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    <title>映画芸術</title>
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    <description>雑誌『映画芸術』オフィシャルサイト</description>
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    <itunes:author>映芸編集部</itunes:author>
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      <title>「コラボ・モンスターズ!!」レビュー　フィクションを生きる　馬越望（映画批評）</title>
      <pubDate>Fri, 11 May 2012 14:57:58 +0900</pubDate>
            <description>　「コラボ・モンスターズ!!」は見るものを映画の国へと誘う３作のフィクション＝映画からなる。映画の国というのは、血がペンキで出来ているということをあっけらかんと宣言してみたところで何も揺るがない国のことであり、生者と死者とのあいだに横たわっているはずの断絶を軽々と飛び越えてしまえるような国のことでもある。実際、本作の１編である古澤健の『love machine』で、死人の女（小島可奈子）と生きている男（石川貴雄）とがこともなげに抱き合ってみせる。この抱擁に驚き呆れつつもそれは..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
　「コラボ・モンスターズ!!」は見るものを映画の国へと誘う３作のフィクション＝映画からなる。映画の国というのは、血がペンキで出来ているということをあっけらかんと宣言してみたところで何も揺るがない国のことであり、生者と死者とのあいだに横たわっているはずの断絶を軽々と飛び越えてしまえるような国のことでもある。実際、本作の１編である古澤健の『love machine』で、死人の女（小島可奈子）と生きている男（石川貴雄）とがこともなげに抱き合ってみせる。この抱擁に驚き呆れつつもそれは見る者をも映画の国の住人にしてしまう。つまり見せかけの「リアリティ」が偽証する「本当らしさ」は見る者のうちから放棄されてしまうだろう。西山洋市の『kasanegafuti』冒頭の赤ん坊はあたかもリアリティという映画と観客とを結ぶ信頼関係をあえて拒むように、それが人形であることを隠そうとしていない。つい、それは本当に人形を抱く狂った母親として画面に布置されているものではないかと邪推したくもなる潔さである。それが赤ん坊であるらしいという推測が、画面外から響く「赤ん坊の泣き声」によって担保されているだけである。同じように、映画が進むにつれて浮かび上がって来る多くの疑問――父親はなぜ人を殺したのか、主人公の青年は拳銃をどこから手に入れたのか――等々は宙に浮いたままである。しかしそれでいいのだ。それは映画の国の出来事なのだから。<br />　<br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/kasanegafuti_E383A1E382A4E383B3.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="kasanegafuti_メイン.jpg" src="http://eigei.up.seesaa.net/image/kasanegafuti_E383A1E382A4E383B3-thumbnail2.jpg" width="300" height="168" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/kasanegafuti_E383A1E382A4E383B3-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><span style="font-size:x-small;">『kasanegafuti』（西山洋市）</span><br /><a name="more"></a><br />　現実ではなく映画なのだから何をやってもいいのだと主張したいわけではない。何でもできるのが映画ということではない。実際、どの映画でも「リアリティ」あるいはこう云ってよければ「ドキュメンタリー性」というものが如実にでてしまうあるものが画面を占有する。それは被写体の身体である。被写体が立っていれば立っているなりの、寝ていれば寝ているなりの声を発するだろうし、そのひとが太っていれば太っているなりの演技をするだろう。逆もまた然りである。<br />　例えば『kasanegafuti』では、役者たちは幾重にも張り巡らされた制約のなかを生きなくてはならない。それは、西山が云う「髷をつけない時代劇」という言葉で言い表されているように、時代劇と現代劇の二重写しの世界として構成された画面のなかを歩き、またどこの方言とも知れない訛り言葉を用いて喋らなければならないといった制約だ。<br />　原作である三遊亭圓朝の「真景累ヶ淵」が落語家によって、つまりほとんど舞台設定というものがない状態で観客に想像力を委ねる形で上演されるように、西山は『kasanegafuti』の世界を時代劇でもなくまた、あまり現代的でありすぎない風景のなかで構築できると確信している。だから役者は畳に一升瓶とちゃぶ台だけが置かれた、一体いつのどこの時代なのか類推できない、どこにもない空間のなかで演じなければならない。これらの制約が、ドキュメンタルな主体である俳優に真実味とは逆にフィクション性を付加していく。<br />　特に主人公の真を演じる鈴尾啓太に課せられた制約は過酷を極める。彼は父親殺しという物語を演じなくてはならないのに、主体性というものがまるで求められていないのだ。彼は、まるでなにかに憑かれているように――幽霊のように――父親を殺さなくてはならない。そこにはフィクションへの志向性しか見いだせない。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/lovemachine_E383A1E382A4E383B3.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="lovemachine_メイン.jpg" src="http://eigei.up.seesaa.net/image/lovemachine_E383A1E382A4E383B3-thumbnail2.jpg" width="300" height="168" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/lovemachine_E383A1E382A4E383B3-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><span style="font-size:x-small;">『love machine』（古澤健）</span><br /><br />　憑依と、そして呪いという主題は、「コラボ・モンスターズ!!」を流れる血のようなものである。高橋洋の『旧支配者のキャロル』はまるで何かにとりつかれてしまったかのように映画の撮影に邁進する女性たちを描いているし、『love machine』は主人公自ら明かすようにまるで呪いを受けているように女の尻を追いまわし、挙句幽霊にとり憑かれそれに恋慕してしまう。『kasanegafuti』では、主人公豊（宮田亜紀）の顔にかつて殺された父親が憑依して、彼を殺した男と同じあざをつくったと言えないだろうか。こうした憑依により、映画の住人たちは変身を遂げる。彼らには最早、自明性というものが保証されない。「昨日と今日がくっついている世界」というものが保証されない。それは、身体をばらばらにされ、ぎざぎざ（思いがけないところで劇中にも出てくる言葉だ）にくっつけられる編集という過程を持つフィルムの特性をも想起させるだろう。それぞれのカットが自立して存在しているかのように見える西山の映画の編集は、扉を開けるだけで昼が夜になってしまうように時間の経過は凄まじく早いのに、時間の流れはゆったりとしているようにも見える。<br />　「コラボ・モンスターズ!!」の３本の映画は親を殺すことが、ギリシア悲劇的な、あるいはフロイト的ないわゆる「通過儀礼としての親殺し」というテーマとして機能していない。父親（あるいは父性を付加されている存在、または先行世代）を殺す、あるいは殺されることによる子供から大人への成長物語というものが語られないのだ。というのはこれらの映画が成長譚ではなく、言うならば「変身物語」だからではないだろうか。『kasanegafuti』で父親をかつて殺された豊が、父親を殺した偽の父親のあざを憑依され、まるで別人のように変身する。あるいは、『旧支配者のキャロル』では、冒頭で映画学校の受験生を審査する早川ナオミ（中原翔子）等、「旧支配者たち」が親世代だとするならば、主人公黒田みゆき（松本若菜）ら学生たちは彼女たちを乗り越えようとする。そこで映画製作を通してスポコンのような展開が繰り広げられるが、主人公が早川を乗り越えるためにしなくてはいけないことは成長ではなく変身だったのだ。事実彼女は一夜にして、その顔つきを美しく変えてみせる。まるで何ものかに憑依されてしまったかのように、である。『love machine』での事情はいささか異なっている。彼らには乗り越えるべき、旧支配者たちがいないのだ。人が結婚しても人が死んでも、そこに当然いるべき親という役割を与えられた人物が画面に出てこないのだ。まるで映画冒頭で唯一語られる遥か過去にだけ存在し、とうに死滅してしまっているかのように。だから彼らは自分自身と闘うことになるだろう。女を追い掛けることを本能として、また呪いとして受け止めてしまった主人公は、自らを更新し続けるように、女を追い続け、そして、最後の変身――変態といってしまったほうがいいかもしれない（事実これは二重の意味で変態物語なのだから）――を成し遂げるだろう。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/E697A7E694AFE9858DE88085E381AEE382ADE383A3E383ADE383ABEFBCBFE383A1E382A4E383B3.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="旧支配者のキャロル＿メイン.jpg" src="http://eigei.up.seesaa.net/image/E697A7E694AFE9858DE88085E381AEE382ADE383A3E383ADE383ABEFBCBFE383A1E382A4E383B3-thumbnail2.jpg" width="300" height="200" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/E697A7E694AFE9858DE88085E381AEE382ADE383A3E383ADE383ABEFBCBFE383A1E382A4E383B3-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><span style="font-size:x-small;">『旧支配者のキャロル』（高橋洋）</span><br /><br />　成長という概念がリアリティを喚起するなら変身はフィクションに属する。フィクションにはジャンルがあるだろう。ジャンルの違う３本の映画、ひとつは時代劇または恋愛映画、もうひとつは人間ドラマあるいは青春映画、そして最後がラブコメディだろうか。これらにさらに共通のジャンルを与えるのであれば、これは女性を主人公にしたフィルム・ノワールであるといえる。もちろん夜のシーンがほぼ皆無である『love machine』をノワールと呼ぶのは些か無理があろうから厳密にはまったくノワールではないのだが、細かいことはともかく、この３作の主演女優たちは、フィルム・ノワールにおいて多く主人公の前に登場するファム・ファタール＝運命の女が常に自分であるような状態を生きている。そして彼女たちは他人を変えるのではなく自ら運命によって変身する。「人が人をつぶすことはできない。ただ勝手につぶれるだけ」と『旧支配者』で度々語られるように、彼女たちは勝手につぶれ、また彼女の周りの男たちも勝手につぶれるのだ。運命は女たちのものである。『kasanegafuti』において、豊は顔のあざを触ろうとした男を止めて「感染るよ」という。この世界では、他者への接触が許されているのは豊だけなのだ。豊が倒れても真は豊に触れられないし、医者でさえ患者を触ろうともしない。真が父親を殺害する道具には、相手に触れることなく執行できる拳銃が選ばれる。ところが豊だけが相手をひっぱたき、首を締め、頭を撫で、担ぐことができる。このように男たちの意思はことごとく無視され、主体性は常に女たちに属するのである。<br />　フィクションはスクリーンを通してモンスター＝異物として観客のなかに浸食する。<br />　映画の住人たちがそれぞれの終わりを迎えようとも、それは世界の終わりではない、むしろ映画は人生のなかで続いて行くだろう。「生きて苦しめ、それがあんたの義務よ」という宮田亜紀の言葉は映画を見るものにも向けられている。<br /><br /><script type="text/javascript">extVideoConfig = {"width":"320","url":"http://www.youtube.com/watch?feature=youtube_gdata&v=pOwc4KHvSoQ","height":"240"};</script><script type="text/javascript" src="http://blog.seesaa.jp/contents/js/external_video.js"></script><br /><br /><strong>「コラボ・モンスターズ!!」</strong><br /><strong>５月１２日（土）～２５日（金）連日２１：００～<br />オーディトリウム渋谷にて三本立てレイトショー</strong><br />公式サイト：<a href="http://www.collabomonsters.com/" target="_blank">http://www.collabomonsters.com/</a><br />Twitterアカウント：<a href="https://twitter.com/#!/COLLABOMONSTERS" target="_blank">@COLLABOMONSTERS</a><br />前売券：１０００円（劇場窓口にて５月１１日（金）まで販売中）<br />当日券：１５００円<br />リピーター割引：１０００円<br />※受付時に「コラボ・モンスターズ!!」チケット半券をご提示下さい<br />貞子割引：１０００円<br />※受付時に『貞子3D』（５／１２全国公開）チケット半券をご提示下さい<br /><br /><strong>『kasanegafuti』</strong><br />監督：西山洋市<br />撮影：芦澤明子　照明：御木茂則　録音：臼井勝<br />出演：宮田亜紀　鈴尾啓太　名久井茉那　内木英二　川村基之<br />2011／27分／HDV／カラー<br /><br /><strong>『love machine』</strong><br />監督：古澤健<br />撮影：山田達也　照明：玉川直人　録音：良井真一　鈴木昭彦<br />録音・整音：臼井勝　音楽：宇波拓<br />出演：石川貴雄　小島可奈子　猪原美代子　小川絵里奈<br />2011／27分／HDV／カラー<br /><br /><strong>『旧支配者のキャロル』</strong><br />脚本・監督：高橋洋<br />撮影：山田達也　照明：玉川直人　音楽：長嶌寛幸　録音・整音：臼井勝<br />キャスト：松本若菜　中原翔子　津田寛治　本間玲音　伊藤洋三郎<br />2011／47分／HDV／カラー<br />

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            <category>レポート</category>
      <author>映芸編集部</author>
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      <title>『Elements of Noise Arc』 柴田剛、日野繭子、斉藤洋平インタビュー</title>
      <pubDate>Sun, 06 May 2012 11:45:33 +0900</pubDate>
            <description>　インディペンデントをメインに活動する映画監督の数は増えてきたが、その中でも柴田剛は一作ごとに他の映画監督とは一線を画す発想のスケールの大きさでもって、「映画」という概念に揺さぶりをかけようと企んでいる。そんな柴田剛が新たなプロジェクト「Elements of Noise Arc」に参加、そのワールドプレミア公演が５月１２日に開催される。出演は日野繭子（元C.C.C.C./元Mne-mic）・JUNKO（非常階段）・大西蘭子（元Mne-mic）の３名の女性パフォーマー／ノイズ..</description>
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　インディペンデントをメインに活動する映画監督の数は増えてきたが、その中でも柴田剛は一作ごとに他の映画監督とは一線を画す発想のスケールの大きさでもって、「映画」という概念に揺さぶりをかけようと企んでいる。そんな柴田剛が新たなプロジェクト「Elements of Noise Arc」に参加、そのワールドプレミア公演が５月１２日に開催される。出演は日野繭子（元C.C.C.C./元Mne-mic）・JUNKO（非常階段）・大西蘭子（元Mne-mic）の３名の女性パフォーマー／ノイズ音楽家たちのユニット「DFH-M3」と、真空管アンプ／音響装置作家の小松進、映像作家Rokapenis（斉藤洋平）、そして柴田剛。何とこのライブで柴田剛は複数台のブリキ製おもちゃ映写機による玩具映画の手回し映写をおこなうという。はたして「Elements of Noise Arc」とは一体どのようなプロジェクトなのか？　出演者の一人であり企画者でもある日野繭子、斉藤洋平とともに語っていただいた。<br />（敬称略　取材・構成：中山洋孝　撮影：高橋哲也）<br /><br /><table><tr><td><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/E697A5E9878EE7B9ADE5AD90.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="日野繭子.jpg" src="http://eigei.up.seesaa.net/image/E697A5E9878EE7B9ADE5AD90-thumbnail2.jpg" width="162" height="180" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/E697A5E9878EE7B9ADE5AD90-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/E69689E897A4E6B48BE5B9B3.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="斉藤洋平.jpg" src="http://eigei.up.seesaa.net/image/E69689E897A4E6B48BE5B9B3-thumbnail2.jpg" width="161" height="180" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/E69689E897A4E6B48BE5B9B3-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/E69FB4E794B0E5899B-06d27.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="柴田剛.jpg" src="http://eigei.up.seesaa.net/image/E69FB4E794B0E5899B-06d27-thumbnail2.jpg" width="173" height="180" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/E69FB4E794B0E5899B-06d27-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a></a></td></tr></table><span style="font-size:x-small;">左から日野繭子、斉藤洋平、柴田剛</span><br /><a name="more"></a><br /><span style="color:#666666;">――まず柴田さん・斉藤さんの繋がりからお聞きしたいと思います。「V.I.I.M×WWW」という、渋さ知らズオーケストラと斉藤さん・柴田さんの映像の組み合わせによるイベントが４月５日に行われますね。</span><br /><br /><strong>斉藤</strong>　僕はダンスのカンパニー（BABY-Q）の映像を作ったり、クラブでＶＪをやったりとかしてたんですけど、そういう場所ってダンスだったらダンスが、音楽だったら音楽が主体でおこなわれてて。そこで出会った人たちともう一度、僕が映像を主体にして何かやってみようってのが始まりのイベントですね。あくまで映像作家や映画監督を主体として、音楽と一緒に何かできることを探していきたい。僕と剛は学校（大阪芸術大学芸術学部映像学科）の同級生で、一緒に映画を撮ってたりしてたんですけど。<br /><br /><strong>柴田</strong>　『NN-891102』（０１）もですね。<br /><br /><strong>斉藤</strong>　僕はわりと映画を撮るより、音楽の現場の中で映像を流すほうに行って。学生時代は周りにどちらかというと音楽やってる人間の方が多いくらいな感じだったんで、自然な流れとしてあったんですよ。<br /><br /><strong>柴田</strong>　上映でイベント立てなきゃいけないってことになると、映画で協力してくれたミュージシャンを呼んだり、イベントが大きくなってくとＶＪを流したりとかして。<br /><br /><strong>斉藤</strong>　そういうＶＪの活動も剛と一緒にやったり、学生時代からずっとしてて。会場のWWWは元々映画館だったところ（シネマライズ地下のライズＸ、２０１０年閉館）を改造したライブハウスなんですよ。そこで映像を中心としたイベントをしようって時に、剛はずっと映画を撮ってたけどインディーズバンドをサウンドトラックで使ったり近い場所にいたので、今回可能性を感じて、１０年ぶりぐらいに一緒にやろうかって話になって。<br /><br /><strong>日野</strong>　東京よりも関西の方がカルチャーシーンでは横のつながりがものすごくあるのね。昔からそうなんだけれども、東京は一部の人を除いてわりとバラバラ。<br /><br /><strong>斉藤</strong>　東京だと音楽やってる人は音楽だけとかが多かったですね。関西だと「何かをやってる人はもう友達」っていう感じなんですけど。<br /><br /><strong>柴田</strong>　CO2映画祭で西尾（孔志）君がリーダーやってた時は、イベントプログラムの中にドラびでおさんのライブとかBABY-Qさんの踊りとかあったじゃないですか。常に映画っていえば何かあるんですよ、音楽とか横に。これを東京でやれないものなのかなってずっと、東京と関西を行き来しながら思ってたんです。本腰入れて東京住みだしてから「したいなあ」って思ってた矢先に、斉藤君と日野繭子さんに会って。「あっ、これは何かの拍子だ」と。僕がやりたいことは、映画館から一回飛び出して――映画館でもいいんですけど――そういう枠組みにとらわれないような、ちゃんとした上映活動をすることで、そもそもの映画の方向に一回引き戻してみたかったんですね。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/WWW.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="WWW.jpg" src="http://eigei.up.seesaa.net/image/WWW-thumbnail2.jpg" width="300" height="200" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/WWW-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><span style="font-size:x-small;">４月５日「V.I.I.M×WWW」（photo by Yukiko Kaga）</span><br /><br /><span style="color:#666666;">――柴田さん、斉藤さん、そして日野さんの三人とも関わられています５月１２日の「Elements of Noise Arc」で、柴田さんは玩具フィルムを上映されるそうですね。</span><br /><br /><strong>柴田</strong>　斉藤君とは前に『ライブテープ』（０９）と「あらかじめ決められた恋人たちへ」のＰＶの『BACK』（１１）を一緒に上映して、どっちもブワーっと逆回転させちゃったりとかしたんです。でも今回はもう新しいことをしようと思っていて。そこでぼんやりと思ってたことが、玩具フィルムなんですよ。『のらくろ』とか『ベティ・ブーブ』とか、あとは伊藤大輔のチャンバラとか。大阪藝大の教授で中島貞夫監督と京都映画祭を音頭とってる、僕の恩師の太田米男さんが玩具フィルムの復元プロジェクトをずっとやってるんです。大阪じゃ友人がこれを借りて、生バンドと弁士を立てての定期的な上映会をやってたんですよ。それも僕よく遊びに行ってて、自分自身もなんかできないかなって思ってて。こういうフィルム何本かをまとめてサンプリングっていう感じで上映したいんですよ。<br /><br /><span style="color:#666666;">――この企画と玩具フィルムの上映を結びつけるのに驚きました。</span><br /><br /><strong>柴田</strong>　結びついちゃったんですよね。映画なんだけど音楽のライブでもあって、どっちもまぜこぜになってるものをやりたかったんですよ。そういうことを『おそいひと』（０７）を撮ってた時から、ワールズ・エンド・ガールフレンドの前田（勝彦）さんと話してて。いずれは映写機を改造して、それにフィルムをかけることでミュージシャンとセッションできるようにしたいって思うんですよ。<br /><br /><span style="color:#666666;">――発想に驚きますが、何となく柴田さんの狙いは『NN～』から一貫している気もします。</span><br /><br /><strong>柴田</strong>　『NN～』の頃から、自分たちで影絵のアニメを作って映画に入れたり、なるべく自分の映画にいろんなものを混ぜこぜにしていきたかったんですよ。『堀川中立売』（０９）にＣＧを入れたのも同じ気持ちからでしたし。今は映画館で出来合いのフィルムをかけるんじゃなくて、もっとシンプルに、本来の上映活動に戻って、ライブ感をちゃんと演出できるものをやりたいと思うんですね。<br /><br /><span style="color:#666666;">――先ほどから柴田さんの言う「上映活動」は、上映すること自体でミュージシャンとセッションするみたいな、映写そのものをパフォーマンスにすることなのでしょうか？</span><br /><br /><strong>柴田</strong>　パフォーマンスっていうか、そうですね……。でも映写技師さんって失敗しないと目立たない存在じゃないですか。「上映して当たり前」で存在を見せないのが本来の映写技師ってことになってますけど、でも歴史を見ると手回しの映写機で見世物小屋のような感覚でやってた時代があった、そこは歴史の勉強として知ってはいて。先生から手回し上映の機材を触らしてもらったことはあっても、映画活動を通してなかなかリンクする機会なかったんですよね。今まで映画作り続けて今後もやる気ありますけど、なんか一巡してって。やっぱ自分が作ったホンで撮影して編集して映画撮って、好きなミュージシャンに曲提供してもらってやるだけじゃ満足いかなくなった。そこに抜け落ちちゃったものは何だろうって思ったら、ライブ感覚。映写技師さんにこんなこと言ったら、たぶん怒られるんだけど（笑）。<br /><br /><span style="color:#666666;">――上映もやりたい、映写技師にもなりたいということですか</span>。<br /><br /><strong>柴田</strong>　そうですね。僕、映写技師出身なんですよ。シネ・ヌーヴォ梅田で働いてたんで。<br /><br /><strong>斉藤</strong>　間違って流したりしてたんだよな。<br /><br /><strong>柴田</strong>　早朝に『竜二』（８３）かけなきゃいけないのに、『追悼のざわめき』（８８）かけちゃったり……。見るお客さんヤクザばっかなんだけど「間違えただろテメエ！」って（笑）。<br /><br /><span style="color:#666666;">――朝１０時から『竜二』もすごいです（笑）。</span><br /><br /><strong>柴田</strong>　すごいでしょ（笑）。<br /><br /><span style="color:#666666;">――大半の監督が言う「上映活動」とは違う意味ということですよね。</span><br /><br /><strong>柴田</strong>　そう、誤解受けるかもしんないんだけど。<br /><br /><strong>斉藤</strong>　常に誤解を受けやすい。<br /><br /><strong>柴田</strong>　言葉足らずなんで……。<br /><br /><span style="color:#666666;">――柴田さんから企画の話を聞いて、いわゆる「映画監督」としての活動とは違う、アーティスト寄りのパフォーマンスを今回は目指されているのかなと思ったのですが……。</span><br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/E69FB4E794B0E38080E6BC94E5A58F.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="柴田　演奏.jpeg" src="http://eigei.up.seesaa.net/image/E69FB4E794B0E38080E6BC94E5A58F-thumbnail2.jpeg" width="300" height="200" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/E69FB4E794B0E38080E6BC94E5A58F-thumbnail2.jpeg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><strong>日野</strong> 「Elements of Noise Arc」のエレメンツは原子、要素、つまり出演する一人ひとりのことです。このエレメンツがノイズの弧を描くってことなんですけど、私がこの面子を選んだキーワードも「ノイズ」なんです。ノイズ音楽をやってるというよりも、ジャンルに囚われてないこと。たとえば「映画監督はこういうものでなければいけない」とかね、そういうものからどうしてもはみ出してしまう人たちっていて、邪魔者だったりうるさいものだったりするわけですよ。たとえば３０年前のピンク映画なんかも、街で言うノイズなわけですよ、「こんなところにピンク映画館があるなんて冗談じゃない」みたいな。そういう意味での「ノイズ」って捉え方を私は２０年くらい前からしていて「ノイズ＝音楽」ではないと思ってるんですよね。<br /><br /><span style="color:#666666;">――柴田さんも斉藤さんも日野さんも、それぞれにノイズであるということですか。</span><br /><br /><strong>日野</strong>　一人ひとりがまずノイズなんです。映画でも「使う」って言い方よくするでしょ。役者を「使う」とか、音楽を「使う」とか。その「使う」って言葉が、私一番嫌いで。映画は共同作業だと思ってるんですが「使う」と「一緒にやっていく」って随分意味合いが違うと思うんですよね。ピンク映画で女優やってた頃に、現場である監督から「女優なんだから台本に書いてある通りやればいい」って言われたから「私はここの台詞をこう演出したい。監督の言ってる意味がわからない」って返して、大喧嘩になったことがあるんですよ。現場もストップしちゃって。「女優だったらこの通りやりゃいいんだよ！」って怒られたから、私頭にきて「そういう意味であなたが女優と言うんなら、私は女優ではない」って言って、台本投げちゃったんですよ。たぶん私が女優をある時点でもうつまらないって思ったのは、そういうところなんですよね。マネージャーというものがいなかったので、たぶん映画業界からするとすごい生意気だし、使えないし、こいつ来たらとんでもないことなるみたいな、爆弾みたいな感じだったと思うんです。でも私がやりたかったことは、今も「一緒にやっていく」ことなんですよ。ある枠からはみ出さざるを得ない人たちが一緒に、既成概念からどんどん外れていって、面白いことがどんどんできていく、そういう未知数のものってたくさんあると思う。そういうことをやれたらいいなと思って。そのキーワードが「ノイズ」なんです。<br /><br /><strong>柴田</strong>　去年初めて会った時にこのことを言われて、グッと来たんですよね。<br /><br /><strong>日野</strong>　柴田君と会った時のキーワードもノイズで。彼は私の映画を当然見ていないし知らないわけですよ。<br /><br /><strong>柴田</strong>　「C.C.C.C.の日野繭子」は知ってたんですよ。不思議な話で、『おそいひと』に有田アリコさんっていう維新派の役者さんで、殺されなかったヘルパーのおばさん役の人いるじゃないですか。実は日野さんと初めて会った時に、アリコさんと昔からのマブタチだったって聞いたんですよ。しかも僕が酔っ払ってノイズの講釈垂れたら、アリコさんから「日野繭子って言ったら、ピンク女優の日野繭子でしょ！　あんたの言ってるノイズなんか有名じゃないよ、西成のおっちゃんに聞いてごらん」って言われて。<br /><br /><strong>日野</strong>　剛君と話した頃からすぐ後にアリコが亡くなったんですよね。そのことをきっかけに私はノイズを、表現活動をやめて、アリコみたいなことは二度と起こしたくないと思い、中医学の道に入って１０年ストップしたんですよね（※）。剛君に会ったのは３年前だっけ？　トランスフォーマーの忘年会で山本（政志）君が「すっげー良い奴なんだよ！　こいつは若手の期待の星！」みたいに紹介してくれたのね。名前を聞いてから一瞬間があって「もしかしてノイズの？　C.C.C.C.の？」って言うから、こっちもものすごく驚いて。話をしてるうちにアリコの話になって。<br /><br /><strong>柴田</strong>　ノイズを「雑音」って書くけど、でもノイズっていろいろあるじゃないですか。環境音だったり、いろんな意味で心地良いサウンドもあったり。ジャパニーズノイズって暴力的なイメージが多くて、でも僕はバイオレンスなものとして捉えてなかった。暴力性が常に自分の中に当たり前にあるからかもしれないんですけど、自分で咀嚼していくところの心地よさとして、ノイズのイメージがあって。それを僕の手段で「ノイズ」に映画を選んだっていうことなんですね。<br /><br /><strong>日野</strong>　バイオレンス＝ノイズは全く違って。ノイズやってる人たちも、たとえば非常階段の（JOJO）広重さんにしても、マゾンナの山崎（マゾ）君にしても、メルツバウの秋田昌美にしても、私にしても、それぞれに個々のノイズの定義があって、それはベーシックなものでバイオレンスは基本的にないですね。９０年代に散々海外のファンジンで喋りまくってたんで「もういっか」みたいのがありますけど（笑）、たぶん剛君はそこら辺はわかってるから「一緒にやらない？」って誘った時も「映像のノイズをやってほしい」って言ったんだよね。<br /><br /><strong>柴田</strong>　お題が大きすぎて最初「どうしようかな」って思っていて。でも僕の中で映画を作ることは常に「わからないもの」だから映像にしてみる、変換装置としてあるから。それに今回のがきっかけで何か見えてくるんじゃないかなっていうのもあって。この「Elements of Noise Arc」を「映画」と見る人も絶対出てくるだろうし。そういう器の大きさっていうか、日野さんはそれを「ノイズ」と言うんですけど、僕はそれを「映画」と言い張れる。斉藤君はそれを「映像」と言う。当事者がちゃんとやっていれば、そういうふうに映るんだろうなって。だから映芸で「『Elements of Noise Arc』は映画だ」って言い張って下さい。<br /><br /><strong>日野</strong>　うん。私の中でのピンク映画です。「表現者として」ってことで言えば、今もし女優の仕事があったら、当たり前のようにできると思う……、まずないですけどね。一時期「行為者」って言い方をしてたんですけど、行為する者って意味ではどんなジャンルでも構わないって思うのね。一時期ノイズをかけながら踊ってたんですけど、それを音だけ出すようになったときに「私のノイズは私の舞踏だ」って言い切ってました。音だけになっても、これは私の心の踊りだから舞踏なんだって。要するに形態は変わっても、何やっても同じなんですよ。だよね、剛君。<br /><br /><strong>柴田</strong>　そうですね。僕はずっとおっかなびっくり段階を踏まえて、自分の中で試作・実験なんかやって「これで映画に解消できる」ってところで毎回作品にしてきてるから。「映画」っていうカテゴリーから解体作業を始めて、だけど「これは映画だ」って言える。その作業がここら辺まで来たってことなんです。「Elements of Noise Arc」も自分の中でのやりたいことができると思っていて、僕の中ではもう映画活動と一緒です。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/E697A5E9878EE38080E6BC94E5A58FE38080E59CA7E7B8AE.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="日野　演奏　圧縮.jpg" src="http://eigei.up.seesaa.net/image/E697A5E9878EE38080E6BC94E5A58FE38080E59CA7E7B8AE-thumbnail2.jpg" width="225" height="300" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/E697A5E9878EE38080E6BC94E5A58FE38080E59CA7E7B8AE-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><span style="font-size:x-small;">日野繭子</span><br /><br /><strong>日野</strong>　私はムーブメントを作りたいんです。８０年代初めの頃はピンク映画から一歩出たところに、ピンク映画も自主映画もアンダーグラウンドミュージックも網目のようにつながった、五社に対するムーブメントがあったんですよ。上板東映の小林紘さんがピンク映画を上映してくれたり、何人かの面白がってる人たちがバックアップしてくれたり。９０年代ノイズも海外から「ジャパノイズ」って呼ばれ逆輸入されてきたけど、元は日本でノイズやってる人のネットワークを作りたくて、メルツバウの秋田昌美さん、亡くなられたMonde Bruitsの岩崎昇平さんと仕掛けたんですよ。本当にオタッキーなんてものじゃないですからね当時のノイズは。それでも世界中に同じ考えで同じようなことをやっている人たちがいるわけですよ。音楽シーンからもはみ出してて、アンダーグラウンドシーンからも鼻つまみ者が(笑)「もういいよ、鼻つまみ者同士でネットワーク作っちゃうよ」ってオムニバスＣＤを出したりメールアートとか国内外でライブして、個人間から世界中のネットワークになって、それがまたすごく面白かったんですよ。そういうムーブメントがあったってことは、昔のピンク映画のエピソード話よりもずっと若い人に知ってほしいと思う。今回のプロジェクトも、このメンバーを中心にもっといろんなことができるんじゃないかって。一人ひとり本当に個性的な方たちばかりなので、今回はこういう形だけど今度はどういう形になるかわからない、そのときにやりたいことをやりたい人たちとやってもいいと思ってます。このプロジェクトはそのまんま海外にも持って行くつもりですし。<br /><br /><strong>斉藤</strong>　でも今、ムーブメントという形で起こせるんですかね。<br /><br /><strong>日野</strong>　ムーブメントにもなんないかもね。当たり前のようにみんなやっちゃってるから。<br /><br /><strong>斉藤</strong>　昔はある対象なりカウンターがあったからやれたんじゃないかっていう。<br /><br /><strong>日野</strong>　今は相手になる対象がないから、かえって普通にできて良いんじゃないかな。昔よりはいろんなことがやりやすくなっているし。何かを表現することも、企画することも同じで、大切なのは結果じゃなくて、その過程だと思うんです。結果に向かって進むんですが、たとえば映画を真四角の枠に入れ込むようにするんじゃなくて、その入れ込む先の四角がないんです。<br /><br /><strong>斉藤</strong>　以前よりもそれぞれがそれぞれの枠の中でやる方法が行き渡りすぎて、みんな「これはこうするのが当たり前」みたいな共通認識ができているのかもしんないですね。僕もずっとそういう枠組みをどうにか外していきたくて。それこそある対象へのカウンターじゃなくなった今は、わかりづらい活動になっちゃうかもしれない。<br /><br /><strong>日野</strong>　でも見ればものすごくわかりやすいと思う。<br /><br /><strong>斉藤</strong>　この活動も、何かわからないものだけど、そういう状況に対するカウンターであるのは確かなんだろうな。<br /><br /><strong>日野</strong>　２０年前も「僕はこのジャンルが好きだからこれだけ見る」って感じですごく細分化されていたんですよ。今は情報がこれだけ氾濫してるから、受け入れ態勢が整っているというのか、すんなりみんないろんなものを受け入れられるようになってるのかなって感じがするのね。ライブハウスで対バンをやっても、パンク・ノイズとそれぞれジャンルが違うということかもしれないけど、自分の目的のものだけ見ていなくなっちゃうの。でも今は違うんですよね。「ノイズどういうの？　面白んじゃない？」みたいに、わりとみんな全体を楽しんじゃう。ジャンルをどんどん越えてっちゃうのが、今の音楽シーンにはあるみたいですね。そういう人たちにとっては音楽シーンだけじゃなくて、映像・映画・パフォーマンス・アート・ダンス、全部その壁が取っ払われるかもしれない。オーディエンスの方が先に行っちゃってるのかなって気もするんだけどね。<br /><br /><span style="color:#666666;">──でも時々、みんながいろんなものに関心を持ってくれるなら、「映画芸術」にも持ってほしいけど……という時もあります（笑）。</span><br /><br /><strong>日野</strong>　そういうふうに思っていこうよ。私がノイズをやり始めた時に、映画の人たちはひどかったのね。山口清一郎監督と個人的に仲が良くて、ノイズのＣＤをあげたら「繭子は精神病になったんじゃないか」って本気で心配されちゃって。いたって健康なんですけど（笑）。今となっては笑い話なんですけど、みんな「理解できん」みたいな感じでサーッと離れて行く。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/E69689E897A4E6B48BE5B9B3E38080E6BC94E5A58F.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="斉藤洋平　演奏.jpg" src="http://eigei.up.seesaa.net/image/E69689E897A4E6B48BE5B9B3E38080E6BC94E5A58F-thumbnail2.jpg" width="300" height="290" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/E69689E897A4E6B48BE5B9B3E38080E6BC94E5A58F-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><span style="font-size:x-small;">Rokapenis（斉藤洋平）</span><br /><br /><span style="color:#666666;">――ただ今日の話をお聞きしていると、柴田さんは映画に対する考え方はやはり独特だと感じます。同じようなことをやられている映画監督はあまりいないかもしれません。</span><br /><br /><strong>柴田</strong>　でも僕とやってることが近いと言われるのが、布川徹郎さん。２００６年くらいに宝塚シネ・ピピアのプログラムディレクターをやってる田井中さんが、布川さんと僕を引き合わしてくれて、『風ッ喰らい時逆しま』（７９）って曲馬館のドキュメントと僕の『NN～』を一緒にかけてくれたんです。同じことを７０年代のドキュメンタリーの人たちがやって、れっきとした映画として存在している。僕自身も「それでありなんだな」っていうのがあって、そこに僕の上映活動があったんですよ。<br /><br /><span style="color:#666666;">――「映画」というとどうしてもスクリーンというフレームの中のことと考えてしまって、柴田さんの試みがその枠からはみ出そうとしているのかなと、最初感じてしまったんですね。</span><br /><br /><strong>柴田</strong>　でもインディペンデントを名乗ってる人間だったら、「映画」の全てのカテゴリーをやることになるから。山本政志さんも、渡邉文樹さんもそうですけど、映画館でなくて公民館を押さえてとか、何ならテント作ってそこで上映するとかやってますし。もちろん場所っていうのは行き来していくものだから、今回の活動もいずれ映画館でやりたいと思います。<br /><br /><strong>斉藤</strong>　そういえば、アップリンクの浅井（隆）さんが「映画館を作るのにいくらかかるか」という話をしてて。本当に配給会社がやろうとしたらハードディスクが２００万ぐらいするんですけど、小さい回しだったら、２０万のプロジェクターを一台とブルーレイのディスクを買えばよくて。ブルーレイの画質とかすごく良くなっているんで、プロジェクターを一個買えばできる状況が今整っている。そういう個人の活動が増えることで、６０年代の自主上映の発展系みたいなのが今年から始まっていくかもしれない。いろんなジャンルの音楽の人や踊りの人とかが対等に混じり合う状況が作られてくるんじゃないかな。<br /><br /><strong>柴田</strong>　映画館を維持させる人もすごい大変でしょ。去年の年末あたりから西日本の映画館が次々と潰れているんですよね。『堀川中立売』の時も挨拶に行くじゃないですか。努力は１００％かそれ以上やってるんですよ。でも毎回良い映画をかける映画館ほど、圧倒的に映画のお客さんの人口が開拓できないんだよね。作って上映する度によくしてもらって、宣伝活動もバンバンやるんだけど、同時に哀しさも貰って帰ってくるという。『サウダーヂ』（１１）の空族がそこの風穴を開けてくれてはいて、みんなで早くそれに乗っかってやりたいですよ。<br /><br /><strong>斉藤</strong>　そういうミニシアター的なスペースでも映画の上映だけでは成り立たなかったりもして、ライブもカフェもやるような多目的なスペースになっていくかもしれない。<br /><br /><strong>柴田</strong>　今もっぱら映画の中で話すのって「低予算でどうやってやってくのか」とか、それこそ深田君の映芸の連載（「映画と労働を考える」）になりますよね。今はどの業界も閉塞してると思うんですけど、特に映画業界がメジャーから何から閉塞状態で。ここの閉塞性っていうのには、ずっと我慢ならないものがあって。『おそいひと』以降から何となくそういうのは見えてて、中間搾取とか、雇用の問題とか、福利厚生の話とか、危ないじゃないですか、平気で睡眠時間削ったり……。そういうのが一巡した、こういう焼け野原の状態で何ができるか。さらに去年の３・１１は僕の中で大きくて、何も撮れなかったですよ。去年はいわゆる一般の長編映画は撮れなかったし、撮りようがないっていうか。「でもやるんだよ」っていう、園子温監督とかいるじゃないですか。でも僕は「どうぞやってください。けど僕はできません」という、「すいません」と「できません」の中間ぐらいの感じですよね。でも映画をやりたい、そういう時に友人が味方についてくれて、「あら恋」から「何か撮ってくれよ」って言われて『BACK』を撮ったんです。これは今まで僕が連綿と映画の中でやりたい、刻んでおきたいというテーマを、一発撮りの４５分の長回しで撮ったもので、一連の映画作りと同じようなドラマを用意していたんですよね。でもミュージック・ビデオである以上４分に縮める。そこに逆転の発想があって、音楽としてもミュージック・ビデオになっているし、映画としても心に残るっていう、上手く親和性を見つけたから、あの形になったんです。だから先ほど言われたように、映画ってフレームの中の世界だと思いますし、そこはいずれやっていく方向にいますよ。でも今はもうちょっと自由に遊びたい（笑）。フレームのある方が好きな時、来ると思うんですけど、その時が来たらまた日野さんに「やりたい」って言って「考えよう！」とかになると思う。<br /><br /><span style="color:#666666;">――今回はアーティストの一人として……。</span><br /><br /><strong>柴田</strong>　エレメンツですね。<br /><br /><span style="color:#666666;">――……エレメンツの一人として名前が出てきているのを見て、そして今日のお話を聞いていると、やっぱり映画監督として少し特殊な存在だと思うんですね。それは『ギ・あいうえおス』の時に裏方のはずなのにカメラの前に登場したことから繋がっているのでしょうか。柴田さんご本人がどんどん表に出てくるのかなと。</span><br /><br /><strong>柴田</strong>　ドキュメントだけでしか僕ら裏方は出て来れないのかっていうのがあって。楽屋オチじゃなくてちゃんと前向いて、映画撮ってる最中をスタッフが撮ったらいいじゃないか。今やろうとしてることと併走して、どうにか映画ができないか。それが『ギ・あいうえおス』でやろうとしたことなんですよ。でもやっぱり記録媒体になっちゃってて、そこに悔しさが残る。『～すばぬけたかえうた』って言うからには、「ずばぬける」ためにもっと現実よりも飛び越えて撮りたい。科学的にはありえない観念の話ですけど、それを今回のプロジェクトだったらできるんじゃないのかなって。今回は玩具フィルムですけど、今後どう結び付けていくか、いろいろ考えてるんですよ。演目を撮影して、横に編集マンをつけてその場でバーっと編集して、１０分後にその編集されて物語化された映像ができてる。現実に演奏してる人たちと見てるお客さんの間にドラマを生んでいる。それを見たお客さんは「映画だ」「映画を見た」ってなる。その様子をさらにまた撮って編集して１０分後上映するみたいな……。もうポスプロの段階までも映画に入っちゃってたりとかね。「映画」って帰着できていれば、これだって「映画」だろうし。気狂いそうな作業なんですけど、遠い未来の目標には入れてるんです。デジタルの機材だったら可能だと思うんですよ。でも今回の５月１２日っていうのは、やっぱりフィルムに立ち返りたいっていうか。何だかんだ言って俺もフィルム原理主義者だったりしてるんですよ（笑）、好きだから。<br /><br /><span style="font-size:x-small;">※日野さんははり灸サロン「Le Cocon」の院長を勤めている。WEB：<a href="http://le-cocon.net" target="_blank">http://le-cocon.net</a></span><br /><br /><strong>『Elements of Noise Arc』</strong><br />公式サイト：<a href="http://dfh-m3.net/index.html" target="_blank">http://dfh-m3.net/index.html</a><br />1st LIVE詳細：<a href="http://www.uplink.co.jp/factory/log/004411.php" target="_blank">http://www.uplink.co.jp/factory/log/004411.php</a><br /><br /><strong>【上演情報】</strong><br />日時：２０１２年５月１２日（土）１９：００開場／１９：３０開演<br />会場：UPLINK FACTORY<br />予約料金：２３００円<br />当日料金：２５００円（予約ともに1ドリンク代５００円別）<br /><br /><strong>【出演】</strong><br />ライブ演奏：DFH-M3（日野繭子＋JUNKO＋大西蘭子）<br />玩具映画上映：柴田剛（映画監督 / TOY FILM PROJECT）<br />映像演出：Rokapenis（斉藤洋平）<br />音響演出：小松進（小松音響研究所）<br /><br /><strong>【予約方法】</strong><br />予約をご希望される方は、下記要項を明記の上、指定のアドレスまでメールにてお申し込み下さい。入場者数５０名限定ですので参加を希望される方はお早めにご予約ください。<br />記入要項：①お名前 ②予約人数（一度の予約で最大3名まで） ③ ご連絡先（電話番号/ご住所）<br />申込先：factory@uplink.co.jp（件名を「５／１２ 夜のアトラクションＰａｒｔ．３」として下さい）<br />

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            <category>インタビュー</category>
      <author>映芸編集部</author>
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      <title>映芸シネマテークvol.13開催のお知らせ</title>
      <pubDate>Tue, 01 May 2012 11:29:25 +0900</pubDate>
            <description>上映作品『スーパーローテーション』ゲストトーク：斎藤久志（本作監督）×井土紀州（監督・脚本家）日時：6月8日（金）19時開場　19時30分開映会場：人形町三日月座B1F／Base KOM中央区日本橋人形町1-15-5柏原ビルB1F　電話03-3667-0423人形町駅A2番出口より徒歩1分、水天宮前8番出口より徒歩1分地図　http://www.mikazukiza.com/map/定員：30名料金：1500円※当日はブルーレイもしくはDV-CAM上映になります。※上映後、ゲ..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<strong>上映作品『スーパーローテーション』<br />ゲストトーク：斎藤久志（本作監督）×井土紀州（監督・脚本家）</strong><br /><A href="http://eigei.up.seesaa.net/image/saitou_P-02.jpg" target=_blank><img border="0" alt="saitou_P-02.jpg" src="http://eigei.up.seesaa.net/image/saitou_P-02-thumbnail2.jpg" width="350" height="196" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/saitou_P-02-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></A><br /><br /><strong>日時：6月8日（金）19時開場　19時30分開映<br />会場：人形町三日月座B1F／Base KOM</strong><br />中央区日本橋人形町1-15-5柏原ビルB1F　電話03-3667-0423<br />人形町駅A2番出口より徒歩1分、水天宮前8番出口より徒歩1分<br />地図　<a href="http://www.mikazukiza.com/map/" target="_blank">http://www.mikazukiza.com/map/</a><br />定員：30名<br />料金：1500円<br /><br />※当日はブルーレイもしくはDV-CAM上映になります。<br />※上映後、ゲストによる40分程度のトークを予定しています。<br />※予約は電話、メールにて承ります。下記まで、お名前、連絡先（電話番号／メールアドレス）、枚数をお知らせください。予約にて定員（30名）となった場合、当日券はございません。<br /><br />予約・問い合わせ：映画芸術編集部　電話：03-6909-2160　メール：eigei【アットマーク】y7.dion.ne.jp<br />主催：映画芸術、coffee & pictures人形町三日月座<br /><br /><strong>『スーパーローテーション』</strong><br />監督：斎藤久志　脚本：加瀬仁美　プロデューサー：加瀬愼一　山本隆世　<br />ラインプロデューサー：池原 健　撮影：水口智之　録音：齋藤泰陽　<br />美術：高橋俊秋　編集：小林由加子　助監督：西 保典　<br />出演：下村響子　藤原 慧　小泉将臣　安藤 尋　大竹智子　大竹 勝　倉持幸歩　<br />中村圭吾　小宮 咲　嶋田康平　上松大祐　芳野裕太　小澤孝輔　渡邉直城<br />製作：日本映画学校　2011／77分<br /><br /><strong>《解説》</strong><br />2006年の『ホワイトルーム』以降、ENBUゼミナール映像俳優科の実習作品として作られた『最初の七日間』（08）と、日本映画学校俳優科の卒業制作として作られた本作によって、斎藤久志は俳優の実存に依拠した演出スタイルを着実に深化させてきた。演劇学校に通う若い女性の恋の流転を描いた本作はつまり、役を演じる人間の実人生と映画の内容とがシンクロする構造を持っている。斎藤はその構造が曖昧にする現実と虚構の境界を自在に行き来しながら、何食わぬ顔で映画の「リアル」へと肉迫していく。商業映画とも自主映画とも違う領域で、したたかに「映画」を撮り続ける作家がいることを、その目で確かめてもらいたい（編集部Ｈ）。<br /><br /><strong>《監督プロフィール》</strong><br />斎藤久志：映画監督、脚本家。85年PFFに『うしろあたま』が入選。スカラシップを獲得し『はいかぶり姫物語』を監督。92年テレビ「最期のドライブ」（監督：長崎俊一）で脚本家デビュー。97年『フレンチドレッシング』で劇場監督デビュー。00年に舞台「お迎え準備」を作演出。そのほか脚本作品に『湾岸バッド・ボーイ・ブルー』（92）『M』（06）。監督作品に『サンデイドライブ』（00）『いたいふたり』（02）など。<br /><a name="more"></a>

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            <category>レポート</category>
      <author>映芸編集部</author>
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      <link>http://eigageijutsu.com/article/265589339.html</link>
      <title>4月28日、「映画芸術」最新号（439号）発売!!</title>
      <pubDate>Thu, 19 Apr 2012 19:33:50 +0900</pubDate>
            <description>B5判、188頁、1500円（税込）【特集 〈映画俳優〉という希望】インタビュー 染谷将太　インタビュー 井浦新　インタビュー 村上淳　インタビュー 宮﨑将　インタビュー 松坂桃李　インタビュー 新井浩文　【新作特集 『SR サイタマノラッパー　ロードサイドの逃亡者』】〈座談会〉「一点の「真実」から映画の「リアル」は見える」入江悠（『SR』監督）＋真利子哲也（映画監督）＋西田亮介（社会学者）　「日本のラップ、その変遷と「SR」がしたこと」岩崎太整（『SR』音楽監督）＋上鈴木崇..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<A href="http://eigei.up.seesaa.net/image/eigei439.jpg" target=_blank><img border="0" alt="eigei439.jpg" src="http://eigei.up.seesaa.net/image/eigei439-thumbnail2.jpg" width="282" height="400" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/eigei439-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></A><br /><span style="color:#999999;">B5判、188頁、1500円（税込）</span><br /><br /><strong>【特集 〈映画俳優〉という希望】</strong><br />インタビュー 染谷将太　<br />インタビュー 井浦新　<br />インタビュー 村上淳　<br />インタビュー 宮﨑将　<br />インタビュー 松坂桃李　<br />インタビュー 新井浩文　<br /><br /><strong>【新作特集 『SR サイタマノラッパー　ロードサイドの逃亡者』】</strong><br />〈座談会〉<br />「一点の「真実」から映画の「リアル」は見える」<br />入江悠（『SR』監督）＋真利子哲也（映画監督）＋西田亮介（社会学者）　<br /><br />「日本のラップ、その変遷と「SR」がしたこと」<br />岩崎太整（『SR』音楽監督）＋上鈴木崇浩（『SR』ラップ監修）＋<br />上鈴木伯周（『SR』ラップ監修）＋ECD（ラッパー）＋磯部涼（音楽風俗ライター）<br /><br />〈論考〉<br />向井康介（脚本家）　杉田俊介（批評家）　<br /><br /><strong>【シリーズ ジャンルから見る私の映画史―音楽・ミュージカル映画】</strong><br />桂千穂　大林宣彦　福間健二　佐藤千穂　渡辺武信　<br />中村征夫　長谷川法世・悦子　川口敦子　緒方明　<br />上島春彦　浦崎浩實　黒岩幹子　宇波拓　大野直竹　<br />佐藤昌弘　河村雄太郎　宇田川幸洋　稲川方人　荒井晴彦<br /><br /><strong>【新作邦画評】</strong><br />柴田剛（映画監督）『この空の花　長岡花火物語』<br />沖島勲（映画監督）『ほかいびと』<br />山﨑佐保子（脚本家）『KOTOKO』<br />新城勇美（会社員）『ガール』『宇宙兄弟』<br />伊津野知多（映画研究者）『海燕ホテル・ブルー』『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』<br />斎藤久志（映画監督）『彼女について知ることのすべて』<br />瀬々敬久（映画監督）『モンスターズクラブ』<br /><br /><strong>【連続掲載 震災－映画】</strong><br />晏妮（映画史研究）<br />長原豊（経済学者）<br />寺脇研（映画評論家）<br />宮台真司（社会学者）※連載<br /><br /><strong>【新作外国映画評】</strong><br />吉田広明（映画評論家）『裏切りのサーカス』<br />井坂洋子（詩人）『別離』<br />川口敦子（映画評論家）『少年は残酷な弓を射る』『私が、生きる肌』<br />鴻英良（演劇批評家）『ファウスト』<br />田辺秋守（現代思想・映画論）『ル・アーヴルの靴みがき』<br /><br /><strong>【インタビュー ジャン＝クロード・ブリソー】</strong>　<br />聞き手：魚住桜子<br /><br /><strong>【追悼 森田芳光】</strong><br />〈追悼文〉<br />岡田裕（プロデューサー）　<br />明石知幸（映画監督）<br /><br />〈論考〉<br />川瀬陽太（俳優）<br /><br />〈『僕達急行　A列車で行こう』評〉<br />若木康輔（ライター）<br /><br /><strong>【追悼 田中眞澄】</strong><br />〈追悼文〉<br />小津ハマ（小津安二郎義妹）　<br />澤登翠（活動写真弁士）<br />丹野達弥（「映画論叢」編輯長）　<br />入江良郎（フィルムセンター主任研究員）<br />田中秀峰（実弟）<br /><br />〈論考〉<br />與那覇潤（日本史研究者）<br /><br />〈遺文五篇〉<br />解題：郡淳一郎（オルタナ編集者）<br /><br />〈著書目録〉　※共編者、編集者、翻訳者による解題付き<br />小山元明　奈良義巳　川竹ジョジアーヌ　青木眞弥　佐藤千紘　細井秀雄　<br />木全公彦　遠藤敏之　照井康夫　周以量　堀由貴子　郡淳一郎　稲川方人<br /><br /><strong>【追悼】</strong><br />林光　福田善之（劇作家・演出家）<br />ベン・ギャザラ　松田広子（プロデューサー）<br />ブルース・サーティース　笠松則通（キャメラマン）<br />テオ・アンゲロプロス　奥村賢（映画研究者）<br /><br /><strong>【書評】</strong><br />波多野哲朗（映画研究）「日本映画時評集成2000-2010」山根貞男<br />大森立嗣（映画監督）「怪男児 麿赤兒がゆく　憂き世 戯れて候ふ」麿赤兒<br />渡辺考（テレビディレクター）「僕のNHK物語　あるTVドキュメンタリストの追想」冨沢満	<br />山嵜高裕（詩人）「現在につづく昭和40年代激動文化（ラジカルチャー）」伊達政保「60年代のリアル」佐藤信<br />市田良彦（思想史家）「蜂起とともに愛がはじまる　思想／政治のための32章」廣瀬純<br />松本潤一郎（言融業）「反原発の思想史　冷戦からフクシマへ」絓秀美<br />高橋世織（文芸評論家）「藝術立国」徳山詳直<br />磯田勉（フリーライター）「私の映画史　石上三登志映画論集成」石上三登志<br />編集部の一冊「東京ノアール　消えた男優 太賀麻郎の告白」東良美季<br /><br /><strong>【連載】</strong><br />青山真治　稲川方人　荒井晴彦　DVD NEW RELEASE　<br />大木雄高　「LADY JANE」又は下北沢周辺から<br />長谷川元吉　映像（ムービー）カメラマン解体新書<br />荒井晴彦×寺脇研　韓米★映画合戦<br />OUT OF SCREEN　馬場祐輔（シネレボ！）<br />わたなべりんたろう　日本未公開傑作ドラマ紹介<br /><br /><strong>※最新号の購入は<A href="http://www.k5.dion.ne.jp/~eigei/backnumber/top.html" >コチラ</A>からも可能です。</strong><a name="more"></a>

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            <category>レポート</category>
      <author>映芸編集部</author>
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        <item>
      <link>http://eigageijutsu.com/article/255687786.html</link>
      <title>映芸ダイアリーズ　2011日本映画ベストテン＆ワーストテン  深田晃司、中山洋孝、平澤竹識</title>
      <pubDate>Mon, 05 Mar 2012 00:15:32 +0900</pubDate>
            <description>深田晃司（映画監督）ベスト ○ ピュ～ぴる（松永大司）○ ショージとタカオ（井手洋子）○ ギ・あいうえおス -ずばぬけたかえうた-（柴田剛） ○ サウダーヂ（富田克也） ○ わたしたちが歌うとき（木村有理子）○ 君へ。（西村晋也） ○ 終わってる（今泉力哉）○ Peace（想田和弘） ○ わたしたちの夏（福間健二）ワースト○ 「青春Ｈ」の制作・企画システム。あるいはそれを取り巻く映画状況。  　順番は順不同です。相変わらず、映画を新作のうちに見る習慣が身につかず、このベストの..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<strong><span style="font-size:large;">深田晃司（映画監督）</span></strong><br /><br /><strong>ベスト</strong> <br />○ ピュ～ぴる（松永大司）<br />○ ショージとタカオ（井手洋子）<br />○ ギ・あいうえおス -ずばぬけたかえうた-（柴田剛） <br />○ サウダーヂ（富田克也） <br />○ わたしたちが歌うとき（木村有理子）<br />○ 君へ。（西村晋也） <br />○ 終わってる（今泉力哉）<br />○ Peace（想田和弘） <br />○ わたしたちの夏（福間健二）<br /><br /><strong>ワースト</strong><br />○ 「青春Ｈ」の制作・企画システム。あるいはそれを取り巻く映画状況。 <br /><br /> 　順番は順不同です。相変わらず、映画を新作のうちに見る習慣が身につかず、このベストの周縁には死屍累々と未見の話題作が広がる、公平公正からおよそ遠いラインナップです。<br /> 　『ピュ～ぴる』『ショージとタカオ』はともに被写体の魅力を存分に伝えてくれるドキュメンタリーでした。もちろん、それだけでいい映画、ということにはならないでしょうが、撮影対象の世界に安易に土足で踏み込まず、しかし靴を揃えて正座したそのうえで執念深く食らいついていった監督の姿勢につくづく頭が下がりました。<br />　『ギ・あいうえおス』については本誌にも書いたので割愛しますが、楽器を持たないこのバンドの次のライブが楽しみです。 <br />　『サウダーヂ』の魅力は決して目新しさではなく、愚直に取材を重ね、まっすぐに社会と人間に向き合ったその泥臭さにあるのだと思います。それが新鮮に映るぐらい、いつのまにか多くの映画が象牙の塔の嗜みになっていたのでしょう。<br /> 　『わたしたちが歌うとき』は、冒頭のピアノ室に至る少女ふたりの距離感の伸縮と空間の切り取り方にまずやられました。また、短編の尺で何ができるか、扱えるモチーフの限界と可能性をしっかりと見極めた点も、「No Name Films」という気鋭の監督が集った企画で同作が白眉となった要因なのだと思います（なおAプロは未見です）。<br /> 　『君へ。』は、ややもするとセンチメンタルな題材を前に常に一歩引いた視座を保ち裁いていく監督の手腕に、良質なプログラムピクチャーを見たような充実感がありました。特に、中盤の少年と少女の視線がすれ違う「振り返り」の場面が圧倒的に美しく、この何気ないショットが見れただけでも大満足。 <br />　『終わってる』、ラストの収斂が良かったのどうか迷うところですが、俳優を一瞬一瞬どちらに揺れるか分からない魅力的な動物としてスクリーンに映し出せる今泉監督の才能は希有だと思います。ラストの赤子と大人の俳優が同じ地平で不可解な存在である映画。<br /> 　『Peace』（想田和弘監督）、日本でヒットするドキュメンタリー映画の多くが驚くほど社会との繋がりが薄いパーソナルドキュメンタリーであることに一抹の食い足りなさを感じるなか、一筆描きのような軽快さで監督の親族を追いながら、周到な構成によって社会を透かしつつ存分に観客との想像力の綱引きを楽しんでいた『Peace』の存在は心強いと思いました。<br />　『わたしたちの夏』、映画はもっともっとぐちゃぐちゃに、映画以外の得体の知れない何かに化けて欲しい。そんな焦がれるような欲望を掻き立ててくれる、青年のように瑞々しい映画。映画は所詮、産まれてたかだか100年ちょっとしか経っていない幼年期の芸術なのだ。 <br />　他にも『－×－（マイナス・カケル・マイナス）』（伊月肇監督）、『婚前特急』（前田弘二監督）など同世代の映画の活躍にも（勝手に）強く励まされました。<br /> 　なお昨年中に目にして面白いと思った作品で今年（2012年）の公開作だったものを駆け足で以下に記します。なんかいろいろ大事なのを書き落としてそうだけど。 <br />　『聴こえてる、ふりをしただけ』（今泉かおり監督）、少女の造形がステレオタイプにはまらず、ちょっとした間の取り方が的確に映画の時間をぴんと持続させ、ドキドキさせる。参った。『Love Machine』（古澤健監督）、人間の欲望がそのまま映画を突き動かすアクションとなりショットになる、まさにスクリューボールなラブコメ。笑って唸った。『旧支配者のキャロル』（高橋洋監督）、恩讐のような虚構の熱量の果てに強固な映画のリアルが立ち現れてくる。くやしい。『適切な距離』（大江崇允監督）は、主人公の「トラウマ話」の見せ方が完璧で膝を打った。前半の構成・カット割に監督の脚本の巧さが冴え渡る。『NINIFUNI』（真利子哲也監督）は、小技の積み重ねで魅せる映画が多いなか、これほどの「大技」を大胆に仕掛けてくれた映画は久しぶり。竹馬靖具による脚本との合わせ技一本。なお「青春Ｈ」シリーズは、評判の『超・悪人』も『ソーローなんてくだらない』も見れていない。せめてビデオで、と思っているうちにボヤボヤしていたら〆切が来てしまいました。無念。話題の『へんげ』『先生を流産させる会』も未見。公開したら指の間からおそるおそる見てへこみたいと思います。<br />　今後の公開がいまのところ未定であると思われる作品からは、映画美学校映画祭で見た『水槽』（加藤綾佳監督）とアート専門のインターネット放送局comos-tvで見させて頂いた『Ms.S』（鈴木光監督）、俳優としても活躍する太田信吾監督の『それは愛じゃない』などが刺激的でした。<br />　震災・津波関連では『大津波のあとで』（森元修一監督）、『なみのおと』（濱口竜介監督）などが印象的だった。前者は震災の衝撃に背中を押され、迷い動揺しながら被災地にカメラを向けた作家の混乱が、誠実に舌足らずに、それだけにそのまんま伝わってくる。後者は、より戦略的に思索的に、被災者の言葉を記録し編纂する。「対話」とは何かを理屈ではなく映画言語を通じて問いかけてくる。これらの映画を見て、震災以前に福島で撮影された『こもれび』（小澤雅人監督）を思い出した。ここに記録されていた福島の光は美しく、それゆえに残酷に人の孤独に陰影を与えていた。津波と震災が生み出した「絆」という幻は、天災の前にも後にも同じようにある孤独を隠蔽する。<br /> 　おまけで至福だった作品を旧作より２本。伊藤雄之助特集で見た『とむらい師たち』（三隅研次監督）。いやもう、凄い。最後の飛躍に唖然。あとこまばアゴラ映画祭で上映させて頂いた『Reflection』（石田尚志監督）。同監督の傑作『部屋/形態』を初めて見たときと限りなく近い興奮に震えました。外国映画では、フィリピンの『クリスマス・イブ』（ジェフリー・ジェトゥリアン監督）とスウェーデンの『プレイ』（リューベン・オストルンド監督）がともに傑作なのでぜひ日本でなんとか公開して欲しいです。<br />　あ、あと個人賞として、数々の映画上映会を企画し実験映画の普及に努めながら、著作（『フィルムメーカーズ 個人映画のつくり方』）を出版し、三田文学新人賞（評論「弧状の島々&nbsp;ソクーロフとネフスキー」）を受賞し、新作映画（『インペリアル―国家論・君主論―』）まで飄々と完成させてしまった、影武者がいるとしか思えない金子遊氏の活躍も書き留めておきたい。いやほんと、身内受けでもなんでもなく、そう思います。  <br />　で、ワーストについてですが、これはもう書き始めたら字数が足りない。手短に。 <br />　映画を作りたい、という作り手の情熱の陰で健全な労働の姿から程遠い悲惨が野放図にされている日本映画界。本誌では説明が足りなかったかも知れませんが、当然のことながら「青春Ｈ」を悪玉にして糾弾しそれで済むような話ではなく、日本映画の疲弊の先端でたまたま「青春Ｈ」が目立っていたという話です。私自身、加害者のひとりです。<br /> 　問題は、映画界はこのままじゃよくない、と多くの人が内心思いながら、それは誰かが言うことで自分の言うべきことではない、作り手の言うことではない、と口を噤んでしまっていることではないでしょうか。当たり前ですが社会問題は発言して指摘していかない限り、存在しない。原発の問題と同じで、野暮でもなんでも、声に出して顕在化していかない限り、現状は是認されたまま未来へ先送りされていきます。<br />　私たちは、このギリギリの状況のなかで、面白い映画を作り続けることと、自分の映画作りにおいてできる限り自分も仲間も理不尽な撮影環境下に置かないこと、そして映画を作り見せるシステムそのものを改善していく努力、この３つを同時に進めていかないといけないのでしょう。うわ、大変だ。<br /><br /><br /><strong><span style="font-size:large;">中山洋孝（本誌編集部）</span></strong><br /><br /><strong>ベスト</strong><br />1　不倫純愛（矢崎仁司） <br />2　孤独な惑星（筒井武文）<br />3　Rocks Off　未完成版（安井豊作）<br />4　姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う（大工原正樹）<br />5　ガクドリ （江良圭）<br />6　美しい術（大江崇允）<br /><br /><strong>ワースト</strong><br />○わたしたちの夏（福間健二）<br />○軽蔑（廣木隆一）<br />○NINIFUNI（真利子哲也）<br /><br />　2011年は『Rocks Off』がどのような映画なのか、未完成版とはいえ、見ることができて良かった。5年以上前に法政大学へ入学したときから、既に解体されていた学生会館の存在は聞かされてきたし、どこからかその解体の様子をOBが撮影した映画があるとも耳にしていた。それからこの映画を見るまで5年以上、時折聞いてきた思い出話や、勝手に脳内で出来たイメージとは、少なくとも全く結びつかない内容だった。それまであった建物が無くなってしまうと聞けば、何であろうと記録するに値する事件かもしれない。しかし、この映画は解体される建物が何だったか、そのことで何が失われるか、撮ろうとした理由は何か、ほとんど語ろうとしない。この映画が「未完成版」であることを考慮に入れても、おそらく改善されることがありえない、異様なくらい何も語ろうとしない。いくらでも語れそうな言葉の数々が、一切排除されている。極端な言い方をしてしまえば、『Rocks Off』は何のために撮られたかさえ観客に答えようとしない。<br />　学生会館が解体されたことについて、ほんのわずかな字幕が冒頭にあるだけで、後は何の説明もなく、ただ建物が重機によって解体される様子と、学生会館と浅からぬ縁にあった灰野敬二の演奏が延々と続く。特に灰野敬二は闇に包まれたまま、ギターではなくピアノと対峙し、観客には背を向けていることで匿名性を帯びているのかもしれない（長髪のシルエットと、ガタガタ揺らしたり叩いたりする、まるで何かを解体しているような姿は、灰野敬二以外ありえないと思うけれど）。重機による解体と演奏を重ね合わせて見ることも可能だけれど、それにしてもそんな解釈をしている自分が虚しくなるくらい、学生会館を撮影したシーンの比にならないくらい、何度も気絶しそうになるくらい演奏シーンが長い。次第に灰野敬二の傍で俯いたまま座っているような男（小沢靖）と、自分のこの映画を見ている姿勢がとても近いものに思えてくる。<br />　黙々と続く解体作業だけでなく、それ以上に尋常じゃなく長い演奏をなぜ映したのか。演奏者が灰野敬二という点で観客が解釈や説明をすることは可能だろうが、映画自体は彼が灰野敬二だということさえ一切語ろうとしない。関係性やドラマの排除された二つの作業を延々説明もなく、ただ見続けるほかなくなってしまうこと。それまであったものから読み取れる意味が失われていくこと。何かが解体されるとはこういうことだと言わんばかりだ。終盤、BGMによってこの建物への郷愁や思い入れみたいなものが一瞬感じられるかもしれないカットがあるけれど、それこそ「クリシェ」以外何物でもない。唐突にありきたりで感傷的な場面が演じられているだけで、何一つ物語ってなんかいない。それならば「映画秘宝」のベストテンで度々書かれていた、『電人ザボーガー』（井口昇）で渡辺裕之とデモ田中の刑事二人が飛び立つ瞬間、菊池俊輔の劇伴の流れるシーンのほうが遥かに泣かせる。<br />　用意されたクライマックスさえ何も語ろうとしない『Rocks Off』だが、不思議と苛立ちや虚しさは感じなかった。それどころか不思議とポジティブな気持ちになれる。それはたとえ「いま」を感じさせるものだとしても『NINIFUNI』の殺伐とした映像の連続からは味わえないものだ。もしかしたら東日本大震災の被災地を舞台にした映画と比べて、圧倒的にロケーションへの思い入れが感じられない分、この突き放したドライな視点が重機による「解体」という作業そのものを生産的に見せているからかもしれない。とはいえ「完成版」が出来たらもう一度観に行こうという気持ちになれないくらい、ウンザリするほど長い解体に立ち会うのは一度きりで充分だと内心思っている。<br />　『ガクドリ』の終盤、大会への出場を賭けた一騎打ちで、これが学生時代だけでなく人生最後の、死を前にした大会だったかもしれない今井（佐々木喜英）が、走行中に自らの肉体的な限界を察し、アクセルを緩め、腹立たしいくらい無邪気な後輩のマサキ（木ノ本嶺浩）にその権利を譲る。そうと決めた瞬間、彼の殺気だった目つきは穏やかになり、遠のいていく一台の車を笑顔で見送る。彼の視界は開かれ、画面いっぱいに映し出された青空を見ると、人生において大事なのは勝ち負けじゃない、そんな普段ならちょっと恥ずかしくて躊躇したくなるメッセージをつい読み取って、どうしても感動してしまう。その青空を屈託のない表情でマサキも見ているラストに震えた。<br />　『ガクドリ』の杉本有美は、お姉さんらしい体型なのに顔つきはあどけなくて、彼女と仲良くなりたい下心で男たちが動いてしまうのもわかる、そんな説得力があった。『軽蔑』の鈴木杏は、『まほろ駅前多田便利軒』（大森立嗣）と役柄的に比べて見てしまうと、どうしてもさらされた裸体が痛々しかった。性的な魅力は乏しいけれど、あえぎ声の演技をしている内に楽しそうな表情をしてしまう彼女のほうが可愛らしい。だがどちらも『不倫純愛』であれだけ激しい絡みを演じた後に、少女のような佇まいでボートに乗る嘉門洋子の魅力に負けてると思う。<br />　決して低予算、ほぼ無予算の映画に魅力を感じているわけではないが『孤独な惑星』『美しい術』、どちらの作品も限られた条件の下で作られているが、その制約によりかえって魅力を増していると思う。『美しい術』のテーマ曲から受ける「テレビドラマ」風の作りに反して、ヒロインのポストを相手にした一人芝居や、不安定な内面を抱えながら告白するときの仕草が、深い関係性のなかでしか撮れないものに思えた。中原昌也氏が『孤独な惑星』の女性像の素晴らしさを指摘していたが、その点で『美しい術』と通じ合うものがあると思う。<br />　『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』の人気のない木更津の空気をとらえたシーン、浴衣の帯だけで姉弟の間に物凄く背徳的なやりとりがされているように感じる宿屋の夜、トンネルでの凶行、そのどの描写にも説得力があり、限られた人物とロケーションで作られる映画学校の作品のなかでも図抜けた一本だった。<br />　福間健二監督の『わたしたちの夏』は、このラフな雰囲気の画だけで劇場公開作を一本完成させてしまえるのは凄いと思うし、「水をください」という言葉の貫かれている強度があるのかもしれない。しかし『岡山の娘』の、本当に映画として完成したと言っていいのか不安になるくらい、それぞれの画がつながっているのかわからない緊張感に比べると、むしろ「なかなか映画って壊れないものだな」と、やや引いた眼で見てしまった。それを「映画は何でもありなんだ」という、もうありきたりな感動にはつながらなかった。それならば、もうどんな目に遭った映画でも自分の作品として抱えなければならない苦痛にもがいているような、『東京島』『死ね！ 死ね！ シネマ』で篠崎誠監督の見たもののほうが怖い。<br /><br /><br /><strong><span style="font-size:large;">平澤竹識（本誌編集部）</span></strong><br /><br /><strong>ベスト</strong><br />1　親密さ　short version（濱口竜介）<br />2　僕たちは世界を変えることができない。　But,we wanna build a school in Cambodia.（深作健太）<br />3　冷たい熱帯魚（園子温）<br />4　アントキノイノチ（瀬々敬久）<br />5　毎日かあさん（小林聖太郎）<br />6　モテキ（大根仁）<br />7　大鹿村騒動記（阪本順治）<br />8　サウターヂ（富田克也）<br />9　超・悪人（白石晃士）<br />10　ギ・あいうえおス-ずばぬけたかえうた-（柴田剛）<br /><br /><strong>ワースト</strong><br />○ふゆの獣（内田伸輝）<br />○家族X（吉田光希）<br />○ハラがコレなんで（石井裕也）<br />○終わってる（今泉力哉）<br />○トーキョードリフター（松江哲明）<br /><br />　映芸ダイアリーズとして本誌のベストテンに参加して四度目になるが、今回ほど他のメンバーと意見が合わなかったことはない。これまでの基本方針は、話題にならなかったけれども見所のある作品、無名ではあっても期待の持てる作家を応援するということだったと思う。だから、いきおい自主制作や若手の作品が優先される。しかし、今はもう自分がそうした姿勢に意味を感じなくなっており、そのせいで他のメンバーとの間に齟齬が生じてしまったのかもしれない。初めてダイアリーズがベストテンに参加したのは2008年のことだったが、今とはずいぶん状況が違っていた。<br />　2000年代の中頃、アップリンクのように貸館的な興行もする劇場を除けば、都内で自主映画を定期的に上映していたのはシネマ・ロサぐらいだったと思う。それが、2007年にユーロスペースで『童貞。をプロデュース』（松江哲明）や『眠り姫』（七里圭）が公開され、ポレポレ東中野で『ラザロ』（井土紀州）が公開された辺りから、一般の劇場でも自主映画を公開する動きが目立つようになった。2008年には本誌夏号でも「いま、自主制作／自主公開とは何か」という特集を組んでおり、この頃から潮目が変わってきたと記憶する。その年は『実録・連合赤軍　あさま山荘への道程』が若松プロダクションの自主配給で公開されて話題となる一方、メジャーはテレビ局主導の作品が支配的な状況であり、インディペンデントの存在感は希薄だった。だから、メジャーでもインディペンデントでもない、画一化する商業映画の対抗軸として、自主映画の機能する余地があったのである。しかも、当時公開されていた自主映画は、既にプロで実績を積んだ監督の作品や、劇場の門戸を押し広げるパワーを持った作品に限られており、その領域には大きな可能性があるように感じられた。前述したようなベストテンの選考方針にダイアリーズの皆が賛同したのも、こうした認識がある程度共有されていたからだろう。私自身も、「映画芸術DIARY」という場においては同様の意識を持って企画と編集に携わっていた。<br />　しかし、その間にも2009年にムービーアイ、2010年にシネカノンと、中堅の制作配給会社が破産する事態となり、中規模映画の空洞化、予算興行規模の二極化が顕著になっていく。他方では、減少する中規模映画の穴を埋めるように、自主映画や数百万円規模の商業作の劇場公開が常態化していった。そして迎えた現在、自主映画は市民権を得るに至ったが、果たしてそれが映画状況の改善に繋がったと言えるのだろうか。<br />　私の考えはノーである。まず、公開本数が増えたことで自主映画も玉石混淆になり、“玉”に出会える機会が減少した。“石”のほうは技術的な裏づけがないだけに、料金を取って見せるクオリティに達していないものが少なくない。さらに、こうした作品の興行では劇場側が保証金を取り、作り手自身が知人友人にチケットを売り捌いていると聞く。これでは、仮に劇場を埋められたとしても、その観客は二度と自主映画と呼ばれる作品群を見たいと思わなくなるだろう。もしかしたら、映画そのものに幻滅してしまうかもしれない。私が怖れるのは、現在の自主映画を取り巻く状況が、そうした負のスパイラルを作り出す予兆をはらんでいるということだ。<br />　ダイアリーズの深田晃司が本誌でその問題点を指摘した「青春H」シリーズも、もとを辿れば自主映画の一般化に便乗した企画だろう。れっきとした商業作であるにもかかわらず、制作体制は自主映画と大差がなく、現場予算は百万円に満たないという。このシリーズが優れた作品を世に送り出したことは否定しないが、こうした制作システムがまかり通れば、作り手は経済的にも追い込まれ、創作を続けていくことは困難になる。自主映画の周辺で起きているこれらの事例は、自らの脚を貪ることで生きながらえる蛸の姿を連想させるものだ。<br />　こうした経過を見るにつけ、私は自分がしてきたことの正当性を疑うようになった。画一化した商業映画の対抗軸として自主映画をクローズアップすること、そうした姿勢が現在の状況を招き寄せた一因であるのなら、自分はこれまでの考え方を改めるべきではないのか。もちろん力のある自主映画は今も作り続けられており、それらに言葉を与えることは媒体の重要な仕事であるに相違ない。けれども、数年前から濫立するWEB媒体には邦画に特化したものも多く、そこでは充分すぎるほどの言葉が自主映画という領域に与えられている。冒頭の話に戻れば、映芸ダイアリーズとして自主制作や若手の映画を応援することに意味を感じなくなったのは、そうした諸々の事情に由来しているのである。そして今、自戒を込めて思うのは、「メジャーかインディペンデントか自主制作か」という見方にはもはや何の意味もないということだ。作り手の大半がフリーで活動している現在においては、誰もが「インディペンデント」の作家なのであり、映画を語る言葉はただ、作品の出自とは無関係に、そこに込められた作り手の意志を捉えることに専念するべきではないかと思う。<br />　そういう意味では昨年、メジャーの配給作品に優れたものが多かったのは皮肉な結果と言えるかもしれない。本誌の座談会でも瀬々敬久、大根仁、深作健太といった監督たちが述べているように、作り手自身が中規模映画の空洞化を自覚し、従来その領域で撮られていたような企画をメジャー配給作の中で実現すべく奮闘している。2011年の日本映画を振り返った時、私はそのような動きにこそエールを送りたいと思った。だから上記のリストでは、メジャー、インディペンデント、自主制作という出自に関わらず、個々の「インディペンデント」作家たちが精魂を込め腕を尽くしたと感じられる作品を選んだつもりである。<br />　これに対してワーストの5本は、今の自主制作や若手の作品に感じる危惧を体現しているものを選んだ。『ふゆの獣』と『家族X』はどちらもリアルな演出に秀でているが、外部や背景の描写を致命的に欠いている。象徴的なのは、前者の若者たちも後者の父親もその職業の実態がほとんど語られないことだろう。そこに「映画青年」監督の弱点が露呈しているように思えた。『ハラがコレなんで』は、新たな価値観を創造しようとする気概に共鳴しつつも、映画が作家の観念に閉じこめられているのが気になった。そこに真の「他者」は存在しない。『恋の罪』（園子温）にも同様の不満を持ったが、こちらには俳優の身体が作家の観念を食い破る瞬間があったと思う。『終わってる』は、この作家が得意とする等身大の、身も蓋もない恋愛模様の秀抜な描写にとどまらず、今の若者を覆う不安のようなものにまで表現が届いており、傑作の予感を抱かせる。しかし、作家の主張よりも観客の驚きを優先させたかのような結末には納得がいかなかった。これこそ、今の商業映画の病理ともいえる「オチがないと終われない」典型ではないだろうか。『トーキョードリフター』は、どうしても前野健太という人にこういう形で歌わせることの必然性が感じられなかった。前野と組んだ前二作（『ライブテープ』『DV』）を見ていれば、ある程度の憶測を働かせることもできるが、未見の観客が監督と前野の関係を知る手がかりはない。これで単独の作品として成立しているのかどうか、疑問に感じざるをえなかった。<br />　今回はベストに挙げた個々の作品について語ることができなかったが、それこそ2008年と比べても力と志のある作品の数は増えていると思う。例年ならベストに入れる水準のものが十本以上はみだした。そういう映画が継続的に作り続けられるためにはどうしたらいいのか。映画の作り手だけでなく、映画を送り出す側、伝える側、享受する側も含めて、知恵を絞っていく必要があるのではないか。そうしなければ、昨年のような豊穣も一過性のものに終わってしまうだろう。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>レポート</category>
      <author>映芸編集部</author>
                </item>
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      <link>http://eigageijutsu.com/article/254528551.html</link>
      <title>映芸ダイアリーズ　2011日本映画ベストテン＆ワーストテン　萩野亮、近藤典行</title>
      <pubDate>Tue, 28 Feb 2012 12:20:39 +0900</pubDate>
            <description>萩野 亮（映画批評）ベスト1　なみのおと（濱口竜介、酒井耕）2　相馬看花―第一部　奪われた土地の記憶―（松林要樹）3　トーキョードリフター（松江哲明）4　無常素描（大宮浩一）5　わたしたちの夏（福間健二）6　その街のこども　劇場版（井上剛）7　愛しきソナ（ヤン・ヨンヒ）8　ギ・あいうえおス―ずばぬけたかえうた―（柴田剛）9　ピュ～ぴる（松永大司）10　悪魔がきた（坂井田俊）ワースト1　311（綿井健陽、森達也、松林要樹、安岡卓治）2　エンディングノート（砂田麻美）3　ショージ..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<strong><span style="font-size:large;">萩野 亮（映画批評）</span></strong><br /><br /><strong>ベスト</strong><br />1　なみのおと（濱口竜介、酒井耕）<br />2　相馬看花―第一部　奪われた土地の記憶―（松林要樹）<br />3　トーキョードリフター（松江哲明）<br />4　無常素描（大宮浩一）<br />5　わたしたちの夏（福間健二）<br />6　その街のこども　劇場版（井上剛）<br />7　愛しきソナ（ヤン・ヨンヒ）<br />8　ギ・あいうえおス―ずばぬけたかえうた―（柴田剛）<br />9　ピュ～ぴる（松永大司）<br />10　悪魔がきた（坂井田俊）<br /><br /><strong>ワースト</strong><br />1　311（綿井健陽、森達也、松林要樹、安岡卓治）<br />2　エンディングノート（砂田麻美）<br />3　ショージとタカオ（井手洋子）<br />4　ダンシング・チャップリン（周防正行）<br /><br />　今度の震災については何も書かないだろう、書けないだろう、という事後の直感はいつしかはずれた。作り手たちが「被災地」に赴き完成させた映画を見ること、その映画に向けてことばを置くことは、巨きすぎる災いに向き合うためのただひとつのレッスンになった。だれもその全体像をとらえることはできず、だから映像は、映画は、具体的な断片となることから始めなければならない。映画作家や写真家の記録した映像、テレビやジャーナリストが伝えた映像、津波を目の当たりにしたひとびとが思わずケータイで撮った映像、そうした無数の映像断片にもちろん優劣などない。ここで順位をつけることに一時とまどいはしたものの、ここにあげた映画はすべて作品として作られているのであり、それを受けとめる批評こそがむしろ機能していなければならないと思い返した。被災の光景を「見せる」のではなく、どのように「見て」いるのかについてを、ぼくはここでのおもな判断のよすがとした。『なみのおと』、『相馬看花』、『311』についてはメールマガジン「neoneo」181号にすでに書いたので、紙幅の関係もあって繰り返しは避けるが、被災の光景を画面に収めず、人びとの「おしゃべり」をひたすら記録する『なみのおと』は、素朴な素材主義をはるかに越えた次元で記録行為を行なっている。その意味では、ネオンを失った東京こそを記録の対象とした『トーキョードリフター』にも共振する問題意識が垣間見える。だがむろんこうした方法論が可能になるためには、テレビやジャーナリストの伝えた直後の映像や、6月に早くも劇場公開を実現させた『無常素描』のような作品を要したということは、書き添えておきたい。<br /><br />　『その街のこども 劇場版』は、いわば「Kobe mon amour」（コウベ・モナムール）なのだと思った。24時間の（情事なき）情事。「きみは広島を知らない」というテーゼをめぐってたがいの記憶へと深く沈潜してゆくデュラス＝レネのフィルムに対し、『その街のこども』はむしろ「きみは神戸を知っている」／「わたしも知っている」という地点から出発し、それでもなお異なる経験の襞をたがいに確かめ合う。その繊細な描き分けに好感をもった。彼らにはエマニュエル・リヴァの「ヌヴェール」は必要なく、神戸はどこまでも神戸であり、ただ「こども」のときに見た風景がときおり烈しく甦るばかりだ。レネ的な「ディスコミュニケーション」ではなく、あくまでシンプルな「コミュニケーション」を夜の道行きにおいてみせた『その街のこども』は、その限りで現代的であり、かつ実際には現代に欠落しているものを画面に認めている。あたり前の、日常の会話のゆたかさを記録するその限りでは、『なみのおと』にも通じてゆくに違いない。ところでこのフィルムが、そしてイーストウッドの『ヒア アフター』が2011年の初頭に公開されていたことを、どうとらえかえしてよいのか、いまだにわからない。<br /><br />　本誌ベストテンでだれもふれていない『愛しきソナ』は、忘れるにはあまりに惜しい屈指のドキュメンタリーだ。北朝鮮にはなれて暮らす姪のソナ（かわいい）の10年余にわたる成長が、在日二世の作家が廻すビデオカメラの映像に記録されている。ホームビデオのように親密な距離で撮られたソナのすがたに、彼女が暮らす国の現況が透かし見えてくる構成が秀抜である。中学生くらいだったか、ずいぶんと大きくなったソナが、石段に座って作家と対話するシーンがある。そこでふいに「カメラを止めて」という彼女のことばのあと、黒画面がつづく。国のことにふれる内容に彼女自身が「自主規制」を加えたこのショットは静かな衝撃を湛えている。心身の成長とともに、彼女の内側にも巣食う国家の存在を、むしろ記録しないことで記録しえた恐るべき瞬間だと思われた。ヤン監督は新作『かぞくのくに』がベルリンでまたも受賞した。日本での公開を楽しみに待ちたい。<br /><br />　『エンディングノート』と『ショージとタカオ』はあえてワーストにあげたが、作品としてはとても魅力のあるドキュメンタリーだ。とりわけ後者の、14年にわたって記録を続けたその胆力には脱帽せざるを得ない。ただ、長年にわたる記録だけに、ショージさん、タカオさんとの距離の取り方が非常にあいまいになっていると感じた。29年ぶりに社会復帰したふたりの日常の「ゆるさ」が作品の大きな魅力になっていることはたしかだが、長年の付き合いによる作家との関係性が、記録を表面的なものにとどまらせていると思われた。ふたりは当時「仮釈放」の身でしかなく、その意味でも、明確な作家の立場（＝距離）の表明が必要だったと感じる。<br />　『エンディングノート』にも「お父さん」の魅力がはじけているが、極端にいえばそれ以上のものではなかった。砂田監督は、かつて河瀬直美監督の『追憶のダンス』（2002）の制作にもかかわっているが、写真批評家・西井一夫の病床をその最期までとらえたその作品もまたもうひとつの『エンディングノート』なのであり、ここでは死にゆく者は、ノートではなくカメラを若い映画作家に託した。悪魔のような咳に苛まれる西井の、痰や水を「吐きだす行為」を執拗に撮りつづけ、「寝かせてあげて」という奥さんのことばをよそに話しかけつづける河瀬のカメラは、ひとの最期に向き合うだけの覚悟を感じさせた。『エンディングノート』にはそうした覚悟は存在せず、また必要とされてもいない。もう一点言い添えるなら、父親に擬して監督自身が付しているナレーションを、最後まで自身が引き取らなかったことに疑問を拭えない。これは誰の映画なのだろうか。とはいいつつ、かなり泣いた。<br />　『ダンシング・チャップリン』は、ドキュメンタリーとしての面白みは皆無だった。前半部分で、映像化をしぶる演出家に対し、「ただ舞台をカメラで撮ったようなものにだけはしたくないんです」と監督が説得しているシーンがあるが、実際そうなっている。<br /><br />　最後に、このなかでははるかに公開規模の小さい『悪魔が来た』について。この映画は語の本来の意味において「ヤバい」。犯罪そのものにもっとも似てしまった犯罪映画だ。坂井田監督の最新作のタイトルは、『僕は人を殺しました』。いま一番期待する自主映画作家のひとりだ。<br /><br /><br /><span style="font-size:large;"><strong>近藤典行（映画作家）</strong></span><br /><br /><strong>ベスト</strong><br />○アントキノイノチ（瀬々敬久）<br />○歓待（深田晃司）<br />○東京公園（青山真治）<br /><br /><strong>ワースト</strong><br />○DOCUMENTRY of AKB48 to be continued 　10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう？（寒竹ゆり）<br /><br />　この文章を書くにあたって、去年のベストワーストの己の記事を読み返して唖然とした。書くのが嫌になった。2011年、この年は日本国において決して忘れられない一年となったわけなのに、去年の自分と今の自分まるで思考回路が変わっていない。またアイドルのことだけ書こうとしていた。　『NINIFUNI』のももいろクローバーや『市民ポリス69』の早見あかりについて。ただ、変わったことも少しはある。前述した去年の記事に初めてライブを観させてもらったことを書き記した私立恵比寿中学（エビ中）というグループに、その記事を書いた3ヵ月後国語教師として赴任することになったのだ。人生は何が起こるか分からないものである。現在は、主にステージ演出と映像まわりを担当させてもらっており、女の子をどうやって、ステージ上で画面上で最も輝かせることができるのか実践している最中であり、そのことしか考えていない。あ、やはり変わっていない。だから、映画と呼ぶべきかどうかということも大前提としてはあるが、シネコンでかかり多くの観客を入れていることで現在の状況で考えたら映画と呼ぶ他ない（そうでないところで判断するのであれば現在映画と呼べるものはどのくらいになってしまうか）、『DOCUMENTRY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう？』は、無数にあるといっていいほどのCD、DVDについてくる特典映像や動画サイトに落っこちているAKB関連の映像群以上のものは何も画面に捉えていない（これに比べたらじゃんけん選抜の武道館の裏側を一人一台のカメラで捉え、後にDVDとして販売された『51人のリアル』の方がよっぽど見応えがあった）、このわざわざスクリーンでかける必要が全くない「映画」に心底残念にならざるをえなかったし、監督本人が聞き手となったという一人ひとりのインタビュー部分も今まで見てきた、メディアに映し出され続けている彼女たちの周知の事実以外、何も発見がなかったことにはホトホトげんなりさせられた。単純に大きな画面に切り取られることで輝きすら失ってしまうアイドルなんて見たくない。<br /><br />　さて、またアイドルのことばかり書き連ねる展開になってきてしまったのでさすがにそろそろ映画のことをこの辺で書いておかないとまずい。<br />　かつて僕は長澤まさみについて、原稿用紙にして20枚の論考として書き連ねたことがあるのだけど（荒井晴彦氏には、「まったくわけが分からない。ファン以外の人には通用しないんじゃないの」と一蹴されてしまったのですが）、そこで言いたかったのはただ一つ、長澤まさみを映画の最強ヒロインとして一刻も早く僕たちは救い出さなくてはならない、ということだった。きっと、華々しくスクリーンに登場した時の彼女はもう一度、映画女優として生き返るはずだ、と。だから正直、2011年は期待していた。『岳』と『モテキ』によって彼女はまた最強に返り咲く。結果はご存知の通り、まるでそうはならなかった。『モテキ』はたしかに最近の長澤まさみの出演作としては彼女を魅力的に捉えている方ではあるが、今までのベストかといえばそうではないし、あの程度なら「Ghana」のCMの方がよっぽど魅力的である。異論など言わせない。<br />　『モテキ』はPerfumeとのミュージカルシーンにしか心躍らせられなかった。<br />　主人公が働き始める設定のナタリーさんとは何度かお仕事で挨拶を交わし、2週間ほど前にはエビ中職員の一人としてインタビューも受けた。真木よう子演じる役はナタリー編集部のライターであるはずなのに、後輩の森山未來演じる主人公に向かって「ももクロもAKBもハロプロも全部一緒なんだよ」みたいな趣旨のことを吐き捨てるように言うのだけど、アイドルを多く取り扱ってらっしゃるナタリーさんのライターがそんなこと言うだろうか。とゆーか、一緒じゃねーし。<br /><br />　2011年は長澤まさみの年にならず、榮倉奈々の年になった。これも異論は認めない。これは紛れもない事実である。ヒロインとして大事に扱ってもらうことによって想定の範疇でしか魅力を引き出してもらえない長澤まさみと違って、榮倉奈々の女優としての扱われ方は、異質だ。麻生久美子、仲里依紗、真木よう子、と並ぶ『モテキ』の長澤まさみと、井川遥、小西真奈美と並ぶ『東京公園』における榮倉奈々のヒロインらしからぬ、そのことで生まれる予想外の魅力はどうしたものか。『アントキノイノチ』の、ヒロインとしてはどうかしてるとしか思えぬ、作業着を身に纏い帽子を目深に被った形で小走りでやってくる様をロングで捉えた登場シーンなどさりげないを通り越してぞんざいに扱われすぎだと余計な心配をしたくもなる。しかし、映画が進むにつれ地味な役柄にも関わらずどんどん輝きだしてくる様にすっかりこちらの想定は打ち砕かれ拍手喝采を送りたくなった。榮倉奈々の予期せぬ女優としての本質を気付かされ、発見した2011年、そう記憶された。前述した通り、アイドルを演出することを常に思考する真っ只中にある自分としては、これは大きな発見であるとともに貴重なヒントであった。アイドルもビジュアルだけの要素ではまるで輝けない。<br /><br />　そして最後に、女優がきれいに撮れている／撮れていないの個人的かつ絶対的映画への判断基準とは別の地平でえらく驚かされた『歓待』は終始、漂い続けるニヒルな笑いが悔しくてしょうがなかったのは素直に告白しておきましょう。<br /><a name="more"></a>

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            <category>レポート</category>
      <author>映芸編集部</author>
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      <link>http://eigageijutsu.com/article/254527590.html</link>
      <title>映芸ダイアリーズ　2011日本映画ベストテン＆ワーストテン　金子遊、若木康輔</title>
      <pubDate>Tue, 28 Feb 2012 12:12:11 +0900</pubDate>
            <description>金子 遊（映像作家・脚本家）ベスト1　緑子／MIDORI-KO（黒坂圭太）2　予告する光 gozoCiné（吉増剛造）3　光の絵巻（石田尚志＆牧野貴）4　監督失格（平野勝之）5　DREAMS 追悼・相原信洋6　歓待（深田晃司）7　ROADSHOW（大木裕之）8　YOYOCHU SEXと代々木忠の世界（石岡正人）9　デストロイヴィシャス（島田角栄）10　ミツバチの羽音と地球の回転（鎌仲ひとみ）ワースト1　プリンセストヨトミ（鈴木雅之）2　さや侍（松本人志）3　DOCUMENTA..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<strong><span style="font-size:large;">金子 遊（映像作家・脚本家）</span></strong><br /><br /><strong>ベスト</strong><br />1　緑子／MIDORI-KO（黒坂圭太）<br />2　予告する光 gozoCiné（吉増剛造）<br />3　光の絵巻（石田尚志＆牧野貴）<br />4　監督失格（平野勝之）<br />5　DREAMS 追悼・相原信洋<br />6　歓待（深田晃司）<br />7　ROADSHOW（大木裕之）<br />8　YOYOCHU SEXと代々木忠の世界（石岡正人）<br />9　デストロイヴィシャス（島田角栄）<br />10　ミツバチの羽音と地球の回転（鎌仲ひとみ）<br /><br /><strong>ワースト</strong><br />1　プリンセストヨトミ（鈴木雅之）<br />2　さや侍（松本人志）<br />3　DOCUMENTARY of AKB48　10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう？（寒竹ゆり）<br />4　デンデラ（天願大介）<br />5　奇跡（是枝裕和）<br />6　あぜ道のダンディ（石井裕也）<br />7　軽蔑（廣木隆一）<br />8　漫才ギャング（品川ヒロシ）<br />9　ダンシング・チャップリン（周防正行）<br /><br />　2011年もよく映画を見た年だった。DVDやブルーレイも合わせれば、300本の大台をこえた。そうはいっても、映画祭でのまとめ見や、短編作品の多い実験映画や個人映画を見ることが多いので、本数を稼いだ理由はその辺りにあると思う。自分のベスト＆ワーストを見ると分かるのは、特に実験映像とドキュメンタリーの方面で収穫が多かったことである。<br /><br />　ベスト1位の黒坂圭太『緑子／MIDORI-KO』は、たった1人の個人が10数年かけて手書きで描いた55分のアニメーション映画である。これは黒坂圭太の集大成ともいえる、食と排泄をめぐる見事な「カーニバル映画」となった。『緑子』には、黒坂圭太のイメージフォーラム時代の恩師であった金井勝の遺伝子が引き継がれているのではないかと思う。その秘密は「5」という数字にある。<br />　金井勝『無人列島』と黒坂の『緑子』は同じ「55分」という、長篇にしては短く、短編にしては長い尺を持っている。こういうところに、意外と作家の生理は出るものだ。あるいは『無人列島』で日出国に殺された団地の妊婦が、佐藤重臣らが扮する「5人」の赤ん坊を産むシーンと、『緑子』の奇妙奇天烈な「5人」の科学者が「マンテーニャの星」という歌をうたいながら、化け物に変身するシーンを見比べてもいい。人間の肉体のなかには血肉や内臓があるが、そこから意外なものが出てくるシュールさが共通項として挙げられる。それはグロテスクであると同時に、どこか人間の力を超えた畏怖心を感じさせるイメージなのである。<br />　ミハイル・バフチンという思想家は、ドストエフスキーの文学にカーニバル性を見い出したことで知られている。彼の言う「カーニバル」とは祭りのことで、普段の社会的な価値が倒錯し、無遠慮に人々がまじわる時空間のこと指している。人間が動物の衣装を着たり、貧乏人が王様の格好をしたり、価値が転倒して格下げが起きるのだ。いわば無礼講であり、聖なるものを俗的に扱うことが、カーニバルの時に限って、風刺やユーモアの力によって許されるのである。筆者にとって『緑子／MIDORI-KO』は久々に現われた「カーニバル映画」の傑作であり、その系譜は金井勝のアンダーグラウンド映画にまで遡行できるものかもしれないと思った。<br /><br />　あとはフラッシュバックで振り返る。『予告する光 gozoCiné』では、筆者は生まれて初めて他人の作品の配給・宣伝に携わるという機会にめぐまれた。レイトショー興行だったが、毎日が大入りで醍醐味を味わった。映画の興行は魔的な魅力を持っている。多くの人がこの魔力のせいで人生の途を踏み外しているので、心してかかりたいと思う。『光の絵巻』は実験映像の世界の若手トップランナー2人が共演した豪華な作品だった。ブラッケージ風のハンドペインティッド・シネマかと思って眺めていると、ギョッとするような展開を見せる傑作である。<br />　アニメーション作家の相原信洋が亡くなってしまったことは、年齢が年齢だけに本当に惜しまれる。イメージフォーラム主催の「DREAMS 追悼・相原信洋」は、この作家の全貌を一望できる素晴らしいプログラムだった。京都造形芸術大学の教え子たちが作ったパンフレットも、心のこもった一冊だった。こちらは現役バリバリだが、ギャラリーのアラタニウラノが手がけた映像作家・大木裕之の全貌を見ることができた『ROADSHOW』も、その企画力を称えたい。<br /><br />　この「映画芸術DIARY」から、『歓待』の深田晃司というキラ星のような才能が輩出されことを心から祝したい。このサイトでも深田監督の過去作『ざくろ屋敷』や『東京人間喜劇』を取り上げているが、まさかこんなに早く数十カ国の映画祭に呼ばれ、劇場でロングランのヒットを飛ばす作品を撮りあげるとは思わなかった。自主制作映画を作り続けることやインディーズ映画を作って借金を背負う生活に倦んだときは、是非とも深田監督の成功を思い出してほしい。<br />　その深田監督と編集部の平澤氏の提案で、本誌の映画芸術DIARY名義では「青春Hシリーズの企画・体制」がワースト票に挙げられてしまった。筆者は青春Hシリーズを「私たちの時代のロマンポルノ」と呼んで、ずっと応援してきたので、頑強に反対したのだが押し切られた。今年を振り返るだけでも、今泉力哉『終わってる』、白石晃士『超・悪人』、いまおかしんじ『若きロッテちゃんの悩み』、サトウトシキ『イチジクコバチ』、吉田浩太『ソーローなんてくだらない』と、傑作をゾロゾロと作っている最強シリーズなのだ。深田監督としては「映画作品は素晴らしいけれども、その制作システムに疑問を投げかけたい」ということらしい。詳しいことは深田監督のコメントを読んでほしい。<br /><br />　ドキュメンタリーでは『監督失格』と『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』という、ともにピンク映画やアダルトビデオの世界を扱った作品が力強かった。『監督失格』は賛否両論があるようだが、筆者は自分の映画の引用も、プロフェッショナルに構成・編集されたつくりも、大した問題ではないと思った。それが本心であれ虚構であれ、林由美香という1人の女性の死に映画の可能性を賭けて、泥沼から復活してきた、このシネアストを心から応援したい。代々木忠の作品はほとんど見たことがなかったので、この人の存在感と演出法に圧倒された。女性を性的なオーガズムに導くことで、その精神的なトラウマの解消を狙うという、非常にヴィルヘルム・ライヒ的な治療を実践している特異な作家だと言わねばなるまい。ドキュメンタリー作品としては、視点なり構成なりに、もうひと工夫があっても良かったかもしれない。<br />　その他にも『ちづる』『平成ジレンマ』『ショージとタカオ』『トーキョードリフター』『天皇ごっこ　見沢知廉』など、ドキュメンタリーは話題作ばかりで豊作の年だったが、やはり脱原発ドキュメンタリーの傑作として、鎌仲ひとみ『ミツバチの羽音と地球の回転』を挙げておきたい。東日本大震災直前の2月に、この「映画芸術DIARY」で鎌仲ひとみ氏にインタビューをして、『ヒバクシャ』『六ヶ所村ラプソディー』『ミツバチ～』の詳細な話をうかがったときは、まさか福島で原発事故が起きるとは考えていなかった。いまだにネット上では、最も詳しいインタビューになっていると思うので、興味のある方には是非読んで頂きたい。<br /><br />鎌仲ひとみインタビュー　<a href="http://eigageijutsu.com/article/186180130.html" target="_blank">http://eigageijutsu.com/article/186180130.html</a><br /><br />※小川プロのプロデューサー、伏屋博雄氏が主宰するメルマガ「ドキュメンタリー専門誌neoneo」をリニューアルして、仲間たちとドキュメンタリー専門の雑誌「NEONEO」とサイト「WEB NEO」を立ち上げます。クラウド・ファンディングと賛助会員の方々から寄付金を募りますので、是非ともご協力のほど、よろしくお願い致します。<br /><br /><br /><strong><span style="font-size:large;">若木康輔（ライター）</span></strong><br /><br /><strong>ベスト</strong><br />1　アントキノイノチ（瀬々敬久）<br />2　一枚のハガキ（新藤兼人）<br />3　ハラがコレなんで（石井裕也）<br />4　東京公園（青山真治）<br />5　源氏物語　千年の謎（鶴橋康夫）<br />6　わたしたちの夏（福間健二）<br />7　海賊戦隊ゴーカイジャー THE MOVIE　空飛ぶ幽霊船（渡辺勝也）<br />8　モテキ（大根仁）<br />9　落語物語（林家しん平）<br />10　大津波のあとに（森元修一）<br /><br /><strong>ワースト</strong><br />1　ステキな金縛り（三谷幸喜）<br />2　あしたのジョー（曽利文彦）<br />3　コクリコ坂から（宮崎吾朗）<br />4　ダンシング・チャップリン（周防正行）<br />5　冬の日（黒崎博）<br />6　心中天使　（一尾直樹）<br />7　天皇ごっこ　見沢知廉・たった一人の革命（大浦信行）<br />8　天使突抜六丁目（山田雅史）<br />9　KG　カラテガール（木村好克）<br />10　家族X（吉田光希）<br /><br />　ダイアリーズで選んだ本誌ワーストで、『ステキな金縛り』をねじ込んだのはワタシです。何かを期待して見に行き、わざわざ選ぶほうがどうかしていると編集長にピシャリと叩かれていて、数分間は凹んだものの、耳たぶが赤くまではならなかった。実際に、あのひとが裁判劇を手掛けるなら今までとは違ってほしい、と予想を裏切られることを期待したのだ。数年前までは、なんで映芸はメジャーのシネコンものをワーストにするんだと僕も思っていた。食に例えればファミレスの全国統一メニューみたいなもの。料理ですらないのに、と。今は少し違う。まさにシネコンで『アントキノイノチ』や『モテキ』を見たことが、けっこう僕にとって大きい。<br />　皮肉な言い方だが、メジャーも再び映画を作るようになってきた。テレビ局が高額の資金をかけて製作参加した、いわゆる“邦画バブル”が遂に一段落したのは11年のトピックと言っていい。といってどこも撤退したわけではない。放送外収入とコンテンツづくりが必要なのに変わりはないので。ただ、やみくもに金を出して派手な大作を現場に作らせ、高い興収を求める短期勝負はやめる。映画に向いた題材かどうか検討し、適正な予算を出す。そういう、まともな形が増えている。つまり、『ザ・マジックアワー』を槍玉にあげるひとはそもそもよく見に行ったもんだよな、と僕自身も内心で冷笑していた頃とは、状況が変わろうとしている。<br />　『ステキな金縛り』も、単に出来が悪いだけなら無理にワーストには選ばない。あの全体を覆う鈍感さ、人間の心に興味を持たない冷たさは、以前なら見たとしてもすぐ忘れればよかった。しかし若年層の映画館離れが確実に数字に出てきている今は、良くなっていくかもしれない流れを阻害し、他の映画の足を引っ張りかねないものとして無視できなかった。パブリシティの一際強力なあれが初めて見る、或いは数年振りに見る日本映画だったというお客に（すごく笑えて泣けるって、大体こんなものなのか。ま、しばらくはいいや）とたかをくくられて困るのは、もはやインディーズや紙媒体も含めた業界全体だ。<br />　それに、どうせあの監督だから、という予断から離れるようつとめることも「監督主義に対する異議申し立て」と通じるはずだと考えたい。最近もそう思って『三丁目の夕日』第3弾をわざわざ寒波の日に見に行き、くじけてしまいそうになりつつ。<br /><br />　以下、ベストに選んだなかから他の方はあまり書いていそうもない点を。<br />　ゲンナリするほど無智素朴・正直偏固の者を主人公に据え、ダンディ、粋といった言葉の意味をことごとく野暮なほうにはき違えてみせる石井裕也に、独特の破壊力を感じている。『ハラがコレなんで』に、大江の「洪水は我が魂に及び」を川島雄三が撮ったらこうなるのか、と一瞬戦慄した。自分でも説明不可能な一瞬の蜃気楼の向こうに、このひとだけのシャングリラが見えた。『川の底からこんにちは』までとは石井は別人で、新しいスタイルではなく、価値観そのものを一からこさえようとしている気がする。そこにベットしてみる。<br />　村野鐵太郎監督作の頃から馴染めなかった脚本家・高山由紀子の世界に、『源氏物語　千年の謎』でやっと入れた。ひとの心を奪う美しい若者は代償に千年後も物語のなかで苦しみ、作者も助けてくれない。うろ覚えで言うが、昔の英国製近未来SF『傷だらけのアイドル』が裏ベースかも。『メカゴジラの逆襲』でデビューしたひとだから可能性はゼロではない。いずれにしろ、アイドル煉獄篇みたいなこのホンをよく読んだ上でゴーサインを出したのならば、藤島ジュリーK.は胆が据わっている。<br />　『わたしたちの夏』は新作で唯一、2度以上見た。見るたび、脇の売れない女優役が気になってくる。オーディションで門前払いされ「あのオバサン大丈夫？」と嘲られる。なにか口に出すと撥ね付けられる。なぜ美しいＷヒロインではなく、引き立て役を慎み深く全うしている彼女のほうに受難の影が濃いのだろう。僕は別のサイトの連載で「ウルトラマン」のイデ隊員に執着しているのだが、彼女もまた僕にとってのイデ隊員なのかもしれない。年末に監督に会ってもその疑問を聞けなかった。どうしても緊張してしまう。今年に入って、「福間さんに気に入られようと友人を出し抜いてたしなめられる」夢を見た。イヤな夢だった。<br /><br />　ここ数年は、子ども向けキャラクターものの公開に少しでも足を運ぶようにしている。映画史的知識のひけらかし方ばかり達者になるのに恥ずかしくなったのと、映画評を書く機会を貰えたのはほぼ同時期なため、〈東映まんがまつり〉から始まった原点に立ち返る訓練を自分に課していた。<br />　しかし、なかなか手応えが無い。中学に上がる頃には自然と卒業したジャンル。当然ではある。いくらなんでもルーツを遡り過ぎかな・・・もうやめようかと考えていたところで「ゴーカイジャー」の夏の劇場版に当たり、グッと拳を握った。内容はほぼ全く無い。その代わり華やかで色彩が綺麗。CGやワイアーに（なるべく）頼らない特撮、アクションが盛りだくさん。ダンスやギャグ（ジャック・スパロウも麦わらルフィもびっくりの著作権ネタ）まである。ほんとに海賊としてお宝を盗もうとするのがいい。芥川「魔術」のようなシンプルな筋が一本あれば、あとは見せ場をつなげる構成で良しとする考え方。シネフィルの価値観一本やりだったりシナリオの勉強で煮詰まったりしていた間は、逆にこうした明朗レビューの美点を見つけられなかった。近年の「仮面ライダー／戦隊」シリーズの人気は、かつて東映の経済基盤を作った「新諸国物語」シリーズの構造とサービス精神を受け継いでいるからだと気付かせてくれて出色。……あれ、ツボだったのは要するに、映画史ファンの部分を快く刺激されたからか。無心で原点に戻るのはムズカシイ。<br />　ふだんよく神経に障ることのひとつは、師匠や弟子という言葉を軽く使う人の多さ。憎悪の付随しない程度の間柄を師弟と呼ぶな軽薄者めと叱りたいが、さすがにこれも極端だから、なにも言えずにいる。やはり本誌最新号で緒方明監督が活き活きと書いている青春の述懐は、スポイルされただけで終わった人間にはうらやまし過ぎて胸が痛くなる。なので『落語物語』の、深く屈折した弟子の挿話（ちょうど上野鈴本で見て名前を憶えたばかりだった隅田川馬石が演じる）にかなり動揺した。僕の経験とはかなり違うが、あの複雑な師弟関係の描写にどんな実感が裏打ちされているかは具合が悪くなるほど分かる。噺家の世界の深淵を心から畏怖する。オレがテンに入れねば誰が、な気負いで選んだものの、あそこまでひりついた葛藤劇を用意している現代日本映画は貴重なのだ。<br /><br />　ふたり芝居で2時間1幕ぶっ通し、ハードコア新劇と呼びたいような青山真治演出の舞台「おやすみ、かあさん」（12月3日／池袋あうるすぽっと）にガツンときて、慌てて『東京公園』をまだどこかでやっていないか調べ、下高井戸シネマに出かけた。魅力ある映画を公開年のうちに見ることができた。逆に、ベストに選びきれなかった『デンデラ』の異様な気配の姿が、天願大介演出の世界終末喜劇「引き際」（10月13日／赤坂REDシアター）でずいぶん近づいた。「『映画は映画、演劇は演劇』って蛸壺化していくのはジャンルとして表現が深まる一方で画一化に繋がる危険もある」「観客をシャッフルさせたい」と語る本サイトの深田晃司・中村真生インタビューにモロに影響され、小劇場に足を運ぶようになったおかげだ。取材・構成の中山洋孝も含めた3人に感謝したい。こまばアゴラ劇場の演目の話ではなくてごめんなさい。でも、5月の「平田オリザ演劇展vol.1」は楽しかったです。<br /><br />　ワーストでこだわっておきたいのは、2本の格闘技映画。<br />　『あしたのジョー』は漫画から派生したユニバース全体のファンとして言うと、ずいぶんよく出来ている。長谷部安春監督版や複数のアニメ版が常に苦労してきた〈力石戦のあと〉の整理が丁寧だし、主要人物の設定を変える脚色の大ナタも勇気がある。「ボクシング監修　梅津正彦」のクレジットも嬉しい（ちょうど最近は南キャンしずちゃんのトレーナーで話題の人物）。アイドルにジョーをやらせるな云々の野次には、聞く耳を持つ気になれない。なのに、どうして地団太を踏みたくなるほどじれったく感じる映画なのだろう。1年かけて考えてみたが、よく分からない。<br />　『KG　カラテガール』は女の子2人の惚れ惚れするノースタント・アクションをずっと、何回も見たい映画。こういうジャンルの活性化を願っている。（また映画史ファン的なことを言ってしまうが）黒澤明の『姿三四郎』以来、日本映画と格闘技は本来はとても相性が良いのだ。だから、もっと外部の目を入れてほしい。空手は素人でもストーリーの作り方は身体に染み込ませている。そんな脚本家を加えないと広がりが出ない。武術関係者向け映像と思わせてしまうのは本意ではないはず。<br />中・短編で良かったものは別枠にしたくなった。順不同。<br /><br />TUESDAY GIRL（今泉力哉）<br />ゲルニカ（片岡翔）<br />吉増剛造映像作品　2006-2011　予告する光　gozo cine／Ｋプログラム<br />金星（早川嗣）<br />Party（片岡翔）<br /><br />　以上の4本＋1プログラムのタイトルを眺めるだけで、ピリッと締まったムードがあり、楽しい。好きな曲のダビング・テープをせっせとこさえていた頃の気分に近い。片岡翔のみずみずしい才気の光は、地球に落っこちてきた屈折する星くずのようだ。<br /><br />　追記。本誌のベスト・ワーストに、グリソムギャング支配人の箕輪克彦さんが参加していて嬉しかった。言っていることは全く違えど、さすがは僕の10倍見ているひと。すっかり行かなくなって申し訳ないです。しかしそれは、他のお客さんと呑みながらの映画ファン談義に必ずどこかでくたびれてしまう（どこの店に行ってもそう）僕自身の面倒な自意識が問題で。映画もお酒も好きなひとは、是非いちど。<br /><br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>レポート</category>
      <author>映芸編集部</author>
                </item>
        <item>
      <link>http://eigageijutsu.com/article/253244950.html</link>
      <title>細谷隆広インタビュー川向こうの映画館で（前篇）</title>
      <pubDate>Mon, 20 Feb 2012 14:49:47 +0900</pubDate>
            <description>　いまや伝説の名画座と言われる、自由ヶ丘推理劇場、大井武蔵野館、中野武蔵野ホールなどで支配人を務め、一部の映画ファンからタコ支配人の愛称で親しまれた細谷隆広氏。彼がそれらの映画館で組んだプログラムはシネマヴェーラ渋谷や銀座シネパトスなど現在の名画座の先駆けとも言えるものであった。その活動は旧作の上映だけに留まらず、自主映画やピンク映画を積極的にバックアップし、イベントを開催するなど広範にわたり、現在の映画界に少なくない影響を与えた。その細谷氏が昨年、長年務めたアルゴ・ピクチャ..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
　いまや伝説の名画座と言われる、自由ヶ丘推理劇場、大井武蔵野館、中野武蔵野ホールなどで支配人を務め、一部の映画ファンからタコ支配人の愛称で親しまれた細谷隆広氏。彼がそれらの映画館で組んだプログラムはシネマヴェーラ渋谷や銀座シネパトスなど現在の名画座の先駆けとも言えるものであった。その活動は旧作の上映だけに留まらず、自主映画やピンク映画を積極的にバックアップし、イベントを開催するなど広範にわたり、現在の映画界に少なくない影響を与えた。その細谷氏が昨年、長年務めたアルゴ・ピクチャーズを退社し独立することになったので、それを機に三十年以上にわたる映画屋人生を振返っていただくことにした。幼少期からの映画体験や支配人時代の思い出、映倫事件や『靖国』騒動のときの裏話など、その濃密な人生を存分に語っていただいた。前篇、後篇に分けてお送りする。<br />（聞き手：磯田勉、稲川方人　取材・構成：春日洋一郎、伊藤宗之）<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/IMGP1825.JPG" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/IMGP1825-thumbnail2.JPG" width="300" height="199" border="0" align="" alt="IMGP1825.JPG" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/IMGP1825-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><span style="font-size:x-small;">細谷隆広氏、元中野武蔵野ホール前で</span><br /><a name="more"></a><br /><strong>稲川</strong>　小さいときからのお話をお聞きしたいんですが、まずお生まれから教えていただけますか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　生まれは1955年の10月5日です。高校のとき、大学に入ったら学生運動をするのかなと思っていたら、もう下火になっていて、どこに行きゃいいんだという世代ですよ。金子修介、山本政志、長崎俊一、黒沢清と同じあのPFF（ぴあフィルムフェスティバル）がまだなかった頃の世代です。<br /><br /><strong>磯田</strong>　もともと映画は好きだったんですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　いや普通ですよ。普通みんな好きじゃないですか。「若大将」行ったり「ゴジラ」行ったりね。小学校は千駄木小学校だったんですが、教室で『東京オリンピック』（65 市川崑）や『裸の大将』（58 堀川弘通）、『私は貝になりたい』（59 橋本忍）とか観てました。<br /><br /><strong>稲川</strong>　オリンピックのときは9歳？<br /><br /><strong>細谷</strong>　オリンピックのときは文京区の千駄木にあった親父が勤めていた会社の社宅に住んでいました。千駄木小学校の頃だと、川向こうと呼ばれる線路の向こうが田端で、東京スタジアムとかがあって。本当に学校の先生から「線路の向こうに行くと危ないから絶対に行っちゃいけないよ」と（笑）。そういう時代でしたからね。その後、小学6年のときに千葉県市川市に引っ越すんですけど。その当時、上野から都電が走っていて、その界隈はいっぱい映画館があって、下町の小学校だったから、団子坂下にある映画館で『人類SOS! （トリフィドの日）』（62 スティーヴ・セクリー）とかイヴ・シャンピ監督の『頭上の脅威』（64）とか東宝の「若大将」シリーズとか、そういうのを親父とときどき観に行っていました。<br /><br /><strong>稲川</strong>　映画館で一番通っていたのは、近くの千駄木劇場ですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　上野東宝にはよく行きました。そういうところで怪獣物や『どぶ鼠作戦』（62 岡本喜八）とかを観てました（笑）。小学校6年ぐらいになると、いままでは日本映画しか観なかったのに怪獣物では飽き足らずに、上野東急で『帰って来たドラキュラ』（68 フレディ・フランシス）、『ブリット』（68 ピーター・イェーツ）の2本立てを観ましたね。その当時の洋画は、TY（東宝洋画）チェーンとSY（松竹洋画）チェーンというロードショーおちの映画を2本立てで観られる系列の劇場があって。わしら日本映画ばっかり、怪獣物ばっかり観てたけど、これからはアメリカの洋画だと（笑）。そういうのを封切で観てる最後の世代ですからね、60年代末の。<br /><br /><strong>稲川</strong>　新宿、渋谷は行かなかったんですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　その頃は全然行かなかったです。中学に入ると本八幡からは意外に銀座が近いからそっちに行ってました。それこそ『シシリアン』（69 アンリ・ヴェルヌイユ）とか『いちご白書』（70 スチュアート・ハグマン）とかその手の映画をね。当時の普通の映画ファンですよ。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/IMGP1859.JPG" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/IMGP1859-thumbnail2.JPG" width="300" height="199" border="0" align="" alt="IMGP1859.JPG" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/IMGP1859-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><strong>稲川</strong>　本八幡にいたのはお父さんの仕事でですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　親父が社宅じゃなく本八幡に家を建てました。なんで家を買えたかっていうと『戦場にかける橋』（57 デイヴィット・リーン）じゃないけど親父が会社からインドに派遣されて、インドの鉄道工事の監督をやっていたんです。その当時1年半くらいインドに単身赴任していると、お金を遣わないし、給料もいいしで、それがなかったら家を建てられませんでしたよ。もしかしたら、インドに弟がいるかもしれないんじゃないかな（笑）。<br /><br /><strong>磯田</strong>　晩年にお父様にお会いしたんですけど、殿山泰司にそっくりでしたね（笑）。<br /><br /><strong>細谷</strong>　似てる似てる（笑）。<br /><br /><strong>磯田</strong>　お父さんは映画が好きだったんですか？<br /><br /><strong>細谷</strong>　はい、小学校6年で『ブリット』なんかひとりじゃ行かないから。<br /><br /><strong>磯田</strong>　ひとりで行くようになったのはいつ頃からですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　本八幡に住んで、中学生のときに銀座界隈にひとりで行きましたね。『女王陛下の007』（69 ピーター・ハント）とか。<br /><br /><strong>稲川</strong>　銀座だとロードショーも多かったでしょう。<br /><br /><strong>細谷</strong>　ロードショーは日比谷映画とかみゆき座とか。でも名画をかける並木座とかまでは行かなかったですね。まだ中学生だし。そうこうしているうちに、世間ではやくざ映画ブームが起きて（笑）。<br /><br /><strong>稲川</strong>　やっぱり観始めた。<br /><br /><strong>細谷</strong>　ここから普通じゃなくなってきます（笑）。中学生がやくざ映画に行くということで。地元が本八幡で八幡文化、八幡スカラ座というのがあって、八幡スカラ座は東宝のTYチェーンの2本立てをやって、八幡文化は松竹系と東映系を交互にやっている映画館だったから、そこで最初に観たやくざ映画が『新網走番外地　嵐を呼ぶ知床岬』（71 降旗康男）かな。千葉だから東京地区と違って東宝とか東映、松竹、大映（ダイニチ映配）がごちゃごちゃになっているから、そのときになぜか東映の『新網走』と『やくざ刑事　俺たちに墓はない』（71 鷹森立一）と勝新のダイニチ作品『顔役』（71 勝新太郎）の3本立てだったんです（笑）。<br /><br /><strong>稲川</strong>　すごく濃い（笑）。<br /><br /><strong>細谷</strong>　そこからアウトローの世界に。その頃は、もう高校生でしたね。『仁義なき戦い』（73 深作欣二）が公開される前で「網走」シリーズも客が入らなくなって翳りが見え始めててね。<br /><br /><strong>稲川</strong>　じゃあ、そのとき逆に辿り始めるわけですね、60年代のヤクザ映画を。<br /><br /><strong>磯田</strong>　それまで洋画を観てた少年には、やくざ映画はどうだったんですか？<br /><br /><strong>細谷</strong>　同世代は洋画ばかりだから、やくざ映画観ても話す相手がいないんだよ。その分、優越感には浸ってました。<br /><br /><strong>稲川</strong>　本八幡の高校のときに映画サークルとかは作らなかったんですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　ないです。高校のときには最初、卓球部に入っていました。高校が習志野高校でスポーツが強くてわたしと同じ学年に掛布（雅之）がいましたよ。だから、スポーツをやらないといけないんだけど、野球やサッカーはできないから、卓球だったらなんとかなるかなって、1年間やりました。でも、ある日部長に部室に呼ばれて「今度県大会あって勝たなきゃいけないんだ。細谷わかるだろ、お前がみんなの足を引っ張ってるんだよ。だからやる気はあるみたいだけど、そろそろ辞めてくれ」「えー!?」って（笑）。それがリストラの第1回目で（笑）。やっと卓球やっている女の子とかと仲良くなれるかなと思ったら、戦力外通告を受けて（笑）。でも、頭下げて「辞めてくれ」って言ってたからね。本当に迷惑かけてたんだなあと、卓球部に（笑）。<br /><br /><strong>磯田</strong>　でもいまも卓球そこそこうまいですよね。映画のなかでも披露してますね。<br /><br /><strong>細谷</strong>　『アナーキー･インじゃぱんすけ』（99 瀬々敬久）ですか。あれは卓球の腕でキャスティングされましたから。それで卓球部を辞めて、映研がなかったから郷土史研究会に入りました。あるときなんでここには映画研究会がないんやと思って、郷土史研究会の部室が体育館の2階あたりにあって、そこに全然使っていない映写室があったから乗っ取って根城にして、家にある映画のポスターを貼りまくって、ひとり映研を作りました。そしたらみんなに「何これ!?」って言われて（笑）。俺は「いいじゃん。みんな映画観ないの？」って（笑）。結局、1週間くらいでひとり映研は挫折して（笑）、そんな感じですね。やくざ映画観ながら、石井隆の劇画とかを読んでましたね。周りには読んでいる人いませんでしたけど。<br /><br /><span style="color:#666666;">──映画仲間とかはいなかったんですか。</span><br /><br /><strong>細谷</strong>　千葉大に行ったやつがひとりいましたね。そいつは東宝映画ファンでね。いまはなき船橋東宝に、そいつとよく行ってましたね。<br /><br /><strong>稲川</strong>　その頃の東宝映画で好きなものってありました？<br /><br /><strong>細谷</strong>　その当時は『赤頭巾ちゃん気をつけて』（70 森谷司郎）よりも同じ庄司薫原作の『白鳥の歌なんか聞えない』（72 渡辺邦彦）のほうが好きで、本田みちこなんかにかぶれてました。あと『卒業旅行』（73 出目昌伸）を観て山添多佳子にファンレターを書きました。返事がきたんですよ！『卒業旅行』はマーク・レスター主演のめったに上映される機会のない映画ですけど。<br /><br /><strong>磯田</strong>　やっぱりマイナーな映画ですね。洋画では何を観てましたか。モロにアメリカン・ニューシネマの時代ですよね。<br /><br /><strong>細谷</strong>　『イージー・ライダー』（69 デニス・ホッパー）、『真夜中のカーボーイ』（69 ジョン・シュレシンジャー）とか『スティング』（73 ジョージ・ロイ・ヒル）を封切りで、そういうのは普通にみんな観てましたから。『アルファヴィル』（65 ジャン＝リュック・ゴダール）を日劇文化で観たり、仏映画も追いかけてました。その当時丸の内東宝、新宿ローヤルとか新宿シネパレスとかにもアメリカのアクション映画を観るために通っていましたね。ホモがいっぱいいたな（笑）。<br /><br /><strong>稲川</strong>　行くのに勇気いりましたよね。<br /><br /><strong>細谷</strong>　席に座らずに立ってるって（笑）。シネパレス系って多かったですね。蒲田パレスとか。アクション映画ってそういう人が多かったですよね。その頃はマカロニ戦争映画とか流行ってましたよね。『戦場のガンマン』（69 フランク・クレイマー）とか『地獄の艦隊』（69 ポール・ウェンドコス）とか『激戦地』（69 ウンベルト・レンツィ）とか。<br /><br /><strong>稲川</strong>　二度と上映されない映画ばかりですね。<br /><br /><strong>細谷</strong>　本当にカスばかり（笑）。そういうのが好きなんだけど。<br /><br /><strong>磯田</strong>　成人映画は観ていたんですか、ロマン・ポルノとか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　観てないよ。観始めたときは主に錦糸町でした。東京楽天地のいちばん奥で右側に東急の2本立てチェーンがあって、左側が日活ロマン・ポルノ3本立てをやる映画館で。<br /><br /><strong>稲川</strong>　それは70年代中盤以降ですね。高校2、3年になったらピンクとか観ちゃうと思うんですけど、洋ピンとかも観なかったですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　洋ピンも観なかったですね。ロマン・ポルノでは文芸坐に話題になった神代（辰巳）さんの作品を追いかけたりしたけど、封切は錦糸町で観たり。総武線沿線だから飯田橋くらら。そういう近場で観てました。小岩あんぐら劇場には行かなかったですね。ピンク映画館じゃないけど、随分前に閉館になった、あの当時は上野駅とか東京駅とか列車の待ち時間に観る映画館があったんだよね。八重洲スター座とか。それと八重洲観光ホールとか。そこで『栄光への5000キロ』（69 蔵原惟繕）を観た。細長い映画館でしたね。駅からすぐだし、上映途中からも気軽に入れた。<br /><br /><strong>磯田</strong>　上映途中から入るんですよね。外回りの人が時間つぶしに観るような。新橋文化や新橋ロマンが最後ぐらいじゃないですか、そういう劇場は。<br /><br /><strong>稲川</strong>　その頃は映画で将来なんとかしようとは考えていなかったんですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　ただの映画ファンでしたよ。映画ノートみたいなものは作っていました。前田陽一監督の『喜劇　昨日の敵は今日も敵』（71）が好きで感想とかをノートに書いていました。みんな1回は作りますよね（笑）。<br /><br /><span style="color:#666666;">──普通に大学に行ったという感じなんですか。</span><br /><br /><strong>細谷</strong>　一浪してたときの春休みに観た映画が『大脱獄』（75 石井輝男）と『ウルフガイ　燃えろ狼男』（75 山口和彦）と『アメリカン･グラフィティ』（73 ジョージ・ルーカス）。あの当時の東宝、東映はたいがいは観ていて、いつもひとりで観ていました。一浪で専修大学に入ったら、その頃大学の映研で映画を作るのが流行っていて、何かの上映会で実家近くの千葉工大の映研と知り合い、やっとわしにも地元の映画仲間ができたんです。その後、大学時代にサイゼリヤができたんです、本八幡に第1号店が。それで、サイゼリヤって朝までやっているから、千葉工大の映研と映画の話してて（笑）。サイゼリヤってメニューも値段もいまと同じなんですよ。カウンターとテーブルが3つぐらいある小さいイタリアンレストランで、蝶ネクタイつけたお兄さんが器用な人で、いろいろな人が注文しても全部1人で相手をしてやっていました。サイゼリアが青春でしたね、大学時代は。まさか、全国チェーンになるとは思ってもみなかったです。映画の話をするときはサイゼリヤが、僕の人生では外せない場所なんです。<br /><br /><strong>稲川</strong>　作る側にはならなかったんですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　専修大学の映研でも作っていて、スタッフとしては手伝っていました。でも、作るのは才能がいるしね。千葉工大でも作る人間はいたんだけど、その当時みんな8ミリでやっていて、完成させるより、作ることのほうが面白くって。専修大学の映研のときはPFFの前身の上映会（ぴあシネマブティック）がイメージフォーラムでやっていて、そのときにわしらの専大映研の映画と石井聰亙とか黒沢清の『しがらみ学園』（80）とかが上映されていて。みんなレベル高かったよね。<br /><br /><strong>磯田</strong>　その人たちの映画を観て負けたって思ったんですか（笑）。<br /><br /><strong>細谷</strong>　わしらはしょせん川向こうだって感じでした（笑）。その当時、みんな8ミリを作ると小椋佳とかユーミンをバンバン使ったり、だいたいわかるじゃないですか、あの当時って、海に向かって「バカヤロー！」ってやったり（笑）。くさい青春映画。観るテレビは「俺たちの旅」でね。<br /><br /><strong>磯田</strong>　じゃあ、その頃は細谷さんも髪を伸ばしていたんですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　うん、ベルボトム履いてたよ。<br /><br /><strong>磯田</strong>　その頃に東宝撮影所でバイトを始めたんですよね。<br /><br /><strong>細谷</strong>　大学の3年かな。<br /><br /><strong>稲川</strong>　そのバイトって何をやってたんですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　東宝撮影所が小田急沿線だから専修大学の学生課に制作助手のバイト募集が貼ってあって、「やった！」と。でも、地元の学生は行こうとしないんだよ。行ったのはわし1人。時給はすごい安かったけど。でも、いい経験になりました。その後、何の役にも立たなかったけどね（笑）。その当時の同期が河崎実と君塚良一なんだよ。制作の学生バイトのやることは、スタジオのときにセットで監督が「よーい」って言ったら、本番を知らせるライトを点ける。本番なのにライトを点けなかったら勝手に人が入ってきちゃうから。ロケのときは同行して弁当を配ったり、スタッフの吸い殻拾い、あとヤカンでお茶汲み（笑）。市川崑でいえば『火の鳥』（78）『女王蜂』（78）で、岡本喜八は『姿三四郎』（77）『ブルークリスマス』（78）、森谷司郎は『聖職の碑』（78）あたりとかです。そのときにわしらの学生アルバイトのボスが、知る人ぞ知るソロモン。<br /><br /><strong>磯田</strong>　元東宝俳優の広瀬正一さん。<br /><br /><strong>細谷</strong>　『キングコング対ゴジラ』（62 本多猪四郎）でキングコングの着ぐるみのなかに入っていた人で、それが落ちぶれて東宝撮影所の掘っ立て小屋に入って雑用をやっていました。その当時はソロモンとか知らなかったから、全然カリスマ扱いしていなくて、「うるせーな、このおやじ」って思ってて。昔のスタッフからは親しくされていたけど、やらされていることは雑用だからね。その腹いせが学生バイトにきて、厳しかった。いま思えば、ソロモンに昔の東宝映画の話を聞いておけばよかった。でも、良い時代でしたよ。<br /><br /><strong>稲川</strong>　それは何年くらいやったんですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　2年くらいで、卒業するまでやっていましたね。<br /><br /><strong>磯田</strong>　“映画村”の活動に参加したのはいつ頃なんですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　大学の頃だね。白井佳夫解任だから76年か。入谷映画村運動というのがあって、その頃だね。上森子鐵という総会屋がキネ旬の社長をやっていた頃に、編集長の白井佳夫さんが左翼的な広告に名前を連らねて解任された事件があったんですよ。映画ファンとしてはそれがおかしいなということでちょっと話題になったんです。当時、銀座映画村から派生した入谷映画村とか青山映画村といって映画好きが集まった団体があって、その人たちが中心になって白井佳夫解任に対して抗議運動をしていたんですよ。何回目かの抗議運動のとき、山根成之監督の『同棲時代』（73）の上映会にはじめて行って、映画村の人たちとそこで知り合いました。その当時抗議運動とか流行りで、他にすることもなかったから、竹中（労）さんの「浪人街通信」とか映画の自主上映会を手伝っていました。映画村の人たちとはいまでも付き合いがありますよ。<br /><br /><strong>磯田</strong>　前田陽一監督や小林信彦さんをゲストに招いた上映会は伝説的ですね。<br /><br /><strong>細谷</strong>　それは小林信彦さんの短編集「袋小路の休日」に入っている「根岸映画村」という小説にそのときのことが書かれています。あの当時は各地にいろいろな映画村があって、ゲストを呼んで上映してということをやっていましたね。<br />映画村の“村民”には池田敏春監督（故）の元夫人、ロマン・ポルノにも出た大崎裕子さんがいたんですよ。その当時は大崎さんはわしらの映画仲間だったんだけど、あるとき、「今度ロマン・ポルノに出るよ」って言って、それが池田さんのデビュー作『スケバンマフィア　肉刑』（80）だったんです。そのときは「わしらの中から女優が出た」って言って大さわぎになった。そしたら池田敏春夫人になっちゃったんですよ。<br /><br /><span style="color:#666666;">──大学を卒業してからはどうしたんですか。</span><br /><br /><strong>細谷</strong>　普通に就職試験を受けて新卒で武蔵野興業に入りました。東宝撮影所でバイトして業界は見てるから、「現場は大変だなあ」と思って。現場は完全にタテ社会じゃないですか。だったら、映画館の仕事なら映画をただで観られるしということで。<br /><br /><strong>稲川</strong>　武蔵野興業に入ってどこに配属されたんですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　入社してからすぐコヤ（劇場）に配属されました。自由が丘の武蔵野推理劇場に。その頃は洋画の2本立てをやっていて、そのときに伝説の番組師・石井保支配人がいたんです。推理劇場に行って初めて会ったときは怖かった、あの人角刈りなんだよ。松方弘樹みたいな感じで（笑）。<br /><br /><strong>稲川</strong>　その頃はまだ市川にいたんですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　その頃は荏原中延に住んでいました。そのときに洋画の特選2本立てでマニアックなものをやっていてね。推理劇場って名前だから最初はミステリー映画とかを中心に。石井さんの補助をしながらいろいろやっていました。その後、日本映画をやり始めたのが、石井さんが本社に戻り、阿部志馬さんという元大映の助監督で女優の梅村蓉子の息子さんが来たときですね。梅村蓉子さんの旦那さんが武蔵野興業の重役で、そのツテを頼って来たんです。石井さんのあとその阿部さんが支配人になって、わしが洋画よりもたまには日本映画をやってませんかと言って、薬師丸ひろ子の特集で『野生の証明』（78 佐藤純彌）と『ねらわれた学園』（81 大林宣彦）を上映したら大当たりしたんです。2本立てでその当時ありえない、一日に千人くらいのお客さんが来ましたね。近くに自由が丘劇場ってヒューマックス系の映画館やオークラ系のピンク映画館があって、推理劇場でメジャーな映画をやれば入るだろうと思ったんです。でもそれだけじゃ面白くないから、その後マニアックなプログラムを組んだんですよ。<br /><br /><span style="color:#666666;">──入社してどれくらいでプログラムを組んだりしたんですか。</span><br /><br /><strong>細谷</strong>　2年目あたりからです。阿部さんが支配人になって、ほぼ全部わしがやっていました。阿部さんは元現場の人間だから、現場の人間が映画館に行くってことは人生を捨てたようなものだから、お飾りみたいな感じで来てたんで。番組のほうは細谷に任せると。<br /><br /><strong>稲川</strong>　フィルムの交渉からやったんですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　フィルムの交渉は「これやりたい」って言ったら、支配人が配給会社に交渉してみたいな。その後、オールナイトも始めました。レアな『水爆と深海の怪物』（55 ロバート・ゴードン）をやったり。<br /><br /><strong>磯田</strong>　その頃、そういうマニアックな特集をやっている映画館は他にもあったんですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　ありましたよ。三軒茶屋映劇と池袋の文芸坐もあるし。<br /><br /><strong>稲川</strong>　その中でも変なものをやっていたのは、やっぱり推理劇場でしたよ。変な匂いがしてたからね。<br /><br /><strong>細谷</strong>　結構、スプラッシュ（※1）的な都内未公開映画をやってましたから。リチャード・レスターの『ローヤル・フラッシュ』（75）とか『マイウェイ・マイラブ』（74 クロード・ワッタム）とかね。でも、スプラッシュが全然入らないんだこれが（笑）。<br />その当時流行ってた『タクシードライバー』（76 マーティン・スコセッシ）と『ミッドナイト・エクスプレス』（78 アラン・パーカー）はコロンビア映画2本立てで、どこの名画座で上映しても入った。名画座でブームに火をつけた映画なんですよ。昔ありましたよね、ロードショーで人が入らないのに、名画座で入るっていう、ヤノット・シュワルツの『ある日どこかで』（80）とかもそうですよね。ロードショーでコケたけど名画座で火がつく。そういう時代でしたね。<br /><br /><strong>磯田</strong>　ビデオソフトのない頃でしたから、観るには映画館に行かないと。<br /><br /><strong>稲川</strong>　推理劇場には何年いたんですか？　<br /><br /><strong>細谷</strong>　推理劇場（自由が丘）には20代の間はいました。そういえば、27歳のときにシナリオ学校に通っていたんですよ。高田馬場にＹＭＣＡ（※2）があって週２回夜のコース。「シナリオを勉強するんや」って（笑）。<br /><br /><span style="color:#666666;">──書いたものはどういう内容ですか。</span><br /><br /><strong>細谷</strong>　恥ずかしいものです（笑）。メチャクチャ恥ずかしいですよ。その当時流行ってた『フォロー・ミー』（73 キャロル・リード）のパクリみたいなものを、大体わかるでしょ、探偵と若い女の（笑）。<br /><br /><strong>磯田</strong>　それで大井に移動になったのはいつですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　30歳くらいかな。大井に行ったときにライバルは並木座と文芸坐だから、そうじゃないものをやろうと。それであんなカルトな映画館になっちゃった（笑）。<br /><br /><strong>稲川</strong>　それは戦略的に意識なさってたということですよね。<br /><br /><strong>細谷</strong>　そうですよ、メジャーな映画をやっても仕方ないし。並木座は小津（安二郎）とか成瀬（巳喜男）だし、こちらはカスバな町だし、武蔵野館に行く間にソープはあるわ、シャブ売ってるような人ばっかりだし（笑）。そうやって生き残っていくしかないなと。<br /><br /><strong>磯田</strong>　名画座が衰退してゆく80年代に、しかも山手線の外に。あれいつできたんですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　81年です。でも、最初から名画座ってところが凄いよね。ふたつの映画館の営業をやっていましたが、1階の大井ロマンは洋画で、2階の武蔵野館が日本映画です。<br /><br /><strong>磯田</strong>　『ジョン・フォードのギデオン』（59）とかやっていましたよね。伝説のIP映画（※3）。新東宝映画って細谷さんがやるまではほとんど上映していなかったんですね。<br /><br /><strong>細谷</strong>　当時、武蔵野興業に元国際放映の人がいて、それで「新東宝の映画なら国際放映と話つけてやるわ」ってことだったんです。自分でプリントを国際放映（※4）に車で取りに行って、カビが生えているようないろいろなプリントを映写室に持って来て、まず上映できるかできないかテストしてみて、そんなところからやっていたんですよ。いまじゃありえないことですが、プリントが倉庫に捨てられていたかのように、放置されていました。あの当時は自分でプリント運びもやって映写もやりましたよ。なんでやるかっていうと自由が丘にいたときは、そのときの映写のおっさんたちっていうのは、上映中は暇だから、つい酒を飲んじゃうんですよ。だから、アル中が多くて、掛けてる間にぐびぐび飲んで、とうとう自由が丘で『エイリアン』（79 リドリー・スコット）のときにお客さんから「映ってないよ」って（笑）。そしたら映写技師の三宅さんていう人が酒瓶と一緒に倒れてて、病院に運ばれて行きました（笑）。そのときから映写もやらなきゃっていうことで。<br />そうそう、大学のときに映写のバイトをしていたんです。東宝でバイトする前ぐらいに習志野映画劇場で。そのときに映写を覚えたんです。その映画館の映写技師はおじいちゃんがひとりで、しかも入院しちゃうからやってくれないかって。高校の同級生がその映画館の支配人の娘で、それなりに可愛い子だったし（笑）。いまから思えばすごいですよね、大学生に映写をやらせちゃうんだから（笑）。しかも35ミリの（笑）。いまは駐車場になっているという習志野映画劇場ですけど。<br /><br /><strong>稲川</strong>　最初に掛けたのは覚えていますか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　「トラック野郎」とか「寅さん」なんだけど、なぜかロマン・ポルノだと『団鬼六　薔薇の肉体』（78 藤井克彦）。そのときはロマン・ポルノをよく掛けていましたね。いまだから言いますけど、随分映写室でヌキましたよ（笑）。<br /><br /><span style="color:#666666;">──大井のときはひとりでプログラムを決めてたんですか。</span><br /><br /><strong>細谷</strong>　そうですね。小野（善太郎）（※5）君が来てからはふたりでやっていたような気がします。<br /><br /><strong>稲川</strong>　そのときの自意識として、わしちょっと面白いことやっているという意識はありましたか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　お客さんが付いてて嬉しいなというのはありましたね。でも、その前に大井ですよ。本当にサウスブロンクスみたいなすさんだところでしたから、嬉しいも何もありません。<br /><br /><strong>磯田</strong>　常に川向こうの（笑）。<br /><br /><strong>細谷</strong>　結局、川向こうの映画館ですからね。嬉しいと言うよりも……。だから、雨の降った日に1日中「人が来ねえな」って受付で待ってるのが、いまでも夢にみますよ。<br /><br /><strong>磯田</strong>　私見では大井武蔵野館が映画好きに注目されるようになったきっかけは86年に開催した新東宝特集だと思うのですが。　<br /><br /><strong>細谷</strong>　そうですね。あのときは「新東宝ゲテモノパラダイス」と銘打って、大当たりしたんです。いまラピュタ阿佐ヶ谷のオーナーの才谷（遼）さんにチラシにわしのイラストを描いてもらったりしたんですよ。<br /><br /><strong>磯田</strong>　イラストに描かれたキャラクターがすでにタコ親父になってましたね。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/E5A4A7E4BA95E381A1E38289E38197.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/E5A4A7E4BA95E381A1E38289E38197-thumbnail2.jpg" width="300" height="209" border="0" align="" alt="大井ちらし.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/E5A4A7E4BA95E381A1E38289E38197-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><span style="font-size:x-small;">当時のチラシ　提供：磯田勉氏</span><br /><br /><strong>稲川</strong>　自由が丘と大井で細谷さんの名前は定まったよね、業界的に。<br /><br /><strong>磯田</strong>　新東宝、石井輝男、江戸川乱歩とかはだいたい大井が火付け役になったんですよね。<br /><br /><strong>細谷</strong>　ゲテモノやカルトものばかりで名前が売れましたが、川島（雄三）やったり、増村（保造）やったりもしました。<br /><br /><strong>磯田</strong>　だいたいいまの名画座、ラピュタ阿佐ヶ谷とかシネマヴェーラ渋谷とか神保町シアターのプログラムの原型ですよね。<br /><br /><strong>細谷</strong>　文芸坐と並木座はまっとうな映画しかやらない。陽の当たらない映画を発掘してお客さんが来るようになったんですよね。『拳銃（コルト）は俺のパスポート』（67 野村孝）の上映で宍戸錠さんを呼んだこともありました。<br /><br /><strong>磯田</strong>　その後、大井から中野武蔵野ホールに移動になるんですね。<br /><br /><strong>稲川</strong>　中野武蔵野ホールは87年の立ち上げからですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　そうそう、立ち上げるんで「細谷来いよ」って、会社のほうに言われた。<br /><br /><strong>稲川</strong>　映画館の設計の段階から関わってたんですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　もともと中野武蔵野館って名画座だったんですよ。その敷地をホテルにして、そのときに余ったスペースを貸しホールにしたんです。そう。最初、中野武蔵野ホールは貸しホールだったんです。そこを芝居小屋にしてたんですけど、結局、設備を考えずに作ったただのホールなんで、舞台もないし、小道具とか大道具を入れるところもないしとすごく設備が足りなくて。それで「映画館にしよう」と言うんで、作り変えたんですよ。あの当時渋谷のユーロスペースがあり、新宿のシネスク（シネマスクエアとうきゅう）があり、そういうかっこいい単館と違ってすごく情けない映画館で。なにせホテルのホールを改造して映画館にして、ロビーがないんだもん。あそこわしが来るまで本当に、雨が降ると吹きさらしになってたんで、屋根を付けたんですよ。その屋根を付けたのが、アングラ劇団「発見の会」の美術の人なんです。そういうアングラな人脈ですよね。<br /><br /><strong>稲川</strong>　最初からそういう作りの劇場だったんですね。<br /><br /><strong>細谷</strong>　最初やったのは覚えてるけど、なぜか『ビリィ・ザ・キッドの新しい夜明け』（86 山川直人）をムーブ・オーバー（※6）でやったんだと思う。そのあと『緑の光線』（86 エリック・ロメール）をやったんだよ。<br /><br /><strong>磯田</strong>　その頃ってミニシアター系の劇場というと。<br /><br /><strong>細谷</strong>　シネヴィヴァン六本木、シネスイッチ銀座やユーロスペースも当然あったし。そんな後発でこんな場末のところでやってもね。その当時の中野はというと、中野名画座や成人映画館の中野光座という古い映画館があるくらいで、場末感が漂ってましたね。吉祥寺みたいに若者文化があるわけじゃないし。<br /><br /><strong>磯田</strong>　中野ブロードウェイもいまみたいにサブカルのメッカというわけではなくて、中野は飲み屋街のイメージでしたもんね。<br /><br /><strong>細谷</strong>　ブロードウェイでチラシ撒きをやって、社長に褒められたよ。「よくチラシを撒いてくれた」って。だって客が来ないんだからチラシを撒くしかないだろうっていう。『緑の光線』なんかやっても客来ねえよ（笑）。それで、最初にロードショーをやったのが『森の向う側』（88 野村恵一）だよね、村上春樹原作の。そのあと『追悼のざわめき』（88 松井良彦）かな。伝説の名画座、上板東映の名物支配人小林（紘）さんとの付き合いでね。中野をやるときに上板東映の小林さんが「何かやるんだったら、手伝うよ」って言ってくれて。『森の向う側』にしても小林さんからで。小林さんは上板東映を潰してからもいろいろなスタッフ、キャストから慕われてたんで、話はすごい来てたんですよね。<br /><br /><strong>磯田</strong>　『追悼のざわめき』がすごく当たったために、インディペンデント映画に力を入れ始めた。<br /><br /><strong>細谷</strong>　インディペンデントの発信地というか、洋画のインディペンデントの映画館はあったけど、日本映画の自主映画を掛ける映画館っていうのはあんまりなかったから。それも大井の発想と同じように、ほかの映画館と差別化するためにやったことで、中野でほかと同じことをやってもお客は来ないんだしということでやったんですよ。<br /><br /><strong>稲川</strong>　一応、武蔵野興業の社員なわけじゃないですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　ちゃんと給料もボーナスも出ましたしね。会社はお客さんが入れば何でもいいよという。ピンク映画で言えば、カラミを映しとけばなんでもいいよと同じですよ。とりあえず、映倫審査だけはちゃんとしろよと。<br /><br /><strong>磯田</strong>　それがあとになって問題になるわけですが。『追悼～』のあとのヒット作というと『鉄男』（89 塚本晋也）ですか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　『鉄男』だね。『鉄男』はいきなりレイトショーで2カ月ロングランやっているんだよ。<br /><br /><span style="color:#666666;">──塚本さんとはどういう繋がりがあったんですか。</span><br /><br /><strong>細谷</strong>　元をただせば『鉄男』ってジャパン・ホーム・ビデオのVシネマなんです。それで、ビデオの発売日が劇場用のポスターに書かれていて「えー」って思いながらも、それをステッカーで隠して宣伝してたんです。それが天皇崩御の頃ですよ。天皇崩御で映画館が1日休んだときに武蔵野ホールで試写をやったんですよ。あれも上板東映の小林さんの紹介だったね。最初、小林さんから「こんな監督がいるんだ」って、「でも、ビデオが出ちゃうんだけど、どうしようか。映画館で掛けたいんだけど」って。その当時、劇場にそういうのが掛かるスペースって武蔵野ホールしかなかったんだよね。<br /><br /><strong>磯田</strong>　そういう風に映画を掛けていくと、評判が伝わって、作品がどんどん持ち込まれて来るようになりましたか。<br /><br /><strong>細谷</strong>　つまらない映画ばっかり来てね。<br /><br /><strong>磯田</strong>　一応、いい話に持っていこうとしてるんじゃないですか（笑）。<br /><br /><strong>細谷</strong>　いい話ないよ。登竜門的な感じで、その当時、他で断られた映画が、ここに来るようなのはありましたね。テアトルさんから断られ、ユーロさんからお断りされてっていうのもいっぱいありましたよ。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/IMGP1827.JPG" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/IMGP1827-thumbnail2.JPG" width="300" height="199" border="0" align="" alt="IMGP1827.JPG" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/IMGP1827-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><span style="color:#666666;">──韓国映画とかもやってましたよね。</span><br /><br /><strong>細谷</strong>　いまはすごいですけど、当時韓国映画を掛けるところはほとんどなかった。最初にやったのは『鯨とり　コレサニヤン』（84 ペ・チャンホ）で、そのあと、イ・チャンホの『暗闇の子供たち』（81）と『馬鹿宣言』（83）とかをやって。日本に持ち込んだのは「発見の会」。それも正規の輸入じゃなくて、『風吹く良き日』（80 イ・チャンホ）なんて荷物と一緒に持ってきたっていうんだよ。それで、「発見の会」の押し入れにずっと寝かせてたって、ありえないよ（笑）。かっこいいこととかすごいことをやったわけじゃなくて、密輸入ですね（笑）。そこから始まった武蔵野ホールの韓国映画の歴史というのがあって、そのあと『金日成のパレード　東欧の見た赤い王朝』（89 アンジェイ・フィディック）に結びつくんです。<br /><br /><span style="color:#666666;">──第3金曜日とかに何かやってましたよね。</span><br /><br /><strong>細谷</strong>　やってました、「レイトレイトショー」。ひどいですよね、ただ単にみんなで酒を飲みに行くだけの会。最初、「サード・フライデー・ナイト」って名を付けてやってました。レイトショーが終ったあとに自主映画をみんなで持ち込んで観るという。「つまんないのは最後まで観るのをよそう」とか言ったんだけれど（笑）。<br /><br /><strong>磯田</strong>　大半がレイトショーにも掛けられないような映画。<br /><br /><strong>細谷</strong>　いいよね、どうしようもない映画ばっかりで（笑）。<br /><br /><strong>磯田</strong>　薔薇族映画もレイトショーでやってましたよね。<br /><br /><strong>細谷</strong>　「女性のための美少年映画の楽しみ」とか言ってね、女の子が来るように。廣木（隆一）さんの『ぼくらの季節』（83）とか。あれは入った。<br /><br /><strong>磯田</strong>　『ドキュメント'89 脱原発元年』（89 小池制人）やウカマウ集団（※7）の特集上映をやったり。ほかにも最近銀座シネパトスでやっているようなひし美ゆり子や桜井浩子の特集や「アングラ主義宣言！」と題した人気特集から、若松孝二と若松プロ、足立正生、金井勝や城之内元晴作品の実験映画の特集までやっていますね。ほんとうにいまの名画座のプログラムってだいたい細谷さんがすでにやっているんですよね。<br /><br /><span style="color:#666666;">──中野武蔵野ホールといえば木村（健二）さんという伝説の映写技師の方がいらっしゃいましたよね。</span><br /><br /><strong>細谷</strong>　いまもまだ浅草中映と浅草名画座でやっているよ。木村さんはいま武蔵野ホールのときよりも生き生きしてるって。あの人、武蔵野ホールにいた頃はまだ童貞だったんですから。まだ40代後半だったかな。当時、わたしが高円寺に住んでいて、高円寺の牛丼太郎の隣りにピンサロみたいなのがあって、木村さんがその前に立っていて、「木村さんどうしたの」って聞いたら、「入りたいんだけど、入れないんだよ」って（笑）。それで、わしが酒を飲んで2時間後ぐらいにそこに行ったら、木村さんがまだいて、「木村さん、まだいるの」って言ったら、木村さん「う～ん、う～ん」って。「お店閉まっちゃいますよ」って（笑）。でも、木村さんも遅刻ばかりしてね。そうだよ『自転車吐息』（89 園子温）のときは遅刻したんだよ。1回目上映できなかったときがあって。なにか自主映画の連中は打ち上げばっかりやっていたんです。木村さんていつも手品とか花火とか持ってて、女の子に「わー、木村さんかわいい」とか言われてテンション高くなってるんだけど、その日は木村さん花火を持ってきてて「じゃあ、駅前の公園で花火をやろう」ということになって、駅前でバンバンやって、中央線を止めたことがあったな。<br /><br /><strong>一同</strong>　（笑）<br /><br /><strong>細谷</strong>　悪い連中が集まってたよな。だから、「レイトレイトショー」なんてあったしね。「レイトレイトショー」ってその悪い連中とちょっと遊びたかったんだよ。<br /><br /><span style="color:#666666;">──ピンク四天王というのはどういう形で出てきたんですか。</span><br /><br /><strong>細谷</strong>　アテネ（・フランセ文化センター）の「新日本作家主義列伝」（※8）は何年だっけ？<br /><br /><span style="color:#666666;">──93年です。</span><br /><br /><strong>細谷</strong>　瀬々（敬久）さんから始まったんだよ。瀬々さんと知り合ったのは、ちょっとワケありで、前の嫁さん繋がりなんだよね。前の嫁さんが京都で自主上映会をやっていて、そこに京都大の瀬々が来ていて、それで嫁さんから紹介されたような気がする。<br /><br /><span style="color:#666666;">──「新日本作家主義列伝」というのはどういう経緯で始められたんですか。</span><br /><br /><strong>細谷</strong>　あれは映像イベントの企画・製作をするスタンス・カンパニーとかから、海外の映画祭でピンク映画がいろいろ取り上げられてるから、じゃあやろうよと。最初の音頭取りは瀬々さんで、瀬々さんとやり取りをしてやったんですよ。その当時まだアテネ・フランセに暴れん坊の安井豊氏がいて、安井君のところに話を持ち込んで、「新日本作家主義列伝」というのは安井豊がたしか付けたと思う。ピンク映画を作家で売ろうという。ピンク映画のタイトルを変えて掛けるというやり方にしたんだけど、それは監督としては抵抗がある、あるんだけれども、パッケージは変えたいという思いがあって、二分化してたんだけれどもね。あのとき、劇場で公開時のタイトルを出さないと「ぴあ」とかで紛らわしいし、お客さんが行ったら「え、これ前観てたじゃん」ということになるから、そういうこともあってふたつタイトルを表示したんですよ。<br /><br /><strong>磯田</strong>　その前から中野でそういう特集としてはやってなかった。<br /><br /><strong>細谷</strong>　やってないね。<br /><br /><strong>磯田</strong>　90年の中野武蔵野ホールの番組をみると「在日朝鮮人映画の突破口」という特集で瀬々さんの『課外授業 暴行』（89）が入っていたり、レイトショーで「エキサイティング佐藤寿保」という特集をやったりしているんですが、それとは違う回路で表に出していこうという試みですね。その頃はまだピンク四天王という言葉はなかったんでしょう。　<br /><br /><strong>細谷</strong>　もちろんなかった。地方の映画館主が国映のお客の入らない映画監督4人を四天王って呼んでたのかな、一部で。<br /><br /><strong>磯田</strong>　その蔑称みたいなのを逆手に取ってあえてピンク四天王という名称を打ち出した。<br /><br /><strong>細谷</strong>　チラシに四天王って載ってたっけ？　瀬々さん、佐野（和宏）さん、トシキさんで最後寿保さんの順番で上映した。すごいですよ、瀬々さんのチラシなんて本人がバイクに跨がっている写真でしたからね（笑）。<br /><br /><strong>磯田</strong>　おもいきり作家で売ろうということですよね。これまた狙いが当たってお客が入りましたね。<br /><br /><strong>細谷</strong>　いま思うと佐野さんがいちばん入ったんだよ。佐野さんの映画は感情移入しやすいじゃない。わかりやすいし。海外でもこの4人がいろいろな映画祭に行くことになったしね。結局、ピンク映画の監督たちが、自分たちが映画を作ってもピンクの劇場でしか観られない、そうすると自分たちの作家性が認められないというジレンマで方向性を探していた時期だったんです。そのときにどこか陽の目を見たいということで、突破口を作ったんですよ。<br /><br /><strong>磯田</strong>　「新作家主義列伝」という名称はピンクに限定しないで、もうちょっと広がりをもたせようと考えていたんですか、細谷さんと安井さんの間では。<br /><br /><strong>細谷</strong>　違うよ。最初から四天王のこの4人の監督でやろうということは決まっていたし。<br /><br /><strong>磯田</strong>　あとで鎮西尚一、常本琢招、大木裕之といった四天王以外の監督たちも取り上げましたね。<br /><br /><strong>細谷</strong>　あれは四天王がヒットしたんで、「新作家主義列伝」をシリーズ化したってことですよね。<br /><br /><strong>磯田</strong>　「新作家主義列伝」はシネマアルゴ新宿に移ってからですか。武蔵野興業を辞めたあとですよね。<br /><br /><strong>細谷</strong>　そうです。そのときはもうシネマアルゴ新宿にいました。その前に中野武蔵野ホールから新宿武蔵野館に行って、そのときに例の映倫事件というのがあったんですよ。<br />（後篇へつづく）<br /><br />［註］<br /><span style="font-size:x-small;">※1　スプラッシュ：東京や大阪などで公開されず地方のみで公開された映画をこう呼んだ。『センチメンタル・アドベンチャー』（82 クリント・イーストウッド）もそのひとつ。</span><br /><br /><span style="font-size:x-small;">※2　YMCA：キリスト教青年会。専門学校などを展開している。</span><br /><br /><span style="font-size:x-small;">※3　IP：インターナショナル・プロモーション。72年に設立された水野晴郎主宰の洋画配給会社。</span><br /><br /><span style="font-size:x-small;">※4　国際放映：新東宝倒産後にその制作部門を受け継いだ会社。旧・新東宝作品の著作権の大半を保有している。</span><br /><br /><span style="font-size:x-small;">※5　小野善太郎：元大井武蔵野館支配人。細谷さんのあと、閉館時まで支配人を続けた。</span><br /><br /><span style="font-size:x-small;">※6　ムーブ・オーバー：ある劇場で公開終了した作品を別の映画館でかけること。</span><br /><br /><span style="font-size:x-small;">※7　ウカマウ集団：ボリビアでホルヘ・サンヒネス監督を中心に60年代半ばから映画の制作、上映活動を行ってきたグループのこと。</span><br /><br /><span style="font-size:x-small;">※8　新日本作家主義列伝：アテネ・フランセ文化センターで93年に行われたピンク四天王の作品の連続上映会。これがピンク映画が一般の劇場にかかるきっかけになった。その後も継続して四天王以外の作家も特集している。</span><br />

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            <category>インタビュー</category>
      <author>映芸編集部</author>
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      <link>http://eigageijutsu.com/article/252384278.html</link>
      <title>『生きてるものはいないのか』石井岳龍（監督）インタビュー</title>
      <pubDate>Wed, 15 Feb 2012 13:07:17 +0900</pubDate>
            <description>　『五条霊戦記　GOJOE』（00）以来、じつに12年ぶりとなる石井岳龍（聰亙改め）監督の長編が公開される。現在、監督が教鞭を取る神戸芸術工科大学を本拠とし、スタッフ・キャストに学生をまじえ撮り上げた本作。原作は、劇団「五反田団」を主宰する劇作家・演出家であり、近年は「夏の水の半魚人」で三島由紀夫賞を受賞するなど、小説家としても存在感を増す前田司郎の同名戯曲である。　「この作品は『かつてない』『誰も見たことのない映画』であることは間違いないが、『これだよ！　これこそ映画だよ！..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
　『五条霊戦記　GOJOE』（00）以来、じつに12年ぶりとなる石井岳龍（聰亙改め）監督の長編が公開される。現在、監督が教鞭を取る神戸芸術工科大学を本拠とし、スタッフ・キャストに学生をまじえ撮り上げた本作。原作は、劇団「五反田団」を主宰する劇作家・演出家であり、近年は「夏の水の半魚人」で三島由紀夫賞を受賞するなど、小説家としても存在感を増す前田司郎の同名戯曲である。<br />　「この作品は『かつてない』『誰も見たことのない映画』であることは間違いないが、『これだよ！　これこそ映画だよ！』と思えてしまう」。かつて石井監督の助監督をつとめた緒方明監督が<a href="http://eigageijutsu.com/article/248650600.html">本誌438号</a>に記しているとおり、本作は原作の忠実な映像化に見えて、映画にしか実現できない世界をスクリーンの中に屹立させている。映像と音楽、観念と身体、生と死──これらの相克が物語の理解を超えて迫りくる感覚。これほど稀有な「映画」体験を享受できる機会をみすみす逃す手はないだろう。<br />（取材・構成：平澤竹識　構成協力：中山洋孝）<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/IMGP2477-d.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/IMGP2477-d-thumbnail2.jpg" width="350" height="210" border="0" align="" alt="IMGP2477-d.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/IMGP2477-d-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><a name="more"></a><span style="color:#666666;">──石井さんの久しぶりの長編が戯曲の忠実な映画化ということにまず驚きました。プレス資料のインタビューでは「初めてですね、セリフを読んでこれは一字一句変えなくてもいいんじゃないかと思ったのは」と仰ってますけれども、これは裏を返せば、自分が映画にすれば原作の舞台とは全然違うものになるという確信があったということでもあるんじゃないでしょうか。</span><br /><br /><strong>石井</strong>　見抜かれましたけど、そうですね（笑）。脚本家の橋本忍さんとかいろんな方が、原作を叩き潰して血のエキスを飲むんだ、そこから映画を再構築するんだ、ということを仰ってますけれども、今回はまずテーマに共感してますから、そういうことは必要ないと思ってました。<br /><br /><span style="color:#666666;">──石井さんが最初に見た映画のビジョンはどういうものだったんですか。</span><br /><br /><strong>石井</strong>　これまで自分の一番苦手なことが、生き生きとした会話を書くということだったんです。もともと好きな映画も、ヴィジュアルインパクトと言いますか、映像と音に分解してテーマを語るようなもの、形式的には映画が音を持った瞬間の映画ですよね、フリッツ・ラングの『Ｍ』（31）とかカール・ドライヤーの『吸血鬼』（31）とか。「これこそが映画だ」と思っていたぐらいなので、あまり会話というものに重きを置いてなかったんです。<br />　だけどこの30年間、大学で教えるようになったこともあって、自分なりに映画を見直したんですよね、人に伝えるために。そうすると、山中貞雄さんであるとか川島雄三さんであるとかジャン・ルノアールであるとか、そういう方々の映画は会話にテンポがあって、会話劇を逆に豊かな「映画」にしていく。そういうことが不得意だと思ってきたけど、この原作の戯曲を読んだときに、テーマとかやりたいことに共感できるのに、私には全然できないような会話劇としてやってることにすごく刺激を受けたんです。<br />　それに低予算映画にとっては、戯曲という表現形式はものすごく力になるんですね。舞台設定が限られてるから、それほどお金がかからない。でも、生身の人間のお芝居というのは俳優さんとの共闘によって作られる。これは低予算で映画を撮らざるをえない僕らにとっては見過ごせない武器なんです。だから、戯曲を映画にするということは、今の私には避けて通れない選択でした。<br /><br /><span style="color:#666666;">──そういう戦略的な部分もあって、この戯曲の映画化を思い立たれたと。</span><br /><br /><strong>石井</strong>　それはもちろんあります。今、私が大学にいて、俳優さんに近い年齢の人たちと接してますから、その辺のこともリアリティを持って描けるだろうと思ってました。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/ikiteru_sub2.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/ikiteru_sub2-thumbnail2.jpg" width="300" height="200" border="0" align="" alt="ikiteru_sub2.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/ikiteru_sub2-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><span style="color:#666666;">──「リアリティ」という言葉が出ましたけれども、前田司郎さんの原作戯曲はリアルなようで決してリアルではないと思います。今回の映画も、映像の切り取り方、音の付け方、もろもろ含めて見たときに、リアルなようで決してリアルではないですよね。</span><br /><br /><strong>石井</strong>　でも、映画ってそういうものですよね。<br /><br /><span style="color:#666666;">──ただ、石井さんのこれまでの作品はもっとフィクショナルなほうに振り切れてるものが多かったと思うんです。今回の映画はかなり現実に密着した形で、映画独自のリアリティを構築しているように感じました。その辺はかなり気を使われたんじゃないですか。</span><br /><br /><strong>石井</strong>　大学でいろいろ見てると、現代の大学というのは神殿のようにも感じたし、この戯曲はリアルなようでいて普遍的なテーマをそこに湛えてると思ったんです。だから、神話のような普遍性をわざとらしくない形で表すために、ある種の空間の刻み方とか映像的な仕掛けが欲しいと思ってました。<br />　そのときに、どうしても自分が60年代とか70年代に見て好きだった映画の影響が出てしまうんですね。あるいは、特に好きなわけじゃないんだけど、「ああ、こういうふうに影響を受けてるんだ」というようなことがありました。「何が映画か」という部分で染み付いてきたものがあるから、そこはもう自然に出てるなと。なんとかしてこの題材を「映画」にしなきゃいけないというときに、自分の中のありとあらゆる映画的な記憶とか映画的な技術というのが滲み出してると思います。だから、もちろん意図的にやった部分もあるけれども、自然にそうなってる部分もありますね。<br /><br /><span style="color:#666666;">──緻密に構築している一方で、状況に委ねてる部分もあったと？</span><br /><br /><strong>石井</strong>　それはいつもせめぎ合いだと思います。実は今回コンテも結構切ってるんですが、たとえ完璧な脚本とコンテがあっても、実際の空間の中で俳優さんに動いてもらったときに、低予算の映画では完璧に世界を作ることはできないんですね。黒澤明監督みたいに「今日は光がダメだから解散！」とか、そういうことはできない（笑）。そういう前提条件を映画の面白さに転化させていくためには、計算されたこととライブ的な一回性の葛藤があるほど面白いと思うんです。周到に用意されたことと、それを超えていく瞬間──役者さんの生身の肉体だったり、そのときの感情の表現だったり──がスパークする瞬間を私も見たい。こっちの計算通りに終わったらつまらないし、「それをどうやって超えてくれるの？」ということですよね。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/ikiteru_sub1.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/ikiteru_sub1-thumbnail2.jpg" width="300" height="200" border="0" align="" alt="ikiteru_sub1.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/ikiteru_sub1-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><span style="color:#666666;">──そういう意味では、今回のキャストはキャリアのある方ばかりではないと思うんですが、みなさん非常に生き生きとしてますよね。どうやって演出されたんですか。</span><br /><br /><strong>石井</strong>　それぞれに解釈を委ねてる部分もあるし、面白くなるように調整してる部分もありますけど、できる人たちを選んでるというのがまずありますね。そうしないと、これだけたくさんの登場人物がいたら見分けがつかなくなる。それぞれの人物の個性と会話のテンポをどう上手く出せるかが重要だと思ってました。<br />　でも、やっぱりテキストがいいんですよ。まず会話がリアルに聞こえるし、無意味なことを言ってるようでも、人物のキャラクターを出しつつ、陰に隠れた人間関係とか、それぞれの人生観をあぶりだしている。そこにトータルな世界観も描きこまれてるから、そのベースさえ外さなければ、役者さんに「もっと行け」とか「早く」「遅く」とか、思い切ったことができるんです。その結果、ベースの部分をも超えた何か、「あれ、こうなったの？」みたいなことがあれば、映画は力を持つと思うんですね。<br /><br /><span style="color:#666666;">──それは、編集の過程でということですか。</span><br /><br /><strong>石井</strong>　撮影の本番も編集も仕上げでもそうですね。「こう撮ればこうなる」という計算はもうかなりしてるんで、それだけではつまらない。最終的には「こうしないとダメだ」というところまで自分を追い込んで、編集である種の面白さを見出していく。あるいは音を付けたときに面白さを見出していく。その結果、「ああ、こうなったのか」というところまで行けるかどうかですよね。<br /><br /><span style="color:#666666;">──先ほど、テーマに共感したと仰っていましたけれども、今日一番伺ってみたかったところがそこなんです。前田さんは戯曲のあとがきで、「生まれながらに死に続ける人間が何で、私は死につづけていると実感せず、俺は生きていると実感するのか、もしくは実感しようと思うのか、そんな事を考えていました」と書かれています。おそらく石井さんは戯曲がはらんでいるそういう世界観に惹かれたんじゃないかと思うんですが、いかがですか。</span><br /><br /><strong>石井</strong>　人が生きるというのは、たしかに死ぬ瞬間の積み重ねだと思います。映画が面白いのは、それを捉えられるからですよね。永遠の一瞬と言いますか、本物のように見えるけど実は幻影にすぎない瞬間、死んでいく瞬間を捉えられるスリルがある。それが最大の特徴だってジャン・コクトーが言ってたのかな。それはもう、本当にそうだと思います。<br />　同時に、死は不条理だと思うんですよ。自分が選ばないのに死ななきゃいけない。ものすごく残酷な事実だと思うんですけど、それはどんな人間にも平等に訪れる。その不条理を受け入れることからしか始まらないんじゃないかな、という思いが常々あるんです。それを真面目に語っちゃうと、宗教的になったり哲学的になったりするけれども、それは映画がやることではないと思っていて。今回はそういう自分にとって一番不可解でスリリングなテーマを、前田君がある種の脱力系ギャグの形で提示してきたことに刺激を受けたんです。照れもあると思うんですけど、すごく大事な本音が詰まっていて、その両方を映画ならではの表現に再構成することにものすごく惹かれました。<br />　今言ってるようなことは例えば、同じように世界の終末を描いた『メランコリア』（11）には全く感じなかったんですね。どうして終末や絶望を描くのか分からない。絶望を描くとしても、『仁義の墓場』（75）のような映画を見ると、私は元気になるんです。ひとりで絶望してるときに『仁義の墓場』を見たら、「参ったあ」と思ったんですね（笑）。あまりにも暗くて重いんだけど、見終わった後になぜか爽快な気分になった。逆に救われたと言いますか、それが映画の力だと私は思ってるんです。だから、この映画で描いたのも、死を嘲笑うことではないし、圧倒的な、平等な事実の照り返しから何を見るかということですね。それをこういう表現でやりたいと思った。そういえば、ルイス・ブニュエルとか川島雄三さんとか、彼らはそういうふうに生や死を描いていたなと思える。それが今回チャレンジしたい、絶対にやりたいと思ったことかもしれません。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/ikiteru_sub4.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/ikiteru_sub4-thumbnail2.jpg" width="300" height="200" border="0" align="" alt="ikiteru_sub4.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/ikiteru_sub4-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><span style="color:#666666;">──つまり「世界は行き着くところまで来てしまった」というような、終末論的な問題は決してテーマではないということですよね。演劇では当然、風景を見せられないわけですが、この映画では荒廃した街の風景を最後に見せています。外界の景色を見せることの効果についてはどのように考えていたんでしょうか。</span><br /><br /><strong>石井</strong>　外界の描写は脚本にもあって、それはもっと前に入る予定でした。「外界ではこういうことが起こってますよ」というのを入れないと、狭苦しくなるんじゃないかなと思ったんです。最初は、大学の中でもエキストラ的な人物を一切描かなくていいんじゃないかなと思ったんですよ。でも、やっぱり外界との繋がりはあったほうがいいだろうと。普通に映画化するんだったら、原作の戯曲にあるような駅前の描写とか、そういうものも入れると思うんですけど、それは要らないと。最低限、これが現実と地続きであるということを感じてもらえる程度のリアリティと、自分が狙ってる神話性みたいなもの、それが出せればいいと思ってました。<br />　今回はああいう映画のルックでしか撮れなかったし、それが僕らのできることの最善だと思ったので、ノーライトに近い形でも撮れる、非常に明るいレンズで人物だけに焦点を合わせていきました。全てのルックを含めて「こういう撮り方でいく」という中で、最終的に彼が見るビジョンとして、ああいう映像があったほうがいいのかなと思ったんです。自分としては、あそこから始まるところもあるような気がしたんですね。それまでの出来事を踏まえたうえで、これを映画表現として要約したら、こうなるんではないかということをやってるのかもしれません。<br /><br /><span style="color:#666666;">──ルックの話で言うと、中盤までの人物同士のやり取りはカッティングが非常に細かくて、不安定なリズムで語られていきます。後半は通常の切り返しが増えて、リズムも安定してくると思うんですが、ああいう映像の構成はどういうところから発想されていったものなんですか。</span><br /><br /><strong>石井</strong>　全てはクライマックスから一応計算してるんですけど、空間というのが大事だと思っていたのは確かですね。その人物たちがいる空間をどう表現していくのか。彼らなりの時間の流れ方とか空間の捉え方を示していかないといけないんじゃないかなとは思ってました。<br /><br /><span style="color:#666666;">──カメラと人物の距離感が、人物同士の距離感に呼応してるようにも感じました。そのときに交わされている会話が相手の言葉を受けてるようで受けてない、その状態を映像が反射してるように見えたんです。</span><br /><br /><strong>石井</strong>　そうですね。人物同士の距離感とか関係性も含めて、その人たちがいる空間を映画は表現できると思ってました。あれは舞台では絶対できないことですから。ケイスケ（染谷将太）とミキ（田中こなつ）の関係を通してこの映画を見るとするならば、そういうことがとても重要だと思います。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/ikiteru_sub3.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/ikiteru_sub3-thumbnail2.jpg" width="300" height="200" border="0" align="" alt="ikiteru_sub3.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/ikiteru_sub3-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><span style="color:#666666;">──忠実な映画化とはいえ、原作の戯曲から変えられてるところが少しありますよね。映画でも戯曲でも、人物たちの死の原因は明らかにされないわけですが、繰り返し語られる都市伝説、「アメリカ軍が人体実験を行なっていた」という噂の舞台になっている大学病院の地下三階を、戯曲では描いていません。ミステリーの核心部分を曖昧にしたまま最後まで押し切る作りだと思うんですけど、映画ではその地下三階を画として見せています。その判断はどういうところからだったんですか。</span><br /><br /><strong>石井</strong>　そこは映画ならではの、観客のイマジネーションをかき立てる部分かなと思ってます。ミキと一緒に地下三階へ降りて、ひとりでトンネルに入っていくマキ（青木英李）という女性がいますけど、彼女は米軍がそこでウィルスを作っているという噂を否定するんですよね、「それは私の学生時代、都市研の子がばら撒いたデマだよ」と。その彼女自身が地下室に入って何かを見ようとする、そういうビジョンが必要なんじゃないかなと思ったんです。そこに解答はないんですけど、映画ならではのフィクションの多重性というか、いろんな解釈ができる謎もスパイスとして内包させることで映画体験の醍醐味を強調しようとしたのかもしれません。<br /><br /><span style="color:#666666;">──破れ目のような？</span><br /><br /><strong>石井</strong>　そうですね。私はイメージ的な曖昧な表現が実は好きじゃないんです。はっきりとした解釈があったほうがいい。今回も自分の解釈はありましたけど、それをこう見ろとは押しつけたくないんです。<br /><br /><span style="color:#666666;">──この映画を二回拝見したんですが、一度見たときの記憶だとミキのほうが地下三階のトンネルに入っていったと思い込んでたんです。でも見直したら、それがマキだったことに気づいて意外に感じました。</span><br /><br /><strong>石井</strong>　ミキは地下三階でマキに置いていかれて、その後、別人のようになって出てくるんですが、あそこで何かあったんだと私は解釈したんですね。じゃあ、何があったのかということを、映画ならではの表現でできないかなと思ってました。<br />　私はルイス・ブニュエルが好きだったり、デヴィッド・リンチの『ブルーベルベット』（86）や『ワイルド・アット・ハート』（90）が好きだったり。『ロスト・ハイウェイ』（97）まで行くと、「それはあなたの勝手な妄想だろ」って思うんですけど（笑）、ある種のサスペンスの中に映画ならではの表現が入ってくることはむしろ好きですから、地下三階のくだりはその匙加減を考えながら入れてます。<br /><br /><span style="color:#666666;">──ミキは他者を殺す存在でもありますよね。しかも、殺される二人は共に大切な存在を失っている。そこに大きな意味があるような気がしました。</span><br /><br /><strong>石井</strong>　そこに関しては私自身すごく戸惑いがあったし、前田君とも一番話したところですね。俳優さんの解釈もまた違ってると思うんですよ。前田君も「そこに解答を求めちゃダメなんじゃないか」と言ってましたし、この映画で解決できる問題ではないと思ってます。<br />　最近のイーストウッドの映画はほとんど好きなんですけど、『ミリオンダラー・ベイビー』（04）でイーストウッドがボクサーの女性を安楽死させることに関して、いまだに自分の中で解答を見出せてないんですね。その問題提起は分かるんですけど、それを肯定していいのか、まだ結論が出ていない。それを描くのは、自分にとってはかなり苦しいことでした。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/ikiteru_main.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/ikiteru_main-thumbnail2.jpg" width="300" height="200" border="0" align="" alt="ikiteru_main.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/ikiteru_main-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><span style="color:#666666;">──最初に「低予算映画の戦略的な一面もあった」と仰ってましたけども、大学を本拠地として映画を撮られた、その可能性や手ごたえについて伺えますか。キャストでもふたり、学生の方が重要な役で出演されてますが。</span><br /><br /><strong>石井</strong>　世代は違いますけど、例えば学生さんが表現したいときに何が大事なのかを問い詰めていくと、昔とほとんど変わっていないという感じを受けました。場所がなかったんだなとか、やればできるという感じだった。だから今回、私がこういう場を作って、そこでできることを示すことによって、リンクしていくことがあるかもしれない。映画はとてもお金がかかるし、それを回収しなければいけないけれども、ある一つのことをこうやってやることは、自分にとっても彼らにとっても刺激になったと思います。真似をしろとは思わないけど、「俺たちもやっていいんだ」とか「俺だったらこうしよう」というふうになればいいんじゃないかな。『爆裂都市』（82）の現場に付いてた緒方（明）君とか阪本（順治）君とか松岡（錠司）君とか笠松（則通）君もそうですけど、その後の彼らの立派な仕事を見てると、「石井さんみたいにしちゃダメなんだ」ってことを見事に反面教師にしていったんだなと思いますし（笑）。<br /><br /><span style="color:#666666;">──そんなにムチャをされてたんですか（笑）。</span><br /><br /><strong>石井</strong>　メチャクチャだったと思いますね。それが当時の自分の役割だと思ってましたし、パンクロックと一緒で、表現にとって大事なのは初期衝動でありパッションだと思ってましたから。自分のできることをやるというのはそのときから変わってないんですけど、今は三十何年も経って少しは成長したとは思いたいし（笑）、今自分に与えられている場所で最大限の効果をあげて次に繋げたい。今回はかなり無謀な冒険だったと思いますけど、こういう風にインタビューを受けたりとか、お客さんが見てくれそうな状況になったんで、やってよかったなと思いますね。<br /><br /><span style="color:#666666;">──映画の学校を撮影所のようにして映画を作るという流れが生まれてきてると思うんですが、これだけクオリティの高いものができるなら、そういう在り方も現実味を帯びてくるのかなと思いました。</span><br /><br /><strong>石井</strong>　それはシステムの問題じゃなくて、個々の監督の問題であり、作り手の問題だと思いますよ。昔みたいに、こういうシステムだからとか、こういうルールだからってことは、今はないんじゃないかな。とにかく自分たちで作り出していかないといけない。そういうことを、うちの現場に付いた学生さんたちが身をもって知って、次に繋げていってほしいと思いますね。私も自分がやるべきことは分かってるし、それをやんなきゃいけないと思ってます。そういう意味では、作る映画は全く違いますし、作り方も全く違いますけど、新藤兼人さんとか若松（孝二）さんの、今映画を作る覚悟とか姿勢はすごいなと思いますよね。<br /><br /><script type="text/javascript">extVideoConfig = {"width":"320","url":"http://www.youtube.com/watch?feature=youtube_gdata&v=wxswsniu9OI","height":"240"};</script><script type="text/javascript" src="http://blog.seesaa.jp/contents/js/external_video.js"></script><br /><br /><strong>『生きてるものはいないのか』</strong><br />監督・脚色・編集：石井岳龍　原作・脚本：前田司郎<br />プロデューサー：大崎裕伸　撮影：松本ヨシユキ　撮影補：御木茂則　<br />録音：三澤武徳　美術監修：磯見俊裕　助監督：藤江儀全　俳優担当：西川文朗<br />編集：武田峻彦　VFX＆プロダクションスーパーバイザー：岩谷和行<br />音楽：石井榛　Main Theme Guitar Played：田渕ひさ子<br />Music Arranged＆音響監督：勝本道哲<br />出演：染谷将太　高梨臨　白石廿日　飯田あさと　高橋真唯　田島ゆみか<br />池永亜美　札内幸太　長谷部恵介　師岡広明　羽染達也　青木英李　田中こなつ<br />渋川清彦　津田翔志朗　芹澤興人　杉浦千鶴子　村上淳<br />113分／カラー／ビスタサイズ／HD／5.1chステレオ <br />配給：ファントム・フィルム　(C) DRAGON MOUNTAIN LLC.　<br /><br /><strong>＊2月18日より渋谷・ユーロスペース、吉祥寺バウスシアターほかにて全国順次公開</strong><br /><br />公式サイト　<a href="http://ikiteru.jp/" target="_blank">http://ikiteru.jp/</a><br /><br />

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            <category>インタビュー</category>
      <author>映芸編集部</author>
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      <link>http://eigageijutsu.com/article/250758057.html</link>
      <title>映芸シネマテークvol.11レポート『ギ・あいうえおス-ずばぬけたかえうた-』</title>
      <pubDate>Mon, 06 Feb 2012 16:22:51 +0900</pubDate>
            <description>　ダニエル・シュミット『KAZUO OHNO』（95）、園子温『うつしみ』（99）など、国内外で高い評価を呼ぶ作品を輩出してきた、愛知芸術文化センター・オリジナル映像作品。映芸シネマテークvol.11では平成21年度作品、『ギ・あいうえおス-ずばぬけたかえうた-』を上映した。監督は『おそいひと』（04）『堀川中立売』（10）で話題を呼んだ柴田剛。「映画制作クルーが映画を制作してゆく過程を、音楽を演奏するバンドと同等のものとして描く」というコンセプトのもと、映画製作をおこなう柴..</description>
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　ダニエル・シュミット『KAZUO OHNO』（95）、園子温『うつしみ』（99）など、国内外で高い評価を呼ぶ作品を輩出してきた、愛知芸術文化センター・オリジナル映像作品。映芸シネマテークvol.11では平成21年度作品、『ギ・あいうえおス-ずばぬけたかえうた-』を上映した。監督は『おそいひと』（04）『堀川中立売』（10）で話題を呼んだ柴田剛。「映画制作クルーが映画を制作してゆく過程を、音楽を演奏するバンドと同等のものとして描く」というコンセプトのもと、映画製作をおこなう柴田剛率いるバンド「ギ・あいうえおス」がロケ車「くじら号」に乗って旅をし、行く先々で風景を前に佇み、音を録り、ときに人々と言葉を交し、その様子をカメラは追い続ける。ほとんど姿を見せないカメラマンも気になるが、特に印象に残るのは彼らがマイクを手に音を録る姿である。ほとんど加工されてないままの音が、時に画と微妙にズレながら聞こえてくる不思議さが、見ているうちにクセになってくる。<br />　本作を上映後、ゲストに柴田剛監督とバンド「HOSE」のメンバーである宇波拓さんをお招きした。『一万年、後....。』（07　沖島勲）や『スリップ』（09　鎮西尚一）、『結び目』（10　小沼雄一）など映画音楽も手がけている宇波拓さんは、本作の音についてどのように語られているのか。この映画のコンセプトにはじまり、音が醸し出す奇妙さ、互いの音楽遍歴や映画体験まで語っていただいた。<br />（構成：中山洋孝）<br /><br /><table><tr><td><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/E69FB4E794B0E5899B2.JPG" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/E69FB4E794B0E5899B2-thumbnail2.JPG" width="196" height="200" border="0" align="" alt="柴田剛2.JPG" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/E69FB4E794B0E5899B2-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/E5AE87E6B3A2E68B933.JPG" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/E5AE87E6B3A2E68B933-thumbnail2.JPG" width="198" height="200" border="0" align="" alt="宇波拓3.JPG" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/E5AE87E6B3A2E68B933-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a></td></tr></table><span style="font-size:x-small;">左より柴田剛・宇波拓（敬称略）</span><br /><a name="more"></a><br /><strong>宇波</strong>　監督と僕は今日の上映前に初めてお会いしたんですね。『堀川中立売』はポレポレ東中野で拝見してましたし、柴田監督のことは気にしてたんですけど、結構人見知りなんで、ちょっといま、緊張してますね。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　そうですね。僕も酒飲まないと、全然。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　その話は聞いてたんですよ。一応僕もリサーチしようと、いろんな人に「柴田さんってどんな人ですか」って聞いたら「いやあ、クセモノですよ」って。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　クセモノ（笑）。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　「飲まないとシャイですよ」とか、いろいろ聞いてたんですけど。今日はよろしくお願いします。<br />　ずっと前にDVDいただいてたんですけど怖くて見れなくて。今日の午後にようやく見て、ここでもう一度見て、非常に面白かったですけど、見終わったいま、掌にメモしてるんですね……、「西遊記」って。<br /><br /><strong>柴田</strong>　本当だ（笑）。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　まず、この映画はすごくバンドっぽいんですよね。バンド映画ってあるじゃないですか、バンドを追うみたいな。でもこれは映画自体がバンドで、具体的に言うとロックバンド、ノイズバンドですよね。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　そうですね、ノイズバンド。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　映画自体がノイズバンドになってるのは、ちょっとやられたなって感じはありますね。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　宇波さんはHOSEってバンドで『一万年、後....。』の音楽というか、音効やられましたよね。阿藤快さんに効果音をつけたりとか。メンバーは何人いらっしゃるんですか。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　HOSEは『一万年、後....。』あんま関係ないですよ。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　あ、宇波さん中心でしたか。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　でもHOSEもメンバー5人なんですよ。この映画も基本映ってるのは5人ですよね。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　そうですね。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　5人ってなんか良いんですよね。なんですかね？  <br /><br /><strong>柴田</strong>　なんだろうなあ。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　バンドで5人組ってなんか良いんですよ。特にバンド映画だと、バンド間の人間関係とかのバランスみたいなのって大事じゃないですか。最近もバンド青春モノって『NANA』（05　大谷健太郎）とか『少年メリケンサック』（09　宮藤官九郎）とかいっぱいありますけど、ああいうのがすごい僕、苦手で。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　苦手（笑）。メンバーも4人ですもんね。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　撮ってる人がバンドやったことない感じがする。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　わかるわかる。それホントに、声を大にして言わないといけない。「けいおん！」とか演奏よりも仲間内の話ですよね。なんか違和感感じて。でも僕も実は前に青春バンドコメディみたいなのを監督したことがあるんですけど、メンバー4人だったんですけどね。僕自身、昔バンドやってきて良い思い出とかないし、そんな良い青春も送ってないし……。それよりも演奏というか、鳴った瞬間とか、練習が面白かったですね。<br /> <br /><strong>宇波</strong>　あとバンド映画に出てくる客ってムカつきません？  <br /><br /><strong>柴田</strong>　（笑）  <br /><br /><strong>宇波</strong>　「イエー！」みたいな。ライブハウスにこんな客、いないよ。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　いねーよ（笑）。バンドやってなくてもわかると思いますけどね、バンド映画で描かれてる、それぞれのバンド像とか人間像ってなんか違う。  <br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/gui_aiueos_01.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/gui_aiueos_01-thumbnail2.jpg" width="300" height="168" border="0" align="" alt="gui_aiueos_01.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/gui_aiueos_01-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><strong>宇波</strong>　これは壷を除いてほとんど楽器が出てこないのに、ノイズバンドのドキュメントを見たような印象が残りましたよ。監督が車の上でマイク持ってるじゃないですか。うわ、これはギターソロだなって。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　そうです！　さすが。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　監督はバンド経験者なんですか？  <br /><br /><strong>柴田</strong>　ずっと高校のときはノイズを。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　あ、ノイズバンドを。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　大好きで。もう憧れで。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　思い出した。まず敵を知ることから始めようと思ってウィキペディアで監督の名前を拝見したら「ボアダムスに憧れて大阪に移住」って書いてあったんですけど。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　もうベタベタですよ。神奈川にいた頃はずっと東京のレコード屋さん通ってて、渋谷にあったパリペキンと、あと白楽にあるゴクラク。そこでインディーズのバンドのソノシート、カセットテープばかり買ってました。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　僕ら同い年くらいですか？  <br /><br /><strong>柴田</strong>　僕75年。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　僕76年なんですよ。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　じゃあタメですね。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　僕も高校の頃「大阪のノイズはすごい」って聞いてて。僕はちょっと遅れてるっていうか。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　僕もサードアルバムの「POP TATARI」ぐらいからですよ。そういう音楽聞き始めたくらいだから「なんだこれ、音楽なのか？」って。そこから気になってレコード屋さんに「これはシミー・ディスクって言うんだ」とか教えてもらいながらいろいろ聞き始めましたね、ノイバウテンとかホワイトハウスとか。ちょうど先日DOMMUNEでもやってましたよね。ある時、車のＣＭで流れてた曲が気になって、後でわかったんですけどキング・クリムゾンの「ムーンチャイルド」。でも僕はあんまり音楽のことをよく知らなかったから、レコード屋のレジ行って、アカペラで歌って探したんですよ、恥ずかしながらも（笑）。そしたらノイバウテンコーナーに連れてかれて。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　（笑）  <br /><br /><strong>柴田</strong>　これはなんかご縁があると思って、カセットテーパー始めたんですよ（笑）。カセットテープに音いっぱい詰めて、ギターはデスメタルの上手いやつに頼んで、ドラムはドラム缶を叩いて、多重録音して。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　かっこいいじゃないですか。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　でもディスクユニオンに持ってったら、断られて。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　断られたんですか！　  <br /><br /><strong>柴田</strong>　ライブ経験のない人は原則的にテープ置けないんだそうです。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　わかってないですね。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　100本くらい気合入れてダビングしたんで、仕方ないから渋谷をさまよってたら、パリペキンを見つけたんですよ。そこでテープ置いてもらって。<br /><br /><strong>宇波</strong>　ああ、そういうことだったんですか。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　ずっとそうです。その頃は東京のバンドだとサーファーズ・オブ・ロマンチカが一番「うおー！　いいなー！」って思ってて。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　シンバルスタンドが人間っていう（笑）。良いバンドでしたよね。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　東にはサーファーズ・オブ・ロマンチカがいる。西にはボアダムスがいる。僕は今後どっちに行きたいか。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　東か西か。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　もう東は一通り、とりあえず十代でわかった気になったんで、じゃあ西行こうって。そしたら非常階段とか、すごいでしょ。ノイズ自体がどうとかいう観念、概念ではあんま刺さってこなくて、ノイズバンドの、その「バンド」っていうのに、ものすごい憧れを持ってるんですね。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　僕もそれはすごいよくわかって。関西だと非常階段もそうなんですけど、ボアダムスとか、やっぱバンド力が高いんですよ。演奏力っていうのとも違うんですけど、バンドのアンサンブルの作り方のスキルがめちゃめちゃ高いですね。実際一人一人会ってみると、ものすごい楽器上手かったりとか。僕はボアも好きだったんですけど、花電車がすごい好きで。あのメンバーとはちょっと交流もあるんですけど、なんかもう楽器上手すぎて、なんなんだっていう感じですよ。だから結構底力があるっていうか。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　そうなんだ。ボアダムスはもう、下手の集りだと思ってて。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　そういう扱いでしたよね。<br /><br /><strong>柴田</strong>　こっちの想像だと、瞑想しながら、楽器奏でられる瞬間を待ちながらとか、スタジオ入って全員一まず寝ころがって録音しとくとか……。  <br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/gui_aiueos_04.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/gui_aiueos_04-thumbnail2.jpg" width="300" height="168" border="0" align="" alt="gui_aiueos_04.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/gui_aiueos_04-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><strong>宇波</strong>　でもこの映画もそういうバンド力を感じるんですよ。なんなんですかね？<br /> <br /><strong>柴田</strong>　え！？　うーん（笑）。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　やっぱりメンバーで言うとディジュリドゥ吹いてた……。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　いつもは僕の映画で美術をやっている（西村）立志っていう、髪の毛もじゃもじゃの髭の男。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　彼がいることでバンドのアンサンブルが高まってる感じがするんですけど。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　僕はバンドとかカセットテーパーとかやめてから、もうずっと映画を続けてるんですけど、映画のスタッフもバンド活動みたいな感覚で捉えてたんですよ。で、僕も今日久しぶりに見て思ったんですけど、「ギ・あいうえおス」は音を録音する旅に出た、映画を撮ってるバンドっていうことだけど、被写体がいないんですよね……、自分で言うのも何ですけど。<br /> <br /><strong>宇波</strong>　面白いですよね。この人たち、何のためにやってるんだろうっていう。<br /><br /><strong>柴田</strong>　ない対象物を追っかけてるバンドじゃないですか。対象物が全くないから、監督の僕は常に路頭にまよっていて、スタッフをいつも翻弄している。そのときにメンバーであるカメラマンは誰を押さえてるか。そこで一番被写体足りうる救いの手が、髪の毛もじゃもじゃの髭。つまり彼が一番音楽的なんだなーって、見てて気づいたんです。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　バンド映画ってのと同時に、最後はフェアリーテールなんですかね？　バンドが幽霊じゃないですけど、記述者が実はいなかったみたいな。なにを追い求めるとかもなかったけど、主体自体もいなかったみたいな、そういう構造になっているんですか？  <br /><br /><strong>柴田</strong>　そうです。まず僕自身、主体性がないというより、どこか「心ここにあらず」みたいな状態が実際続いてて。なんかこう、向かうものがさっぱりないんですよね。それでなにをするかっていうと、いっそ透明になってしまったほうがいいっていう。ただ透明になるだけも癪だから、すごい大好きなノイズ聞いていたいなって。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　大好きなノイズを聞いている透明人間ってすごいですね（笑）。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　すごいでしょ。どういうもんだろうって。透明になったらむしろノイズ、音をちゃんと聞けるんじゃないかって思えたんですよ。でも、勇気いることでしたよね。この映画を作る段階に至って、常日頃の映画撮影メンバーにどうやって伝えて口説こうか、挑戦でした。特にカメラマンは嫌がって。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　ちゃんと映画作ってる人からしたら、やっちゃいけないことですよね。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　怒られるシリーズですよ、やること全部。ただ、どうでしたか？　音は良かったですか？  <br /><br /><strong>宇波</strong>　僕も映画の整音とかやったりするんですけど、外でマイクで録った最初の音ってこうですよね。映画にしちゃう時は綺麗に聞きやすくするんだけど、それがそのまま聞けるのがいい。現場のプリミティブな、素材の生々しさを突きつけられるみたいな。音は加工してないですよね。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　全然加工してないです。編集って特に苦手なんでいつも編集マンつけるんですけど、このノイズバンドのドラム、リズム担当なんです。だから必要最低限の、映画的なっていうか、映画効果的なほんのちょっと加工したんですけど、それ以外はどんどんどんどん、映画の原始的なところに行こうと思って。トーキーとサイレントってくらいの段階にまでいって、カラーだと情報量が多過ぎるんで、なるべく白黒にして、撮ってきた風景の音のまま爆音で、フル音量でかけようと。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　撮った映像に音をつけることで、映画に奥行きが出るって言うじゃないですか。足音つけるなり、風景の音つけるなり。それこそやってて「別にこのままでいいじゃん」って思うこと結構あって。（映像と音が）合ってるのが普通だとは思ってるけど、別にそうじゃなくてもいいじゃないのって。 <br /><br /><strong>柴田</strong>　宇波さん、言いますね（笑）。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　いや、否定してるわけじゃなくて（笑）。『動くな、死ね、甦れ！』（８９　ヴィターリー・カネフスキー）って群衆のシーンとか違う音が入ってたり、監督が笑っちゃってる声とかそのまま入ってて、なんだかいいんですよね。うまく言えないけど面白い。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　受け手にとっては、もう既に画がでっかく映ってる時点で、どっか音は鳴ってるし。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　それに音をつけても、画を増幅させてるだけで、そういうわかりやすさって別に、もちろんあっていいんですけど、なくてもいいかなって。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　勇気いるところですよね。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　でも映画って無音にしないことになってるじゃないですか。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　なんですかね、これは。僕、写真と動画にさほど違いはないって思い続けてるんですよ。写真のこと、セルフポートレートだとか、大好きな人たちっているじゃないですか、いっぱい。そこで彼ら、彼女らが写真についての思いを、特にダイレクトに響いた「自分」ってものを投影してよく喋ってるけど、その会話の中にね、動画、映画をぜひとも仲間に入れて欲しいなっていつも思っているんだけど、伝わらないんですよ。「映画はね、ちょっと」とか言われたり。これがやっぱ悔しいですね。さっき宇波さんがおっしゃった通り、全編音なくてもいいシーンとかある映画だってあるんだし、この映画もそうだし、もっともっと、映画って本来はさ……って思うんですよね。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/gui_aiueos_08.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/gui_aiueos_08-thumbnail2.jpg" width="300" height="168" border="0" align="" alt="gui_aiueos_08.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/gui_aiueos_08-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /> <br /><strong>宇波</strong>　この映画は実験的なことなんだけど、あまり実験映画って感じじゃない。映画の方法を実験してやろうって作品じゃなくて、その方法自体が映画のテーマにシンクロしてる感じが素晴らしいと思いますね。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　一番最初に映画やりたいって思った頃、目の前にあるものだけで、手探りでやるじゃないですか。画と音を別々に録っちゃったけどどう合わせようとか。いまはもう機材も安く恵まれてるし、スタッフ達も何年選手でずっといるんだから、そこでもう一番初歩の、初期衝動、「これ好きだからやりたかった」みたいな、そこに戻って作りたかったんですね。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　『堀川中立売』も全然違う方向ですけど「映画って楽しい！」みたいな感じがすごいしましたけどね。<br /> <br /><strong>柴田</strong>　そういうモチベーションでないとできない、でもそうでなくてもやんなきゃいけないって毎回思うんですよ。あるじゃないですか、内発的なものって常に。ちょっと脱線するけど、大竹伸朗さんがスゲーかっこいいこと言ってて。モチベーション、テンションが低い時、筆が乗らない時にどうしたらいいんですかって質問されて、大竹さんは「ふざけんじゃねえ」って。サラリーマンとかみんな好きでもない仕事を満員電車乗りながらやってるんだから、そんなただ紙にペンで画を描いたりすることなのに、テンションが乗らないとかふざけたこと言うな、テンションがないなりに描けるものはあるんだから描け、恵まれてるぞって。俺、本当それに感銘を受けたんですよ。俺の場合、映画を愛してるからいろんな嫌な制約があっても映画作りができてるうちが花だからやるってタイプじゃないんです。でもテンションが低い時、テンションが低いままやるぞって。<br />　そうやって作品残すと、今日映芸で御呼ばれして、宇波さんとトークショーになる。「まさに！」って思うんですよ。僕が映画、映画ってやってくと、結局音に行き着くんですよね。僕が映画好きになった理由は、音ですもん。ガキの頃テレビでやってた『デルタ・フォース』（86　メナハム・ゴーラン）をVHSもなくて繰り返し見ることできないから、その代わり妹と一緒にラジカセを近づけて、テーマ曲録音するんですよ。そうしたら繰り返し聞けるでしょ。それで『デルタ・フォース』をもう一回見た気になって追体験する。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　HOSEのトランペットの江崎さんも、子どもの頃ガンダムが好きで、同じようにラジカセで毎回録音して何度も聞いて台詞のタイミングとか完璧に覚えたって。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　すごい立体的な映画体験ですよ。受身の3D映画とはケタが違う。圧倒的にそのほうが情報量が高い。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　僕ね、3Dとかサラウンドって間違ってると思うんですよ。『エクソシスト』（73　ウィリアム・フリードキン）のリマスター版みたいなのを随分前に見に行ったら、サラウンドが丁度出始めた頃だったんですね。映画って前にある画面を見てるじゃないですか。でも電話の音とかは後ろから鳴って。あれはすごい余計だと思ったんですけど。どうなんですか。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　いろんな音の位相ですよね。自分が作るとなったら、鳴り方とかいろいろチャレンジしたいんですけど。でもお客さんとして見るときはどうなんだろうな。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　映画見てるときは画面のなかでいろんな立体感があるんであって、後ろから鳴るのは反則かなって思うんですけど（笑）。でもやっぱり変な言い方ですけど、いいですよね、映画の音って。池に石を投げて落ちてから、ちょっと音が遅れて入ってきますよね。単純な付け方ですけど、ダブミックスっていうか、不思議な効果がありますよ。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　「映画的でしょ」と僕は思ってて……フィルムだと音と映像がズレたりして、そこで時間の流れみたいなものが出ますよね。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　時間が遅れてくるみたいな感じしますよね。『堀川～』の音楽も結構ダブっぽかったですけど、そういう感じがお好きなんですか？  <br /><br /><strong>柴田</strong>　ここ最近はよく言われます。僕がダブを好きかどうかってよりも「ダブだなあ」って見た人から言われる。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　最近ようやくジャマイカの音楽をいろいろ聞いてるんですけど、わりと詳しい友達にグレゴール・アイザックっていうシンガーの、キング・ダビーがミックスやったCDを貸してもらって。ボーカリストのソロアルバムなんです。でも聞いたら、インストなんですよ。チャカツク、チャカツク、たまにあー、あー、あーってディレイかかってるだけ。なにがあったかって、ダブだから、録音した後にボーカルのトラックが全部ミュートされちゃった（笑）。ボーカリスト名義のアルバムなんですよ。でも伴奏だけが延々入ってて。誤解かもしれませんが。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　いいですね！　透明になってる感じ。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　ディレイだけが聞えてくる。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　その人の気配はする。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　気配だけは（笑）。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　素敵ですね。その人の名義で、その人が聞いた音像がアルバムになってる。でもそういうことですよ、シンガーであってもいいじゃないかと思う。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/gui_aiueos_02.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/gui_aiueos_02-thumbnail2.jpg" width="300" height="168" border="0" align="" alt="gui_aiueos_02.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/gui_aiueos_02-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /> <br /><strong>宇波</strong>　ところでこのバンド活動は今後どうなってくんですか？　消えちゃいましたけど。<br /> <br /><strong>柴田</strong>　そうなんです、僕らは透明になったんで、より風景の音そのものになったんですね。で、最後僕らのバンドの車のくじら号が、2月をもって「お疲れさまでした！」と廃車になるんですね。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　解散ギグをやったほうがいいんじゃ（笑）。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　そうですね、ちゃんと追悼しないといけないんだよなあ……っていうのが『ギ・あいうえおス』のパート２。曲名は考えてないんですけど。  <br /><br /><span style="color:#666666;">――「ずばぬけたかえうた」は曲名なんですよね。</span>  <br /><br /><strong>宇波</strong>　曲名だったんだ。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　僕らバンドが「ギ・あいうえおス」で、曲名が「ずばぬけたかえうた」。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　PVなんだ（笑）。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　PVというか、アルバムなんですけど。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　でも長さが丁度CDって感じですよね。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　そうなんです。だから音楽です。<br />　それで今後どうしようかな。「ずばぬけたかえうた」やって、わからなくなってしまったんで。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　でもメンバーが風景になってしまったから、何もしなくていいかもしれないですね。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　まーねー。でも構想はぼんやりとあるんですけどね。究極は、風景だけを撮ってくのを出来ないかって考えてるんです。風景だけでどこまで音楽になれるか。これは結構、退屈さとの勝負ですよ。退屈になられると嫌じゃないですか。音楽的に、音楽だっていうふうに、やっぱりこう楽しんでもらいたい。それはものすごい課題で、いま立ち止まってます。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　風景しか出てこないバンド映画ってすごいですね。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　そうでしょ！　そうでしょう、そうなんですよ。だからいろんなことを考えちゃ捨て、考えちゃ捨てて。単純に鏡に一瞬だけ僕らが映るとか。もうせっかく透明になってんだから。それか白い粉ぶっかけられて輪郭だけ出てきたとかそういうバカっぽい映画のネタ使ったってアレだし。全部思っちゃ捨て、思っちゃ捨てを繰り返して。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　対バンってどうですかね？  <br /><br /><strong>柴田</strong>　なるほど！　そういう手があったのか！  <br /><br /><strong>宇波</strong>　そういうライブハウスのシステムみたいなの、外側だけ使うといいんじゃないですか？  <br /><br /><strong>柴田</strong>　それこそ宇波さんのバンドのHOSEがいて、僕ら透明だから、演奏を邪魔している。アンプが抜けちゃったりとか。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　透明ですからね。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　透明ですから……、それって対バンなのか？　ライバルなのか……。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　GISMのメンバーが殴り込むみたいな。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　そういう感じ、いいですね。そういう存在の仕方、ありだな。最近もうずっとこのまま引き摺って透明のままなんで、なんかこう世界に対する対抗意識もなければ、ライバル心もなければ、何もない。こう、張り合いが……。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　『インビジブル』（00　ポール・バーホーベン）？  <br /><br /><strong>柴田</strong>　そう！　かと言ってエロいことしたいわけでもないし……。もうなんかね、まずいですよね。<br /><br /><strong>宇波</strong>　透明になって池に石を投げてるってのもいいかもしれませんね。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　いいですね。井の頭公園でも行くかな……、煙草吸ってんのが最高に好きですもん。<br /><br /><strong>宇波</strong>　僕ね、大の嫌煙家なんですよ。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　あら。そうですか。もう始まってますね、対バン。  <br /><br /><strong>宇波</strong>　そういえば僕のバンドでつくったロードムービーがあるんですよ。  <br /><br /><strong>柴田</strong>　そうなんですか、見たいですね。今度対バンしていいですか？  <br /><br /><strong>宇波</strong>　でも常に対バンなんでしょう、風景だから……。<br /><br /><br /><strong>【映芸シネマテークvol.12】</strong><br /><script type="text/javascript">extVideoConfig = {"width":"320","url":"http://www.youtube.com/watch?feature=youtube_gdata&v=BXthP_f8tVQ","height":"240"};</script><script type="text/javascript" src="http://blog.seesaa.jp/contents/js/external_video.js"></script><br />詳細：<a href="http://eigageijutsu.com/article/250179019.html" target="_blank">http://eigageijutsu.com/article/250179019.html</a><br />上映作品：『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』（10　監督：大工原正樹　脚本：井川耕一郎）<br />『西みがき』（06　監督：井川耕一郎）<br />『玄関の女』（11　監督：井川耕一郎）<br />3月9日（金）　開場：18時30分　開映：19時<br />20時50分～：トーク　大工原正樹・井川耕一郎<br />会場：<a href="http://www.mikazukiza.com/map/" target="_blank">人形町三日月座B1F／Base KOM</a><br />入場料金：1500円<br />※予約は電話、メールにて承ります。問い合わせ先まで、お名前、連絡先（電話番号／メールアドレス）、枚数をお知らせください。予約にて定員（３０名）となった場合、当日券はございません。<br /><br />主催：映画芸術、coffee & pictures人形町三日月座<br />予約・問い合わせ：映画芸術編集部　電話：03-6909-2160<br />メール：eigei×y7.dion.ne.jp　（×印に@を入れて送信してください） <br />

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            <category>レポート</category>
      <author>映芸編集部</author>
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      <title>映芸シネマテークvol.12のお知らせ</title>
      <pubDate>Fri, 03 Feb 2012 13:35:29 +0900</pubDate>
            <description>３月９日（金）姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う西みがき玄関の女　大工原正樹監督の映画ではとても普通じゃない愛や憎しみばかり描かれているのに、見ていて不思議と納得してしまう。昨年公開され話題を呼んだ『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』も、あてもなく町をさまようだけのロードムービーかと思ったら、過去の因縁にとらわれた男女の激しい感情が燃え立つまでを見るドラマでもあったような、今まで一緒に見たことない二つのジャンルの混在する映画だった。　この奇妙さは大工原正樹監督の作家性なのか？　..</description>
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<strong>３月９日（金）<br />姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う<br />西みがき<br />玄関の女</strong><br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/E3839BE38388E3839BE38388E38080E382B5E383962.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/E3839BE38388E3839BE38388E38080E382B5E383962-thumbnail2.jpg" width="300" height="168" border="0" align="" alt="ホトホト　サブ2.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/E3839BE38388E3839BE38388E38080E382B5E383962-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br />　大工原正樹監督の映画ではとても普通じゃない愛や憎しみばかり描かれているのに、見ていて不思議と納得してしまう。昨年公開され話題を呼んだ『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』も、あてもなく町をさまようだけのロードムービーかと思ったら、過去の因縁にとらわれた男女の激しい感情が燃え立つまでを見るドラマでもあったような、今まで一緒に見たことない二つのジャンルの混在する映画だった。<br />　この奇妙さは大工原正樹監督の作家性なのか？　それとも脚本の井川耕一郎によるものなのか？　井川耕一郎監督作品『西みがき』は『姉ちゃん～』と同じく、姉弟の愛と幽霊をめぐる話だ。しかし二本を比べて見ると『姉ちゃん～』の俳優の堂々とした佇まいと、『西みがき』のどのように動くのか予測のつかない不安定な仕草は、全くの別物だ。<br />　大工原正樹・井川耕一郎、両監督作品を続けて見ることで、それぞれの演出・脚本のあり様の違いと、そこから醸しだされる怪しげな魅力に迫りたい。<br /><br /><script type="text/javascript">extVideoConfig = {"width":"320","url":"http://www.youtube.com/watch?feature=youtube_gdata&v=BXthP_f8tVQ","height":"240"};</script><script type="text/javascript" src="http://blog.seesaa.jp/contents/js/external_video.js"></script><br />『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』<br />監督：大工原正樹　脚本：井川耕一郎 <br />撮影・照明：志賀葉一　録音・整音アドバイザー：臼井 勝<br />編集：渡辺あい　大工原正樹　音楽：中川晋介<br />出演：長宗我部陽子　岡部 尚　森田亜紀　高橋 洋　光田力哉<br />2010／49分<br />公式サイト：<a href="http://hotohotosama.web.fc2.com/index.html" target="_blank">http://hotohotosama.web.fc2.com/index.html</a><br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/E8A5BFE381BFE3818CE3818D21.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/E8A5BFE381BFE3818CE3818D21-thumbnail2.jpg" width="300" height="200" border="0" align="" alt="西みがき21.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/E8A5BFE381BFE3818CE3818D21-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />『西みがき』<br />監督：井川耕一郎<br />撮影：福沢正典　 録音：臼井 勝 　編集：北岡稔美<br />出演：本間幸子　粕谷美枝　西口浩一郎　中村 聡　前田怜子<br />2006／53分<br />「プロジェクトINAZUMA」ブログでの関連記事は<a href="http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/archive?word=*%5B%C0%BE%A4%DF%A4%AC%A4%AD%5D" target="_blank">こちら</a>から<br /><br />『玄関の女』<br />監督：井川耕一郎<br />撮影：松本岳大　録音：光地拓郎　編集：北岡稔美<br />出演：本間幸子<br />2011／5分<br /><br /><strong>【プロフィール】</strong><br /><strong>大工原正樹</strong>　1962年生まれ。大学在学中に中村幻児の雄プロに所属。廣木隆一、石川均、鎮西尚一らの助監督を務める。その後、製作会社フィルムキッズに所属し、89年に映画『六本木隷嬢クラブ』でデビュー。『のぞき屋稼業　恥辱の盗撮』（96）『風俗の穴場』（97）などのVシネマを監督。TVドラマは『七瀬ふたたび』（00）『ミニチカ』（06）ほか。2007年には『赤猫』（04）、2011年に『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』が劇場公開される。<br /><strong>井川耕一郎</strong>　1962年生まれ。86年に製作した『ついのすみか』がぴあフィルムフェスティバルに入選。93年に後藤大輔『のぞき屋稼業』で脚本家デビュー。脚本作は『黒い下着の女教師』（96／常本琢招監督）『喪服の未亡人　欲しいの…』（08／渡辺護監督）TV「ダムド・ファイル」ほか。『のぞき屋稼業　恥辱の盗撮』『赤猫』など大工原監督作品も手がけている。2007年に監督作『寝耳に水』（00）が劇場公開。<br /><br /><strong>開場：18時30分　開映：19時</strong><br />19時～：『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』<br />19時50分～：『西みがき』『玄関の女』<br />20時50分～：トーク　大工原正樹・井川耕一郎<br /><br /><strong>会場：人形町三日月座B1F／Base KOM</strong><br /><a href="http://www.mikazukiza.com/map/" target="_blank">http://www.mikazukiza.com/map/</a><br />中央区日本橋人形町1-15-5柏原ビルB1F　電話03-3667-0423<br />人形町駅A2番出口より徒歩1分、水天宮前8番出口より徒歩1分<br /><br /><strong>入場料金：1500円</strong><br /><br />※当日はDV-CAMもしくはブルーレイ上映になります。<br />※予約は電話、メールにて承ります。問い合わせ先まで、お名前、連絡先（電話番号／メールアドレス）、枚数をお知らせください。予約にて定員（30名）となった場合、当日券はございません。<br /><br />主催：映画芸術、coffee & pictures人形町三日月座<br />予約・問い合わせ：映画芸術編集部　電話：03-6909-2160<br />メール：eigei×y7.dion.ne.jp<br />（×印に@を入れて送信してください）<a name="more"></a>

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            <category>イベント</category>
      <author>映芸編集部</author>
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      <title>1月30日、「映画芸術」最新号（438号）発売!!</title>
      <pubDate>Thu, 26 Jan 2012 18:49:04 +0900</pubDate>
            <description>B5判、188頁、1600円（税込）【2011年　日本映画ベストテン＆ワーストテン】相田冬二（ノベライザー）　磯田勉（フリーライター）　伊藤雄（湯布院映画祭実行委員会）　内田眞（編集者）　大口和久（批評家・映画作家）　岡田秀則（フィルムセンター主任研究員）　岡本安正（会社員）　荻野洋一（映画評論・映像演出）　桂千穂（脚本家・評論家）　上島春彦（映画評論家）　川口敦子（映画評論家）　川瀬陽太（俳優）　木全公彦（映画評論家）　木全純治（シネマスコーレ支配人）　粉川哲夫（メディア批..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/E698A0E794BBE88AB8E8A193438.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/E698A0E794BBE88AB8E8A193438-thumbnail2.jpg" width="356" height="500" border="0" align="" alt="映画芸術438.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/E698A0E794BBE88AB8E8A193438-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><span style="color:#999999;">B5判、188頁、1600円（税込）</span><br /><br /><strong>【2011年　日本映画ベストテン＆ワーストテン】</strong><br />相田冬二（ノベライザー）　磯田勉（フリーライター）　伊藤雄（湯布院映画祭実行委員会）　<br />内田眞（編集者）　大口和久（批評家・映画作家）　岡田秀則（フィルムセンター主任研究員）　<br />岡本安正（会社員）　荻野洋一（映画評論・映像演出）　桂千穂（脚本家・評論家）　<br />上島春彦（映画評論家）　川口敦子（映画評論家）　川瀬陽太（俳優）　<br />木全公彦（映画評論家）　木全純治（シネマスコーレ支配人）　粉川哲夫（メディア批評家）<br />国映ピンキーズ　新宿かぼす会　高橋洋（脚本家・映画監督）　千浦僚（映画感想家）　<br />富岡邦彦（PLANET+1代表・CO2事務局長）　中島雄人（ゴールデン街「鳥立ち」店主）　<br />中村賢作（会社員）　永吉直之（名古屋シネマテーク）　長谷川悦子（「博多だらけ」発行人）　<br />林田義行（「PG」編集発行人）　福間健二（詩人・映画監督・文化研究者）　<br />古谷利裕（画家・評論家）　細谷隆広（映画配給・宣伝トラヴィス）　<br />前田耕作（大学院生・映画産業経済学）　松江哲明（ドキュメンタリー監督）　<br />箕輪克彦（シネマバー　ザ・グリソムギャング支配人）　モルモット吉田（映画ライター）　<br />山下絵里（築地魚河岸の帳場さん）　侘井寂子（フリーライター）　<br />映芸ダイアリーズ　「映画芸術」編集部<br />総評：寺脇研（映画評論家）<br /><br /><strong>【日本映画の現在、その諸相を語る】</strong><br /><em>座談会「メジャーとインディペンデント、その妄想の境界を超えて」</em><br />・中沢敏明（プロデューサー／セディックインターナショナル）　<br />・下田淳行（プロデューサー／ツインズジャパン）<br />・川村元気（プロデューサー／東宝）　<br /><br /><em>座談会「映画は商品か作品か、その狭間で現実を描きだす」</em><br />・瀬々敬久（『アントキノイノチ』監督）<br />・大根仁（『モテキ』監督）<br />・深作健太（『僕たちは世界を変えることができない。』監督）<br />・荒井晴彦（『大鹿村騒動記』脚本）<br /><br /><em>鼎談「〈反戦〉の意味をいかに問うか」<br />～『聯合艦隊司令長官 山本五十六』をめぐって</em><br />・西部邁（評論家）　<br />・佐高信（評論家）　<br />・寺脇研（映画評論家）　<br /><br /><em>座談会「運動の映画、その現在的可能性」　<br />～武井昭夫著「創造としての革命」をめぐって</em><br />・井土紀州（映画監督・脚本家／スピリチュアル・ムービーズ）<br />・吉岡文平（プロデューサー／スピリチュアル・ムービーズ）<br />・富田克也（映画監督／空族）<br />・相澤虎之助（映画監督／空族）<br />・吉川正文（宣伝プロデューサー）<br /><br /><strong>【2012新春映画集中批評】</strong><br />『ヒミズ』河村雄太郎（昭和映画愛好家）<br />『生きてるものはいないのか』緒方明（映画監督）<br />『キツツキと雨』渡辺武信（映画評論家・建築家）<br />『東京プレイボーイクラブ』いまおかしんじ（映画監督）<br />『はやぶさ／HAYABUSA』『はやぶさ 遥かなる帰還』『おかえり、はやぶさ』<br />荻野洋一（映画評論・映像演出）<br />『J・エドガー』畑中佳樹（映画批評）<br />『ニーチェの馬』入江悠（映画監督）<br />『汽車はふたたび故郷へ』沖島勲（映画監督）<br />『メランコリア』堀禎一（映画監督）<br />『最高の人生をあなたと』川口敦子（映画評論家）<br />『ドライヴ』古澤健（映画監督）<br />『ロンドン・ブルバード』『ザ・レッジ』柏原寛司（脚本家・映画監督）<br />『果てなき路』大林宣彦（映画作家）<br /><br /><strong>【王兵、その映画意識と中国現代史の交差】</strong><br />対話　萩野亮（映画批評）　<br />対話　アンニ（映画研究者）<br /><br /><strong>【一枚のハガキ　撮影日記（下） 新藤風】</strong><br /><br /><strong>【追悼　石堂淑朗】</strong><br />早坂暁（脚本家・作家）むこうでもたのしい映画をつくろうな！<br />野上龍雄（脚本家）とりあえずチクと一杯<br />清水崇（映画監督）「俺の授業だけでも受けに来い!!」<br />浅井登美子（元「映画芸術」編集者）愛しの“トムとジェリー” <br />田村祥子（元創造社スタッフ）創造社のころ<br />松山俊太郎（インド学研究者）巨友の一面<br />フィルモグラフィー<br /><br /><strong>【書評】</strong><br />安川奈緒（詩人）「映画長話」蓮實重彦　黒沢 清　青山真治<br />中島一夫（文芸批評）「〈真理〉への勇気」丹生谷貴志<br />福間健二（詩人・映画監督・文化研究者）「結局、極私的ラディカリズムなんだ」鈴木志郎康<br />小平裕（映画監督）「偏屈系映画図鑑」内藤誠<br />坂本安美（映画批評）「マリリン・モンローとともに」スーザン・ストラスバーグ<br />石川義正（文芸批評家）「シネ砦炎上す」安井豊作<br />磯田勉（フリーライター）「蝶にエノケン」中山千夏<br />浦崎浩實（評論家）「日本映画論1933-2007　テクストとコンテクスト」加藤幹郎<br />編集部の一冊　「死ぬまでに観たい映画1001本」<br /><br /><strong>【連載】</strong><br />神波史男　流れモノ列伝 ぼうふら脚本家の映画私記<br />大木雄高　「LADY JANE」又は下北沢周辺から<br />長谷川元吉　映像（ムービー）カメラマン解体新書<br />白坂依志夫　白坂依志夫の続・人間万華鏡<br />OUT OF SCREEN　カナザワ映画祭　小野寺生哉<br />青山真治　稲川方人　荒井晴彦　DVD NEW RELEASE　この７枚をピックアップした<br />荒井晴彦×寺脇 研　韓米★映画合戦<br />わたなべりんたろう　日本未公開傑作ドラマ紹介<br /><br />＊<a href="http://eigageijutsu.com/article/217995527.html">ご購入の場所、方法について</a><br />＊上記最新号は<a href="http://www.k5.dion.ne.jp/~eigei/backnumber/top.html">バックナンバーページ</a>からも購入が可能です<br /><a name="more"></a>

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            <category>レポート</category>
      <author>映芸編集部</author>
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      <link>http://eigageijutsu.com/article/247398407.html</link>
      <title>『NINIFUNI』クロスレビュー　神田映良（映画批評）、近藤典行（映画作家）</title>
      <pubDate>Mon, 23 Jan 2012 12:31:48 +0900</pubDate>
            <description>触れあうようで、触れあわない距離神田映良（映画批評）　「顔」と「ノイズ」の映画。『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』で強烈な拒絶のオーラを放っていた宮﨑将の顔は、今回、この世界の虚無を吸いとり、世界の表情のようにして、作品を支えている。ぼやけた風景が焦点を結んで浮かび上がる宮﨑の最初の表情は、寄る辺ない、言わば白紙の表情をしている。騒音の中に身を置くこと自体が目的であるかのように、半ば自動的に手を動かしながらスロットマシーンをするシーンでは、ざらついた、世界を突き放すような眼差..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<strong>触れあうようで、触れあわない距離<br />神田映良（映画批評）</strong><br /><br />　「顔」と「ノイズ」の映画。『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』で強烈な拒絶のオーラを放っていた宮﨑将の顔は、今回、この世界の虚無を吸いとり、世界の表情のようにして、作品を支えている。ぼやけた風景が焦点を結んで浮かび上がる宮﨑の最初の表情は、寄る辺ない、言わば白紙の表情をしている。騒音の中に身を置くこと自体が目的であるかのように、半ば自動的に手を動かしながらスロットマシーンをするシーンでは、ざらついた、世界を突き放すような眼差しが観客を射る。彼の表情の微妙な移り行きこそが、この映画の最大のドラマだ。彼が国道沿いを彷徨するシーンでは、宮﨑以外の顔は映らない。宮﨑が立ち寄るコンビニの広告でさえ、花粉や風邪への対策を呼びかけつつ、マスクなどで覆われた顔が写っている。犯行時にはマスクで口許を覆い、匿名性を身にまとっていた宮﨑が観客に晒し続ける顔は、空虚の上にポツンと置かれた一点の染みのように、寂しい。他者が確かに存在しながらも、その存在が見えてこない画面の中に、独り置かれた宮﨑の表情。その彼もまた、顔の見えないアングルで収まっているカットが多いし、スロットマシーンやコンビニのカップ麺を見つめている時ですらその眼差しは、本当は対象を見てなどいない印象がある。彷徨しているのは宮﨑の身体である以上に、眼差しであり、それが世界の感触を不確かなものにする。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/main-57ecb.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/main-57ecb-thumbnail2.jpg" width="300" height="199" border="0" align="" alt="main.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/main-57ecb-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><a name="more"></a>　無言のままに彷徨い続ける彼を包み込む、国道を走る車の騒音は、最初、暴力的にさえ響くけれど、いつしかその音に、胎内で聴く心臓の音のような安らぎを覚えている自分に気づく。それは街の鼓動なのかもしれない。冒頭の、宮﨑と相棒が路を歩くショットは、一台の黒い車が画面左へと曲がるのを見た二人がそれを追って駆け出す瞬間、空気が一変する。路と、そこから逸れた空虚な空間。映画の前半は、その往復で構成されている。住宅街を歩くシーンで、路を逸れて空き地に佇む宮﨑。路肩に車を停め、風車を見上げる宮﨑。そして車を走らせた先に辿り着くのは、無人の浜辺。<br />　国道の騒音と交替するように響く波の音。宮﨑は、波に洗われて湿った砂の感触を確かめるように浜辺を踏みしめる。爪先に迫る波を寸前で避けながら、波のリズムに歩みを合わせるようにする。ここに至るまでの彷徨で、僕らは彼と共に、世界の鼓動に耳を済ませていたのかもしれない。この海は、『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』のように「外国」という彼岸（それは虚無と殆ど等しいのだが）を水平線の先に求めるような海ではなく、フェリーニの『道』やトリュフォーの『大人は判ってくれない』等々の海のようなこの世の果てというよりは、宮﨑が車を避けつつ横切っていた国道のような、「時間」を可視化した境界線として映じる。既に闇に沈んで見えなくなっていた宮﨑の顔は、目貼りした車内で彼が練炭に火をつけたとき、再び、そしてこれを最後に浮かび上がるが、間もなく画面は溶暗していく。彼は「時」から放逐されるのだ。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/E382B5E383963-f27bf.JPG" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/E382B5E383963-f27bf-thumbnail2.JPG" width="300" height="199" border="0" align="" alt="サブ3.JPG" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/E382B5E383963-f27bf-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br />　この浜辺で、アイドルグループ「ももクロ」こと「ももいろクローバー」のPV撮影が始まることで、一気に雰囲気が一変する、かに思える。彼女らの少女らしい甘い声は、画面を浸食していた虚無感を徐々に払い除けていくし、浜辺に流れる「ももクロ」の楽曲は波の音をかき消し、PV用のカラフルなセットが、寂しい風景に色彩を添える。だが、その明るさが却って、背を向けて接しあう空虚を際立たせもするのだ。<br />　PV撮影用のカメラの他に用意された、メイキング用のカメラに笑顔を向けるメンバーの一人が「今、浜辺で会えるアイドル、ももいろクローバーですっ」と、会いに来る人などいそうもない広漠としたノー・マンズ・ランドである浜辺で、明るくアピールし、カメラの前で、自らの役割を演じてみせる。宮﨑もまた、防犯カメラの前で、ニュースでお馴染みの「バールのようなもの」を手にした相棒と共に、世界の隅で、ありふれた犯罪者を演じていたのかもしれない。宮﨑も「ももクロ」も、映画内のカメラの被写体として存在している。だが、宮﨑とは対照的に、少女たちはその顔をカメラに積極的に向ける。宮﨑のその匿名性は、誰でもあり得る、つまりは僕ら自身でもあり得る一つの人影のようでもある。一応は与えられている「田中」という役名さえ、彼という匿名の存在に何となく付随してきたという以上のものではないだろう。<br />　宮﨑が死んでいる車内から、「ももクロ」が踊る浜辺を捉えたショットは、車窓越しに風景が覗く、フレーム内フレームのあるショット。真利子哲也（監督・脚本・編集）の脳裏に浮かんだこのショットから構築されていったというこの映画は、眼差すことを眼差す映画とも呼べるだろう。このカット中、「ももクロ」の歌と波音は――、絶えず、単調に響き続ける世界の鼓動と、それをかき消すように一瞬の輝きを放つ少女の歌とは、等しい大きさで聞こえてくる。やがて歌は消え、「ももクロ」は去り、ホワイトノイズのような波音だけが残される。この世の果てから、死者の眼で、為すすべもなく「ももクロ」を見送るということ。僕らが『NINIFUNI』から持ち帰ることになるのは、この眼差しの経験なのだ。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/sub3_yama_SBA4758.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/sub3_yama_SBA4758-thumbnail2.jpg" width="300" height="199" border="0" align="" alt="sub3_yama_SBA4758.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/sub3_yama_SBA4758-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br />　「歩く」という日常的な行為から、その足で強盗へと向かうカットで始まるこの映画のエンドロールに流れるのは、「ももクロ」の歌う“行くぜっ！怪盗少女”。ダイアモンドなんかより、あなたの心が欲しいの、と歌う明るい声は、現実の生々しい窃盗行為とは縁もゆかりもないハッピーさを放射し、宮﨑が呼吸していた世界とは別の宇宙で響いているようにも聞こえる。だがその歌詞は、顔を隠した犯罪者としての宮﨑が得ようとして、虚しい彷徨を余儀なくされていたものを、あっけらかんとした明るさで歌い上げてしまっているようにも聞こえる。強烈な違和感さえある“行くぜっ！怪盗少女”とこの映画とは、宮﨑の爪先と波のように、触れあうようでいて触れあわない。<br />　触れあうようでいて、触れあわない距離。それは僕らが、自らの死との間に持つ距離でもある。なぜなら、それが訪れた時には、僕ら自身は存在しないのだから。反面、その死は、他の誰でもない僕ら自身にのみ訪れる。この「死」は、「孤独」と言い換えることもできるだろう。宮﨑が死んだ車内から見た光景は、僕ら自身が抱えている光景でもあったのだ。「ももクロ」の歌は、たとえそれが虚しさの上に響くとしても、むしろそれ故に、強烈に生を感じさせる。宮﨑が奪い、死んでいき、最後は魂の抜け殻のようにレッカーされていったあの車のボディの黒さに抗うためにこそ、あの歌声は切実に響いてくる。広漠とした浜辺に四つ葉のクローバーの如くハッピーを運んできた、ももいろクローバーの下には屍体が埋まっている！　今こそ僕は、あの熱狂の中で声援を送っているヲタたちと同じ権利で、彼女らの歌声が聴けそうな気がする。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/E382B5E38396EFBC92.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/E382B5E38396EFBC92-thumbnail2.jpg" width="300" height="199" border="0" align="" alt="サブ２.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/E382B5E38396EFBC92-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><br /><strong>死はひっきりなしにやってくる<br />近藤典行（映画作家）</strong><br /><br />　書き出しからで恐縮なのだけれど、真利子監督ならびに『NINIFUNI』関係者の皆様には、これから映画とはほぼ関係なくアイドルのことだけを書き連ねることになるだろうご無礼をお詫びして、この文章を始めたい。ただ、これも私の取り返しのつかない「死」を多分に含んだ愚鈍な「生」だと甘んじて納得の上、どうか目をつむっていただきたい。さて、<br /><br />　2010年8月31日、新宿の狭すぎるいつもの居酒屋に集まった、結束などまるで持ち合わせていない映芸ダイアリー執筆メンバーがこの日も暑苦しい映画談義を喧々諤々やりあっているのを遮って、私はその日に目撃したばかりの真の戦いの模様とその壮絶さを揚々と説いてみせた。そこにいるメンバー全員が、まるで興味のない顔を隠そうともしない中にあって、「今、最も厳しい戦いの矢面に立ってそれを乗り越えているのは映画作家でも、ましてや批評家なんかでもなく、10代の少女たちである」、ライブの興奮と安い焼酎は私を急造の煽動家に仕立て上げていた。その日のライブとはC.C. LEMON ホール（現・渋谷公会堂）で行われた「アイドルユニットサマー2010」であり、プレスとしてちゃっかり忍び込んだ私のお目当てはSKEでもスマイレージでもbump.yでもなく（正直全部見たかったんだけど）、ももいろクローバーであり、いつ何時も全力のパフォーマンスをぶつけてきた彼女たちは、もちろんその日も最高だった。<br />　すぐに終わるであろうと粗方の人に思われていたブームだったが、新しく2012年を迎えてなお、今年もしばらく続きそうなそれは、実力の伴ったアイドルグループが次から次へと登場してくることからも保証されている。一方、去年の年末にはスマイレージから前田憂佳が、ぱすぽ☆からは佐久間夏帆が、私立恵比寿中学からは宮﨑れいなが、そしてその他のいくつかのグループからもそれぞれアイドルたちがその場から身を引いていった。そして、それでもアイドルと呼ばれた彼女たちは、どんなときだって決して笑顔を絶やすことはなかった。その在りようのなんという過酷さ。死を知るもののもつ儚さ、なによりもその美しさ。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/E382B5E38396EFBC91.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/E382B5E38396EFBC91-thumbnail2.jpg" width="300" height="225" border="0" align="" alt="サブ１.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/E382B5E38396EFBC91-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br />　『NINIFUNI』という映画は一見すると、罪を犯した一人の青年の「死」と「生」に満ち溢れた一組のアイドルグループ（ももいろクローバー）が対をなしているようにも思えもするが、事態はそんなに単純ではない。なにより彼女たちがその自分たちにいつ訪れるかわからない「死」に対してあまりに自覚的であるし、少女の「生」など一瞬でしかないことを肌で感じ取ってもいる。現に、『NINIFUNI』が撮られた際の早見あかりがいる「ももいろクローバー」はもはや二度と見ることができない、その事実が目に前に広がっているではないか。<br />　プレスシートに寄せられたキャストのメッセージを読む。私より一つ年上の、この映画でPVのプロデューサー役を演じた山中崇氏は、「生と死、静と動、孤と集団、二つの対極にあるもの」というように書いてしまっていて、残念ながらこの映画を掴み損なっているのを露呈させてしまっている。私はこの映画の本質を掴み取っている、などと主張したいわけではない。むしろ30をすでに越え、理屈で考えてしまうような男どもにこの、中心を欠くことで素晴らしい作品になりえている『NINIFUNI』という映画はどこまでも隔てられた距離がはっきりと横たわっているだけだ。「ももいろクローバーZ」の感電少女こと、18歳の高城れにはどうであろう。「時間の流れ、人生とはなにか深く考えさせられる物語。私達が過ごすこの時間も『NINIFUNI』です」。<br />　宇宙とも死者とも交信できるさすが高城れに、どうやらすべてがわかってしまっている。いや、わかっているのは彼女だけなのかもしれない・・・<br />　しかし、だからこそ私は『NINIFUNI』を繰り返し観ることになるだろうし、その一回性のものでしかない感触に何度も触れようと試みるだろう。同じ波はやってこない。<br />　かつて映画が一秒に24回の死を見せてきたのであれば、フィルムで撮られることの方が珍しくなった現在の映画は一体どれほどの死をその身に纏っているのだろう。『NINIFUNI』が名状しがたい欠落を中心にするしかない、映画そのものの死と向き合っている、その一点のみだけでも、この映画がきわめて誠実な現在の映画だと断言できる。<br /><br />　最後に一つだけ、ももクロファンの方ならご存知、なぜかこの映画にはその名がクレジットされていない川上アキラ氏の演技を超越した存在そのものは、宮﨑将と並びとんでもない領域にいることも、この映画の大きな魅力の一つであると力を込めて特筆しておきたい。<br /><br /><script type="text/javascript">extVideoConfig = {"width":"320","url":"http://www.youtube.com/watch?feature=youtube_gdata&v=YnIEUaD5lL0","height":"240"};</script><script type="text/javascript" src="http://blog.seesaa.jp/contents/js/external_video.js"></script><br /><br /><strong>『NINIFUNI』</strong><br />監督・脚本・編集：真利子哲也　共同脚本：竹馬靖具<br />撮影：月永雄太　録音：高田伸也　美術：寒河江陽子　助監督：海野敦<br />出演：宮﨑将　山中崇　ももいろクローバー　玉井英棋　宇野祥平　守谷文雄　松浦祐也　<br />配給：ムヴィオラ 配給協力：日活<br />2011年／日本／42分　（C）ジャンゴフィルム、真利子哲也<br /><br /><strong>2月4日より渋谷・ユーロスペースにて公開<br />2月25日よりシネ・リーブル梅田、シネマスコーレ、京都みなみ会館ほか全国順次</strong><br /><br />公式サイト　<a href="http://ninifuni.net/" target="_blank">http://ninifuni.net/</a><br /><br /><strong>【『NINIFUNI』公開記念『イエローキッド』一週間限定レイトショー】</strong><br />1月21日～27日、オーディトリウム渋谷にて、連日21時より<br />当日料金：一般1200円　＊『NINIFUNI』前売券をご提示の方は1000円

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            <category>レポート</category>
      <author>映芸編集部</author>
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      <link>http://eigageijutsu.com/article/247402683.html</link>
      <title>2011年日本映画ベストテン＆ワーストテン</title>
      <pubDate>Fri, 20 Jan 2012 16:30:39 +0900</pubDate>
            <description>「映画芸術」誌の2011年日本映画ベストテン＆ワーストテンが決定しましたので、ご報告いたします。配点の詳細および選評については1月30日発売の本誌438号に掲載されます。ベストテン１　大鹿村騒動記 （阪本順治監督）２　サウダーヂ （富田克也監督）３　アントキノイノチ （瀬々敬久監督）４　東京公園 （青山真治監督）５　一枚のハガキ （新藤兼人監督）６　歓待　（深田晃司監督）７　モテキ （大根仁監督）８　監督失格 （平野勝之監督）９　魔法少女を忘れない （堀禎一監督）10　僕たち..</description>
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「映画芸術」誌の2011年日本映画ベストテン＆ワーストテンが決定しましたので、ご報告いたします。配点の詳細および選評については1月30日発売の本誌438号に掲載されます。<br /><br /><strong>ベストテン</strong><br />１　大鹿村騒動記 （阪本順治監督）<br />２　サウダーヂ （富田克也監督）<br />３　アントキノイノチ （瀬々敬久監督）<br />４　東京公園 （青山真治監督）<br />５　一枚のハガキ （新藤兼人監督）<br />６　歓待　（深田晃司監督）<br />７　モテキ （大根仁監督）<br />８　監督失格 （平野勝之監督）<br />９　魔法少女を忘れない （堀禎一監督）<br />10　僕たちは世界を変えることができない。But,we wanna build a school in Cambodia. （深作健太監督）<br /><br /><strong>ワーストテン</strong><br />１　ステキな金縛り （三谷幸喜監督）<br />２　さや侍 （松本人志監督）<br />３　恋の罪 （園子温監督）<br />４　プリンセス トヨトミ （鈴木雅之監督）<br />５　監督失格 （平野勝之監督）<br />６　冷たい熱帯魚 （園子温監督）<br />７　冬の日 （黒崎博監督）<br />８　マイ・バック・ページ （山下敦弘監督）<br />９　アジアの純真 （片嶋一貴監督）<br />９　ハラがコレなんで （石井裕也監督） <br />９　八日目の蝉　（成島出監督）　<span style="color:#999999;"><span style="font-size:x-small;">※正式には蝉は旧字体</span></span><a name="more"></a>

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            <category>レポート</category>
      <author>映芸編集部</author>
                </item>
        <item>
      <link>http://eigageijutsu.com/article/246416039.html</link>
      <title>「デジタル化による日本における映画文化のミライについて」PART3　トーク「映画の多様性を守ろう！」　田井肇（大分・シネマ５）、瀬々敬久（映画監督）、村上淳（俳優）、古賀太（日大芸術学部教授）</title>
      <pubDate>Mon, 16 Jan 2012 14:40:12 +0900</pubDate>
            <description>　3回にわたって掲載してきたシンポジウムの採録もこれで最終回。映画館経営者、監督、俳優、研究者と立場の異なる四者が登壇したこのトークでは、会場に集まった配給業者や文化庁の担当者などからも発言があり、各々の意見が積極的に交換された。映画館の、あるいは映画のデジタル化という「革命」が、それぞれの領域にどんな変化をもたらそうとしているのか。これは近い将来、映画観客自身が直面しなければいけない問題でもある。（取材・構成：小久保卓馬　平澤竹識　協力：シネレボ！）左から古賀、瀬々、田井、..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
　3回にわたって掲載してきたシンポジウムの採録もこれで最終回。映画館経営者、監督、俳優、研究者と立場の異なる四者が登壇したこのトークでは、会場に集まった配給業者や文化庁の担当者などからも発言があり、各々の意見が積極的に交換された。映画館の、あるいは映画のデジタル化という「革命」が、それぞれの領域にどんな変化をもたらそうとしているのか。これは近い将来、映画観客自身が直面しなければいけない問題でもある。<br />（取材・構成：小久保卓馬　平澤竹識　協力：シネレボ！）<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/IMG_1622_Koga_Zeze_Tai_Murajun.JPG" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/IMG_1622_Koga_Zeze_Tai_Murajun-thumbnail2.JPG" width="300" height="192" border="0" align="" alt="IMG_1622_Koga_Zeze_Tai_Murajun.JPG" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/IMG_1622_Koga_Zeze_Tai_Murajun-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><span style="font-size:x-small;"><span style="color:#666666;">左から古賀、瀬々、田井、村上の各氏</span></span><br /><br /><a name="more"></a><strong>土肥</strong>　先ほどの田井さんのお話で、今の日本の状況がある程度お分かりいただけたと思います。その後の工藤さんの報告で、だけれども打つ手はないわけではない、ということもお分かりいただけたんじゃないかと思います。<br />　二部としまして、では日本は何をしたらいいのか、われわれが今いろんな映画を見られるという幸せですね。その多様性を守っていくためには、今何かしないといけないと思うんですけれども、それについてこれから話をしていただきたいと思います。司会進行は、日大芸術学部映画学科教授の古賀太さんです。それから『ヘヴンズ ストーリー』（10）、『アントキノイノチ』（11）の瀬々監督、先ほどの田井さんもお願いします。あと、今日は映画俳優の村上淳さんにもいらしていただきましたので、登壇していただきます。じゃあ、古賀さん、お願いします。<br /><br /><strong>古賀</strong>　今日は最初に日本の大分の例があって、ヨーロッパの解決方法というのが出ました。そして、ここに瀬々監督、俳優の村上淳さん、会場には利重剛監督もいらっしゃいますし、文化庁の佐伯（知紀）さんもいらっしゃいますし、いろんな方がいらしてますので、みなさん当てますので用意しておいてください（会場笑）。<br />　まず、簡単に歴史的な話を申しますと、今回のデジタル革命というのは映画にとって「第三の革命」ではないかと思います。まず、サイレントからトーキーになった1927年、『ジャズ・シンガー』からトーキーが世界中に広まったという革命があります。それから、映画は白黒からカラーになりました。これは長い年月を経てますので、いつと言うのは難しいんですけども、こういう二つの革命が今までにあったと思います。<br />　そして今回「第三の革命」というのは、フィルムが失くなるということです。フィルムというのはエジソンが発明したときから、四つ穴の35ミリというのが今に至るまで続いています。100年以上続いてきたわけなんですが、これが失くなってしまうということは、今回の革命がおそらく最も大きな革命になるんじゃないかと思います。もちろん先ほどお話にあったように、制作現場と言いますか、編集では90年代からデジタルが使われてますし、撮影でもどんどんデジタルが主流になってきています。そして今、ようやく一番川下にある映画館のデジタル化というのが問題になっているということです。<br />　この映画始まって以来の革命の特異な点は「見えない」ということです。つまり、映画館でデジタル上映を見ても、35ミリ上映を見ても、その違いが一般のお客さんには分からない。そういう一般の観客には見えない革命であるということが、今回の非常に特殊な点だと思います。<br />　ただ、先ほど田井さんが「地方ではこれから映画が掛けられなくなってしまう」ということを話されましたけれども、地方でアート系の映画が掛けられなくなってしまうという状況は今に始まったわけではありません。これは外国映画の例ですけども、2007年に403本の外国映画が上映されて、2010年は304本、わずか3年の間に100本も減っています。この減った分は主にヨーロッパ映画、アジア映画なんですけれども、つまりデジタル化以前にアート系映画はもう瀕死の状況にあると、さらに今回のデジタル化で、これが完全に死んでしまうかもしれないという状況にある、ということを認識していただきたいと思います。<br />　じゃあ、日本のデジタル化はどのくらい進んでるかといいますと、約800スクリーンなんですね。全体が3400スクリーン強ですから、40％を超えています。もちろん大半がシネコンですけれども、もうここまで進んでいるわけです。それから日本はシネコンが80％あります。ヨーロッパのように独立系の映画館が64％というのんきな状況じゃありませんので、その違いは踏まえておいていただきたいと思います。<br />　実際、映画をお作りになっている瀬々監督もいらしていますので、作り手の側から見た映画館のデジタル化、あるいはアート系映画館の未来とはどういうものなのでしょうか、ということをお聞きしたいと思います。<br /><br /><strong>瀬々</strong>　デジタル化問題もやっと分かり始めたばかりで、映画館の未来という大きな問題を答える用意も自分自身にはまだないので、実作の現場に携わっている身としてデジタル化について感じていることをお話します。今『アントキノイノチ』が全国230スクリーンで公開されているんですが、その半分がDCP（デジタル・シネマ・パッケージ）で、残り半分がフィルムです。現状はそういう感じになってます。<br />　それから、この映画はREDというデジタルカメラで撮りました。ソダーバーグがチェ・ゲバラの映画（『チェ 28歳の革命』『チェ 36歳別れの手紙』[08]）で使って有名になったカメラです。これは解像度が4Kありまして、それ以前は2Kのカメラしかなかったので、容量上がったことですごく重宝されています。それで今回は、フィルムで初号を上げた後にDCP初号というのがありました。もちろんフィルムのときにタイミングとか色補正とかいろいろやって、それと同じデータをDCPにも反映させたんですが、初号のときに愕然としました。例えばカットバックしたときに、フィルムの場合は若干色味が違っていても融通が利くというか、ふたつのカットの色味が合ってるように見えるんですね。でも、DCPの場合は少しでも色味が違うと、本来の狙いと全く違う形で上映されてしまう。そういう厳密性があるので、細部にわたっていろいろ調整しました。<br />　あと決定的な違いは、フィルムは空気感みたいなものが非常に伝わるんですけど、DCPの場合はそういうものが削ぎ落とされてしまうというか、ぺターっとくっついたような画面になってしまうんですね。フィルムにはいい意味で濁りがあるんですね。現像所の人が言うには、「油絵と油絵を印刷したものくらいの差がある」とおっしゃっていましたが、僕たちとしては、油絵と水彩画くらい違うのではないかという感覚がありました。実際、フィルムで上がったものとDCPで上がったものではそれぐらい感覚的に違った。だから、DCPになっていいこともあるんでしょうけど、やっぱりフィルムの良さは絶対あるわけで、デジタルに一元化されていくということは非常に危険だという実感を持ちました。<br />　もうひとつ上映に関してなんですけど、今年の山形ドキュメンタリー映画祭で審査員をやったんです。フォーラム山形という劇場で上映されたんですが、シネコンなのでDCPに対応したDLP上映なんですね。そこでアジアのドキュメンタリーをたくさん流したんですけど、映写技師としては「全部ブルーレイに焼いてくれ」と、「規格を統一したい」と言うわけです。バラバラの素材に対して、別の機材を咬まして上映設備を変える余裕がないから、今回は全部ブルーレイにしようと。これは映写サイドの現場の判断としては正しいと思うんです。ただ、アジアの地方にいる作り手の多くは未だSDで撮ってるんですね、HD以前の。でも、ブルーレイはHD仕様なんで、アップコンバートしなくちゃいけない。そうすると逆に画質が落ちてしまうんです。<br />　もうひとつ致命的な問題は、DLPは非常に明るいんですね。だから、作り手側にはかわいそうなくらい暗部が浮き上がってしまう。こないだ田井さんのシネマ5で『ヘヴンズ ストーリー』を上映したときも同じような現象になったんですけど、DLPでブルーレイ素材を上映すると、明るすぎてダメなんですよ。昔の上映のシステムだと、リモコンを操作して暗くしたり、コントラストをきつくしたりできたんで、それをやってくれと山形でも頼んでみたんです。でも、「他の映写機も連動してるから設定は変えられない」と。じゃあ、暗くしよう、ライトをどんどん落としていこうって言うと、「ごめん、これ以上落とすと壊れちゃう」と。それくらいDLPは画一化されたシステムなんですね。いろいろいい面もあるんでしょうけど、最新の機材を揃えられない若い作り手たちや周辺の国の映画を排除してしまったりとか、ちゃんとした上映ができなくなってしまうという危険がすごくあるシステムだというのは、僕はそのときすごく感じました。<br />　だから、言いたいのは「多様性」というのが重要であって、それをデジタルに一元化してしまうと、こぼれ落ちていくものいっぱい出てくるってことですよね。フィルムが失くなることに関しても非常に問題があるんでしょうけど、そういうことも含めて多様性をどうやって確保していけるかというのが一番重要だと思います。<br /><br /><strong>古賀</strong>　先ほどの工藤さんの報告でも、デジタルを導入したことで、ものすごい種類の映画を上映できるようになったという例が出ましたけれども、今後日本では逆の方向に行きかねないわけですね。ひとつの映画館で年間160本、150本上映されてるというのは、朝から晩まで同じ映画を掛けるのではなく、客層に合わせてパズルのように毎日プログラムを組んでおられる。おそらく田井さんのところでも土肥さんのところでも、そういう工夫をされて160本、170本の多様性というものを生み出しておられると思います。しかし、一本一本にVPFが７万円とか10万円かかってくると、それがほぼ不可能になると考えてよろしいんですよね？<br /><br /><strong>田井</strong>　完全に不可能でしょう。まあ、これは配給会社の方がどう答えるかということになりますが、おそらくどの配給会社にも、5万円貰うためにどこかに9万円払うなんていう選択をされる方はいらっしゃらないでしょう。<br /><br /><strong>古賀</strong>　それについて配給会社の方でどなたか発言していただけますか。急に会場に回しますが、ムヴィオラの武井（みゆき）さんはどのようにこの事態を捉えられてるのか、お話いただけますか。<br /><br /><strong>武井</strong>　今、田井さんがおっしゃいましたけども、うちのような規模でVPFサービスのお金を払っていくと逆に経費が膨らむという試算が出ているので、今の状況をそのまま受け入れると、おそらく会社が赤字になって倒産するという風になっていくんじゃないかなと思います。ですので、現状をそのまま受け入れるのではなくて、小さな配給会社が小さな映画を配給していける道を探していければと思っているところです。<br /><br /><strong>田井</strong>　武井さんのところは『ヘヴンズ ストーリー』の配給会社なので『ヘヴンズ ストーリー』の興収がどの劇場で20万円を切ったのかというのをご存知だと思うんですけども（会場笑）。<br /><br /><strong>古賀</strong>　今日はその『ヘヴンズ ストーリー』にもお出になっている俳優の村上淳さんにもおいでいただいてますので・・・。<br /><br /><strong>村上</strong>　しかも、さっき田井さんが出した「キネマ旬報」と「映画芸術」の表、僕が出演した作品はほとんどオレンジか赤だったんですけど（笑）。だからといって、自分の雇用、仕事の問題でここに立ってると思われるのは嫌なんですけど、単純な話ですよね。地方に映画館が失くなってしまうことの味気なさ、日本がそうなってしまっていいのか、ということを国レベルで考えないといけないんだと思います。僕はデジタルの映画も３Dの映画も見に行きますが、35ミリのプリントが失くなってしまうという転換期にどうするのか、そのスキームに乗れない単館系は廃業になってしまうということではダメですよね。じゃあ、どうするかということを考えなきゃいけない。<br />　僕は今日この場にどういう方がいて、どういう意見が出るのかということを見にきたし、確認しにきたし、これは一映画ファンとしてやってることです。ただ、当事者の方、単館系の劇場を経営されてる方だけが発言するのは逆にフェアではないと思ったんで、この若輩な俳優が立つのは申し訳ないとは思ったんですが、ここに立ちました。だから、みなさんも声を上げてください。分からないこともあると思うんですよ、だから僕もここに立っているし、みなさんのお話を聞かせてもらいたいと思います。<br /><br /><strong>古賀</strong>　ちなみに今、VPFを扱っているサービサーが３社あるんですけれども、３社のうち２社の契約条件として、ハリウッド準拠のDCIのデジタル上映設備を入れる代わりに、35ミリ映写機を撤去するという項目があります。ですからVPF導入の問題には、今後35ミリの上映ができなくなるということも含まれる。つまり、VPFのシステムにそのまま乗ってしまうと、35ミリの映写機がなくなってしまうわけですから、35ミリの名作と言いますか、配給会社や制作会社が持っているプリントは、今後2年のうちに映画館では掛からなくなる恐れがあるということです。<br />　35ミリのデジタル化には200万くらいの費用がかかるそうですけども、どこかが資金を出してDCPという形にすれば、どこでも上映できるようにはなります。けれども、有名な監督の作品だけではなく、いろんな映画にそれができるのかというと、きっと難しいでしょう。しかし、それをしない限り、今まで日本に輸入されてきた、あるいは制作されてきた映画は、フィルムセンター以外の劇場ではどこにも掛からなくなってしまう、そういう状況がほんの1～2年先まで来ているということです。<br /><br /><strong>田井</strong>　うちは当面、35ミリ映写機を捨てる気はありません。でも、映写室の構造上の問題なんかもあって、デジタル映写機を導入して35ミリ映写機を撤去してしまうという映画館もあります。まあ、いずれにしても、35ミリのプリントが供給されることもなしに、ただ映写機だけを持っていても35ミリを持っていることにはならない。だから、それも含めて35ミリ問題を考えていくことにはなるでしょう。ただ、それは私たちが決めることではなくて、むしろ映画をご覧になる方々がお考えになることだと思います。<br /><br /><strong>古賀</strong>　じゃあ、どうしたらいいのか、という話をしないといけないので、どなたか意見のある方はぜひ。はい、どうぞ、大阪の景山（理）さんです。<br /><br /><strong>景山</strong>　大阪でシネ・ヌーヴォという映画館をやってますが、私のところは35ミリとデジタル両方残すつもりでいます。今、宝塚のほうでシネ・ピピアという映画館もやってますが、どちらもそういう形になるかと思います。<br />　デジタル化の話に関して一つだけ言っておきたいのは、作品保全という点ではフィルムが非常に有効なんですよね。これがVPFを導入したときにどうなるか。データが消えるという問題があるわけです。そうすると、もうアーカイブなんか成り立たない。35ミリの映写機は制作が中止になるんでしょうけど、35ミリのプリントはまだまだ作りますよね。そうすると、フィルムを残す運動をするしかないんじゃないかと思うんです。ですから、単館系の映画館はフィルムがある限り、35ミリでやればいいんですよ。実際に今、デジタル素材をそのまま上映するよりも、プリントを焼いたほうが安くなるという話もあります。作品保全って意味でいくと、今作られているものが5年後になくなる可能性もあるわけです。デジタルは物じゃなくて、素材がデータになるってことですから。その点、フィルムは100年残ることが証明されてますから、作品保存という点では一番有効なんです。だから、独立系の映画館がシネコンとは別路線でネットワークを作っていって、そういう土俵に乗らないという形を模索するべきじゃないですか。まあ、VPFに乗る映画も当然あるんで、乗る映画は乗ればいいし、乗らない映画をもうひとつ別に作っていくっていう形もあるんじゃないですかね。そうやって作品を残すっていう形があると思うんですけど、いかがでしょうか。<br /><br /><strong>田井</strong>　シネ・ヌーヴォがあるのは大阪で、かなり大都市なので、そういう方向性はあるかもしれませんが、地方都市は状況が違います。人口10万人とか、そういうところはですね、単館系の映画が元々やりずらい。だから、メジャーの『アントキノイノチ』とか「ドラえもん」とかもやってるんですが、そういう映画館が地方都市に残っていることにはやっぱり意義があるわけですよ。そういう映画館が存続していくためには、35ミリの作品だけでプログラムを構成するのは難しい。つまり、ヒットする映画は素材がデジタルになることが多いわけじゃないですか、メジャー系の作品ですから。35ミリの映画だけを上映して映画館が成り立つのはたぶん100万都市以上じゃないですか。<br /><br /><strong>古賀</strong>　その他にご意見がある方いらっしゃいますでしょうか？　<br /><br /><strong>吉原</strong>　エスパース・サロウという配給会社の吉原（美幸）と言います。うちの会社はほとんどがプリント2～3本で回している状況で、デジタル設備のある劇場ではブルーレイを使うという形で、全国の単館系の劇場さんでやらせていただいています。実は、来年のゴールデンウィークにシネコン中心のブッキングをしようとしている真っ最中なんですけど、今のお話を聞いていて気になったことがありました。先ほどお話があったように、VPFのサービサーは３社ありまして、単館系の劇場さんと多く契約を結んでいるデジタルシネマ倶楽部さんと、それ以外のSONYテクノサポート、JDCS（ジャパンデジタルシネマサポート）の契約には違いがあります。VPFを契約する代わりに35ミリ映写機を撤去してくださいという契約条件は、JDCSさんとSONYさんにはまだ入っているはずですが、デジタルシネマ倶楽部さんには入っていないと聞いたことがあります。私も35ミリ支持者としては、その2社の契約条件は困りものだなというのがひとつ。<br />　もうひとつ、その2社（SONY、JDCS）と１社（デジタルシネマ倶楽部）の契約内容で大きく違う点があります。実はVPFのリース料は9万円から7万円と、会社によってばらつきがあるんですけど、デジタルシネマ倶楽部さんの場合、いわゆる「起算日」は東京の初日が100％でそこから数週間後に50％になったり20％になったりする形なんですね。ただ、SONYさんとJDCSさんの契約では、一番サイト数（公開館数）が多いときを起算日とするんです。<br />　例えば、うちの会社で今年の夏に『人生、ここにあり！』（11）というイタリア映画を配給したんですけど、まず東京の1館で始めて、その後、関西でやりました。東京は7月に始まったんですが、この11月のサイト数が一番多くて、ブルーレイの上映劇場を入れると10サイト以上で上映しています。その場合、SONYさんとJDCSさんの契約に則ると、今が起算日ということになるので、それ以前は全て9万円のリース料が加算されてしまうんです。<br />　それを回避する方法としては、公開当初のサイト数を多くして、それより多くならないように全国を回していくというのがひとつあります。それでも、サイト数が一番多いときに9万円かかってくると、9×10で最初に90万円、もうそれが限界なんですね。なので、10サイト以上は同時に上映できない。となると、今までは10何サイトで上映できていたのが不可能になってくる。それによって、配給会社としても地方の劇場さんとしても困りものなのが、回る速度が落ちていくんです。今まではブルーレイも含めて、数ヶ月後にはいろんな都市で同時にできていたのが、そのマックスを超えられないという壁ができてしまうので、地方都市に映画を回すのが今よりさらに遅くなってしまうというデメリットがあります。先ほどのヨーロッパシネマに関するお話の中で、デジタル化によって同時にたくさんの映画を上映できるというメリットが紹介されていましたけれども、向こうにはそういう枷がないのかなと思いました。<br />　で、結論に行きますと、その二点ですよね。35ミリ映写機を撤去しなければならないという契約条件と、起算日がマックスのサイト数に設定されているというこの二点が、今のところVPFに関する一番のネックだと思います。そういう契約条件について、SONYさんとJDCSさんに団体で交渉して、内容を変えたりできないかと今思っています。<br /><br /><strong>古賀</strong>　補足しましょう。３社のうちSONY系とJDCS系では、いわゆる一番公開スクリーンが多かった週を1週目と考えて、そこから試算を始めるということです。ですから、東京1館で始めて、だんだん増えていった場合には、実際には5週目でもそこから始めて、だんだんVPFの料金が下がっていく。ただ、ブロードメディア系のデジタルシネマ倶楽部はそうではなくて、第1週目、最初に上映したところから計算が始まります。他の2社は一番スクリーン数が増えたところから試算が始まるので、ずいぶん先のほうまで高いVPFの費用を負担しないといけないわけです。<br /><br /><strong>田井</strong>　VPF料金というのは週を追って確かに安くなっていくんです。どのサービサーでも起算日から7週目以降は、かなり料金が下がっていく。<br /><br /><strong>古賀</strong>　だいたい7週目でどこも下がりますよね。<br /><br /><strong>田井</strong>　ですから、あまり興収が上がらない劇場は、後半に持って行くということが起きてしまう。ところが後半といっても、SONY系とJDCS系では最大ブックになったときが1週目とされてしまうので、後半というのが一緒にずれていってしまうという問題ですね。<br /><br /><strong>工藤</strong>　先ほどは時間がなかったので細かく説明できなかったんですが、ヨーロッパは国ごとに事情が違うようです。フランスに限って言うと、映画館がデジタル上映するための補助金を配給会社が払うように国の法律で決めたんですね。それで、いくら払うかというのは個別に交渉しろと。ただ、配給会社が不利にならないように、細かい条件がいろいろ付いているようです。起算日の設定については、最初の2週間で一番スクリーン数が多かったときという風に、国の法律で決められているようです。<br />　二つ目にイギリスの例なんですけれども、映画館が集まって自分たちのブッキングパターンですね、いつどういう風に上映してるのかというのを1年かけて研究したらしいんですね。そのうえでサービサーと交渉して、自分たちの上映パターンに合ったVPFの仕組みを作ってくれるサービサーと契約したそうです。要するに、私が言いたいのは、オーダーメイドをもうちょっと交渉してもいいんじゃないかということなんですけれども。<br /><br /><strong>古賀</strong>　つまり、今のVPFサービサーが提供する3種類の契約内容に代わるオーダーメイドを、みんなで集まって交渉できないかということですよね。<br /><br /><strong>工藤</strong>　それがベストかは分からないんですけど、選択肢の一つに入ってもいいのかなと。<br /><br /><strong>古賀</strong>　そうですね。ヨーロッパの政府のサポートに関する話もありましたので、文化庁の佐伯さん、発言していただいてもよろしいですか。<br /><br /><strong>佐伯</strong>　今日はみなさんの問題意識がどの辺なのかと確認したくてここへ来たんですが、このデジタルシフトはものすごく多岐にわたる問題だと思います。今回は上映の話が中心ですけれども、先ほど景山さんが言ったように、フィルムが失くなるという状態になったときに、現像所はどうするんだとか、技術者がいなくなったらフィルムの保存や修復はどうなるのか、もう至るところで問題が出てくるような気がするんですね。<br />　だから、そういうことを全部見て整理しないといけないな、というのが今の実感です。映画という分野領域の中で、劇場は一番の川下ですけど、それ以外のところでも同じように、デジタルへの移行がもたらす影響についての議論が必要だと思います。<br /><br /><strong>古賀</strong>　ありがとうございます。ちなみに経産省のほうでは2009年から2010年にかけて、映画館のデジタル化を進める助成を行なっています。当時1000万から1500万と言われた費用の2/3を経産省が持つという形で、40スクリーンあまりがその制度を利用してデジタル化しました。そういう国の助成が日本にもないわけではないということも付け加えておきます。<br />　ですから、これからわれわれが集まって国に対してどういうことをお願いするのかという、次なるシステムを考えていかないといけないんじゃないかと思います。ここで、最近「シネレボ！」という団体を立ち上げて、観客の側から「今の状況はおかしい」という発言を始めておられる大野（敦子）さんから、どういう活動をなさっているのか、簡単に説明してもらえればと思います。<br /><br /><strong>大野</strong>　私は普段、仕事では映画の製作のほうをやってるんですが、一映画ファンとして、まず現状についての正確な認識を持って、この問題について考える場を作れないかと思って「シネレボ！」という名前で活動を始めました。今日はUstream中継をやっているんですが、あまりにもたくさんの方がいらしてくれたこともあって回線が混み合ってるのか、配信がきちんとできていません。ただ、Ustreamの配信であったりツイッターからの発信であったり、一人の映画ファンにもできることがあるんじゃないかなと思っています。例えば、今日の議論を受けてツイッターでも「マイナーな映画を絶滅させたくないのか、映画館を絶滅させたくないのかどっちなんだ」とか、「もっとデジタル推進派の方の意見も聞きたい」という意見も出てきてるんですが、そういう議論の場をもっと活発にできたらなと思ってます。<br /><br /><strong>田井</strong>　シネレボ！は「シネマレボリューション」の略ですよね。つまり、革命ってことですね。で、先ほど配給会社の方がVPFに関するご苦労の話をされたんですが、「VPFの起算日がいつになって、そうすると7週目がここにずれちゃうから・・・」とかって、いったいぜんたい配給というのはそういうパズルをやってゆく仕事なんでしょうか？　そもそも配給という仕事が、そんなパズルを組み立ててVPFをいかに安く乗り切るかを考えるみたいな、そんな風になっていくこと自体がおかしいですよ。<br />　古賀さんがおっしゃいましたけれども、今は確かに映画史上最大の革命が起きているのかもしれない。でも、全然革命じゃないでしょう？　つまり、ここでは上映機材が35ミリからデジタルになっちゃうんだという、機材の移行の話をしてる。でも、本当の革命というのは価値観が移行するってことですよ。でも、価値観は移行していないじゃないですか。<br />　既に崖っぷちというか、もう崖から落ちて袖が木に引っ掛かっているだけというか、そういう映画館が今まで以上に大変になる、メジャーは今まで以上にコストが安くなる、メジャーにとっては安泰というのは、今まで通りじゃないですか。しかも、VPFによって「地方にお届けできるのは今までより遅くなります」って、そんな馬鹿な。だって、デジタルが一番いいのは、われわれが地方にいても東京と同時に公開ができるからでしょう。だから、デジタルこそが地方と中央の差をなくすとか、メジャーとマイナーの差をなくしていくとか、そういう革命ができるはずなんですよ。ところが、革命に向かっていない、今の価値観が全然変わらない、それが僕は問題だと思うんです。<br />　今は東京でも恵比寿ガーデンシネマやシネセゾンがなくなって、アート系の映画館って大変なんだね、と言われる。でも、本当の革命が起きれば、今まで地方になかったような新しい映画館ができるかもしれない。それによって映画の流通とか様々なことが変わって、映画の価値観そのもの、映画館で映画を見るという行為自体が変わっていくかもしれない。そのときが初めて革命ですよ。今は何も革命が起きようとしてないことに問題があるんです。<br />　われわれは今、その革命をなんとかしてやりたいという話をしてるんだと思うんですよ。つまり、「お金がないから国が援助してくれないかな？」という話を一生懸命やってるだけじゃないんです。それだけでいいなら、ここに篤志家がいて「そうか、じゃあ、映画のために俺が一億円出してやる」とか言ったら済んじゃう話になる。でも、そういうことでは済まないんですよ。そこから始めて、スタートラインに立って、われわれがデジタルを使ってどんな新しい映画環境を作り上げることができるかってことを語らなければいけない。ですから、みなさんには本当にフランクに言ってほしいんです。専門用語とか出てくるので分かりづらいかもしれないけれども、「なんでデジタルになったら入場料が下がるって誰も言ってくれないの？」とか「もっと地方でもいろんな映画が見られるようになれると思っていたのに」とか。普通の人たちってそういう感覚を持ってるじゃないですか？　<br /><br /><strong>古賀</strong>　議論するべきなのは革命のお話で、お金の問題ではないということですね。今深く頷いておられる利重監督、最後に一言いかがでしょうか。<br /><br /><strong>利重</strong>　僕もこのところずっと勉強していて、田井さんが今おっしゃった通りだと思うんです。本当に革命ができる隙間があるような気がするんです。それを見つけださないと本当にやばい、本当の崖っぷちにいると思います。そのために何ができるのか、アイデアもいろいろあるんですが、一言二言で言えることではないので、いろんな場で提案していければと思っています。今は「こういう方法もあるんじゃないか」というブレストの時期ですから、アイデアを否定するのではなく、出し続けるっていうことをしなければいけない。世界中の映画が見られるのは日本だけだと思うんです。アメリカの映画も、ヨーロッパの映画も、中国の映画も、イランの映画も、全ての映画が見られるのはたぶん世界中で日本だけだと思います。とにかくその環境を守らなければいけない。<br />　そのために、今はヴァーチャル・プリント・フィー（VPF）の問題が一番大きいので、それをどうやってクリアするかっていうことを考えないといけないと思います。世界中の映画を見つけてきてくれているのが配給会社で、今まで踏ん張ってきてくれたおかげで、これだけの映画を見られる文化を日本は持ってるんだから、それを守らなければいけない。その先に、日本映画をどう作って制作費を回収していくかというシステムの問題があって、今それは本当に壊滅的な状況なんですが、その問題について話し合っていくと、そこに革命のきっかけがあるような気がするんです。日本映画も劇場だけで回収できるビジネスモデルが作れるんじゃないかと思うんです。<br />　最初に田井さんがおっしゃったように、今「2000万回収できればいいほうですよ」と言われる、じゃあ2000万の興行収入の中から劇場が半分取って、宣伝費をトップオフして、と考えたときに、じゃあ制作費をいくらに設定したらいいかといったら、600万でしか回収できない。そういう状況では、もう映画を作れないですよ。二次使用だってほとんどお金になりませんよって言われてる状況の中で、じゃあどうするのって言ったら、返さなくてもいいお金を持ってきて作りましょうよってことになる。でも、そんなのビジネスでもなんでもない。そうじゃなくて、映画を作る人が大儲けしなくてもいいから、とにかく映画を作り続けて見続けられる環境を作りたいと思うし、それができる可能性をデジタルの上映システムは持ってると思うんです。<br />　今は問題があまりに大きくて多岐にわたるからワーっとなってるけど、必ず出口があると思います。それをとにかくみんなで話し合わないといけない。アップリンクの浅井（隆）さんのように「新しい上映のシステムを考えれば、ヴァーチャル・プリント・フィーを払わないで済むんじゃないか」という提案をする人もいます。地方だったら、映画を愛する人たちがカンパして、ヴァーチャル・プリント・フィーを払わなくてもいいようにデジタル上映設備の導入費用をみんなで払いましょうよ、というお金の集め方だってできると思うんです。そういうものだと思うので、まだまだ方法はたくさんあると思います。<br /><br /><strong>古賀</strong>　ありがとうございました。時間が過ぎてしまったので、これで終わりにいたします。デジタル化という革命を逆手に取って、より多くの外国映画、それから多様な日本映画が見られるような環境にするために、あるいは作られるような環境にするために、ここに来ているみなさんとまた話し合いの場を持っていきたいと思います。それから、シネレボ！という大野さんの団体が、そのとりあえずのプラットホームとして機能していきますので、みなさんホームページを訪ねていただいて、ネットワークを強めていきましょう。<br /><br /><strong>土肥</strong>　ありがとうございます。今回はあまりにディープな話になるので触れられなかった35ミリ問題ですね、これもまた機会を設けていろんな意見が出されるようにしたいと思います。今日は本当にありがとうございました。またシネレボ！で頑張っていきたいので、よろしくお願いします。<br /><br /><a href="http://eigei.up.seesaa.net/image/IMG_1642_Kaijyo_ushirokara.jpg" target="_blank"><img src="http://eigei.up.seesaa.net/image/IMG_1642_Kaijyo_ushirokara-thumbnail2.jpg" width="300" height="200" border="0" align="" alt="IMG_1642_Kaijyo_ushirokara.jpg" onclick="location.href = 'http://eigageijutsu.com/upload/detail/image/IMG_1642_Kaijyo_ushirokara-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><a href="http://eigageijutsu.com/article/240455124.html">＊PART1へ</a><br /><a href="http://eigageijutsu.com/article/240417747.html">＊PART2へ</a><br /><br /><strong>シネレボ！主催イベントのご案内<br />「映画の未来を考えよう！　シネマライフvol.1　～映画館を飛び出して～」</strong><br /><br />出演：<br />浅井隆／UPLINK代表（東京／配給、ミニシアター運営） <br />長島源／CINEMA AMIGO代表（逗子／シネマ・カフェ） <br />片岡大樹／月世界旅行社代表（京都／自主製作、上映）<br /><br />日時：1月22日（日）開場13:30／開始 14:00（17：00終了予定）<br />会場：オフィス・シロウズ<br /><a href="http://www.shirous.com" target="_blank">http://www.shirous.com</a>（HPに地図あり）<br />最寄り駅：四谷三丁目駅or 曙橋駅<br />参加料：カンパ制（当日の運営費のためご協力お願いします。）<br /><br />参加申込方法：件名「1月22日予約」として次の3項目を記入して、下記アドレスまでメールをお送り下さい。<br />(1)お名前　(2)人数　(3)電話番号<br /><br />主催・お問い合わせ先：シネレボ！<br />メール：cinerevo21★gmail.com<br />※★を@に替えて送信して下さい。<br /><br />※USTREAMにて中継予定 <br /><a href="http://www.ustream.tv/user/cinerevo" target="_blank">http://www.ustream.tv/user/cinerevo</a><br /><a href="http://cinerevo.com" target="_blank">http://cinerevo.com</a><br /><br />

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      <author>映芸編集部</author>
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