですが、実際は自由に演じさせていたんですね。

そうですね。現場を出ていかれたりしたら困りますけど(笑)、現場で演技してもらっているぶんにはそれでいいかなという感じで。

――カメラを据えたまま10分近く長廻しで撮影しているシーンが2ヶ所ありましたが、ああいう方法を選択するのは勇気がいることだと思います。これでいいんだという確信はどこから生まれるんですか。

映っていれば、きっとなにかが生まれるという、映画固有のシステムに対する信頼があるのかもしれませんね。

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PASSIONが伝染する、愛に関する物語

――前作が『SOLARIS』で今回が『PASSION』だと、やはりゴダールの『パッション』からタイトルを取ったのかなと思ってしまうんですが、映画の内容やスタイルは全く違いますね。

『パッション』は大好きな作品ですが、内容的には全く参照はしていません。どちらかと言うと語感に惹かれて付けたタイトルなんですよ。元々は仮のタイトルだったんですが、スタッフや出演者にもそれで浸透してしまったので、もう変えられなかったという(笑)。

――この作品は群像劇の体裁を取っていますが、主人公はやっぱりカホ(河合青葉)とトモヤ(岡本竜汰)ということになりますよね。しかし、映画の冒頭はタカコ(占部房子)とケンイチロウ(岡部尚)が丘の上の墓地で猫を埋葬しているシーンから始まります。映画のメインとなる舞台は死んだ猫が住んでいたタカコの部屋でもあるわけですが、猫の死というのはこの映画にとってどんな意味があったんでしょうか。

トップシーンは強い画が欲しかったというのが一つの理由としてあります。猫の意味合いに関しては、元々、映画の前後にも時間が流れていることを感じさせるような映画にしたかったんです。それで、ずっと飼っていた猫が死んだという始まりは、長く続いてきたことが終わることの象徴としていいんじゃないかと。平穏に暮らしている時間が長く続いていたんだけれども、そういう時間が終わったという。

――映画全体に街のショットが繰り返し挿入されています。どういう意図があったんでしょうか。

一応、カホとトモヤの二人が主人公に見えるようには作ってあるんですけど、編集のときに誰の話なんだということが問題になりまして。それで考えているうちに、人の話じゃなくて街の話にすればいいんだなと思ったんです。元々、街のショットは撮るつもりでいたんですけど、そういうニュアンスを出すために全体に散りばめたという。

――この映画には主要人物が5人いて、それぞれのキャラクターが見事に描き分けられています。単に性格が違うというだけでなく、それぞれの人生哲学まで見える作りで、人間に対する洞察の深さに感心しました。こう言ってはなんですが、濱口さんは学生時代に遊んでいたタイプには見えませんけど(笑)、トモヤのように軽薄で軟派な男性とか、タカコのように性に対してドライな女性とか、ああいうキャラクターはどのように造形されたんでしょうか。

飲み会なんかへ行くと色んな人がいるじゃないですか。人物の造形はそういう場所で見たり聞いたりしたことがベースになっているんだと思います。脚本を書くために人から話を聞いたりもしましたけど、やっぱり役者さんが元々持っているキャラクターが出てるんじゃないですかね。そもそも脚本を書いた時点では人物の描き分けが全然できてないと言われてたんですよ。全員が僕に見えると。だから完成した映画がそうじゃなくなってるのは、役者さんの個性があったからだと思います。

――本当にみなさんピッタリの配役に見えました。

実のところ、みなさんの演技が全て僕のイメージ通りだったというわけではなくて、現場では、これで大丈夫なのかしら?と思ったりもしていたんです。でも編集で繋いでみたら、そういう人にしか見えないという感じになっていて、映画の不思議を実感しました。

――映画全体を見通したときに、カホが中学校の授業で暴力について語っているシーンだけが異様に映るんですが、濱口さんがこのシーンを入れた理由はなんだったんですか。

たしかに観た人から、あのシーンは必要ないと言われることはあるんですけど、編集の段階で切ったほうがいいという意見は意外と出なかったんですよ。シナリオの段階であのシーンを入れた意図としては、こういう言葉や考え方が存在している世界なんだということをちゃんと見せたかったんです。単なる恋愛話というよりは、もう少し大きなレベルのものと繋がっているという感覚を観ている人に伝えたかった。これは黒沢さんの影響かもしれないですけど、自分ならざるものというか、システムのようなものに支配されているという考え方、それが映画で主張されているわけではないですけど、そういう世界にこの人たちは暮らしているんだという。

――映画の終盤は、カホとケンイチロウが散歩しているシーンと、タケシ、トモヤ、タカコの3人が部屋で話しているシーンがカットバックされて進みます。どちらのシーンもキスで幕を閉じますが、あそこに2つキスを配置したのはどういう狙いがあったからなんでしょうか。

さっきも少し話したように、自分の外側からやってくる力に囚われてしまった人たちの話として全体を構成したつもりなんです。だから伝染病みたいなイメージですよね、“PASSION”が人物たちに伝染していくという。ただ、それはいわゆる「情熱」ではなく、もっと受動的な感情なんですけど。

――言い換えれば、“PASSION”という伝染病の症状がキスとして現れているということですか。

そうですね。

――今回の作品では、他者との間に愛に基づく関係性は成立しないという認識に立ったうえで、それをどう乗り越えていくのかが描かれているように感じました。

成立しないというか、困難だろうという感覚はあります。それが実現できたほうが人生はより豊かになるみたいですけど、僕自身はうまく実現したことがなくて(笑)。

――監督の実感として、女性との間にそういう関係性が成立するのは難しいという思いがあるんでしょうか。

女性だけじゃなくて、他者全般との関係についてそう思いますね。難しく考えない人は考えないし、それなりにうまくやってるみたいですけど。

――例えば濱口さんが過去に手痛い失恋をして、それがトラウマになっているということはないんですか(笑)。

そういう経験がないわけではありませんけど(笑)、それが全てというわけではないですね。

――他の修了作品もそうですが、いまの若い作り手は物語というものから少し距離を置いているように感じます。それでも濱口さんが物語にこだわる理由はなんですか。

どうしても語りたいメッセージというのはないんですが、語りというものをちゃんとやりたいという気持ちがあるんです。そこには映画が長い間に育んできた技法が詰まっているので、それを追究してみたい。映画の一観客としても、観ている側に感情が生まれなければ、あまり楽しくないですし。

――次回作の予定はないんですか。

誰かに依頼されたわけではありませんが、自分で企画を考えたりはしています。生活感情を描くような、『PASSION』と近い話ばかりなんですけど。

――次回作を楽しみにしています。今日はありがとうございました。


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(取材・構成:平澤 竹識)


濱口竜介 プロフィール
1978年生まれ。神奈川県出身。1998年東京大学文科三類に入学。同年から自主映画の製作を始める。03年に同大学文学部を卒業後、映画・ドラマの助監督、経済番組のアシスタント・ディレクターを経て2006年に東京藝術大学大学院映像研究科に入学。4本の映画を製作し、2008年に修了。

『PASSION』
監督・脚本:濱口竜介
製作:藤井智 撮影:湯澤祐一 照明:佐々木靖之
録音:草刈悠子 美術:安宅紀史、岩本浩典 編集:山本良子
助監督:野原位 制作担当:渡辺裕子
出演:河井青葉、岡本竜汰、占部房子、岡部尚、渋川清彦 ほか

東京藝術大学大学院映像研究科 第二期生修了制作展 GEIDAI#2
5月24 日(土) 『緑川の底』
5月25 日(日) 『錨をなげろ』、『second coming』
5月26 日(月) 『彼方からの手紙』
5月27 日(火) 『錨をなげろ』、『second coming』
5月28 日(水) 『彼方からの手紙』
5月29 日(木) 『PASSION』
5月30 日(金) 『アンナの物語』
渋谷ユーロスペースにてレイトショー公開

※トークショー
5月24日(土)上映前 ゲスト:梅本洋一(映画批評家)×全6作品監督
5月30日(金)上映前 ゲスト:黒沢清(映画監督)

公式サイト:http://www.fnm.geidai.ac.jp/







posted by 映芸編集部 at 23:21 | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする